政府と国民3(2項対立1)

日本列島では縄文の昔から上下の一体感・・犬まで一緒に葬る同胞意識が強い社会ですし、西洋の革命によって生まれた民主主義・人道主義以前から日本では民意重視・・すべての生き物・環境重視社会です。
西洋の学問を学んだ文化人は飽くまで政府と国民の対立図式・・地主と農奴・労働者と資本家・男性と女性・敵か味方か白か黒か人とそれ以外と言う2項対立図式を有り難がる傾向があります。
世の中「晴か雨、暑い寒い・・」ばかりではなくいろんな天候があるし白黒の外にいろんな色合いがあります。
キリスト教・イスラム教的善悪二元論は数千年〜万年単位で遅れた社会で通用する・・人間の一生で言えば小中学生レベルの単純価値観ではないでしょうか?
自我に目覚めて何でも口に出して主張するのが進んだ人間と賞讃される価値観も、小中学生レベルを前提にすれば、自分の意見を持てるようになって良かったと言うオヤの目から見れば賞讃すべきことですし、子供から言えば誇りでしょう。
近代西洋で発達した2項対立図式(この程度までが理解能力の限度)によれば、犯罪摘発・・秩序確立は政府を利するだけのことだし、国民を監視するための情報収集に協力するのは、まっぴら御免・・通信の秘密・プライバシーその他表現の自由など人権重視となると嬉しくなってそのサジ加減の必要性が分らないし、「生き物を大切にしなければならない」と習ったことを自慢したくなって「捕鯨反対」と短絡化して行くのは民度レベルから当然です。  
フランス革命で権力と人権の二項対立を習うと、この基準でしか考える能力がない人は日本人レベルで言えば、小学高学年レベルの人と言えるでしょう。
日本は繰り返すように縄文の昔から・・複雑多様な自然の移ろいを肌で感じて表現して来たように、(「春か夏か!と言う観念で決めるのではなく、その日の風情で微妙に着るものや床の間に活けるハナや掛け軸を変えて行く社会です)いろんな価値観を総合判断して行く社会でしたから、2項対立→「今日は春か夏か」の区別程度しか分らない人はムラの寄り合いでマトモな意見を言えずに黙っているしかない人材でした。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な(言わば原始社会基準の)二択基準を持ち込んで強制したために、この70年間世間を2項対立でしか判断出来ない低レベル人材がアメリカと言うトラの威を借りてエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の空模様で何を着ていこうか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準を出されると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らない設問者をバカにしているだけです。
多くの女性は出掛けるのを急かす男性に対して「はいはい」と答えていますが、「どうせ男性には分りはしない」と言う気持ちであって男性が優れていると思う女性は皆無でしょう。
子育ても「厳しいか寛容か」などの単純価値観ではうまく行きません・・母親の重層的価値観でこそ学業や友人関係について行けない子供が何とか育つのです。
単純化に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・微妙な反論を許さない「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
菅直人氏が総理現役時に自衛隊を「暴力装置」と表明したのも、人命救助側面を見たくない・・抑圧組織としか見られない限界を示しています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか・・・国民のためか搾取するための道具としてあるのか?
社会秩序は国民のためにあるのか?犯罪摘発は政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかがテーマとなります。
そして革新系文化人にとっては、日本政府を「自分たちの政府」ではなく、フランス革命前の人民抑圧組織として理解し敵視していることになります。
公害・環境問題や核実験反対も、抑圧組織と決めている日米政府や企業に反対するが、解放組織である中ソの実験や公害出しっ放しには全く問題にしない矛盾行為に平気な理由です。
敵か味方かを基準に「戦略的に?』判断するのではなく、人類全体のために環境をどうするかの高度な視点にまで脳構造が追いついていないのでしょうか。

政府と国民(信用破壊工作)2

彼ら人民と対立する日本政府を想定し外国勢力占領を渇望する立場からすれば、時代に応じて政府が新たな情報活用すること・・防犯カメラ、マイナンバー・統計処理その他政府が正確な情報を得ること全てイヤ・・秩序が乱れている方が政府による国民抑圧効率が悪くなるのは良いことですし、抑圧されている人民を助けるために外国が攻めて来易いから政府のためになりそうなことは全て反対と言う気持ちも分ります。
しかし、今のシリアのようにあまりにも内部が乱れてしまうと占領政治も出来なくなるので、もしかして・・無政府主義者になるのでしょうか?
犯罪=政府秩序破壊行為ですから、反政府組織(無政府主義者)にとっては、泥棒であれ何であれ、秩序破壊に役立つ行為・・データを不明瞭にすることを奨励する立場になるのでしょう。
英国流の汚いやり方(海賊行為でスペインを挑発して遂に覇権を握ったのは周知のとおり)を学んだサツマ藩は、幕末江戸の秩序撹乱を狙って、テロ行為を実行しました。
幕末薩摩藩は正規職員を撤退させて、その空き屋敷に得体の知れない素浪人を引き入れて押し込み強盗その他犯罪者の巣窟になっていた・・幕府支配下の治安破壊を目的にしていた小説を子供の頃に読んだ記憶です。
追っ手に追われた強盗集団(子供の頃に読んだ物語では益満休之助がサツマ藩のテロ組織の親玉だったように記憶していますし、人斬り以蔵はサツマ藩出身ではありませんが、殺し屋として知られています)が・・治外法権を利用して薩摩屋敷に逃げ込むと追っ手は、手も足も出なかったことを想起しても良いでしょう。
(桂小五郎も京の薩摩屋敷に逃げ込んで難を逃れた逸話があります)
うろ覚えですので、念のため・・以下は益満休之助に関するウイキペデイアの記載です。

薩摩国鹿児島高麗町生まれ。薩摩藩の尊王攘夷派として、江戸で活動する。万延元年(1860年)には清河八郎が結成した虎尾の会に名を連ねる。慶応3年(1867年)末、西郷隆盛の密命を帯びて伊牟田尚平らとともに江戸へ赴き、江戸薩摩藩邸を本拠として約500名の浪人を集め、江戸市内を意図的に混乱させる工作をした(江戸薩摩藩邸の焼討事件)。その狙いは、幕府の施政を妨害し、挙兵させ、それによって江戸を中心とした関東地区を撹乱することで、民衆の不満を煽り、尊皇攘夷の大義名分を得て、新政府実現へのきっかけとすることにあった。
果たして、狙い通りに江戸取締役を務めていた庄内藩軍を主力とする幕府軍が江戸薩摩藩邸を襲撃、この知らせが大坂城に至り、会津藩及び桑名藩を刺激し、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。のち、幕府方により逮捕され処刑される直前に勝海舟によって身請け・幽閉された[1]。

岡田以蔵に関するウイキペデイアの記述は以下のとおりです。

土佐勤王党が王政復古運動に尽力する傍ら、平井収二郎ら勤王党同志と共に土佐藩下目付の井上佐市郎の暗殺に参加。 また薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。 越後出身の本間精一郎、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人・村山加寿江の子・多田帯刀などがこの標的にされた(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。 このため後世「人斬り以蔵」と称され、薩摩藩の田中新兵衛と共に恐れられ、同時代の史料では同志から「天誅の名人」と呼ばれていた。なお一般的に「幕末の四大人斬り」と呼ばれる者達はみな、後年の創作物によって「人斬り」の名が定着したものである。

鳥羽伏見の役は薩摩屋敷を基地とするテロ挑発に我慢し切れなくなった庄内藩兵が治外法権の薩摩屋敷を襲撃するに至り、小御所会議のクーデターで京を退かされた無念の会桑+新撰組連合軍が・・俺たちも・・と兵を挙げてしまったことに始まります。
言わばイギリスの海賊行為に業を煮やして無敵艦隊を派遣したスペイン同様の経緯です。
薩長を中心とする勤王派(今で言えば、2世紀前の近代法の原理を掲げる時代錯誤)によるテロ行為・・秩序破壊行為が目に余って来て、奉行所制度・・みんなが権威に従っていてタマに間違った人しか事件を起こさない前提)では手に余って来たので、江戸市中警備のために庄内藩が警備役に就任して兵力を駐留する事態になっていました。
一般には京の治安維持には所司代だけでは間に合わなくなって来て会津藩の軍隊が駐留したことが知られていますが、徳川お膝元の江戸市中でさえ治安警察が必要になっていたのです。
会津藩軍兵への進駐でも、テロには正規軍や対応不向きなので非正規組織である新撰組が組織されました。
明治政府成立によって新撰組が悪役化されて描かれていますが、先に治安悪化を狙った暗殺組織や強盗集団を組織して挑発したのは薩長の方であり、新撰組や見回り組はその防衛組織として始まったものです。
現在は、東京時代・・まだ明治時代の延長ですが、その影響がなくなると新撰組や会津藩に光が当たる時期が来ると2004年09/09「勝てば官軍」1(薩長閥と戦後政治家の変遷)」に書いたことがあります。

政府と国民(信用破壊工作)1

革新系文化人・政党が新しい施策に全て反対してきたのは、日本国の発展しそうなことを妨害するのが目的ではなく、政府と国民が対立しているから搾取し抑圧する政府・資本家から国民防衛のために政府・資本家の施策に全て反対しているとすれば「外国の手先」と言う批判はあたりません。
左翼系は従来から自分たちを「国民」と言わずに人民と称していることをMay 1, 2013, 「中国共産党→中国政府→人民2」前後で紹介したことがあります。
国民と言わずに人民と言えば何が変わるのか分りませんが、中華人民共和国・朝鮮人民共和国の名称を有り難いと言う忠誠心の表明でしょうか。
人民解放軍が人民「解放」に来てくれるのを首を長くして待っている意思表示でしょうか?
ところで、人民解放軍とは国軍ではなく、中国共産党による武力支配を貫徹するための私兵です。
中国や韓国の主張は実際には真逆・・自分が酷いことをしている場合・・歴史改ざんであれほぼすべて・日本がやっているように表現することが多いので、中韓が主張すると自分がやっていることを言ってるのだな・・と理解するのが普通ですが、人民解放と言う名称こそ真逆の世界です。
このネット時代に膨大な人員を使って都合の悪い発信を片っ端から消して行くだけでなく、公安警察を使って国内でやり放題どころか、香港など域外にまで出張して気に入らない言論人を秘密裏に拉致して行く・・・この背後に控えている武力装置が「人民解放軍」です。
これ程、真逆の名称は珍しいし、虚偽で塗り固められた中国の本性・・象徴的表現です。
今朝の日経新聞朝刊10pには習近平氏が、遂に軍用迷彩服でテレビに出て来た背景を書いています。
「銃口から政権が生まれる」と言う毛沢東主席の意見・・中国共産党の党是ではあるものの、開放政策以来経済優先で来た・・対外的宥和・・平和的発展論を示すためにも、ここ何十年も軍服着用は長老の葬儀など内輪でしか着用しておらず最近では背広中心になっていた経緯を紹介して、今になって軍服・しかも現場向きの迷彩服まで着てテレビに出るのはどう言うデモンストレーションかの解説をしています。
経済政策で人民を引きつけるのは無理になったので軍事力で押さえ込む明白な意思表示ではないかと言うものですが、このように中国では人民を抑え込むための兵力であって国防軍ではありません。
菅直人氏が総理大臣のときに自衛隊を暴力装置と発言して物議をかもしましたが、中国の軍を理想とする革新系では当然の理解・・自衛隊も人民抑圧手段の理解なのでしょう。
まして中国の場合、警察は人民監視や抑圧の手先機関でしかないのですから、憲法9条に関する「戸締まりや警察が必要」と言う自衛必要論のたとえ話は、警察などは人民の敵と考えている左翼文化人とまるでかみ合っていません。
革新系文化人は、人民解放軍は人民抑圧のための軍であり警察は秘密警察・・国民の生活安全を守るためはなく政府の都合でいつしょっぴかれるか分らない怖い存在でしかないと良く知っているとすれば、中国人民解放軍が日本人民を救うためにやって来ると期待していると言うのは矛盾していませんか?
日本の軍は武士の系譜を引くものですが、日本の武士団が始まって以来約千年ですが、地元出身で構成される武士団が地元住民を敵に回して戦うことを誰が想定出来るでしょうか?
軍国主義日本を批判していますが、日本国民を弾圧したことがあったでしょうか?
秀才は日本の現実を見ないで西洋の歴史教育で習ったとおりを観念する習性です。
政府は国民の敵だから日本を攻めて来る国は救世主であると切り分けていたのが戦前ソ連崇拝者の行動原理でしたし、その系譜を引く革新系文化人は戦後はアメリカ占領軍崇拝し、今は中国による日本人民解放実現が夢とすれば非武装論は確かに有効です。

反日工作とその収拾策2

中韓は日本相手にやりたい放題やって来たので、彼らは内部から価値観が蝕まれて来たことに気が付かないのでしょうか。
彼らは国内的には専制政治の強制力・・馬を鹿と言いはって来た歴史があり、日本相手に黒を白と言い張って押し通して来た経験しかありませんので、世界でもこれが通用すると誤解してしまっているとすれば、日本の教育能力は大したものです。
この経験によって両政府ともにやみくもに日本の陰口外交に徹していますが、こういうことをすれば普通の個人間の交際を考えても自滅行為であることに気が付かない程、アマちゃんになっているのが分ります。
ベトナムとの衝突でもベトナムがぶつかって来たと当初言い張っていましたが、ベトナムからビデオ映像を出されて大恥をかきました。
日本相手だと日本は相手の立場を慮って行動するのが普通(相手にあまり恥をかかせない交渉術が主流)ですから、政府は映像など一切出さずに「善処して下さい」と言うばかりでしたから、中国はそれで味を占めていたのです。
日本の長年の中国に対する教育効果が、肝腎の世界中監視の中でのベトナム相手の大勝負時にまともに効果が現れたことになります。
中国では鄧小平の遺訓として「韜光養晦」『有所作為』(弱いときにはぺこぺこしておいて力がついたらやり返す)・そのときが来たとか言って自慢していると言われますが、もしもそうとすれば日本を欺いてうまくいったと国家ぐるみで自慢するなんて智恵の浅いことこのうえありません。
ただし上記解釈は曲解であって、真実は「出しゃばらず身を処して、なすべきことなす」程度の立派な生き方を示しているに過ぎないと言う意見もネットに出ていますし、実際一国の最高指導者がそんな低レベルな遺訓を残すとは到底考えれません。
原文に当たる能力のない私にはどちらが真実かよく分りませんが、言葉の意味は時代によって変わって行くものですから、そのような低レベル解釈が世界で幅を利かすようになったのは、現在中国の傲慢な行状・態度が原因であることは確かでしょう。
国内矛盾誤摩化しのための日本叩き策は、赤ちゃんがおむつの汚れや空腹でぐずったときにおむつ等の取り替えやミルクをやらないで、大きな音を立てて注意をそらしてびっくりして泣き止むのを期待しているようなものです。
あかちゃんを驚かして一旦泣き止ませるような効果を期待する日本叩きでは、一定時間経過しても、おむつ等取り替えてやらない限り・・空腹ならばミルクを与えない限り・・体調異変があるならばその解決をしない限りアカちゃんはもっと激しく泣き始めますので、本質的解決にはなりません。
誤摩化してばかりいるとどうやってあかちゃんの気持ちや体調異変を早期理解するか等の育児能力が身に付かないままです。
中韓両府は、内政の失敗をして国民が不満を持つようになれば失敗の原因を探り不満解決に努力するよりは・・イザとなれば、日本叩きをすれば良いという安易な姿勢に長年頼ってきました。
日本叩きによる解決方式に頼っていると、国内矛盾の解決がおろそかになってその能力が身に付きませんし、(日本にとって半永久的に真の競争相手に成長できないという安心感がありますが・・)不満が蓄積する一方ですので、反日行動も毎回次第に刺激を高める必要があって、エスカレートする一方になります。
戦後70年近くも繰り返され、しかも次第にエスカレートして来ると、大人しい日本人も「いい加減にしろ」と怒り出したのが、1昨年夏の李大統領発言や尖閣諸島での中国漁船体当たり事件でした。
日本の怒りに対して韓国では「日本は大国だった筈なのに懐が浅くなった」と嘆く声が当時聞こえてきましたが・・深謀遠慮としては中韓を甘やかしておく方が長期的には日本の利益であることは相違ないと思われます。
昔から「金持ち喧嘩せず」と言いますが、余裕のあるときは鷹揚に構えている方が良いのですし、余裕が無くなれば少しのことでも目くじら立て、言われるとおりに祝儀を弾んでいられなくなります。
体力のある限り中韓を甘やかしておく方が良いでしょうが、そうも言ってられなくなった・・日本の懐が浅くなったと言う韓国の批判・嘆き節は正解と思います。
日本人も怒り出して感情的になって来たので、あまりに厚かましい要求を悪びれず繰り返すには、背後でアメリカが唆しているからではないかという国民意識・感情論が高まって来ました。

反日工作とその収拾策1

中韓両政府は日本人の多くは中韓政府が謝って来ないと許せないというところまで怒っていることをまだ理解していないというか「理解しているが謝ったのでは政権が持たないので・・」という泣きを裏で入れて来ているのでしょう。
江沢民の次に国家主席になった胡錦涛政権では、いつまでも反日、反日の繰り返しではどうにもならないから、いい加減にやめようと方針を決めたことがあったそうですが、それに対して何十年も反日教育して来た成果が出ていて、心から日本をニクイと思っている人口が増えてしまっていた結果、ネット上で腰抜けと売国奴とか罵られてしまい、結局反日教育を更に強化するしかなくなったと言われています。
反日教育と言うか相手を一旦悪く教育し始めると、方針変更したくとも出来ない・・収拾がつかなくなるがん細胞のような傾向があります。
中韓両政府は目先の利益のためにがん細胞的な戦術を一旦採用してしまったので、百年単位でこの解消・・負の遺産に困ることになるでしょう。
従来このように裏で泣きを入れては、表向き日本が韓国の要求を認める形で解決して来た(河野談話など)ことが後で証拠として使われる狡さに繋がっています。
今度こそ「政権が倒れるのは日本批判をして来たあなたの責任でしょう」と突き放すべきです。
きちんと謝罪した上で「今後反日教育しない」と誓約しない限り首脳会談をこちらの方から断るべきでしょう。
このように対応することで次の政治家は日本批判で国内矛盾を解決しょうとすると、却って政権の危機を迎えることになると学習出来るでしょう。
内政失敗の誤摩化しのために戦争に訴えて、その戦争で負けたら戦争を始めた政権が倒れるのと同じで、日本批判で争いを始めた以上は、それが失敗すればその政策推進責任者に責任を取らせるべきです。
日本は日本批判をした政権が苦しくなると可哀相だとその政権維持に力を貸して来た・・歴代日本政府の「まあまあ・・」の対応が中韓の次世代政治家に対して日本批判が政権維持に有効なもの・・リスクがないとの学習させて来たことになります。
日本歴代政権のこのやり方は、中韓両国がまともな政治をするチャンスを奪い半永久的に日本に対抗できるほどの大人としての政治をする能力が身に付かない・・一人前の国家・社会を作れないようにする意味では、中韓両政府・社会の愚昧化政策として有効だったかも知れません。
「困ったことがあると日本批判をしていれば良い」と言う子供染みたことを百年でも繰り返している限り・・子供を甘やかして育てているようなもので、中韓の政治的成長は進まない・・成長阻害の深謀遠慮策になります。
ヤクザがいつもうまい汁を吸えれば「ゆすりたかり」をやめてまじめに働く職業訓練を受ける気にならないままで、中高年になって行きます。
中高年になって取り返しのつかない年齢になってから社会が厳しく当たれば、ヤクザ稼業で生きて来た人間は転進するには年を取り過ぎていて生きて行く方法がなくなります。
これまで日本がいざという時のために(意図的に)中韓をあまやかして来たとすれば、中韓両政府はこの結果イザとなれば「嘘を言い放題・世の中は言いたい放題言えば自分の主張が通る」と誤解したままでやってきたので、実態では世界の孤児になりつつあります。
韓国人は世界中どこでも大の嫌われ者ですし、中国人もほぼ同様ですが、その基礎は対日で何十年も甘やかされているので、世界を甘く見てしまっていること・・日本による甘やかし教育の成果が現れて来ているのに気が付かないのです。
資源に恵まれていれば、国民が勤勉に働く習慣を失います。
働く習慣がなくなった・・労働の技能を失なった後で資源がなくなれば大変です。
このような考え方に着いては以前ナウル共和国の例を挙げて書いたことがあります。
うまいことをすれば必ずその咎めが来るという例です。
本当に日本が中韓と敵対しなければならないときのために、日本は彼らを良いように甘やかして道徳的に腐らせて行けば、いざというときに中韓の味方をする国はいなくなってしまいます。

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