平成31年元旦(行事の重要性!)

明けましておめでとうございます。
皆々様 輝かしい新年を迎えのことと存じます。
今年もまた元気で1年を送りたいと思っております。
なんやかやと言っても長年の習慣か?元旦になるとなんとなくおめでたく感じる不思議な日です。
ここで何故元旦がおめでたいかの疑問を考えてみました。
元旦といえば、どこの国でも家庭でもそれなりの行事があります。
何故行事があるのか?行事の効能について、気がついたことを書いていきます。
時間とは何か?と言えばよくわからない言葉ですが、時間に区切りをつけるために行事というものがあるのでしょう。
時間には区切りが何故必要か?
時間は連綿と流れて行くものですが、時間に区切りをつけないと、一定期限のある時間軸での達成目標(今では約束日時の設定)や過去一定期間経過の成果を振り返るなどの、短長期スパーンでの考察が難しくなるでしょう。
山登りなどで途中景色の良い小高い場所に来ると、今まで苦労して登ってきた道を振りかえって「あゝこれだけ登ってききたのだ」という達成感を味わいながら、この先の「胸突き八丁をさらに頑張るぞ!」という元気付ける場になります。
カレンダーの元祖は、月の満ち欠けの周期であったのではないか?という妄想を15年前の大晦日に12/31/03「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)」のコラムで書いたことがあります。
金色夜叉で有名な貫一の名セリフ「今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせて見せる」
約束事をするようになっても「次の満月の夜・今度の三日月の夜」とかで間に合う時代が続いたように思えます。
ただし、このように目に見える形を基準にする程度だと最長1ヶ月しか期間がないので、(縄文時代にすでにどんぐりなどの植林が始まっていたことが分かってきましたが、栽培が発達してくると)もっと長い時間軸を考える必要が出てきます。
「3回目の満月の夜、4回目の三日月の夜」」とかのちょっと長い期間が必要になるので、数を数える必要性や能力が身について行ったのでしょう。
古代には、今の半年が1年だったように読んだ記憶がありますが、(臥薪嘗胆の故事を読めば、いくら誇大表現の好きな漢人とは言え、長すぎるのでこれを半分に翻訳すればまあまあです。)
越王勾践は最初に呉王闔閭を下した武将(諸侯)ですからその時すでに壮年のはずですが、負けた闔閭の子供の夫差が復讐のために臥薪してついに父の仇勾践を会稽山で破る→負けた方になった勾践は嘗胆すること20年にして会稽の恥を雪ぐのですが、ちょっと長すぎないかの疑問です。
その100年ほど前ですが 、晋の文公が覇者になる前の故事・重耳と言われていた時に、やはり19年間もの放浪の末に国に帰って晋公になるのですが、若い頃に読んだ記憶では(若者からみれば19年間も!・・・ものすごい長さですから、長過ぎるな!と思ったものですが・・。
ウイキペデイアの引用です

文公(ぶんこう、紀元前696年 – 紀元前628年、在位紀元前636年 – 紀元前628年)は、中国春秋時代の晋の君主。姓は姫、諱は重耳(ちょうじ)、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。

時間観念の発達→季節の移ろいに戻します。
果実等の収穫を基準にする時代には実りの秋がくれば、1サイクルが終わったからこれを次の期間単位にする・・月の次に必要な長期単位としたとすればうなづけます。
漢字の稔(みのる)という字は、「ねん」とも「とし」とも訓読みし、作物の稔る期間を表すとも言います。
稔る期間を年(とし)といったのかもしれません。
秋から次の春までは実りがありませんが、この期間を裏年と理解していたのでしょう。
半導体の0と1の繰り替えしがセットになっているような理解です。
今でも庭先の柿などは1年おきに良くなる(翌年は身があまりつかない)ので、今年は「裏年なので・・・」という言い方が残っています。
秋から春までの1年は、裏の年ということになります。
表年と裏年が何故あるかというと、柿やミカンの実がなるには相応の栄養蓄積が必要なので、表年にいっぱい実がなって、前年からの蓄積を吸収してしまうからと言われています。
人間だって毎年赤ちゃんを産むのは母体に負担がかかるので、(私の世代では4歳違いの兄弟が普通でした)早くて2年ごとに産むのが普通です。
農地で言えば冬の間に地力を養う期間だったのでしょう。
ついでに1日の方も2003年の大晦日に「カカなべて」で書いたように夜(夜間は体力回復時間)と昼で別に数えていたことが上記引用した「大晦日2(日本書紀・・かがなべて・・・・)古代の歌でわかります。
「かがなべて、夜には九夜、日には十日を」
月の変化の回数を基準にしていると12回前後で似たような気候がくり返されることが知られてきます。
今でも世界中で12進法が結構残っていることからして、人類が最初に知った基幹数字は12だったと思われます。
お月様が12回周期で気候が概ね一巡する変化を知るとその繰り返しに合わせて、(周知のように月を基準にすると、うるう年がないと徐々にズレてくることが古代から知られていますが、数を数えるようになり始めの頃には、その程度の誤差は問題がなかったでしょう?)草木の成長があり、小鳥その他動物の産卵・出産時期も連動していることがわかる・・農作物のタネまき田植え時期〜収穫時期がくることもわかってきます。
農業社会の歴史の長い人類では、世界共通的に暦の重要性が知られて行ったでしょう。
24節季は太陽暦になってから古代中国中原の気候に合わせて生まれたものでしょうが、これでは日本の気候に合わないので二十四節季のほかに、「土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れたようです。
この機会に余談ですが24節季と雑節の関係表があってわかり良いので、正月早々ですが、お勉強好きの方のために引用・紹介しておきます。
http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/nijyushisekki/からの引用です。

http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.htmlによると雑節は以下の通りです。
二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。

二十四節気を補う季節の移り変わりの目安として、雑節(ざっせつ)がある。土用、彼岸は入りの日付けを示す。

名称 太陽黄経 説明
土用 (どよう) 27°, 117°, 207°, 297° 太陰太陽暦では立春、立夏、立秋、立冬の前18日間を指した。最近では夏の土用だけを指すことが多い。
節分 (せつぶん) 季節の分かれめのことで、もとは四季にあった。立春の前日。
彼岸 (ひがん) 春分と秋分の前後の3日ずつの計7日のこと。初日を彼岸の入り、当日を中日(ちゅうにち)、終日を明けと呼ぶ。
八十八夜 (はちじゅうはちや) 立春から数えて88日目をいう。霜が降りることが少なくなる頃。
入梅 (にゅうばい) 80° 太陰太陽暦では芒種の後の壬(みずのえ)の日。つゆの雨が降り始める頃。
半夏生 (はんげしょう) 100° 太陰太陽暦では夏至より10日後とされていた。
二百十日 (にひゃくとおか) 立春から数えて、210日目の日。

各種行事は時間の流れにメリハリをつけて、新しいステージが始まる合図号砲みたいな役割・・ためにあるのでしょう。
我が家でも妻のアイデアで四季折々のいろんな行事を楽しんでいますが、様式美にこだわるのも良いものです。
元日はその年の始まりの日であり・旦とは水平線や地平線に日が昇ること・時間の始まりですから、「元旦はその年の時間の起点」生命が新たに芽吹く起点・・「神聖な時間の始まり」です。
元旦は年間行事の起点・・最も重要な行事として、人類共通行事になっているのでしょう。

大いに祝うべし!

憲法論と具体論の重要性(韓独など憲法裁判所の観念)2

昨日紹介した最高裁判決中の寺田治郎裁判官の補足意見は多数意見とは違い争訟性があるが、宗教教義に立ち入れないので、結局原告は錯誤内容を主張できない・許されない?ことを理由に棄却すべき・だが被告が控訴していないので高裁に差し戻しても棄却できないので、結局的に却下という結論を同じくするというもののようです。
(勉強不足の私にとっては、補足意見の処理の方がわかり良いように見えますが、ちょっと技巧的にすぎるということでしょうか?)
日弁連では、ある単位弁護士会で懲戒処分したことに対して対象弁護士が弁明を聞く手続違反があるとして異議申し立てしていたところ、日弁連がこの手続き違背を理由に破棄して単位会に差し戻した事例があります。
ところが、その事件では対象弁護士が単位会の懲戒処分後他の弁護士会に移籍していたために原単位会に差し戻されても原単位会では(対象弁護士はもはやその単位会の会員ではないのですが・懲戒処分後日弁連に継続した後に事件が原単位会に戻った場合には、その手続きの範囲内でその間に他の会に移籍していてもなお原単位弁護士会で処分できるような規定が整備されていなかった・今も同様です)再審査できない状態だったので、日弁連で自判しないと事件が宙に浮いてしまう事例であったのに、日弁連が差し戻してしまったことがあります。
上記最判の運用を見れば、こういう場合差し戻さず「自判」すべきだったことになりそうです。
憲法論といっても、具体的当てはめが重要という意味で正当防衛の議論などで紹介しましたが、争訟性が必要・・具体的事件になって「事件に即して考えるべき」という仕組みを18年1月22日までに私が書いてきましたが、これが結果的に正しいことを証明しているように見えます。
具体性のない段階で決めると原理論で決めるしかない・・観念論では先のことは何もわからないのに、「英断」してしまう・・政治的立場による「乱暴」な意見になりがちです。
憲法判断だけ別に行うシステムの国では、憲法裁判所構成員が裁判官だけではなく、ドイツのように議会の政党比で選出したり一定数しか元裁判官を要件にしていない国が多いので、これを憲法「裁判所」と言ったり言わなかったり(フランスは憲法「評議会」)するのは、この点の違いでしょう。
ウイキペデイアによれば、韓国の場合は以下の通りです。

韓国はドイツ型と考えられる。韓国では1987年改正の現行憲法によって、通常の最上級裁判所である大法院とは別に憲法裁判所が設置された。憲法裁判所の裁判官は、大法官となる資格を有する者(その具体的内容は下記の表を参照)の中から、大統領・国会・大法院が3名ずつを指名する。憲法裁判所の権限は、ドイツ型の制度を敷いている諸国と同様、憲法解釈のほか大統領の弾劾、政党の解散、機関争訟(行政機関相互間、たとえば国と自治体との間で発生した対立の処理)といった重要な職責を与えられている。

朴槿恵大統領の弾劾・罷免をした例を見てもわかるように 、ほとんど時の政治動向・世論そのままで動く政治機関です。

フランスの憲法評議会
他国の憲法裁判所の多くが、その裁判官の資格として、通常の裁判所の裁判官の経験や法曹資格を定めるのに対して、憲法評議会の委員(9名)には、特に任命資格などが定められず、その構成も大統領・国民議会議長・元老院議長からそれぞれ3名ずつ任命すると定めるなど、政治的機関としての色彩が強い・・・。

憲法論と具体論の重要性(韓独など憲法裁判所の観念性1)

理念の言い合いでは最後は罵り合い・解決になりませんが、私の地元自治会婦人部では「生を受けた以上全うせてやりたい」ということから、「公園に罠を仕掛けて捕獲すると避妊手術して放してやり、避妊手術済みの猫には責任を持って毎日一定の場所で餌やり」しています。
それでも「避妊手術すること自体許されない」という人がいますので、自治会でやるのではなく「有志」が寄付でやっているようです。
避妊手術費用や毎日の餌代等一定の費用がかかるので有志の寄付(私も寄付しています)によっていますが、動物愛護という掛け声だけで野良猫の繁殖放置でも困る矛盾解決努力の結果、避妊していない猫を無くしていく努力がある程度効果を奏しているようです。
近所の野良猫は毎日餌もくれるし目の敵のよう追い回されなくなったからか?入れ替わり立ち替わり来ては(みんな顔見知りばかりで知らない猫はいなくなりました)我が家の庭で安閑と昼寝をしています。
冬には、日の当たる場所に落ち葉をある程度掃き集めると、その上に座って私が残りの落ち葉を掃き集めるのを じっと見ている猫もいます。
佛教〜儒教〜実学(御定書の編集などによる判例重視)への流れについては、03/13/08「政策責任者の資格9(儒教道徳と市場経済4)」前後で連載しました。
この意見の延長で、儒学の深遠な哲理では、赤穂浪士を裁く基準にならず困ってしまった例を引いて「非理法権天と野党1」December 25, 2016でも書きました。
なお、そこでは最近盛んになっている近代立憲主義の萌芽について、「非理法権天」の法理主張が始まった流れ・公儀に対する政策批判道具として用いられた経緯も少し紹介しています。
18年1月27日日経新聞土曜夕刊10p(最終裏)には、「法廷劇が問う撃墜の是非」の題名で面白い記事が載っています。
以下は私の要約です。

満員のサッカー場に突入予定のテロ犯によるハイジャック機を、空軍少佐が独断で急発進してこれを撃墜し乗客等合計164人の命が奪われ、他方7万観衆の生命が救われた。
少佐は英雄なのか殺人罪で処罰すべきかの判断を観客が、芝居が終わるまでに一人一人回答する・一種の陪審劇です。
ドイツで実際に10年ほど前に起きた航空安全法の議論を下敷きにしたものだそうです。
この法案は連邦憲法裁判所によって違憲とされたらしいのですが、2015年の公演開始以来世界各地の「評決」では、無罪にすべき・合憲論が圧倒的多数で、ロンドンやウイーンでは全公演で無罪だったと出ています。
ちなみに作者のシーラッハは、違憲判断支持らしいですが、作者の思惑・意図とは逆の結果になっているようです。
ちなみに日本公演結果は、(現在も進行中らしいですが)上記新聞記事記載まで12回の公演では6対6で欧州と違いどっちつかずになっている・・・テロの脅威実感の低さがこの結果になっているとの記事の解説です。

ドイツや韓国では、具体的事件に関係なく観念論で成否を判定する憲法裁判所があるようですが、具体的事件に関係なく判定するのでは、裁判所というよりは学問所みたいな仕組みです。
慰安婦騒動や徴用工問題がこじれる原因になったのも、韓国の憲法裁判所が政府が日韓条約で権利放棄しても国民を拘束できないと観念論で判決したことが始まりです。
国政の重要事項を現実に即して考えるか、観念論で決めるのが良いかは国によって違いますが、わが国や英米法のように「争訟性」具体的事件の当事者が訴訟提起できる・・現実に即して考えるのが正しいと言えるでしょうか?
具体的事件が起きる前からある法律が憲法違反かどうかを決めるのでは、例えば現亜pつ訴訟やその他多くの裁判は政治効果の大きなものがありますが・特に憲法判断は政治効果に直結する高度な政治行為です。
このように政治に直結するので実務(商売人ほどその商売)に詳しくないとはいえ、裁判実務に精通した裁判官が判断するし、詳細事実認定をした上で判定するものです。
憲法裁判制度は、具体的事象が起きない内に判定するものですから、原則として抽象論で決着しがちです。
集団自衛権論でいえば、具体的事件が起きて政府の他国援助が自衛権の範囲を超えているかどうかで具体的に判定する必要がある・事案が発生しない段階で「こういう違憲の場合しかない」と前もって言えないはず」という意見を書いてきました。
憲法裁判所制度は、神様のようにあらゆる事象を前もって見通す能力を前提に「違憲」になるという断定するものですから、そもそも無理があります。
民族性として「一般人とエリートでは格段の能力差がある」→エリートの指導に従って行動すべきという思想を前提にした制度です。
我が国では憲法裁判所制度ではなく具体的事件があって初めて・前提となる法律が憲法に違反しているかどうかを判断する仕組みです。
これは、ボトムアップ社会に適合した議院内閣制などと共通した制度設計というべきでしょう。
以下に紹介するように、憲法81条では「最高裁判所は一切の・・終審裁判所」となっているので最高裁判所以外の憲法裁判所の設置は予定されていません。

憲法
第76条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

次に抽象的に憲法判断を求めらるか?というと、76条で「すべて司法権は・・」となっています。
司法権とは具体的事件を法に基づいて裁くものですから、争訟性がないと末端裁判所に訴え提起しても却下される仕組みです。

裁判所法(昭和22・4・16・法律 59号)
3条 裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。

いわゆる「板マンダラ事件」に関する最高裁判例です。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/84-3.html

寄附金返還請求事件
最高裁判所 昭和51年(オ)49号
昭和56年4月7日 第3小法廷 判決
[1] 裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」、すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であつて、かつ、それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和39年(行ツ)第61号同41年2月8日第3小法廷判決・民集20巻2号196頁参照)。したがつて、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争であつても、法令の適用により解決するのに適しないものは裁判所の審判の対象となりえない、というべきである。
[2] これを本件についてみるのに・・・以下略
・・・・本件訴訟の争点及び当事者の主張立証も右の判断に関するものがその核心となつていると認められることからすれば、結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。
[3] そうすると・・論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。・・被上告人らの本件訴は不適法として却下すべきである・・・」
※寺田治郎裁判官の補足意見は多数意見とは違い争訟性があるが、宗教教義に立ち入れないので、結局原告は錯誤内容を主張できない・許されない?ことを理由に棄却すべき・だが被告が控訴していないので高裁に差し戻しても棄却できないので、結局的に却下という結論を同じくするというもののようです。
(勉強不足の私にとっては、補足意見の処理の方がわかり良いように見えますが、ちょっと技巧的にすぎるということでしょうか?)
日弁連の事例では、ある単位弁護士会で懲戒処分したことに対して対象弁護士が弁明を聞く手続違反があるとして異議申し立てしていたところ、日弁連がこの手続き違背を理由に破棄して単位会に差し戻した事例があります。
ところが、その事件では対象弁護士が単位会の懲戒処分後他の弁護士会に移籍していたために原単位会に差し戻されても原単位会では(対象弁護士はもはやその単位会の会員ではないのですが・懲戒処分後日弁連に継続した後に事件が原単位会に戻った場合には、その手続きの範囲内でその間に移籍していてもなお原単位会で処分できるような規定が整備されていなかった・今も同様です)再審査できない状態だったので、日弁連で自判しないと事件が宙に浮いてしまう事例であったのに、日弁連が差し戻してしまったことがあります。
上記最判の運用を見れば、こういう場合差し戻さずに「自判」すべきだったことになります。

北朝鮮問題と世界平和(観念論の限界)

いわば中国は北朝鮮の暴発暴言を煽って?小出しの協力を取引材料に使い自国の立場を強めて行くという見え透いた戦略です。
この旨味を知ってか?ロシアが北朝鮮への援助?介入?を始めました。
https://jp.reuters.com/article/north-korea-russia-idJPKBN1CB0YF

2017年10月8日 / 10:10 / 3ヶ月前
焦点:ロシアの危険な「綱渡り」、北朝鮮支援をひそかに加速
モスクワ 4日 ロイター] – ロシアは、金正恩・朝鮮労働党委員長を失脚させようとする米国主導の試みを阻止すべく、ひそかに北朝鮮に対する経済支援を加速させている。金正恩氏が失脚すれば、ロシアの地域的影響力の衰退と、東部国境沿いへの米軍配備を招くことになるからだ。

制裁知り抜けが困るならば、「ロシアの言い分も聞いてくれ」(対ロシア政策でなんらかの見返りを!対露経済制裁緩和)と言わんかのような動き方ですが、中国がうまい事しているのを見て、ここでロシアも一枚噛んでおけば何らかの取引材料になると読んだのでしょうか。
アメリカの対中圧力緩和利用に北朝鮮問題を取引材料にして上手いことをしようとしたようですが、トランプ氏はこれを嫌ってこの夏頃から一転して対中攻撃に転じたようにも見えます。
このまま(オバマ政権のようにだらだら譲歩を繰り返していると)将来米国の影響力が低下し南シナ海に中国がゴリ押しで作ってしまった海空軍基地を不沈空母化してアンチョコに航行妨害できるようになる日が来るのが目に見えています。
日本に理不尽な要求をつきつけてから当初は海賊行為?等(そのうち中国領海という名目での堂々たる航行妨害)での揺さぶりをかけることが想定されます。
そうなってくると今後、台湾沖や南シナ海等公海での航路の安全確保行為が、自衛権行使の範囲かどうかの議論が必要になるでしょう。
これが日本の死活問題・航路安全確保が自衛行為となれば、日本に協力している国(例えば南シナ海でのフィリッピン)の巡視艇などと共同で海賊取り締まり中に日本自衛隊がフィリッピンの巡視艇を応援することも自衛行為となります。
このように自衛の範囲がどうあるべきかは、「集団自衛権が許されるか」の抽象論ではなく、事態の変化・・対象や海域によって日々変わっていくべき具体的議論であるべきです。
ところで、理論上日本向け商品運搬の安全確保が自衛に当たるとしても中国と戦争になる危険を犯してまで、実力行使すべきかはまた別の政治判断が必須です。
具体的実情に合わせてどの程度まで反応すべきかの限界を考えるべき分野で、原理原則論の研究が専門領域であるはずの憲法学者が、具体的事例に当てはめて政治判断する訓練を受けている実務家よりも、有益な意見を言えるとは思えません・・。
人命尊重とか動物愛護、人はどう生きるべきか、平和は大切だという抽象論ではなく、具体的事象でどこまで規制するのが正義かのギリギリの限界を探る時代になると、日々研鑽している実務家に叶いません。
キリスト教の教えでは
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」マタイ福音書5:39
と言われる部分もあるようですが、精神論・心の持ちようとしては意味があり立派なことですが、現実生活・・社会のあり方の議論としては何の役にも立ちません。
キリスト教国でも、殺人や暴力行為や窃盗を取り締まる法律のない国はないでしょうし、これを不要という実務家はいないでしょう。
ところで、何気なくこのような思いつき意見を書いた後で事務所に送られて来ていた安念中央大学教授のキリスト教と平和に関する論考があったので読んでみました。
(中央ロージャーナル17年12月20日号)
私にはキリスト教に対する基礎知識がないので難しい内容でしたが、上記のような意見もあれば、敵は容赦なく皆殺しにすべしという部分(・・いわゆる正戦論の起源?)もあるなど矛盾・混沌(これが初期宗教の発展の活力になった)としたものであったことが紹介されています。
コンスタンチヌスの時にローマ国教になって以来、体制内宗教になった以上「国家組織体制維持のための軍や刑罰が不要」とは言えないので、兵士は敵を傷つけ殺すべき職業であり、この存在を否定するのは自己矛盾になっていた・キリスト教と平和主義の両立は無理があるというのが私の読後感(誤解かな?)です。
例えば貧しい人を救済すべきとしても、その精神論だけでは生活保護基準をどのように設定するかの具体論に役立ちません。
韓国文政権では、実務能力がないので、庶民受けのため?賃金を引き上げれば国民は豊かになるという理念先行で最低賃金引き上げ強制が失業を増加させている矛盾が報道されています。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20180118.html

韓国、「最低賃金」大幅引上げが生む失業者増加「文氏どうする」
今年から始まる最低賃金の大幅引き上げに見られる。一挙に16%以上の引き上げで、2020年には時給1000円にする計画だ。この時点で、日本の最賃を上回る。政府の務めは、賃金を引上げてより豊かな生活できる環境整備である。だが、生産性向上が伴わない最賃引上は、政府の狙いとは逆に失業者を増やすリスクが大きい。
この「最賃引上げ」にからむ前倒し失業が、昨年12月に始まった。多くの零細業者はこれまで、最賃が施行されたらやむを得ず従業員を解雇すると苦しい胸の内を明かしてきた。失業者の増加は、これまでの事前予測を的中させた形である。
(2)「雇用指標を見ると、昨年の雇用状況はほぼすべての分野で悪化した。まず、青年失業者(15~29歳)が青年10人に1人に増加した。あきらめて就職活動をしていなかったり、アルバイトをしながらより良い仕事を探したりしているケースも含めた体感青年失業率は22.7%に達した。経済専門家らは『大企業が採用に積極的に乗り出すよう誘導して良質な雇用を新たに生み出す試みもせず、公務員の採用ばかり増やしている現在の雇用政策では、青年失業の構造的な解決は難しい』と話している」(『韓国経済新聞』(1月11日付社説)
・・・アルバイトなどしながら就職活動に備える人々の失業率である。これが、なんと22.7%にも達している。この「失業地獄」を見ると、日本は「就職天国」に見えるはずだ。若者の自民党支持率が、約50%にもなっている。この事実は、文政権にとっても参考になるはずだ。企業活性化が失業率を減らす近道である。

友好国を増やしたいといえば友好国が増えるものでないのと同様に、相手が侵略意図を持っているときに、「私は平和を愛する」と言ってなんの戸締りもしなければ、スキを見せて侵略を誘発するだけのことです。
理念だけではどうにもならない・・・賃金水準アップの理念実現には相応の複雑な手だて・・生産性アップ戦略とセットでないとどうにもならないのが現実社会です。
「理念通りにいかないのは悪徳商人やずるい政治家がはびこっているからである」という、単細胞・短絡的理解が戦前青年将校の決起理由でしたし、短絡的スローガン・「君側の奸を切れ」とかテロに走る単細胞的対応を煽れば、目先のストレス解消になるのでしょう。
右翼と左翼は同根と一般に言われているのは、この程度の短絡反応向きレベルという点で共通だからでしょうか?
昨年のパク政権打倒のロウソクデモも、この種のもので、経済がうまくいかない原因を、(本来関係のない?)パク大統領の友人問題に無理に結びつけて鬱憤ばらしをした印象です。
江戸時代に入って、原理論しか知らない宗教家の意見では間に合わなくなってきた・・宗教界の役割がなくなったことを、仏教から儒教〜実務役人への流れへとして連載したことがあります。
「生類憐れみの令」でいえば、理念は今でも正しいのですが、それを手当てなしに強行すると全般で矛盾が起きて社会が混乱しました。
最近の野良猫対策を例に書きますと、生き物の生命も尊重すべき(目の敵にするのはかわいそう)ですが、際限なく子を産む・野良猫が増えるのも困ります。

世論誘導3(民度と発覚後ペナルテイーの重要性)

データアクセスチャンスに戻しますと、私の場合でいえば、弁護士会や日弁連で自分が関与している委員会活動に関して、委員会配布資料その他データに直接アクセスできていますが、それは委員現役である間だけのことです。
しかも現役委員の場合、正式な議事録や意見書になる前の詳細議論を見聞していることによる臨場感的な体感(非公式意見)も身につきます。
民意を重視するアップデートの政治過程に戻りますと、世論動向を知りどのように世論誘導するかは文字通りナマ情報(ある事件が起きたばあい、これに対する現在の民意)が生命線です。
現在アメリカで大問題になっているロシアゲート事件・.ロシアによる大統領選挙介入・・ヒラリー候補に対するマイナスイメージのフェイクニュースを垂れ流した疑惑・・で言えば、政治は過去の統計による議論では間に合いません。
米国大統領選挙が終わってからロシア関与がわかっても負けた方にとっては後の祭りですから、リアルタイムで情報を握る世界IT企業による情報操作が始まるとその独壇場になりそうです。
ただし、一定規模以上の企業の場合、関与企業が数年後に市場から抹殺されるとすれば簡単に悪事に手を染めません。
日本でも長い間選挙時に限って怪文書が横行したことがありましたが、民度の高い日本では非論理的な激しすぎる誹謗中傷行為は逆効果になることと、代議士や地方議員1回切りではなく次の選挙があるので、選挙後すぐにバレるような無茶な誹謗中傷には走らなくなって久しい感じです。
日本で不正の少ない社会が出来上がっているのは、長期的人間関係を大切にする価値観が基礎ですが、年季を積んだ人望のある人がトップになる議院内閣制(地方議会でも当選回数によって委員長になり議長になっていくなど)も一発勝負の不正を防ぐ制度保証になっているのでしょう。
大統領選に勝ちさえすればその後独裁権力が保証されている(検察その他が政治迎合で動き、権力にある限りかなりの抑えが効く場合)ような社会では、「目先選挙さえ勝てばいい」という一発勝負の誹謗中傷行為への誘惑が高くなるのでしょう。
組織票に頼る議員では極端な意見や相手党の誹謗をして中立的世論の失望を買って党全体支持率を下げても、組織内支持率は変わりません・・むしろ内部では「よくやった」「よくそこまで言った」という評価が上がるでしょうから、こういう意見が内部的評価(党内序列比例上位が)が上がり幅を利かします。
自己陶酔的過激主張(過激派の場合過激なテロであればあるほど)が幅を利かしていよいよ党全体の世論の支持が減っていきますが、国会議員当選者150人の党が120〜100〜80と順次減っても、勇ましいことを言っていた党内エリートの順位は変わりません。
空理空論に酔い痴れていた社会党がこうして消滅して行ったのです。
ロシアゲートでは、バルカン・マケドニアだったかの若者を一本釣りしていた(オレオレ詐欺で末端の受け渡し役としてアルバイトを雇うような)実情を紹介しましたが、そのうち背後で彼らを操っていたグループの追及にまで進むでしょう。
Facebook情報利用による選挙操作疑惑では、Facebookのトップが陳謝し、フェイクニュース拡散を放置せずに今後相応の削除を約束していましたが、大手は情報操作に関与していると思われたらおしまいです。
(15日の日経新聞夕刊3pでもイギリスコンサル(流用して米大統領選挙介入)以外に200のアプリが、フェイスブックからの情報流用疑いで停止したと発表しています)
起業したばかりの新興企業であってもITに当たって世界企業になった以上は、大量の従業員や株主あるいは取引先等のステークホルダーが生じているので、一時の利益(特定政治家と心中する)ようなリスクを取れません。
犯罪の特徴は発覚までの時間が長ければ長いほど成功率が高いし受益も大きいので犯行に及ぶ誘惑が高いのですが、半年後〜1年後であっても犯行発覚した場合の社会抹殺度の高さもその重要です。
数年前の統計などのデータを入手できても、現実政治経済の決断には利用できませんし、事後にバレた場合のリスクの大きさによる自己抑制だけでは、今後もメデイアやIT企業を通じた世論操作を防ぐのは無理がありそうですが、日本の場合には、国民の民度(庶民レベル)の高さが最後の砦となるのでしょうか。
治安維持は刑罰の重さだけではない民度による原理がここにも妥当するでしょう。
60年安保騒動以降の流れを見るとメデイアの煽りに反応する軽薄層が減る一方=メデイア誘導頼りの社会党支持率が下がり続けてついに事実上消滅した事実からわかります。
メデイアに煽られてそのま行動をする人はメデイアが持ち上げるので目立ちますが、いわゆるサイレントマジョリテイーは健全で底堅い社会です。
今回のセクハラ被害発表と国会審議拒否の結末を見るとメデイアが民意無視で作り上げた虚構の?騒動には国民は意味を認めない・・世論誘導が成功しなかったようです。
個人が被害を受けて止むに止まれず行動を起こした・「被害の声」というよりは政局にインパクトを与えるのが主目的だったのではないか?の疑いを抱く人の方が多かったでしょう。
野党も外国勢力の意を受けた大手メデイアの振り付けどおりに動くのではなく、日本の政治家である以上は「政策の足を引っ張りさえすれば良い」という反日的活動ではなく、前向きの政策を主張する健全政治が行われるようになっていく始まりとなれば良いのですが・・日本の将来が楽しみです。
メデイア界が外国(スパイ?)勢力が自由に浸透できる自由市場?になってしまったのは、米占領軍による検閲強化によって、米軍政に都合の良い方向へ報道機関内部人脈を完成させてから、独立後の日本で「思想表現の自由」→報道の自由をとなえて独立後の日本政府が報道機関内部人事に手をだせないようにしてしまったことによります。
日本独立後も日本に罪悪感を耐えず植え付けて、極東軍事裁判その他戦争原因究明を許さない・・反米思想の広がりを防ぐために教育界その他に打った布石の一つというべきでしょう。
カイロ宣言以来、日本による朝鮮半島の過酷な支配からの開放を主張していた経緯から、韓国が奴隷支配・その延長での慰安婦・・その外延である徴用工問題をいつも持ち出すのは米国が「罠を仕掛けて日本を戦争に引きずり込んだ」大義に関係するので応援せざるを得ないからです。
ポツダム宣言の前提となったカイロ宣言に関するウイキペディアの記事からの一部引用です。

カイロ宣言
第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談(Cairo Conference)を経て示された宣言。連合国の対日方針などが定められた。
・・・・
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

この結果、少しでも朝鮮半島支配の正当化発言・・学校を作るなど民生アップに協力してきた意見があると「妄言」と称してメデイア界一致のパッシングで袋叩きにして発言した大臣を引きずり降ろすようなことが行われてきました。
日本のためのメデイアか(背後で嗾す米国の威力を背景にする)朝鮮や中国の代弁者か分からないような実態が続いてきました。

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