消費者信用の拡大2(供給過剰と過剰与信)

民法の消費貸借では同じ国民が貸す方に回ったり借りる場合もある互換性(その他分野も全てそういう建て付けです)の関係で出来ています。
(「とんとんとんからりんと隣組の歌で歌詞の1節に「あれこれ面倒 味噌醤油御飯の炊き方 垣根越し教えられたり 教えたり」とあるように、要は味噌醤油をちょっと借りたり貸したりする程の関係・・今で言えば財布を忘れてちょっと知人に小銭を借りたり手元のボールペンを貸してもらうような場合です。)
業として貸すようになると民法の原則的規定では済まなくなってくる・・貸金業法から規制法になっていくのは、業者は貸すばかりの一方的な関係になってきたので規制が必要になったものです。
戦後自由化が進んだように言われますが、結果から見ると逆に宅建業法や証取法から金融商品法になり道路交通法や建築基準法など規制強化が進む一方です。
あらゆる分野で対等者間の契約というものが意味をなさなくなってきた時代の法制度がどうあるべきかが消費者保護法制定の原動力でしたし、いろんな分野で問われています。
自由化が進むとこれのルール化の必要が出てきた・・モータリゼーションで移動の自由が現実化すると、(歩行者同士ならばスクランブル交差点でわかるようにルールがなくとも自然に入り乱れて歩けますが)運転者と歩行者となれば、隔絶した力関係を背景にした交通ルールがより細かくなり、不動産取引が増えると宅建業法ができ、金融商品が増えると証券や金融商品を取り扱う業者に対する規制が厳しくなって行くのは、仕方がないでしょう。
投資のようなリターンが想定されていない消費信用の拡大発達に戻りますと、消費財購入の借金は勤労者で言えば、原則的に昇級を前提にしない限り満期が来てもその時返済すべき新たな収入がないので無理っぽい借金ですが、これを打開するために毎月一定額支払う月報販売が始まりました。
欲しいものを買うために1年間貯蓄してから買うのではなく欲しいと思ったらまず買ってその後1年間毎月貯金しているつもりで月掛けで業者に払えばいいというやり方です。
これは時間を金利負担で買うことになって一見合理的です。
お金を貯めてから友達と旅行したい、進学したい、おしゃれな洋服を買いたいなどと言っていると年令・チャンスがどんどん過ぎてしまいます。
「一見」合理的とは合理的に行動できる人にとって(ダケ)合理的というだけであって、「あれが欲しいがそのために1年間は他の買い物や遊びを我慢できる」人はそんなに多くありません。(だから多くの人にとってお金が貯まらないのです)
本来自発的に貯金できない人でも借金になると半強制的(韓国女性のように海外売春遠征してでも返そうとする人が出てきます)なので無理して払う動機付けが生まれる結果、自発的貯金を殆ど出来ない人の8〜9割を何とか真面目人間に変身させることに成功するでしょうが、それでも終わりころには息切れする人が出てきます。
供給側からすれば、消費の先取りをすれば1年早く売れるものの、その代わり1年前の先取り分の反動減が起きますし、(消費税アップ予定やたばこ値上げ前の先取り需要景気の後で値上げ後の反動減がおきます)消費者が月賦を払うために節約すれば日常的に消費していた他の小さな100個の買い物を我慢する結果他の商品が売れなくなります。
早い者勝ちを防ぐために、リボルビング方式が考案されました。
これは次々と商品を買いクレジットを組んで総額が増えても毎月の支払額が変わらない(返済期間が長くなるし金利支払い期間が長いので帳尻は合っていますが)目先にごまかされる人には一見魔法の仕組みです。
満期を際限なく伸ばしていければ返済期限がないのと同じ・・金利負担だけが重荷ですが、どんどん金利を下げて行けば、(例えば5%の金利が1%になれば借入総額を5倍まで増やしても金利負担が同じです)借入限度が上がります。
日本国債の買い替え債発行はこの原理の国家的応用で、満期が来ればその買い替え債を発行してその新規発行によって得た資金で完済して行くので満期のない借金と資金繰りとしては同じです。
この際、重要なのは買い替え債発行時の国債相場・金利動向です。
満期直前に金利が1%アップしていれば1%多く発行しなければ資金不足になりますから債務残高が膨らんでいきますし、下がってればその逆で借り換え債発行額を減らせます。
国債の場合借り手である政府の方で勝手に?金利を決められるので、低金利政策が主流になってきたことになります。
消費者信用の隆盛は、モノ不足時代が終わり供給過剰体制が恒常化→高度成長終了→給与アップ・支払い能力の右肩上がりの終焉→支払い能力を超えた消費拡大を煽るしかなくなったことによって消費拡大を求める供給側と事業用融資の縮小が始まったことによって業務存在価値を失った金融資本の生き残りのための合作で始まった印象です。
昭和4〜50年代から社債等資本市場の発達により、優良企業が直接資金調達が簡易可能になったことにより、庶民から小口資金を集めて貸す・・問屋的役割の銀行から資金調達する必要がなくなったこと(「銀行よさようなら、証券よこんにちは」のキャッチフレーズ)を14〜15年ほど前にこのコラムで紹介したことがあります。
このように支払い能力を超えた需要喚起必要性の視点で国家的に見ると、需要創出のためのケインズ的財政投入の活発化・・日本政府借金(・・国債には建設国債と赤字国債の2種類がありますが、)財政赤字の始まりと消費信用活発化と赤字国債発行が恒常化するようになった時期がほぼ並行していたことからも観ることができます。
赤字国債に関するウイキペデアでは以下の通りです。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
「財政法第4条は「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」と規定しており、国債発行を原則として禁止している。財政法第4条の但し書きは「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」と規定しており、例外的に建設国債の発行を認めている。
しかし、1965年度の補正予算で赤字国債の発行を認める1年限りの特例公債法が制定され、赤字国債が戦後初めて発行された。その後は10年間は赤字国債の発行はなかったが、1975年度に再び発行されて以降は1989年度まで特例法の制定を続け赤字国債が発行された。
1990年度にはその年の臨時特別公債を除く赤字国債の発行額がゼロになり、1993年度まで発行額ゼロが続くものの、1994年度から再び発行されその後に至っている。」
国家財政に話題が逸れましたが、消費信用の拡大は一見合理的ですが、上記の通り合理的な人間ばかりではない・時間の経過で支払いに窮する人が一定率発生します。
住宅ローンやクレジットの支払いに困った人がデフォルトの先送りのためにサラ金に借りる傾向が出るのは当然の成り行きでした。
上記のとおり過剰消費=過剰債務を誘導する限りいつかは(過剰である以上)支払いに困るのですから、破綻先送利のために徐々に下位の金融業者(サラ金にも払えないとヤミ金に走る→犯罪に走るなど・・自殺と他殺とは紙一重です)に頼るようになるのは想定範囲内のことです。
サラ金金利が高すぎる、取立てがひどいなどの問題があるとしても、過剰貸付を放置するから住宅ローンや各種クレジット支払いのためにサラ金等に借りるのですから、本来サラ金に行くようになった時点でデフォルトすべきだったことになります。
サラ金で借りて2〜3年ほど住宅ローンやクレジット等を払ってくれた・・先送りで得したのは、汚れ役をサラ金に押し付けた金融機関や信販系・バックの物販業界です。

近代法原理の見直し2

私のような素人にも分りよい例・・ゴルゴサーテン的事例で言えば、テロ集団側では銃器を分解して持ち込んだり、爆発物もちょっとした調合で完成するようにした分離剤を持ち込んで飛行機に乗ってからトイレなどで調合するなど巧妙化する一方ですが、・・一方で膨大な旅客通過のスムースな流れ作業が要請されている矛盾があります。
あらたなチェックシステムを作るとその抜け穴を探すことのイタチごっこですが、・抜け穴利用が一般化・定型化してからこのチェック目的で全国内空港や鉄道駅のチェックシステム改修するには膨大な資金や年数がかかるので、抜け穴探し・・テロリスト・犯罪集団の方が先んじるのが普通です。
(ターミナル駅の進入システムを整備しても地方の無人駅等から電車に乗って来た人をどうやってチェックするかなど)
何かあると捜査の近代化をマスメデイアは要求していますが、チェックシステム構築はいつも後追い的宿命持っています。
GPS利用の動静調査はシステムのように定点待ち受け型システムではないので機動的ですし、(最高裁の意見とは違いますが私の考えでは)プライバシー侵害性が低い・違法性が低いのに、何故最高裁が憲法を持ち出して力むのか不明です。
再論になりますが、私人が他人のプライバシーを性的好奇心等で遠くから望遠鏡覗いているのは大した違法性がないが、公益のために監視すると違法性が高いと言われます。
普通の素朴な価値観では、犯罪捜査や公益上必要なので資料を見せて欲しいと言われると気持ちよく応じるが、好奇心で資料を見せてと言われても応じたくないのが普通の価値観だったのではないでしょうか?
上記の例で言うと犯罪捜査のために望遠鏡で見たいので場所を貸して欲しいと頼まれた場合と、「入浴中の女性の姿を見たい」と頼まれた場合、捜査方法として違法かどうかを知らない「素朴な価値観」で言えば、どちらに協力するのが健全な価値観かです。
専門家の価値観がマスメデイア通じて浸透している結果、今では公のためならば協力したくないが、個人興味なら協力したいと言う倒錯した価値観が(朝日新聞的刷り込みに適応し教養のあると自負する階層では?)一般化しているように見えます。
世論調査も「政府がやるのは危険で民間ならば良い」と言う刷り込みが典型的ですが、最近何事でも民間なら良いが、政府(社会のためになることは)に協力しないのが格好良いと言う刷り込みが成功して来た印象です。
このシリーズで書いている(人民と政府は抑圧隷従・搾取・敵対構造であるとする)二項対立思想が浸透し、成功しているように見えます。
これが行き過ぎた結果、(「政府は悪」と言う思想教育に対する反感が出て来たように思われます。
そこで最近は「政府が集める情報が大量であるから漏れると大変だ」と言う意見が流布されようになって来ました。。
1昨年漏れたベネッセの私塾の情報ですら膨大なものでしたが、金融・通信(ネット販売)・コンビニその他産業の収集している情報量の巨大さは半端ではありません。
個人情報保護関係も、国家が強制的に情報を収集するのと民間がやるのとは違うと言うのが大方の論理です。
防犯カメラであれ、あるいは空港・銀行その他多くのネット利用でも個人情報を求めれられますが、民間はイヤなら拒否出来ると言うのですが、防犯カメラのない反赤貝やデパートスーパーは皆無でしょうし、いまでは普通の生活をするにはありとあらゆるところで個人情報を求められ、個人情報収集を事実上個人・顧客は拒否出来ない・・一々拒否していたら日常生活が出来ない点は同じです。
他人の家を覗き見るなどの、個人情報収集も権力に基づくのと民間が行なう事実上の強制?(こっそり行なうの(同意がないから)強制と言うのも強弁過ぎませんか?・・強制的に裸にするのとこっそり見るのとは大きな違いがあります))は違うと言いますが、今やありとあらゆる生活領域で求められる認証システムが進んでいてこれを拒否していると日常生活が出来なくなっている点は政府の情報収集以上です。
たとえば、指紋認証どころかもっと総合的認証システムまで実用化される・・ちょっとした預金払い戻しその他カード取引不要=個人情報蓄積が進みますが、拒否しているとコンビニでの買い物1つ出来なくなります。
西洋で発達した二項対立図式論は、元々日本社会に合っていなかったことを何回も書いて来ましたが、(日本的信頼関係構築に漸く成功してある程度追いついた)現在先進社会・西欧でも民主国家では概ね合わなくなっています。
日本以外の先進国ではまだ表向き程度なので格差反対なも意味がありますし黒人と見れば圏感が直ぐに射殺する実態もあり、なお対立を煽るのも分りますが、日本は心底から民のための国家運営でやって来たし、会社運営でも経営者の取り分を少なく従業員第一思想でやって来ました。
こう言う社会なのに、欧米思想を鵜呑みにして敵対思想に骨の髄まで使って何でも政府施策を妨害し政府を騙せば英雄視するのは間違いです。
個人情報であれ各種統計であれ、政府が悪用しないようなシステム化こそが重要であり、政府の調査には協力しない・・「統計情報など協力しないで政府を騙せば良い」と言うのは中国のような専制支配国家・時代遅れの社会向けの思想です・結果的に中国統計の信用性が全くありません。
この思考回路にどっぷり浸かっている文化人(学校教育に適応性の高いヒト)が、日本社会に適用しようとして来た・・しかもこれが戦後70年経過で成功して来たから却って疑問を保つ人が増えて来た・・今や文化人とか思想家の地位がおかしくなってきました。
大分前から書いている繰り返しですが、日本社会の基礎単位は一族郷党が基礎ですから信頼がなければ存続出来ませんので、二項対立関係はあり得ません。
そこで、古来から上下の隔てなく信頼で成り立っている・・最近ではApril 15, 2016, ガバナンス, コーポレート, 2で日本の信頼社会と敵視関係の近代法原理は合わないとちょっと書いたことがあります。
信頼関係の社会でどうして変な思想がはびこったかの始まりを見ると、米軍の占領政策に行き着きます。
強固な信頼関係で成り立っている日本社会に相互不信感のくさびを打ち込む目的・・頑強な日本軍の抵抗力の源泉に着目した占領政策の第一の眼目でした。
どこのクニでも戦争に負けると支配層に対する日頃の不満が出て政権が倒れるのが普通でしたが・・・硫黄島の戦いの教訓・最後の最後まで戦意喪失しない・・全国が焦土と化すほど完敗して外国に占領されてもなお、 現政権批判や天皇制反対の声が上がらない・・反乱を起こさないニッポン民族の一体感・強靭さの破壊こそが最初の占領政策目的でした。
これが成功しないと植民地支配・奴隷化支配が出来ないからです。
占領政策は周知のとおり、日本二度と西洋に対抗出来ないようにアジアの植民地同様の農業国化することでしたがもう一度紹介しておきましょう。
本日現在のウイキペデイアの記事からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
「SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済復興を認めなかった。マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。大蔵省(現在の財務省と金融庁)によると、1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。」

違法収集証拠の証拠能力4(近代法原理の見直し)

立法政策の問題と言って、いつ出来るか不明の立法化されるまで捜査をさせない方に軸足を置きながら・・立法問題であるからとしてしまえば、後は政治家の分野であって実務界での活発な限界論の議論が出来なくなります。
法制定後絶え間なく社会が変わって行く・立法はいつも後追い的性格を持っているので日進月歩の実務の必要性に間に合わない分を法に違反しない限度で工夫して立法の先がけ・準備をして行くのが判例学説の重要な役割ではないでしょうか?
民法で言えば、根抵当権は判例法認められて来て事例集積が進んでから、昭和50年代頃に民法に明文で整備されましたし、仮登記担保法も同様です。
これは立法や憲法改正で解決すべきだと放り投げるのは余程の場合に限るべきでしょう。
(憲法改正が殆ど不可能な制度になっていることを昨日書きましたが、簡単に改正出来る仕組みになっていません・・)
法がない限り認めるべきでない・・法制定を待つと言う言い方は一見法治主義の原理に合っているような言い回しですが、新しいことに何でも反対するスタンスになり兼ねません。
今流行の民泊解禁議論も、法が出来る前に新しい業態挑戦が増えて、「公認してルール化する方が良い」と言う議論が始まっている・法はいつも後追いであり、法がないから何もしないと言うのでは、社会が停滞してしまいます。
最判のケ−スは刑事処罰事件なので一見法がなければ処罰出来ない・罪刑法定主義に則っているかのような印象ですがそれは違います。
どう言うものを証拠に出来るかは法律用語で「証拠能力」と言いますが、違法収集証拠排除の法理は、判例法で決まって来たことであって法(国会・民意)で決めたことではありませんし、ソモソモ手続法は罪刑法定主義の原理とは関係がありません。
罪刑法定主義は、文字どおり「罪と刑を事前に明示しておくべき」と言うだけであって、犯罪時前に決めた手続法に拘束される原理ではありません。
証拠能力は訴訟手続に関する法ルールであって、犯罪時以降に訴訟手続法が変わっても、変わった手続で裁判すること自体罪刑法定主義に違反するわけがない・・関係がありません。
まして、刑事訴訟法で決まっている証拠能力の規定は、自白法則と伝聞証拠排除原則だけであり、「違法に収集した証拠は証拠として採用出来ない」と言う違法収集証拠能力否定の法規定すらありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「違法収集証拠排除法則(いほうしゅうしゅうしょうこはいじょほうそく)とは、証拠の収集手続が違法であったとき、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理である。排除法則とも呼ばれる(以下、排除法則と表す)。
供述証拠に関しては強制等による自白の証拠能力を否定する規定(日本国憲法第38条2項 、刑事訴訟法319条1項)がある。これに対して違法に収集された非供述証拠の証拠能力に関する明文規定はなく、排除法則は判例によって採用されたものである。なお、上記の憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項を排除法則の特別規定とする見解も主張されている。」
「学説上は排除法則の根拠としてはこれまで主として規範説・司法の廉潔性説・抑止効説の3つの説が唱えられてきた。」
法がGPS捜査を認めていないのではなく、法は拷問等の強制を除いて捜査手法によって証拠能力を認めないようなことを想定していないのです。
違法収集証拠排除原理は法に書いていないのですから、軽微な違法の場合には証拠能力を認めると言う例外も書いていないのは当然です。
最高裁が、憲法の精神?で憲法明文に規定のないプライバシーを「侵害しうる」と言う理由で令状の必要性を認定したのは、GPS操作方法は令状がない限り違法収集証拠であると言うところまでであって、違法であっても証拠排除の例外にあたるかどうかを更に検討する必要があったのに、これをしないで終わりにしました。
検討に値しないと言うこと・例外を認める場合ではないと言う意味でしょうが・・。
どんな軽微な違法でも例外なしに証拠価値を認めないと言うのは、考古学資料が出たときにトキの発掘関連法令・・届け出義務違反あるいは隣地所有者の同意書に瑕疵があったなど・・いろんな手続の一部に違反して発掘されたものであるから価値がないと言えるのか?と言うのと似ていませんか?
違法行為があれば、先ずはこれを理由に別に違法行為者を処罰すれば良いことであって処罰だけでは違法行為が禁遏出来ないときに、政策的に証拠能力も減殺すると言う関係ではないでしょうか?
証拠自体に証明力がないのではなく、他の目的達成のための政策的判断結果です。
本当は英語や数学と全ての分野で成績がいいのに、身分が低いから合格できないのと似ています。
4月3日終わりの方に書いたように女性や黒人あるいは障碍者の社会産科を促すために保護のためのクオーター性など、特別保護すべき場合は例外ですが、そう言う特殊な事情がない限り、試験する以上は試験結果で決める・・スポーツでも何でもそのもので勝負し、身内かどうかでなどその他の要素で点数を変えてしまうのは邪道です。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったから成り立っていたのです。
(警察が踏み込んで来ると覚醒剤などをトイレなどに流したり急いでどこかに隠すなどが普通ですが、それでも微量の粉末が容器に残る・・このせめぎ合いでした。)
ここで(思いつきコラムの特徴でご容赦下さい)方向性が変わりますが、ここ何回も書いているように犯罪・テロが起きてからの後追い的証拠収集では間に合わない・・事前情報収集の必要性が高まっている現在どうあるべきかの基本的議論が必要です。
19世紀型法原理・システムは人権擁護のための行き過ぎ?・・犯罪が実行されてからしか捜査も処罰も出来ないシステムですが、刀を振り回すハイジャック事件程度ならば、警官・ガードマンを乗り込ませるなどで(コストさえ気にしなれば)事件発生後でも制圧出来ますが、サリン事件や、爆弾テロ銃乱射などの事件が起きると事件が起きてから証拠収集しての制圧方法では大量被害を防げません。
今や犯人がごく少数でも半端でない被害が起きる・・事件後しか捜査すら出来ないのではどうにもなりませんので、準備行為や事前行為も処罰対象になって来ましたが、これらも定型的方法によらない限り(犯罪方法も日進月歩です)何が準備行為か分り難くなっています。
事後処罰・・実行行為があった場合を前提する現行法体系では、例えば私が学んだ刑法学(団藤説)では実行行為と何かと言う論点では「定型説」でしたが、テロの予防が重要になって来ると定型行為・・数年に1回改訂する定型行為・チェックリストにない行為はいくら怪しいと思っても予めチェック出来ないのでは、新たな方法を考案したテロリストをチェック出来ません・・。
犯行方法は日進月歩・・被害分析して後追い的にチェック方法を改正→チェックシステム設置に要する期間も半端ではありません・・・全国展開には数年単位でも無理があります。
羽田空港の出入チェック機械を2〜3年かけて総入れ替えしても地方空港までは直ぐに行き渡らない・・地方から入って来る客をどうするかなど・・。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)3

憲法文言を見れば分るとおり、対象は「「住居,書類及び所持品について侵入,捜索及び押収を・・」であって、「住居」に対応する行為は「侵入と捜索」であり、「書類及び所持品に」に対する行為が「捜索及び押収」であることがか分ります。
対象が限定されているからこれらの侵入捜索には令状事前発布可能なのであり、プライバシいに関係すれば何でも令状がいるとは書いていませんし、そう言う読み方は乱暴過ぎます。
憲法は記載した対象に関してはその程度の規制をしても捜査に影響がないので令状手続を要求したのは合理的です。
ところが、その精神を拡大して「これらに準ずる私的領域に侵入されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である」というのは飛躍があります。
しかも最判が続けて令状発布を要するので実務上GPS捜査は用をなさなくなることを認めています・と言うことは不可能を憲法が命じているとわざわざ類推解釈すること自体が法解釈の常道に反していませんか?
実務上不可能なことを憲法であれ法であれ書くわけがないと言う合理的解釈から、憲法9条の「戦力は保持しない」と言う憲法明文でさえ、国家の存立のためにある憲法が国家存亡の危機時に「自衛行為を否定するわけがない」とうことを理由に「自衛戦力を除く」となり、「交戦権を認めない」と言う明文も「自衛戦争は認められる」と言う解釈が定着して来ました。
アメリカは占領軍に対して日本民族が抵抗出来ないように非武装を強制するだけでは飽き足らず、抵抗する権利さえ否定した憲法を強制(欧米植民地支配の常道です)したのですが、日本が独立した以上は論理的には直ぐにこれを廃棄すべきでした。
日本はアメリカの鼻息をうかがうために廃棄することが出来ず、その代わり民族を守る権利がないのは論理矛盾であると言う理由で自衛のため軍を保てるし、交戦権もあると解釈を変えて存続させて来たのです。
同様に社会維持のための憲法である限り、秩序治破壊する犯罪者を処罰出来るのは当然の前提であり、処罰準備のための逮捕拘留も認められていますし捜査も認められ必要に応じて人権が制限される仕組みです。
社会ある限り犯罪に対する処罰・捜査が必須ですから、捜査に不要な人権侵害を出来るだけ規制する不当捜査を牽制するために第三者の目・令状を要件にし、例外的に現行犯や緊急逮捕を認めているのですが、このように捜査の必要性と人権保護のギリギリの選択によって憲法条項は出来ていると見るべきです。
人権擁護のためには社会破壊を抑止検挙するための捜査が出来ないようにするのが憲法の目的ではありません。
まして国家機関の1つである裁判所が、明文の規定もないのに類推拡張までシテ捜査不能を要求するなどは漫画的です。
昨日紹介した憲法明文の令状対象・家宅捜索や身体検査等は、捜査官が取り囲んでから始めるので、その直前に事前提示しても捜査にそれほどの影響がない・・合理的だったし今もそうですが、憲法明文に入っていない・・GPS捜査を何故住宅への強制侵入に類推する必要があるかの疑問の続きです。
最判自体がGPSの事前提示は捜査不能にすると言う趣旨を書いていますので、ソモソモ令状対象に加えると捜査不能になる前提で敢えて類推する無理をシテまで対象に加えたことになります。
捜査不能にシテまで守るべき人権侵害かの吟味こそが必須です。
GPS捜査の有用性は否定出来ないと思われますし、そのために受ける人権侵害がどの程度であるかコソを最判は議論すべきだったのに「侵害しうる」と言う素人みたいな意見で終わりです。
違法収集証拠排除原理は原理であって例外があり得るのでその限界は事例集積に待つ必要から判例法として発達して来たと思われますが、最高裁はこの役割を自ら放棄して・「私的領域を侵害しうる」と言うことから憲法35条の令状が必要として令状なし捜査によった場合、証拠能力がないとして・・乱暴に出してしまった印象です。
憲法判断でもありGPS捜査は令状がいると言う事例判断と言えますが、高裁が具体的に踏み込んで検討しているのに比べて掘り下げが浅くお座なりな印象を受けます。
ここで必要だったのは令状なし捜査をどこまで許容するかの掘り下げた議論だったのに、これを「プライバシー侵害の可能性がある」と言う抽象論で終わらせてしまったように見えます。
プライバシー侵害の可能性だけで令状がいる・・しかも令状を事前に要求していると捜査にならない実態も認定されているのですから、飛躍が過ぎないかの疑問です。
話題が飛びますが、何でも憲法論や立法論にする意見についてここで書いておきます。
憲法を変えるにはもの凄いエネルギーがいる・・普通の法制定作業に比べて時間もかかる上に国会で3分の2以上の議決が必要です。
憲法問題は1点だけではなくいろんな争点があって、仮に10点の争点があればA点には賛成だがB点には反対C点には中立など票読みが複雑で、ギリギリ3分の2以上程度の多数では結果が見え難い・・失敗すると政権が保たない可能性もあるので事実上5分の4程度の多数にならないと前に進められない・・結果的に改憲は無理があります。
8~9割も支持率のある政党など民主国家では有り得ないので、なんでも憲法問題にしてしまえば、新しいことは殆ど何も出来ない・・変化反対勢力の思うままです。
これがわが国で憲法改正が敗戦のとき以外に実施できていない原因です。
立法でも同じで今回の天皇退位問題でも、退位問題に絞らず当初民進党が女系天皇制その他も一括議論すべきとして譲らない姿勢でした・・。
これを議論していたら事実上生前退位問題は時間切れになってしまうのを狙ったか?早くまとめるためには与党が無理難題を飲むしかない状態に追い込む算段だったのでしょう。
・・天皇退位問題は早期決着すべきと言うほぼ100%?の世論の前に、さすがの民進党も引き延ばし不能となって最後は折れましたが・・この抵抗姿勢を見ると多くの国民はまたか!と言う気持ちになったでしょう。
ほぼ100%の世論を前にしてもなお論点を複雑化して先延ばししようとするのが民進党や消滅?した旧社会党の体質を露呈しました。
このように立法化には時間がかかるので「法規制がないから出来る」とするか、「出来ない」とするかはそれ自体が重要な法的判断です。
刑事罰に関する問題だから罪刑法定主義の原理応用・・「立法で解決べき問題であるから、裁判所が先走りして何とも言えない」と言うのは、一見謙抑的に見えますが、実は最高裁が謙虚にチェックしない・・傲慢な態度を表しています。
立法に投げるならば、その前に法の明文なしに決めて来た「違法収集証拠排除判例」自体を無効化すべきことです。
立法を待たずに証拠能力を否定しておきその判例法を維持しながら、その例外・適用範囲を検討しません・・法で決めるべき・・「法に例外規定がないから証拠採用出来ない」と言うのは変な論理です。
法で違法種々証拠の証拠能力否定を書いていない・・判例で否定して来ただけですから、その例外的場合を法に書いていないのは当然です。
判例法理である以上その限界・例外も判例で決めるべき・・そのために最高裁に上がって来た事件だったのではないでしょうか?
最高裁は自分で判断しないで、立法の責任に投げ出しておきながら違法収集証拠排除原理だけ維持しているのですから、結果的に何の法的吟味もしないで「例外を一切認めない」と言う結論だけを出したことになります。
憲法や刑訴の専門家であれば、既に多様な学説論争があり、最判はその内の1つの意見を採用したのであり、くどく説明する必要がないことも当然あり得ます・・ここは、私のような素人・門外漢には論理説明が足りないと言うだけで・・念のため。

違法収集証拠の証拠能力(違法性の程度)2

具体的な違法行為をしていないのに、憲法文言を類推して拡張解釈し、令状なしの捜査をしただけで違法収集と認定し、しかも証拠能力まで結果的に否定したことになります。
一般的に法制定が必要とか憲法改正が必要と言う論法は、何でも反対・・思考停止を求める勢力が多用する方法です。
たとえば、集団・共同防衛が本当に必要と言うならば民意で決めるべき・・必要ならば、憲法を変えてからにすべきだと言うのにも似ています。
現状維持勢力の基本的主張です。
しかし自衛の範囲に同行者・相互防衛関係にあるものが襲われた場合にそのときに反撃に加わるのが共同防衛・・自衛の範囲に含まれるかの緻密な議論を先ずすべきですが、敢えてこの議論を飛ばして短絡的に憲法問題にしているマスコミの姿勢と似ています。
国会や民意に委ねろと言うのは一見正論ですが、物事には法制定に馴染まない分野も一杯あります
たとえば、・・違法収集証拠の排除問題は違法態様にもいろんなバリエーションがあるので、事例集積を図ってどの程度の法違反があれば証拠作用されないかの基準が形成されて行くべき分野・・事前の画一的法制定には向いていません。
最高裁自体も令状なし捜査が許されないとしながらも、どのような令状捜査が可能かは非常に難しいことを書いています・・日進月歩の先端技術開発が進んでいる現在予め具体的に決めて行くのは無理がありそうです。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは逮捕されてから身体検査令状を示されて逃げられない・家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったことを前提に成り立っています。
GPS装着前に令状を示すなどしていたら捜査の実効性がないことは明らかですから、最判が令状なしの捜査が違法と言うのは不可能な要求している・・ 結局GPS捜査禁止と同じ効果があります。
あとは立法の問題として司法権が立法に丸投げすると立法作業期間中捜査の空白が生じてしまいます。
その程度のことはプライバシイ侵害可能性と比較して、仕方がないという価値判断でしょうか?
犯人の受けるプライバシー被害があるとしても(最高裁は「あり得る」と言うだけでどう言うプライバシイ侵害があったかを認定していません・・・可能性だけです)この程度の被害は許容されるかどうかをもっと緻密に掘り下げて議論すべきだったように思われます。
防犯カメラもプライバシイ侵害可能性がありますが・公道に限らずトイレなど・・それでも必要性との兼ね合いで(九州弁連で反対のシンポジュームらしいものを開いていたことを以前紹介しましたが・・)社会的認知を受けています。
防犯カメラは民間が行なう点で捜査とは違うし、不特定多数相手で特定事件があってからチェックするだけで事件がなければ自動消去してく仕組み・特定者を継続的監視する仕組みではないのに対して、GPSは特定のクルマを継続監視する点が違います。
そのうえ利用者は承知の上でトイレ利用するから隠密裏に行なうGPS捜査と大きな違いがあると言うのでしょうが、急にトイレに駆け込みたい場合選択の余地がない点・・一般のスーパー等でも防犯カメラのないトイレを選べないように思いますが・・をどう評価するのでしょうか?
ところで捜査か民間かあるいは事前承諾の有無の判断と侵害の程度判断とは次元が違います。
被害の程度判断過程に承諾の有無や捜査か否かを持ち込むのは議論を混乱させることになります。
先ずそれぞれの次元・・プライバシー侵害程度についてはその次元で判断すべきでしょう。
最判判旨の一部をもう一度引用しますと「個人の行動を継続的,網羅的に把握することを必然的に伴うから,個人のプライバシーを侵害し得るもの・・」となっています。
しかし、GPSクルマ装着の場合個人の洋服につけるのとは違い、実際に誰が乗っていたかも直接的には不明、(・・本件では犯罪集団の内偵でしたが、犯罪集団が利用している場合所有名義人が乗っていることの方が少ない)クルマの移動経路時間帯が分るだけですから、「個人の行動を継続的,網羅的に把握することを必然的に伴う」と言う最判は事実認定が甘過ぎる印象です。
他の情報と合わせると偶然分ることがあるかも知れませんが、GPSから「必然的」に分るものではないでしょう。
4〜50km走った場合、途中の幹線道路設置したところだけで切れ切れに写っている防犯カメラの映像の組み合わせで(窃盗現場が住宅街が普通とすればかなり距離があります)運転する個人が特定出来ることがあると言うならば、その他の情報(傷害犯行現場写真のシャツの端っこの映像で)も「偶然」手に入れたいろんな情報の組み合わせで分る点は同じです。
しかも判決書きによれば私的領域に幅広く侵入・・と言うのですが、私の知っている限りでは(捜査の場合もっと精度が高いかも知れませんが・・)、GPSは50メートル前後しか特定できないことになっているので、ただちに私的領域・誰とデートしているか何をしているかが分るものではありません。
顔写真には周辺景色も写るので1メートル単位の一特定が可能ですが、プライバシー性の濃密さで言えば、プライバシー侵害の深刻度は防犯カメラに比べて低いと言う見方も成り立つでしょう。
防犯カメラには通行人の暗黙の同意があると言っても、防犯カメラは公道や広場等では全て設置されているわけではない・設置されていない場所の方が多いので・・(私の事務所近くの道路などを考えても)具体的にどこにあるかも知らないし、防犯カメラに自分が写っているかを知っている人の方が少ないと思われます。
警察が知りたいのは主に停止時間帯と近隣窃盗被害との関連性程度・・犯行を直接証明出来るわけがないので捜査の端緒にしたい程度ですが、この程度の関連性があるだけ証拠価値ゼロにしなければならないほどのプライバシー侵害になるかについてはもっと掘り下げた議論が必要です。
これをしていないままアンチョコ(最高裁大法廷の認定を一介の市井の弁護士がこのように言うのはおこがましいですが・・)に令状の必要性を認定している印象です。
ところで令状必要性に関する判断も今後の実務を拘束する点で重大な判断であるにも関わらずアンチョコすぎる印象です。
この部分をもう一度引用します。
「(2)憲法35条は,「住居,書類及び所持品について,侵入,捜索及び押収を受けることのない権利」を規定しているところ,この規定の保障対象には,「住居,書類及び所持品」に限らずこれらに準ずる私的領域に「侵入」されることのない権利が含まれるものと解するのが相当である。」
「そうすると・・令状がなければ行うことのできない処分と解すべきである。」
憲法35条二項が判文に出ていないのでついでに35条全部を紹介します。
第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」
35条に該当すれば、令状がなければ出来ないことになります。
冒頭に書いたとおり、「令状主義」は当時の捜査対象との関係で決まって来た歴史がありますから、令状を要する保護対象をどこまで広げる必要があるかの重要な論点を「侵害しうる」と言う粗雑な認定であっさり決めてしまった判旨はこれを無視しているか気づいていないように見えます。
何回も書くように私は憲法のプロではないので憲法のプロの間では幾多の議論の経緯があって、それを踏まえた判決かも知れませんが・・。

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