国会審議の優先順位と民意2

公文書管理のあり方やセクハラ問題をどうするかの議論は、文字通り司つかさで議論して決めていくことであって下からの議論積み上げなしにいきなり国会で議論すべきか自体が疑問です。
※ 今回問題になっているその後出てきた資料とは秘書官と面談したときの陪席者のメモや森友学園との交渉時のメモなどらしいですが、我々関与する審議会や委員会等でも正規議事録以外に関係委員や出席事務局員が会議場で議論に参加しながらの個人メモが当然ありますが、それをすり合わせて公式議事録が出来上がるものです。
個人メモは、他の委員の発言に合わせて該当資料のページを忙しく繰って資料を見ながら自分の疑問をメモしたりしながら他人の発言も一部メモするのと、個人的関心の偏り?先入観による誤解もあるので、その後、録音や別の人のメモとのすり合わせが済んで、公式議事録確定した時点では個々人が適当に廃棄してしまうのが普通です。
メモが残っていたからといって、その人のメモが正しいとは限らないし、そのどこまでを公文書として残すべきかの問題です。
これまでそのような個人メモや正式文書になるまでの草稿類まで公文書として扱ってこなかったでしょうから(私は会議が終わって議事録確定以降自分のメモを廃棄していますが、公文書毀棄になるとは思っていません)どこまで保存すべき公文書にするかは今後の課題にすぎず、役人による資料隠蔽イメージ報道ともだいぶ違っています。
出張時の面談メモも同様で、役人が私の事務所に来る場合の経験では数人で来ることが多いですが、訪問先での面談メモを各人すり合わせて報告書等を作成するのが普通でしょう。
私の場合、その後役所から聞き取りメモのまとめが送られてきますが、自分の言ったはずのことと役人メモではかなりずれていて修正することがあります。
例外のある原則論を言ったのに例外のメモが抜けているなど・・・。
秘書官の場合、多忙でしょうからこういうすり合わせは行っていないと思われます。
報告書完成時点でそれが公文書になるべきもので、個々人のメモはその時点で原則廃棄するものでしょう。
今朝の日経新聞2p国会審議正常化の報道中には「備忘録」となっているので公式文書のようにも見えますが、それにしても聞いた人たちの印象の総和ということでしょうか?
森友学園問題でも同じですが、学園長が安倍総理夫人の名前を出していたというメモだけで安倍総理夫人が関与していたと想像をたくましくしての審議拒否は行き過ぎです。
政治家を利用したい人はいくらもいますので、胡散臭い人が政治家に頼みに行っても政治家は取り合わないことが多いのですが、(政治家は面と向かって拒否しません・「秘書に調べさせておきましょう」くらいは挨拶するのが普通です)利用したい人はそれだけで十分でその政治家の後援会に入っているとかもらってきた名刺を示したり色んな膨ませ宣伝してこけおどしに使うのが普通です。
役人の方も慣れたもので相手にしないものの、こういう大臣の名前を出していた程度の情報は残します。
伝言ゲームによる内容の変遷が有名ですが、講義や会議などの発言は聞く人によって少しずつズレた意味に理解していくのが普通ですから、(古典文学でいえば、読む人・同じ読者でも中高年になって読むと別の感銘を受けるなど、感銘を受ける箇所が違うように)総理秘書官の発言をがどのように受け取ったかも聞く人によっていろいろです。
政治家は言いたいことを匂わせても言質を取られないように複雑な言い回し・多様な解釈を許すような言い回しをするのが普通ですが、総理の意図か?と言うストレートな質問をしたとは到底想定できない上にどのような期待感で聞いていたかによって受け取り方も色々です。
我々弁護士会の議事では政治家のように微妙な言い回しの習慣がなく一義的に意味把握できる発言が普通の組織体ですが、それでも聞いた委員の内容メモ報告と後日出てきた議事録とではかなりトーンが違っているのには驚きます。
4月中旬の千葉県弁護士会のある委員会の委員が個人的に議事内容報告をしていて、あるテーマについての質問に対して執行部は「まだそこまで考えていない」という回答だったと報告されていただけですが、1週間ほど前にメーリングリストに上がった正式議事録では、単なる否定ではなく、将来会議室の容量等の限界を勘案して検討していくことになるという具体論が示されています。
観念論に走りがちな一般委員と実務を預かる執行部の思考の幅・奥行きの違いを示す好例ですし、メモ報告していた一般委員の関心が今すぐ「やるかやらないか」だけのレベルに関心があってその先の答弁(具体論)に関心がなかったのでこのレベルでの議論を聞き漏らしていたか報告価値がないと端折ったことがわかります。
公式記録に残っていない場合には、後日のすり合わせ段階でそのように受けとった人が少なかった(「あの発言でそこまで聞いたというのは無理がある」という意見が優った)と見るべきでしょう。
またイラク日報問題は保存期間が短か過ぎたかどうかが議論になっていますが、これもその他法案審議を止めてまで優先議論するべきテーマとは思えません。
個別公文書の保存期間をどの程度にすべきかは、政省令や通達作成(審議会等の議論をへて)レベルで議論するのが普通・他省庁関連の各種政策審議をストップさせるほどの優先順位がないというのが常識です。
ところで財務大臣が引責辞任しない限り審議に応じないという立憲民主の主張を引用してきましたが、これを法的に見るとどういうことになるのでしょうか?
Aのテーマの決着がつかないとその他の法案の審議に応じないというのは、Aテーマが最優先課題であるという主張になります。
憲法上審議順序が決まっていればそれに従うべきですが、決まっていない場合、論理上の優先順位・・例えば予算措置の必要な法案の場合予算可決が優先順位になります。
論理的優先順位がない場合に多くの会議では、議事運営者が議題順序を決めて議事進行していくのが原則です。
形式的には議長の采配によるべきでしょうが、実際には組織の運営に責任を持つ執行部・企業で言えば社長、国では行政府の長がNO1〜NO19までの審議をお願いしたいというときには、その提案者の意向でどの順序で審議して欲しいかの意向に従うのが、議事運営原則です。
総理の任免は衆議院の権限ですし、総理が決まらないと国政が進まないので、総選挙後の国会では総理選任が最優先で行われることが憲法で決まっていますが、国務大臣の任免は総理の専権事項で国会の承認も根回しも不要です。
国会に閣僚の不信任権があるならば、その国務大臣所管事項の法案審議よりも、不信任議案は他の法案より優先審議事項になるべきでしょうが、大臣の任免が国会権限から外れている以上は、国会が大臣罷免ないし辞任しない限り審議に応じないという主張は憲法違反の主張になります。
明治憲法では、総理は対等者間の首班でしかなかったのですが、戦後は総理が任免権を持つ関係で国会が閣僚人事に何らの参考意見を述べる権利も同意権も拒否権もない・そもそも審議事項ではありません。
野党が総理の任命した大臣の罷免を要求し、あるいは大臣が任意辞職しない限り審議に応じないことが許されれば、事実上野党が総理の閣僚任命に対する拒否権を持つようになります。
政策課題山積の今日、野党が自分になんらの権限もない事柄を優先審理すべき事を要求すること自体が越権行為ですが、さらに野党が任免権を持つかのごとく・・自分の言い分・・大臣の辞職要求が通るまであらゆる法案の審議拒否できるとしたら、多数党よりも少数党の方が国政を壟断できる仕組みになってしまいます。
このように考えていくと少数党が憲法上の根拠なく自分の要求を受け入れない限り審議に応じないという行動は、憲法で認められた国会議員の権限に反した違法行為と評価すべきです。
審議拒否=国会議員の責務放棄としての責任を負うべきでしょう。
4月23日に立憲民主の審議拒否強硬論が出て、与党が25日に解散をにおわせただけで、大騒ぎになり解散反対論をメデイアを通じてあおったものの国民の支持がひろがらない・新義挙hが続けば「連休明け解散説の前に野党内で審議拒否方針転換論が広がりついに審議再開の正式合意になった様子です。
メデイアがいくら煽っても国民意識がどのへんにあるかを多くの人が知っているから、立憲民主も審議拒否出来なくなったのです。
この騒動の結末は民意無視していたのは野党の方であったことを証明しました。

国会審議の優先順位と民意1

このような子供じみた騒動を繰り返して審議拒否に走っている状態に対して、4月に入って自民党から解散風が出てきたのは意味があるでしょう。
4月中旬頃に飯島内閣参与による連休明け解散発言もありました。
その翌日頃には朝日新聞が早速反応しました。
https://www.asahi.com/articles/ASL4L4SQJL4LUTFK012.html

衆院解散論に石破氏「国民と官邸、どっち向いて仕事を」
2018年4月18日18時03分
多くの人が思っているのは、どっちを向いているのかということ。国民を向いているのか、首相官邸を向いているのか。

解散総選挙案は、審議拒否や内閣不信任案に対して、「選挙で民意を問いたい」ということですが、これに対する反応が(国民を向いているのか)首相官邸を向いているのか」という真逆の反応を示しています。
石破氏は選挙によって民意を聞くのが民主主義の原則であることが理解出来ていないのではないでしょうか?
「どちらが民意に沿っているか選挙で決着つけよう」とするのが何故「首相官邸を向いているのか」(国民を向いていない)という反論になるのか?真逆の発想です。
石破氏は安倍憎しのメデイアに持ち上げられているウチに思考回路が野党に似てきたようです。
選挙の結果で決めようとするのは、官邸の意向だけで決めるのではなく民意を聞く手続きを重視していることは明らかです。
パク大統領時における中韓の日本批判を見ていると如何にも自国内ではこういう無茶な人権侵害.残虐行為をしていることを日本人がやったかのように言い募る傾向があるのに驚いた人が多いでしょう。
「自分ならこうする」という前提で相手を批判する主張が多いものです。
立憲民主の辻本氏が4月23日に勇ましい発言をしていたのを5月2日紹介しましたが、これに対する自民党の反応です。
https://www.asahi.com/articles/ASL4V5693L4VUTFK029.html

解散に注目が集まった理由は、25日の森山裕・自民党国会対策委員長の発言にある。「不信任案が提出されれば衆院を解散するのも内閣の選択肢だ」と記者団に語った。
同日、首相と会談した鈴木宗男元衆院議員も記者団に「総理はありとあらゆることを考えていると受け止めた」と述べた。

https://www.kochinews.co.jp/article/178235/

高知新聞 2018.04.25 12:04
自民国対委員長「衆院解散も」 不信任案提出なら、野党は反発
「自民党の森山裕国対委員長は25日、野党が安倍内閣不信任決議案を国会提出した場合の安倍晋三首相の対応に関し「(衆院)解散も一つの選択肢だ」と、東京都内で記者団に述べた。前財務事務次官のセクハラ疑惑や加計学園問題などで攻勢を強める野党をけん制する狙いがありそうだ。
国対委員長という正式役職者の発言ですから政界は大騒ぎになり、解散発言に肝を潰したのはメデイアや野党です。
立憲民主はいきなりトーンダウンして内閣総辞職を求めている訳ではないと言いだした模様です。
立憲民主党の辻元清美国対委員長は4月23日の審議拒否発言も何処へやら上記高知新聞引用の続きです。

「何を言っているのか。困るのは与党だ。そんな余裕はあるのか」と批判。希望の党の泉健太国対委員長も「そういうことに言及する暇があるなら、国会正常化に努力してほしい。何のけん制にもならない」と反発した。 」

国会正常化=国会は審議するべきことでしょうが、これに反対してきた自分らの立場そっちのけの主張です。
直後頃行われたテレビ討論だったかのユーチューブでは立憲民主の枝野党首が、解散がいかに不当であるかの主張をした上で、他党意見を遮って大声をかぶせる大人の?討論にあるまじき興奮状態の発言がネット報道されていました。
またどこかのメデイアでは「咋夏解散したばかりなのにまた解散するとは非常識」というような意見が流布されていますが、この意見の前提は、「民意を聞いた総選挙直後から審議拒否や内閣不信任を主張する方が非常識」という前提を端折っている不公正さがあります。
民意を聞いた総選挙後すぐに内閣攻撃のデモを動員し、「国民多数の声を無視している」と騒ぎ不信任案を出すこと自体が選挙制度軽視で非常識です。
不信任案を出す事自体が「民意の支持を受けてないからやめろ」という主張ですから、これに対抗して国会の意向だけでなく民意を直接聞きましょう」というのが憲政の原則です。

憲法
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

そもそも選挙直後は、政権支持を受けたばかりの内閣を国民の支持を受けていないかのようなデモ等で空騒ぎすること自体が、民主的手続き無視の態度です。
この一環で改正内容の議論を拒否した「安倍政権下の改憲反対」という街頭運動を繰り返してきたこと自体が、安倍政権支持の民意を示す選挙結果を無視する言動ではないでしょうか?
こういう運動を盛り上げているから「それならば、民意をもう一度聞きましょう」というのが解散説です。
「国民多数の声を無視するな!」という運動家が民意をより頻繁に聞くのが何故いけないと言うのか支離滅裂な主張に見えますが・・。
この運動論を下地にした朝日の報道は以下の通りです。https://www.asahi.com/articles/ASL4R4HT3L4RUZPS005.html2018年5月1日19時46分

安倍政権下の改憲「反対」58% 朝日世論調査

憲法改正内容に関する合理的質問ではなく、「安倍政権下の改憲賛否を問う」という変な調査方法自体、イメージ操作の疑いがありますが、朝日や野党はこういう運動を繰り返しおこなって来ました。
日本の政権は平均2年前後で長くて5年前後であり、安倍氏は再選されてもあと一期しかありません。
仮に来年憲法改正してもその施行後新憲法下で新たな政治を行うのは次の世代です。
自衛隊が仮に憲法に明記されても、政治的立場や装備その他の変化には数10年単位の時間軸が必要です。
運用するのはずっと後の世代ですから、誰が憲法改正発議時の総理かによって賛否を決める合理性はありません。
議論すべきは改正内容です。
ところが慰安婦騒動を仕掛けて安倍政権に完敗し味噌をつけた朝日新聞にとって、安倍政権のやることなすこと何でも悔しい・だから「安倍政権による憲法改正の是非」という変なテーマにしているのでしょうか?

政府と国民(信用破壊工作)1

革新系文化人・政党が新しい施策に全て反対してきたのは、日本国の発展しそうなことを妨害するのが目的ではなく、政府と国民が対立しているから搾取し抑圧する政府・資本家から国民防衛のために政府・資本家の施策に全て反対しているとすれば「外国の手先」と言う批判はあたりません。
左翼系は従来から自分たちを「国民」と言わずに人民と称していることをMay 1, 2013, 「中国共産党→中国政府→人民2」前後で紹介したことがあります。
国民と言わずに人民と言えば何が変わるのか分りませんが、中華人民共和国・朝鮮人民共和国の名称を有り難いと言う忠誠心の表明でしょうか。
人民解放軍が人民「解放」に来てくれるのを首を長くして待っている意思表示でしょうか?
ところで、人民解放軍とは国軍ではなく、中国共産党による武力支配を貫徹するための私兵です。
中国や韓国の主張は実際には真逆・・自分が酷いことをしている場合・・歴史改ざんであれほぼすべて・日本がやっているように表現することが多いので、中韓が主張すると自分がやっていることを言ってるのだな・・と理解するのが普通ですが、人民解放と言う名称こそ真逆の世界です。
このネット時代に膨大な人員を使って都合の悪い発信を片っ端から消して行くだけでなく、公安警察を使って国内でやり放題どころか、香港など域外にまで出張して気に入らない言論人を秘密裏に拉致して行く・・・この背後に控えている武力装置が「人民解放軍」です。
これ程、真逆の名称は珍しいし、虚偽で塗り固められた中国の本性・・象徴的表現です。
今朝の日経新聞朝刊10pには習近平氏が、遂に軍用迷彩服でテレビに出て来た背景を書いています。
「銃口から政権が生まれる」と言う毛沢東主席の意見・・中国共産党の党是ではあるものの、開放政策以来経済優先で来た・・対外的宥和・・平和的発展論を示すためにも、ここ何十年も軍服着用は長老の葬儀など内輪でしか着用しておらず最近では背広中心になっていた経緯を紹介して、今になって軍服・しかも現場向きの迷彩服まで着てテレビに出るのはどう言うデモンストレーションかの解説をしています。
経済政策で人民を引きつけるのは無理になったので軍事力で押さえ込む明白な意思表示ではないかと言うものですが、このように中国では人民を抑え込むための兵力であって国防軍ではありません。
菅直人氏が総理大臣のときに自衛隊を暴力装置と発言して物議をかもしましたが、中国の軍を理想とする革新系では当然の理解・・自衛隊も人民抑圧手段の理解なのでしょう。
まして中国の場合、警察は人民監視や抑圧の手先機関でしかないのですから、憲法9条に関する「戸締まりや警察が必要」と言う自衛必要論のたとえ話は、警察などは人民の敵と考えている左翼文化人とまるでかみ合っていません。
革新系文化人は、人民解放軍は人民抑圧のための軍であり警察は秘密警察・・国民の生活安全を守るためはなく政府の都合でいつしょっぴかれるか分らない怖い存在でしかないと良く知っているとすれば、中国人民解放軍が日本人民を救うためにやって来ると期待していると言うのは矛盾していませんか?
日本の軍は武士の系譜を引くものですが、日本の武士団が始まって以来約千年ですが、地元出身で構成される武士団が地元住民を敵に回して戦うことを誰が想定出来るでしょうか?
軍国主義日本を批判していますが、日本国民を弾圧したことがあったでしょうか?
秀才は日本の現実を見ないで西洋の歴史教育で習ったとおりを観念する習性です。
政府は国民の敵だから日本を攻めて来る国は救世主であると切り分けていたのが戦前ソ連崇拝者の行動原理でしたし、その系譜を引く革新系文化人は戦後はアメリカ占領軍崇拝し、今は中国による日本人民解放実現が夢とすれば非武装論は確かに有効です。

指標破壊→民意不明・信用破壊2

統計の正確性に戻りますが、統計とは国民の客観的な動きを把握=客観行動から民意を知る=民意に従う政策に活かすための制度です。
民意などどうでも良い中国の場合、国民の動き・民意を正確に知る必要がありません・・むしろ政府に都合の良いデータだけ公表する・・国民や外部に分っていない方が自由裁量性がありますから、各種データを混乱させる方が有利とする政策でしょう。
ただし、取り締まり対象としては正確なデータは欲しいでしょうし、その前提として不満蓄積前段階の経済の動き・倒産情報その前の不良債権率なども早めにキャッチしたい点は同じです。
政権の外にいる国民や外国に知られないで政権だけが知ることが出来る都合の良いデータはないので、個人企業で言えば脱税用あるいは燃費偽装など対外向けの二重帳簿を作るのが最も原始的で合理的です。
しかし国家全体の二重帳簿を誰にも知られずに作るの不可能ですから、結果的に政府権力者自体が自分の支配している国家の実態を知ることが出来なくなります。
ゴルバチョフの自伝だったかでは最後はどこへ行っても政府の実態不明で政治にならなくなっていたと書いているとおりです。
組織トップが不正をすると末端も不正をするようになるのが北海道警察事件その他で明らかになっていますが、トップだけが出来上がった数字をいじっていると、下位の地方政府もいじる→そのまた下部機関も順にいじるので、訳が分らなくなっているのが現在中国(旧ソ連組織同様)です。
ビッグデータ利用は、現在社会を効率よく運営するための必須作業である筈ですがこれの有用性を認めるものの、政府が収拾するのに反対と言うのは、政府は国民の敵対組織と位置づけているからでしょう。
防犯カメラに反対していた・・・犯罪があれば、犯人像や移動経路把握に反対するのは、国家秩序に反抗するものは全て保護すべきと言う思想によれば一貫しています。
犯罪・・国家秩序破壊から国民を守る国民の利益とスーパー店舗内や道路など公的空間でのプライバシー侵害との兼ね合いと言う視点が抜けているのです。
この立場からすれば、国民支配道具としての情報収集に反対・・収集目的が違うと言うことでしょうが、革新系文化人は中国基準(取締目的)でのデータの必要性を見るから政府のデータ収集をいやがるのでしょうか?
政府は国民の敵と言う意識が強いようですが、国民主権国家では国民のために政府が如何に働くかが重要です。
政府は国民のために働く下部機関ですが、企業で言えば部下にキチンと仕事をして貰うには、仕事の対象に関する正確な情報提供が必須です。
痛いところを治してもらうには出来るだけ多くの情報を医師に与える必要がありますが、会社に降格されたくない基準で言えば、会社には体調をあまり知られたくない方向に働きます。
「何でも反対」と言う革新系の意識に「政府は国民の敵」と言う前提があるのでは、国民国家の時代に前提が合っていないことになります。
国民主権社会では、日本社会のためになることを目指すのが政府の仕事=政府や野党政治家は国民のためになる政策提案を競うものですが、政府の政策は全て国民敵視政策と決めている立場からすれば、その政策が国民のために役に立つかどうかの検討よりも前に国家秩序に組み込まれるかどうかの視点・・組み込まれる恐れのあるものは全て反対となるのは仕方がないことです。
しかし統計や防犯カメラなどに協力すれば統治機構に組み込まれるかも知れませんが、安全社会や統計の正確さによる政治の効率化(ひいては国際競争に生き残る)の恩恵を国民が受けるのです。
革新系文化人は、社会の利便性や恩恵を無視して統治機構に組み込まれること自体が悪と言う19世紀の夜警国家の思想にこだわっているように見えます。
何かと言うと近代法の原理に反すると言うのが彼らの特徴ですが、思想の基礎が違って来ているのです。
現在中国ではまだ人権尊重が未発達・・国民主権国家ではないことから正に妥当する原理ですが、これを日本に持って来て教えてやると言うからおかしなことになるのです。
核実験であれ公害であれ、中国のやることには一切問題にしないで2世紀ほど先に走っている日本で19世紀型思想基準で問題にするのですから(幼稚園児に妥当する行動基準を大学生に強要しているようなもので)適用の場を間違えていないかの疑問です。

指標破壊→民意不明・信用破壊1

中国、韓国のように指標がいい加減だと本当の指標を絶え間なく自己流に探す・開発して行くしかないので、深読みの意見に頼るしかないので効率がすごく落ちます。
深読みとは、客観データでは分らない裏の情報をキャッチして読む力ですから情報機関の役割の大きい社会です。
中国で言えば、ある会合での歩く順序や座席の位置から力関係の変化を読むのがはやっているのが好例ですが効率が酷く悪い社会になります。
私のマスコミ批判は独自情報を知っているから批判しているのではなく、マイナンバ−であれ、実質賃金であれ「多数国民意見」であれ同じデータの解釈をマスコミがすり替えてあるいは如何にも関係がありそうに誤誘導していることに対する批判です。
我が国のマスコミが当てにならない批判を受けているのはデータが虚偽に満ちている(これはマスコミではなく政府の責任です)からではなく、データを故意に読み違えて「角度」をつけて報道しているキライがあるからです。
たとえば、マイナンバー法に対する否定的イメージ報道として通知開始とともに、まだ何割の人の通知が届いていないと言うキャンペインを張っていましたが、郵便がつかないのは転居したのに住所変更届をしていない人がそれだけ多勢いることが分っただけの話であって、マイナンバー制度に対する国民の否定的意識とは何の関係もありません。
マスコミは客観報道しているだけだと言うのでしょうが、そうならば、マイナンバー通知を国民全部に送ったた結果、おまけとして明らかになったプラス成果として報道すべきことです。
これを、如何にも国民がいやがっているから受取拒否しているかのような印象で報道を繰り返すのはおかしなことですす。
国民はイメージに刷り込みに弱いので、マイナンバー関係で意見を聞くと訳知り顔で、「まだ通知さえ何割も届いていないなど・・」と国民が如何に不安に思っているかを強調して便利かも知れませんが・・・と半身に構えた意見を言う人が結構います。
ところで、今回明らかになった住民登録をしていない後ろ暗い人たち・・アングラ階層にとっては居心地が悪くなります・・。
従来在日の外国人は外国人登録法で住民登録しないでいわゆる通名で生活出来ていたことから、アングラ性が高かったのですが昨年7月頃期限で住民登録が法律上義務づけられています。
日本人に限らず在日その他も今後は住民登録していないと公的給付に限らず準公的サービスが受け難くなりますので、逆にマイナンバー制度が普及すれば、住所移転を正確に登録していないと公的給付どころか各種カード作成すら出来ない時代が来るでしょう。
何もかもガラス張りがイヤと言うのは、客観データがガラス張りになるのがイヤ・・と言うことですが、こう言う人は相手に対しては透明性を要求し、情報公開請求に熱心な勢力でもあります。
マイナンバー法反対論者は防犯カメラ反対論(ここ数年下火になりましたが革新系団体はそう言うシンポジュームを開いていた・・・九州弁連では反対論者を招いたシンポジュームを開いていることを「証拠法則と科学技術3(自白重視3)」Published December 7, 2014で紹介しました)反対論の基礎思考が同じですが、国民の動きを不透明化するのにマスコミや文化人は何故熱心なのでしょうか?
社会全体で見れば、ビッグデータ活用によって、医療や買い物動向など全体の動きを知ることは、より便利で効率的社会になるためにデータ活用が有用な結果が期待されます。
それと個人情報を知られるのが良いかは別の次元だから反対していると言うでしょうが、研究者は個々人の名前などには関心がありません・・・何歳の人あるいはどう言う病歴・薬の服用歴の人がどう言う薬にどのように反応するかなどデータが欲しいだけです。
巨大情報漏洩リスクを言いますが、情報に大金をはたく人は類型情報処理して利用したい・・例えば成人式用あるいは◯◯塾適応年齢向けの勧誘ダイレクト業者にとっては性別、年齢別情報だけに意味があって、(余計な情報は要りません・・キレイに必要情報だけに切り分けられた「商品」を仕入れているのです)知り合いの個別情報が欲しくて大金を払うのではありません。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく(今は機械化していて個別に手で書くことがないので氏名の個性など全く分らないのが普通です)1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC