指標破壊→民意不明・信用破壊1

中国、韓国のように指標がいい加減だと本当の指標を絶え間なく自己流に探す・開発して行くしかないので、深読みの意見に頼るしかないので効率がすごく落ちます。
深読みとは、客観データでは分らない裏の情報をキャッチして読む力ですから情報機関の役割の大きい社会です。
中国で言えば、ある会合での歩く順序や座席の位置から力関係の変化を読むのがはやっているのが好例ですが効率が酷く悪い社会になります。
私のマスコミ批判は独自情報を知っているから批判しているのではなく、マイナンバ−であれ、実質賃金であれ「多数国民意見」であれ同じデータの解釈をマスコミがすり替えてあるいは如何にも関係がありそうに誤誘導していることに対する批判です。
我が国のマスコミが当てにならない批判を受けているのはデータが虚偽に満ちている(これはマスコミではなく政府の責任です)からではなく、データを故意に読み違えて「角度」をつけて報道しているキライがあるからです。
たとえば、マイナンバー法に対する否定的イメージ報道として通知開始とともに、まだ何割の人の通知が届いていないと言うキャンペインを張っていましたが、郵便がつかないのは転居したのに住所変更届をしていない人がそれだけ多勢いることが分っただけの話であって、マイナンバー制度に対する国民の否定的意識とは何の関係もありません。
マスコミは客観報道しているだけだと言うのでしょうが、そうならば、マイナンバー通知を国民全部に送ったた結果、おまけとして明らかになったプラス成果として報道すべきことです。
これを、如何にも国民がいやがっているから受取拒否しているかのような印象で報道を繰り返すのはおかしなことですす。
国民はイメージに刷り込みに弱いので、マイナンバー関係で意見を聞くと訳知り顔で、「まだ通知さえ何割も届いていないなど・・」と国民が如何に不安に思っているかを強調して便利かも知れませんが・・・と半身に構えた意見を言う人が結構います。
ところで、今回明らかになった住民登録をしていない後ろ暗い人たち・・アングラ階層にとっては居心地が悪くなります・・。
従来在日の外国人は外国人登録法で住民登録しないでいわゆる通名で生活出来ていたことから、アングラ性が高かったのですが昨年7月頃期限で住民登録が法律上義務づけられています。
日本人に限らず在日その他も今後は住民登録していないと公的給付に限らず準公的サービスが受け難くなりますので、逆にマイナンバー制度が普及すれば、住所移転を正確に登録していないと公的給付どころか各種カード作成すら出来ない時代が来るでしょう。
何もかもガラス張りがイヤと言うのは、客観データがガラス張りになるのがイヤ・・と言うことですが、こう言う人は相手に対しては透明性を要求し、情報公開請求に熱心な勢力でもあります。
マイナンバー法反対論者は防犯カメラ反対論(ここ数年下火になりましたが革新系団体はそう言うシンポジュームを開いていた・・・九州弁連では反対論者を招いたシンポジュームを開いていることを「証拠法則と科学技術3(自白重視3)」Published December 7, 2014で紹介しました)反対論の基礎思考が同じですが、国民の動きを不透明化するのにマスコミや文化人は何故熱心なのでしょうか?
社会全体で見れば、ビッグデータ活用によって、医療や買い物動向など全体の動きを知ることは、より便利で効率的社会になるためにデータ活用が有用な結果が期待されます。
それと個人情報を知られるのが良いかは別の次元だから反対していると言うでしょうが、研究者は個々人の名前などには関心がありません・・・何歳の人あるいはどう言う病歴・薬の服用歴の人がどう言う薬にどのように反応するかなどデータが欲しいだけです。
巨大情報漏洩リスクを言いますが、情報に大金をはたく人は類型情報処理して利用したい・・例えば成人式用あるいは◯◯塾適応年齢向けの勧誘ダイレクト業者にとっては性別、年齢別情報だけに意味があって、(余計な情報は要りません・・キレイに必要情報だけに切り分けられた「商品」を仕入れているのです)知り合いの個別情報が欲しくて大金を払うのではありません。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく(今は機械化していて個別に手で書くことがないので氏名の個性など全く分らないのが普通です)1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。

証拠収集反対論3(防犯カメラ2)

銀行強盗が減ったから、あるいは新宿歌舞伎町の監視カメラ設置の結果、一般企業や家庭あいての強盗や住宅街での暴力行為が増えたと言わんばかりの論法ですが、その統計があるのかとなりますが、その統計に言及していません。
社会全体の犯罪が減っているとは言えない(統計的誤差が出る筈がないのですから、当然の結果です)と言う荒削りの論理を前提にして、全体の犯罪が減っているとは言えないから防犯カメラ設置がないところに犯行場所が移動しただけと言う推論を前提にした結論を導き出しています。
そんな推論に推論を重ねないでも、銀行強盗ならば銀行強盗ばかりの変化を比較して防犯カメラの設置した場所と設置していない場所の比較をすれば統計的差が簡単に出ます。
あるいは犯罪多発場所では、設置前と設置後の比較でも良いでしょう。
そもそも新宿歌舞伎町その他風俗系繁華街での犯罪やプラットホームでの突き落としなどは、酔っぱらった勢いでちょっと肩が触れた程度で喧嘩になったり・・その町や場所特有の犯罪であって、住宅街で起きる犯罪と性質が違います。
スーパー等での万引き被害が、防犯カメラのない住宅街に移動することは論理的にあり得ないでしょう。
昨日書いたように統計を見るなば、業種別とか犯罪種別の増減を見ないと意味のないことになります。
こうした論理飛躍のある推定論を前提にした意見によって、風俗系繁華街で起きていた犯罪が住宅街に押し出しているかの肝腎の統計がないのに、一見統計に基づく客観的意見であるかのような装いで学者の論文として発表されてまかり通っているようです。
仮に犯罪抑止力がない・駅ホーム等での突発的暴力行為など・・としても、犯罪があったときに防犯カメラの巻き戻しで犯人がすぐに特定出来るようになっています。
被害者・社会にとっては不幸にして被害にあった場合、せめてもの救いとして犯人検挙が重要関心事=価値ですから、迅速な検挙率の向上それだけでも大きな存在意義があります。
私の理解では、防犯カメラに対する反対論は昨日から書いているとおり疑問だらけですが、(私は学者ではないのでその道のプロに専門的批判はお任せします)仮に犯行現場が、カメラのないところに移動しているだけと言う学者の意見どおりとした場合でも、自分だけ助かれば良いのかと言う価値観・論理も直ちには同意出来ません。
そんなことを言い出したら、自宅の鍵をかけても日本全体の「こそ泥」が減る訳ではないから、自宅の戸締まり・カギを取り付けるのをやめろと言っているような意見です。
ただし、正確には肖像権侵害があるかどうかの比例考量ですから、誰にも迷惑をかけていない戸締まりとは意味が違いますので、これは後で書いて行きます。
確かに戸締まり奨励よりは、こそ泥をしたくなるような人物を社会から減らす・・ゼロにする方が良いに決まっていますが・・。
どんな理想社会が出来ても「こそ泥」や空き巣、かっ払い等に走る人をゼロに出来ないのが自明のことですから、被害が起きないように留守番を頼み、戸締まりしたりSECOMと契約したり、不幸にして犯罪に巻き込まれれば直ぐ証拠付け出来るように防犯カメラを設置したりするのが世界常識になっているのではないでしょうか?
この辺は非武装平和論者の意見と自衛(戸締まり)必要論との意見相違とも似ていて、学問や法律論ではなく政治論です。
この種の意見・意識を見ると、国家の戸締まり不要論である非武装平和論者が秘密保護法や共謀法に反対している共通土壌のように見えます。
自分の子供を送り迎えしていれば、自分の子が誘拐されないで助かるかも知れないが、送り迎え出来ない人の子供が誘拐されてしまうじゃないか!そんな身勝手なことが良いのかと言うような論法です。
こういうことを主張する学者を弁護士会などで重宝して講演を依頼しているようです。
彼らの論法では、自宅に鍵をかけるのは身勝手なことになりますし、SECOMも何もいりません。
自宅の鍵は人に迷惑をかけないから、プライバシーや肖像権を侵害する監視カメラと同列には言えないと言う論理もあるでしょう・・。
元々プライバシー性の低い公道やスーパー店内での肖像権が問題になっているのですが、歌舞伎町などで歩いているところを撮影されていても一般公開されることがないママ・・原則一定期間経過で消去されてしまうものです。

証拠収集反対論2(防犯カメラ1)

防犯カメラについても、立場が違えば違った意見が当然あります。
監視カメラのあるところで犯罪が減ったかもしれないが、その社会全体の犯罪が減った訳ではない・・だから防犯カメラは反対と言う帰結を導く意見をある学者が書いていました。
自分のところの被害を他所に押し付けているのが良いのか!と言う情緒に訴える如何にも尤もらしい論法で私も読んだ当初はなるほどなと感心しました。
犯罪の増減はカメラの数や存在によるのではなく、経済社会状況によるのが普通ですから一見理がありそうです。
しかし、この論法は一見統計によるように見えて、実質は事実分析に基づかない一方的な推論を展開しているように見えます。
学者の論文にケチを付けるようで、おこがましいことで恐縮ですが、(しかも大分前に読んだ印象的記憶によるので正確な理解に欠けているかもしれない点もありますが、)疑問に思うところを以下書いておきます。
いつも書くように、このコラムは論文ではなく日々の印象等を書いている程度のレベルですので、(正確な学者の論文を知りたい方は自分で探して原典に当たって下さい)その前提でお読み下さい。
カメラ設置と全体の犯罪が減ったかどうかの関係はどうやって調べるかの問題もあって、反対証明不能の主張になり易い・・言った者勝ちのところがあるように思います。
朝日新聞が吉田元所長調書の非公開を前提に自分だけが見たと言う前提で書いていた捏造記事で批判者を脅していたのと似ています。
そもそも全体の流れと部分で比較すること自体がどうなの?と言う疑問です。
防犯カメラ設置が全国一斉に出来る訳ではなくジョジョに広がったものであって、言わば点の広がりですから、この程度で全国犯罪統計で前年比何%減ったと言えるほどの大きな差が出る訳がありません。
元々経済状態の変化や大災害・人口の趨勢的減少などで犯罪数はいつも若干変動(後記のとおり水面にいつも生じるさざ波)があるものですから、スーパーなど(犯罪被害が国内犯罪被害の100%を占めている訳ではないので)のカメラ設置は(ある年に全国一斉に何十万機と取り付けたものではなく、10年以上の時間をかけて徐々に増えているものです)、国土全体の犯罪発生場所数との比率で防犯カメラ普及率から見れば、年単位では統計的にとるに足りない数であることは誰が見ても明らかです。
銀行やスーパーや街角のあちこちで普及したからと言って、それは社会のホンの一部でしかありませんから、これに比例して日本あるいはドイツやアメリカ全体の犯罪数が変動するほどの大きな差がでることを前提にした意見自体がおかしいと思います。
プールやダムにコップ一杯の水をたらして、水位を計ったら変化がなかったので水を入れたのは錯覚だったと主張するような意見ではないでしょうか。
理論的にはホンの僅かに増えている筈ですが、水面にはいつも僅かにさざ波があって、測定機能上差が出ていないだけですが、犯罪統計も川の波程度の誤差や変動がいつもあるので、これが年間数百カ所防犯カメラが増えた結果かどうかの差に吸収されてしまうから統計上の差がでないだけではないでしょうか?
本当に差がないならば、多くのスーパーコンビニ等で、万引き防止用のミラーや防犯カメラなどを費用をかけて設置する筈がありません。
(比較するならば導入した特定業界の経年的変化や銀行等で設置した店と設置しない店の全国合計の年単位の増減比較ならば統計的意味があります。)
比較すべきではないデータを比較して
「どうだ社会全体で有意な変化がないだろう」と論文に書くこと自体が前提を間違っているように思われます。
銀行やスーパーなど「点」として防犯カメラの有無による被害発生率や数字の増減減統計はあるでしょうし、多分この統計には有意な数字差がある筈です。
特定場所での設置に有意な差があることにはその論文では触れていませんが、これを前提にして、防犯カメラのあるところから「犯罪者を防犯カメラのない一般社会に被害を押し出しているだけ」と言う趣旨(記憶ですので書いた文言どおりではありません)、これまた根拠のない推定論を展開して「自分だけ助かれば良いのか!」と言う趣旨の情緒論を展開しています。

共謀罪反対論と証拠収集反対論1

今後共謀のみで犯罪成立と言う法律が出来た場合には、これまでの判例に加えて(殺人等の実行行為がない段階での認定になる以上は)共謀行為の客観化がより一層進む筈です。
この作業に日弁連が1枚も2枚も噛んで行くべきだ・・これが専門家集団がやるべき本来の仕事ではないかと言うのが私の意見です。
これまで書いて来た通り、厳密に絞られた共謀行為があって(上記のように立法化が決まれば、更なる共謀概念の客観化作業が当然進められることになります)しかも、証拠上認定された場合だけ検挙することにも反対・・・すなわち日弁連がこう言う実行犯募集を自由にやらせておくべきだと言う政治意見で・立場で反対運動をしているのでしょうか。
日弁連が期待されている立場は拡大解釈によって、誰かが酒席での冗談で「あんな奴ぶっ殺したいよ!」と言ったのに対して、「そうだそうだ」と応じた場合まで殺人の共謀になるのでは困ると言う人権侵害の恐れではないでしょうか?
あるいは確実な証拠もないのに共謀したと言われると困ると言うことではないでしょうか?
近代社会では、「意思を表示した」だけで処罰されなかったのは、意思表示は録音機のない時代に全く客観証拠が残らないから無理・・えん罪リスクが大き過ぎたからに過ぎません。
現在社会で共謀罪を処罰するにしても、客観証拠のない誰かの密告程度では無理ですから、裁判システムその他のインフラからして近代社会の始まりころとはまるで違っています。
メールや録音等の客観証拠がないときに、計画の噂程度で検挙するのは不可能ですし無理に検挙しても裁判が維持出来ません。
ですから、共謀罪が出来ても実際に事前に検挙できるのは、本当に証拠上明白になったときだけですから、逆から言えば、明々白々な証拠を握っても検挙出来ないで反抗グループが実行するまで指をくわえて待機しているしかない・・不正義状態を何とかしようとしているとも言えます。
このようにえん罪リスクが心配ならば法律要件を厳しく絞るとか従来の判例の枠組みでは緩過ぎると言うならばその提言をして行くのが正当な道ではないでしょうか?
法律家らしい提言よりは「共謀段階の処罰法を作るな」と言うことは、「どんな証拠があっても処罰すべきではない」と言う主張と同義です。
どう言うことがあれば、処罰すべきか、どこまで犯罪扱いしないで社会が我慢するべきかは政治論であって法律論ではありません。
日弁連が政治論に踏み込んでいるとすれば、共謀罪が出来ると困るどこかの集団利益の代弁をしていることになるのでしょうが、当面現実的被害を受ける利害集団としては組織暴力団くらいしか想像出来ません。
日弁連がまさか暴力団存続のために頑張っている訳ではないでしょう。
ところで、共謀の客観証拠は簡単に入手出来ない上に、共謀が冗談の会話かどうかの見極めのためにも、捜査機関としては、周辺準備行為の観察・・間接事実の証拠収集から入って行くようになると思われます。
結果的に、従来どおり客観的準備行為のある場合が中心になるでしょうが、行く行くは電子機器の証拠・・メール・傍受等の重要性が増してきます。
検挙するには「厳格な共謀概念と証拠が必要だからそんなに心配いらないじゃないか」と言う私のような意見によれば、共謀罪や秘密保護法反対・マイナンバー法や防犯カメラ設置、通信傍受等が監視社会になると主張している反対論者と支持基盤が共通している不思議さに気が付きます。
防犯カメラやドライブレコーダー等の記録によるプライバシー被害と防犯カメラ等があることによるメリット・・社会の安全とどちらを選ぶかの問題であって、「監視社会になる」と言っていれば済む話ではないことをOctober 26, 2014「共謀罪6と立法事実3」で書きました。

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