デモと民意

漸く安保法案が国会通過しましたので、今日は割り込み記事です。
健全な議論を避けるために、戦争反対とか平和主義と言う訳の分らないスローガンばかり叫んでいて、長期間国会審議に応じないで終わったのは、国民のために不幸な結果でした。
今朝の新聞を見ると民主党の枝野幹事長かな?意味不明な長広舌で不信任案理由説明に1時間44分も演説を続けたと書いています。
これでは言論権の濫用でしかありません。
意味のある言論を戦わすのが立法府です。
権利の乱用とは権利・権力を持っている方が濫用するものですが、最近では弱者を標榜する方が濫用する傾向が目に余ります。
数十年前から弱者保護が進むと、エセ同和がはびこり問答無用式に役所を脅かす「ゴロ」が目に余るようになり、この対策が進んで来ました。
その他少数民族と言えば、おおきな利権があるので、この方面でも悪質なエセ少数民族がはびこっていると言われます。
デモ行進も同様です。
佐倉宗吾郎のように命がけで已むにやまれず決起するときには、そこまで追いつめられている無言のバックがあります。
中国の場合も同様で、臓器を取り出されたり殺されるのが分っていて暴動を起こすのは、その何十倍〜何百倍もの不満をバックに抱えていることの証明です。
学力テストや一定資格試験も、資格取得に必要な何万と言う知識の一部の抜き取りテストで、これを知っているならばその何百何千倍もの知識があると言う想定でやっています。
この場合出第を知っていて、その答を覚えて来る人ばかり受験すると、テストの意味がなくなります。
失業率も、見栄えを良くするためにカウントの仕方を変えれば良いし、(韓国の場合大卒が中小企業就職を断ると、失業率にカウントしないと言われていて、新卒の就職率がもの凄く低いのに、・・売春婦は勿論失業率にはいっていないでしょう・・失業率に反映しないことが知られています。
GDPも同様です。
中国が国力を簡単に見る物差しに粗鋼生産量やGDPが使われていると知ると、需要無視してドンドン生産してしまい工場内に野積みされている製品が山のように積んでいる始末→今や出血輸出で世界中が困っています。
鉄道であれ何であれ、クルマ生産で言えば、日本やアメリカを追い越すことが目的となれば需要無視で工場を造って行きます。
今になると鉄道車両工事の赤字受注競争に走っているようです。
以前書きましたが、GDPは正常な状態・・需要に応じて生産しているとすれば、それは国力比較になりますが、国費投入で需要無視の生産をしているとした場合、生産力は何のプラス基準にもなりません・・むしろ何年か先に必ず到来する過剰生産能力整理のマイナスコストとして評価されます。
このマイナス評価が・・食べ過ぎの結果、当分食事制限・・薬が必要と・・世界中が考え始めたのが上海株暴落前後の中国経済です。
民主国家での、デモの場合はどうでしょうか?
命がけどころか、社会的地位にマイナス効果が全くありません、一定組織・グループに属している場合、デモに行って来たり過激な発言することで組織内の地位・立場が上がる関係です。
えせ同和の背後に数千人困った人がいるのではないのと同様に、似而同和と同じにするな!と叱られそうですが、そう言う意味ではありません・たとえ話です・・ピッタリした喩えが今すぐに思いつかないだけです・・関係ないたとえ話だと思う方はそのように否定的にお読み下さい。
今のデモは・・噂だけで統計があるのどうか知りませんが・・プロ活動家と言われる人が中心になっていると言う評判です。
分り易い例で言えば、全学連何とか派牛耳っている大学の場合、その大学の学生全部を代表して政治活動しているかと問えば、100%の人がそんなことはない筈と答えるでしょう。
早稲田や中央、法政等の何%の学生が、学生自治会の政治活動を支持しているのでしょうか?
先進国では今の時代、1万人のデモがあればその背後には、数百倍の支持があるのではなく、せいぜい1、何倍くらい・・多くても2倍程度が限度かも知れません。
今朝の日経新聞朝刊には、難民受入れに消極的な英仏では、1万人規模の受入れ要求の人権団体のデモがあると報じていましたが、英仏両政権は受入れ消極的姿勢を崩さないと書いています。
その理由は、移民による弊害を主張する勢力の方が強くて受け入れを表明するとかえって政権基盤が損なわれる心配の方が強いからだと言う解説がついていました。
今や先進国では政治活動を活発にやるグループもいるし、活発でないグループもいるので、デモの数だけでは、世論を読めない時代がきていると言うこと・・私の意見の証明です。
英仏ともに何千万と言う人口の国で、1万や2万のデモでは、ホンの少数意見の代弁に過ぎないと言う考え方です。
安保反対デモはマスコミによれば、1万人前後連日集まっていたようですが、ほぼ同じメンバーが繰り返し行っているプロ集団中心で飛び入りは僅かのようですから、・・マスコミは如何にも飛び入りがいるかのような報道をしていますが、(どこそこから初めて来たと書いていて如何にも実在人物のような記事ですが・・)匿名ですので普段からしょっ中やっている「やらせ」延長可能性が大です(文字に書くだけなので、創作可能でやらせの必要すらありません・・・)一億数千万の人口のうち本当に何人が反対しているかマルで見えません。
日本マスコミだと1万人前後参加でも、BBC報道だと5千人程度しかないなど数字も多めに書いていていい加減・・信用性が乏しい状態です。
報道写真を見ても、歩道を歩いている人だけで万単位にもなるのかな?と言うのが素朴な疑問です・・元々東京の場合一般の通行人もデモのために歩けないで滞留している人も一杯います。(5分も人の流れが止まったら大変な数です)
やはり法案反対運動ならば成熟した民主国家の一員として、スローガンで誤摩化したり、時間だけ稼ぐような内容のない長広舌を振るったり、憲法違反と言うだけでなく、内容のある反対論を展開して欲しいものです。
具体的な意見を聞きたいのですがさっぱり聞こえて来ないのが残念・・私の頭が悪いだけと言う批判もあるでしょうが、弁護士が理解出来ないような状態では一般国民が理解出来ないのは当然・・スローガンばかりで内容を理解できないようにしておいて「国民の理解が得られていない」と言う変なマスコミ報道が衆議院議決後にありましたが、さすがに(私がこのコラムで批判したのが効いたのか?)最近この種の報道が減りました・・そのうち国民の方が何のために野党政治家がいるのかな?と呆れるのではないでしょうか?

民意を反映する政治(任期の短さ)

我が国は古代から季節の微妙な移ろいに感じては歌を詠み、(たとえば「秋来ぬと目にはサヤカに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」中高校生時代のうろ覚えの記憶ですので間違いがあるも知れません)日々の温度差によって衣類(色柄までも)や食事内容を変えて行く、日々調整している社会ですからコマメな変化に対応する文化が根付いています。
フランス革命を自慢すること自体民意無視政治が長過ぎた・恥ずかしいことだと言う意見をこのコラムで書いてきましたが、日本では気配り社会ですから革命が起きるほど民意の不満が蓄積するまで放置することはありません。
赤ちゃんが泣く前におむつを取り替えたりミルクをやったりするのが日本の母親です。
ボトムアップ社会ですから、指導者が引っ張る必要もないし、無理に引っ張れば不満が出ます・・ヒーローも必要がありません。
松平定信の改革が国民の不満が強く短期間でお役御免になったり、天保の改革の水野忠邦も同様でした。
民主主義と言う大げさな観念のない徳川時代でも、実際の政権担当者・老中(若年寄りも合議に参加すること以前紹介しました)構成員・今の内閣に似た合議体ですが、概ね数年前後で順次変わって行く社会でした。
歴史上有名な、新井白石(正徳の治・・1710年の正徳元年〜1716年吉宗就任まで)や田沼(明和4年(1767年)から天明6年(1786年)まで20年間・寛政改革の松平定信(1787年から1793年)や天保改革の水野忠邦(1841年(天保12年〜14年)政権時代と言っても、そんなに長くありません。
田沼政権は家柄出身(紀州徳川家足軽出身)でもないのに、20年も長期政権を維持出来たのは、出自の故に?気配りが利いて民心の機微を察知してその都度軌道修正する柔軟性があったからかも知れません。
田沼の失脚は(将軍死亡で失脚ですが実態は)天明の大飢饉等気象状態悪化によるものでしたが、凶作対策は一朝一夕の政策変更でどうなるものでもないので、(たとえば寒冷化に強い稲の品種改良等には長期間を要します)彼の失脚を狙う勢力に負けてしまったと言えます。
次の改革者松平定信は、自分の領内で飢饉用に食糧備蓄していた功績を買われたもので、現在の財務官僚好みなので、歴史教育ではこれを大きく取り上げて、積極政策をして来た田沼の悪口ばかりですが、定信のやったことは結局、倹約・・財務官僚やIMF官僚の好きな緊縮政策だけです。
質素倹約を訴えるだけなら誰でも出来ます。
庶民生活が発達している我が国では、彼の緊縮一点張り政策は庶民生活窮屈さ(派手な衣類からお歌舞伎や書籍出版まであらゆる分野で禁止して・戯作者を手鎖の刑にした)や経済不振に直結しますので、民意の支持を失ってすぐに失脚しました・田沼のような軽輩出身ではない将軍家の血筋そのものであっても無理が出来ない社会・・民意重視社会であったことが分ります。
※「白河の清きに魚は住みかねてむかし濁れる田沼恋しき」とか「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武文武(ブンブブンブ)と夜も寝られず」などの政権批判が多く出たのは彼のときです。
以前から秀才にはロクなものがいないと言うのが私の持論(私自身秀才でないのでやっかみもあります)であちこちに書いてきましたが、定信は超エリートの田安家出身で若いころから秀才の誉れ高いホープでしたが、秀才は書籍で得た知識中心ですから、財務官僚好みの「贅沢は敵」程度の簡単ロジックを深く学んだ程度の能力はあるでしょうが、自己創造性の必要な政治家向きではないことが分ります。
政治家の任期に戻りますと、田沼時代を除けば、戦後の最長不倒政権と言われる佐藤栄作で8年、中曽根、小泉政権でもせいぜい5〜6年前後しかないのと似ています。
マスコミや文化人から(暗黒の)非民主時代と非難されている明治憲法下・・戦前の内閣ではもっと政権は短命でした。
以下歴代内各年表を見ておきましょう。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/hirosilk/naikaku.htmからのコピーですが、ふりがなその他の主な出来事に付いては一部省略しています。
第1代  伊藤 博文   1885-1888   内閣制度発足
第2代  黒田 清隆   1888-1889   大日本帝国憲法発布
第3代  山県 有朋   1899-1891  
第4代  松方 正義   1891-1892  
第5代  伊藤 博文   1892-1896  第2次
第6代  松方 正義   1896-1898  第2次
第7代  伊藤 博文   1898-1898  第3次
第8代  大隈 重信  1898-1898  第1次
第9代  山県 有朋  1898-1900  第2次
第10代  伊藤 博文   1900-1901  第4次
第11代  桂 太郎   1901-1906   第1次
第12代  西園寺公望    1906-1908   第1次
第13代  桂 太郎      1908-1911 第2次
第14代  西園寺公望   1911-1912  第2次
第15代  桂 太郎     1912-1913  第3次  
第16代  山本権兵衛   1913-1914  
第17代  大隈 重信      1914-1916  第2次
第18代  寺内 正毅    1916-1918
第19代  原 敬       1918-1921
第20代  高橋 是清    1921-1922  
第21代  加藤 友三郎  1922-1923
第22代   山本 権兵衛    1923-1924 第2次
第23代   清浦 奎吾    1924-1924
第24代  加藤 高明     1924-1926
第25代  若槻 礼次郎   1926-1927 第1次
第26代   田中 義一    1927-1929
第27代  浜口 雄幸     1929-1931
第28代  若槻 礼次郎      1931-1931 第2次
第29代  犬養 毅      1931-1932
第30代  斎藤 実      1932-1934
第31代  岡田 啓介     1934-1936
第32代   広田 弘毅    1936-1937
第33代  林 銑十郎      1937-1937
第34代 近衞 文麿    1937-1939 第1次
第35代  平沼 騏一郎    1939-1939
第36代  阿部 信行    1939-1940
第37代  米内 光政    1940-1940
第38代  近衞 文麿    1940-1941 第2次
第39代   近衞 文麿     1940-1941 第3次
第40代   東條 英機     1941-1944
第41代   小磯 国昭     1944-1945
第42代   鈴木 貫太郎  1945-1945
第43代   東久邇宮 稔彦王  1945-1945 降伏調印

第44代 幣原 喜重郎   1945-1946
第45代 吉田 茂      1946-1947 第1次 日本国憲法の公布
第46代 片山 哲    1947-1948
第47代 芦田 均    1948-1948
第48代 吉田 茂   1948-1949
第49代 吉田 茂   1949-1952   第3次
第50代 吉田 茂   1952-1953  第4次
第51代 吉田 茂    1953-1954 第5次
第52代 鳩山 一郎  1954-1955   第1次
第53代 鳩山 一郎  1955-1955  第2次
第54代 鳩山 一郎  1955-1956 第3次
第55代 石橋 湛山  1956-1957
第56代 岸 信介  1957-1958  第1次
第57代 岸 信介  1958-1960  第2次
第58代 池田 勇人 1960-1960 第1次
第59代 池田 勇人 1960-1963 第2次
第60代 池田 勇人   1963-1964  第3次
第61代 佐藤 栄作 1964-1967 第1次
第62代 佐藤 栄作   1967-1970 第2次
第63代 佐藤 栄作   1970-1972 第3次
第64代 田中 角栄 1972-1972 第1次
第65代 田中 角栄 1972-1974 第2次
第66代 三木 武夫 1974-1976
第67代 福田 赳夫    1976-1978
第68代 大平 正芳 1978-1979 第1次
第69代 大平 正芳  1979-1980 第2次
第70代 鈴木 善幸 1980-1982
第71代 中曽根 康弘 1982-1983 第1次
第72代 中曽根 康弘 1983-1986 第2次
第73代 中曽根 康弘 1986-1987 第3次
第74代 竹下 登 1987-1989
第75代 宇野 宗佑 1989-1989
第76代 海部 俊樹 1989-1990 第1次
第77代 海部 俊樹 1990-1991 第2次
第78代 宮澤 喜一 1991-1993
第79代 細川 護煕 1993-1994
第80代 羽田 孜 1994-1994
第81代 村山 富市 1994-1996
第82代 橋本 龍太郎 1996-1996 第1次
第83代 橋本 龍太郎 1996-1998 第2次
第84代 小渕 恵三 1998-2000
第85代 森 喜朗 2000-2000 第1次
第86代 森 喜朗 2000-2001 第2次
第87代 小泉 純一郎 2001-2003 第1次
第88代 小泉 純一郎 2003-2005 第2次
第89代 小泉 純一郎 2005-2006 第3次
第90代 安倍 晋三 2006-2007 第1次
第91代 福田 康夫 2007-2008
第92代 麻生 太郎 2008-2009
第93代 鳩山由紀夫 2009-2010
第94代 菅 直人 2010-2011
第95代 野田 佳彦 2011-2012
第96代 安倍 晋三 2012-2014 第2次
第97代 安倍 晋三 2014~ 第3次

歴史上有名な道長のような長期政権を除いては、古代から2〜3年で入れ替わって行くのが我が国での原則的形態です。
江戸時代老中の在職期間表もありますが、これを引用すると膨大過ぎるので省略しますが、関心のある方は以下のデータをクリックしてご覧下さい。
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/rekidai/rouju.htm
老中は今の国務大臣みたいなものですから、在職年数が仮に10年あってもその間ずっと首座(指導権)にあったことにはなりません。
老中は概ね4〜5人で構成していて、首座は先任者がなるので、結局は2〜3年交代であったと思われます。

民意無視集団の帰結

2014ー12ー23の「12月14日総選挙と民意3」前後のシリーズ以来、民意無視のマスコミや政治家を批判してきましたが、政党に限らず民意無視の政治家個人も淘汰されて行くべきです。
旧社会党は「民意がどうの」と反対ばかりしていたのに、実際には民意をバカにして来た結果、ジリ貧になって社民党と名称を変えましたが、それでも漸く政党条件を満たす程度がやっとの政党になっています。
今回の総選挙では選挙区では沖縄選挙区で一人しか当選せず、これに九州で比例復活が一人の2人当選しただけでした。
定数495人中2人しか当選しないのでは「国民の意思」の代表と言っても、結果が証明しているのではないでしょうか?(前回も2人だけですからこれが実態でしょう)
まして唯一の選挙区当選したのが沖縄と言うのでは、日本民族全体の代表と言うには大分遠い(沖縄地域代表?)主張を長年していると言えませんか。

社民党の今回選挙での公約を社民党のオフィシャルウエブから引用しました。

社民党4つの約束
約束1 アベノミクスによる生活破壊を許さず、拡大した格差を是正します

約束2 「戦争できる国」に向かう集団的自衛権行使は認めず、平和憲法を守ります

約束3 原発再稼働は認めず、脱原発社会の実現目指し再生可能エネルギーを促進します

約束4 TPP参加に反対し、農林水産業と地域社会を守ります

以上が社民党の公約ですが、この支持をしたのが、全国で2人だけとは少な過ぎませんか?
日米安保反対→基地闘争に特化していた結果、反基地闘争意識の残った地盤が沖縄限定になって行ったと見るべきでしょうか?
(列島内に多くの米軍基地がありますが・・何故沖縄だけ反基地の声が大きいのか・・基地の大きさだけでしょうか?)
韓国の要求拡大に堪忍袋の緒が切れて「いい加減にしろ!」となったのが昨今の日韓関係ですが、(中国の後押しを受けた?)沖縄の要求に対する許容枠も限度が見えて来た「・・いい加減にしてくれ・・」と言う国民感情が芽生え始めたのが今回の衆議院選挙とこれに先立つ県知事選の結果です。
数日前、沖縄知事が上京したものの、政府要人との面会すら出来ずに終わったことや、沖縄関連予算の大判振る舞いを見直すニュアンスの政府高官発言が目立って来たことが国民の空気変化を表しています。
韓国が逆ギレして反日運動を世界大に拡大して行った結果、取り返しのつかない嫌韓感情を日本人に定着させてしまったように、沖縄がこの機会に反日闘争→中国寄りにシフトして行くのかを注視して行くことになります。
中国や反日組織にとっては、本土と沖縄の感情もつれの激化は最も望んでいるところでしょうが、沖縄県民が情報操作に惑わされずに自制出来るかの重要な選択が始まろうとしています。
日弁連は、どうでしょうか?
公的活動をしているものの、強制加入団体であって国民による信任を直接必要としていません。
それどころか朝日新聞のような不買運動・市場による矯正に直面することすらもないので、最強の制度下にあります。
大学学生自治会を過激集団が牛耳ったままでも、大学制度全体の地位低下・大学が倒産しない限り、是正作用が働かない現実をNovember 23, 2014「日弁連と政治2」で書いたことがありますが、似たような状況です。
この強さに比例して何をやっていても政党やマスコミのように外部からの是正作用が働かない点は一種の弱点でもあります。
日弁連は国内唯一の強制加入団体・独占団体(・・各地単位会も東京を除いて地域独占ですから似たような傾向)ですから、競合する団体がないことから、朝日から読売〜産経へと乗り換える選択肢すらありません。
国民意見による選択・修正がないので、強固な自治権のもとでは余程自制しないと、却って傷が深くなってしまう危険性があります。
批判が許されない独裁政権は、外見上強く見えますが、その代わり柔軟性に欠けているのである日ぽっきりと折れるか内部から崩壊するのが普通です。
デパートやスーパーの利便性がなくなるとコンビニに負けて行くのですが、弁護士の場合、政治的意見と日常業務処理能力とはまるで関係がないので、市場淘汰のリスクがありません。
外科医がどんな政治意見を持っていても手術の成功率は同じですし、コックであれ何であれ職人系はそう言うものです。
(このことは、逆から言えば弁護士団体が業務に関係のない特定政治意見で頑張る必要がないのに頑張っている・・趣味の世界であることをあらわしています)
学生自治会をどんな過激派が牛耳ろうとも、大学教育レベル・・大学の浮沈に関係がないのと同じような関係です。
国民遊離した政治意見ばかり発表して運動していても、代議士と違って法律を作る権力もなく、何の強制力もないので、国民がこれに取り合わなければ日本にとって何の実害もありませんし、構成員弁護士も日常業務に何らの影響もありません。
影響がなくなれば、今の全学連が何を主張しているか殆どの国民が知らないように日弁連やマスコミが何を言っても国民は気にしなくても良いことです。
ただ国際的反日宣伝運動をされると日本民族にとって不利益なことですから、これをどうするかです。
韓国や中国政府がいくら反日宣伝をやっても「そう言う国」と言う評価が定着していて、今では世界が本気で相手にしなくなっています。
例えば、集団自衛権の前向き検討や靖国参拝を→「軍国主義復活」と言う中国や韓国の主張をまじめに信用している国が世界に1つもないのではないでしょうか?
これをそのまま「アジアで孤立する」と宣伝しているのは、日本マスコミとそこに出たい学者文化人くらいの印象です。
日本マスコミも中韓同類(中韓の宣伝別働隊?)だと世界中が見てくれるようになるのを待つしかないのでしょうし、朝日新聞の度重なるねつ造?誤報道を見ていると、日本マスコミによる日本批判があっても「またか?」とする国際評価がその内定着して行きそうな雰囲気です。
「財政赤字が大変だ」と言う偏った(変な)報道も国際経済市場では相手にされていません。
ただ、マスコミは世界各地に大量の駐在員を置き切れないので、(数人置いたくらいでは独自調査する能力がないので)各地マスコミの意見をそのまま転載または翻訳するだけの仕組みは今後も変わらないでしょうが、購買数が激減して行けば海外の信用も落ちて行くようになるでしょう。
日弁連や単位会がどんな政治運動をしても、弁護士の日常業務には関係がないと言えますが、偏った変な集団と言うレッテルが貼られると新規参入者のレベルがドンドン低下して行くリスクがありますので、やはり社会で尊敬される集団であり続けたいものです。

12月14日総選挙と戦後政策の総決算1

マスコミ発表を国民が信じていなくとも、政治家と違って投票による是正方法がないのでスキなように報道出来て都合が良いのですが、その代わりマスコミは自己満足・裸の王様になり勝ちです。
マスコミ意見と民意が乖離して来ると選挙が怖くなるので・・「大義なき解散」とか選挙費用が勿体ないとか選挙を回避したいような報道が充満していたのかも知れません。
そう言えば選挙の御陰で年末の忘年会などパーテイのキャンセルが多く困っていると言う変な特集記事まで大きく出ていました。
報道の自由が民主社会において重視されるのは、自由な批判によって健全な民意を育成する必要があるからですが、報道機関が、金がかかるなどと民意反映手段である選挙を怖がっているのでは、本末転倒・・存在意義がなくなっていることを自白しているようなものです。
こう言う馬鹿げた報道をを繰り返しているうちに新聞購読者やテレビ視聴者が減って行き、ネット経由情報に負けて行くことになる→ネット系で食べて行けるならば、本当のことを発表出来る場所に人材が集まるようになって行くでしょう。
物販がデパートからスーパーへ更にはコンビニに主役が変わって行くのに比例して人材も入れ替わって行くのと似ています。
この後で書いて行きますが、日弁連も国民の信任を直接必要としていない点では同様の弱点を抱えています。
「争点がない」「大義がない」と言う今回の選挙期間中のマスコミ主張に戻ります。
マスコミや人権団体は安倍政権の各種政策決定を「国民の意思に反する」と(国民の意思を判定して)宣伝していたのに、選挙になるとこれらを争点にしなくなりました。
マスコミが勝手に決めたことだけが争点であるべきであり、それ以外を国民が判定するのはけしからんとでも言うような勢いです。
「争点がない」としきりに宣伝するのは安倍政権の信任・選挙効果・民意を薄める工夫に励んでいるのではないかと言う批判が起きてきました。
このネット批判に抗し切れなくなったのか?(争点がなくて投票したい人がなくとも)「投票に行きましょう」と宣伝しているのは、半ば行かない方が良いと言っているようなものですが・・)途中からアベノミクスは大失敗と言う意見記載が増えてきました。
ちなみにここ数十年入れたい人がない・・と言う選挙忌避誘導系の報道が幅を利かすようになっていましたが、マスコミあg何の根拠でこう言う報道を垂れ流すようになったのかも不思議です。
そもそも選挙は入れたい人がいるから選挙があるのではなく、一定期間・一定のタイミングで誰かがやめたときの後任選びに参加出来ることに意義があるのです。
誰かをある人の後任にしたいと狙っている人ばかりではなく、選挙権のある人がその後任選びに参加出来ることに意味があるのは当然であって、予め自分の意中の人がいることの方が少ないのは当然です。
これは各種の受験採点であれ、面接試験であれ前もって誰かを通したい思って試験官になっていることの方が例外であると言えば分るでしょう。
今秋北京で開かれたAPEC大会直前からの小笠原諸島に中国漁船が大量に領海侵犯・珊瑚乱獲騒動で言えば、海上保安庁が巡視船を増派した結果漸く収まってきました。
非武装平和論者・・戸締まり不要論者はこういう事態に備えてどう言う効果を期待して非武装・戸締まり不要論を主張していたかを、これら侵犯事件直後の選挙戦で明らかにすべきでした。
12月22日ころから北朝鮮によるソニーピクチャーズに対するサイバーテロが国際問題になっているように、韓国による慰安婦騒動や中国の南京大虐殺宣伝も情報戦と言う意味では現在の国防論の一種・最前線に位置するものでした。
安全保障政策は国家・国民の重大関心事ですから、これが具体化している最中の選挙では、これが重要争点であるのが明らかです。
日本社会では自己が正しければ黙って耐えていてもいつか理解を得られる・・相手が恥ずかしくなって自制するようになる前提です。
アメリカの支配する国際社会ではアメリカに都合の良いようにでっち上げた噓がそのまま歴史として積み重ねられて行く・・不正が横行する社会であると言う現実です。
中国による反日暴動に続く尖閣諸島侵略行為、小笠原での白昼公然の強盗的な資源略奪や東南アジア諸国に対する侵略行為・・これに連携した韓国の慰安婦騒動で明らかになったことは、反論・反撃すべきときには反論・反撃すると言う毅然たる行動が必要と言うことではないでしょうか?
中韓両国は日本が我慢していれば、噓を更に大きくして来るし、いくらでも侵略して来る図々しい民族であると言う事実です。
でっち上げ情報による要求に対して断固反撃して行ったことが、中韓の主張を根拠なく事実であるかのように繰り返していた朝日新聞を謝罪発表に追い込み日本の名誉を守ったと理解している国民が多いのではないでしょうか?
何の反論もしないで相手が噓でも損をしたと要求して来れば謝罪の繰り返しが正しいとする戦後政治・・これは非武装論と結びついていた行動様式だったように思えます。
22日ブログ冒頭に書いたようにアメリカ支配・・戦後秩序の揺らぎにあわせて、今回は戦後政策を総括すべき選挙だったように見えます。
アメリカ一強の時代には、憲法前文に書いてあるとおり、アメリカの「諸国民の公正と信義」を信じていてもそれなりのメリットがあったのですが、パックスアメリカーナが崩れ始まるとそんな悠長なことを言ってられなくなります。
小笠原諸島での珊瑚強奪行為はまさに白昼の強盗行為そのものですが、強盗したい国が周辺に跋扈している以上は、自分である程度国民の生命財産を守るしかないと考えるかどうかの選挙でした。

憲法前文
「・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・」 

12月14日総選挙と民意3

選挙で信を問わない政治・・「国民はバカだから選挙のときは誤摩化せば良い」のだと言うマスコミの基本姿勢に関する批判は「2院制と制限選挙論Published October 3, 2012」で引用しているように野田政権の増税決定の頃に連載しました。
実際、私の弁護士駆け出しころの革新政党・・オルグに来る人たちは、エリート意識が強く「庶民は無知蒙昧だから啓蒙する・指導してやる」と言う前衛思想で満ちあふれていました。
少しばかり分ったような応答をすると、「先生のように理解されている方は良いのですが・・」と反対論者を如何にも理解の悪いバカ使いするのが普通でした。
バカだと言われるのが恐くて、みんなもの分りよくなる便利な説得方法です。
裸の王様を裸と言えないようにして行くやり方と言うべきでしょうか?
繰り返し書いていますが、共謀罪法案反対論者が「近代刑法の精神に反する」と言う意味不明のブランド提示で相手の反論を封じて満足しているのもその一環です。
現在のありようならば国民が肌で知っていますが、「近代刑法の法理」違反と言われると目くらましにあったような感じで、反論する方にはためらいが生じる・・「近代刑法の法理」ってどう言うものですか?と聞き返す勇気のある人が少ないのです。
聞き返すと自分の無学が知れてしまうような感じで黙ってしまう・・のを狙ったものでしょう。
お勉強した自分たちだけが知っているブランドを提示すれば、専門に勉強したことのない者(私のような法律家の端くれでも一瞬「あれっ!何だったかな」と迷い、充分に理解していないことがバレるのが怖い気持ちがします)は黙ってしまう効果を狙ったものですが、これも・・「俺たちは偉いんだぞ!」と言う前衛思想のバリエーションです。
そもそも増税の可否は国民にもっとも利害のあることで高尚な学問がなくとも誰でも理解可能ですし、(イギリスの革命もアメリカの独立革命も税負担に端を発してることは歴史が証明しています)一国経済の浮沈に関わる大事ですから、今回の増税可否騒動は、選挙最大の争点になるべきでした。
野田政権では、マスコミ界全部と経済学者や官僚がこぞって選挙しないで実行してしまうべきだと言う変な論理だったことについて、私は今日コラム冒頭に記載のとおり違和感を持っていました。
今春の3%増税だけで大幅な経済失速が始まっているのですから、この上に追い討ち的増税実行すれば経済学者がどのようにひねくろうとも日本経済が大打撃を受けるのが誰の目(素人目)にも分っている・・その結果・政治効果で見れば安倍政権転覆に繋がるのは目に見えていました。
日本経済がどうなるかよりは、これを無理に実行させて安倍政権を潰そうとする自民党内の勢力が財務省や野党と連携して増税実行の大合唱をしていた疑いがあります。
この包囲網に対して、安倍総理が解散に打って出て、「増税反対に反対するならしてみろ」と勝負をかけたことによって、政界やマスコミは一斉に増税実行要求を翻して延期賛成論・・不戦敗方針に転じてしまい、「争点なき選挙」だと宣伝し始めたと言う印象でした。
争点がないと言う宣伝が、低投票誘導・・民主政治否定論・・マスコミに自殺行為だとして、ネット批判を浴びるようになると、アベノミクスの功罪について、増税後の今夏以降の景気失速を(増税実行の結果によることを抜きにして)アベノミクスの失敗が露呈したとそれとなく攻撃する論文を次々と掲載していました。
マスコミがすり替え宣伝をしていても、何が経済失速の原因になっていたかを賢こい国民が黙ってみています。
以前から書いていますが、ネット発達によってマスコミによる情報独占がなくなると、日本の場合国民レベルが高いので、マスコミ宣伝に誘導されにくい社会になっていることをマスコミ関係者は「まだ充分に」理解していないようです。
衆議院解散が決まると政治家やマスコミが態度をころっと変えたことから見れば、増税は国民の意思に反していることを彼らは知っていたと推定されます。
マスコミ総動員して増税必要性を洗脳しようとしても国民の意思を変えられなかったことを知っていながら、なお「争点がない」と欺瞞的報道をしていたのは、まだ報道次第で国民を誤摩化せると言う不思議な信念・・国民の理解度・レベルを十分理解していないからと思われます。
自分たちと国民の理解度・知能レベルには、隔絶的な差があると言うエリート意識・過信が基礎にあるからではないでしょうか。
実際には情報操作能力差があって国民はマスコミに反した意見を発表する場がなかった・・本当の意味での言論の自由がなかったに過ぎないことを、まだ押し通そうとしているのではないでしょうか?
専制国家では裸の王様を見ても、誰も裸だと言える国民がいなかったのと同じです。
古代アテネの民主主義と言っても、一握りの市民間だけでの民主主義だったのと同じで、現在社会で言論の自由と言ってもマスコミの気に入った意見しか発表されない自由でしかなかったのです。
朝日新聞等の投書欄でも朝日の誘導したい方向の意見しか採用されないと普通に言われています。
このことは池上彰氏の担当していたコラムで朝日新聞の慰安婦報道の謝罪不足を書いたら、掲載拒否された事件が起きたことからも証明されています。
池上氏のような高名な人の連載記事でさえ、意見があわないと掲載拒否していたのですから、名もない庶民の投書が没にされても誰も文句を言いませんし、ヤミの中です。
これの繰り返しの結果、朝日新聞に限らず大手マスコミの気に入った思想傾向の人しか投書さえしなくなりますし、一本釣りの論文などは言わずもがな・・一定方向の論文ばかり報道されます。
このようにマスコミによる情報操作が激しくなり、マスコミの言う民意と国民意見の違いが大きくなりますと、選挙で特定争点を明示してマトモに民意を問うとマスコミの言う国民の意見と大違いの結果が出る心配が生じます。
そこで総選挙では意図的な争点ぼかし、あるいはマスコミがでっち上げた?国民に関心のない別の争点造りが流行になって来て国民は選挙に行く気がしなくなる・・投票率低下を演出して来たのはないでしょうか?

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