原発のコスト1(輸出リスク)

原発に関連する巨額交付金と地元の責任に関して、June 11, 2011「巨額交付金と事前準備3」前後からJune30 2011「交付金の分配」まで書きましたが、書きかけのテーマに戻っていたので原発問題から遠ざかっていました。
その後、交付金の恩恵を受けていない市町村でも大きな被害が出ていることからその市町村からの自分たちにも交付金をよこせと言う不満が時々報道されるようになっています。
交付金をもらっていないで被害を受けている市町村の不満・・ひいては貰っていた市町村は「何のために貰っていたのだ」という私の議論に繋がって行くでしょう。
今回は最近関心の高い原発廃止、停止・・ひいてはそのコスト・輸出問題にちょっと戻ってみます。
原発コストの方が火力より安いという産業界や伝統的支配層の意見ですが、これが本当かどうかの関心です。
今後原発縮小ないし廃止方向への国民意思は固まっていると思いますが、コスト問題は原発設備工事の海外受注の是非と大きく関わる問題ですからきっちり詰めておく必要があります。
今後海外受注をするには事故があったときに業者だけではなく、日本国政府による全面保証付きでないと受注出来なくなって行くでしょうから、事故賠償がどのくらいになるかのリスクもコストに含めて計算しておかないと、もしものときには国が破産するほどの巨額賠償に発展する可能性があります。
韓国業者がパラオだったかで建設した橋が直ぐに崩壊してしまったことがあって、損害賠償段階で受注企業が倒産し、韓国政府は民間のことは責任がないとして責任をとらずに、結局日本が無償協力か何かで橋を再建したことがありました。
現地では韓国企業の信用はがた落ちでしょう。
原発も同じで民間のことは政府は知りません(保証していないから)と言ってたのでは、次の受注が出来ません。
これからの原発受注は事実上の責任だけではなく、法的にも保証書を入れないお発注しないとなるのは目に見えています。
こうしたコスト計算をきっちりしないまま、もしも海外受注時に政府が勝手に(国民の知らぬ間に)保証するような事態になると国民は大変な迷惑を被ります。
法的に保障しなくとも製造物責任類似の責任が問われることも考えられます・・例えば福島で海に放射性物質を大量放出した場合、これがカナダ方面に回遊して行きカナダやアメリカで海産物がとれなくなった場合、契約で保障していなくとも損害賠償問題に発展する可能性が大きいでしょう。
事故直後に行われていた燃料棒のプールや原子炉本体への大量放水作戦時のコラムで書きましたが、・・・・・あれだけの水を投下して、それがどこに行ったのかの報道がまるでありませんが・・海に流出しているとしか考えられません。
(途中から、建家内の地下に充満していることが報道されるようになりましたが・・・)
また、ほうれん草や野菜についている放射性物質は、良く洗えば大丈夫とのことですが、その水はどこに行くのかとなれば最後は海に流れている筈です。
放射性物質は何十km川を流れて行っても化学変化しないので性質を変じて行かないし、牛や豚、人、植物が一旦吸収しても食物連鎖を経て、あるいは焼却しても煙は気流に乗ってまた降り注いで周辺汚染を繰り返しますし、灰には高濃度の放射性物質が残りますから、最後は(隔離管理しない限り)海に流れて行くしかないことになります。
結果的に(半減期が来るまでには)海に全部流れて行くとすれば、大気中あるいは、海に放出された放射性物質の総量が重要になります。
今回の水素爆発とその後の冷却化が進むまでは冷却水の蒸発が続いていますので大気中に放出された放射性物質は、すべて最終的には稲藁の販売や牛その他畜産物、農産物の販売等・・人間の移動等を通じて、全国に拡散しがらも結果的には周辺海域に流出して行くことは間違いがないでしょう。
気流や海流の方向性を研究しても総量が分らないと、どの辺で立ち消えになるのかどの辺まで拡散すれば害のない程度・濃度になるのかが分りません。
量が多いときには、太平洋全体に広がってもなお危険かもしれません。
その量によっては、福島原発周辺のどの辺の海まで一時的に(一定期間)どのような濃度で汚染されることになるのかのマップが必要です。

原発特別措置法1

原発措置法を書こうと思っているうちに話が原発運転再開同意権にそれましたが、原発特別措置法でバラまかれている数字の実態はシンクタンク・・新聞社などで調査しないと簡単には分りませんが、多分大変な額になるでしょう。
沖縄の措置法も同じくあちこちに分散しているので簡単には分りません。
この特別措置法の結果、福島県で言えば、電源三法による年間130億円の給付だけではなく、これにプラスして総額不明ですが多分巨額資金が出ていることになります。
巨額迷惑料・補償金をもらっていたならばその何十分の一の資金で予め用地取得その他の準備をしておけば、今回の被害をかなり軽減出来ました。
巨額の迷惑料・補償金をもらっている以上は、
「ある程度の危機管理の準備くらいはしておいて下さいよ」と言うことです。
ここのシリーズのテーマは、準備しなかった役人や政治家を非難するのが目的ではなく、ましてや事前準備のない中で奮闘していた管政権や東電社長や幹部を非難すべきではなく、今後は危機管理システムの整備が必要と言う目的で書いています。
不安に対する補償金とは被害が具体的に生じない前段階の解決金という意味でしょう。
具体的被害があっても6月14日に紹介したように、騒音被害や電波障害が起きているなどの細かな被害に対する長期的被害の前払いもありますが、一般的には具体的な被害が出れば話は別だと言うのが正しい法律論かも知れません・・・。
我々、法律家が関与した裁判外・裁判上の和解の場合、迷惑料の対象範囲に争いが起きないようにきちっと定義しておくのが普通ですが、電源三法や特別措置法の交付金その他の補助金は、政治決着ですので法的意味が明確ではありません。
その実質的意味を探るためにここで条文を見ておきましょう。

原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法
(平成十二年十二月八日法律第百四十八号)

【 改正履歴等一覧 】
最終改正:平成二三年三月三一日法律第九号

(目的) 
第一条  この法律は、原子力による発電が我が国の電気の安定供給に欠くことのできないものであることにかんがみ、原子力発電施設等の周辺の地域について、地域の防災に配慮しつつ、生活環境、産業基盤等の総合的かつ広域的な整備に必要な特別措置を講ずること等により、これらの地域の振興を図り、もって国民経済の健全な発展と国民生活の安定に寄与することを目的とする。
(国の負担又は補助の割合の特例等)
第七条  振興計画に基づく事業のうち、別表に掲げるもので原子力発電施設等立地地域の住民生活の安全の確保に資することから緊急に整備することが必要なものとして政令で定めるもの・・・
(原子力発電施設等立地地域の振興のための地方債)
第八条 (財政赤字団体認定の数字から除外する制度)
財政上、金融上及び税制上の措置)
第九条  国は、前二条に定めるもののほか、振興計画を達成するために必要があると認めるときは、振興計画に基づく事業を実施する者に対し、財政上、金融上及び税制上の措置を講ずる・・・

上記のとおり法制定・・補助金交付の目的は第1条で「地域の防災に配慮しつつ・・」とあり、第7条では「住民生活の安全確保に資する」ためのものですから「防災」災害に備えるための特別資金援助が制度の存立目的と読むべきでしょう。
災害対策を予定しないなら、原発周辺だけに特別な資金を出す根拠がなくなりますから当然です。

原発特別措置法1(原子力安全協定)

福島第一原子力発電所は1号機から6号機まで、第二発電所は1号機から4号機まで合計10基あるので、立地周辺自治体には、当初20年間の補助金だけで(標準計算で)9000億円前後(年平均450億円)も出ているのですが、これは新規立地を促進するための餌みたいなものですから、新設が止まると補助金が減って行きます。
モデル計算によると原発運転前後各10年間に合計約9000億円貰う外にその後も貰い続ける電源3法による交付金の交付実績として、福島の場合2004年に130億円であったことを6月16日に紹介しましたが、最後の6号機運転開始が1979年ですから25年経過後の2004年でも、まだ130億円も貰い続けていたことがわかります。
これらの資金を避難用地取得あるいは地域離脱資金分配などに充てることなく、箱もの行政にあててきた結果その維持費がかかり過ぎて足りなくなって来たらしく、原発立地市町村はどこもかしこも財政赤字団体転落直前で苦しいらしく、2000年から圧力団体が結成されて、2003年からは電源3法だけではなく、特別措置法による別の補助金が追加されることになったことを6月9日のコラムで紹介しました。
特別措置法の条文を紹介するつもりでしたが、間にいろいろ挟まってしまいました。
2004年には年間130億円に減ってしまい苦しくなったので、(小さな町・・4ヶ町村及び周辺住民合計7万人の避難民でこれだけ貰って何故苦しいの?と言う疑問がありますが・・贅沢に馴れたのでしょう)次々と(表向き反対運動しながら)新設要求が出て来ます。
福島第1原発でも7〜8号機の誘致決議があって今年の震災時には着工に向けて進行中であったことを、6月9日に紹介しました。
福島第一原発では敷地が広くて新設余力がタマタマあったのですが、その他は敷地の広さが飽和状態とすれば、新たな立地を求めるには滅多には適地がありません。
2000年頃からは全国的に原発新設が限界になって来たらしく、既存原発立地市町村は強い立場になったのでしょうか、2000年以降全国協議会的な圧力団体が結成された結果、2003年以降原発特別措置法が制定されて新規立地がなくとも既に存在していると言うだけで、各種の補助・・立地市町村では地方債を発行しても赤字財政の認定の計算に入れない・・その分地方交付税で補填するなどの特例が生まれて来ました。
原発には定期点検や細かな事故等でしょっちゅう運転停止がありますが、その後再開するにはその都度地元自治体の同意がいる仕組みになっていて、同意を得るためのハンコ料これが大きな利権・・金の卵を産む鶏みたいな仕組みになっていますが、これをテコにこうした特別措置法が生まれたのでしょうか?
原子力安全協定は、国策としての原発推進の立場から国(経産大臣)にノミ立地や運転許可権限があって、市町村や県には何らの権限もないのに、他方で災害を受けるのは現場の地方自治体であり、災害防止・・災害対応義務が地方自治体の義務になっていることとの矛盾・・隘路にあって、これを解決するために同意権や通報義務・立ち入り調査権などが(紳士協定的に・・・私の個人的推測解釈です)結ばれたのが安全協定の始まりのようです。
このために、裏で利権を供給して「なあなあ」でうまく行っている間は問題になりませんが、住民感情が険悪になって裏取引が出来なくなる・・一旦法的紛争・・ギリギリのせめぎ合いになると、これが紳士協定に留まるのか、政治協定・行政協定かその法的効力については解釈が難しそうです。(研究したことがないので詳しくは分りませんが直感的感想です)
一般の工場の場合は、採算割れすると直ぐに工場閉鎖して他所へ移動して行けますが、原発の場合、まだ廃炉にした経験がないし、どのようにして発電所を立地前の元に戻せるかすら誰も知らない状態です。
車で言えば、走っている途中で故障したら修理する方法も分らないし、走り出したらどのようにして止めるのか分らないで、運転していたようなものと言えるでしょうか。
原発立地前の状態に戻すには運転をやめてからでも何十年もかかりそうで、(使用済み燃料棒の処置だけでも大変です)地元がうるさいからと言って安易に「じゃ、止めちゃいます」とは言えません。
この同意権があるので、地元同意がとれないと原発業者にとしては運転再開することも出来ない結果になります。
この仕組みで首根っこを抑えられていると、かなりの要求を受け入れざるを得なくなっていると言っても過言ではありません。

原発事故6

原発問題は、 March 21, 2011「原発事故と今後の見通し1」に書いたように膨大な海水使用の咎めが今頃明るみに出てきました。
素人目に見てもあれだけ毎日膨大な海水の注入を続ければ,その水はどこに行ったのだろうと疑問に思うのは当たり前でしょう。
この水かどうか知りませんが、(使用済み燃料棒のプールからではないようですが)地下に高濃度汚染された水が何千トンと溜まっていて、その排水に難儀していて作業が前に進めないようです。
今も緊急事態中であることは同じであるとしても、一種のこう着状態になっているこの段階で、March 23, 2011「原発事故と今後の見通し3」で少し書いた、今回の対処方法の是非をこの段階で検証し、今後の対処法の選択に生かしてくべきです。
どうせ廃炉にするしかないならば,始めっからコンクリで固めた方が簡単でしかも放射能がこれほどまで漏れなかったのではないかの疑問が尽きませんが、何故政府は安易な先送り方法を選んでしまったのでしょうか?
きちんとしたシュミレーションをしてどちらがリスクが少ないかの検討をしたのでしょうか?
この種の検討は事故が起きてから行う暇がないのは当然としても、事故前に冷却装置が壊れた場合にどうなるか・・これは簡単に分っていた筈です。
冷却しないと大変なことになるから厳重な冷却装置がついている以上は、冷却装置が壊れたままで放置すれば重大事故発生になることは誰でも知っていた筈です。
そうとすれば、(津波によるかどうかは想定外としても結果として)冷却装置が止まって短期に回復不能の場合・・・何時間何分で燃料棒の露出が始まり、その何分後に溶融が起きるか、どの段階でどうなるなどの順次のシュミレーションも当然出来ていた筈です。
冷却装置停止後危機状態がどの段階に至るまでに外部から持ち込んだ水の注入を始められるか、注入でどの程度まで冷やせるか、その外部注水は何時まで続けられるか、その間冷却装置の復旧が可能かの見通し・・多段階のシュミレーションがあってのことになります。
この見通し・・・過去に何種類か想定されていた危機管理方法を無視して地震直後の思い付きで無謀な竹槍戦法に走ったとすれば問題です。
事前に何万時間も掛けて研究し尽くしてしかも世界中の英知を結集しても、外から水を掛けたり圧力装置に直接水を注入するような方法では冷却装置に代わる能力を発揮出来ない・・無理だと分っていて、即時廃炉すれば間に合うとするシュミレーションしかなかったとすればどうでしょう。
これを日本の学者や東電関係者だけで、災害発生直後の緊急事態下(超短時間)で世界中のプロが誰も思いつかなかったような新たな超優れた対処方法を考案出来た筈がないのです。
せいぜい、事故直後に、その抜本的対処方法を取るまでのつなぎとして現場で「何とかします」と言ったかもしれませんが、「当面水をかける方法」で始めたことをいつまでも何故続けたかの疑問です。
(家庭の火事で言えば消防車が来るまで自力で消火に努める程度のことです)
その間にアメリカ式の即時ホーサン投入による急速冷却→コンクリ固め→事故処理完了の方法を取るべきだったのに、いつの間にか応急処置のままでずるずると今日まで何故やって来たのかの疑問です。
事前にシュミレーションされていた正攻法でやっていれば、放射能漏れの被害がなくてすんだ筈です。
この正攻法の手順自体実際にはどのくらい難しいのか、どういうリスクがあるのかの報道すらないので比較が出来ない・・結局情報開示が不十分が原因なために国内で公正な議論が出来ていません。
政府や東電がしないのは当然としても、マスコミがアメリカの提案していたやり方と比較する報道を何故しないか、あるいは原発関係者が個人のブログにでも何故比較検証する意見を書かないのか不思議です。
勿論今政府のやり方を批判して議論している暇がないのは分りますが、それにしても言論統制でもあるのかのごとく、個人的意見すら一つも出ないのが不思議です。
この議論があれば、今からでも現在のやり方ではこの先どの段階で問題が起きる可能性がある・・その時の対処法をどうするか、この段階からアメリカやフランスの知恵を借りるしかないのではないかなど多様な議論が可能になって、方針変更の可能性についてもオープンな議論の対象になる筈です。
現在はどういうやり方で、この先どうしたいのかまるで方向性スラ一般には見えない状態で(議論を封殺している独裁国家のような状態ですが、)これでは困ります。
国家存亡の危機とも言える状況に追い込まれているのに、東電の密室で決める方法論だけに委ねておいて良いのか・・もっと多くの英知を集めるべきではないでしょうか?
東電もそれなりに外部の学者の協力を得ているのでしょうが、東電好みの学者ばかりではほんとの知恵が出ないのではないでしょうか。
事故発生当初科学的思考を拒絶して、「ともかく頑張ります」と言う無責任な一言を信用して、一旦竹槍戦法を選んだ以上は後は広範な科学的議論を排除して(内部の学者と)根性でやるしかないと言う方針では国民が迷惑です。

原発事故5と放射能1

昨日土曜日で少し時間がありましたので,原発問題を少し書いておきます。
昨日のニュースでは、同日2号機の電気がついてこれで1、2、3号機全部の制御室に電気・照明がつき、3、4号機を除いて真水注入に切り替わったとのことです。
今後は計器類の確認が出来るようになって行き暗闇の作業ではなくなるので大分作業がスムースになります。
明るいニュースの一方で、地下にたまった水の放射性物質で作業員が1昨日被曝した事故がありました。
この中に8日で半減する筈のヨウ素131があったことから、使用すみ燃料貯蔵プールの水ではなく原子炉自体から、放射性物質が流れ出ている・・格納容器自体かその付け根あるいは配管の破損等が心配されるようになりました。
配管破損よりは,格納容器自体・・付け根の破損の場合,高濃度汚染のために容易に近づく方法がなくて,この改修作業が可能かどうかの問題になりそうです。
(機器が作動し中が見えてくると,次々と壊れた部位が明らかになって行くでしょうが・・・)
この先一つ乗り超えれば次の難問出現繰り返しでしょうが、我が国危急存亡の危機ですので,関係者各位の死力を尽くしての努力が最後まで貫徹出来ることを祈っているしかありません。
自主退去の勧告がついに30キロ圏内の居住者にも出ました。
福島県の数値が何故か公表されなかったので事実としての確認は出来ませんが,(ぱらぱらと出る報道によれば)この圏内に居住を続けるのは危険な数値のようですから,退避するのは当然のことですがまだ自主的と言う曖昧な表現です。
ただし,福島県内の各地の放射能数値が官邸のホームページで27日10時に公表されましたのでこの点についてはこの続き・・明日に書きます。
ところで、どのくらいの放射能まで浴びても危険がないかの基準が曖昧な感じで,その都度恣意的に変更される印象ですので,国民は混乱し、不安感を抱いているのではないでしょうか。
分らないから,僅か1日だけ放射性ヨウ素が出たり,野菜に付着しているだけで出荷資制限したりミネラルウオーターを買いに走ったりして慌てふためくのです。
そもそも原爆投下まで知らなかった・・核分裂による自然界にない質量(放射性同位元素)の原子登場で恐怖心ばかりが強くて、具体的な効果が分っていないことが基準を曖昧にし,恐怖心を煽っている根源でしょう。
広島原爆投下直後には,広島には草も生えないとか今後何十年も人も動物も住めないと言われていましたが、実際にはその後何十万の人が住み,爆心地の平和公園には普通に樹木が生長しています。
他の土地に比べて特に平均寿命が低いとも聞きません。
そこでネットで平均寿命を調べてみると広島市は女性が全国1位の長寿市であることが分りました。
(平成23年3月27日広島市ホームページ・平成17年都道府県別生命表による)
原爆による放射能の影響を研究する放影研が広島にあって,ここで色々研究しているようですが,その基本は(科学的因果関係不明なために)疫学調査中心の印象です。
江戸末期に写真機が持ち込まれた時には写真を撮られると魂が抜かれると言うデマが流行していたようですし、電子レンジが出た時にはレンジの前に行くと危険と言われ、パソコンが出た時にも,妊婦には危険と言われていましたが,実際にこれでどうなったと言う具体的な被害事実を聞いたことがありません。
人類はいつも新しい製品や科学に・あるいは思想に対して盲目的反発心を抱いていて、先ずは危険(思想)と言うレッテルを貼りたがるものです。
作業員等の一時的大量被曝を例外として,長期的放射能被曝による効果としてははっきりしているのはヨウ素131の害・・甲状腺がんだけです。
それ以外のセシューム等は「分らないから大変だ」と言う変な論法が中心で、放射能が原因かどうかは具体的に分らないと言いながら、科学的基準を作っているのですから背理です。
妊婦が被曝すると奇形児が生まれる宣伝すると如何にも恐ろしい感じで迫力がありますが,具体的にどうなってるのかの研究発表を聞きません。
有名なチェルノブイリでも小児・甲状腺がんが喧伝されているばかりですが,奇形児に関してもしも疫学調査上顕著な差があればもっとマスコミが報道している筈です。
奇形児だけ調査しないことはあり得ませんから・・・。
結局脅し文句に使っているだけで、そんなことは全くないと言うことでしょう。
むしろ、各種公害病となる多種多様な原因物質の方がずっと因果関係がはっきりしていますが,硫黄酸化物その他がほんの少し空気中にあるくらい誰も問題にしません。
奇形児が生まれると言う宣伝は、相手を悪く言うために子供まで食っているとか極端な表現と同じ種類のデマの一種でしょう。
奇形児が生まれると言えば誰もが恐ろしがる・・しかも証明不能なのを逆手に取った脅迫方法に過ぎないことになります。
多くの新しい機器類に関しては,女性に危機感(感性に訴えるだけであって根拠不要です)を植え付ければ、反対派が勝つので、殆どの場合奇形児に言及するパターンです。
多くの女性はそういわれれば,根拠があろうとなかろうと触らぬ神に祟りなしの行動様式になりますので,それだけで抑制効果としては甚大な社会的威力を発揮します。
短期一時的な高濃度放射能汚染の場合はやけどしますが、これは普通の焚き火でも同じで緩く長くあたれば暖かいだけですが、近づきすぎればやけどするのとそんなに違いはありません。
塩砂糖、チョコレート)でも一度に1〜2kgも胃袋に入れば大変ですが、微量あるいは適度な量ずつ摂取すれば栄養補給等のメリットがあります。
勿論水だって一度に一定量以上摂取すれば危険です。
長期的緩やかな被曝によって,具体的にどのような病気になるのか長期微量摂取の害は,理論としてはまるで分っていないし、疫学的にすら分っているのはヨウ素が幼児の甲状腺がんを誘発確率が高いと言うくらいでしありません。
暴飲暴食しても,数日節制したり徹夜しても翌日よく寝れば回復するように人間には回復力もありますが,これを越えて連日深夜まで働くとか連日の暴飲暴食を続けると回復力を越えて病気になるのが普通です。
自然治癒力を超える高濃度汚染の害は明らかですから、一時的高濃度汚染の害がないとは思ってないのですが、ヨウ素以外の放射性物質を少量ずつ摂取し続けた場合、どういう病気を誘発するのかが実際にはまるで分っていません。
分っていないのにどこまであびると危険かの規準を作る事自体が非論理的ですから、基準があってないようなものになって、風評被害の元になるのです。
怖いものだから大事を取って厳しく制限しておこうと言うだけのことですから、科学ではなく政治的判断で決めるしかなくなって,結果的に不信感を助長します。
絶壁の近くは危険だからと10メートルまで禁止したり,大事を取って100m先まで駄目だと言うような違いです。
これを今後は50メートル付近まで、さらには30mまで許可したら危険かの議論に似ていますが,元々崖崩れの危険がどのくらいかの基準がないとすれば、意味のない議論です。
科学的効果不明にも拘らず,恐怖心を煽った結果非合理な恐怖心に基づいて「触らぬ神に祟りなし」と言うだけですから,その基準は当該国民の非合理な恐怖感の強さにに比例して政治的に決めるべき基準です。
これを科学者と言うものが出て来て,審議会などで如何にも科学的であるかのように装って議論して決めて来たので、今になって政治的にいくらでも好きなように基準を緩める方向へ変更するとおかしな感じがするのです。

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