観光立国と生活レベルの低下1

クリスマス・イヴで家族旅行のことを書いたついでに旅行の話題と併せて22日に書いた本社機能の大切さのテーマの続きです。
土曜日が休日になった外に何かと休日が増えて来たのと、この20年あまりは齢を重ねて活力がなくなるに連れて、幸いなことにゆっくりとした旅を楽しめるようになりました。
平成に入ってからは、社会もゆとりが出て私も仕事にゆとりが出て来たので、年に何回かは信州等のリゾート地で4〜5日単位のゆったり滞在を楽しめるようになりました。
御陰で信州方面に詳しくなり信州や甲州のワイン愛好家にもなりました。
その他2〜3泊単位では、午前10時前後の新幹線や飛行機で出発して午後4時前後にホテルに入ってゆっくりする行動が普通になっています。
2泊目以降もホテルを出るのは11時前後で午後3〜4時ころには、ホテルに帰るパターンです。
その代わり有名観光資源ばかりに目が行くのではなく、(繰り返し行くこともあって)行った先の民度と言うか生活レベル・その土地の気風も気になってきます。
24日に書いた京都駅前のセンチュリーホテルに泊まったのは、当時の子供の歳等を考えると昭和56年秋ですが、当時京都の駅前広場拡張再開発中だったのか、駅からホテルまでの道路周辺は工事中の殺風景な景色でした。
ホテルに入ると真ん中が吹き抜けになっていて斬新なデザインを気に入った記憶がありますが、30年以上も経過した今になれば重厚さに欠ける・・安普請?の印象です。
安普請と言えば、一ヶ月ほど前に京都のウエスチィングホテル京都に2泊してきましたが、ここは戦後の京都を代表する西洋式ホテルでしたが、中庭から見る外観は、当時の国力を反映した安っぽい外壁でした。
東京丸の内のビル街のように現在の国力に応じた建て替えが全国的に実施されているのですが、京都の経済力ではそれが叶わないということでしょうか?
観光に頼る経済だから、こんなことになったのではないでしょうか?
観光立国論に対する反論を何回も書いていますので、今回もその続きになります。
京都の観光をしてみて気づくのは、観光産業従事者比率の多さです。
有名な観光社寺には人が溢れているし、観光客目当ての飲食店、土産物店にも人が溢れていますが、そこで潤うのは誰でしょうか?
有名料理店でも働いている9割9分の人・・食事を運んだりする人は、大した収入がある筈がありません。
勿論チェーン店でも一握りの経営者がお金持ちかも知れませんが、その他数百人は非正規雇用中心の社会になります。
韓国ではサムスンなどが儲かっているとは言え、多くの国民が生活苦に困っているように、京都市内の一般住宅・生活ぶりなどを見ると庶民の暮らし向きは苦しい様子がありありと見受けられます。
ホテルマンや観光客向けのタクシーや観光バスの運転手、土産物店の店員や拝観受付の人ばかり多くても、マトモな家を立てられない人が多くなるのは当然です。
関東では戦前の家に住んでいる人は稀ですが、大阪や京都に行って裏通りを歩いていると戦前から続く長屋のような家(形式が同じであるだけ実際には戦後建てられた物かも知れませんが・・)1軒2軒程度稀にあるのではなく沢山残っていて現役で利用されているのに驚かされます。
京都の町家は歴史建造物として有名ですが、そうではない普通の長屋あるいは古い家そのままで庶民が生活しているのですから、関東では考えられない光景です。
私の高校・大学時代に丸の内の三菱レンガ街の近代ビルへの建て替え工事が進んでいましたが、(伯父の家の仕事手伝いで何回かこの現場への資材搬入を手伝ったことがあります)このときに建てた7〜8階建てのビルが時代遅れになったことから、高層ビル街に模様替えして現在の丸の内の高層ビル街が出来上がっている東京とは大違いです。
(最近は八重洲〜京橋方面も建て替えラッシュですし、渋谷も様変わりしていますし、新宿駅も大改装する予定らしいですし、首都圏の外れにある千葉駅でさえ既存駅ビルを解体して現在大改造中です)

国際競争力低下と観光亡国2

国内観光者相手ならば税を使って国民に対する福祉行政の一環・・サービスしていると評価出来る・・市街地に街灯を設置したり階段にエスカレーターを付けているの同じ価値がありますが、これをわざわざ税を負担していない外国を呼んで来て税で造ったインフラを無償で利用させる必要が有るのかの疑問です。
税投入もコストと考えれば金儲け=業にはなっていません。
税金を使って、あちこち石張りにしたり草花を植え込んだり手入れしたり、公的施設は冷暖房して快適にし、あるいは各種公共料金を安くしていますが、これらはみんなの税金で負担しているものです。
外来客は、こうした税負担なしに、公共物をただであるいはコスト以下で利用して行き、食事したり電車に乗ったりするだけです。
先進国になればなるほど税による公共施設が発達している・・インフラ整備が進んでいるのが普通で、その分利用者の負担は軽くなってます。
殆どの駅の階段にはエレベーターが設置されていますが、これなども無料で利用出来るものです。
アンデスなどの秘境観光では、インフラが何もなく、地元にお金が落ちるだけでしょうが、先進国では逆にインフラ整備が進んでいるので他所者はこれらのただ乗りをするので、来れば来るほどお金の持ち出しになるのが普通です。
個人の家に来るお客さんを考えれば分りますが、お客は手みやげを持って来るでしょうが、迎える方はそれ以上に家を綺麗にしたり花を買ったり、もてなしにお金を使います。
サミッとなどやれば、警備その他これに使う経費は膨大なものです。
他所ものを迎え入れる観光事業は公的施設に対する税負担を含めれば決して採算の取れる産業ではありません。
会員制ホテルや各種クラブでは会費負担している代わりに毎回の利用料金が割安に抑えられているのですが、同じ料金でビジターが使うと、会費を払っている会員は、損をする関係です。
外国人観光客は、まさにビジターでしかないのに、会費(税)を払わないで会員と同じ利用料金で同じサービスを享受出来るのは不当な結果です。
国内日帰り観光客は、個人の家に来た客で言えば、自分の食材だけ持って来て訪問先の家の冷暖房、厨房機器、トイレその他を無償で使用していて、大きな顔をしているようなものです。
料理をするにはその家に用意しているいろんな道具ガス電気水道を使うのですが、これの負担をしないのですから迎え入れる方は持ち出しです。
お客はこちらから招く以上は、ある程度経済的には持ち出し・マイナスでも仕方ないですが、(このために招いてもいないのに勝手に客として押し掛けるのは嫌われます)招いてもいない外国人が勝手に来て、みんなの税負担でやってるゴミの収集その他のサービスを無料で使って行くのを有り難がる必要は有りません。
その上、その他の産業と違って観光に寄りかかると国民が努力して技能を磨くことを忘れて怠惰になるし、卑屈(裏返しの感じの悪さ)になって行くだけの亡国の産業(と言えるかな?)です。

国際競争力低下7と観光亡国1

国民の御機嫌取りのための内需拡大政策は、国内産業を強化して外貨を稼ぐどころか、却って資金流出加速策・・・対外借金増を繰り返していたので、その咎めが遂に出たのが、リーマンショックを単純化したストーリイです。
不景気が来れば内需拡大よりは韓国のように極端なウオン安にして行って輸出増加政策をするのが(相手にとっては失業の輸出で困りますが・・)正しいのです。
アメリカの場合、強いドルを演出しないと沽券・過去の栄光に拘ることから、連続的な貿易赤字なのに強いドルを軍事力・金融支配力で下支えして来たのですから,無理は無理ですからいつかは破綻します。
無理の咎めがリーマンショック以降の現在のドルのじり安に繋がっているのです。
ただし、世界中が質素倹約で売ることばかり考えていると世界全体の需要が減退してしまい、まさに世界大恐慌の到来ですから、黒字国は内需拡大して赤字国は内需を縮小して(歯を食いしばって)技術を磨いて輸出力を回復して行くのが正しい処方箋です。
最近話題のギリシャ危機について、ここでちょっと書いておきましょう。
ユーロ危機震源地のギリシャなどは元々赤字国(対外純債務国)ですし、観光業も既に成熟していますから、これ以上財政支出による内需振興をやっていると余計国際競争力がなく増す。
内需拡大目的ですから不要な投資が多くこの設備投資負担が重荷になって高コスト社会になって行き、ひいては企業に対する税その他の間接的な高コストに繋がって結果的に余計国際競争力がそがれて行きます。
観光業などにシフトしても同じことで道路のタイルばりなど無駄なインフラ整備でその負担が税に跳ね返ってきます。
根本的解決には内需拡大よりは輸出力回復によって外貨を稼ぐことしかないのですが、長年輸出競争で負け続けている国が短期に輸出力を回復することは不可能です。
外から稼ぐ能力がなければ、山で遭難したときと同じで、先ずは身の丈を縮めて風圧を避けるのが本則です。
ずばり言うのは気の毒ですが、外貨を稼いでいる範囲まで「節約・生活水準を落とすしかない」と言えば分りよいでしょう
ギリシャ国民よりも生活水準の低いスロバキアが、支援策に最後まで反対していたのはこうした背景があるからです。
輸出競争で負け続けているのはそれ相応の原因がある・・知的レベルが低いとか不器用とか根気がない、あるいは技術の蓄積がないなど長期的要因によるところが大きいので、長期的な計画的施策が必要で短期的対応策などあり得ません。
政府や市町村の行政府・政治家は、50年単位の長期的施策では自分の成果にならないので、直ぐに手っ取り早い観光とか、イベント開催に走りがちです。
観光立国と言っては、キャンペインにお金を使い、駐車場を整備し遊歩道や休憩所や手すりを造るなど土木工事が中心で、土木業者が潤うだけですので、公共工事中心の内需拡大は人気がなくなったので言葉を変えているだけでしょう。
観光立国とは形を変えた内需振興でしか有りません。
これをもって観光「産業」と言うか疑問が有りますが,観光業には何の教育訓練も要らず、何とか県民会議などの会議さえ開いていれば良いので安易すぎます。
20年ほど前に姫路支部の裁判に行った際に、2泊して竜野の城下町を散策しましたが、このときに童謡の里と言う公園に行ってみると綺麗に整備された食事処が出来ているのですが、そこで食事するのは私たち夫婦だけでした。
時々観光バスが来るのですが、さっと見てトイレに行ったりゴミを捨てて行くだけで誰も食事などしません。
大型バスが入れるような広い道や大規模な駐車場整備など億単位の税金で使っているのでしょうが、観光客は公の施設をただで利用して行くだけでした。
千葉県内の大多喜城へ行ったときのことを昨年あたりに書いたと思いますが、駅から少し離れた坂道にさしかかると小高い丘か山に掛けて(城は丘陵の上に有るので)歩道付きのしかも高価そうな欄干を付けた立派な道路が出来ておおきな駐車場も出来ているのですが、観光客は私たち夫婦の外はまばらで、(数人出会っただけです)お城管理や受付の人は4〜5人いたのと入り口付近にある食堂の店員がいたので、彼らの雇用には役立っているかも知れませんが、(お城の維持管理費用は博物館という別の項目で自治体から補助金が出ているのでしょう)食べているのは私達のように電車で来た夫婦くらいで、採算が取れているのか怪しい感じです。
竜野市の公園と共通して言えることは、食堂のパートのおばさん一人プラスアルファの職場を確保している程度にしては税金の使い過ぎではないかということです。

国際競争力低下と内需拡大7

国際競争力がなくなってからの財政支出増・・内需拡大策は貴重な資金が海外流出してしまうばかりで、国内生産誘発効果が少なく景気の下支えになりません。
内需拡大政策は、貿易黒字国が忙しく働き過ぎで生活を顧みる暇のない国にとって、稼ぎに見合った生活水準の向上を図るためには良いことであって、(行き過ぎた貿易黒字是正にもなり輸出量の縮小をしなくとも均衡出来るので)意味が有ります。
しかし、貿易赤字国化(輸出競争に負けて逆に輸入される側になると国内生産は縮小せざるを得ません。)した結果,生産過剰になって不景気になっている場合には、内需拡大のために財政資金を投入しても、国内産業が弱体ですから,その殆どが海外業者の受注になってしまいます。
あるいはその下請けとして国内業者が少しのおこぼれを貰う関係にしかなりません。
却って輸入拡大に結びついて余計赤字が増えて・・他方で国民は職場が縮小している・・失業者増あるいは残業手当減なのに消費が増える・・国民を甘やかすことになるだけで産業の復活には役立ちません。
アメリカは国際競争力を喪失しているから貿易赤字が続き、結果的に対外純債務国になって久しいのに、国民に質素倹約を求めずに景気対策として,財政出動拡大や金利を下げたり流動性を増やす・量的緩和と言えば聞こえが良いですが,紙幣の乱発=配給などしてきました。
しかし、紙幣を配って支出奨励策で国内景気を盛り上げようとしても、その供給の殆どが価格競争力のある日本やドイツ・今では中国、韓国,東南アジア、インドからの輸出を増やす・・輸入増加による赤字が増えるだけで、アメリカ国内企業の生産誘発効果が少なかったのです。
現在でもロサンゼルスの地下鉄や高速鉄道の受注で日本企業がしのぎを削っているのもその例です。
アメリカは汎用品等低レベル産業を海外依存しても上級品を造っていれば良いと思って長年やって来たのですが、10月29日に書いたように海外依存の汎用品のレベルが徐々に上がって行くので、今や、地下鉄や高速鉄道まで海外企業がになう時代が来ているのです。
ここまで来ると国内企業がやれる仕事は・・航空機やロケットくらいになってきますが、航空機でさえ、大分前から日本企業がその重要部品の分担を担うようになっています。
地下鉄など日本企業が受注しても,現場労働者・現地雇用は増えるでしょうが、骨格基幹部品・システム等は日本からの持ち込みになる比率が上がりますので、(地元で全部賄えるならば、地元企業が受注出来た筈です)内需効果とはそんな程度・・末端労働者に対する失業救済効果に留まります。
貿易収支が赤字に転落している国では競争力がないので、内需拡大政策は輸入拡大に繋がる面が多く、国力挽回どころか国富を流出させて疲弊して行くばかりです。
この40年ばかりこんな無駄な支出ばかりアメリカがやって来たのは、(日本も真似してここ20年ほどやっていますが、需要がザルのように海外企業に流出しているので)何の経済効果も出ていないのは当然です。
素人の私が言うのもおこがましいですが、世界中の経済学者の能力・構想力が低かったと言うべきでしょう。
農業補助金の無駄・・補助金行政ではその産業が復活することは出来ないという現実(補助金を出しても農機具や肥料メーカーが吸い取ってしまうばかりで農家は疲弊して行くばかりでした)は、国全体の補助金である内需振興策でも言えることです。

国際競争力低下と内需拡大6

知財や金融では国民多数を養えません。
アップルが大成功して、株式時価総額が最大になっても、アメリカ国内雇用がそれほど増えた訳はありません。
世界を席巻したアップル製品製造の殆どがアメリカ国内ではなく、アジア諸国での生産増になっているのが現実です。
知財に限らず金融業も一人で100億円の取引も出来るし10億の取引も出来る・・人数を必要としません。
製造業であればどんなに機械化しても、そこで働く人は基本的に対等です。
仕事が人より早くとも力が2倍あっても生産性が2倍を超えるのは滅多に有りません。
農業も同じで、以前書きましたがどんなに努力しても能力差があっても、2倍以上の耕地面積比を逆転する収穫差をもたらすことは不可能です。
製造あるいは農業従事者では能力差だけでは2倍以上の収入格差を生み出せないのですが、商業では能力次第で店舗面積比ではなく何倍どころか何十倍の格差を生み出せます。
金融や知財となれば何百倍何万倍の格差も可能です。
我が国は、飽くまで愚直に農業・製造業にしがみついていることによって、格差の多くない社会を維持していることになります。
繊維〜電気〜製鉄〜自動車といくら日本たたきで規制しても日本に負け続けて、製造業での国際競争から事実上下りてしまったアメリカでは、その結果前回書いたように超格差社会・アメリカンドリームが目出たく?実現しているのです。
格差をなくすには,格差反対のスローガンでどうなるものではなく、製造業の維持が不可欠でしょう。
製造業があっても併存している僅かな商業金融業でも、一攫千金が可能ですから、(紀伊国屋文座衛門など枚挙にいとまが有りません)士農工商のような(勤勉を尊重する)価値観を維持して行く工夫が必要です。
私の言うのは身分差を造れというのではなく,お金を無茶に稼ぐのはどこか恥ずかしいという価値観の重要さです。
日本では松下幸之助でもソニーの創業者でも,仮に創業者利益が何千億円であろうとも,これをひけらかすような大邸宅を造りません。
明治の三菱創業者もそうですが、文化財として屋敷を残して直ぐに寄付していて東京の貴重な公園になっているように個人で飽くまで固執することをしない文化です。
大邸宅を構えることが許されない文化と言っても良いでしょうか?
天皇家でさえ,平成になってから皇居に入るのを控えたままですし,鳩山元総理も親の遺産である音羽の大きな屋敷には住んでいない様子です。
何らかの行事のときに使っているようで,言わば企業の迎賓館的役割です。
士農工商のような価値観のないアメリカで製造業が衰退して行った結果、格差拡大がモロに表面化して来たのは当然です。
製造業が衰退してから,内需拡大のためにアメリカ国内での財政支出を増やしても国内生産が増えません。
増えた内需目的に国際競争力のある日本やドイツ、最近では中国などの製品輸入がかえって増える状態です。
たとえば生活保護費を増やせば、そのお金で安い中国製の衣料やおもちゃなどを買う人が増えるだけです。
内需拡大政策・・結局は弱者対策ですから、高級品・ブランド品購入の奨励が出来ませんので、廉価品がその対象になりがちです。
後進国では内需拡大政策が国内弱小産業の育成になりますが、先進国が赤字化した場合、高級品しか造れない・・汎用品市場は輸入品に席巻されている社会ですから、(ここ4〜5日前の報道では日本の電機メーカーでは、テレビ生産から基本的に撤退して行く方向になりそうです)景気下支えの内需振興に対する供給は海外企業に頼る傾向が有ります。
太陽電池の例で言えば、内需拡大目的で補助金を出しても中国や韓国の廉価な輸入品に負けそうになっています。
(オバマ大統領が持ち上げていたアメリカの希望の星とも言える太陽電池企業がホンの1〜2年足らずで倒産の危機に瀕しているようです。)
ここ数週間タイ王国での浸水被害で日系企業の部品生産が滞っていて国内でも代替生産をする必要に迫られている企業が多いのですが、既に国内企業には技術者がいないためにタイから数千人単位の技術者が半年間だけ国内労働出来る例外制度が昨日成立したような報道がありました。
国内生産が空洞化して来ると,国内技術が喪失してしまう・・これが続いたら容易に回復出来ないとOctober 25, 2011「円高対策2(生産回復力)」前後で書いて来ましたが、今回の動きを見ると汎用品生産(と言っても後進国に移管するレベルが徐々に上昇して行き、その分失われて行く国内生産技術が足下から次第に水位が上がって行きます)では、既に国内技術者がいなくなっていることが白日の下に曝されました。
後進国だと思っていたタイ王国から国内労働者の指導をして貰う技術者を数千人規模で招かないと国内で代替生産が出来ない時代が足下から始まっていたことが明らかになりました。
まだ技術喪失してから10年前後でしょうから(分野によってはまだ2〜3年)ちょっと指導してもらえれば、日本人が直ぐに適応出来るでしょうが、今回のような水害がなければタイその他の東南アジア諸国に移管しっぱなしですから、数十年も経過すれば完全に喪失してしまうことになります。

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