世論調査と選挙結果2

昨日世論調査の比較を見たように設問によって支持不支持が割れる結果になり、同年中におこな割れた選挙結果を総合すれば、国民は「戦争法」とか、「平和憲法を守れと」いう観念論ではなく、どこまで米軍に協力すべきか・・具体的なギブアンドテイクのあり方に関心があったことが浮き彫りでした。
TPPその他各種国際協定の賛否でも、TPP反対という抽象論よりはどの条項が日本にとって不利で別の条項が有利などの複雑な組み合わせですから、その不利益部分をどの程度まで(関税協定等によって恩恵を受ける業界から不利益を受ける業界への補助金等の資金移動など含めて)緩和できるか・農産物の関税緩和するにしてもすぐでなく10年かけて実施するなど)交渉力にかかっていることです。
日本にとって有利か否かは、不利な分野(例えば農産物関税引き下げ率を少しでも)で緩和してもらうために、日本に有利な輸出産業分野でどの程度まで譲るかなどの具体的比較考量の結果で(特定利害集団の自己利益実現の主張に引きずられることなく)判断すべきです。
多様な利害集団の利害を考えながら国民独自に判断すべきですから国民が健全な判断をするには交渉項目別の詳細情報開示が重要です。
しかもその先の着地点は現在進行中の交渉力にかかってくるのに、交渉前から前もって「絶対反対」という主張ばかりでは国民にとって意味不明・・「何も考えるな」という強制です。
彼らの主張方式は、「個別内容を聞かないでくれ自分らの主張・判断に賛成するかどうかだけで良い」と言わんかのような運動形式です。
「一定政治勢力の判断にお任せ」というならば、総選挙でどの政党に一任するかは決まったことです。
総選挙後に特定政策に反対する以上は、反対するに至った新たな具体的内容を開示してこの点が良くないと適示してこそ(国民もなるほどと・・)「選挙で任せたもののこの問題は一任しておけないな・・」と考え直すことになる順序です。
集団自衛権や共謀罪法案に対する具体的問題点指摘なしに、憲法学者や文化人がこんなに多く反対しているという論調は結局「自分ら所属集団・ブランド」に頼れ・「一任しろ」という総選挙結果の否定論にしかなりません。
TPPに限らず各種EPAどの分野に補助金をつけるかなど政治というものは特定政策の実行・反対にはそれぞれの利害団体があって賛成・反対するのはわかりますが、個別利害に関係ない一般国民にとっては文字通り利害関係から中立的立場で複数以上の錯綜した個別利害を聞いた上で国民一人一人がどの程度の折り合いで決めるのが日本にとって有利かの総合判断を行うのがボトムアップ社会です。
一般人には合理的判断力がないが「誰に委ねればよいか程度の投票はできる・これが代議制民主義の精神だ」と政治学で習いました。
アメリカ大統領選挙で選挙人制度という制度に驚く人が多いでしょうが、一般人はまともな判断能力がない前提の民主主義です。
日本の場合国民一人一人のレベルが高いので、国民がだれかに判断権を1任する社会ではありません。
内容のないアジ演説・・・賛成・反対という結論を何回聞いても意味がない・・そんなことより内容をきっちり説明してほしい国民の方が多いのではないでしょうか?
共謀罪や安保法制で言えば、憲法学者や刑法学者あるいは弁護士何人が反対しているかではなく、共謀罪法のどの条文が諸外国の法律とどのように違っていて問題なのか、その問題点について国会でそのような議論をしてきたのかが一般国民にとって重要です。
内容説明なく「近代法の法理に反する暴挙」とだけ主張されても??という人が多いでしょう。
集団自衛権論では、日本だけの自衛力では中国の侵略を防具能力がないのは自明ですから、現状で米軍がどの程度協力してくれるのか?
いざという時に米軍の防衛協力度合いを引きあげる(武器の補給をしてくれるだけでなく)には、日本も日頃から米軍にどの程度まで協力しておくべきか?
そのためには日本が負担すべき範囲・応分の負担がどの程度まで要請されているか?を具体的に議論すべき時代になっています。
国土を守るというよりは中韓に侵略された場合(ありもしない被害をでっち上げては)、「報復として何をしても良い」式の占領支配が想定されるので、チベットやウイグル族に対する以上の弾圧が待っていると覚悟すべきかどうかも判断基準でしょう。
想定される残虐支配を防ぐために米軍の援助が必須とした場合、国民がどの程度までの負担を許容すべきかの問題です。
戦後長い間米国本土まで報復攻撃できる国がなかったし通常兵器でも米軍の戦力は圧倒的でしたので、米国がある国が攻められているときに守ってやるために参戦介入しても戦闘参加の兵の損傷も微々たるものでした。
大陸間弾道弾の開発以降、中国が日本侵略した場合アメリカが日中間の争いに参戦して自国に核弾頭が打ち込まれる事態を招くような参戦をしてくれるかの疑問が生じています。
また通常戦力限定の戦争介入でも、米軍が参戦したら湾岸戦争時のイラクのように?「相手が逃げ回るだけ」と言う時代ではなくなっています。
アメリカが自国への報復攻撃被害を前提にしなかった日米安保条約初期とは立場(北朝鮮でさえ米本土に対する核攻撃能力を今にも完成させるようになったのが今の北朝鮮問題です)が変わっているので、日本国民の多くが片務的条約・アメリカが一方的に日本を守る日米安保条約の実効性に疑問を持つようになっているのです。
「いざと言うときにアメリカが応援してくれるのだろうか?」と疑心暗鬼になっているのが尖閣諸島問題激化したとき以降の日本人の心情です。
この心配を払拭するためには、日本もある程度米国の国防に協力しないと、アメリカは自国への報復被害を覚悟してまで日本の防衛にコミットしてくれないリスクが高まっている・・これが日本人の常識であり、国際常識だからこそ中国が堂々と尖閣諸島海域での領海侵犯を繰り返すよう・(南シナ海の基地化もアメリカの出方を試す動きの一環)になったのです。
中国はアメリカの出方・・「鼎の軽重を問う」ていたのに対し、オバマ政権は明白に世界の警察官役をしないと明言しました。
要はギブアンドテイクで約束した範囲以外は、守らないという宣言でしょう。
次期トランプ大統領がNATO諸国に対し、応分の負担を求めるようになったのと同じ文脈です。
このまま日米安保条約の変質・結果的にアメリカが日中戦争に巻き込まれるのを尻込みする事態の進行・日米安保条約の空洞化進行を放置するのか?
安保条約の空洞化を防ぐ必要があるという立場に対し、空洞化を進行させるべきというのが親中韓(韓国も米軍のくびきから外れれば、対日侵攻が第一目標であることをもはや隠しもしない印象です)派勢力の狙いでしょうか。

昨日世論調査の比較を見たように設問によって支持不支持が割れる結果になり、同年中におこな割れた選挙結果を総合すれば、国民は「戦争法」とか、「平和憲法を守れと」いう観念論ではなく、どこまで米軍に協力すべきか・・具体的なギブアンドテイクのあり方に関心があったことが浮き彫りでした。
TPPその他各種国際協定の賛否でも、TPP反対という抽象論よりはどの条項が日本にとって不利で別の条項が有利などの複雑な組み合わせですから、その不利益部分をどの程度まで(関税協定等によって恩恵を受ける業界から不利益を受ける業界への資金移動など含めて)緩和できるか・農産物の関税緩和するにしてもすぐでなく10年かけて実施するなど)交渉力にかかっていることです。
不利な分野で緩和してもらうために日本に有利な部分をどの程度まで譲るかなどの具体的比較考量の結果で(特定利害集団の自己利益実現の主張に引きずられることなく)多様な利害集団の利害を考えながら国民独自に判断すべきですから国民が健全な判断をするには交渉項目別の詳細情報開示が重要です。
しかもその先の着地点は現在進行中の交渉力にかかってくるのに、交渉前から前もって「絶対反対」という主張ばかりでは国民にとって意味不明です。
彼らの主張方式は、「個別内容を聞かないでくれ自分らの主張・判断に賛成するかどうかだけで良い」と言わんかのような運動形式です。
「一定政治勢力の判断にお任せ」というならば、総選挙でどの政党に一任するかは決まったことです。
総選挙後に特定政策に反対する以上は、反対するに至った新たな具体的内容を開示してこの点が良くないと適示してこそ(国民もなるほどと・・)具体論なしに憲法学者や文化人がこんなに多く反対しているという論調は結局「自分ら所属集団・ブランド」に頼るだけの主張になります。
それぞれの利害団体があって反対するのはわかりますが、個別利害に関係ない一般国民にとっては文字通り利害関係から中立的立場で複数の錯綜した個別利害を聞いた上で国民一人一人がどの程度の折り合いで決めるのが日本にとって有利かの総合判断を行うのがボトムアップ社会です。
一般人には合理的判断力がないが「誰に委ねればよいか程度の投票はできる・これが代議制民主義の精神だと政治学で習いました。
アメリカ大統領選挙で選挙人という制度に驚く人が多いでしょうが、一般人はまともな判断能力がない前提の民主主義です。
日本の場合国民一人一人のレベルが高いので、国民がだれかに判断権を1任する社会ではありません。
内容のないアジ演説・・・賛成・反対という結論を何回聞いても意味がない・・そんなことより内容をきっちり説明してほしい国民の方が多いのではないでしょうか?
共謀罪や安保法制で言えば、憲法学者や刑法学者あるいは弁護士何人が反対しているかではなく、共謀罪法のどの条文が諸外国の法律とどのように違っていて問題なのか、その問題点について国会でそのような議論をしてきたのかが重要であって、集団自衛権論では、日本だけの自衛力では中国の侵略を防げないの自明ですから、現状で米軍がどの程度協力してくれるのか?
いざという時に米軍の防衛協力度合いを引きあげる(武器の補給をしてくれるだけでなく)には、日本も米軍にどの程度まで協力しておくべきか?そのためには日本が負担すべき範囲・応分の負担がどの程度までか?を具体的に議論すべき時代になっています。
国土を守るというよりは中韓に侵略された場合(ありもしない被害をでっち上げては)、「報復として何をしても良い」式の占領支配が想定されるので、チベットウヤウイグル族に対する以上の弾圧が待っていると覚悟すべきかどうかも判断基準でしょう。
想定される残虐支配を防ぐために米軍の援助が必須とした場合、国民がどの程度までの負担を許容すべきかの問題です。
戦後長い間米国本土まで報復攻撃できる国がなかったし通常兵器でも米軍の戦力は圧倒的でしたので、米国は守ってやるために参戦しても戦闘参加の兵の損傷も微々たるものでした。
大陸間弾道弾の開発によって、中国が日本侵略した場合アメリカが他国間争いに参戦して自国に核弾頭が打ち込まれる事態を招くような参戦をしてくれるかの疑問が生じています。
また通常戦力限定の戦争介入でも、米軍が参戦したら湾岸戦争時のイラクのように?「相手が逃げ回るだけ」と言う時代ではなくなっています。
アメリカが自国への報復攻撃被害を前提にしなかった安保条約初期とは立場(北朝鮮でさえ米本土に対する核攻撃能力を今にも完成させるようになったのが今の北朝鮮問題です)が変わっているので、日本国民の多くが片務的条約・アメリカが一方的に日本を守る日米安保条約の実効性に疑問を持つようになっているのです。
「いざと言うときにアメリカが応援してくれるのだろうか?」と疑心暗鬼になっているのが尖閣諸島問題激化したとき以降の日本人の心情です。
この心配を払拭するためには、日本もある程度米国の国防に協力しないと、アメリカは自国への報復被害を覚悟してまで日本の防衛にコミットしてくれないリスクが高まっている・・これが日本人の常識であり、国際常識だからこそ中国が堂々と尖閣諸島海域での領海侵犯を繰り返すよう・(南シナ海の基地化もアメリカの出方を試す動きの一環)になったのです。
中国はアメリカの出方・・「鼎の軽重を問う」ていたのに対し、オバマ政権は明白に世界の警察官役をしないと明言しました。
要はギブアンドテイクで約束した範囲以外は、守らないという宣言でしょう。
次期トランプ大統領がNATO諸国に対し、応分の負担を求めるようになったのと同じ文脈です。
このまま日米安保条約の変質・結果的にアメリカが日中戦争に巻き込まれるのを尻込みする事態の進行・日米安保条約の空洞化進行を放置するのか?
安保条約の空洞化を防ぐ必要があるという立場に対し、空洞化を進行させるべきというのが親中韓派(韓国も米軍のくびきから外れれば対日侵攻が第一目標であることをもはや隠しもしない姿勢になってきました)勢力の狙いでしょうか。

世論調査と選挙結果1

明治維新以来洋画教育に巨額の税資金を投じていますが、浮世絵や縄文展の大盛況ぶりに比べて、教育界を独占し牛耳っている日本人の洋画展を見に行く人がどのくらいいるでしょうか?
1〜2ヶ月に1回以上の比率で上野の東博に行っていますが、敷地内の黒田清輝館あるいは周辺の東京都美術館(の場合洋画系)や西洋美術館・いわゆる油絵系の展覧会に足を運ぶ人がどのくらいの人が入っているかです。
メデイアが世論調査した結果、政権支持率発表し、デモ騒ぎをいくら煽っても?それが日本社会の民意をどれだけ反映していることになるかの疑問です。
昨日社会不適合者の存在を書きましたが、社会不適合が顕在化していない潜在的不満層はさらに多いので、何かの不満をあおるスローガンをメデイアが煽ると社会公認を受けたような安心感で便乗的に飛びつきすぐに火がつく・枯れ葉のような人が一定数いるのは確かです。
韓国では何かの事件が起きてメデイアから「被害者認定?」されると被害者集団が特権階級になったかのように暴れまくるのと似ています。
日頃不満が充満しているので、何かあると被害者でない不満層が、加害者追求運動に便乗する・・同情心に見せかけて鬱憤ばらしするのが常態化しているように見えます。
セウオール号事件の被害者の行動やアメリカでの空港着陸失敗の時の乗客による乗務員殴打事件などで知られているように一たび被害者の立場になれば、やりたい放題が許される国です。
これらが韓国で許されるのは、被害者は「何をしても良い」ような免責特権があるような雰囲気をメデイアと共同して作り出すからでしょうし、その応援団を装って便乗暴発すれば警察が手を出せなくなる・・(リベラル系?)メデイアの煽り・応援があるからのようです。
日本でもリベラル系メデイアは社会不満に火をつけて騒ぎを大きくする傾向がありますし、造反有理とばかりに応援するのが普通です。
韓国では文政権になると左翼系メデイアはかなりの不始末があってもだんまりでデモ騒ぎにはなりません。
日本では(しばき隊等の例外がありましたが)暴力的言動に走る人が少ない分、民度の違いでしょうか?
16年の米大統領選でのトランプ旋風で明らかになったように、メデイアによる世論調査結果あるいは一定方向への誘導的記事が洪水的に報道されても実際に選挙してみると結果が大幅に違ったことで、メデイアの政治報道の信用性と影響力が 地に堕ちたばかりです。
集団自衛権に関するメデイア報道は、米大統領選挙のあった16年の2年前の14年でしたが、反対運動で引用されるメデイアの世論調査では安倍政権支持率低下という報道一色でしたし、これに勢いを得た反対運動・各種団体などの運動が激化する一方でした。
赤旗の報道ですがメデイアの調査結果が表になっています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-07-08/2014070801_01_1.html
集団的自衛権行使容認「閣議決定」強行で世論激変

図

赤旗記事を紹介しましたが、集団自衛権閣議決定前後の世論調査に関する設問との関係で比較紹介している記事は以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/140708/plt1407080025-n1.html

2014.7.8 08:02
割れた世論調査、集団的自衛権の質問に“枕詞”つけた朝日・毎日、回答に影響?
安倍晋三内閣が集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更を閣議決定した前後に行った全国紙の世論調査結果が出そろい、賛否が真っ二つに割れた。中立にみえる世論調査も、各社の意図で結果が左右される場合があるのだ。(村上智博)
結果が大きく割れたのは回答方法に原因がある。
産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)合同調査では、集団的自衛権についての設問で、行使容認に相当する「全面的に使えるようにすべきだ」と「必要最小限度で使えるようにすべきだ」の回答肢を用意し、合わせて63・7%が「行使容認」とした。
一方、他社はいずれも「賛成か反対か」という二者択一で回答を求めた。
読売新聞は、前回調査で産経と同様の回答肢で実施、「行使容認」は7割を超えた。今回は朝日新聞などと同様の二者択一方式で行い、「行使反対」が上回る結果になった。
ただ、読売は集団的自衛権の個別事例についての賛否も求め、紛争中の外国から避難する日本人を乗せた米輸送艦を自衛隊が防護できるようにすることには67%が「賛成」と回答した。読売は4日付朝刊で、世論の反応を「事例は理解、総論は慎重」と報じた。

世論調査方法に関する上記比較分析は比較的公正な感じですが、選挙結果(自民党圧勝)を見ると、国民の多くの気持ちは、「米国に応援して貰いたいので日本もある程度付き合いが必要なのはわかるがあまり深入りしないで!」「うまくやってね!」というところ・産経FNNの合同調査が穏当な設問だったように見えます。

政治運動の支持母体?

私は、反日目的の運動家がそんなにいるはずがない・本気で非武装論が正しいと思っている人・・思わざるを得ない人たちが末端運動家の大多数を占めていると思います・・。
幼稚園や小学校で習ったばかりの料理知識を親に自慢する幼児的素直な思考の持ち主としてみる方が合理的かもしれません。
大学教授となり弁護士を何十年もやっていても幼児的思考に止まることがあるのかの疑問ですが、要はどの階層にもいる負け組の心理状況と芦部説の影響力です。
オーム真理教事件で明らかになったところですが、それぞれの分野で医師や科学者、弁護士など社会全体では勝ち組の有資格者が多く参加していたことが注目を浴びましたが、医師にも科学者にも東大生〜一流高校や一流企業、官僚等にも、その内部ではうまく行かない「落ちこぼれ」が一定率生じるのは当然です。
以前書いたことがありますが、参加資格をいかに厳選しても実務に入ると「伸び悩む」と言うか不適格な採用や合格であったこと起きるのは、むしろ当然のことですが、エリート評価の高い分野ほど不適合になっても自発的退場が難しいものです。
周りは「せっかく〇〇に入ったのに」医師弁護士になったのに・・と言うし、本人も医師や学者、有名企業をやめてしまってどうなるか心配でしょう。
そこまでいかなくともストレスだらけで生きているエリートがいっぱいるので、こう言う人はオーム真理教みたいな「自己実現」を提示されると飛びつきたくなるのでしょう。
法律家の場合、宗教系よりは名だたる憲法学者芦部教授の御託宣ほどありがたい誘引はありません。
東大まで行き更に大学に残れたエリート・学閥のトップに君臨していても、社会的円熟度の低い人には日常生活面では生きにくい世の中です。
社会性がなくとも明治時代の学者は「西洋ではこうだ」と言って象牙の塔にこもって社会を見下していればよかったでしょうが、今はそうは行きません。
弁護士でも円熟度の低い人は一般事件があまり来ない・市場淘汰されるのですが、日弁連内では〇〇系という閥が出来上がっているので、この種の活動に精出している限りその世界では自己実現できる社会です。
こういう人たちの精神的逃げ場として芦部教授の唱えた「自己実現」と並んで重視される「自己統治」という価値優越概念の図式的理解がエリート知識人に染み込んで重宝される所以ではないでしょうか?
総がかり運動その他のネット報道を見るとこれら反対政治運動に参加する発言録からは、自己実現・自己統治の場に参加していることに対する高揚感が伝わってきます。
3月22日に引用したhttp://nota.jp/group/kenpo/?20061016104219.htmlらの続き引用です。

表現の自由=自己統治?
これも、表現の自由ならば自己統治、自己統治ならば表現の自由が成り立つようなイコールの関係にはない。自己統治が民主制ないし民主主義を意味するならば、それを支えている人権は、直接的には(普通・平等)選挙権であろう。平等な選挙が保障されていないところで行われている政治は本物の民主政治とはいえないから、選挙権は、民主主義や国民主権を成り立たせるための不可欠の権利であるといえよう。選挙権は主権的権利などとよばれることもある。これに対して、表現の自由は、直接、民主主義を成り立たせている(主権的)権利ではない。

上記に批判されているように、自己統治などというよりは選挙権の行使とその結果こそ直接的自己統治です。
明治維新以来の習慣で西洋の価値観を持って来れば「最新知識」として威張っていたのですが、これも見方を変えれば、幼稚園等で習ってきたことを両親に自慢する幼児レベルの精神状況だったと評価できないこともありません。
家庭内で幼児や児童が自慢するだけならば親が微笑んでればいいし、社会不適合者・幼児レベルの集団が芸術系で自己実現するだけならいざ知らず、社会関係を持つ運動になると社会の迷惑を考える必要があります。
自己実現のためなら(違法でない限り)何を言い、何をしてもいいという乳幼児的万能思想の人たちが学会で支配的地位を確立し、社会科学分野の世界を牛耳るようになると一般健康人が困ります。
産業革命では西欧が先行していましたが・・テクニカル・皮相分野のことであって、日本社会では何周回(数千年以上)前に経験済みの円熟社会の経験がありません。
日本社会の落ちこぼれ・幼児的段階にある人にとっては、円熟社会経験のない西欧がようやく気がついたばかりの皮相な社会契約とか民主主義や人道(人の道)という概念をありがたい知識として振り回せば偉くなったような気がしているように見えます。
明治維新以来横文字を縦に直せば知識人と言われる時代が続きました・・昭和40年に入ってからこの揶揄が効いたらしく、(パソコン普及の関係もあって)平成に入った頃から日本語自体を横書きする習慣が根付きました。
誰もが海外に出かける時代になり、昭和50年代頃から「欧米では・・」という識者のテレビ発言がなくなりましたが、思想界ではまだ欧米で学んできた思想を国内に紹介した人が学界で重きをなす傾向が続いているような印象を受けます。
学閥を基礎にしたボス支配が続いている・・思想の自由市場がないからだと思います。
逆説的ですが、グローバル化が進めば進むほど、留学先での功績・・ハーバードでこういう実績を上げたなどの経歴が幅を利かすようになるので余計その傾向が続いているように外部からみえます。
日本の社会運営技術の方が数千年以上も進んでいるのではないか?という考え方は行き過ぎると「井の中の蛙」となる危険がありますが、文化面で見れば西洋の油絵の輸入に対して日本画の画風が直ちに確立したように、日本民族独自の思想にもとずく政治思想や哲学を語る人材が必要な時期がきているのではないか?ということです。
文化市場は顧客が必要なのでボス支配が成り立たないので、文字通り自由市場が成立しているので、国民がどのような文化を支持しているかが明らかです。
日本画は学校教育ではすみに押しやられ、美術系教師は洋画中心ですが、お金を出して買ってくれる顧客・・よく売れる・需要があって食っていけるのは日本画に偏っています。
洋画界では美術館買い上げ(学者が東大閥に支配されている?ように)など業界馴れ合いに頼る現状です。
音楽でも義務教育で邦楽を教えません。

民意(選挙と世論調査)2

科学的にわからないとすれば、原発の即時停止が妥当か2030年台までの猶予を置く民主党の主張が妥当か40年代が妥当か否かは、専門家優位の科学判断でもなければ・法律判断分野ではなくその被害を受けるかその間だけでも利益を受けた方が良いかのリスク判断は、当事者=民意次第というべき分野です。
科学的にいつ大規模地震や火山噴火があるか不明であれば、原発を即時停止すべきか10年〜20年で徐々に減らしていくかなどは(いつ来るか分からない点は専門家も国民も同じですから)専門家が決めることでなく、国民の総意・価値判断事項です。
大学進学しても社長になれるか銀行員になれるか平社員で終わるかも全く保証の限りではありませんが、大学進学する人がいるように、いろんな分野で結果保証の限りでないがいろんなことに挑戦する人がいっぱいいます。
リスクを取るかどうは当事者が決めるべきであって、先生や周りのいくら立派な人でも第三者が決めるのではなく最終決定権者は本人です。
ましてや、裁判所が科学根拠なく、神の意思体現者のように誰が何に挑戦すべきかを高みから決める権限などある筈がないでしょう。
文字通り「良心」があるならば、「自分にはそういう権限がない」と回避すべきです。
海渡氏の意見では、民意によるべきか?という疑問さえ抱かずに科学でわからないならばエリート裁判官が「良心に従って決めるべきという主張が自然に出てくるのが、彼らの特徴です。
昨日だったか?思想の自由市場論で書いたように、指導者が一方的に決める思考回路に親しんでいる場合にこういう意見が自然に出てくるのでしょうか?
ただし、終わりの方では流石に気になったらしく(交通事故ゼロが100ゼロでなくとも良いのとは次元の違う大規模被害になるから?)「多くの国民の世論が脱原発を求めている現在」と書いてありましたが、どこで多くの国民が脱原発を求めていると調査したのか根拠を書いていません。
本来論証すべきテーマは原発が壊滅的機被害を受ける地震がいつ来るか分からない時に、その間、そうするかについて、国民意思によるべきか陰陽師等の占い師に委ねるか等の決定権者に関する議論が必要です。
神のお告げや独裁者の命令よりは「民意によるべし」というのが、民主主義国家においては争いのないルールであると思えます。
そうなると論証すべきは民意がどうなっているかが重要ですが、この重要な民意がどうなのかについて海渡氏はいつの世論調査かの引用すらしないでいきなり「「国民の世論が脱原発を求めている現在」という結論を出して一方的に自己主張と同じだというかのようです。
革新系の常套文句・・・「国民多数の声を無視するな」と同じ繰り返しです。
重要なのは地震や火山噴火の予知が確かかどうかではなく、この程度しかわからないことについて、国民が原発にどの程度までのリスクを許容しているかです。
車の事故がゼロでないから乗っては行けないという人はいないのですが、車や一般の公害と違い原発の被害が巨大だから、「確率100%ぜろが必須に決まっている」と言うのが、海渡氏の立場のようですが、そういう国民合意があるのかどうかこそが重要です。
いつも書くように、彼ら選挙では少数の支持しか得られない革新系が国民意思を何故代表していると言い切れる?かです。
反原発を誘導したい立場あるいは促進したい立場で行う非中立の世論調査で民意が決まるならばこの世の中に選挙制度も国会も不要です。
報道機関が勝手にやっているだけで、世論調査には民意を確定する権限が一切ないのですが、報道機関が自己のやっていることを誇大に評価しているだけのことです。
民主国家においては本当の民意は、秘密投票制の選挙で決まるものであって、それ以外には正式に知る方法がありません。
特に英国のEU離脱国民投票と事前世論調査の大幅食い違い、アメリカ大統領戦での世論調査と選挙結果の大幅乖離、日本でも昨年の総選挙前の内閣支持率低下状態の大規模報道と選挙結果の大幅乖離などが続き、世論調査の信用性が大幅に低下しました。
4〜5年前の都知事選で原発反対を主要政策に掲げて立候補した元総理細川氏(大物コンビ)が元総理小泉氏支持を受けてメデイアの大報道を受けて選挙に臨みましたが、惨敗しています。


共同通信
2014/01/13 に公開

細川護熙元首相(76)は14日昼、東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補に向け、小泉純一郎元首相と都内のホテルで会談した。
細川氏は出馬を表明。 「脱原発」を目指す考えで一致している小泉氏 は支援する考えを伝えた。

14年の都知事選の選挙結果は以下の通りでした。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit

1 ■舛添要一    無所属  新   2,112,979   43.40%
2 ■宇都宮健児   無所属   新    982,594.767   20.18%
3 ■細川護煕 無所属 新    956,063   19.64%

http://blogos.com/news/2014_tokyotochijisen/?g=politics

新聞各紙の社説
手堅さを選んだ都民             朝日新聞
原発論戦今後に生かせ 首都の安全網に全力を 毎日新聞
・無責任な「原発ゼロ」信任されず – 読売新聞
・「脱原発」ムードの敗北だ 五輪や福祉への対応を急げ – 産経新聞

上記の通り原発事故から日の浅いこの時期でも、脱原発を正面テーマに据えた選挙をしてみると、根拠のない?原発反対論は19%あまりの支持・・棄権票を反対票にカウントする革新系の好きな計算方法によれば約1100万有権者の内95万人しか支持されなかったということです。
しかも原発反対派の公約自体は即時全面廃止の主張ではなく、せいぜい脱原発という方向性の主張に過ぎませんが、それでも19%あまり(有権者の1割弱 )の支持しかなかったのです。
ところでここで注意すべきは原発訴訟は、仮処分による「即時停止」を求めるものであって、民主党でさえそんな過激な主張をしていません。
民主党は蓮舫執行部の昨年始め頃に2030年までの廃止表明に動きだしたものの、党内反発が強くて党内の公式議題にすらできず失速して、退陣となり前原執行部になって、総選挙を迎えたものです。
ちょっと見ると、17年選挙時に民主党の立候補がなかったので民主党の政策が直接出なくなっていますが、間接的には以下の通りです。
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171005/ddm/002/010/122000c

希望の党は「2030年までに原発ゼロ」を掲げ、民進党が訴えていた「30年代ゼロ」より踏み込む方針だ…

毎日新聞でさえも上記の通りで、即時停止などの乱暴な意見は怖くて選挙公約にすら掲げられないということは民意は即時停止を求めていないという各党の評価でしょう。
海渡氏は、どういう根拠で即時停止を求めるのが民意/国民多数の意思であるかのように主張しているのでしょうか?

民意(選挙と世論調査)1

(アメリカのバックを期待した)中韓政府による慰安婦や南京虐殺宣伝強化に対して安倍政権は発足時から、これを正面から否定する姿勢でしたから、両国は戦後70年も日本叩きに(騒いでは日本から妥協を引き出す・言わばゆすりたかりの材料にしてきたのです)利用してきた材料を失うので猛反撃をしてきました。
これに敏感に反応して来たのが日本のメデイア界でした。
安倍政権が慰安婦否定を基本軸にした立場で発足するとメデイア界総力をあげて「歴史修正主義者」というレッテル貼りにメデイアがこだわるのは、日米戦争に関する「アメリカの大義に挑戦している安倍政権」の図式を作れば安倍政権を抹殺してくれる期待があったからです。
田中角栄以降少しでもアメリカの意向に反する独自外交を試みるとあっという間にスキャンダルが暴かれて(CIAはそのために世界中で展開しているような存在です)潰されてきたのが戦後の歴史でした。
橋本龍太郎総理があまりに激しい日本叩きに対して「米国債を売りたい誘惑がある」と遠慮がちに言ったら因果関係不明ですが、ともかくすぐに失脚でした・・。
今回は安倍総理の巧みな国際外交の結果、アメリカは日本支持に鞍替えするしかなくなった結果、朴大統領は「不可逆的」と国辱的な条件付きの日韓慰安婦合意を迫られて失脚し、中国も露骨な反安倍外交を手仕舞いして今ではもみ手ですり寄ってきた状態です。
アメリカの国際的地位低下→日本の心からの支持を受けるには、いつまでも「日本悪者説」のままではうまく行かないので、戦争責任に関する歴史見直しがアメリカ自身で始まってきた方向性が感じられるようになりました。
歴史修正主義者のレッテル貼りがアメリカの支持を受けずに失敗した現在では、政策内容の議論よりも安倍政権だけは許せない・・「安倍政権下の〇〇反対」と言うスローガンほど(従来のアメリカの意向反映ではなく中韓独自の利益代弁・・)中韓政府の意向をはっきりさせる標語はないでしょう。
ところで戦後思想界の動きについては、アメリカの思惑と違い、思想自由化を進めると教育界や思想界が左翼思想一色になっていった経緯を書いている途中でしたが、(書き掛けのシリーズに戻る予定です)報道の「聖域化」が左翼(中ソ)や韓国系の浸透を促してしまったことになります。
ここで一言書いておくと「思想の自由市場論」は現場に立脚しないエリートの観念論優位を前提にするものであって、経済活動の自由市場論・庶民の動きによる市場によって形成される結果優位説(学問=国家指導によって価格や必要産業が決まるのではない=自由主義経済思想と相反する思想です。
経済学者は市場の動きを後追い解説ができますが、学者の言う通り市場が動かないのは市場が間違っているのではなく市場が正しいものとして受け入れるのが自由主義社会の原理です。
共産党一党独裁は専門家の決めた計画経済体制ですから、観念的思想論争に自由の建前があっても、現実重視の価値観がありまでん。
当たり前すぎてこういう意見をいう人がいないのかもしれませんのでこれは私独自の意見ですが、上記私見によれば、思想の自由市場論という特殊閉鎖学会?内の自由市場論は自ずから現実無視の観念論にたけた左翼思想の席巻を許した原因でしょう。
これで思い出したのですが、数日〜4〜5日前に事務所で時間があったので(2月頃の日付の)判例時報に日弁連元事務総長だったかな?海渡雄一氏の原発訴訟関連の論文があったので読んでみた印象です。
(うろ覚えですので誤解があるかもしれませんが、その時に受けた印象です。)
伊方原発に関する最高裁判決以降の原発訴訟判決や決定など、論旨明快な解説批判でしたが、要は地震や火山噴火(鳴動)の発生メカニズムがはっきりしないことが論証されたということらしいです。
論証されているのに原発停止を命じない裁判官がいるのは、「岐路に立つ裁判官」「独立した司法が原発訴訟と向き合う」という表題「良心にのみ従って」判決を書いて欲しいと言う趣旨の主張を総合すると海渡氏らの主張に合わない判決や決定を書く裁判官は如何にも権力から独立していないかのような表題です。
以上は論旨明快なので頭の良い人らしいと分かるのですが、そもそも「百%安全を論証しないと原発が許されない」という前提自体の論証がありません。
そもそも国民が、「100%地震予知できて安全」などと信じているのでしょうか?
脱原発主張の民主党でさえ30年代までの原発廃止目標でしかない・原発訴訟団主張の即時停止を求めていないのですが、民主党が科学的に100%安全を前提にこういう主張をしているわけではありません。
100%安全であれば民主党も脱原発を主張していないでしょう。
そもそもほんのおめでたい例外を除いてほぼ百%のひとが、火山や地震の研究を進めても今後50年や100年で正確な予知できるようになるとは思えないが、やらないよりは良いので予知研究を進めているだけというのが一般理解ではないでしょうか?
まして現段階で地震のメカニズムを知り尽くして100%安全だとの主張をしてきた人は誰もいないでしょう・・そんな不可能な主張を政府がしてきたとは誰も思っていないでしょう・・。
100%安全などと誰も思っていないことについて、100%安全でないという論証したというような意見ですが、そんな無駄な論証に長期間を費やしてきたとは驚きです・原発訴訟とは「木を見て森をみない」を絵に描いたようなプロの仕事か?と言う印象です。
現時点の科学技術をできるだけ取り入れる程度の意味で科学者による規制委員会に決めさせているに過ぎないのに、揚げ足取り的批判をして、変な技術論に踏み込んだ結果「100%安全でないことがわかった」からと言って原発を止めるべきかどうかの議論をするのは国民関心とズレている印象です。
(元々百%正確に火山爆発や地震を予知できると思っている人はいないでしょうから、当たり前すぎることを論証するために国費を浪費して?裁判してきた努力に驚くばかりです・)
今日明日の天気予報でさえ、「現在科学で分かる限度でいえばこうなるだろう」という程度であって、100%の精度など誰も期待していません。
明日の天気予報を見て寝ても、翌日になるともう一度今日の天気予報を見、空を見上げてから出かけるのが普通の行動です。
昨日予報を見たから今日の天気を気にしない、あるいは、週間天気予報を見たから今後1週間天気予報も見る必要がないという人はいないでしょう。
経済学者の論説も「一定の与件で考えればこうなる」というだけであってその他無数の条件については(わからないことが多すぎるので)考慮に入れていないので、実際の経済予測がほとんど外れているのです。
どうせ正確に1週間先の天気がわからないまでも専門家が現時点で分かっている程度の科学的な説明してくれたら納得しやすいという程度を科学者や経済学者等の説明に期待しているだけです。
大地震直後に地震の仕組みの説明が出ますが、それも今のところ、こういうことが分かっているのかな?という程度に多くが受け止めています。
以上によれば元々誰でも知っていることを長々と裁判して科学的に1000年以内の噴火や大地震がないと言えないことがわかったことで何が決まったというのか疑問です。
科学でわかるか否かの勝負がつけば、科学でわからない場合どうするかが次のテーマです。

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