メデイアと学者の煽り1(思想の自由市場論のまやかし)

放送権を寡占しているメデイア界が放送の偏り批判を受けると、「日本の公平性規制がおかしい」として言論自由度ランクキングを下げる運動を世界規模で展開し、ついに国連特別調査官任命・・対日調査にこぎつけてメデイア界の要望通りの調査報告をしてもらい「虎の威を借りて」政府批判をしておきながら、政府がこれに応じて参入自由化とセットで放送に公平性を求めずに自由にさせようとすると大反対するとはおかしな業界です。
勘ぐれば、寡占のままで「言論の自由侵害だ、なんの批判も許さない.規制するな」と言ってれば、寡占業界では好きな方向へ世論を誘導できます。
ネット業界も自由参入になるといろんな意見が出回りやすくなるので本当の「言論の自由市場」になってしまうと「自分達の偏った意見は淘汰されるので困る」という本音が出てきたのではないでしょうか?
憲法学者の決まり文句である「思想の自由市場論」は特定思想傾向のメデイアが寡占している市場を前提にしていた「まやかし論」であったことが昨日紹介した日経新聞の論調で暴露された印象です。
表現の自由の問題が遅れて問題になってきたのが、16年アメリカ大統領選でのトランプ氏のメデイアに対するフェイク攻撃です。
アメリカも思想の自由市場とはいうものの、実際には大手メデイアの寡占市場です。
3社を4社〜8社に増やしても談合的に同一方向(業界基準?)に向けた報道ばかりするようになれば同じことです。
自由市場化するにはだれでも指折り数えられるような有名大手企業を少しばかり参入させる(1〜2社増やす)のではなく、業界標準的思想傾向に関与しない無限?の参入を期待できるネット業界へ電波利用を解禁する発想は画期的なことです。
寡占市場であるメデイア界に特定政治勢力が牢固たる勢力を張ってしまい、一定レンジ内の意見しか報道されていなかった問題点を暴いたのがネット通信の発達でした。
自由な表現が広がれば、その分名誉毀損的意見やワイセツ、業務妨害的あるいは米大統領選挙で問題になっている選挙妨害など多様なマイナス利用が増えるでしょうが、それはそれで別の救済や抑止手段等を工夫して行けばいいことであって、まずは自由な発言発表の場が増えた点を前向きに・公共電波利用権付与を含めて前向きに捉えるべきです。
有用な技術が出てくるとその弊害ばかり強調する意見がメデイアで主流になりがち・・・これが何でも反対の野党を育てている原因です。
新たなものを利用するには新技術に応じた規制がセットであるべきです・・高速道路を認めると歩行者が危険でないかと言う時には歩行禁止にすれば良いように(従来価値観では人が歩けない道路ってあるの?となりますが・・・。)新しいことには新しい発想が必要です。
頭の硬い集団では、表現の自由に対する規制を絶対悪視する傾向により、新しい規制に何でも反対したがる傾向があります。
車=危険→車禁止のおかしさは誰でもわかるでしょうが、空軍基地や原発・パソコン・防犯カメラ・GPSその他全て新らしいものはダメの発想でいいのでしょうか?
軍隊=戦争をイメージしてしまい、軍備反対という短絡思考も似ています。
ドローンであれ軍備も飛行機や車も各種工場も安全に向けた工夫をこらしながら発展させていくべきです。
車の便益性は言うまでもないことですが、一方で生命等への危険性は皆無ではありませんが不断の努力により、今では我が国の交通事故年間死者数が5000人以下になっています。
工場等も有益であるけれども労災事故や公害〜騒音等の被害もありますが、これも公害防除技術の発達や安全管理の徹底等により、我が国では一定程度まで克服されて来ました。
原発も同様で安全運転に向けた工夫の余地がないかの議論が必須ですが「まず反対ありき」では建設的議論になりません。
結果的にいろんな分野で既得権益を守ることにエネルギーを使う集団になってきたのでしょう
・・・ひいては思想の自由市場参加者を制限して一定方向の思想のスクリーニングを受けた人しか表現できないようにしておけば(メデイアの主張に反する変な?意見が出ないので)自分亜たちの都合の良い件ばかり報道できるグループから見れば、言論規制の必要がないのは当然です。
結果的に自分たちの気に入った表現の自由が守れる・・・参入制限方向へ意見が偏るようにように見えます。
ロシアによる米大統領選挙選挙英国の離脱国民投票への介入、直近フランス大統領選その他への介入疑惑が盛んですが、(我が国では中韓系細胞のメデイアへの浸透疑惑)参入制限があって5〜6社程度の企業相手ならば、長期間かけた外国勢力の浸透工作が容易になります。
参入障壁を低くして超大手だけでなく一定規模の企業が次々と参入してくると、工作すべき相手が拡散する分に比例して浸透工作が難しくなります。
この角度から考えても参入拡大が必要です。
「思想の自由市場」と言うからには参加を否定するのではなく、参入障壁が下がるのに従って必然的に増えてくるマナー違反に必要な規制をタブー視しないことが重要ではないでしょうか?
一定仲良しクラブ的な運営・・気に入らない意見の参入規制をしたままで「思想の自由市場」とはおこがましい限りです。
大学自治会を極左集団が牛耳ってしまっても、その排除方法がないのですが一般学生や社会が無視すればいいことで大した実害がありませんが、電波を寡占している大手メデイアが(実情無視で)一方的傾向の主張を垂れ流すのは実害が大きすぎます。
何が偏頗放送かを誰がどうやって判定するかの問題を解決する方法が今の所ないので、中立や公正報道の義務強化よりは、参入の自由化によって、思想の自由市場化によって淘汰を待つ方が合理的です。
電波割当制では有限どころか希少すぎて超大手しか参入できない難点がありましたが、インフラ整備と利用の2階立て構想は素人の私から見ても非常に魅力のあるアイデアと言うべきです。
NTTの通信設備インフラ部門と利用を切り離したことで一定の資本力があれば携帯やネット通信に参入できるようになったのと同様で電波希少性の隘路も、一定料金を払えば巨大設備を対等料金で利用できるようになれば参入障壁がぐっと低くなります。
いわばクルマを買わなくともタクシー等を利用できるようにすれば、購入し自分で保管維持できる人以外の利用できます。
鉄道施設を自前で持つ人だけが鉄道輸送できるのではなく、一般企業が貨物運送を利用出来れば公平です。
電波利用者・参加者が増えれば、報道の多様化効果が高まりまさに言論が市場化します。
公共工事の談合が禁止されているのは市場価格が歪められるからですが、思想の自由市場?の場合、あえて談合しなくとも慰安婦騒動でいえば「朝日がやっているのに負けられない」とばかりに一見独自意見のようなそぶりで競合他社がどっと追随報道に走ったので日本中が強制連行論一色になった原因でした。
思想表現は談合しなくとも、発表されるとそれを見てからの後追いでも瞬時の遅れを取り戻せるので、実質的な(一発入札の公共工事と違い)談合効果があります。
慰安婦騒動による朝日の検証委員会意見は朝日新聞の主張を引用する記事を調査したがほとんどない・・少ないので、朝日新聞の責任は低いかのような意見でした。
大事件スクープがあると、スクープで先を越された他社が単なるスクープの引用だけでは負けてしまうので、追っかけて深堀・独自取材を装うのが普通・朝日の引用意見ばかり書かないのは当たり前のことですから、こういう論理で朝日新聞の責任が少ないという意見の不自然さ(朝日新聞が選んだ委員ですから当然ですが・・)をそのころに書きました。
言論市場に4〜5社程度しか参加がないと、あえて談合しなくとも一定思想方向の人材を揃えておけば他社との競争と言っても「より早いか、よりセンセーショナルなキャッチコピー術に優れているか」の競争・・一定方向へ意見が向かうに決まっています。
これでは違った方向の意見が出てきません。
大学自治会が4〜50年前から政治偏向が激しくなりすぎたので、今では自治会がある政治意見を発表しても全学生の意見を代表する意見とは誰も思わなくなっていますが、これはこれで放っておいても誰もがそう思って無視できるので社会に悪影響を与えません。
しかしメデイアは庶民に一定方向の誤った情報を植え付けて、行動を煽る傾向があるので、放置できない影響力があります。
どうせ煽り合いならば、自由にさせていろんな意見から国民が自分で決めた方が合理的ですが、日本では報道できるものが寡占状態にあるのが問題です。

軍部責任説2(マスメデイアの報道は公正か?)

時の経過で本当に日本軍人が南京大虐殺や慰安婦強制連行をしたのかについて疑問が起きてきたのは当然です。
「戦犯とは何だ!という疑問も起きてきます。
戦犯とは戦争当時に締結されていた戦時条約違反者のことであって、戦勝国が勝手に決めたルールで裁くことこそ条約違反であり戦争犯罪です。
まして後の人権思想で裁く権利ではありません。
この点については後で戦時国際法やマーストリヒト条約等の紹介をしながら書いていく予定です。
国民から湧き上がる疑問に対して左翼・文化人は答えることができません・・。
そこで、アメリカの戦後秩序を否定するのか?と言わんかのような国際宣伝をしてみたものの、慰安婦騒動ではアメリカにはしごをはずされ、その後トランプ氏と安倍政権が仲良くやっていることもあって、うまくいかないので、国連等へ行って日本には言論の自由がないと主張する人が増えてきました。
数年前に児童売買春関連で国連調査官を招いて(公的議決によるので個人が招く訳がはないでしょうから、日本の言論状況調査の必要性を強調し調査官派遣決議実現に尽力した人がいるのでしょうか?)少女の10何%かがやっていると言う記者会見だったかを誇らしげにブログか何かで発表していたことが話題になりましたが、この再現のようです。
この委員会委員長は日本の弁護士であるとのネット報道があったような記憶です。
委員長が独裁的に決めるものではないものの、いろんな国際会議での議長国になると議事進行等の裁量権が半端でないことが知られています。
https://blog.goo.ne.jp/hanamiduki87/e/6ccf38ccbdd4259fd27b7d85ad4ab2e2

日本の「報道の自由度」は過去最低、国連調査官の訪日と警告
2016年04月22日 | 社会のニュースを考える
報道自由度ランキング、日本は72位 3年連続で順位落とす
(TBSニュースi)
国際ジャーナリスト組織=「国境なき記者団」は、報道の自由に関する2016年の世界のランキングを発表しました。日本は72位に後退し、3年連続して順位を落としています。
「国境なき記者団」が発表した「世界報道の自由度ランキング」では、世界180の国と地域の報道がメディアの独立性や透明性などを基準に評価されています。
日本は、前年から11ポイント後退して72位でした。国境なき記者団は、安倍政権がメディアの独立性を脅かしていることや、主要メディアの自己検閲が増加していることなどが日本の民主主義の土台を危ういものにしているとしています。また、福島原発、日本の国防などが“国家機密”となっていて、ジャーナリストの取材を防ぐ厳しい法律で守られていると指摘しています。
最も報道の自由度が高い国はフィンランドで、70位に韓国が入ったほか、中国は176位、北朝鮮は179位、最下位はエリトリアでした。(20日21:55)
・・・ケイ氏はこの日、東京都千代田区の日本外国特派員協会で記者会見。番組に政治的公平を求める放送法四条の廃止を提言し、「メディア規制から手を引くべきだ」と述べた。高市氏には何度も面会を申し入れたが、会えなかったという。

上記はランクが下がったことを自慢のように「どうだ!と言いたいらしい人のネット記事ですが、世界中で国防関係機密情報あるいは原子力情報(テロリストの手に渡ると大変なので)を無制限開示している国がある筈がありません。
日本がこれを世界標準に近づけようと努力しただけで、これを理由にしてもともと機密にしている国よりも言論自由度を低くする理由にすのは論理的意見とはいえません。
また、一定方向へ誘導する言論がメデイアで幅を利かしていて公平でないことに対するネット上の非難が強まると、「言論が不自由になった」と国連機関を利用している疑いをもたれるようになってきました。
これまでマスメディアが情報発信を寡占していたので、報道の偏りに不満があってもマスメデイアが取り上げない限り自由な批判発表の場がなかったのでメデイア界を牛耳っている人が偏った意見を垂れ流しても批判できなかった・言論の不自由な社会でした。
ネット発達によってマスメデイアが偏っていると言う非難が自由に出回るようになってメデイア関係者が従来通り言いたいことを100%言えなくなるのはむしろ健全化したことではないでしょうか?
彼らが批判を意識して萎縮している現状について、国連調査官が来日して偏向報道批判の根拠になっている「メデイアの公平論を外せ」と提言しているようですが、電波に限りある以上・・・テレビ放送できるマスメデイアは、日本に何社もない寡占市場です・・・寡占企業が独占的地位を利用して報道の自由と称して一定の立場に偏った報道をして良いのか?と言う意見には、一定の合理性があります。
思想の自由市場論が成り立っていないからです。
鉄道や電力のような地域独占を認める産業では提供サービスや対価を自由に決められない規制があるのは当たり前のことで、独占~寡占と規制とは裏腹の関係です。
「公平報道規制をなくせ」という意見をメデイアの主張としてではなく、国連調査官報告という権威を借りて大規模に報道するならば、同時に偏頗報道規制が必要、あるいは参入規制撤廃が必要という反対意見報道もすべき・・反対意見併記が公正な報道態度でしょう。
国連調査官による言論不自由度批判を報道する時には、メデイアの公平性必要を言わずに国連調査官の批判を「神のお告げ」のように宣伝していたのに、今になって中立性というか「規制」の必要性を大規模に主張し始めたのは不思議です。
日経新3月26日朝刊3pには、大見出しで
『放送の政治的公平』撤廃も」
の大規模報道が突如出てきました。
政府が規制改革というか番組制作部門と放送インフラの2階建構造に改組して、一般ネット通信企業にインフラを開放する構想をしていることに対するメデイア界の危機感の表明らしいです。
上記開放が実現するとネット通信にはもともと放送法4条の政治的公平その他の規制がないので、放送法の規制そのものがなくなるというのですが、日経新聞の主張?メデイア界の反発主張は、規制がなくなれば好き勝手な放送が始まり
「偏った番組懸念」

という大きな縦書きの見出しがついています。

「首相は1月末の新経済連盟の会合で『ネットテレビには放送法の規制がかからない』と主張」規制撤廃に意欲を示した」

と危機感を煽っています。
既存メデイアは放送法の公平性を守っているから良質な放送をできているが、規制がなくなれば

「放送法に詳しい立教大砂川教授は第4条が撤廃されればフェイクニュースが話題になったように情報がどんどん偏る」と語る」

と主張しています。
国連調査官まで招いて?「4条の規制を外せ」と煽っていたのに、政府が「それでは参入を自由化して皆で好きに報道したいことを報道できる制度にしたらどうだ」と方針表明すると今度は既得権益喪失危機感表明の大合唱です。
憲法学者の言う「思想の自由市場」とは、左翼系メデイアの寡占支配を前提にした仮想現実で自己満足していたように見えます。
本当に表現の自由が始まると今までメデイアが「一方的に行なっていた主張ができなくなり競争に負けそう」という悲壮感アリアリの報道です。
「日テレ社長『容認できない』との大きな見出しも出ています。

メデイアと野党の政府追及4(小西参議院議員1)

軍部の気に入らない言論が不自由になって来たのは、これまで見てきたように・・戦前でも多くは野党やメデイアの要求によって政府が仕方なしに辞職を求めさせられたものがほとんどでした。(天皇機関説事件など)
戦後もこのような仕組みは同じで、国務大臣の靖国参拝や中韓両国の気に入らない発言を「失言」と称する野党やメデイアの大々的政府の責任追求の結果、国務大臣が辞職に追い込まれる例が大方でした。
平成に入る頃までは、戦争責任や朝鮮支配に関する持論を述べたのが失言として攻撃→辞任が多く、平成以降は意見自体に問題がないのに表現がどうのという上げ足取り的攻撃による辞任が主流になってきます。
いずれにせよ、言論の自由を標榜するメデイアが、「そんなこと言っていいのか!」という根拠のない攻撃でメデイアに対する反論を許さないかたちで攻撃し社会的地位を抹殺する点は同じです。
まずは閣僚の辞任を求めるのが政治家の目標になっている点に関する記事の紹介です。
https://news.infoseek.co.jp/feature/politicians_gaffe/の一部です。

小西ひろゆき (参議院議員)‏認証済みアカウント @konishihiroyuki
参院予算審議が終了。森友学園の追及で安倍総理はおろか閣僚一人も辞任に追い込めなかった。政権の支持率も非常に高い状況にある。予算委が終わると追及の場所が限られてしまうが、何とか打開したい。報道関係者からは民進党の質疑等への批判を頂いているが、党内で共有し残りの通常国会の糧としたい。
3:41 – 2017年3月27日
返信先: @konishihiroyukiさん
誰かを辞任に追い込めば自分たちが代わりに支持されて上に上がれる、という思い込みを改めたらいかがです。
チェスト‏ @chest01 2017年3月31日
政治そっちのけで他人にケチつけるのが仕事だと思ってる人は辞めてほしいです。

辞任を勝ち取るのが国会議員の仕事なの?っという炎上です。
戦前から今も野党の仕事はこの程度です。
政策を競う姿勢がないのです。
ついでに3月21日現在の小西氏の紹介をウイキペデイアで見ておきます。

NHK経営委員の交代を要求
2014年3月12日、参議院予算委員会の質疑において、日本国憲法を批判していたNHK経営委員の長谷川三千子について「こういう方がこの世にいるのかと驚いた」「NHK経営委員として適格ではない」と批判した。[5]。
また上記の質疑において、安倍政権下で任命された経営委員の顔ぶれについて、戦後初めて経営委員会に東北地方の代表者がおらず、全国各地方の公平性の考慮を規定している放送法に違反するとして長谷川三千子、百田尚樹両経営委員の罷免を要求した[6]。

どんなに良くできた一般法令(税制や建築基準)でも長期間の運用→技術革新・社会の変化に合わなくなる分野ができてきます。
担当者が運用上不都合が起きているのを知った以上は、その改正意見をいうのが公務員の義務的なものであって、放置する方が怠慢というべきでしょう。
この点は民間でも同じで、古いマニアルではこのような不都合がある・・こうした方がいいと思えば、それを黙っている方が職務怠慢・無責任であって、不都合を一番早く知る現場からの提言が求められています。
現実運用の不都合をいう以上はその前提として「こういう改善した方が良いのではないか」という建設的意見とセットになっているのが普通です。
現憲法に不都合があると思えば「このような改正が必要」と主張をするのは文字通り言論の自由であって憲法擁護義務を前提とした意見(守る気持ちがなければ改正の必要がありません)ですから憲法擁護義務違反と関係がありません。
旧社会党あるいは、現野党も政府批判するときには批判とセットで「今の制度ではこういう不都合があるから自党の改善案はこれだ」と示せば国民も与野党どちらの主張が良いかの選択する余地が生まれます。
ところが、戦前の野党に始まって現野党に至るまで、最近の例で言えば、「保育所落ちた日本シネ」の批判も、「政府案ではダメ、民進党ならば、こうやって保育所増設のスピードを上げる」という対案提示がありません。
今国会の「働き方改革」も批判するばかりで・データが違うと言うのですが、「正しいデータであればこのような改正案になるべきだ」という何の提案もない・政策実現の妨害をしているとしか思えません。
森カケ問題と働き方改革とどういう関係があるか知りませんが、早く法案を通したいならば「大臣の首を差し出せ」という「戦略論?」ばかりが見え透いています。
そのほかに上記小西氏の国会追求発言は戦前から言論弾圧に道を開いていった野党の体質を引きずる重大な問題を含んでいます。
憲法改正意見を持っているものが公職についてはいけないという「思想による差別」を野党が率先してしかも国会で公式要求しているのには驚きます。
思想・言論については、思想言論の自由市場で堂々と反論すればいいことであって(天皇機関説事件の時の政府答弁は学問のことは学問の世界で議論すべきものであって、国会で論争することでないと答弁していたことを3月21日冒頭に紹介しましたが、メデイアに押し切られてしまったものでした)公職追放を国会で求めるのは美濃部事件で政府追求に精出していた戦前の野党体質そのものです。
憲法改正意見に対する反論ができない・・内容の議論では負けてしまうからこういう攻撃しかできないという事でしょうか?
日弁連や野党の憲法論は「立憲主義を守れ」「近代法の法理違反」「平和主義」というスローガンばかりで内容の議論を(寡聞の私だけのことかも知れませんが・・)聞いたことがありません。
野党やメデイアが国民不満を煽っては、審議拒否で困らせて審議を進めたい政府がやむなく担当大臣を辞職させるしかなくなるのを待つのが仕事・・・閣僚の首を取るとかのマイナス要求ばかりで、戦前から戦後にかけて一貫して前向き提言がないのが一般的ですが、憲法改正意見を持っているという理由でNHK委員の解任を公式に求める野党の体質が現れています。
公器・中立を求められるNHK経営委員に特定思想の人が影響を持つのがおかしいというのでしょうが、それを言い出したら特定思想による学校教育がいけないとなり(日教組の存在自体が許されないのかな?)戦前の美濃部事件・・機関説の教育を許さない・・刑法では滝川事件の主張を正当化する意見・昨日見たように野党が引き起こした事件なので正当化したいのでしょう?
その野党が言論の自由を金看板にして「戦前の暗黒政治復活を許すな!というのが基本姿勢ですから不思議です。
彼らのいう言論の自由とは、自己の主張が通れば言論の自由が窒息してしまっても良い・単に政府要職の首を取ることだけが目的であり(天皇機関説の攻撃が野党のよって立つ政党の存立基盤崩壊の結果が生じることを無視して目先の効果・政府要人の辞職を勝ち取ることだけを目的にしていたのと同様で)「手段を選ばない政治活動の自由」と言う狭い意味を主張しているように見えます。
小西氏に関するウイキペデイアの続き・小西議員の国会発言を明日続いて引用しますが、これが民進党の公式憲法論なのか?不思議ですが紹介しておきます。
民進党は、高学歴者が多いことが自慢で、相手が東大卒でないとこれをバカにする傾向を批判されていますが、批判されても自分の学歴を自慢するしかないまともな議論をする能力がない政党でしょうか?

メデイアや野党による政府追及1と思想弾圧2

実際に美濃部達吉の天皇機関説事件では内務省がメデイア世論に押されて告発したものの、検事調べで起訴猶予処分になって終わっていますし、京大の滝川事件でも、大学を(国家公務員の地位を)追われるかどうかだけで刑事処罰されたものではありません。
美濃部事件では野党政友会によるもので政府が対応するしかなくなったのですが、政府中枢どころか、天皇陛下でさえ美濃部説を支持していたと言う発言記録があるほどです。
天皇機関説事件に関するウイキペデイアの記事からです。

昭和天皇の見解
昭和天皇自身は機関説には賛成で、美濃部の排撃で学問の自由が侵害されることを憂いていた。昭和天皇は「国家を人体に例え、天皇は脳髄であり、機関という代わりに器官という文字を用いれば少しも差し支えないではないか」と本庄繁武官長に話し、真崎甚三郎教育総監にもその旨を伝えている[7]。国体明徴声明に対しては軍部に不信感を持ち「安心が出來ぬと云ふ事になる」と言っていた(『本庄繁日記』)。また鈴木貫太郎侍従長には次のように話している。
主權が君主にあるか國家にあるかといふことを論ずるならばまだ事が判ってゐるけれども、ただ機關説がよいとか惡いとかいふ論議をすることは頗る無茶な話である。君主主權説は、自分からいへば寧ろそれよりも國家主權の方がよいと思ふが、一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。……美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠なのでないと自分は思ふ。今日、美濃部ほどの人が一體何人日本にをるか。ああいふ學者を葬ることは頗る惜しいもんだ — 『西園寺公と政局』

滝川事件も以下で紹介するように政府中枢がメデイアの煽る世論に仕方なしに妥協的な処分をした裏事情が出ています。
半可通の右翼青年が政治力を何故持つようになったかといえば、民主主義がなかったのではなくむしろ民意重視の古代からの我が国で民意・・世論を偏った方向へ煽るメデイアの害が大きかったのです。
日露戦争講和条約に対する不満(戦勝したのに戦利品が少ない不満)で集まった暴徒による日比谷公園焼き討ち事件が知られていますが、素人が日ロの戦力比や国際情勢の機微を知る由もないので、半可通の極論を言う一部人士の言説をあたかも正義のようにメデイアが煽ってこれに軽薄な階層(メデイアを読む当時の知識人?)が反応したに過ぎないことは歴史が証明して・・ポーツマス条約は国際的根回しの成果・・当時の国際環境下では最大の成果であったことについて争いがないでしょう。
日比谷公園焼き打ち事件に関するウイキペデイアの記事です。

ロシア側はあくまで賠償金の支払いを拒否する。日露戦争の戦場は全て満州(中国東北部)南部と朝鮮半島北部であり、ロシアの領内はまったく日本に攻撃されていないという理由からであった。日本側の全権・小村寿太郎はロシアとの交渉決裂を恐れて8月29日、樺太の南半分の割譲と日本の大韓帝国に対する指導権の優位などを認めることで妥協し、講和条約であるポーツマス条約に調印したのであった。 この条件は、国民が考えていた条件とは大きくかけ離れるものであった(日本側は賠償金50億円、遼東半島の権利と旅順 – ハルピン間の鉄道権利の譲渡、樺太全土の譲渡などを望んでいた。一部政治活動家の中にはイルクーツク地方以東のロシア帝国領土割譲がされると国民を扇動する者までいた)。このため、朝日新聞(9月1日付)に「講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」などと書かれるほどであった。

当時はまだ民主主義制度が根付いていなかったので、政府は半可通知識にもとずく極論・暴動を無視していればよかったのですが、大正時代に入ってくると、メデイアによる世論形成効果(読者層が増えてきた)・・アオリ効果が多くなってきたので、半可通の知識人?やメデイアによる右翼扇動が(メデイアの一方的な報道がなければ条約交渉の推移など一般人が知る余地がありません)世論を形成し、国政を左右するようになって国家の方向性を誤らせてしまったのです。
戦前の軍国主義・いかに政府権力が怖いか・政府がいかに悪かったかを戦後メデイアや文化人が他人事(自分が被害者)のように宣伝をしていますが、右翼思想を煽って際限ない吊るし上げ政治・言論を萎縮させて行ったのはメデイアであり、半可通知識人だったのです。
ちなみに現在政府批判の急先鋒である朝日新聞は戦前には右翼の主張を煽って政府批判していた代表的メデイアであり、(上記日比谷事件でも朝日新聞の名が出ている他、後記上海新聞事件に関する論文を見れば天皇機関説事件その他で政府批判をしては、その都度軍部の力が伸長するのに貢献してきた疑いがあります。
メデイア界はこぞって軍部に媚びては次々と普通の学問まで標的にしてはまともな政治を出来なくしていったものであり、占領軍が来ると今度は占領軍軍政方向に協力し、占領軍がいなくなると中ソの宣伝機関化して戦前暗黒時代の宣伝に邁進するようになります。
日本社会の戦前戦後の違いは、メデイア界が右翼を煽るか左翼を煽る(対中韓失言報道を煽っては大臣罷免を要求するなど)かの違いであり、メデイアの誘導する民意?に基づく政治を前提にする点は同じです。
天皇機関説事件に関するウイキぺデイアの記事です。
天皇機関説事件とは1935年に起こった事件。当時の岡田内閣を倒閣させるための野党などによる攻撃に天皇機関説という憲法解釈が利用され、文民である内閣による軍事への影響力の根拠である「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が政府の輔弱を受けて行使する」が攻撃された。
議会の外では皇道派が上げた抗議の怒号が収まらなかった。しかしそうした者の中にはそもそも天皇機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。
最終的に天皇機関説の違憲性を政府およびその他に認めさせ、これを元に野党や皇道派[1]が天皇機関説を支持する政府・枢密院議長その他、陸軍統制派・元老・重臣・財界その他を排撃を目的とした政争であった[2]。
上記によれば、政府が弾圧したと言うよりは、現在政治同様に政策論争よりは野党の揚げ足取り政府批判に端を発し・これをメデイアが大々的に報じて世論を誘導して、内閣が対応するしかなくなった事件です・権力による弾圧ではなくメデイア攻勢に権力が屈した事件です。
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%AA%AC-102675による解説です。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
天皇機関説
一木門下の東大教授美濃部達吉(みのべたつきち)は、日露戦争後、ビスマルク時代以後のドイツ君権強化に対する抵抗の理論として国家法人説を再生させたG・イェリネックの学説を導入し、国民代表機関たる議会は内閣を通して天皇の意思を拘束しうるとの説をたて、政党政治に理論的基礎を与えた。京都帝大教授佐々木惣一(そういち)もほぼ同様な説を唱え、1920年代には天皇機関説がほとんど国家公認の憲法学説となった。
【政友会】より
… 続く岡田啓介内閣も中間内閣として成立したため,政友会はこれを支持せず,入閣した3閣僚は政友会を脱党した。一方,1935年に軍部や右翼が中心となって国体明徴問題がおこると,政友会はこれに同調し,民政党などとともに国体明徴決議案を提出して鈴木総裁みずからが提案説明に立ち,政友会は立憲主義を基礎づける美濃部達吉の天皇機関説を否定するという政党にとっての自殺的行為に踏み出した。

上記の通り政党自身が政党のよって立つ憲法学説を批判して否定の論で気炎をあげる・「政敵を攻撃するためには何でもやる・・日本の将来など気にしない」と言う政党の低レベル行為が、日本の代議制民主主義の病理現象を拡大し日本を破滅の淵に追い込んでいった・まだ民主主義を使いこなせなかったように見えます。

メデイアはきちんとした調査を!

以上見てきたように日経新聞報道による最高益と手元資比率の関係は、どの対象を調べた数字か不明なので合理的比較をできないようになっています。
11月25日の記事では、最初の方に「日本経済新聞社の調査では企業の17年度設備投資額は前年度比13、6%増と4年ぶりに2桁になる見通しだ」というだけで、この調査がだいぶ後に書いてある「積み上がったのが手元資金だ。直近で過去最高の117兆円と00年に比べて8割増えた。」という手元資金の数字根拠にもかぶるのかすらはっきりしません。
仮にかぶるとしてもどこの業界発表の数字を集計したのですらなく自社で独自?「調査」したというのですが、そもそも何を調査したのかすら書いていません。
日本企業全部または上場企業だけか、従業員何百人以上の企業または資本金何十億以上全部調査したのか、回答率何%か回答しない企業をどのように推定したかという方法などすべて闇の中です。
私の意見では、手元資金の大まかな第一次基準は月商規模によるべきで、投資計画中で資金蓄積中などは個別事情によるというものですが、第一次的妥当性を見るために月商と比較しようとしても、日経新聞社調査によるというだけで調査対象を書いていないので比較対象すべき企業群が不明です。
「直近で積み上がった手元資金は117兆円だ。」の手元資金が上場企業全部ならば、上場業全部の月商合計が必要ですし、日本企業全部ならば、日本企業全部の月商が必要です。
あるいは業界別の聞き取りによるというのならば、業界平均の月商が必要でしょうし資本金何億円以上の企業集計かもしれません。
数字根拠を出さない報道の仕方は、その数字が正しいかどうかのチェック不能にするばかりか、その数字を前提としたその先の議論の材料にもできない点で、第三者参加による合理的議論の積み上げに寄与しない不毛な報道の仕方であるように思われます。
そもそも第三者との合理的議論の高まりを期待していない・・議論に自信がない報道だからデータ出所をださないのでしょうか?
思想表現の自由は、思想市場で合理的議論対象にできてこそ必要で有用なものです。
ムードを煽るだけの言論に有用性があるのでしょうか?
個々人にとっては、合理的な調査をする時間も能力もないので「何かおかしい」というだけでも表現の自由が必要ですが、マスメデイアが根拠を合理的に示さずにムードだけけ煽るのは危険です。
ところで、仮に日本企業が必要以上の手元資金を保有しているとしても、メデイアはこの主張を繰り返すことによって何を実現したいのか連載意図が不明です。
その主張によって日本経済をどのようにすべきだという目的があるのでしょうか?
メデイアが何の政治経済効果を求めて「企業が儲けを溜め込んでいて投資に振り向けない」と批判するシリーズを組むのでしょうか?
韓国では内部留保課税実行で雇用促進を狙ったものの配当が増えるだけで終わっていることを11月19日に紹介しましたが、韓国と日本とでは経済活動の実情が違っています。
韓国では大卒や若者の就職率が低く、失業率の高さが危機的状況にあることが知られていますが、日本では求人が求職を超えていて人手不足のため受注に対応し切れない・・事業規模縮を縮小するしかないほど・たとえば宅配大手のヤマトでは配達回数を減らすために指定時間枠を減らすしか無くなっているのがその象徴で、就職難で困っている韓国とは実態が違っています。
http://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/info/info_170317.html

配達時間帯の指定枠の変更(平成29年6月中)
(1)「12時から14時」の時間帯指定を廃止します。
(2)「20時から21時」の時間帯指定を廃止し、「19時から21時」の時間帯指定を新設します。

今朝の日経新聞朝刊2ページには大きな見出しで「外食無休もう限界」という記事が出ています。
無休前提の外食業界も人手不足に勝てないので(交代勤務要員の手当てがつかない)徐々に深夜終日営業を切り上げていましたが、ついに無休営業をやめて休業日を設けるところが出てきたということです。
他方韓国では大変な雇用状況が以下の通り報道されています。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12329294824.html

2017-11-21 05:00:00
韓国、「身勝手」日本と同盟組まぬが「大学生就職」宜しく!?
韓国の就職状況は惨憺たるものだ。『中央日報』(11月2日付)は、その実態を次のように報じた。
「11月1日、韓国経済研究院によると、日本の8月求人倍数は1.52で、2015年1月(1.15)に比べて0.37ポイント上がった。就職希望者100人が就職できる雇用が152という意味で、52の雇用は労働者を求めても得られない状況だ。韓国は同期間の求人倍数が0.68から0.62にむしろ後退した。就職希望者100人が62の雇用をめぐって競争しているという意味だ。日本や米国はここ2年間、雇用環境が急速に改善されている一方、韓国の雇用事情は依然として停滞しているためと分析される。日本はアベノミクスのおかげで恩恵を受けている。
・・・・
1)「韓国外交部の趙顯(チョ・ヒョン)第2次官が11月13日、東京で日本政財界の要人と会い、韓日関係改善に対する韓国政府側の意志を伝えた。韓国外交部は『趙次官は日本経済団体および政府関係者の面談時、韓日関係改善に向けた韓国政府の意志を伝えた』と明らかにした。また『韓国人材の日本企業就職増大の必要性を強調した』とし、『日本側もその必要性に共感し、今後、双方の緊密な協議を通じて、日本企業が希望する韓国人材に対する情報提供、韓国学生の日本留学の増大および現地就職支援など協力方案をより具体化していくことで一致した』と伝えた」
このパラグラフを読むと、外務次官の訪日目的は就職依頼である。その前段に、日韓関係改善とあるが、主題は就職依頼だ。
・・・・
(2)「韓国人材の日本企業就職増大のための具体案として、趙次官は韓日大学間の相互単位認定制度の拡大を通じて、韓国の大学3年生が日本の大学4年生の課程履修後に現地で卒業および就職する案を積極的に推進することにした。また、日本の法務省や厚生労働省ともこの方案を進めていくための協力方案を協議していくことにしたと外交部は伝えた」

韓国学生の日本での就職促進で、具体案も持参していた。早手回しである。韓国の大学3年生が、日本の大学4年生に編入して卒業させ、日本で就職するという案である。数年前から韓国の就職難によって、日本の大学へ留学するケースが増えていた。日本語もその間に上達するメリットがあるというのだ。ただ、4年生からの日本留学案は、いかにも「羊頭狗肉」の感じだ。日本の大学を卒業するから日本人並みに扱って、就職させてくれというに等しい話である。」

この結果韓国は反日感情を一方で煽りながら同時に外交当局が韓国若者の就職を日本公式にお願いして来ている身勝手さを上記で書いています。
今の日本では、仕事(受注しても)が(人手不足で)間に合わないので投資を先送りしてほしい(オリンピック後に先送りしているプロジェエクト)分野がいっぱいあります。
一時の好景気よりも、長く続いた方が国民にとってもよいでしょう。
人手不足で各種プロジェクトを先送りする必要に迫られている我が国で、内部留保や手元資金過大をイメージアップし投資不足を強調する必要性がわかりません。
論理的でないのを知っているからこそ、非合理なイメージ報道しかないのかな?と思えますが・・。
韓国では国内投資不足を背景に内部留保課税を実行したものの一時的に配当が増えただけで雇用創出に結びつかなかったことを11月19日に紹介しましたが、日本では同じ問題・・失業で若者が溢れているどころか、逆に人で不足で事業縮小ているところが出ている始末です。
日経新聞の連載は日本の実情を地道に観察した結果の問題点指摘ではなく、韓国の緊急テーマを無批判に日本にそのまま持ち込んでいるのではないかの疑問があります。
アメリカで格差社会反対がブームになると日本中のメデイアがこれを煽っていましたが、日本社会に関係が薄いのですぐにしぼみましたが・・、主体性がなさ過ぎるように見えます。
朝日新聞のの慰安婦報道もそうでしたが、客観事実調査能力がないのではないでしょうか?

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