メデイアと学者の煽り7(軍国主義肥大化へ1)

5.15〜2.26事件(昭和11年)翌12年に盧溝橋事件発生→支那事変発生などが続けて起きたことで、国際情勢に通じている政治家や軍部内重鎮が若手過激派批判を恐れる風潮・・・若手将校が上層部軽視になり・政府中枢の紛争不拡大方針を無視した現地軍暴走を追招く素地になってしまったことが大きいでしょう。
日米戦争が米国の謀略にはまったと一部で主張されていますが、交渉で何を決めても現地軍の暴走を止めれらない現実を米国は冷静に見ていた結果、「ガツンとやらない限り暴走が止まらない」という結論に至ったものと読むことが可能です。
今の日本人が「いくら韓国と交渉してもだめ」という心境と似ています。
このような日本の統治能力の欠如・・不信感は、日比谷焼打事件で「日本の政府は一人前ではない」と米国に見られてしまったのです。
もう一度日比谷焼き打ち事件に関するウイキペデイアの記事を紹介します。
「上記のような暴動・講和反対運動が日本国内で起こったことは、日本政府が持っていた戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」
しかもその後の経過はその通りになっていくのです。
並行的関係として軍縮交渉以降の海軍の動きが証明しています。
以下は小説ですし、軍部用擁護的信条で書かれている面もあるでしょうが、一応の意見です。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/39390/20160325133636253126/ReportJTP_1998_55.pdf
太平洋戦争直前の日本海軍の態度

マグダ・ボグツカ(ポーランド)
阿川弘之は「山本五十六」という本を書いたが、その中で日本海軍が太平洋戦争に反対
したということを強調した。その不戦派海軍のエースが米内光政、山本五十六、井上成美の三人だった。
ことに山本提督の場合は、連合舷隊司令長官として自らは反対だった戦争の指揮をとらなければならなかった。
「その人間的な苦悩というか苦衷は大変なものだ」
阿川弘之の言葉だ。
他に太平洋戦争のことを研究する評論家の森本忠夫は
「軍人というのは、国家が戦争を決断したら、たとえその戦争に反対であっても、戦わなければならない。それが軍人の宿命だと,思いますが、ただし太平洋戦争の場合は、勝算はもちろん、どうやって戦争を終結させるかという明確なプログラムがないまま、しかも、なしくずし的に開戦が決まってしまっただろうJ
と書いた。
山本五十六は、アメリカと戦ったら、日本は間違いなく、負けると確信していたようだ。
1926年から1928年まで彼はアメリカ駐在武官を経験していて、その前、1919年から、1921年にかけてもアメリカに駐在していた。その時デトロイトの自動車工場とテキサスの池田を見て、経済学の知識はなくても、戦争が起こったら、アメリカのウォーポテンシャルがいかに膨大なものかはよく感じていた。
彼はよく「アメリカの工業力は日本の十倍だぞ」と言っていたそうだ。
しかも、山本元帥だけでなく、アメリカを敵にまわして百パーセント勝てると考えてい
た海軍軍人は、少なくとも上層部には一人もいなかった。
1941年のGNPを計算してみると、アメリカは日本の十二・七倍だった。そんな大国を相手に戦って、勝てるわけはないということは、上層部はみんな分かつていたはずだ
好戦的な国民世論の影響も無視できないということだ。
なにしろ当時の国民は、徹底的な皇国史観教育を受けていたから、ある面では軍人よりもはるかに好戦的だった。そうなると、アメリカと戦ったら、必ず負けると考えている提督たちも沈黙せざるをえなかった。対米慎重論を口に出したとたん、右翼には狙われるし、世論からは袋叩きにされるからだ。

上記は小説の筋ですから、事実とは大きく違うでしょうが・・。
上記記事を前提とすると軍部が戦争好きで報道界や学者・文人が平和愛好家という戦後教育は大間違い・・歴史に反する大嘘であることがわかります。
開戦に踏み切って勝てそうか否かの判断では、軍人の方が相手との能力差や戦力差〜継戦能力等をよく知っているので、むしろ軍部の意見を尊重すべきです。
日露戦争でいえば、初戦でどの程度勝てそうか、初戦における(シベリア経由の相手の補給がどのくらいの時間差で届くのか?)補給前の武器弾薬の性能差と、初戦で勝ち進んでもどの程度奥地まで攻めこんでも兵站線維持が可能か、(モスクワまで攻め込む能力がないことは誰でも知っていたことです)陸上戦の第一ラウンドが終わった後にバルチック艦隊に勝てそうか負けそうか、負けた場合満州派遣部隊の退路どうするかなどの意見は軍部の専門分野でしょう。
開戦してからの国内経済や武器弾薬補充資金をどうするか、どこが売ってくれるか、どの辺で講和会議をしてくれるかの外交上の施策を講じるのは政府の分野です。
古代から軍の戦略判断自体は軍師の意見優先原則でしたが、近代では開戦するには国際協力関係の影響や経済問題などの総合判断が必須ですので、実務政治家の判断になる・これが近代以降の文民統制の原理の基礎です。
海外派遣自衛隊日報の有無がかまびすしいですが、あるかないかの問題ではなく、これは文民統制の原理に関わるという意見が出ていますが、軍関係の日報の詳細まで文民が口出しする権利まで言い出すと行きすぎでしょう。
明治に戻しますと無責任に勇ましいことを言う外野(メデイアや反主流政治家)の煽りに軍部トップが屈服する仕組みの方がおかしいのです。
軍部の暴走どころか、メデイア•エセ学者が軍部をバックに行われたために軍部も肥大していき日本を敗戦に導いたのです。
日清戦争講和後の三國干渉が如何に理不尽であっても、これに対して政府が冷静対処できたような環境が約10年経過の日露戦争当時には民主化?が進み、メデイアによる民衆の煽りが威力を持つようになっていたので政府が引きずられてしまい冷静対処能力が失われてしまったことがわかります。
民主主義とは、暴徒や騒動の規模によって決める政治の意味ではないでしょう。
合理的民意を前提にした制度です。
今、アメリカ大統領選へのロシアの選挙介入疑惑(昔流に言えば怪文書を選挙直掩にばらまく方法・・ヒラリー重病説、中国と特別な関係があるなどの偽情報をネットで拡散してそれを信じ込んだ国民が多かったと言われてます・これ自体がフェイクかどうかを知りませんが・・)が大問題になっているのは、アメリカ国民の合理的民意形成を歪めた疑いがあるからです。
意見は前提情報によって形成されるのですから、偽情報の拡散は民主主義にとって致命的攻撃になります。
1昨日だったかアメリカ連邦議会証言をしたフェイスブック社長の記事が出ていますが、同社の収集した膨大なデータからいわゆるAI技術を駆使して膨大な利用者の政治傾向や好みなどを分析して、どういう政治傾向の情報に反応しやすいかの分析によって個々人向けに加工したフェイクニュースを流し込んでいく操作をしていた疑いです。
フェイスブックが直接やっていたというのではなくイギリスの研究者が契約違反してどこかに基礎データを横流ししていたことが発覚したことが騒動の発端らしいです。
http://www.bbc.com/japanese/43650517等からの一部引用です。
フェイスブックのデータ不正共有疑惑「8700万人に影響」
2018年04月5日
フェイスブックは4日、最大でフェイスブック利用者8700万分のデータが選挙コンサルティング会社の英ケンブリッジ・アナリティカにより不適切に共有されただろうと発表した。それまで発表していた対象利用者数から大幅に増加した。
フェイクニュース
フェイスブックをめぐってはここ数年、いわゆる「フェイクニュース」の拡散が問題となってきたほか、ロシアがフェイスブックを通じて米国の有権者に影響を与えようとしたという裏づけが得られたと指摘されている。今回のケンブリッジ・アナリティカによるスキャンダルは、この流れに関連するものとして、注目されている。
ザッカーバーグ氏は一連の問題について、英下院での証言を拒否した。
https://www.cloudsign.jp/media/20180326-fbca/
何が起こっているのか
それらによれば、2014年ごろに、ケンブリッジ大学(名前は「ケンブリッジ」だがCA社とケンブリッジ大学は無関係)に在籍するロシア系アメリカ人学者 アレクサンダー・コーガン氏が、心理クイズアプリを作成。約30万ダウンロードされたそのアプリに仕組まれたフェイスブックAPIを経由し、ダウンロードユーザーとその友人ら約5000万人分のユーザー情報をコーガン氏が取得。コーガン氏からCA社(内部通報者ワイリー氏が当時在籍)へと売却され、CA社がそれを利用してスティーブ・バノン率いるトランプ陣営をはじめ複数の選挙活動をサポートした、というストーリーです。
米国外の外国人・外国企業が選挙活動に加担したという状況でもあり、公職選挙法にも触れるとあって、今後FTCや議会がフェイスブック幹部に対するヒアリングを行うことで調整が進んでおり、フェイスブックもこれに応じる構えとのこと。また別の報道では、株主代表訴訟・集団訴訟が複数件提起されたという情報もあります。
さらには、英国のBrexitの国民投票においても同社のデータが悪用されたと証言する内部告発者も現れており、問題は収束しそうにありません。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180412/mcb1804120500027-n1.htmフェイスブックCEO、初の議会証言 信頼回復へ謝罪と協力 (1/2ページ)
2018.4.12 06:00

ザッカーバーグ氏は上院の司法、商業科学運輸両委員会の合同公聴会にスーツとネクタイ姿で出席。「私の誤りだった。申し訳ない」と議員らを見ながら陳謝した上で、FBがフェイク(偽)ニュースやヘイトスピーチの拡散、ロシアの米大統領選挙介入に利用されるのを防げなかったが、今後は改善すると弁明した。

メデイアと学者の煽り6(5・15〜2・26事件へ)

騒ぎが大きくなると民意に関係なく総辞職する方式は戦後も続いてきましたが、戦後は内閣総辞職しても野党が選挙で勝たない限り、政権が野党に変わらない点が戦前との大違いですが、社会党以来の野党が未だにこれをやっているのが不思議です。
政策論争をしないで揚げ足取りをすればするほど支持率が下がる・・今回の「森かけ騒動」でも今後どこまで真相に迫るか・・そもそも役人亜y政治家が総理やその妻の意向を忖度して最良の範囲内で動くことがどういう政治責任あるのか?という基本的意味についての意見が伝わってきません。
例えば総理や社長がきたら法(社内ルール)で接待方法を書いていなくとも法令違反しない限度で最大の待遇を敬意を持って接遇するのが普通ですし、社長や上司がこのプロジェクトを推進したい、あるいは否定的意向があると思えば、(顔色を読んで?)部下がその方向で調査するのが普通です。
調査等の担当者が不正を働いたかどうかが次の問題であって、その場合でも総理が自ら発言したのではなく周りが勝手に総理案件(私の事務所の客でも勝手に私の好物だと思ったと言って手土産を持って来るひともいます)と誤解している場合もあり、総理の知らないところで忖度して行われていることに総理の責任があるかはまた別の問題です。
今回総理案件と周辺が気を利かしてメモしていたとしても、社長が工場視察に来た時に受け付けの人が気を利かして、すぐに最上級の応接室にとおして最良のお茶を出しても汚職でもなんでないのと同様に、総理案件と思ったとしても審議会等の手続きを経て決まって行った過程でどこに法令違反があるかの事実が重要です。
このような手続きのどこに違法があったのか?違法がなくとも「総理の希望がこの辺にありそうだ」と周辺の引き継ぎ的メモがあったこと自体が総理の責任というのか論点がはっきりしないイメージです。
「忖度=違法行為があったはず」というだけではあまりにも論理に飛躍がありすぎます。
昨年の総選挙前から内閣支持率が下がったと報道されましたが、せっかく攻撃している方の野党の支持率は一向に上がりませんでした。
昨年の選挙結果を見れば、メデイア界の期待を民意のように誤報道・煽り報道していたことになります。
55年体制後の社会党は、揚げ足取りで政策停滞を求めれば求めるほど政党としての信用を落として長期低落傾向になりました。
自民党内閣が何回も総辞職しているのに最大野党の社会党支持率が下がる一方だった事実=国民が総辞職の原因について与野党政権交代すべき争点でなかったと考えていなかったことがわかります。
戦後高度成長期には「昔陸軍、今総評」という標語が普及していましたが、メデイア界は戦前は軍部意向・・虎の威を借る代弁者であり、戦後は占領軍の意向に従い、講和条約後は左翼文化人や総評・中国・ソ連方向ヘ、ソ連崩壊後は中韓支持へと「回れ左」して来たのがメデイア界です。
日米開戦の時も日米軍事力格差を知っている軍部は簡単に応じませんでしたが、政治の力に押し切られて「1年程度なら持ちこたえて見せましょう」と応じたエピソードが知られています。
ちなみに軍部と言っても国際情勢に目配りし総合判断の利く人材もいますが、血気にはやり総体的視野のない人材が軍部内で力を持つようになっていたことが軍部独走の原因です。
極論を外部から応援して煽ったのがメデイア界です・天皇機関説事件もメデイアさえ外野で煽らなければ政府は一人くらいの跳ね上がり過激派議員質問など相手にしないで終わった事件でした。
満州事変(1931年〜)支那事変(1937年・昭和12年の盧溝橋事件に始まる)で政府の不拡大方針無視で現地関東軍が戦線をどんどん拡大して行った原因は、日露戦争以降、国際情勢無視で勇ましいことを言う運動を「民意」と称して煽っては慎重派政治家を次々と失脚させることが連続して行った結果、軍部による政府方針無視の風潮を生み出して行ったからです。
メデイアが総合判断の出来ない過激派(一定レンジ内の能力では秀才?)を長年かけて世論を煽って持ち上げてきた結果、若手過激(総合判断の利かない秀才?)派が増長した結果が出たのが、5・15事件(昭和七年・1932年・海軍軍縮交渉不満を理由とする若槻内閣総退陣→次期犬養総理の襲撃)や2・26(昭和十一年・1936年・大恐慌背景の君側の奸を撃つ?)事件でした。
いずれも一知半解の未熟な青年将校の行動でしたが、物事の根本を理解できない・知的階層としては外れ者の意見による運動であった点では、日露講和条約反対(7博士意見書)の動きと根は同じです。
すなわち、第一次世界大戦後戦場となった欧州では、平和を求める動き→軍縮交渉が世界の流れとなっていたばかりか、無駄な軍事費を削り民生費に投入することは外見上一等国であっても内実が弱い日本としては、最も必要としていたことであり、軍職交渉自体は日本にとって有利なことでした。
日露戦争以降日本は戦争には勝ったものの経済的に疲弊に苦しむようにになっていたことを紹介してきました。
(レーガン大統領によって軍拡競争を仕掛けられてソ連が崩壊したように、総力を挙げての軍拡競争には日本は米国についていけません)
2・26事件でいえば、三陸大地震と世界大恐慌による経済失速が背景でしたが、当時世界大恐慌にもっともうまく適応していた高橋是清蔵相殺害などを見れば、これも複雑化した金融理論その他経済原理無理解のまま「君側の奸」を排除すれば解決するという古色蒼然たる概念に酔いしれた単細胞将校が自己の能力限界を弁えない過激行動を起こしたに過ぎないことが分かります。
日露講和条約をまとめた小村寿太郎や彼を推挽した伊東博文は帰国時に迎えに行って自分が暴徒に襲われる覚悟であったとどこかで書かれていますが、当時の国民はそこまで実行するほどバカでなかったことがわかります。
ウイキペデイア・ポーツマス条約に出ている全権大使小村寿太郎決定時の記述です。

結局、日向国飫肥藩(宮崎県)の下級藩士出身で、第1次桂内閣(1901年-1906年)の外務大臣として日英同盟の締結に功のあった小村壽太郎が全権代表に選ばれた。
小村は、身長150センチメートルに満たぬ小男で、当時50歳になる直前であった[10]。伊藤博文もまた交渉の容易でないことをよく知っており、小村に対しては「君の帰朝の時には、他人はどうあろうとも、吾輩だけは必ず出迎えにゆく」と語り、励ましている[11]
小村寿太郎に関するウイキペデイアの記事からです。
帰国時には怒り狂う右翼団体からさまざまな罵声を浴びせられ、泣き崩れた小村を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったという。
また、日比谷焼討事件や小村邸への投石など暴徒化した国民の影響で、妻のマチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされた。

今の中国やロシアで政府が国際合意をしたことに対する反対運動が起きて、それが暴徒化して政府要人を襲撃するようなことが考えられるでしょうか?
日露講和条約時の政府は戒厳令を布き処罰すべきはするなど毅然とした対応したのですが、この後は毅然とした態度を取れずに騒動が起きるとその都度内閣総辞職の慣例になっていきます。
これではメデイアや半可通の学者がやりたい放題になるのは当然でした。
それがメデイアの煽り・・極端な(軍部若手)主張を正当化する煽りによって彼らが日増しに増長して行ったことが、その後の満州事変〜支那事変など政府の不拡大方針無視の現地判断による戦線拡大をしていった遠因でした。

日露戦争以降の政治とメデイア2

 自分で原文を書き上げ、グラフその他資料を作るとなると、いろんなパターンがあってその中から取捨選択していく作業があり試行錯誤し完成までには多角的検討を経ている上に同輩らの検討も経ています。
その結果が会議資料に出てくるのですから、日常別の業務を持っている外部委員がいきなり読む・・会議が始まっていろんな人の発言を聞きそれに一々反応しながら、同時に資料作成者が完成させる前に削ぎ落としてきた点検項目=これは配布資料に出ていません・・をその場で自分なりに想定して質問するのは容易ではありません。
ちょっと気になる点を質問する程度がやっとですが質問してみると、
「その点は資料ナンバーの何ページの10何行目以下にありますので読みあげさせていただきます・・〇〇委員のご質問はここで書いていない部分のご質問かと思われますが・・ABCのシュミレーションをしたところこのような結果になりました・・ご説明不足で申し訳ありませんでした・・」となって10分程後に別の議題の頃に追加資料がコピーして配布されることがあります。
部外者ががちょっと思い付きそうなことは、課長への説明の時に指摘されて修正し、部長説明でも補充し局長や担当役員決裁でもこれをやった結果が議題に出ているのですから、多くの目を経るうちに検討済みのことが多いものです。
部長や役員決裁段階で指摘されて再調査し直すのでは、担当者の能力不足・・あいつは役に立たないとなるので、意見の割れそうなテーマでは2〜3種類の調査結果を用意しておいて、どちらを執行部提案にするかについては部長や役員の判断とするのが普通です。
こういう経過を経るので、一般的に企業や官庁のしごとで本当によくわかっているのは課長直前の若手人材と言われています。
その企業実務慣行などに精通しない部外者(外部取締役や審議委員)はせいぜい「私の会社ではこういう調査を入れるのですが、御社はどういうやり方でやっているのですか?」「この点に問題がないか」という質問をする程度がやっとでしょう。
同じ部門出身の専務や社長が決裁する場合でもほぼ同じでしょう。
まして同業他社ではない・異業種経験しかない社外取締役や、有名ジャーナリストなど部外者の目で考えた経験しかない人が、(事前検討会議に参加しないので)いきなり膨大な資料を積み上げられて各部門から上がったいくつもの議題を次々と流れ作業的に議論して行くのでは、ほとんど機能していないのではないかと思われます。
最近社外取締役が、いくつもの企業で名を連ねているのが問題視されているのは、本業の他にそんなに多くの社外取締役になっていて、片手間で何をできるのか?という疑問にあるようにも思われます。
審議会委員や外部委員で具体的に関与している場合には、会議の場では気になったがその時の話題進行の流れから発言し損なってしまったが気にかかったテーマについて、(事前配布の資料が手持ちの場合)後日読み直して見て気になる部分の資料を担当者に補充してもらうなど個人的に聞くことは可能です。
こうした資料を直接見たこともないし議論の経過も知らない全くの部外者であるメデイアの受け売り(多くは審議会で自分の意見が通らなかった不満分子のリークでしょう)程度の意見などをメデイアが取り上げると民意・・国民多数意見であるかのような報道になるマジックです。
最近では、熊本地震のときに「みのもんた」氏がこれといった根拠なしに?自衛隊批判して大ブーイングを受けましたが、これまでこの種の根拠ない一方的決め付けをする役割をコメンテーターと言うわけのわからない芸人が担当しては、一刀両断=根拠ない断言をメデイア筋書き通りに濫発させていたことに対する健全な不満が漸く出たところです。
テレビ座談会等ではこの場面で誰がこういう発言して次にだれがこう言うと大方決めておいてどこで誰が締め括って下さいとセオリーが決まっているのが普通です。
この長年の役割分担で一見気の利いた発言をする役割をもらって来ただけのことでしょう。
ですから「みのもんた」個人の責任というよりは、こういう根拠ない極論・・無責任発言がテレビ界ウケしてきたことが、彼の個人ツイッターでも許されると増長させたのです。
熊本地震から考えると日露戦争は100年以上前のことですから、聞きカジリ程度の人でも帝大教授という肩書き利用の知ったかぶりの意見で運動すると庶民に対する影響力が大きかったのでしょう。
この頃から根拠のないメデイア意見に箔をつける役割を学者が果たす二人三脚が一般化して、メデイア意見=世論(民意)となって戦後は(CHQのプロパガンダ機関化していたこともあって)第4の政治権力と言われるように横柄になっていったと思われます。
正確には権力などない・西欧の第三身分の次に出てきた勢力という意味で第4階級というべきらしいですが、これを誤解して?権力があるかのように振舞っている点が問題です。
今では、権力を持っているかのようにのさばっているのが嫌われる意味で権力?という意味で使われるようになったので、第4の権力といってメデイア批判するのは語源を知らない間違いだと言う逆批判も行われているようです。
語源の問題ではなく、そもそもマイクさえ突きつければ政治家や経営者に平身低頭で謝罪を繰り返させる・うっかり何かを言うと「国民に向かってそんなことを言って良いのか」と嵩にかかって責め立てるやり方の本質をごまかすものです。
神威を伝える古代天皇〜時代が下ってからの将軍御側用人が将軍家の意向を伝える場面で諸大名が平服して承るのが普通になる・・・ひいては側用人の権威がいや増して行ったのと同じです。
メデイアが法律上の権力を持っていなくとも事実上民意を代表するかのように巧妙に民意を装う弊害..神威を標榜して南都北嶺の僧兵が横暴を重ねるのが政治をゆがめるのとどういう違いがあるかと言うことです。
メデイアが勝手に作り上げた「民意」を背景にした傲慢な態度はまさに政治効果でいえば現在的権力者そのものです。
メデイアは立法司法行政の3権のように「法で認められた権力を持っていない」ので、翻訳ミスだと形式論を言ってメデイア批判を封じようとする意見が流布していますが、側用人や中国歴代の宦官批判を宦官や側用人は制度上何の権力も持っていないのに、「制度を知らない無知な議論」だといって封じようとするのと同じです。
公式権力を持たないメデイアが情報拡散手段を独占するようになって、メデイアの特定方向への煽りが民意を決めるようになった弊害を書いています。
私の憶測では日露開戦是非論段階では政府の慎重論が優っていましたが、これといった見識に裏打ちされないメデイア関係者意見が政治を決めていくきっかけになったのが、日露講和会議後の日比谷焼き打ち事件でした。
本来言論で勝負すべきメデイアが暴動行為を煽り・・・講和条約が正しいと主張した(徳富蘇峰の主催する)国民新聞社も同時に襲撃されていますが、言論機関が対立する言論機関襲撃を煽るのは論理矛盾です。
その後の滝川事件〜天皇機関説事件〜軍部のテロ頻発や満州での戦線拡大を見ると、言論の自由を基本とする言論界が軍部内の総合判断力のない偏った無謀な意向をバックに報道していたことがわかります。
現在の森加計騒動でも野党が勢いづいているのは、メデイアによって国家としてやるべき多くの政治課題をそっちのけにしてでも、(あるいは国政を停滞させられる材料があれば何でも騒ぐ?)先行究明するほど重要であるかのように大規模模報道が続いているからです・・。
今や情報源が大手メデイア連合が情報発信を独占できた時代が終わり、ネット経由で多様な情報発信者が現れたことから、国民世論がメデイアの方向性ばかりではなくなっていますので、メデイアが「笛吹けども踊らず」で昨年の総選挙ではメデイア主張による世論誘導はほとんど効果がありませんでしたが・・。

日露戦争以降の政治とメデイア1

昨日韓国の激情型民主主義?を紹介しましたが、冷静判断する国民が少ない社会で民主主義の外形だけ取り入れ、聞き齧った人が騒ぐとそうなるのが普通です。
戦前日本も、言論の自由がなかったから軍国主義に走ったのではなく、浅知恵で極論を庶民に煽る言論界の影響が強すぎたから、世界孤立化→無謀な戦争に突き進んで行くしかなくなってしまったと見るべきです。
戦前国際孤立化を 軍部だけの責任にして軍部隊等を煽るメデイアや政治運動して来た学者らが自己責任を棚上げにして被害者であったかのように振舞っている現状では、将来同じ轍を踏まないとはいえません。
政治(の実態を分かりもしないのに半可通の知識で)に国民を煽る学者やメデイア界の猛省こそ必要です。
彼らが猛省しなくとも、国民の成熟に連れてメデイアや文化人?の扇動に乗せられる国民が減ってきて今や60年安保やこれに続く全共闘時代の論客?の影響を受ける国民が減ってきました。
昨日のコラムに書きましたが、今や現役若者が耳を傾けず4〜50年前の若者が郷愁で集まっているだけになった印象です。
世代が入れ替わらない限り、民度は変わりようがないということでしょう。
民度が変わればメデイア界がいつまでも空理空論を煽ってもダメとなりますから、煽り系メデイアや学者の露出が減っていくでしょう。
ただし、実態無視の煽り報道に国民一人も共鳴しなくなったというのではなく、民度が上がって新規共鳴率が大幅に減っているという程度の意味ですから、新国民(若者)の1〜2%くらいはまだ間違って?共鳴する人がいてもおかしくないことを前提にしています。
慰安婦騒動が朝日の誤報?創作?であったとわかった頃から、革新系政党が若者の支持を受けていると言う宣伝のためにか?でシールズとかいう若者支持層を組織化して大宣伝していましたが、これは文字通り支持基盤空洞化に対する危機感の現れだったのでしょう。
(今の森かけ問題特化の野党が国民支持を受けている→自民党支持率が下がっていると宣伝しているのと似た宣伝です)
ところが、短期間に彼らの活動は急速に目立たなくなってしまいました。
自然発生的に若者の支持が広がったのではなく、既成政党による期間限定ヤラセをメデイアが大々的に取り上げただけだったから維持しきれず、急速にしぼんだのでないか?の疑いがあります。
シールズに対する産経新聞の記事が詳しいので関心のある方は以下を読みください。
http://www.sankei.com/premium/news/160604/prm1606040010-n7.html
2016.6.30 10:00

「俺たちの声を聞け!」「政治家の背中押したの俺たちっすよ」 SEALDsと共産党は独善性も瓜二つだった…
・・・・・結局、この日の集会は、安倍政権が何やらとんでもない悪さをしており、このままでは明日にでも戦争が始まるのではないか、という嫌なムードを周囲に伝播させるには十分なイベントだったかもしれない。
いくら野党といえども、公党が、これほどめちゃくちゃなデマゴーグを不特定多数の有権者の前で述べるわけにはいかないだろう。だからこそ「彼ら」が叫んでくれる無責任な誹謗と中傷が必要であり、多少の行儀の悪さには目をつぶってでも、利用価値は十分過ぎるほど高いのだ。・・・・・

上記によると左翼系政党も大手メデイアも品のない空疎なアジ演説の羅列ではもはやプラスどころかマイナス効果しかない時代が来ている・・民度が上がっていること認めるようになったようですが、それでもその種のアジ演説をしたくて仕方がない本性を捨てきれない古さがあって、その思いを年端のいかない若者に代行させている構図が浮き彫りです。
しかもシールズは裏暴力組織?・・しばき隊との関係も取りざたされていました。

CatNA‏ @CatNewsAgency 2016年5月14日
しばき隊リンチ事件が発覚したら、シールズ奥田が「無関係宣言」。まるで政治家の「秘書がやりました」的な逃げ足の速さ。「あざらし」と称して共闘していた連中は何だったのかな?Tシャツもコールも全て、しばき隊のものでしたね。
CatNA‏ @CatNewsAgency
シールズ奥田クンは、しばき隊リンチ事件関係者と一緒にお酒を飲んでましたね。「一緒に何かやってるわけじゃない」と言い切れるの?「一切関係ない」とシラを切れるの?彼らの暴力性は知っていたでしょ?汝、嘘をつくことなかれ。

一緒に酒飲んでいたり談笑していたからといって、政治家の場合、行った先でいきなり引き合わされても拒否できず握手に応じたり笑顔で応じたところを写真に取られても大した意味がないでしょう・・同志とは限らないでしょうが・・・。
左翼系政党は空疎なアジ演説や暴力的性向(スターリンに始まり日本の浅間山荘事件につながる敵対者粛清が基本です)への郷愁捨てがたく時代遅れ行為の代理者として彼ら若者を利用していたのでしょうか?
世論の受けが思ったほど良くない(公党としてできない・・恥ずかしいことをやらせて良い結果があるはずがない)ので、民主や共産は距離を起き始めましたが、社民党だけは遅くまでしばき隊との関係を維持していたことはヘリパット反対運動でしばき隊幹部と福島瑞穂氏が何かしているかのような報道をネットで見た(一緒に写っている写真程度だったか?)ことがあります・いつも書くように私は受け売りですので真偽不明です。
一方で自分らの意見が支持されていない理由を直視したくないから?「日本には言論の自由がない」という海外宣伝活動が起きる・・いまはそういう移行期間のようです。
戦前メデイアが煽った過ちも「戦前は情報開示がなかったからだ」という決まり切った反論があるでしょうが、 いかに開示しても現実に進行中の情報を全面開示しても、その職務にあたる人でなければ、片手間で見ている程度の人が、詳細を正確に把握できるものではありません。
日露開戦の是非でいえば、最重要な軍資金調達交渉・・戦争準備にどの程度の資金が必要になり日本がどの程度自前でまかなえるかの税収見込みに始まり、欧米列強の支持取り付け交渉・・・・「応援するよ」と言ってくれた場合、どの程度まで協力してくれそうか(たとえばバルチック艦隊のスエズ運河通過の承認)途中寄港地のサービス提供諾否(サボタージュ協力)、戦後満州への利権にどの程度参加させるかなどの極秘交渉が多角的同時進行的に行われている一方で、日本の兵員増強訓練の進捗具合や兵站線の構築状況などの機微をリアルタイムで外野の人が知る余地がありません。
伊藤博文の学者先生の御卓見よりは「大砲の数に関心ある」と実態重視の発言はこれを意味していますが、実態を知らない学者の意見など歯牙にも掛けなかった態度が象徴的です。
民意は重要ですが、前提事実・実務を知らない付和雷同型意見が広がるのは百害あって1利なし・・意味がないと言うことであり、現在の企業経営でもなんでも同じです。
審議会や外部委員社外取締役が大流行りですが、会議場に行くと案件ごとに山のような資料を机の上に積み上げられているのですが、(事前配布されている場合でも)せいぜい違った角度から根拠ないヒント(思いつき)的意見をいうのがやっとです。
その道でじっくり実務をやってきた官僚や社内事業部門担当者が練り上げてきた意見を部外者の思い付きで覆せるような合理的(「〇〇天皇」と言われるような権力者の場合、「ダメなものはダメ」と言い切って、会議の流れをひっくり返すようなこともありますが)能力発揮できることは滅多にありえません。

メデイアと学者の煽り5(煽りが政治を左右する社会1)

日米戦が仮に敗戦でなく停戦で終わったとしても、日本は停戦を奇貨として中国各地に駐屯を続け、兵士の食料や兵士の補充のために)国内需要・・日常品の製造を後回しにして)働き盛りの男子や食料や武器弾薬製造に邁進しどんどん戦地へ送っていたら、どうなったでしょうか?
国内復旧を後回しにしてさらに戦力増強が可能だったでしょうか?
停戦すれば、急いで兵力撤収して国内復旧に投資するのが普通でしょう。
日露戦争では、奉天会戦後その先もはや一歩も歩けないほど疲れ切っていたのが現状・・中堅下士官が枯渇していて(この養成には数年以上の訓練が必要で補給ができなくなっていた他に武器弾薬の補給不能になっていて、ロシアがシベリア鉄道経由で続々と陸軍増強を図っているのを黙って見ているしかなかった・・国力・体力を使い果たした状態でいわば現地でへたばっていたのが実態でした。
この辺は日米戦も同様で1年以上経過で中堅熟練パイロットの補給が間に合わなくなって、学徒出陣・予科練上がりの十分な訓練を経ていない・操縦桿を握ってまっすぐ飛行する程度しか操縦能力のない促成戦力利用→特攻機作戦に切り替えるしかなくなった原因です。
そこでほぼ無傷の海軍の決戦・・次の日本海海戦での(一種の博打でした)決着待ちで、約2ヶ月も経過していた5月に日本海海戦で大勝利した勢いを利用してうまく講和できたにすぎません。
喧嘩や戦争を止める場合、その名称が敗戦でも停戦でも、講和だろうが、まずは国力・体力回復を図るべきが優先課題です。
従来の国是であった日本列島防衛線確保のために日露戦争を戦い国力を使い果たしたのは、政府の失策でも何でもありません。
むしろ長年の準備が功を奏したのですから、めでたいことでした。
震災事故のために備蓄した食品等を使い尽くして国民の生命・健康を守れたならば、めでたいことです。
ロシア軍撃退のために(武器弾薬.中堅人材のみならず)国力を使い切ったどころか、以下の通り、巨額負債を抱えていたのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%94%BF%E5%A4%89

大正政変
脚注
3 日露戦争の戦費は日清戦争の8倍、開戦前年の国家財政の約7倍に達した。その8割は公債であり、戦後、償還の負担等が財政を圧迫した。

・・国内経済が持たなくなったならば、戦争終結後は内政充実・復旧に向けるべきなのに、版図拡大・市場拡大→侵略国家化への変身の動きを鮮明にして行った選択の誤りがなぜ起きたかの真摯な反省こそが必要です。
米国が講和に骨折ってくれなくてそのまま戦争を継続すれば(日米戦で初戦の勝利連続中にどこも仲裁してくれずに敗戦の憂き目にあった例を見ればわかります。)ていたのは誰の目にも明らかだったのですから、講和成立に尽力してくれた米国への感謝の行動・・米国の希望(満州市場への参入門戸開放希望)を一定程度尊重する政策を採用するのは当然の流れでした。
米国は、日露戦争をはじめっから応援してくれていたのはその分け前?として戦後満州への参入を期待していたことは当初からはっきりしていたのです。
3月31日に紹介した早期開戦を求める「7博士意見書」にすら米国の意図が出ていますのでその分をここで再引用しておきます。

「米国の如きはその目的満州の開放にあり。満州にして開放せらるればその地主権者の清国たると露国たるとを問わず単に通商上の利益を失わざるをもって足れりとす。ゆえに極東の安全清国の保全を目的とせる外交においてこの国を最後の侶伴となさんと欲するは自らの行動の自由を束縛するものに外ならず。ゆえに米国の決心を待ちて強硬の態度をとらんと欲するは適切の手段に非ず。」

講和条約に向けた政府や軍部の姿勢は冷静沈着・・米国による仲裁を準備してからの開戦になったなど準備周到で外交センスも良かったのですから、(実務をよく知る伊藤博文はもともと準備無視の開戦論には否定的でした)その流れからすれば、講和成立後アメリカへの配慮をせずに遮二無二(周りの目を気にしている余裕がなく)満州進出〜日米戦争に向かうしかなくなっていった方針の急展開は、4月2日末尾に紹介したえせ学者とメデイアの合作による世論煽り(アメリカに配慮するな!という強硬意見)が政府方針の変更を招いた元凶です。
日比谷焼き討ち事件で見たように、賠償金をとれなかったことをアメリカの責任であるかのように学者が煽った民衆のアメリカに対する逆恨みは度が過ぎています。
日比谷焼き討ち事件の時にアメリカ人牧師の教会まで押しかけていますが、騒動の鎮静化のためにか?政府が総辞職に追い込まれていますが、(この逆恨み感情が背景にあって)以後の政権はアメリカに対する弱腰外交の批判を恐れてしまったのでしょう。
引用してきたポーツマス条約に関するウイキぺでイア中の「影響」では

「ルーズベルト大統領の意向を受けてエドワード・ヘンリー・ハリマンが来日し、1905年10月12日に奉天以南の東清鉄道の日米共同経営を規定した桂・ハリマン協定が調印されたが、モルガン商会からより有利な条件を提示されていた小村寿太郎外相の反対によって破棄された[3]。」

と書いていて講和条約後すぐに政府がアメリカと協定した鉄道利権共有の合意が破棄されている点を淡々と書いていますが、アメリカは多分「恩知らずめ!」と怒ったでしょう。
日比谷焼き討ち騒動とこれに続く桂内閣の辞職は、世論が極論に煽られてまちがっていることが明らかであっても、当面の混乱を鎮めるために政府が責任を取って辞職する悪習の始まりです。
民意とは国民総体の意見ですから、民意重視とメデイアに煽られたホンの数千数〜数万の不平分子の意見を聞くのとは意味が違います。
「神」の権威を嵩に着て神輿を担いで暴れ回った平安時代の僧兵のような存在ではないでしょうか?
これに味をしめた野党+学者とメデイアのトライアングルが何かと極論を煽るとその都度、沈静化するための政変・総辞職になる悪習が始まったエポックメイキングになる重要事件であったと思われます。

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