人の支え(夫婦からグループへ?)

人間関係を夫婦親子と言うタイトな関係にこだわるのではなく、一定数のグループである程度まで親密につきあい、妻と飲み屋のママとの中間的な関係を男女グループで形成して行くのがこれからの精神衛生上の有り様かもしれません。
これの実践例が高齢者のグループホームですが、高齢者グループの場合別途元気な運営者が必要ですが、中高年までは自分たちのグループだけで足りるのです。
現在は核家族化の精神が極限にまで進み、家族以外には付き合いが不要とまで考える風潮・・家族万能と言うか家庭には誰も立ち入らない風潮が確立しています。
これはそれまで重過ぎた親族間の付き合いを断ち切る意味では歴史的意義があったとも言えますが、親族の代わりに友人それも1対1のタイト関係ではなくゆるやかな連帯・・グループ関係がこれから必要とされる時代が来るでしょう。
これまで書いているように農耕社会では親族間の共助が必須でしたし、そのためにも助け合えるように同じ村落内に親族が住んでいるものでしたが、都市住民中心社会では親族で何を協同すれば良いのか分らない・・「遠い親戚よりも近い他人」と言われるようになって久しく、今では冠婚葬祭や法事の時に顔を会わす程度の親族が増えました・・親戚概念による助け合い制度は意味不明になって来たからです。
近代社会では親族にかわる新たなグループの形成が必要となっているのです。
学生時代までは学校単位のグループが形成され、そこでは昔の親族なみの連帯感が醸成されて来たし、毎日顔を合わす関係上実際的な意味がありました。
しかし、卒業後元同窓と言うだけでは就職先が遠く離れていたり職種が違う環境もまるで違うとなれば話が合わなくなって来ます。
昔の親族共同体は50年経っても百年経っても同じ場所で同じ規模の農業(あるいは武士も同じ大名家で親子代々同じ仕事をしてる関係)をしている変化のない関係でした。
親しい関係は結局その時そのときの共同関心があってこそ成り立つとすれば、現在では級友時代と職場時代と引退後と大きく3段階に別れた関係を作るべき時代かも知れません。
学校出てからは(特に終身雇用の正規雇用の場合)職場ごとで親しいグループを作って行くのが合理的ですが、これが同期入社が少ない上に競争関係にあるので難しい関係です。

妻のサービスと代替性1

女性の方は経済的能力をそれほど男性に期待出来ない・・女性も外で働く必要=家事労働時間が少なくなる時代がきている上に、子育てに関して近代以前のように周辺女性の援助を受け難い都市生活では、出産後は夫へのサービス中心には出来ません。
妻は近隣や親戚の援助なしに子供の世話・・昔のように動物的な生育を見守れば良いのではなく衛生・教育負担が大きくなっています・・・もあるし、夫の方ばかり向いて笑顔でやっていられない・・それどころか夫の不規則な帰宅時間に待ちくたびれた妻の不満がたまって来ます。
家庭内不満は不確定な夫の帰宅時間に対して、夕食の用意をしておくのか食べて帰るのかも分らずに待っている妻がイライラし始める所が始まりですが、夫にとっては赤提灯などサービス業ヘ行く場合、予約なしにいきなり行っても文句を言うどころか、喜んでくれるだけです。
勿論、「私ばかりが食べる用意・掃除や皿洗いなどの後片付けを何故するの?」と言う不満もありません。
小料理屋や飲み屋等はお金を払って貰うために、いつも愛想がいいし小ぎれいにして客が来やすいようにしているのはあたり前です。
飲み屋・小料理屋その他レストランなど飲食業などのサービス業でも、客の払う対価を元手にして自分の家族を養い・子供を育てている点では、妻の家庭サービスと引き換えに夫の給与を得て子供を養っているのと似ています。
そうなると、どこが違うの?(その都度対価を払うか、一ヶ月に一回給与をまとめて渡すかの違いだけか)と言う問題になります。
仮に子供のいない場合で比較すれば、妻との違いはある程度長期スパンで心から心配してくれる相手かどうかの違いと言えるでしょうか?
商売系では、体調が悪くなったり収入が減ってその店に行かなくなれば、少しは心配してくれますが、その内に忘れられてしまう存在ですが、妻はこういう時にこそ親身に心配してくれます。
ただし、私の見ている限り、これも相対的なもので(他人より長期間見てくれるだけで)うつ病等になって会社をクビになった人の事件では、妻はその内に子供を連れて逃げてしまいました。
夫婦でも収入がない状態が一定以上続くと愛想を尽かされることが多いのも現実です。
飲み屋のママでも一定以上親密になれば「最近来ないけどどうしたかしら・・」と心配してくれる(客が減れば収入に関係する面もありますが・・・)のが普通ですし、会社の同僚でも同じでしょう。
人は長い間集団で生きて来て、その後夫婦で家庭を築いて来た経験から、子育てのための夫婦関係維持の必要性が減少して行くとしても、当面一人では生きて行きにくいのも現実です。
そうとすれば、社会組織で相手にされなくなった(元気をなくした)ときにこそ、なお一層ある程度まで親身に心配してくれる関係(飲み屋のママではなくとも)が必要です。

オスの存在意義1

農耕社会時代には、まじめに働かないオスでも必要だったのは、子育て中に外敵から守ったりする役割の外に、古代から明治以降までは(不足分だけを域外から輸入する)自給が基本の社会でしたから、一家一族外からの外貨・・物々交換能力(生活圏から取れる物が違う=気候風土の違う遠くへ出かけて交換して持ち帰るのはメスには無理でした)・・貨幣獲得能力の関係でオスが必要とされて来たので、きめ細かなサービスをしながらオスをおだてていたのです。
現在では刑事システム完備の結果、(特にわが国は治安の良いことで有名です)ガードマンとしてオスが一家に一人いる必要がなくなったことと、自給自足経済から交換経済に切り替わって別世界との物々交換・・外貨・貨幣獲得には男だけが外に出て働き貨幣獲得・・男だけが貨幣を持ち帰る時代から、平成に入って女性も働きに出て自分で貨幣を獲得出来るようになった上に買い物がネットで足りる時代・・いろんな分野でオス不要になって来ました。
こうなるとオスの主たる役割は精子供給者としての役割に限定されて来ます。
この分野でも子孫獲得には凍結精子で足りる時代が来て、オスはメスと同じ数だけ必要のない時代が来るかもしれません。
牛等家畜はずっと前から、こうした役割に限定されていますが、これは人間がすべての分野で代行していて敵からの防衛も餌の獲得=貨幣獲得能力も全く関係がなくなっているからです。
人間も妊娠段階で男女の区別がつく時代ですから、出産前に選別されてオス一匹にメス100〜1000匹の関係になれば、めでたく出産にまで漕ぎ着けたオスは超エリートですから、生まれた以上はオスは持てますよ〜!
こういう時代が来れば、性行為自体と快楽をセットにする必要性がなくなりますので、動物として仕組まれた性に伴う快楽本能も減退して行き、男女ともに性行為に淡白になってくるのは自然の流れです。
話を婚姻外性行為に戻しますと、結婚している女性(売春婦を除いて)の婚姻外性行為は従来すべて不倫(倫理に反する行為)とされていましたが、今でも男性が売春婦と性行為をするのを不倫とは言わず(妻は穢らわしいとは言いますが・・・)、素人とあるいは水商売女性とでも特殊な関係(無償での行為)になると不倫というのは信頼関係の基礎に男女の違いがあるからです。
女性の経済力が向上し・・仮に男女半々の経費分担になっても、夫婦2人の収入で生活するようになっているので、夫が収入を入れなくなると女性だけの収入で子供を育てるには不足しますので、(住宅ローンも払えなくなるでしょう)子供のいる女性にとっては夫の不貞行為・・ペアーの解体リスクが気になる点は変わりません。
ただし、ここでは夫婦それぞれに数千万円以上の収入のある特殊な人たちをここで書いているのではなく、普通に多くある共働きを対象にしています。

軽い異性関係

 

男性同士でも敵か味方かしかないのではなく、敵でもなければ味方でもないけれども必要に応じて会釈するだけで気持ちがいいものです。
街を綺麗にすれば歩いている人も気持ちが良いものですが、これと同じで、自分は最早子供を産まないからと言うだけで異性を無視して身じまいを綺麗にしないでハシタナク大声で騒いで良いものではありません。
これからの異性関係は、子を産むためとする目的が背景に退いたとしても(それがなくなればゼロになるのではなく)もっと軽い関係が中心になって行くと言うべきです。
実際、今では女性の社会進出によって、どこの分野でも仕事関係で多数の女性と接している筈ですが、そのときには子を生む性・性行為相手として意識してはいません。
このような軽い異性関係は、子育ての終わった中高年世代にとどまらず職場の独身男女・・未婚の若者達にも広がって行く気配です。
若手男性も草食系化してくると性欲が減退しているのでどうせなら同性の方が好みも合うし・・・結婚可能性もないのにお金を一方的に負担しなくて済むし・・となって来ている可能性があります。
これからは男女間賃金格差がなくなって行くとすれば、交際費負担は割り勘しかないでしょうが、まだそこまで割り切りきれないので、却ってデートを阻害している面があるかもしれません。
製造業中心時代には、男性の方が就業機会が多く、平均収入も女性よりも高かったのですが、医療・介護関連の発達でむしろ女性の方が就職機会が多くなって国全体の若者関平均では女性の方が失業率が少なくなって行く傾向・・収入平均でみると多くなる傾向です。
製造業現場でも機械化が進みその監視・管理業務中心になると、女性の方が向いているようになっています。
千葉の街を歩いているとよその都府県に比べて若者の比率が圧倒的に多いのですが、大多数が女性同士・男性同士で歩いていて、(男女の組み合わせもありますが職場から駅まで一緒に歩く程度です)男女カップルはごく少数です。
少子化対策等、言うだけは声が大きいですが、その前段階のカップルで歩く人が少なくなっ
ている現状からして、これを何とかしない限り少子化が進む一方でしょう。
(ただし、私は人類全体のために少子化は長期的には良いことだと思っていますが・・・)
農耕社会時代同様に再び女性労働に支えられる社会になると、女性は基本的に勤勉ですから仕事内容・時間がきっちりして来て、生産性がかなり上がるでしょうから、女性労働力率を早く高めた国から順に国際競争力が高まっていくように思われます。
そうなると、これまでのように男性は適当な息抜きが出来なくなって来るか、「男の人はだめよね〜っ」と言われながら可愛がって貰うしかないかも知れません。
可愛がって貰うには、絶対量が少なく希少品種になるのが合理的です。

これからの異性関係

自分の結婚相手探しに関係のない世間に向かってまで、いつも慎ましやかにしていないといざと言う時に結婚話が来なくなると言う心配がなくなる中高年では、傍若無人・・これが一時はやったオバタリアンの基本的精神行動と言えるでしょうか?
疑問形にしたのは、彼女達は年甲斐もなく異性を気にしているのが恥ずかしいので、あえて逆ばりで大声で話したりして見栄を張っていたのかもしれないと思うからです。
「冬のソナタ」の追っかけも、この心理・・疑似恋愛発露の一端でしょう。
子を生む・性行為と関係がなくなれば、異性の目を気にしないでいいのかとなるとそれはまた別問題です。
異性関係は古代の性行為=子を産む直接的関係から、オスの子育て協力の必要のためにメスが恒常的発情期に変化したときから、子を産む目的がないどころか生まれたら困る性関係の方が比率では圧倒的に多くなっていたのです。
(仮に子育て期間の20〜30年間のセックスの度に子供が生まれるのを放置すると、一人の女性の生む子の数は膨大な数に上ってしまいます)
そこで避妊方法の工夫が人類・女性の発情期が恒常化し始めるとともに始まった筈です。
この避妊方法の工夫が未発達の間、必要以上に妊娠してしまった解決策が堕胎ですし、堕胎出来ずに生まれてしまった子の始末に困ったのが間引きの横行でした。
昭和50年代に盛んとなった中ピ連等による女性活動家による中絶行為の公認やピル解禁運動の目的は、性行為と妊娠の完全切り離しを目的で行き着いた究極の主張であったと言えます。
妊娠リスクを取り払おうとする方向性は、古代において女性の発情期恒常化への切り替えとともに発生する副産物的・一種の病理現象の除去ですから、克服しなければならない・いわば副産物を生み出さない解決策として古代から努力されて来た人類の大テーマです。
子育て協力・家庭制度の発達の前提として女性発情期恒常化を必要なものであると肯定する以上は、ここから生ずる無益な妊娠を防ぎ、中絶の合理化を図る努力それ自体一貫した方向性であり、これに反対するのは理解出来ません。
性行為と妊娠の切り離しを禁止し、中絶や避妊に反対するのは女性の性欲=発情期恒常化に反対する以外にその意義が見いだせませんので、いわば男性が育児に協力しなくて良いとする主張まで含まないと一貫しません。
こうした長年のたゆまざる努力の結果、(と言うよりもコンドーム等の発達は科学技術発達の結果でしょう)今では避妊が完全化していますので、性行為は完全に子を産む行為と切り離す気になれば切り離せる時代となりました。
今でも従来型の節操堅固な女性から始まってフリーセックス化している段階まで人によって意識は違うでしょうが、次第に軽くなって来ていることは確かです。
こうなってくると性行為自体に必要以上に重きを置く意識も薄れて来ますので、異性関係も性行為自体を目的にするのではなく、単に一緒に行動するだけで同性といるより楽しいと言う関係があっておかしくありません。
デパートや各種商店で、あるいは風俗系遊び場で異性からニッコリ応対される程度で嬉しくなるものです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。