政党と別働隊6(シールズ・奥田愛基氏1)

シールズとレイシストしばき隊との時間軸を見るためにしばき隊に関するウイキペデイアの記事を見ます。

2013年1月12日に「在特狩り行きたいな」と野間がツイートし[6][7]、「レイシストをしばき隊(レイシストをしばきたい。略称しばき隊[8])」を結成したとし、同年2月9日に同団体が「レイシスト」と見做した在特会に対して初めてのカウンターデモが行われたとしている[9]。在特会に対する暴力行為を展開した。また在特会を衰退させることを目的としている。この経験を踏まえ、しばき隊が「ファシスト」と位置付ける安倍政権に対する糾弾活動を行っている[3]。

高橋直樹氏に関するウイキペデイアです

2013年6月16日に「猛烈にしばき開始」し[8]、6月29日にカウンター仲間による集団の名称を「男組」と定める[8]

シールド前身のサスペル発足もしばき隊発足の13年でほぼ同時期です。
シールズの急激なメデイアフィーバーは自然発生現象の後追い報道ではなく、報道が持ち上げて先に有名になったように見える点が異常で、メデイアの作り上げた虚像の印象が強いデビューぶりです。
シールズ創立者の奥田愛基氏に関するウイキペデイアです。

奥田 愛基(おくだ あき[4]、1992年(平成4年)6月24日[5] – )は、学生運動を行う市民活動家[6]。平和安全法制(安保法制)に反対する「自由と民主主義のための学生緊急行動」(シールズ:以下「SEALDs」)を創設したメンバーの一人[7]。SEALDs前身の「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」(サスプル:以下「SASPL」)の創設メンバーでもある[8]。一般社団法人ReDEMOS(リデモス)の創設者、代表理事[9]。

中学2年時に不登校[11]。その後、島根県江津市にある全寮制のキリスト教愛真高等学校に入学2011年、明治学院大学国際学部に指定校推薦で入学[11]。
大学入学直前に東日本大震災が起こり、被災地支援に関わる[10]。短編ドキュメンタリー『生きる312』を監督として製作し[10]、2013年に国際平和映像祭でグランプリと地球の歩き方賞をダブル受賞した[16][17]。また、震災後の政治運動について考える団体「the Temporary Autonomous Zone」(TAZ)を運営した[10][18]。5月から大学に復帰するが、その後休学しカナダなどに留学した[10]。
2013年12月、SASPLを1年限定で設立し、幾つかの大学に組織を広げ、反対運動を行った[11]。SASPLは2014年12月10日に解散したが[10][19]、その後、主に沖縄、辺野古基地問題の政治運動を行う「自由と民主主義のための学生緊急行動(ex-SASPL)」を発足した[19][20]。
そして、翌2015年5月にSEALDsの結成につながった[21]。SEALDsはSASPLに比べ大きな組織となり、同年6月時点で20大学ほどの学生100名を大きく超える規模となったと奥田本人は述べている[21]。

上記を見るとしばき隊活動開始と呼応するかのように奥田氏は2013年12月にSASPLを立ち上げ、014年12月10日に解散してすぐ?ex-SASPLを立ち上げ→翌2015年5月にSEALDsの結成につながったと言うのですが、シールズのウイキペデイアを見ると15年12月には解散を公言していて、予定通り16年8月に解散宣言しています。
選挙関連で見るとSASPLは14年12月4日の総選挙投票日直前に解散し、シールズは16年夏の参議院選挙直後に解散するなど選挙活動と連動している時間軸です。
ウイキペデイアのシールズに関する記事です。

015年10月28日
筑波大学大学院生の諏訪原健らSEALDsメンバー4人が日本外国特派員協会で記者会見し「来夏の参院選に野党の統一候補が出るなら応援する。野党は政策や立場の違いを超えて選挙協力をしてほしい」と訴えた。また、参院選後にSEALDsを解散することも表明した。
2016年8月15日
動画メッセージを残して解散[58]。「SEALDsは解散します。しかし終わったというのなら、また始めましょう。始めるのは私であり、あなたです。何度でも反復しましょう」と呼びかけた[6]。SEALDs琉球は活動継続[59][60][61]

企業その他あらゆる組織は、永続とまで言わないまでも一定期間継続することにより、一層の拡大または質的発展を目指すもので、その結果、コンセプトや器が合わなくなれば新たな器やコンセプトに切り替えていくことはありますが、初めっから1年限定あるいは参院選後に解散する:という期限付き政治組織はおかしなものです。
選挙運動終了とほぼ連動して解散する不自然さなど、その時々の選挙運動用別組織として計画的に立ち上げられ、実働開始前から特定政党組織と連携していたかのようなメデイアが前のめり気味にデビューさせた疑いが浮上します。
ちなみにSASPLを衣替えして大成功と喧伝されているシールズでさえ、上記によれば20大学に広がったというのに参加メンバー僅か100人という規模・・1大学平均5名?らしいです。
しかもその数字は奥田氏が自分で説明しているだけのようで、名簿等の客観資料が本日現在ネット検索してもすぐに出てきません。

政党と別働隊5(しばき隊)

60年安保騒動前後に誕生した全学連系は過去の組織と言えるでしょうが、民主党政権の自滅的挫折→民主的論争能力壊滅の穴を埋める→補完するためにか突如誕生した過激行動(実力行使部隊しばき隊と過激発言「乗り越えネット」の新淑玉氏と内容のないラップ調発言でソフトに耳目を引きつける役割を果たしたシールズを見ていきます。
しばき隊で活躍した高橋直輝氏に関する7月24日現在のウイキペデイアです。

経歴
レイシストをしばき隊の関連団体として、「男組」を設立[7]。男組を率いて、レイシストをしばき隊等とともに、在日特権を許さない市民の会等に対するカウンターデモを行う。
・・・2013年9月29日に、在日特権を許さない市民の会のデモ参加者に対する暴行及び脅迫の容疑で、「本部長」とともに暴行罪で逮捕され[9][10][11][12]、略式起訴で罰金20万円、「本部長」木本は10万円となる

以下度重なる傷害事件等の事例ですので引用省略しますが、結果を見るといっぱしの不良として知られるようになってどことなく消えて行ったようです。

2018年5月25日、政治活動を通して交友のあった香山リカのTwitter本人アカウントより、高橋が4月に病気療養中に死去したこと、6月に「偲ぶ会」を開催することが発表された。享年45歳
人物
『男組』の関東若頭の山口祐二郎は、高橋を「どう見ても暴力団にしか思えない大柄なサングラスをかけた男」「佇まいが完全に暴力団」としており、男組のメンバーは「ガラ悪い連中ばかり」であると述べている[2]。高橋は、全身が刺青まみれであることを、カウンター集団から「暴力団などならず者の集まり」などと思われるのではないか、とイメージダウンを気にして隠していたが、2015年6月29日の「男組」カウンター開始以降は全身の刺青を披露するようになったという[2]。
高橋は在特会デモの参加経験があり、Twitterで自身も「ヘイトスピーチ」を行っていたが、のちに思想が正反対に転向したという経歴の持ち主である[2]。
男組のカウンタースタイルについて、「これじゃただのチンピラではないか」「反差別運動に悪いイメージが付く」「在日朝鮮人の気持ちを分かっていない」「自己満足にすぎない」などの批判は多いという[2]。
公安調査庁は、レイシストをしばき隊とともに活動し「男組」の幹部である、という情報を把握している[10]。
産経新聞は、沖縄の高江ヘリパッド工事現場付近では、福島瑞穂と接点をもち現地で行動をともにしていた、と報じている[34]。

史上有名な事例では、新撰組参加者みたいな「汚れ役」でしょうか?
明治維新後現場責任者・近藤勇隊長が血祭りにあげられました。
しばき隊隊長高高橋直輝氏の経歴を見ると現場むけ鉄砲玉?のように連続して刑事件を起こしている役割ですが、組織が派手に活動するには相応の資金が必須です。
その関心で、沖縄へ行けば一人5万円という資金手当が問題になり、社民党が抱いているのではないかの憶測が広がっていましたが、これは「のりこえねっと」が負担していたことが表に出てきました。
そこに出ていますが、一人5万円では飛行機往復代金等に消えるので日当というには少なすぎるから問題がないかのような説明になっていますが、そうすると働かないで彼らはどうやって食べて行けてるのかの問題になりますが、その辺はメデイアでは全く説明がありません。
仮に一ヶ月滞在するとその間の宿泊費食事代・食費だけで生きて行けない・一般的な生活費・・通信費その他諸雑費がバカになりません・・月額数十万円をどうやって賄なっているかの問題になります。
しばき隊に限らず本土から膨大な人数が基地闘争に入れ替わり立ち替わり入っている様子で述べ人口は膨大ですが、その資金がどうなっているか?自腹で出せる人はそう多くないはずです。
しばき隊その他運動体の資金源不明ですが、民主党鳩山内閣で辺野古移設を(不本意ながら)閣議決定している結果、民主党にルーツを持つ既存野党が公式支援できない関係です。
連立参加しなかった共産党や連立離脱した社民党はその矛盾がないものの政党交付金を受けている政党が、沖縄基地闘争現場・違法行為に公式関与できない点は同じなのでそれとなく?応援しているとすれば問題です。
社民党は連立離脱効果で堂々と反対運動する資格があるとしても、違法行為の共同体になることは許されません。
そこで社民党や革新系はしばき隊その他現地運動体の違法行為と関係ないという公式立場でしょうが、7月23日紹介したとおりSEALDsを介して相互に友好団体になっているので・間にいくつかの資金源不明の幽霊?団体を介在させれば関係ないと言えるのか?
法的証拠がないというだけのことで、本当に関係ないと信じない人が多いでしょう。
政治は法廷闘争ではないので「証拠」さえなければ良いという主張では、国民支持が離れます。
現場でほぼ共同行動に近い関係になっているとすれば・「李下に冠を正さず」の故事に倣って公党として襟をただすべきでしょう。
共産党は暴力革命禁止してから長いのでしばき隊とは関係ないイメージですが、シールズはどうでしょうか?
23日に関連団体のつながりを見ましたが、いくつかの資金源不明の団体の接着剤的役割になっていた可能性が高そうなシールズについて以下ウイキペデイアで見ておきます。

政党と別働隊2(中核派)

旧社会党に始まり社民党等の野党は都合が悪くなれば表向き自党と関係がない・・証拠がないと切り捨て、過去幾多の過激派を切り捨ててきました。
行き場をなくした彼らは連合赤軍その他のさらなる過激化に進み行き場のない苦しみから内部分裂を繰り返し凄惨な内ゲバを繰り返して浅間山荘事件その他を引き起こし、外に向かってはテルアビブ銃乱射事件やよど号ハイジャック事件を引き起こすなど、支離滅裂状態に陥りました。
今なお中核系や社青同解放系その他残党というか細々とした活動が続いているようです。
社青同についてはすでに簡単に見ましたので、中核派を見ておきます。
24日現在の中核派に関するウイキペデイアです。

革命的共産主義者同盟全国委員会(かくめいてききょうさんしゅぎしゃどうめいぜんこくいいんかい、通称、中核派、ちゅうかくは)は、革共同系の日本の新左翼党派の一つ。他称は、当初は本多派、前進派など。2007年の関西派(革共同再建協議会)との対立と離脱以降は、中央派、党中央、安田派などとも呼ばれる。
「反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命」[1]を掲げる。公然拠点は前進社。機関紙は「前進」、機関誌は「共産主義者」。学生組織はマル学同中核派。警察白書では「極左暴力集団」[2]、マスコミは「過激派」と呼んでいる[3]。
概説
「反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと万国の労働者団結せよ!」をメインスローガンに、世界共産主義革命の一環としての日本共産主義革命を掲げ、その革命は暴力革命で、樹立すべき政権はプロレタリア独裁であるとする。
この「反帝国主義・反スターリン主義」では、「真の共産主義の実現のため資本主義国家の転覆(反帝国主義)」とともに、ソビエト連邦や中華人民共和国などの既存の社会主義国を、世界革命を放棄し、帝国主義との平和共存政策を基調とするスターリン主義と規定し打倒対象とする。朝鮮労働党と日本共産党もスターリン主義と規定し打倒対象とする。
分裂した革マル派も同じ「反帝国主義・反スターリン主義」を掲げるが、革マル派の理論重視・組織重視・党建設重視に対して、中核派は大衆運動・武装闘争を重視し、共産主義者同盟(ブント)や社青同解放派など他党派との共闘も行った。
1960年代、権力に対する街頭武装闘争、大学闘争などで新左翼最大の規模・勢力を持つに至った。1966年の三回大会で「帝国主義の根底的動揺の開始」を表明。その後の1974-75年の世界同時不況・高度成長の終焉をもって資本主義の歴史的命脈は尽きたとする。これを元に情勢認識を「革命情勢は成熟している」と規定し続け、その情勢認識から急進的な路線を打出し、その時々で大学闘争、街頭闘争、三里塚や部落解放などの諸闘争、物理的な党派闘争(いわゆる「内ゲバ」、特に革マル派との内ゲバを「戦争」と規定)など、多数のテロ事件、ゲリラ闘争を行ってきた。
冷戦終結後、1991年5月の「5月テーゼ」以降は、武装闘争路線によって疲弊した党組織の立て直しを図り、労働運動路線へと転換。自派の労働運動を展開しつつ、労使協調路線の連合・全労連を「体制内労働運動」と規定して批判している。

以上のように現在では労働者への浸透を図っているようですが、私と同世代の元活動家は人生の終盤を迎え、どのように人生の総括をしているのでしょうか?
よど号ハイジャック事件の犯人の一部は、だいぶ前に帰国=検挙覚悟で帰国したと報道されていましたが、帰国せずに北朝鮮に残っている人たちの現状については以下の記事(写真付き)が出ています。
http://kodawarijournalist.blog.fc2.com/blog-entry-234.html

「現代ビジネス」(2020年3月28日配信)に執筆した記事を3回に分けて掲載する。その第2回目。

平壌日記 PYONGYANG DIARY
フォトジャーナリスト・伊藤孝司の朝鮮最新情報
実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実【中】

彼らは今、北朝鮮で何を思うのか

中核派に戻りますと今も新規加入者がいるようですが、社会から見ればすでに終わった政治集団というべきでしょうか。
直感的には困った人たちだというだけですが、若い純真な心を煽って後戻りできなくしてしまった大人に責任がないのでしょうか?
政党に都合が悪いとなれば、だんまりで(旧ソ連からの資金援助も無視です)ごまかせると思っているでしょうが、合理的話し合いの結果を認めない公式態度の先には、意を受けた非合法活動を期待する本音に若者が反応するので、責任が重いのです。
国民はその因果を肌で感じているのでその都度国民の信用を失っているのに気がつかないのでしょうか?
親の立場になれば息子や娘がいいように利用されて人生を棒にふってしまわないか?と心配し、恨みを持つのではないでしょうか?

社民党と別働隊(しばき隊・SEALDs)1

社民党党首福島瑞穂氏が連立与党内の合理的対話の結果を無視・党内意見以外認めないのは、民主主義・議論結果相手の意見も認めることを否定する党の唯我独尊体質を明らかにしたもので、中国共産党の一党独裁を彷彿させるものです。
現実がどうしょうもないことが分かっている・事態打開の合理的対案を出せないにも拘らず、現実を踏まえた内閣の決定を受け入れない宣言の意味を考えてみましょう。
反対だから反対だ・・解任するならしてみろ!→孤立しても結果を認めない態度→民主的に決まった政策を受け入れない意思表示というべきでしょう。
連立与党間の合理的対話を受け入れるくらいなら解任されても良いし連立離脱も受け入れるというのは消極抵抗でしかないのですが、この種の意思表示は積極抵抗の一歩手前の覚悟を示したことになります。
党首としては積極抵抗=違法行為実行の意思を示さずとも血気盛んな支持者は勇み足で積極抵抗に走ることが多いものです。
明治維新初期に下野した西郷隆盛にその意思がなくとも周辺にかつがれて西南の役になった故事を知るべきでしょう。
国策行為は法令の施行という形をとる以上・・これに対する積極抵抗は違法性を帯びる行動になりがちです。
これが沖縄での工事妨害に向けた違法行為誘発の原因でしょうか。
工事妨害の違法行為の現場で党の顔である福島瑞穂氏が実力排除された報道は、党自体が関与している印象を受けた国民が多かったでしょう。
そこで現場部隊化していたしばき隊やシールズなどの社民党との関係をウイキペデイアの記事から友好、関連団体紹介を中心に見ていきます。
まず、沖縄基地闘争に参加していた高橋直輝氏の属していたしばき隊です。

対レイシスト行動集団(Counter-Racist Action Collective、略称C.R.A.C.(クラック))は、「レイシストをしばき隊(レイシストをしばきたい。略称しばき隊)」を起源とする日本の市民活動団体。
友好団体[編集]
自由と民主主義のための学生緊急行動 (SEALDs)[88]
救援連絡センター 逮捕者の釈放支援を受ける[89]
のりこえねっと[1]

友好団体として出ている「自由と民主主義のための学生緊急行動 SEALDs)に関するウイキペデイアです。

自由と民主主義のための学生緊急行動[1][5](英語: Students Emergency Action for Liberal Democracy – s[注釈 1]、略称(アクロニム): SEALDs, シールズ[1][5])は、2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の学生により結成された活動家団体[6][2]。2016年8月以後は「自由と民主主義のための琉球・沖縄緊急学生行動(SEALDs琉球)」のみ、名前を変えて活動を継続しており[7]、2017年3月17日に、元メンバーらが新団体未来のための公共を設立するが、2019年8月15日に活動終了を発表した。
関連団体[編集]
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合[100]
民進党
日本共産党
オール沖縄
沖縄平和運動センター(代表者:山城博治)

上記の友好団体「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」に関するウイキペデイアです

2016年6月、旧民進党・日本共産党・社会民主党・生活の党の野党4党と市民連合が、国会内で会合を開き、市民連合の政策要望書に調印した。市民連合からは代表者として山口二郎が出席した[3]。第24回参議院議員選挙では、32の1人区全てで野党統一・市民連合推薦候補の擁立を実現し、うち11議席を、比例代表は、当時の野党4党で44の議席を獲得した[4]。
2019年の参院選でも野党共闘の取り組みを後押し、市民連合と4野党1会派との間で1人区での候補者一本化の基本合意と政策協定の調印を5月29日に行い(後述)、32の1人区で10議席を獲得した[5]。

以上の通り社民党や野党と安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合やSEALDsを媒介につながりSEALDsはしばき隊とつながっていることが分かります。
ただ、これら新興組織は自発的に生まれたのか既存政党の別働隊として突然組織化されたのか不明ですが、安保法案国会通過直後に短期間に解散や消滅していった流れを見ると革新系野党共闘の基盤として国会対策目的の別働隊として俄かに組織化された印象を受けた国民が多いのではないでしょうか?
既存政党の短期目的別働隊(公党としてできない非合法暴力的活動体)として大手メデイアはスポットライトを当てたので、彼らは時代の寵児になったつもりで舞い上がったようです。
ところが過激暴力的活動に対する世間の目は冷ややかでしたので、あっという間に切り捨てられ、使い捨てにされて行く若者・・その後の人生がどうなる?が哀れです。

社民党の体質(鳩山内閣離脱)

学生運動に話題が逸れましたが、旧社会党は60年安保騒動が終わった後・国論(国民総意)として日米基軸体制の選択が確定した後においてもなお民主的国民選択に従わない行動が続いた・・このために旧社会党の政治目標が不明化して結果的に「なんでも反対」するしかなくなったと見るべきでしょう。
旧社会党の行動は自分の主張を勝手に市民の声と称して「国民大多数の気持ちを踏みにじる行為」などというスローガンで毎回選挙結果無視の運動を展開してきました。
この運動方式は「議論によって決まったことに従う」という民主主義理念放棄である以上、国会では牛歩戦術という民主主義手続きの乱用を衆人環視のもとで行い、国会で決まった政策実現には現場工事がほぼ伴うのを悪用して現場となる地方自治体での問題蒸し返し・・地元民反対運動の盛り上げや訴訟戦術の乱発で時間稼ぎして最後の工事段階では違法な実力行使での妨害=現場闘争部隊・・違法集団を養う方向にならざるを得なくなったように見えます。
その暴発手段として別働隊(これが一人歩きして内ゲバ過激化)との一体感イメージが一般人に定着してしまったのが、長期低落の主原因だったと総括できそうです。
今の社民党は事実上の顔である福島氏自身が違法行動に参加して排除されるなどを見ると、党自体は違法行為に関与しないという限度の自己抑制すらなくなったような印象を受けます。
いわゆる嫌韓運動に対抗組織として活躍していた「しばき隊隊長」が激しい暴力的活動で却って在日社会から危険視されるようになったからか?いつの間にか嫌韓運動の対抗組織としての活動をやめて沖縄辺野古基地反対闘争に参加し社民党と共闘していると報じられるようになりました。
共闘というと唯一の指揮命令系統に所属して参加する場合が基本形でしょうが、そこまで意思統一しなくとも特定街頭活動が行われている現場で、敵対的デモをする場合と協調的デモをする場合とがあり、一定闘争?現場で協調的デモを繰り返している場合外から見れば共闘関係に見えます。
一般人は闇の人間関係まで知る方法がないので、外部での協調行動から窺い知るしかありません。
ただし、しばき隊の名で沖縄基地反対運動に参加しているのではなく、しばき隊元?隊長が個人で参加しているようです。
旧社会党は安保騒動の頃に社青同という関連団体を育成しましたが、これが昭和40年代には過激派学生運動の一翼を担う組織の一つとなり過激派が国民支持から離れる過程で(私には)消息不明となっていましたが、その焼き直しかな?関係不明のしばき隊とかシールズなど新規活動集団に頼るようになったイメージです。
共産党が暴力革命路線を放棄・修正後、全学連の跳ねっ返り街頭活動を批判し続けてきたのに対し社会党系は共産党の穴を埋めるかのように学生の過激な活動を期待するかのような傾向を続けてきました。
過激な学生運動とこれを背後で煽る社会党が世論支持を失って来た歴史があるにも拘らず、社民党は今なお新たな別働隊期待を続ける時代錯誤性は抜けないようです。
一旦出来上がった強固なDNA(教条主義=過激活動主義は変えようがないので、)旧社会党から大部分の議員が先を競って逃げ出して新党結成に参加したのは正しかったことになりそうです。
旧社会党に居残って社民党と改名した後を継承している福島氏が、民主党連立政権参加時に、沖縄の辺野古基地移設に断固反対して当時の鳩山首相から解任されて閣外に出た・連立政権離脱を選択したのは、政権に参加した場合でも(従来は責任のない野党だったので・・という理解可能でしたが)従来型・・結果無視・筋を通しさえすれば良いとする硬直政党の体質を示した事件でした。
現実政策能力の無さというか、原理論に凝り固まった(選挙の洗礼を受けない頑迷な?)党員の意向に抗することのできない旧来体質を明らかにしたものでした。
福島瑞穂氏に関するウイキペデイアの記事です。

普天間基地移設問題では一貫して沖縄県外、日本国外への移設を主張。2010年5月28日に辺野古地区への移設で日米が合意したためこれに反発し、閣議了解の書類に署名しないと宣言する。鳩山の説得にも応じなかったため、同日中に罷免された[4]。日本国憲法下での閣僚罷免は5例目で、政党の党首職にある閣僚の罷免は初めてであった。
2010年5月30日に開いた社民党全国幹事長会議で、最終的に連立を解消することを決定した。

鳩山民主党は普天間基地移設先を「少なくとも県外へ」の選挙公約で政権獲得したものの政権担当後どこの都道府県への移設展望もない空論であったことが判明し、上記公約で政権獲得した鳩山内閣自身が恥を忍んで辺野古移設について日米合意するしかない状態に追い詰められた現実を内閣の一員として理解していながら、現実をみとめず「筋を通す・党内意見を優先する」しかない旧社会党の体質がそのままだったことを満天下に示した事件でした。
民主主義とは、議論の結果決まった国民意思に従うことであって民主主義国家の政党もこの原理に従うべきです。
現実政治に参加している与党の一員であり、有効な対案がないことを認めていながら要党内協議に従わず、合理的理由なく閣議で反対する・・日頃からのなんでも反対の本性が出た事件でした。
合理的対話の結果を無視・党内意見以外認めないのは、民主主義・議論結果相手の意見も認めることを否定する党の唯我独尊体質を明らかにしたもので、中国共産党の一党独裁のようです。
現実がどうしょうもないことが分かっている・合理的対案を出せないにも拘らず、現実を踏まえた内閣の決定を受け入れない宣言・・解任するならしてみろ!→社会孤立しても結果を認めない態度→民主的に決まった政策を受け入れない意思表示→受け入れるくらいなら解任されても良いし連立離脱も受け入れるというのは消極抵抗でしかないのですが、この種の意思表示は積極抵抗の一歩手前の覚悟を示したことになります。
党としては積極抵抗=違法行為実行の意思を示さずとも血気盛んな支持者は勇み足で積極抵抗に走ることが多いものです。
明治維新初期に下野した西郷隆盛にその意思がなくとも終焉いかつがれt西南の役になった故事を知るべきでしょう。
国策行為は法令の施行という形をとる以上・・これに対する積極抵抗は違法性を帯びる行動になりがちです。
これが沖縄での工事妨害に向けた違法行為誘発の原因でしょうか。

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