利害調整不全7(地域エゴ野放し2)

地元処理の論理が正しいとして、柏市内で解決することになった場合、市内のどこか一箇所を特定すると「市全体のゴミをなぜこの地域だけで処分するのか?」と反対運動の名分になります。
市内全域(例えば市内地域が五箇所に分かれている場合、五箇所に一箇所づつ)公平負担としても、その集落地域内でも、地域内のここだけ(自宅の隣で)なぜ引き受けるか?となれば、際限ない争いが続きます。
こういう反対論理が正当化されると火葬場も墓地も葬儀場も医療施設も皆自宅内処理し家庭ごみも皆自宅内処理すべきとなりそうです。
昭和40年代の杉並ゴミ戦争が有名ですが、都が埼玉千葉県にゴミ処理を頼らない点は立派ですが、都内処理の地区間不公平問題が勃発しました。
東京23区は、江東区等の東京湾埋め立てに頼っていたのが限界になってきたので各区内での焼却が必要になったのに、杉並区住民が区内焼却場設置に反対したのが発端だったように記憶しています。
この問題では江東区が態度硬化して杉並区のゴミ受け入れ拒否するという騒動に発展し、この解決までの間、杉並区内あちこちに臨時のゴミ集積所設置案ができたのですが、今度は臨時ゴミ集積所設置自体に近隣住民の反対が出るなど、エゴ連鎖の結果、最後は強制収用決定となり、それにも抵抗して訴訟になり裁判所の勧告に従い杉並のエゴが不発に終わった記憶です。
詳しくは東京ゴミ戦争のテーマでウイキペデイアに出ていますので参照してください。
住民意思最大限尊重姿勢の(社共支持?推薦の)美濃部都政でこのような矛盾が生じたのは、偶然ではなかったでしょう。
草の根の意見重視といっても噴出する両立しない利害をいつかは調整しないと為政者としての役割を果たせません。
保育所不足が女性の社会参加推進少子化対策等で重要テーマになっている現在・・しょっちゅう待機児童数の発表されるほど関心の高い状態ですが、数年前に住宅街での保育所設置反対運動が起きていて新設困難になっているニュースがありました。
保育所も学校も近いのはありがたいが、自宅の隣は困ると反対する・・少しの負担も引き受けない人が増えてきました。
反対派エゴ・・道路掃除当番非協力程度で無視できるなら害が少ないのですが、これが保護されるべき権利→制度上効果=反対がエゴに基づくものであっても反対がある限り公共施設が設置できない結果を認めるようになると、エゴ主張を権利として保護するのと似た効果が生じます。
共同社会→何らかの自己負担が前提ですが、税や会費負担あるいは週1回の道路や公園掃除当番など直接的負担を超えて「送り迎えの車が増えるので反対」という程度の自己負担も嫌と(と思うのは自由ですが、公的運動までするように)なれば、自己負担拒否感の強さに驚くばかりです。
「舌も出ししたくない」ような非協力を競う社会・・エゴに基づく拒否権の承認をするのか?
バラマキ政治はこの行き着いた究極の政治スタイルというべきでしょう。
最低賃金倍増、所得税減税や障害者保護や生活保護費倍増、保育料高校大学学費無料、高齢者入場料無料等々のバラマキ型主張は、その一つ一つが誰の権利を阻害するか直接効果が不明なので対立相手を直接作らないのがミソです。
無責任な甘い公約の言いたい放題ですが、増税しない限りその資金負担分=どこかに振り向けていた資金がその分減らすしかない筈です。
この支出を減らしてその資金で教育費を無償化すべきという主張、または同額の増税をすべきという主張が責任ある態度でしょう。
私が弁護士になった頃の共産党の主張は、戦闘機一機で何々が作れるという主張でした。
無責任主張は相手にされない時代だったようです。

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