欧米の植民地政策と留学制度1

インドネシアその他同様にビルマ独立軍も日本軍進出に触発されて結成されたものですが、ビルマ独立運動の結果イギリス軍を追い出した以上は当初は軍事政権であるのはどこでも同じです。
日本でも豊臣や徳川政権は軍事統一した以上は政権樹立当初は軍事政権ですが、時間の経過によって文治政治に変わって行くべきものです。
独立軍=軍事政権を理由にして欧米は世界中からビルマ→ミャンマーを孤立させる政策を何十年もしてきました。
どこの国でも独立戦争をして成立したばかりは、軍事政権しかないのが当然ですし、(韓国もどこでもそうでした)実際に世界中に軍事政権が一杯あったのに、ビルマに限って軍事政権・非民主国という理由だけで今の北朝鮮やイランのように経済封鎖して来たのは、ひとえに報復を狙うイギリスの意趣返しにかかっていたと見るのが普通です。
そのクサビ・尖兵・トロイの馬となって来たのが、欧米マスコミで賞讃される民主運動家と称するアウンサンスーチー女史の役割だったと解釈出来ます。
彼女は民主化の旗手として欧米マスコミがはやし立てヒーローであるかのように振る舞って来た結果、彼女を軟禁しているミャンマー政府を世界の孤児に陥れて・・制裁を続けてきました。
中国が民主活動家を拘束してもアメリカは非難するだけで経済制裁はしません。
米英から世界の除け者にされると、北朝鮮もイランもパキスタンも除け者同士の相互関係・除け者の大親分である中国を頼るしかない状態が続いていましたが、中国がココ10年ばかり次第に力をつけて来ると中国側に追いやっていると危険になって来ました。
最近になって、アメリカがミャンマー経済封鎖を緩め始めたのは、アメリカ国力の低下によって、イギリスの意地にアメリカがつき合い切れなくなってきたからです。
そこで、何らかの口実を設けてミャンマーへの経済封鎖を緩め始めるしかなくなった結果と理解出来ます。
勿論、留学→婚姻関係成立による籠絡がいつもうまく行くとは限りません。
家康を人質に取って縁戚をめとらせた今川が没落しましたし、現在のシリアの混乱は旧宗主国フランス人妻と婚姻させて取り込んだつもりが、フランスの思うとおりに行かなかった例でしょうか?
我が国の占領政治・・一種のアメリカによる植民地支配に戻ります。
戦後数十年間は、(日本には部族長や貴族がいないので)フルブライト等で選抜されてアメリカに留学出来た人は一様にアメリカの豊かな生活を紹介し(自分が知っているという自慢を兼ねて)こんな巨大な国相手に戦った日本がバカだったというステレオタイプの意見ばかり紹介している時代が最近まで続きました。
勿論彼らは留学したことによる自分のアメリカにおける人脈の豊富さをひけらかすのは・・上記植民地部族長の子弟が留学したことによって宗主国貴族と交わって知り合いがいると自慢してるのと同じです。
まさにリークアンユーの書いていたとおりに、アメリカが英仏欄等の植民地支配の永続化政策の現在版をそのまま実施していたし、・・招聘された彼らはアメリカには叶わないという諦め・・日本に帰ってからアメリカの宣伝活動にいそしむ道具に利用されていたことになります。
我が国の場合、そんなに日本よりも優れているならばこれを学んで日本の技術にしてしまおうとする意欲が古代から旺盛ですから、最新技術や経営思想を積極的に取り入れてしまい、戦後の高度成長の原動力になって半永久支配を目論んだアメリカは裏をかかれてしまいます。
今になるとアメリカは、善意で日本の優秀な若者を招聘してやったと言うよりほかないでしょう・・日本もそれで良いのですが、植民地支配の歴史・・一般的傾向で言えば留学とはこういう目的があったということを書いています。
明治維新のときの日本の留学生は、政府から資金が出たとは言え、植民地の豪族子弟の留学とは違い、貴族と交流してパーテイばかりしているような贅沢な(そこまでのお金は出ません)ものではなく、現在の留学生同様に寝る間も惜しんで勉学にいそしみ日本へ新知識・技術を持ち帰るのが目的でしたから、貴族との交流を自慢するばかりの人ではいなく、みんな日本の近代化に役立った点が東南アジアや中国等々とは違っています。

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