マッカーサーの功罪3(軍政の撤回1)

日本人にとっては、天皇が人間宣言しようとも・・憲法の文言から「神聖不可侵」の文言が消えようとも、国民の心には「神聖不可侵」の天皇が今も続いています。
これの顕著な事例が韓国前大統領による天皇侮辱発言に対する日本全国民の強烈な拒絶反応であり、・・これには左翼もマスコミも何の反対も出来ないほどの大きなリアクションでした・・。
最近では、参議院議員山本太郎氏が秋の園遊会出席時に天皇陛下に対して直接手紙を差し出した非礼行為に対する大反響でしょう。
そのときに書きましたが、マスコミが表向き論じている政治利用の問題ではなく、国民が驚いたのは直接差し出すという非礼行為だったので、山本氏も政治利用に関してはいろいろ言い訳していましたが、その内黙ってしまいました。
およそ神にまします天皇に対しては、古代から伝奏を通してしか発言することすら許されないしきたりです。
人間宣言を受け入れないまま頑張っていて、仮にもアメリカ軍によってその辺の泥棒のような辱めを受けて絞首刑に処せられたとなっていれば、その衝撃は2011年の東北大震災の比ではありません。
今になるとそんなリスクはなかった思っている人が多いでしょうが、サンフランシスコ講和条約時にソ連が戦争の最高責任者である天皇の責任を追及しないのはおかしいと言い張っていたものの、アメリカが相手にしなかったことでことなきを得ています。
日本左翼によるソ連を含めたいわゆる全面講和論ですと、天皇責任論(を蒸し返すのが主目的であったかも知れませんが・・)が正面の議題なっていたことになります。
天皇機関説については、06/07/03「天皇機関説事件とは1」以下で紹介しました。
象徴天皇制・・これが実態であると日本側で必死に説いたことによって、マッカーサーが納得し、天皇制を維持を決断するのに成功した決め手になったと思われます。
戦前から天皇機関説が学界の通説であったことが、GHQを天皇制維持方針に転換させ、天皇責任論を修正させた原動力になります。
彼は赴任後直ぐに天皇制が戦争を起こした原因ではなく、天皇は民心の象徴に過ぎないし、天皇制をなくしても日本人の心を変えることは出来ないと理解したと思われます。
それに赴任してみると人民と天皇の関係が分って、天皇の戦争犯罪を追及して実行すると民族間の恨みが半永久的になって、将来日米関係が取り返しのつかない関係になることを理解したでしょう。
(11月1日から2日に掛けて日本民族は謝ってさえくれれば許せる民族だとは書きましたが、天皇まで言いがかりで処刑されたとなると・・傷痕の深さが半端ではなくなります。)
日本人は戦犯裁判はでっち上げであると主張していることと、この報復をアメリカに対してするべきということと同次元で主張している人はごく少数・・皆無に近いと思います。「民族のために犠牲になった人を尊崇したいという心を邪魔するな」というだけです。
戦国武将が城兵の助命と引き換えに腹を切った場合、その城主を懇ろに弔うことと敵将を恨むこととは、まるで次元が違います。
敗軍の将を辱めるどころか,逆に神にして祭る智恵が行き渡っているから、日本人は過去を水に流して恨みをいつまでも引きずらずに結果的に一体感を強く持って来られたのです。
日本人は仕返しするために靖国神社にお参りしたいと言っているのではありません。
この点をアメリカが思い違いして,裏で妨害していると却ってこじれてしまうリスクがあります。
アメリカが中韓を唆して虚偽報道を裏で煽り続けていると日本人が感じるようになりつつありますが、その勢いが余って、アメリカの方がもっと悪いことをして来た・・報復感情が高まる方向に行く心配をしています。
マッカーサーは占領後アメリカや西洋あるいはその他の国のように、日本では指導者に盲目的に従う国ではない・・天皇が戦争に引っ張って行ったものではないことが直ぐに分ったようですから、彼に向かって一生懸命進言した日本人関係者の努力もさることながら、彼の理解力の高さ・公正な姿勢を理解し評価すべきです。
実際彼はアメリカ議会で、日本がいかにして開戦に追い込まれて行ったかの実態を克明に証言し、日本への理解を得るための大演説をやっています。
そこまで彼を親日派に転換させたのは(国難に際して国内分裂がなかった)日本の官民挙げての暗黙知による努力の賜物です。
マッカーサーの離日に際して、期せずして沿道に見送りの日本人が溢れたことを紹介したことがありますが、暗黙知ほど大切なものがありません・・。
支配体制が崩壊すれば、普通の国では分裂どころか無秩序状態・内部対立激化するのが今でも普通です。
最近でもアメリカのミシシッピー下流域での大洪水では、略奪が相次いで軍が出動していました。
殆どの国では大災害その他の理由で支配体制が崩壊して、その地域の警察秩序が臨時に喪失すると、直ぐに略奪がおきます。
バルカン半島での長年の(クロアチア等での)民族間戦争も、言わば強力支配権力崩壊後に生じた空白・・集団間の無秩序化が生み出したものであったと理解出来るでしょう。
この後で書いて行くアラブの春以降のアラブ社会の混乱も同じです。
これに対して・・2011年3月の東日本大災害では、警察権力どころかすべてのインフラ機能が全面喪失する中でも、逆にみんなが助け合い譲り合っている社会構造に世界中が驚嘆したばかりです。

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