万物共生4(器物損壊罪から動物愛護法へ2)

私が司法修習生・・検察修習中に犬が焼き殺された事件があって、その被害者(買い主)の告訴によって(検事の修習として)取り調べ・捜査を担当したことがあります。
当時は器物損壊罪しか適用法がありませんでした。
最近西洋でも動物愛護の精神が発達したので、これを受けて日本でも動物愛護法あるいは鳥獣保護法等で、別に処罰されるようになりました。
(明治以降西洋の考え方・思想がすべて正しい・学ぶべきという発想で来たので、西洋かぶれをしている学者が「西洋ではこれが最新の方向だ」と有り難そうに言い出さないと、こう言う法律が日本でも出来なくなっています。
しかし、万物共生思想の日本では、法がなくともむごい行為は道徳的に許されるべきではありません。
西洋では、もともと他者に対する思いやりのない・・人間相手でも「勝った方が何をしようと勝手」という基本・・強者が自己抑制なくやりたい放題の精神・原則があるから、法で弱者保護・・動物や鳥は万物の霊長ではないとしても、「あんまりやり過ぎなさんなよ・・」と言う動物愛護法が必要になったのです。
人権抑圧が酷すぎるから人権尊重の革命が起きるし、労働者に対する思いやりがなさ過ぎると労働保護法が出来、公害がひどくなると公害規制の法律が出来ます。
公害規制があるから自然保護意識が進んでいるのはなく、そんな規制の不要だった江戸時代の方が、空気も水も綺麗だったでしょう。
漢方と違い西洋医学では、きつい薬を貰って胃を保護するための薬、その副作用を抑えるための薬と次々処方されるのと似ています。
我が国の政治は、漢方処方的政治ですので、これをすればこうなるという分りよい政治ではないですが、じっくりと国民のためになる政治・副作用の少ない政治が心がけられて来ました。
後に政党の公約について書いて行きますが、日本の政党は所謂55年体制下では自民も社会党もどちらも成長による利益を受ける階層と所得再分配による恩恵を受ける層(大手企業労使と農民・中小企業など)を抱え込んでいました。
しかし、全体のパイ拡大が見込めなくなった以上は、あちらもこちらも立てる方式が無理になったので、社会党も自民党も何をして良いか分らない状態になってどちらも支持を失って行ったのです。
旧市街の再開発にも新市街地の創設にも双方に予算をバラまく時代が終わったことを何回もこのコラムで書いてきました。
自民党も今の民主党もどちらかを切り捨てるしかないのに、両方の支持者を抱えているので政治が何も決められなくなったのです。
今の政党は何をしたいかはっきりしない・・漢方薬の場合いろんな種類の組み合わせで成り立っているものの結果的に調和がとれていて目的とする効果があるのですが、我が国の政党の場合(自民/民主共に)今のところ不調和状態のままで何も出来ない・・何をして良いのか、党内意思統一が出来ない・・あるいは困難な状態です。
拡大成長が終わり、調和能力がなくなっている以上は、西洋的に特定目的に純化して行かない限り、短期的には政党の意味がなくなってしまうかも知れません。
韓国の政治を見ていると学者の御託宣どおりで「これが目的」と分りよく、国際政治も「戦略的という」(日本が震災で弱れば攻勢をかければ良い)分りよい露骨な政治ですが・・これに振り回される国民は可哀想です。
国民意識を分裂させない日本的調和のとれた解決が要請されていますが、政党公約のあり方に関してはこの後でそのテーマで書くこととして共生社会に戻ります。
日本では元々動物と人をそんなに区別していなかったので、動物に限らず樹木でもムヤミに伐採しない精神でした。
(年季の入った樹木になれば、神霊が宿るとして(もしかしたら人間よりも)大事にしているのが普通です)
動植物すべてに大切な「心」があると言う国民精神の上に、綱吉による生類憐れみの令が発令されたと見るべきでしょう。
鳥獣保護法は、生命を大事にするというよりは、野生動物の生態系維持・保護を図るのが目的でした。

   鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律
      (平成十四年七月十二日法律第八十八号)

鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律(大正七年法律第三十二号)の全部を改正する。
目的)
第一条  この法律は、鳥獣の保護を図るための事業を実施するとともに、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害を防止し、併せて猟具の使用に係る危険を予防することにより、鳥獣の保護及び狩猟の適正化を図り、もって生物の多様性の確保、生活環境の保全及び農林水産業の健全な発展に寄与することを通じて、自然環境の恵沢を享受できる国民生活の確保及び地域社会の健全な発展に資することを目的とする。」

動物の愛護及び管理に関する法律
(昭和四十八年十月一日法律第百五号)

第一章 総則

(目的)
第一条  この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。
(基本原則)
第二条  動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。

第四十四条  愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、一年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
2  愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる等の虐待を行つた者は、五十万円以下の罰金に処する。
3  愛護動物を遺棄した者は、五十万円以下の罰金に処する。
4  前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一  牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二  前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬虫類に属するもの

万物共生3(器物損壊罪から動物愛護法へ1)

月1回程度のペースで東京地裁での午前中の弁論等の機会に、歌舞伎公演その他各種観劇等を妻とともに楽しんでいることを、このコラムで紹介したことがあります。
坂東三津五郎主演2012年10月に国立劇場(今は歌舞伎座が新築工事中です)で観た「塩原多助一代記」(初代三遊亭圓朝が創作した落語・人情噺。明治11年(1878年)の作・実在の塩原太助をモデルにした立身出世物語)を紹介しておきましょう。
「あおの別れ」の場面では、可愛がっていた愛馬「あお」との別れの場面が描かれますが、その何場面か後の最後で「あお」が殺されたと聞いて太助がおいおいと大泣きする場面があります。
親友が殺された情報よりも、愛馬が殺された情報に感極まる設定自体、期せずして我が国の動物に対する心情・・人間と動物を分け隔てしない心情が良く表されていると思います。
この場面が見せ場ということは、観客である日本人の多くがそう言う心情を共有しているということでしょう。
平家滅亡の始まりである以仁王の挙兵に連なる源三位頼政の挙兵の端緒は、息子の愛馬に関する平家の公達との確執が始まりでした。
(物語ですから事実かどうか分りませんが、この部分が国民の共感を呼ぶから千年単位で語り継がれて来たのでしょう)
戦時中の食糧不足で動物園の象が衰弱して死んで行く様子が繰り返し痛恨事として報道されています。
最近の原発事故による避難命令によって家畜を連れて行けなかった人たちが、一時帰宅が許されると、マッ先に涙ながらにやせ衰えた牛の餌を配って歩く姿が報道されていましたが、肉牛用であろうとも一緒にいる限り自分の子供に対するような愛情で接しているのが日本では普通です。
類人猿やオランウータン等の高等動物の研究で日本の研究水準が世界で群を抜いているのは、元々相手を自分と同格者として共生して行く基本思想があるから理解しあえるのではないでしょうか。
西洋では何の根拠か知りませんが、人間を万物の霊長として(何事も他者との差別化が基本の社会です)それ以外は物体(石ころ)扱いです。
民法のコラムで紹介したことがありますが、ローマ法に起源のある現在の法律では、人以外はすべて「物」と定義されています。
ここで項目だけ、その配列を紹介しておきます。
民法
(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)

 第二章 人
   第一節 権利能力(第三条)
   第二節 行為能力(第四条―第二十一条)
   第三節 住所(第二十二条―第二十四条)
   第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告(第二十五条―第三十二条)
   第五節 同時死亡の推定(第三十二条の二)
  第三章 法人(第三十三条―第八十四条)
  第四章 物(第八十五条―第八十九条)

上記のように西洋法の体系では、先ず権利主体になり得るのは人だけであり(死亡により人ではなくなります)、これには自然人と法人の2種類が規定されています。
そして、人が利用し支配する客体としての「物」が規定されているのですが、上記のように人以外はすべて「物」として定義されていますので、すべての生物・・動物も石ころ同様の「物」です。
西洋から伝来した近代法では、犬を殺しても従来(動物愛護法等が出来るまでは)は器物損壊(不良が校舎の腰板を蹴飛ばしたのと同じように・・)になるだけでした。
器物損壊罪は他人の物を壊したときだけですので、自分の飼っている犬・猫を殺しても犯罪にはなりません。
その上、近所の犬や猫等を殺しても、その買い主からの告訴がない限り処罰出来ませんでした。(親告罪)

刑法
(明治四十年四月二十四日法律第四十五号)

(器物損壊等)
第二百六十一条  前三条(公文書等の場合・・・イナガキ注)に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
(自己の物の損壊等)
第二百六十二条  自己の物であっても、差押えを受け、物権を負担し、又は賃貸したものを損壊し、又は傷害したときは、前三条の例による。
(親告罪)
第二百六十四条  第二百五十九条、第二百六十一条及び前条の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

万物共生2と共感

話を戻しますと、西洋やアラブ、中国のように戦争に勝ってしまえば、相手を根こそぎ根絶やしにしたり奴隷にしてしまう・・人間としての尊厳をすら奪ってしまう思想は我が国では古代からありません。
日本以外では19世紀末頃から労働運動が激しくなったことから、(有産階級に国内労働者が敵対しても搾取する対象を根こそぎ殺してしまうわけにはいかないので・・・)20世紀になって漸く「敗者の支持母体にも少し配慮しましょう」という程度の意識が芽生えて来たのですから、千〜2千年単位で日本よりも意識が遅れているといつも私が書いている事例の1つです。
西洋(勿論中国や朝鮮でも)では、日本と違って他者や他の動植物を思いやると言うか、同じ生き物として尊重する思想が元々ないか、希薄です。
医薬品業界で発達している動物実験(・・確かに便利ですが・・)の思想自体、日本では驚きです・・縄文時代の昔から犬に限らず馬でも牛でも身近な動物類は、すべて家族同様に可愛がってきましたから・・・。
日本では、江戸時代の麻酔の実験で言えば、動物実験には思い至らず、華岡青洲の妻や母が自分から申し出てくれたので実験出来たものです。
この種の実験を使用人に強制するべきものではないし・・強制することは、昔から人道的に許されないという基本思想がありました。
西洋ではジェンナーの例で見れば明らかです。
彼は親のいない子供達(・・いくら西洋でも使用人に強制出来なかったらしく親がいれば同意が必要だったからでしょう・・)を実験相手として選んで実験を繰り返して種痘の効果を確かめています。
・・我が国では人権などと西洋が言い出す何百年も前から、孤児や障害者の自立を目指して(足利時代以来盲目人のためにあんま、鍼灸などを彼らだけ許される専業として来たり、琵琶法師その他専門職として育成して来た歴史があります。)努力して来た社会でしたので、孤児相手なら何をしても良いという発想は古代から日本社会では到底考えられない非人道的思考法です。
乞食王子のストーリーでも知られてるように、西洋では孤児を相手に泥棒・かっぱらいなど犯罪行為を強制するのが普通でしたし、数日前に中国で2〜3千人という大量の孤児が犯罪組織・・誘拐して来た子供に犯罪行為を強制していた・・から救出されたと報道されていますが、中国でもイギリス中世のような社会が今でも続いていることが明らかになっています。
そう言えば、数年前だったかインドスラム街を舞台にした映画を見たことがありますが、そこでも孤児を犯罪行為や乞食に使うスラム街の実態が赤裸々に描かれていました。
このときにキのママで主役になったスラムの子供が一躍有名になって大金が入ったことが社会現象として別に報道されるおまけがありました。
我が国では昔から(困った人がいればみんなで助けてしまうから)スラム街など出来たこともありませんが、(スラム街が出来ればその中で最も弱い孤児が一番の被害者になるのは当然です)世界中が今でも弱者に厳しい社会のママであることが明らかです。
他者に厳しい原則社会であるからこそ、千年〜2千年単位も遅れて人権尊重・少数者保護、弱者救済・動物愛護が声高に言われるようになったのであって、我が国とは原則と例外が逆です。
ならず者集団のシェー・シェパードが、日本を標的にしているのは、周回遅れの社会が何周回進んでいる日本に対して「恥ずかしげもなく良くやるよ・・」という所で、まるで茶番です。
我が国では庶民に至るまで昔から日常用語として「犬は口をきけないんだから・・」と優先的に大事にする風潮がありますが、口の聞けない犬や牛に対して、一方的に実験材料にする酷い発想がありません。

万物共生1と多神教

少数者への配慮・少数意見の尊重とは、政権獲得政党が支持母体の権益追及をすることを前提にした上で、戦いに勝ちさえすれば負けた方に対してどんなむごいことをしても良いという日本以外の世界中で普遍的であった思想が修正されて来たことを表しています。
日本では古来から敗者に対する礼儀を欠かさない社会でした。
菅原道真の怨霊に対する恐れ・・足利氏が敵対して来た後醍醐帝を祭るために建てた天竜寺など枚挙にイトマがありません。
菅原氏の怨霊思想は文字資料としての始まりに過ぎず、文字以前のもっと古代・・神話時代から、被征服王朝である各地の神々を祭る仕組みがあります。
この事実自体は神話による当てにならない伝承ではなく、(比叡山の麓の日枝神社に行くと)実際にあちこちの地方の神様が祭られている事実で証明されます。
この精神が多神教(今風に言えば言論を封殺しては行けない精神風土が文字社会以前から宗教のように存在していますし、西洋の言論の自由・・弾圧が行けないと言い出すよりも何千年も早いのです))・佛教が入って来ると仲良く神仏習合して行った・・他宗教を排斥する思想と無縁になった原因であり結果でもあるでしょう。
この精神があってこそ、外国から変わったものが入ると直ぐに取り入れてしまう風土にも繋がっています。
取り入れ方も旧来のもの100%廃棄してしまうのではなく、日本在来のものに外国の良いところを取り入れて発展させる工夫がし易いのも神仏習合の精神と同じです。
どんなものでも少しは良い所があることから、部分的取り入れに便利です。
この点朝鮮族のように外国の方法がいいとなれば(農産物解放やIMF体制が良いとなれば直ぐに全面的に乗ってしまうなど変化が激しくなります)全面入れ替えする社会です軋轢が多くて大変です。
我が国の場合部分取り入れ・・遠近法がよいとなれば日本画に一部取り入れるなど発展が微温的・緩慢(マスコミは時流に遅れる、遅れると批判しますが・・)ですが、社会の進展としては無理がありません。
異なった意見を受容して行く日本精神からすると、日蓮の他宗教排撃の思想はどうもしっくりしないので、邪教として弾圧を受けることになったし、後に入って来た他宗排撃のキリスト教も同じ目にあったのです。
(スペインの植民地にする領土野心があったことが、政治的には大きな眼目ですが、これに付加して内容的にも寛容を旨とする日本精神に合わなかったので、自然に下火になって行ったし、何の弾圧もないどころか米英思想の支配的な維新以降今に至るまででも殆ど広がらない根拠です)
話が変わりますが、第二次政界大戦直前に何故アメリカが日本イジメに精出していたかと言うと、アジア赴任の宣教師の報告が大きな役割を果たしていたと言われます。
中国ではある程度キリスト教の布教に成功していたことは、太平天国の乱その他で周知のとおりですが、
日本人に対しては、上記のとおり一神教の教義は本質的に無理があって、どうにもならなかったことは現在に至る結果で明らかですが、宣教師達の成績不良の言い訳として日本人は如何に宗教心がなくひいては道義に劣るかを定期報告の度に一生懸命に書き連ねていたと言うことです。
(西洋では信仰心がないのは道徳心がないし野蛮人という意味ですし、敬虔なカトリック教徒◯◯教徒と言うときには、一般的に人格の褒め言葉になっています。)
宗教心がまるでない酷い人種だと言うことから、どんな酷いことでもやりかねないと言う誹謗中傷を(これが当地派遣宣教師の決まった報告方式になっていたとも言われます)繰り返している内に、日本人はどんなに野蛮なことをしているかというあることないことのでっち上げ虚偽報告が必要になって来て、まことしやかにせっせと本国へ送っていたらしいのです。
(現在中国地方政府は、成績が下がると困るので、前年比何%増の成長報告を中央へ送り続けるので同国の成長率がまるで当てにならなくなっているのと同じです)
虚偽報告が繰り返されるうちに何か事例をでっち上げるなどエスカレートするのが普通です。
その内に南京で多くの中国人が虐殺されていると言うでっち上げ報告になっていたらしく、これがアメリカ本国での「日本人は酷い」「中国人が可哀想だ」というコンセンサスが形作られるのに大きな影響があったらしいのです。
実際にはアメリカ自身最後の市場である中国から、「日本を何とか追い出したい」という基本姿勢があったから、そう言う報告が増えた面があるでしょう。
我が国でも、比叡山を焼き討ちした信長が、如何に冷酷無比な性格であるのように末永く言い伝えられている(実際にそうとは限らないのですが・・・坊主の言い伝えしか残らないのです)のと同じで、坊主を敵に回すとその悪口は怖いものです。
実際に同じ宣教師から本国の家族への近況報告の手紙等(これは実際を表現しているでしょう・・出世するために虚偽報告の必要がないので)では身近に日本人の悪行・・大虐殺等を見たという衝撃的なことについて触れたものは皆無ということです。
古代から、訳もなく犬一匹殺すのさえためらう日本人が、何の理由もなく大量に虐殺するなど考え難いのですが・・・。
事実を知るために個々人の私信を調査している日本人もいるのです。
幕府によるキリスト教弾圧に関しては、平等を主張するキリスト教が身分差別を前提とする幕藩体制に合わなかったから弾圧を受けたと言う虚偽の主張が私の頃には学校で教えられて来ました・・今でもそうかな?
しかし当時のキリスト教社会自身、日本以上に強固な身分社会でしたから、(織豊から徳川初期には強固な身分階層が決まっていませんでした・・武士と農民は相互乗り入れ可能だったから、刀狩りが行われたのです・・西洋では農民は農奴的身分でしたから、武器さえ持てば騎士の仲間入り出来る社会ではありません、)そんな学校の教えは全く史実にあっていません。

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