税の歴史6(商業税3)

安心・安全社会でありながら商人から税を取ろうとすると特許料的・・・特別なコネで独占権を買うような袖の下・不正なお金が動くような意識・理解が強くなります。
我が国には商人からお金をとるのは賄賂に近い・・不正と結びついた伝統的意識があるので、商人からお金をとる仕組みを切り捨てた楽市楽座制は画期的な制度として今でも賞賛されているのです。
他方田沼意次のように商業を活性化して、そこから金をとって財政資金にしようとすると賄賂政治として非難囂々となります。
本来「商人からも税を取るべき」という側面から見れば、楽市楽座制は徴税方法の萌芽を摘み取ってしまった政策だったとマイナス評価すべき面があります。
(こんなとんでもない意見を書いているのは私くらいでしょうが・・・素人のコラムは気楽です。)
徳川政権は、日宋貿易や日明貿易あるいは倭冦を通じて貿易は儲かると言う歴史認識が成立していた貿易からでさえ、関税を取っていたかどうかさえ分らないくらい・・金儲けには及び腰でした。
幕府に儲ける意識があればもっと貿易が活発化していたでしょうが、これを制限する方向・・鎖国に向かったのですから、・・・・・手数料をとっても実費程度でしかなかったのではないでしょうか。
何故か政府公的機関が金儲けに精出すのは、はしたないこととする風潮がこの頃に成立してしまったようです。
(だから日野富子の行状を如何にもサモシイように言いふらすのでしょう)
ソニーのトランジスタだったかを欧州で売り込んだ池田総理を、エコノミックアニマルとバカにし、総理ではなく商人のようだとバカにしたマスコミが多かったものです。
楽市楽座制以降商人からの徴税する意識がなくなったので、(国民は上記のとおりの我が国特有の安全な歴史から税を払う気がないので無理です・・)已むなく幕府が時おり豪商から召し上げて来た冥加金などの一時金に頼るしかありませんでした。
各大名家ではそんなことも出来ないので国債みたいな機能の藩札の発行・豪商からの借金などのいろんな名目の回収方法・・今の国債が発達したことになります。
鎌倉時代末期に発動された徳政令は、ご家人が借金に頼った結果でした。
政権側・領主・御家人が借金出来るということは、(当時は外国から借りることはなかったので)今の日本経済同様に領民の個人金融資産は豊富なのに、政権側で取る方法がなかったことの現れだったと言えるでしょう。
徳川時代の徳川家や諸大名や旗本ご家人も同じで豪商や町人からの借財で首が回らない状態でしたが、徴税方法がなかったに過ぎません。
明治の廃藩置県・・・版籍奉還政策は、当時の巨額債務切り捨て策でした。
最近で言えばGMが法的整理で過去に約束した年金債務等を切り捨てて立ち直ったのと同じやり方です。
各大名家では「これで借金の重圧から逃れられる」とホッとしていたので版籍奉還がスムースに行ったことについては、07/20/05「藩の消滅3(版籍奉還と知藩事)」で、大名は知事となり、収入の1割が保障されたことを紹介し、(オーナーからサラリーマンになったので藩の借金の責任を負いません)さらに08/15/09「武士の失業4と華族制の創設」のコラムで働かない無役武士を切り捨てるなどの大リストラに成功したことを紹介しました。
このやり方を真似たのが国鉄の清算事業団化で、新しいJRは働きの悪い従業員(労組員中心?)を切り捨てて(再雇用せずに)、借金のない新事業になったので身軽になれたのです。
この廃藩置県の結果、幕末動乱期に大名家の出費を支えた豪商からの借財が全部踏み倒されたので、(新しく出来た県は当然のことながら借金支払責任はありません)多くが没落し、明治以降新興の三菱などに入れ替わってしまいました。
徳政令に限らず政治に関係するといつもこうしたリスクがあるので「大名貸し」を絶対にしないという家訓を定めている商人もいましたが、幕末動乱期に、義に感じて「男気」から出してしまった商人が多くいたようです。
幕末には黒船来航以降、江戸湾の防備に駆り出されたり・・お台場建設その他の出費が嵩んだだけではなく、(これまで書いているように役務提供は大名の自腹で行うべきものでしたから・・持ち出しが増えます)各藩競争して洋風の軍備増強・新兵器購入に励まざるを得なかった外、京都などでの政治混乱に対応するための情報収集経費、その後の戊辰戦戦争への参加経費など経常収入ではとても賄えないほどの出費が続きました。
長岡藩でもガットリング砲をオランダから購入していますし、長州や薩摩ではもの凄い軍備増強ですから、従来の米の年貢その他の特産品販売による経常的収入だけ(・・元々大名家の財政は火の車でした)ではとても賄えません。
鳥羽伏見の役を制したのは薩長の最新式兵器であり、これを支えたのは、白石家などの領内豪商の存在でした。
会津の松平家は内陸であって豪商が育っていなかったことが、新兵器調達力に差がついてしまったのです。
この辺は長篠の合戦で信長の大量の鉄砲に対して武田家の少数の鉄砲・・火力差が勝敗の明暗を分けたのと同じです。
(世上騎馬軍団が鉄砲に負けたと言いますが、信玄も謙信も勿論新兵器導入に熱心だったのですが、経済力の差で信長ほど大量に買えなかったので、勝頼は騎馬軍団との併用しか出来なかったに過ぎません・・同じことは幕末の各大名家にも言えてそれぞれ財力に応じて新兵器調達に力を注いでいたのです。)
薩長ほどではないまでもどこの各大名家でも新兵器購入努力をしていましたので、これらの経費は危急存亡のときとして臨時に領内豪商(と言っても小さな藩では商人の経済規模が小さいのです)からの借金で賄っていました。
政府にとっては税でとらなくとも借金でとっても預金でとっても同じことです。
息子に生活費を入れさせるか毎月5〜10万ずつ借りたことにしておくかは、言葉の遊びででしかないと以前書きましたが、国内資金で賄っている限り親子の貸し借りと同じです。
息子は親にお金を貸したことになっていても将来親が払ってくれなければ、生活費(国でいえば税金)を入れていたと思うしかないのですが、国民の保有する国債とはそう言うものです。
1400兆円あまりの個人金融資産があって、1000兆円の国債があるということは現在個人金融資産が正味400兆あまりに減っていることになります。
個々人で見れば1400万の定期預金があっても国債がデフォルトすればその内1000万円が紙くずになって400万円しか残らないということです。
400万円残れば良いかと思いますが、この金融資産には生保や年金の積み立て分も含まれているので老後は大変です。
韓国や中国では年金制度が出来てから日が浅いので積み立てが貧弱で直ぐに高齢化社会に突入すると大変だが、日本は長期間経過しているので大丈夫と思っている方が多いと思いますが、実は日本も年金を含めた総預金が実質400万しかないとすれば、とても老後何十年も生きて行けません。
年金財政の赤字問題が喧しいですが、年金とは関係のない別建ての借金で食いつぶしてしまう方が早いかもしれないのです。
企業年金で言えば、新入社員が少なくて赤字になるとこぼしているうちに企業本体が借金だらけになったようなものです。
そこで国内個人金融資産だけが国債の担保になるのか・個人金融資産残高だけを国債発行残高が越えるかどうかだけが危機の基準かが問題です。
09/14/08「国債の無制限引き受けと紙幣発行権2」でも書きましたが、国債は円建てなので誰も買わなくなっても日銀が無制限に引き受ける限りデフォルトはおきません。
結局は日銀による無制限国債引き受けが可能かどうかになります。
(紙幣乱発とインフレや円安等の関係・・中央銀行独立の意味など現在社会の根幹に関わりますので、9/15/08「国債の無制限引き受けとインフレ1」February 22, 2012「為替相場と物価変動2(金融政策の限界2)」前後で少し書きましたが、この点は別に書きます)
通貨発行権のないギリシャとはこの点で本質的な違いがあります。

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