発電所の消費地立地2(コンパクト化1)

一般民家の屋根上の太陽光発電は自家使用する限り送電ロスがないので、その点(発電コストは別に論じるべきですが・・)では合理的ですが、個人の場合自家用分を越えて発電すると、売電すると言っても少な過ぎるので送電コストが高すぎます。
企業・事業所と違い家庭では、昼間不在が多くて自宅のために発電時間帯には殆ど電気を使わないので、この時間帯に発電するのではミスマッチとなります。
昼間発電分を自家使用出来ない・・送電するには高圧化しないとロス率が高いのですが、住宅街には超高圧化する仕組みがありませんし、少量ずつ変圧するにはコスト割れです。
(現在は山間立地の高圧線から市街地に近づくに連れていくつかの変電所を経て順次低圧化する仕組みですが、その逆の変圧システムがありませんし、抵抗の少ない高性能電線も家庭近くに張り巡らせていません)
低電圧のままで且つ少量送電コストに関する画期的技術進歩あるいは昼間の電気エネルギーの蓄電コストが画期的にならないと家庭の余剰電力は無駄になる感じです。
広告では1年間に自宅でどれだけ発電出来て電気代がどれだけ少なくなると宣伝していますが、これらは一般家庭では昼間自宅には猫しかいない時間帯に最高の発電量になる現実を無視した前提で広告していることになります。
現在の技術では火力発電は大型発電所でないと発電効率が悪いとされていますが、もしかしたら危険なものを大都市から切り離すための口実か、あるいは独占的電力体制維持の口実でこのような意見が流布している・・その方向の工夫・改良意見・研究をさせたくないだけかが分りません。
(もしかしたらその混合でしょう)
仮に大型の方が効率が良いとすれば、今のところ各ビル(または一定街区)ごとの小型発電は今のところ現実的ではないことになりますが、(そう言う議論をすること自体現実を知らない青い意見としてバカにされます)今回の原発事故を教訓にするならば、現状に甘んじて怠慢を決め込むことは許されません。
今後は、都市内に発電設備を分散立地出来るように小型化してでも効率の良い発電システムの構築・工夫が必要です。
9電力体制・・独占維持のために小型化→分散立地へ研究が進まないとすれば、9電力体のシステムを何とかしないと行けません。
日本の技術開発は学者がするのではなく企業・現場の改良によることが多いので、我が国では電力供給が独占企業になっている関係で、独占企業にとっては利害の反する小型化研究→分散立地化への意欲・動機がないとすれば、我が国は小型化技術で世界をリードするどころか、小型化・スマート化で世界で最も遅れた国になってしまうかも知れません。
これを打破するのは政治の仕事で、戦後の緊急事態・・傾斜生産時代が終わったのですから、電力供給を自由競争体制に戻すべきでしょう。
今流行の議論は発電と送電シスムの分離論ですが、これでは社会発展に必要な小型化への研究インセンイブにはなり難いでしょう。
生活利便性の進化はコンパクト化であると元旦以来書いてきましたが、小型化は無理だと始めから諦めないで部品その他小さくして行く工夫・努力次第で将来的には今の10〜20〜100分の1程度の小型電所を生み出して行くことが必要です。
小型化して、発電所が身近になれば、その安全性・環境負荷を極小化する技術も磨かれます。
現在大型発電機しか造れない・・小型の自家発電装置はもの凄く効率が悪い・・ひいては環境負荷が大きいし割高であることから、大型病院や工場でもホンの短時間の自家発電能力しか用意出来ていませんので、昨年の震災のように長期間停電するとお手上げになります。
送電ロス防止目的だけではなく危機対応のためにも、画期的な小型化技術の開発努力は必須でこの先端技術を開発すれば、世界に向けた大型輸出産業に育って行くでしょう。
小型発電機自体は既にあるので、これから必要とされているのは大型発電所での発電効率に負けない・環境負荷の小さい発電機・システム作りです。
いきなり大型と同効率で100〜200分の1の小型発電機を造る必要がなく、現在病院や工場等に非常用に準備している短時間の発電機の効率を少しずつアップして、性能向上して行けば、輸出産業に育って行くでしょう。
現在の発電機の持久時間を延ばすことによって、昨年のような短時間の計画?停電でも(その停電時間より少し長い自家発電装置があれば結局ストップしないで済むので)工場や店舗の操業を全面的にストップしなくても済んだことになります。
自家発電への切り替えに時間がかかる・・しかも10〜20年に一回も稼働しないとイザと言うときに動かないなどの問題があります。
しょっ中試運転しているとそのコストがバカにならないし、数時間の運転で問題がなくとも長時間になると別の問題が起きるなどリスクが大きすぎて信頼性がイマイチです。
現在の発想・別の発電機の準備や蓄電池に蓄電(電池への変換時点でのロス率の高さから)しておく発想はコスト上問題があり過ぎます。
素人考えですが、非常時の切り替えや、ときどきの試運転ではなく、車のバッテリ−のように日々使う蓄電システムにしておく必要があります。
・・水で言えばプール内を循環してから供給する体制・そのプール蓄積分を4〜5日間の余裕にしておけば、停電しても切り替える必要がなくそのままプール蓄積分がカラになるまで4〜5日間稼働出来るので維持コスト不要です。
プール蓄積分の容量を少しずつ増やして行くことで(我が国はこの種の技術革新は得意です)行く行くは10〜15日分として増やして行けるし、バッテリー自体の大きさを小さくしてどこにでも設置出来るようになって行けるでしょう。
昨年の計画停電が批判されていますが、需要側にこれに対する備え・危機管理がなかったことによるもので計画停電自体が悪かったとは言い切れません。
ただし、社会に自家発電や蓄電システムがない状況・・備えがない・・電力側がそうした方面の発達を妨害しておきながら、一定時間ごとの停電を実施してしまった点は乱暴だったことになります。
例えば鉄道を含めた各種事業所では5〜6時間以上の自家発電装備するのが標準社会になっていれば、(しかも上記のように自動的に切り替えられるように使い勝手の良いシスム構築がされていたならば)毎日3〜4時間の停電が計画的に行われても何の混乱もなかったことになります。
一戸建て住宅では、トイレや電話その他いわゆるライフラインだけ別系統にして24〜48時間程度持久出来るような蓄電池を普及させておくべきだったでしょう。
一定規模以上のマンション等集合住宅では(高層マンションだけではなく高齢者が増えるとエレベーターの停止は死活問題です)まとめて100時間程度運転出来る自家発電装置または、上記蓄電システム準備の義務づけが有効です。
(年月をかけてこの準備時間を順次延ばして行けば良いのです。)
マスコミは民主党政権は危機管理能力がないと決まり文句のように批判していますが、危機管理の備えがなくてオタオタするのは事故が起きたときの政権の責任ではなく、こうした準備は社会意識の醸成から始めて何十年もかかるものですから、歴代政権・数十年前からの各界オピニオンリーダー・指導的立場だった人たちの連帯責任です。

危険と隣合わせ3(発電所の消費地立地1)

利便性と距離およびコンパクト化の解決策としては電気は多方向(医療機器もすべて電気利用です)で大活躍ですから、電気発明以降の社会では、電気製造・運搬利用技術とその管理をどうするかによって、社会生活のレベル(文明度)が決まって来ます。
以下電力関係に絞って書いて行きます。
電気は普及当初から遠隔地で石炭を燃やすなどして製造出来るので、利用する場所では生産に伴う煙・熱・臭気騒音などに悩まされなくても良い上にオン・オフが簡単・・使う人にとって便利なものでした。
工業地帯と旧市街地を分離することで造る人の作業環境がどんなに劣悪でも、利用者は気にならない・分らない関係になりました。
電気自動車・電気エネルギーにすればクリーンだなどとマスコミは報道しますが、それは、車や事務所・台所等エネルギーを利用する場所ではクリーンであるだけで、電気を造る場所ではどうなのかの議論がありません。
その矛盾が露呈したのが今回の原発事故でしょう。
もしも電気が安全でクリーンであるならば、消費場所に最も近い東京湾岸・お台場辺りりに火力発電所や原発をドンドン造ったらどうかの議論が必要です。
電気は遠隔地から運んでも電気自体の性能は同じです(魚その他の食品のように古くなると味が落ちたり腐りません)ので、つい遠隔化する一方ですが、実は送電ロスがあります。
(距離に正確に比例し電圧にほぼ反比例します)
個人のブログによりますが、(客観性は不明です)送電ロスは平均して約5%(2000年のデータで年間約458.07億kWhの損失・100万キロワット級の原発6基分)らしく、東電に限定すれば、2002年度損益計算書では送電費と変電所維持費に6000億円あまりかかっているそうです。
(本来の送電コストは、ランニングコストだけではなく初期投資・建設費や用地取得費用がかかっています)
平均コストでは分り難いですが、火力は東京湾岸(千葉と神奈川両県)に集中していて遠くても70km前後ですが原発は近くても200km以上ですから、原発の方がロス率が大きく送電コスト(高圧線の維持管理費)が多くかかっていることになります。
火力等を電気に変換する過程で約5割もロスがあって、電池に加工すれば、その加工段階の歩留まり次第で大きなロスが発生します。
節電節電と言いますが、個人の節電も必要ですが、国民は昨年充分に節電して来たのでこれ以上節電できるのは多寡が知れていますし、節電疲れを起こすと(薄暗い駅舎など)国民の活力を弱め、生活水準を落とすことになります。
今後は、節電よりは消費地のビル10〜20棟をまとめた街区ごとの公園地下などでそれぞれの地域利用分を小型発電する工夫・・場合によっては義務づけなどに取り組む方が送電ロスとコストが少なく合理的です。

危険と隣合わせ2(メリット)

生活利便設備は、利便性が求められる以上は身近に・・何時でも利用出来ることが求められますが、一般的にうるさい、汚い、臭い、危険と隣り合わせのものが多いのが難点です。
トイレも、近くに欲しいものですが、その分汚い、臭い、非衛生(御不浄という人もいました)の問題がありました。
料理は出来たてがウマいので台所設備は、食べる場所・客を接待する場所に近いに越したことがありませんが、魚を煮たり焼けば臭いがするし、煙が出て煤けて座敷が汚くなる外、魚の腹わたその他食品残りの腐敗臭があるなど大変です。
火は暖をとり料理し、照明のために必要ですが、むやみに燃やせば危ないし煙たい・・これを何とかするために換気扇や排水設備が工夫されて、コンパクト化した調理場となって利用者との距離が近づきました。
(私の一家は東京大空襲で丸焼けになって疎開先の田舎で育ったのですが、子供の頃には井戸から釣瓶で水を汲んでいて瓶(みずかめ)などに蓄えて使用するし、排水が良くなくてドブが普通で「どぶさらえ」がイヤな仕事の1つでした)
燃料も薪や石炭などが近くにあれば便利ですが、家の中が片付きません。
私の育った地域では、台所部分は居室部分から切り離しているのが普通でした。
燃え盛る火のそばにいれば暖かいが危険です。
召使いも近くにいれば便利で安全ですが、召使いでもいれば気を使う・プライバシーが守れないなど出来ればこちらに用があるトキだけ直ぐ来て欲しいものです。
親しい人と気が向けば直ぐに話したいが、しょっ中自分の声の聴こえるところに親しい人が何十人もいるのもうっとうしいものですし、相手にも都合があります。
このようにすべて便利なものは近くにおきたいけれども、出来れば遠ざけたい矛盾した関係です。
矛盾した欲望があるところにこそ、社会改革・商機・・工夫の余地が大きいのです。
矛盾の多くを解決したのが、電気の発明による電灯・電波(電話やテレビ)に始まり現在のIT機器の活用ですし、あらゆる分野でのコンパクト化でしょう。
(電池の小型化=高性能化と各部品の省エネ化が大きな役割を果たしています)
電気はクリーンエネルギーと言われますが、トータルでは化石燃料を燃やして発電するとき100%電気化出来ないことよるエネルギーロス及び送電ロスが生じるマイナスが大きいでしょう。
クリーンなのは、使う場所において煙(CO2)や熱が出ない意味では正しいでしょう。
公害防止技術の未発達の時代には、工場地帯での石炭火力発電所は大量の煤煙等が集中的に発生していました。
家庭で天ぷらを上げれば臭いし油が飛び散って大変ですが、総菜工場で一日中天ぷらを揚げて配送すれば家庭では綺麗に出来上がったものを食べられる(その分冷えます・・運送時間の短縮や保存の工夫)のと同じです。
石炭の場合黒煙が目立つ割に大した被害がありませんでしたが、石油の場合黒煙ではないので見た目では対したことがないにも拘らず、健康被害が大きくなります。
(放射能の場合、臭いもないしもっとこの関係が大きくなります)
日本では古くから炭火を利用して御殿や座敷で利用することが発達しましたが、これは石炭を燃やして電気に変換するのと化学原理は違いますが、別の場所で別のものに造り直してコンパクト化して運搬して来る考え方は同じです。
炭にすると燃え広がる危険性がなく、管理し易い上にクリーンでした。
枕草子でも「いとつきづきし・・」と表現されているように、平安時代の御所では既に炭火を利用してました。
(ここまでは高校時代に習った古文の記憶ですが、今ネットで調べてみると日本では愛媛県の洞窟から約30万年前の木炭が発見されているようです)
世界中で我が国のように燃える火を屋内で安全に使えるように炭に置き換えて日常的に利用していた国があるでしょうか?
炭火自体は古代からどこの地域でも自然発生的にその存在を知り人工的に造る方法を工夫して行った筈ですが、その後生活面でどのように拘って来たか・文化の発展にどのように寄与したかについては、枕草子に類するような外国の古い文献まで知りませんので分りません。
私が知っている一般的知識では、西洋のストーブはライオンを檻に入れるようなものでしかなく、炭のように別の燃料にしたものではありません。
木造和紙障子や襖の燃え易い構造・・弱点でもあったのですが、この弱点が却って木材を炭火へ変換させた原動力だったことになります。
クリーンエネルギー利用の発達が、わが国固有の和室・茶室等の清潔な固有文化を育てたことになります。
(薪を直に燃やす囲炉裏や西洋式のストーブでは、畳の生活は無理でしょうし、茶道が発達出来たか・・)
電気は配線だけで足りるので、炭火よりもさらに取扱が簡便でしかも場所をとりません。
(大分前からお茶室でも電気炉が幅を利かしています)
芸術家の陶器製造現場でも薪を燃やす登り窯から、管理の簡便性から石油系に移行しているところがいくらもあります。
電気は火のついた炭や料理のように物理的運搬の必要がなく、しかも送電ロスはあるものの遠くでも近くでも品質(料理は時間の経過で味が劣化しますが)は同じです。
電気は照明用として当初は画期的でしたが、その後熱源としても使われるようになり、電波を通したテレビ等の情報伝達、近年ではITの発達で、万能的に多用途化されてきました。
電機系は遠隔操作出来て身近に物を置かなくとも良いメリットとコンパク化に成功したことによって身近におけるようになったことでしょう。
(大きかった電話機がコンパクト化してポケットに入るようになりました)

危険と隣合わせ1(メリット)

生活利便性のあるものは役に立つものであればあるほど、汚かったり危険性が高いものです。
薬のない頃に砂糖水を飲ませる程度と違い今の医薬品は効き目が強い代わりに誤って処方すると危険ですし、また副作用が強いので管理して利用する必要があります。
フグはうまいけれども厳重な調理が必要ですし、車も飛行機の便利な分自転車よりも危険ですし排ガスも多く出します。
昔から必需品でも汚いものや危険なものは、危険性を前提として出来るだけ遠くに追いやって目に触れないようにする・・馬は必要であるが馬糞だらけの馬小屋は殿様の御殿から遠く離れたところに配置する・・便所も必要だが少しでも離れたところ造ってありました。
明治の始め、鉄道の駅も歩ける最大のところまで遠いところに造るものでしたし、飛行場は今でもかなり離れています。
権力中枢の裁判所やお城を基準に見ると東京も大阪(城主のいなかった大阪や甲府は裁判所が基準です)もあるいは小さな町である佐倉でも足利でもみんな歩いて15〜20分前後に駅があります。
(昔の人は歩くのが早かったので10分以内かな?)
鉱工業生産も必要ではあるが汚いし危険だから、貴顯の住居地から遠く離れた場所で営むものでした。
必要なものは身近におきたいものですが、危険や悪臭・騒音等と隣り合わせのために、如何に安全に管理して最大限近づけるかが人類の智恵の見せ所です。
石炭・石油が必要・・それならば近い方が便利ですが、首都の真ん中に「ぼた山」があり、炭坑夫が王宮の隣で生活しているところはないでしょう。
石炭石油は僻地で都会が出来た後に取れるようになったからでもありますが、それならば取れるところに消費地を持って行く・政治の中心が移って行っても良い筈です。
アメリカで言えばボストンやニューヨーク等の中枢部とシカゴ等の大工業地帯は飛行機で移動するくらい離れていますので、工業地帯に住む人と政治の中枢にいる人や企業経営者とは違った世界に住む関係でした。
病院関係も近ければ便利ですが、伝染を恐れて隔離が原則で、都市部で共存するようになったのは、まだ数十年くらいでしょうか。
(元々郊外にあったのが都市の拡大で市中心部近くなった例が多いでしょうが・・・)
我が国の場合も外国に倣って出来るだけ工業地帯をエリート向けの高級住宅街から離すように努力していましたが、一般の工業地帯で言えば、川崎から東京都心までの距離は数十キロメートルしかなく戦後出来た千葉の臨海工業地帯でも東京都心から60km前後です。
原発が一般の工業地帯よりも遠く離れているようでも、福島原発から東京まで僅か約200キロメートルしか離れていません。
これが茨城の原発(東海村の原研)になると僅か100km前後しかありません。
危険な物は遠く離しておくべきだと言う選択自体は正しいのですが、為政者・経営者が安全地帯にいる結果、危険回避に向けた切迫感が薄まることになります。
為政者・経営者が危険と隣り合わせにいないと、慈善事業的発想で労働者(及び工場近くに住む家族)が劣悪な環境で働くのは可哀想だからという上から目線での改革しか出来ません。
チェルノブイリのようにモスクワから遠く離れた場所の場合、指導部の緊迫感が緩くなりがちです。
ロシアでは石棺で覆ったまま放りっぱなしですが、我が国で一日も早い除染や、廃炉に必死なのは近距離にみんな住んでいるからです。
チェルノブイリの放射能汚染図で見ると半径600kメートルまでしか同心円は出ていませんが、その外側にあるモスクワまでの距離は、図上約700キロメートル前後もありそうです。
狭い国土の我が国では、遠く離れたところに工場地帯を造ったつもりでも諸外国とはまるで距離が違います。
上記のように高級住宅街も外国に比べればほぼ隣接地・工業地帯内と言える場所にありますので、上下挙げて公害・大気汚染や水質悪化に対する感度が良かったことが幸いして公害対策が進んだのでしょう。
川崎や千葉からですと一般工場の煤煙でも風向き次第で都心に汚れた空気がマトモに吹き寄せますので、昭和40年代から問題になった公害問題は、公害反対運動・・革新勢力だけの関心事ではなく企業経営者や政権側も(自分の妻子が被害を受けるので)放置出来なくなったのです。
ちなみに千葉川鉄公害訴訟は1975(昭和50)年に提起されたものですが、大気汚染問題は首都圏全体の関心事になっていたのです。
四日市喘息は川鉄に先立つ公害でしたが、首都圏での上記訴訟提起のインパクトは大きかったので、これ以降・政府・企業側は、工場は汚い・うるさい・臭いものという開き直り・・工場の近くに住む方が悪いというような発想を切り替えます。
公害発生は我が国特有ではなく(世界中似たようなレベルの工場が操業していましたので)イギリスのスモッグ例でも明らかなように世界中同じようにあったのですが、工業適地と住居適地が同じ地域にある我が国特有の弱点が却って新たな展開を目指すようになれた原因です。
工業用地を遠くへ持って行く発想を諦めて、工業発展と健康な生活との共存を目指すように・・脱硫技術その他公害防止技術が発達したのが幸いし、我が国は世界に冠たる公害防止・環境技術を発展させられました。
鉱工業の公害対策だけではなく、密集した都会地でのビル取り壊しが多いことから、その方面の工夫も進んでいて今では大した騒音や埃を立てずに歩行者が多く歩いている直ぐそばでも大した危険性なしに行われるようになっています。
(何百万人も毎日利用しながらの東京駅の改築計画の見事さを見て下さい)
今回の原発事故を1つの教訓として原発や大規模化学工場等と共存のための智恵を結集して行くべきでしょうし、そうした努力をしてこそ世界に誇れる技術立国へ再度進んで行けます。
危険だからやめたというだけでは、智恵がないし発展性もありません。
マゼランやコロンブスの大航海もすべて未知の危険に挑戦してこそ成功したものですし、その他新技術の開発はすべてその傾向があります。

平成24年1月元旦

あけましておめでとう御座います。
年賀状よりこのコラムの方が、皆様に早くお目にかかる時代です。
私は朝寝坊タイプですので、元旦=初日の出を拝むのは苦手です。
子供達が小さい頃に年末年始に掛けて船に乗って旅行に出かけることが多くありました。
船室はホテル同様に造られていて、お風呂もあるし、大きな窓がついているので太平洋側の部屋の場合、水平線上に昇る日の出を見られそうだと毎回期待して寝るのですが、朝になるとやはり眠たいので(太陽は明日も昇るし)明日でも良いかとなって、窓の障子を開けないままになることが普通で、御陰で未だに一回も日の出を拝んでいません。
早起きの方々は、文字どおり晴れやかな元旦をお迎えのことと存じます。
昨年は日本にとって大変な1年でしたし、実際に被害に遭われている方や、身近に被害を感じていらっしゃる方も多かったことでしょう。
しかし、災害発生から既に9ヶ月近くも経過したので、今年は復興に向けた期待の年の始まりです。
言い古されたことですが、復興は元に戻すだけではなく新たに興すことです。
大晦日に書きましたが、「災い転じて福となす」今風に言えば失敗は成功の元とも言いますが、転じて福となし、失敗を教訓に次の成功を導くにはそれなりの努力・・一定の基礎水準・能力が必要です。
我が国の技術水準は高く、多くの先端産業は他国の技術や製品導入によるのではなく、自前技術が多いので、昨年の大災害に遭ってみて新たに必要となった新技術・災害時のサプライチェーン維持の工夫についても、やる気になれば自前で直ぐに対応出来る範囲内と思われます。
災害がなければ必要性に気づかなかった新たな分野の草分けになれるのですから、被害を受けた方々には実験台になって戴いたようで申し訳ないですが、新興国から追い上げを受けて絶えざる最先端技術の開発に追われる日本が、期せずして新たな課題を与えられたような幸運な年だったことになるでしょう。
「災いを転じて福となす」か否かは、災いを受けた国民のレベル・心意気にかかっています。
今年は我が国の復興・昇龍元年にする心意気で1年を始めましょう。
過去に公害に関しても多くの被害者が出ましたが、これに正面から向き合って来た結果、我が国の環境・クリーン技術を世界に冠たるものに成長させられたのです。
公害が出るから、「工場は存在自体が悪である」と決めつけて遠ざけるのではなく、都市の近くに工場が立地する前提で公害を少なくして行く技術の開発に励み、我が国は世界初の健康な生活と工場・作業現場が共存して行ける社会を作り上げてきました。
(荒々しかった建設現場でさえも目隠し、遮蔽具が綺麗に優しくなり、騒音も減りました)
原発やその他生活利便に拘る最新技術はそれなりに副作用(新薬同様に危険)がありますが、危険があるだけでこれを嫌忌するのではなく、最新技術の危険性を如何に管理するかの研究や技術革新の努力こそ必要です。
今年はせっかく天から与えられたテーマから逃げずに立ち向かって行きたいものではありませんか。
危険だからもっと遠くへ持って行く、あるいはやめてしまうような発想では進歩がありません。
せっかく与えられた飛躍するチャンスを失って亡国の道を歩むことになります。
以下公害克服の歴史を簡単に振り返り、昨年の大災害を如何に克服して行くかの覚悟を考えて行きたいと思います。
高度成長期以降公害が社会問題になるまでは工場・生産・作業現場がある限り空気や水の汚れ・臭気・騒音は当然であり、このために工場地帯と住宅街は離れて造るものとするのが世界の主流・常識でした。
高度成長期以降、都内下町(荒川流域)にあった多くの工場が追い出され、その跡地が公園や住宅団地になって行きました。
イギリスのスモッグは有名でしたし、それが先進工業国の象徴みたいに思われ、明治の遣欧使節団以来多くの人々は、モクモクと黒煙を上げる煙突群を見るとその力強さに感動していたのです。
蒸気機関車の吹き上げる黒煙・蒸気あるいはシュッポシュッポと言う力強い音に今でも感動する人がいるので、ときどきSLを走らせたりしていますが、強いものは(粗暴で)危険でもある時代が長かったので、その意識・遺伝子が強く残っている人たちでしょう。
明治になって柔道が生まれ、「柔よく剛を制す」ことが知られるようになりましたが、それまでは強い=粗暴=危険と同義だったのです。
名馬は気が荒いのが普通と思われていました。
これからは、利用価値の高い・・強力な設備も人類に優しくなってもらう・・優しく飼い馴らす必要があります。
・・デイープインパクトは優しそうでした・・。
現在では男の強さは、芯が強くその結果優しいことであって、粗野・粗暴はもしかして芯の弱さの裏返しによるのではないかとすら思われる時代です。
北朝鮮がいつもあんなに力んでいなければならないのは、世界一弱いことの裏返しで可哀想な感じです。

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