社会保険の赤字10(定義の重要性1)

公的保険赤字は、赤字になると分っている鉄道を政治力で無理に引かせておいて、国鉄に赤字を負担させていたのが間違っていたのと同じことです。
国鉄マンが経営努力しても政治介入分が赤字になるのは理の当然ですから、労働意欲が落ちます・・マスコミはこれを咎めて国鉄マンが如何に働かないか、だらしないかの大合唱でしたが、大もとの原因隠蔽に手を貸していた・・大もとは政治介入による労働意欲減退だったことは民営化した後の働きぶりによって証明されています。
※ダラ漢・無責任労働者がはびこっていたことも事実ですが、大もとが腐っているときに外部から見れば末端の無気力が可視的になるのはどこの組織でも同じです。
幹部が経営責任を持てなくなっていたので、労働組合も組織がどうなっても良いと言う価値観が浸透し、利用者無視のストライキばかりやるようになってしまったのです。
社会保険庁の無能ぶりが民主党+マスコミによって大騒ぎして暴かれ,政権交代になりましたが、赤字をどうやって解決していいか分らない(国民・・主として人権派が大判振る舞い運動しながらお金を出すのをいやがっている矛盾が、集中的に現れていた)憂さ晴らしに、職員をスケープゴートにしてどうなるものではありません。
国鉄であれ、社会保険であれ、経済原理を無視した優遇を要求する以上は例外措置によって生じたコスト・資金は、税で賄うべきですから税で賄った分=保険料で賄えない分を赤字と言っているのですが、赤字の意味が民間(社会常識)と違っています。
民間の経済に関しては赤字と言えば放置すれば倒産の危機に及ぶ大変な事態として知られていますが、民間経済用語を会計システムの違う公的機関に持ち込むのは用語のすり替えでしかありません。
この辺は財務省が財政赤字と繰り返し宣伝しているのと同類のすり替えです。
私が繰り返し書いて来たように、公共団体の場合には例えば収支トントンの団体が、ある年100億円で港湾や学校を作ると、100億円分そっくり赤字になりますが、同時に100億円の資産が増えたことを計算に入れない変則的な会計制度だからそうなっているだけです。
個人で言えば年収1000万円生活費900万円の人・・収支黒字100万円・預貯金・投資金5000万円の人が、(投資金をそのまま運用したままで)4000万借金して、4000万のマンションや大手企業の株式を買った場合,その年だけの金融収支としては、取得したマンションや株式価値などのプラス資産を問題にしないので、年収入1000万−(生活費等支出900万+4000)=3900万の赤字・・年収比3、9倍の赤字です
財政赤字とはこのようにその年度の債務負担だけ見て年収・GDP比何%になったと言うのですが、この概念に何の有用性があるか分りません。
家計であれ、企業であれ、財務の健全性を見るには、蓄積した+資産と金融資産とのバランスで見るべきですが、財務省(あるいはその意を受けたエコノミスト・マスコミは敢えてミスリードしているのか分りません)は、資産部門の増減を全く問題にしていません。
どこの誰も認めないようなこねくり回した独自概念を一般概念と同じであるかのような印象でマスコミに流布して、年収・GDP比何倍だから大変と主張し続けているが何が大変なのか、合理的に理解出来ない・・マサに虚偽説明そのものとプロの世界では評価されているので、国債市場や円相場はびくともしていません。
公的機関が独特の概念(国語?)を作ってマスコミに流布させているだけですから、比喩的に言えば、「役所では晴れた日を雨」と言うことに用語統一した場合、それは内部の隠語・符牒であって外部に一般概念同様に流布させるのは言語の混乱を招いてしまいます。
社会に流通している意味では、明日晴れと予想されるときに、気象庁が内部符牒のママ「明日雨です」と国民に発表すると雨を前提で仕入れたり行動する国民を欺く行為です。
こう言う場合直ぐに結果が出るので、「気象庁は何をしている!」と言う非難轟々でしょうが、経済や政治現象で言葉の定義を勝手に変えて発表すると国民は常識的意味で誤解してしまいますが、虚偽であることがすぐに分らないので、国民を欺き易い・・欺かれている方は長期的に大損害を被ります。
内部独特の符牒概念を一般概念のように使うのを「嘘つき」と言うのではないでしょうか?
同じ「ドル」でも香港ドルやオーストラリアドルや◯◯ドルごとに価値が違いますので、米ドルで交渉してまとまったときに香港ドルを払うつもりだったイキナリと言うのでは詐欺になります。

情報開示・透明性の重要性(オリンピック競技場)2

国家や組織は、先ず大枠の予算を決めてその枠内しか執行してはいけないのが基本ルールです。
大枠予算(国家予算は単年度主義ですから、ここでは正式な予算を言うのではありません)を予め決めておかないで、先ずやることを決めて、それに合わせていくらでも費用を出す・・既成事実としてあとで予算化して行く・・国会で問題になっても今更変更出来ないと押しきって行くやり方では、(独裁国家同様)組織運営の基本ルール違反です。
受諾段階で直ぐに総額どの程度の予算規模でやるかの基本方針を決めてから、その枠内で分野ごとに割り振って行き、分野別に分野別予算の準備活動にはいるべきだったでしょう。
国立競技場は、いくらの予算を(国と都との分担その他)割り振られていたかの肝腎の情報がマスコミには出て来ません。
大枠予定「予算」も無視した提案では意味がないのですが、デザイン提出者が提案段階で工事予算まで読み切る・・資料提出するのは無理があるとすれば、「◯◯の予算内で出来るならば」と言う留保条件付き決定にすべきです。
ただし弁護士会の例でこの後・・明日書くように、(単年度主義ですから)まだ準備段階(調査費等の予算計上程度?)であって、工事費等は国家予算に計上していないから法的な意味でのルール違反ではないのかも知れません。
オリンピック問題で書いている「予算」とは、法律上の予算ではなく、正式な予算化する前に決めておくべき「大枠予算合意があるべきでしょう」と言う意味ですので、この意味で以下お読み下さい。
工事費に責任を持たないコンセプトは、審査にはいる前の書面審査で失格にすべきか、応募期間が短か過ぎて計算したり工事費用証明する時間がないならば審査決定後何ヶ月内に(Aクラスの工事業者の引き受け証明を)提出しないと失格するなどの条件をつけるべきではないでしょうか?
工事業者を別途入札で決める仕組みの場合には、大枠の工費が分るように基本設計まで一緒にコンセプト提案者に提案させて、世界の例えば複数〜10社以上の企業が施工出来る技術基準であることの保証・証明をつけさせて現行(現地)の標準工事代金の計算書を添付させるなどの工夫で何とかなるでしょう。
(その後の資材や工事費高騰には責任がありません)
こうして見て行くと、提案があった場合に予算枠内に収まっているか、このデザインで施行出来る業者が何社あるか(世界中どこも施行出来ないとか1社しか出来ないのではその1社がやめたりゴネラレルと工事業者がいなくなどリスクが大き過ぎます)などの適格審査してから審査委員会に出すべきだったことになります。
審査委員としては、当然予算内の提案だし施行出来る企業があると事務局で選んで上がって来たとすれば、委員会の責任ではありません。
国立競技場工事費高騰問題は、決定手続の仕組み自体に法的(枠組み決定)に抜かりがあった・・発注者の事務方(コンペをどう言う条件で行なうかの枠組み決定や標準工事費を要件にした場合、計算や単価に誤りがないかの調査など)・・組織委員会?幹部の責任が大であると言うべきでしょう。
この点、主務官庁の文科省には学校校舎程度の発注経験しかなかったことが、少しだけ報道されていましたが、そこに問題があった可能性もあります。
公立高校や大学の校舎程度あれば経験内で予測可能ですので、業者間で競らせれば一定の数字が出て来ますが、今回は従来経験のない分野でした。
経験のないことに遭遇した場合に応用が利くかによって、前例踏襲するしかない能力で出世して来たのか?・・責任者に求められるべき本来の能力が問われることになります。
文科省には工事発注経験がないとしてもオリンピック組織委員会の事務方トップには元財務相次官・・野党同意が得られずに日銀総裁になり損ねた武藤敏郎氏が就いているのも皮肉な巡り合わせです。
大蔵→財務省の事務方トップと言えば予算を人質に権力行使している組織トップですから、この人が「予算(上記のとおり正式ではないと言う意味です)」無視または軽視の事務執行の責任者になっていたとすれば、??となります。
文科省の中堅役人が引責辞任させられていますが、国民が問題にしている予算と関係なくコストばかり膨張することに対する歯止めになるべくその任についている専門家である彼が何故責任をとらないのか不思議です。
彼が就任したときには既にコンペの方式が決まっていた後だったかも知れませんが・・。
そこでネットで調べてみたところ意外な事実が分かりました。
「新国立競技場 国際デザイン・コンクール報告書」によると24年夏ころから始まっていて秋には終わっていることが分ります。
彼が就任したのは2014年ですから、その前に全て終わっていたことが分ります。

I デザイン競技の概要・応募状況
応募・審査スケジュール
‹応募› ・募集要項交付開始 ・登録受付期間 ・質疑受付期間 ・質疑回答 ・作品受付期間
‹審査›
・技術調査期間 ・技術調査会議
・予備審査
・一次審査 一次審査(平成24年10月16日)・二次審査対象作品発表 ・二次審査(11 月 7 日(水))
・審査結果決定 (有識者会議) ・審査結果発表
・表彰式
((株)日本総合研究所都市・地域経営戦略グループシニアマネージャー) (東京理科大学工学部第二部建築学科教授)
平成24年7月20日 平成24年7月20日〜平成24年9月10日 平成24年7月20日〜平成24年8月20日 平成24年9月3日 平成24年9月10日〜平成24年9月25日
武藤氏就任は昨年(26)1月ですから、就任2年前から決まっていたルールに基づいて選定されていたことを後で変えられなかったのは当然で、彼の責任ではありません。

 マスコミの役割2(統計開示2)

自分の同年代が何人いて、その内何人くらい働いているのか、その内訳・・75歳で働いている人にはどう言う仕事に就いている人が多いのか、・・弁護士で言えば74歳、75〜80歳になったときを想定すれば、その年齢の弁護士が何人まだ現役でいるか、年齢別収入はどうなっているか、元サラリーマンで言えば、70歳で働いている人が何人いるか、個人事業主を除く元サラリーマンだけだとどうなるか・・もっと詳しくは大手企業サラリーマン・中堅企業もとされリーマンの老後はどうなっているか、工場労働者の老後は?など自分の境遇・個人状況に合わせてのデータが欲しいのです。
健康状態に関しても、自分と同年代で認知症患者やどういう介護を受けている人が何割いるのかなど、自分との比較でいろんなことを知りたいのが普通です。
日本全体で何百万と報道されてもピンと来ません。
家族状態も自分との比較で、独身者にしてみれば、全国平均や総数ではなく、同年代の人口が何人で独身者が何人・何%いてその人たちの貯蓄や持ち家状況など、自分に引き比べて具体的に知りたいのが普通です。
日本人の個人金融資産総額を発表されても・国家比較ならば意味がありますから、それはそれで良いのですが、個人的には同年代でどのくらいか、同年代の同業者(弁護士や司法書士など同じ職種)または同程度のサラリーマンでどのくらいかなど・・自分に引き比べて知りたいでしょう。
良く批判される例では標準家庭では月額いくらと言うような記事をしょっ中見かけますが、(電気料金や年金その他)そんな記事よりも、ナマのデータを出してくれれば、自分の家族構成や普段の電力使用量等にあわせて自分で計算出来ます。
認知症その他各種医療情報なども「65歳以上で何人」と言う報道や医療関連記載が多いのですが、65歳以上と言う発表では、大雑把過ぎるので、今では年齢別等細かい情報が欲しいところです。
(私のように70台から見れば、何の手がかりにもなりません)
結局、余計な加工をしないで、1年ごとのありのままの統計を国民に開示して、(統計自体に直接・簡単にアクセス出来るようにすれば、そうなって行くでしょう)それをどのように括って考えるかは見る人のスキに任せる・・、国民個々人が自分の好みで集計出来るようなソフトのサービスをしてくれるのが合理的・親切です。
競馬情報などは知りたい方向で自分で並べ替えて集計し直せるようになっていると聞きます。
マスコミはサービスする気があるならば、データそのものに簡単アクセス出来るようなサービスした上で、いろんな括り方を参考モデルとして示してくれれば手間が省けますが・・それと基礎データ自体独占して良いかは別問題です。
参考モデルで飽き足りない人は自分で別の集計をしたい人がいるでしょうから、兎も角自分で自由に統計数字を括ることが出来るようにするソフトのサービスしてこそ、その意見の正統性が担保されるのではないでしょうか?
マスコミが出典を明らかにしない・・統計自体を見せたがらないのは、朝日新聞の吉田調書疑惑同様に参考意見自体に自信がない・・怪しいと言うべきです。
マスコミは社会保障関連までも「モデル家庭ではどうの・」と言うばかりで、個々人は自分で考える材料に簡単にアクセス出来ません。
まさに「民をして由らしむべし,知らしむべからず」の政治をし、マスコミや文化人もそれに乗って「自分たちだけが知っている」から教えてやると言うエリート意識を満喫しているのです。
その結果、世論を誘導したい内外の勢力が、マスコミさえ壟断すれば良いと言う怪しい運動に繋がって行きます。
ますこみが勝手にマトメを書いているのは、国民にサービスするためではなく、一定方向へ世論を誘導したいかのような疑いのある括り方が大半です。
朝日新聞の原発吉田調書虚偽報道事件で言えば、政府の非公開決定にも関わらず、(非公開情報に違法にアクセスしてでも)日本社会発展のために内容を公開することが有益であると決めたならば、調書自体をスクープ記事として公開しその解釈を開陳すべきだった筈です。
調書自体を公開した上で、自社解釈意見を書くのは公平ですが、調書自体が非公開だからと言って、これを公開しないままで、如何にもこれに基づく意見かのように公開意見を報道するのは片手落ち・・不公正な態度です。
産経が調書を別途入手したことによって朝日新聞による調書に関する報道の虚偽性が発覚したのですが、言わば化学実験そのものを公表しない・・検証を許さず、成功したと結果だけ発表しているような不公正な態度です。
我々弁護士は、こう言う判例・学説があると主張するときには根拠資料・・判例や学説の出典を明らかにし、あるいはコピーを添付するのが習わしです。
根拠資料なしの非合理な発表している科学者がいれば、その発表を誰も信用しないでしょうが、マスコミ界だけでこんな非合理な運用が長年通用していた・・情報独占を利用して裸の王様の寓話同様に強制的に通用させているところが恐ろしいことです。

マスコミの役割1(統計開示1)

1月2日以来書いているように、日経新聞も統計データに基づく意見であるかのような書き方ですが、結論の導き方がおかしい・・角度をつけているように思えます。
(読売、産経、毎日等を購読していないのでその他は知りませんが・・)朝日新聞に限らずマスコミ界全般で事実のつぎはぎでも良いから、どうやってマトモな政策に反対して日本を駄目にするかの競争・・・民族が如何に駄目か、どうやって誹謗するかの競争でもしているのかな?と疑いを持つ人が増えている状態です。
マスコミの使命は(自社意見・バックの支配勢力に都合良いように「角度をつけて」つぎはぎ的報道をするのではなく)先ず事実全部を客観的に報道すべきではないでしょうか?
事実には意見がつきものですし、事実そのものの報道でも一定の方向の事実ばかり報道をすれば偏った誘導になります。
意見の前提たる事実は客観的に報道すべきです。
新聞社は放送法の縛りがないので偏った意見を書いても良いのですが、中立を装って事実報道を歪めるのは一種の詐欺行為です。
1月28日日経新聞朝刊には石油業界だけで原油安による評価損で1兆円と1面大見出しになっていました。
業界別に原油安による恩恵の方が大きい業界と少ない業界がありますから、書くならば、日本全体の原油安による損益を書くのが合理的ですし公平です。
大雑把に言えば、08年の1バレル148ドル→直近高値約100円台から現在では、45円前後の相場に下がっているので、年間輸入額が約6割安くなるのですから、日本経済でそれだけ・・恩恵があることになります。
ちなみに年間石油輸入額は、世界ネタ帳のデータによれば13年の輸入額は、174,116,36万USドルです。
28日午後の円相場は1ドル118円10銭前後ですから、(正確には年平均ではありませんが・・この種のデータが出ていないので)14年に同量を輸入していれば、約20兆円あまりの輸入額になっていたことになります。
これが約4割になっているのですから、約12兆円の国内経済メリットがあったことになります。
(その他原油連動性のある天然ガスその他資源価格下落のメリットも出て来ます。)
石油業界の損失の大きな原因は約70日分の備蓄の評価減によると思われますが、(上記記事にもそのように書いています)備蓄はいつも一定量維持すべきものですから、相場が上がろうが下がろうが売り抜け出来ないので、短期評価対象にするのは合理的はありません。
今の会計基準が変わっているのか否かを知りませんが、販売用不動産などと違い、工場用地の不動産なども時価評価ではなく取得価格評価して来たと思います。
販売用でない備蓄原油をあえて新聞で1面トップに大げさにに書くこと自体が、一定のイデオロギーを表しています。
これを除くと海外先行契約分や海外資産保有評価減でしょうが、これは微々たるものでしょう。
備蓄原油を評価したとしても日本国経済船体でみれば、トータルで大儲けしているのが明らかなのに、1面トップの大見出しで敢えて大きな損失があるかのように大々的に宣伝していることになります。
赤旗や聖教新聞のように特定立場を明らかにして発行していれば、偏っていても読者がそう言う意見と思って読むので問題がありません。
朝日や大手マスコミは中立を装うから、国民どころか世界世論(慰安婦問題では・・日本のマスコミが日本に不利なことを言うのだから間違いないだろうと)を誤解させているので問題が大きくなっているのです。
ところで、今は統計発表等が基礎になっていることが多いので国民が統計自体に簡単にアクセス出来るようにするサービス競争をすることこそが、今の時代でのマスコミの使命です。
統計が一般国民の目に直接・簡単に触れられるようになれば、統計手法の非合理性・・統計によるまとめ方の偏りも修正されて行くでしょう。
ネット情報だと関連情報や統計に簡単に入って行けるようになっていることが多いのですが、新聞からは、そもそもいつのどこの情報であるかも出典不明な記事が多い上にたまに書いてあっても、どうやって入って行くかも示していません。
記事自体に出典先のアドレスなど明記してくれていれば、ちょっと読んだときにアクセスが楽になります。
誰それがどう言ったと言う記事があった場合、その発言そのものにYouTubeなどに入って行ければ簡単に全容が理解出来ますし、新聞の引用・要約が正しいかについてもチェック出来ます。
年末から書いていますが、例えば実質賃金減と書いてあってもいつの統計を比較しているのかまるで分りません。
1月2日のコラムで、14年12月29日の日経新聞報道に関して、60歳以上の非正規雇用増加数字が多くなっている筈なのに、これを何故書いていないのだ?と書きましたが、正月休みのヒマに任せて統計に入ってみると、(仕事の合間にニュースや新聞を見るのがやっとでなかなかそこまで探して入って行くヒマがないので、ワンクリックで行ければ大助かりです)そもそも厚労省の発表統計自体が65歳以下と65歳以上の統計数字になっていることが分りました。
定年退職御失業保険を貰っていた人が継続雇用されるようになれば非正規雇用がその分増えるに決まっています。
団塊世代は年間200万人前後(第二団塊世代である私の息子の世代でも、200万人を超えていました・・今の新卒よりも圧倒的に多い)ですから、これが失業しないで毎年非正規雇用でも働ける方がメリットが大きいのですが、彼らが非正規雇用に組み込まれて行けば却って、(失業が減ると)格差拡大と言う大騒ぎするのですが、失業させて家で遊ばせているよりは、経済格差は縮小していることになります。
これを非正規雇用が増えている1面ばかり取り出して、格差拡大を煽る事自体マスコミの偏向報道です。
統計原資料自体は年齢別にいくらでも集計出来ている筈ですから、統計数字にその表を載せて、国民が55〜57歳平均を見たい人はパソコンでそこだけの数字を引けるようにすればいいことであって、65歳で括るような余計な役所のサービスは不要です。
大分前から書いているように労働力人口の推移で言えば、15歳上の人口ではなく(日本では15歳から働いている人の方が少ないので)20歳〜25歳〜30歳の小刻みな労働人口統計が欲しい人が多いのではないでしょうか?
(もっと細かく言えば、学生人口とアルバイターを除く非正規雇用率など)
また高齢化率も日本の実情にあわせれば、(1月2日以来書いている非正規増テーマで言えば)高齢者雇用を義務づけたことによって、60歳以上の非正規雇用者がどのように増えたかなど年度別変化や、65歳以上全部の数字ではなく、60〜65〜70〜75歳と、もっと小刻みな統計の経年変化を見たい人が多い筈です。
正月開けころにも65歳以上で認知症患者が何◯◯万人と出ていましたが、国家全体の経営にはこの程度の括りが合理的でしょうが、個々人にとってはこんな数字を示されてもあまり意味がなく、自分はどの辺だろうか?自分と同じ年で何%、1歳年上でどのくらい?と言う年齢別の割合を知りたい人の方が多いのではないでしょうか?

えん罪と証拠開示1

大阪地検の証拠改ざん事件は、検事のシナリオが客観証拠にあわないことが分ったこと・・その証拠を実は被告人側が握っていたことが重要です。
大阪地検の証拠改ざん事件の歴史的意義は、供述・自白よりも客観証拠で勝負が決まる・・しかもその証拠共有の重要性が明らかになったことではないでしょうか?
えん罪事件の多くが被告人に有利な証拠が再審事件開始まで提出されないで倉庫に眠っていた事例が多いのですが、その視点で見ればその悪弊が露骨に出て来たに過ぎません。
大阪地検の場合、被告人に有利な証拠を隠匿していたのではなく無罪になる証拠を有罪にするために積極的改ざんまでしたことが、国民にショックを与えたに過ぎません。
元々被告人保有証拠であり、しかも本人が頭脳明晰だったことから、これがタマタマ証明されてしまったのですが、被告人を有罪にするには矛盾する証拠があるのに被告人が知らないことを良いことにしてこれを開示しないで、頰っ被りしたまま裁判を続けて有罪判決を獲得して来たことも犯罪的である点では本質的には同じです。
長年の証拠隠匿行為(証明されていませんがこの体質)の弊害が積もり積もって、検察の正義感を蝕んでしまった結果証拠改ざんまでやってしまったと評価すべきでしょう。
だから大ニュースになったのですが、上記のとおり被告人に有利な証拠があるのを知りながらこれを倉庫に眠らせておくのも根っこは同じではないでしょうか?
この種不正を正すことがこの事件の教訓であるべきですから、取り調べを可視化しても客観証拠になるべき帳簿やデータの改ざんを防げません。
この事件の事後処理として、取り調べの録音録画が中心テーマ(マスコミ報道だけかも知れませんが・・)になっているのが不思議です。
証拠改ざん行為の再発防止に必要な議論は、証拠管理等の厳密化・改ざんを防ぐためには押収と同時にコピーを被疑者関係者や弁護人に交付するなどの早期の証拠開示ではないでしょうか?
現在押収品目録が交付されますが、その中身はいろいろですから(例えば日記帳10冊と書いてあってもその内容が不明ですし書いた本人でもきっちり4〜5年分記憶していることは稀です)目録だけでは内容の改ざんを防げません。
この事件で直視し議論すべきは、有罪にするには矛盾する証拠があるのにこれを改ざんしてまで事件を押し進めようとした・・無罪と分っている被疑者を無理に勾留し続けて人権侵害を続けていて無理に犯罪者に仕立てようとしていた検察庁全体の不正義・犯罪的体質です。
従来のえん罪の議論は捜査機関も無実を有罪と誤解して起訴していたことを前提にしていますが、大阪地検の改ざん事件は無罪になる証拠をねつ造して有罪にしてしまおうとした事件です。
(改ざんしなくとも)少なくとも不利な証拠があることが分った時点から、逮捕監禁継続自体が違法であったことになり、重大な事件です。
違法な監禁を続けることが許されるならば暴力団の監禁事件と本質が変わりません・・。
権力犯罪の巣窟が体質改善しないままで、巨悪を追及している組織と言うのでは、ギャグみたいになりませんか?
最も重要な検察の体質改善がどうなったのかについて、マスコミが報じないで(少しは報じているかも知れませんが、連続しての掘り下げ記事がないしオザナリです)どこまで録画するかなどの可視化議論ばかりにマスコミ報道が矮小化されているのが不思議です。
ただし、私はもう歳(トシ)なので、公判前整理手続に関与していませんので詳しくは分りませんが、マスコミが報じないだけで、実際には、裁判員裁判手続の開始に関連して公判前整理手続が充実して、従来に比べて証拠開示がかなり進展して来ていることは確かです。
刑事裁判の公正化は、証拠開示次第にかかっているといえます。
ローラー作戦と言う言葉がありますが、大事件があると捜査機関は網羅的にダンボール箱でごっそり持って行ってしまう状態のニュースを見聞きした人が多いでしょう。
誘拐その他の一般事件でも事件発生後の周辺聞き込み、その他の捜査情報は人海戦術で大量に集められます。
この中から、検事に都合の良い証拠だけで裁判するのでは、被告人に有利なデータが提出された証拠に偶然紛れ込んでいたときに、その矛盾を追及するような例外的場合しか戦えません。
仮に周辺聞き込み情報や押収した資料全部弁護側に開示されるようになっても、そもそも倉庫一杯の資料を「勝手に見てくれ」と言われても、弁護側には人手も時間もなくシラミつぶしに見る時間がないのが普通です。
録画・録音全部・たとえば合計500〜600時間分開示されると却って困ってしまうのと同じです。
情報過多はないに等しい・・昔から「過ぎたるはお及ばざるがごとし」と言います。
捜査機関は最初に資料を根こそぎ捜査機関が持って行き、大量の人員を投入して綿密にチェック出来るのに対して、弁護人は、多くて2〜3人で共同弁護するくらいが関の山ですから、有利な証拠を見いだすのは至難の業です。
この格差をどうするかが重要ですが、私自身今のところ、こうすれば良いと言う「解」を持ち合わせていません。
さしあたり考えられるのは、科学捜査を進めて本当の意味での立証責任の転換が必要ではないかと言うことです。
痴漢事件で言えば、被告人が被害者周辺で手の届くところにいた5〜6人の一人だと言うことと、被害者がこの人に違いないと言う程度ではなく、夢かも知れませんが、触ったらどう言う痕跡が手指に残るなどの科学の発達を期待したいものです。
無実の推定があるとは言うものの、実務では検事によるある程度の立証で事実上立証責任が転換されてしまって、被告人が弁解しなければならない状態に追い込まれているのが普通です。
その一つ1つには相応に理由があるのですが、その基準線をホンのちょっとずらすだけでも大分変わって来るでしょう。

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