オリンピック公式ロゴ騒動と情報公開5

次にオリンピック公式ロゴのデザイン盗用?疑惑問題に移ります。
この騒動は工事費よりももっと、少数エリート専門家の閉鎖空間の判断によらずにより広いプロ集団や準専門家集団〜アマチュア・・市場顧客などの幅広い目にさらされる必要性を感じます。
専門家の中で名のある人が審査委員になったのでしょうが、1つにはデザイン分野は日進月歩であって、特に感性に関しては高名=過去に実績のある人が最先端感性を有しているとは限りません・・むしろ逆の場合が多いのが普通でしょう。
この意味では、応募資格が過去の有名国際コンクールをいくつか指定して金賞を得た人に限るなど数えるほどしか応募資格者がいなかったこと・・限定し過ぎていた点も批判の対象になっています。
新人だって良いデザインがあるかもしれないのに、何故過去の受賞者しか応募出来ないの?と言うのは真っ当な疑問でしょう。
万単位の応募があったら審査し切れないのは当然でしょうが、その場合、有名資格者は4〜5次審査にストレートに行き、その他はキャリアーに応じた1次〜2次〜3次審査制を導入したら良かったのではないでしょうか?
2つ目には、世界中に無数とも言える発表の場がある状態で、業界長老や少数者だけでは、既発表のデザイン全てを把握し切れない問題点です・・。
長老が審査委員になるのがいけないのではなく、田舎の美術館どころかどこかの田舎の何とか大会で使ったロゴ・商店会のチラシに使ったり地方の観光広告など無数とも言えるほど発表されている中で、(あるいはどこにも使われていないが、個人がユーチューブ等に発表しているだけの場合もあるなど)少数者でチェックし尽くすことは、元々無理があったのではないかと言う立論です。
むしろ公開審査にして広く意見を募り、最終決定をして行く・・絞り込み過程の公開していれば、応募作品がどこかの作品に似ていると言うチェックも働きます。
市場の調査能力を利用するメリットと必要性です。
民主主義のキモは透明性・公開性であると015/09/03「不透明=ヤミルート社会」前後から書いてきましたが、まさにこの視点がオリンピック組織委員会には欠けていたのではないでしょうか?
公開・透明性とは言い換えれば、市民の権利擁護と言う意味だけではなく、市場の・・利用者・消費者の意見によって、思いがけない良い意見を得られると言うことで、これを利用して損はないと言うことです。
更に現在問題になっている模倣の指摘について根本的な意見を言えば、大学者でも「一尺管筒なお・・」と古来から言われるように・古来から偉業を成し遂げた人でも殆ど全部と言って良いほど先人の業績にホンの僅か頭を出した程度でしかないと言う原理を無視して議論している滑稽さです。
オリンピックなどスポーツでは目に見えるので分りよいですが、水泳、陸上、棒高跳び・・全て新記録と言ってもホンの何センチとか何秒早かったと言うだけです。
しかも走り方飛び方その他の技術も大方先輩の真似で成り立っていて、外から目に見えない僅かな他人と自分のからだの違いに合わせて工夫しているに過ぎません。
そのためにコーチがいたり相撲でも先輩に型を教えられるのです・・腕力だけで相撲界に入ってもそれ相応の型・・技を身につけないととても勝てません。
芸術も先人の型を修練した上でその上に独自性をホンのちょっと出せれば良いのであって、外見上99、9%似ていて良いのことです。
ラーメンでやカレーもどこも見た目は99、9%同じで、ホンのちょっと別の具材を入れたりこしょうや塩が利いているかどうかで味が決まることが多いのです。
消費材の分野では99%見た目は他所のカレーと同じでも、消費者の意見で結果に独創性・味が良ければ良いのであって、塩を効かしただけの違いでも消費者が他よりうまいと感じれば良いことです。
医師等の専門分野では消費者意見の重要性と言っていても、実際には間接的効果でしかなく、手術の手技自体や医薬品開発の動機付けに影響するかは別として開発研究の具体的な作業その他の薬品ブレンド作業自体に直接影響することはありません。
しかしデザインは、顧客・市場・消費者が受容してこそ成り立つ専門性にしか過ぎません。
従ってこの分野の少数エリート専門家のみならず、一般専門家、更には似たような職種・・周辺グル−プは言うに及ばず、ユーザーなどを含めたより広い参加を求めて多くの支持を受けたデザインを決めて行く方が合理的です。
この辺は技術的に建築可能かどのくらいの工期で出来るかなど専門的チェックが必要な建築分野とは違う・・・大御所不要の社会に大御所・権威?グループが出来上がっていたことが不思議です。
民主主義・・人権と言う以前に多くの意見をもとに作った方が良い物が出来ると言う実用性の効果の方が大きいでしょう。
このように民主主義・市場経済を貫徹している方が、より良い商品供給の競争でも有利に立てると思われます。
中国が、先進国の模倣や剽窃をしている限り、独裁の方が効率が良いでしょうが、少しでも先端品を自前で作ろうとすれば、市場競争を活発化しないと良い物が作れない限界に打ち当たります。
限界を破り自由化するしかないとすれば独裁が崩壊するし、独裁を維持しようとすれば停滞するしかないジレンマが始まっています。
今の時代ではネット上での公開は簡単ですから、審査会場に出展するだけではなく、これをリアルタイムで公開して多くの意見を求めていれば、名もなき若者などの新鮮な視点での意見が出易いし、商店街のロゴやお祭りに使っていたなどの通報も簡単に出たでしょう。
一定期間世界中に公開して、意見募集しておいてどこからも指摘や苦情が出なかった後で決めていれば、締め切り後似たようなロゴが発見されても、ある程度免責される・・一定額の補償程度で良いような仕組みにすることも可能です。
密室的協議(批判されているように業界なれ合い体質)で決めてしまい、(世界に向けて公開コメントを求めていたかその詳細を知りませんが・・)異議を出すチャンスを充分に与えていないように見えるところが、今回の不信感の根底にあるように思われます。
昨年来マイナンバー法の施行に向けて、千葉市でも準備を進めていて、進んだ準備に合わせた公開をして市民の意見を求めていますが、実際には全く出て来ません・・それでもチャンスを与え続けることが民主制の必須装置と言うべきでしょう。
昨年1年間の情報公開資料の報告を見ると、ここ数年情報公開や個人情報開示要求や異議申し立てが激減していることが分ります。
異議申し立てが実際になくとも、異議申し立て出来ること・・異議申し立てがあり得る前提で行政がきっちりと対応していることが制度的に重要です。

情報開示・透明性の重要性(オリンピック競技場)2

国家や組織は、先ず大枠の予算を決めてその枠内しか執行してはいけないのが基本ルールです。
大枠予算(国家予算は単年度主義ですから、ここでは正式な予算を言うのではありません)を予め決めておかないで、先ずやることを決めて、それに合わせていくらでも費用を出す・・既成事実としてあとで予算化して行く・・国会で問題になっても今更変更出来ないと押しきって行くやり方では、(独裁国家同様)組織運営の基本ルール違反です。
受諾段階で直ぐに総額どの程度の予算規模でやるかの基本方針を決めてから、その枠内で分野ごとに割り振って行き、分野別に分野別予算の準備活動にはいるべきだったでしょう。
国立競技場は、いくらの予算を(国と都との分担その他)割り振られていたかの肝腎の情報がマスコミには出て来ません。
大枠予定「予算」も無視した提案では意味がないのですが、デザイン提出者が提案段階で工事予算まで読み切る・・資料提出するのは無理があるとすれば、「◯◯の予算内で出来るならば」と言う留保条件付き決定にすべきです。
ただし弁護士会の例でこの後・・明日書くように、(単年度主義ですから)まだ準備段階(調査費等の予算計上程度?)であって、工事費等は国家予算に計上していないから法的な意味でのルール違反ではないのかも知れません。
オリンピック問題で書いている「予算」とは、法律上の予算ではなく、正式な予算化する前に決めておくべき「大枠予算合意があるべきでしょう」と言う意味ですので、この意味で以下お読み下さい。
工事費に責任を持たないコンセプトは、審査にはいる前の書面審査で失格にすべきか、応募期間が短か過ぎて計算したり工事費用証明する時間がないならば審査決定後何ヶ月内に(Aクラスの工事業者の引き受け証明を)提出しないと失格するなどの条件をつけるべきではないでしょうか?
工事業者を別途入札で決める仕組みの場合には、大枠の工費が分るように基本設計まで一緒にコンセプト提案者に提案させて、世界の例えば複数〜10社以上の企業が施工出来る技術基準であることの保証・証明をつけさせて現行(現地)の標準工事代金の計算書を添付させるなどの工夫で何とかなるでしょう。
(その後の資材や工事費高騰には責任がありません)
こうして見て行くと、提案があった場合に予算枠内に収まっているか、このデザインで施行出来る業者が何社あるか(世界中どこも施行出来ないとか1社しか出来ないのではその1社がやめたりゴネラレルと工事業者がいなくなどリスクが大き過ぎます)などの適格審査してから審査委員会に出すべきだったことになります。
審査委員としては、当然予算内の提案だし施行出来る企業があると事務局で選んで上がって来たとすれば、委員会の責任ではありません。
国立競技場工事費高騰問題は、決定手続の仕組み自体に法的(枠組み決定)に抜かりがあった・・発注者の事務方(コンペをどう言う条件で行なうかの枠組み決定や標準工事費を要件にした場合、計算や単価に誤りがないかの調査など)・・組織委員会?幹部の責任が大であると言うべきでしょう。
この点、主務官庁の文科省には学校校舎程度の発注経験しかなかったことが、少しだけ報道されていましたが、そこに問題があった可能性もあります。
公立高校や大学の校舎程度あれば経験内で予測可能ですので、業者間で競らせれば一定の数字が出て来ますが、今回は従来経験のない分野でした。
経験のないことに遭遇した場合に応用が利くかによって、前例踏襲するしかない能力で出世して来たのか?・・責任者に求められるべき本来の能力が問われることになります。
文科省には工事発注経験がないとしてもオリンピック組織委員会の事務方トップには元財務相次官・・野党同意が得られずに日銀総裁になり損ねた武藤敏郎氏が就いているのも皮肉な巡り合わせです。
大蔵→財務省の事務方トップと言えば予算を人質に権力行使している組織トップですから、この人が「予算(上記のとおり正式ではないと言う意味です)」無視または軽視の事務執行の責任者になっていたとすれば、??となります。
文科省の中堅役人が引責辞任させられていますが、国民が問題にしている予算と関係なくコストばかり膨張することに対する歯止めになるべくその任についている専門家である彼が何故責任をとらないのか不思議です。
彼が就任したときには既にコンペの方式が決まっていた後だったかも知れませんが・・。
そこでネットで調べてみたところ意外な事実が分かりました。
「新国立競技場 国際デザイン・コンクール報告書」によると24年夏ころから始まっていて秋には終わっていることが分ります。
彼が就任したのは2014年ですから、その前に全て終わっていたことが分ります。

I デザイン競技の概要・応募状況
応募・審査スケジュール
‹応募› ・募集要項交付開始 ・登録受付期間 ・質疑受付期間 ・質疑回答 ・作品受付期間
‹審査›
・技術調査期間 ・技術調査会議
・予備審査
・一次審査 一次審査(平成24年10月16日)・二次審査対象作品発表 ・二次審査(11 月 7 日(水))
・審査結果決定 (有識者会議) ・審査結果発表
・表彰式
((株)日本総合研究所都市・地域経営戦略グループシニアマネージャー) (東京理科大学工学部第二部建築学科教授)
平成24年7月20日 平成24年7月20日〜平成24年9月10日 平成24年7月20日〜平成24年8月20日 平成24年9月3日 平成24年9月10日〜平成24年9月25日
武藤氏就任は昨年(26)1月ですから、就任2年前から決まっていたルールに基づいて選定されていたことを後で変えられなかったのは当然で、彼の責任ではありません。

独裁国家の硬直性と民主国家の柔軟性(オリンピック主会場)1

中国では政府は結果的にどんなに無駄なものであっても計画どおりに出来たことが赫赫たる成果になるし、(修正は社会状況の変化にあわせることであって社会のために良いことですが何故か?)計画の修正に「追い込まれる」と関係者の責任問題になるので、権力崩壊にならない限り修正で来ません。
市場経済・・民主国家の我が国で言えば、オリンピックメイン会場予定の国立競技場の計画が高額過ぎるとして、突如仕切り直しになったのですが、計画の杜撰さもさることながら、計画が悪いとなればすぐに修正するしかないところが民主制の良さです。
その内デザインなど盗用疑惑まで出て来て、公開するといろんな問題が出て来易くて良いことです。
民主制の実質は、市場経済の進展度によってはかるべきだと言う意見を、2015/08/26「中韓政府・組織は誰のため?3」以下で書いてきました。
市場経済=財務諸表その他の透明性ですから、以下民主制と情報公開の重要性に即して書いて行きます。
国立競技場工事費高騰問題は、専門家内では「仕方がないな・・」の繰り返しで、ドンドン膨張して行った(関係者はこう言う変化には、反対し難いものです)のでしょうが、ジョジョに膨らんで行って結果的に巨額になり過ぎていないかの別の視点が必要です。
こう言うチェックは当初から関係していた専門家が発言し難い分野ですから、利害のない国民の目に触れると結果があまりに非常識なことが分って撤回に追い込まれたものです。
予算案化したときに始めて国会に出されて国民が知る仕組みでは、以下に書くように間に合わないので事前情報開示が重要なことが分ります。
審査委員長の安藤氏の発言・・自分はデザインを選んだのであってコストは自分の審査範囲ではないと言う趣旨の発言に驚きました。
専門が違うから当たり前と言えばたり前かも知れませんが、モノゴトは先ずコストがあってその予算内でデザインや大きさ・内部施設の品質レベルを決めて行くものではないでしょうか?
予算を示されてその範囲内の優秀デザイン・コンセプトであるべきであって、予算超過のコンセプトはその1点だけで(審査に掛ける前に)失格させるべきは全ての常識です。
モノゴトをやるには、予算が先ず最初に枠として決まるのが原則的ルールです。
組織になると分り難いことでしょうが、個人で言えば、マンションを買うのに4000万前後の希望を示されているのに仲介業者が1〜2億円の立派なマンションを紹介してこれが素晴らしいと紹介すれば、バカかと思われます・・客が怒るでしょう。
業者から見ても、戸建て新築希望があってもどの程度の予算かを先ず聞いてその範囲で出来る、設計やコンセプトを決めて提案して行くのが普通です。
(贅沢すればいくらでも・・黄金の茶室とまで行かなくとも、高い材料を使い良いものが出来ますが・・)
デザイン大会のような架空のアイデア審査ではなく、具体的工事を予定している場合、価格無視の設計などあるべき筈がありません。
美術館に限らず本社ビル建設その他デザインが斬新で気に入っているが、コストが高くなり過ぎるので、諦めてワンランク下の設計にすると言うことはいくらもあることです。
日本の新幹線工事や原子力発電等の受注競争で負けることが多いのは技術力が劣るからではなく、良いものだが工費が高過ぎることによって負けることが多いのと同じでコスト観念が低すぎないかの問題です。
審査委員会が決めたデザインどおりの設計施工したらいくらになるか誰も分らないで決めてしまうなんて事は、具体的工事を予定するデザイン審査としては、無責任過ぎて許されません。
デザインさえ気に入れば、1000億の予定が、2000億〜3000億になろうと幾らでも提案に合わせて「予算を組みます」と言う決め方では、無責任過ぎます。
ましてオリンッピックは、個人事業ではなく、公費を使う事業ですから、なおさらです。

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