法人税減税と補助金削減2

日本は縄文の昔から同胞相助け合う社会を築いて来たのですから、利益率が低くとも多くの人を養う企業が良い企業で、その上に相応の共益費負担・税負担をするのが国民の総意と言うべきでしょう。
金儲けさえすれば良い企業という欧米流尺度は我が国の価値観に合いません。
マンションで共益費や管理費を値下げして行けば、その分マンション保有コストが下がりますが、長期的にはそのマンションは薄汚くなります。
法人税減税論は4割税金を払う企業が100社よりは、3割の税率しか払わない企業でも200社ある方が日本全体の税収が上がるという論法ですが、税率さえ下げれば、企業の海外脱出が減り逆に海外企業の日本進出が増えるのでしょうか?
法人税は儲けに対する課税ですから赤字企業に関係のない制度であって、企業の海外進出・撤退動機は儲けた後の税率の高低ではなく、進出先での商売が成り立つかどうか、採算が取れるかどうかがほぼ100%の進退決定動機です。
欧米系金融機関やブランド企業などが日本に進出するか日本から撤退するかの判断基準は、儲けた後の税率によるのではなく、儲けを維持できるかどうかによります。
折角儲けているのに、税率が高いことを理由に日本から撤退する企業は皆無でしょう。
日本企業の海外進出動機もその国の税率が低いかどうかではなく、進出しても採算がとれるかどうかが先決事項です。
むしろ国家政策目標実現に有効な企業補助金を交付した方が誘致効率が高い筈です。
例えば工場団地造成等インフラ整備や補助金(固定親善減免等)で企業誘致する方が進出企業が増えます。
税率を下げる代わりに、この種の誘致事業(補助金)を縮小するのでは逆効果でしょう。
誘致補助金インフラの公費による整備は進出企業の(赤字にならないように)採算性の向上を目指すものですから、これを削減して採算性が悪化した赤字企業に対して、儲けた場合に税率を下げることにしたと言われても・・?となりませんか?
「儲けた後の税を下げると言うアナウンスよりも先に儲けられるようにしてくれよ!」と言う企業が多いのではないでしょうか?
税率に関心がある主なグループは、機関投資家・・有価証券売買や利子配当で儲けを狙う金融資本家だけではないでしょうか?
金融取引業者は、短期リターンを求めるために税引後の株式配当に関心があるのでしょうが、法人税減税は企業立地促進・撤退の決定には何の関係もないと言えます。
金融取引のプロは、地域に対する愛着も何もなく金利の良いところ・配当の良いところを目指して漂流し続けています。
まさに国を失ったユダヤ民族の本質そのものですが、縄文時代の昔から定住をバックボーンとする日本がそんな人たちのご機嫌を取り、そんな人たちに投資してもらう必要がありません。
後進国は先進国からの投資がなければやって行けないので、海外からの投資取り込みのために強欲な金融資本の言うとおりにしている・・せざるを得ないのは分りますが、日本は世界一の金持ち国で世界に投資をする国であって投資をして貰う必要がありません。
日本に対する海外からの投資が少ないのは、日本経済に魅力がないからだとマスコミが言いますが、日本は世界最大の純債権国・・即ち世界への資金の供与国です。
金が有り余っている国では世界一低金利にしても良いのは他所からの投資を期待していないから出来ることですし、個人で見てもお金持ちが借金する必要がないのと同じで、海外から投資して貰う必要がないのは当然です。
むしろ海外資本比率が上がり株価や国債相場が海外投資家の意向に支配されルンは最悪です。
雇用や生活水準維持よりは、利益率を基準に簡単に人員削減や国内工場閉鎖を選択するような海外資本家の意向に企業活動方針まで支配されているのは、民族の独立性維持のために不健全だと思います。
通貨危機以降韓国は外資に乗っ取られた状態になっていますが、その結果、企業業績が良くとも弱者切り捨て・国民は非正規雇用中心で塗炭の苦しみに陥っているのを見れば分ります。
外資に買収された日産の動き・・日産マーチの国内生産をタイへの全量移管などの安易な動きを見れば、企業精神の変化は明らかです。

法人税減税と補助金削減

生粋の日本企業は利潤だけを基準にしているのではなく、それどころか利益がなくなっても組織を維持出来れば良いというほど組織維持意識の強い社会です。
組織の永続と同胞の職場維持を目的にしています。
ある企業が100の利益を上げていて従業員10人しか雇用していない企業に比べて100分の1しか利益が出ていなくとも1万人を雇用している企業の方が、日本社会に貢献しているというのが日本人の価値観です。
国内産業の保護や発展を何故求めるかと言えば、主たる目的は国内雇用・国内波及効果目的です。
勿論税収が上がるに越したことがないですが、税収が少なくとも多くの人員を雇い、国内産業波及効果の大きい企業の方が価値があります。
税収10万円の企業で1万人雇い関連産業が10万人の企業と、従業員4〜5人が金融取引で大儲けして1億円納税する企業とどちらが国のためになるかと設問すれば明らかでしょう。
資本効率から言えば、年商1兆円で僅かに10万円の利益しかない企業は投資価値がないでしょうが、国家社会にとっては利益率よりは雇用確保が重要です。
法人税率に関心があるのはリターンを求める金融資本家に重要な指標であって、国家社会にとって意味のない指標です。
日本の企業は大赤字になっても再起を期して踏ん張り安易に企業解散をしないし、(赤字転落していたシャープもパナソニックも踏ん張って黒字転換しました)若干の赤字程度ならば海外工場での儲けで国内赤字を補填してでも簡単に外国へ移転しようとしない企業が大多数です。
儲け拡大のために国内工場を閉鎖して海外に移転してしまう(・・日産のような)あるいは税を払いたくないから海外に逃げるような企業精神は、日本人の支持を受けられないでしょう。
法人税減税の主張の合理的意味を理解し難いのは私だけでしょうか?
法人税は儲けた利益に課税されるものであって、赤字であれば関係がありません。
例えばある企業が10億円儲けたのに日本に本社をおくと4割税金にとられるので3割しかとられない税の安い国に本社を移転したくなるから、これを防ぐために外国並み課税率にしようというのが法人税減税論です。
日本のインフラ負担や弱者救済費用等に一定率の納税をするのが同胞としての義務であり、金儲けできる人が負担しなければ国は汚くなり人心がギスギスする一方になります。
利益が出れば国民の御陰だと感謝して一部を国内に還流して、日の当たらない人々や良いことをしていても資金の行き渡り難い分野へ回して下さいというのが愛国心です。
赤字でも何とか国内に踏みとどまり海外進出先からの利益還流で何とか持ちこたえようとするのが本来の日本の心ではないでしょうか?
儲けているのに税をあまり納めたくないと言う人はいますが、どうせならば安い方がいい・・税の無駄遣いをしないでくれと言うのは人情だとしても、税を納めること自体が嫌だからと言って海外に逃げて行きたいような企業は、日本にそもそも必要がない企業です。
このような強欲な企業の存在を許す必要がないと言うのが私の意見ですが愛国心が強過ぎますか?
補助金を減らす代わり同額の法人税減税という意見は、国民経済にとって真逆の主張をしていることになります。
各種補助金と法人税は表裏の関係がありますが、補助金は特定目的・・特定国内産業育成のために必要とするものであって、補助金を減らして税率を下げるのは政治政策の放棄です。
例えば人工衛星・ロケット等・・学術研究や教育設備への政府支出・・補助金は、新たな産業育成や人材育成のために必要な制度であって、こうした支出を減らして、その分税金を安くする政策は、国家の将来を危うくします。
言わば税を納めない観光客に頼る経済と同じで、公共インフラ負担や助け合いのお金を出したがらないで受益ばかり要求する社会を目指すことになります。
日本は縄文の昔から同胞相助け合う社会を築いて来たのですから、相応の共益費負担・税負担をするのが合理的です。

格差是正31(給与補助金1)

職場が減れば需給の結果労働者の立場が弱くなるのは、新自由主義(ネオリベラリズム)かどうかではなく、昔からの経済の原理そのものです。
フリードマンの新自由主義、ケインズ主義、古典派経済学、◯◯経済学かの論理の違いによるものではないでしょう。
どの経済理論でも、すべての分野で需給が緩めば価格が下がる・・立場が弱くなるし、鉱物資源でも人材でも稀少化すれば価格が上がり地位・待遇が上がる原理は変わりません。
と言うよりか経済学者はこうした原理を公理のような前提として自分の理論の正しさを論じているのです。
西洋で女性の地位が向上し人権意識が高まったのもペストの大流行によって人口が激減したことに端を発しています。
アメリカでは建国当初から女性不足と人間不足社会でしたから移民受入れに積極的でしたし、裏返せば人手不足で機械化に熱心で人権意識や女性の社会進出に熱心だった基礎でもあったのです。
中国の人権問題をアメリカが問題にしていますが、いくらでも湧いて来るかのような多すぎる人口問題を抱える中国では人が貴重ではないので、人権を説いても意味がなかったことが数百年後に分ることでしょう。
賃金の国際格差問題に戻ります。
解放直後の中国では最初は近代的な工場で働く習慣がないなど労働の質や技術差が大きかったので当時で言えば20倍前後の賃金格差は妥当だったでしょうが、・・・日本人が現地指導した結果、野菜その他良いものを作らねばないという意識も育つし、一定期間経過でどこの国でも生産用機械さえ同じならば日本国内並みの生産性に上がって行きます。
中国の改革開放後既に約30年も経過していて似た機械で生産すれば生産性が殆ど変わらなくなっている以上は、日本人の賃金も裸の自由(市場)競争に曝されれば、中国等の人件費とほぼ同じ賃金水準になって行くべきでしょう。
(これが人類平等の基本原理の発露です)
ところが中国の解放後約30年経過してなお日本人労働者と約10倍の賃金差を維持しているのですが、今では日本人と中国人との能力差が10倍もない(同じ工業製品でも少しは日本よりは精度が悪いかも知れませんが、10倍も製品に値段差を付ける品質差がない筈です。)のにこの格差が残っているのは市場経済・人類平等の原理から見れば異常です。
未だにこんな大きな賃金差がまかり通っているのは、日本国内での所得再分配政策・補助金の結果によることになります。
国際相場よりも無茶高い米や麦が補助金・高関税の結果まだ生産出来ているのと同じ原理です。
補助金の出所ですが、海外進出企業の国内工場で働く人は、その企業の海外収益回収による再分配で成り立って(内部的に完結)いますが、海外進出していない企業の高賃金は税による再分配によらない限り成り立ちません。

構造変化と補助金2(過疎地2)

江戸時代のままの生産力であれば、近代的な立派な橋を架けたり舗装道路を造るには、(いくつもの信号機の設置やガードレールさえ造れないかも知れません。)地元経済の支払能力を超えるので、その差額を補助金に頼ることになります。
江戸時代並みの農業所得からでは、高度医療機器を備えたどこの田舎にもありそうな病院1つ造れないでしょう。
高額所得の医師など雇用したり開業医や小中学校の教員への給与支払が出来るのは、各種補助金の御陰であって江戸時代の小さなムラが合併を繰り返して5000人〜1万人単位になっても、農業からの税だけでは不可能です。
今や江戸時代と違って農家もかなりの所得かも知れませんが、それは生産性が仮に10倍になったから所得が10倍になったのではなく、生産性がもしかしたら2倍程度になっている場合でも、それは補助金による農機具や肥料の購入が出来ることにより収量が上がったり・・莫大な税の投入による耕地整理による合理化効果が大きい面があります。
これに加えて仮に生産量が2倍になったに過ぎないとしても、輸入規制することによる国際市場価格の何倍もの価格を国民に強制するなど農家に対する幾層にもなる各種補助で農業所得が何倍にも上がる仕組みになっています。
現在TPP参加に反対して農業がつぶれるという農業団体の主張自体が恥も外聞もなく声高に言えるのは、車のように丸腰で海外と競争出来ない・・・国民に市場価格以上の割高な農産品を買わせていることを自白しているようなものです。
政治による割高な農産品価格設定の恩恵・・・補助金によって、維新以降個人的努力によって、高度化転換出来た人と江戸時代までとにたようなことをしている人にまで同じ生活水準が補償されています。
この水増し所得を前提に農家が家を建て替えたり、昔買えなかった肉類を買って食べたり車を買ったり医療を受けたり子供が塾に通ったり進学出来たりしています。
この波及効果で、農業地帯にもいろんな商売が成り立っているのです、
農村の場合、公共工事等の直接的補助金だけが目立っていますが、実際には基礎的な生活費底上げ用の補助金こそが重要です。
市場価格以下の協力を求められる弁護士とは違い、医師や教員、警察官等は全国平均の給与をもらえるし、公共工事の場合は民間受注工事よりも割高で受注出来るのが常識ですから、(このうまみのために刑事事件になるリスクを冒してさえ、賄賂・汚職・談合が後を絶たないのです)都会での民間受注並み以上の単価で受注出来ます。
美術等のサービス受益は個々人が都会に出かければ足りますが、工事現場が都会に出かけることはないので、補助金が早くから発達し目立ちます。
出かけられないという観点からすれば小学校等の教育も地元でしか出来ないので、教育(関連の土木工事も含めて)も早くから補助金の対象になっています。
この結果、先生は全国一律的な給与水準です。

構造変化と補助金1(過疎地1)

個人レベルでは、飽くまで衰退して行く地元に残っている人の中にも農漁業に固執する人もいれば、中央からの補助金期待の土木建設業その他に転進する人もいたでしょう。
地元に残っている人は郷土愛の固まりかと誤解しがちですが、(震災報道はそう言うイメージです)中央からの地方交付金や各種補助金は、個々人に配られるのではなく地方公共団体経由ですので、この補助金に群がって(いるつもりはないでしょうが・・)地元に生き残る人も多くいました。
補助金目当てに生き残っていると言えば、土木建設業ばかり連想しますが、実際には多くの教員、保育士、医師関連職種、地方公務員、個人商店も実は同じ人たちです。
過疎地の医師は元は地元で代々医師をしていた人でしょうが、今では中央から派遣されて義務感で赴任してる人が多いので、補助金の恩恵に浴していないように見えます。
過疎地の医療保険は独立採算であればとっくに破綻している筈ですから、地元経済に限定すれば医療費支払能力が大幅に縮小している筈です。
全国の平準化した保険料と国庫負担金が中央から回って来るから、過疎地の医療財政は成り立っているし、派遣される医師も存在・高給が支給されるのです。
我々弁護士需要でも、日弁連補助金で過疎地に法律事務所を設置したり、国庫金による法テラススタッフ弁護士が、過疎地の法律需要に対応していますが、地元の支払能力のみであれば、これらの設備・事務員等の維持が出来ません。
そもそも補助金とは何かですが、地元の経済水準による支払能力が低すぎると、都市でその何倍も高額収入のある職種は寄り付きませんので、(例えば芸術家やタレントは一日1〜数万円で公演してくれと言われても応じられないでしょう)都会に出かけて行くしか近代文明の恩恵に浴せません。
教育者に来てもらったり芸能人に公演してもらったり、不採算の医療その他の専門家に来てもらうためには、何らかの補助金でその一部を負担し、(医師や教師は相場の給与で赴任するみたいですが・・)残りは弁護士等の公徳心による減額(採算割れ価格)で成り立っています。
ちなみに弁護士にとっては、過疎地の法律相談に行ってると、事務所維持費が出ないので、事務所経費負担がいらないイソ弁等若手が分担している状態です。
東北の震災被害の法律相談もそうですが、当事者がその費用負担能力がないので、日弁連が担当者に交通費の外に一日3〜4万円支給して現地相談を行っているのですが、これでは事務所家賃・事務員の給与その他経費にすらならないので、赤字で協力している関係です。
(日弁連はどこからも援助してもらってないので、弁護士から集めた会費で相談に行く人に支給しています)
土木工事の場合も地元経済水準で払える限度で土木工事をしようとする場合・・・仮に地域の産業として江戸時代同様の農漁業しかない場合を例にすると、その生産力だけでは江戸時代まであった程度の木造の橋や砂利道しか造れないし、(砂利だって買って来る資金がないでしょう)勿論村役場も木造平屋建てがやっとですし、学校も幼稚園も病院もその程度のものしか造れない筈です。

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