世論調査とは?(集団自衛権違憲論1)

芦田修正の関係で戦後の憲法学者の憲法論の推移と国民意思との乖離の歴史を見ておきましょう。
http://gohoo.org/16020701/によると詳細引用を控えますが、16年現在憲法学者の約7割が、自衛隊は憲法違反とアンケートにこたえているようです。

「憲法学者の7割が自衛隊違憲」は水増し? 東京新聞の引用は不正確
楊井 人文, 2016年2月7日
東京新聞2016年2月14日付朝刊1面 朝日は昨年7月、憲法学者アンケートの結果、122人の回答者のうち104人が集団的自衛権の行使を容認する安保法案を「憲法違反」と回答したと報じた。その中で自衛隊の合憲性につlいても質問していたが、回答結果を紙面で伝えず、デジタル版にのみ簡潔に載せていた。日本報道検証機構が指摘した後、詳細な回答結果がデジタル版に開示された。その結果を分析すると「自衛隊を合憲と実名で回答した憲法学者19人のうち、安保法案を明確に違憲と答えたのは8人だった」ことも明らかになった(既報トピックス=朝日新聞 憲法学者アンケートの結果の一部を紙面に載せず)

今日の本来のテーマは、自衛隊の存在自体を違憲と考える学者がどの程度かを知りたくて引用したのですが、上記検証記事を見ると集団自衛権の違憲論の調査の前提調査であったことがわかります。
横道に逸れますが、メデイアの調査の仕方に疑問が起きたので、ついでに書いていきます。
上記によると朝日新聞は、もともと自衛隊を違憲と考える人を中心に集団自衛権の合憲性を聞いたら7割の人が違憲と答えたと言う事になります。
国民の約8割が自衛隊の存在を支持している現状(政党別に言えば、共産党を除く全政党が合憲と認めています)からすれば、国民の多くは自衛隊自体の違憲か合憲論については現実無視の憲法学者に今更意見を聞く必要性を感じていません。
現実を知る能力は(世間知らず?)の学者より一般国民の方が詳しくその判断が正しいことを前提に民意重視・選挙制度が出来上がっていますし、だからこそ、メデイアは世論調査をしょっちゅう実施しているのです。
将来どうなるかは不安ですから、現状の自衛隊の合憲を前提にした上で今後集団自衛権になるとどう言う危険があるのかについて専門家の意見を知りたい人が8割以上いることになります。
自衛隊が必要なものである・・合憲で良いと考える人にとっては、もともと自衛隊を違憲だと言う学者に集団自衛権は違憲ですか?と改めて聞く意味はありません。
上記データによれば、自衛隊の合憲論学者で集団自衛権を違憲と回答した人が、19名中8名しかいないという事ですから、メデイアによる7割もの憲法学者が違憲と言っていると言う宣伝報道の内実は、もともと違憲論者中心に聞いていたと言う衝撃的事実がわかりました・・まあ皆が迷うくらいですから真面目に考えた回答とすれば穏当な票割れでしょう。
現状の自衛隊が合憲という人でも、集団自衛権になると違憲かどうか・・そこまでは賛成しないかどうかの判断基準は、どう言う場合に集団自衛権を行使するかの細かな発動条件によるので、素人には分かりにくい・この面で専門家に聞きたい気持ちがあります。
政治家や法律家は憲法違反かどうかの抽象的な主張ではなく、こういう規定だとこういうことができるから、これしか出来ないから憲法違反だという具体的な危険の有無程度を主張すべきです。
簡単にいえば、むやみやたらにどこでも政府が勝手に出かけて行って戦争する権限を付与するのは困るが、日本の防衛にやむをないとき・・共同作戦中やその準備過程(兵器弾薬の補給を米軍にお願いしている場合などに補給運搬中米軍が攻撃されたら警護し応援するのはやむを得ないだろうというのが大方の許容範囲でしょう。
物事は具体的条件設定や状況によるのですから、具体的条件設定をどのように表現してアンケートを取ったかによっても答えが違ってきます。
ところで法律は抽象的にならざるを得ない・・「切迫した状態」刑法でいえば正当防衛が許される場合の表現に「急迫不正の侵害」と要件がありますが、具体的にどう言う場合に該当するかまで法律には書ききれません。
腕力のある人が正当防衛に名を借りて弱い相手に暴行を加えることになり兼ねないから、正当防衛の条文は違憲だという人はいません。
事案によっては千差万別の無限大とも言える多様な事象に対してプロの裁判官が事案ごとに認定していき、正当防衛に当たるかどうかが決まる仕組みで、腕力のある人が正当防衛と主張さえすれば通る訳ではありません。
前もって法令に「こう言う場合」と限定するのは不可能でいくら文言を連ねても、具体的にどう言う場合に正当防衛になるかは、具体的事件に合わせて裁判で決めていくしかないのが実務です。
抽象的だと政府が何をするか不明だから、信用できないと言い出したら代議制民主主義・・そもそも法制度が成り立ちません・・政府や国会、司法機関のチェックに委ねてそのあとでルール違反があれば政治責任や刑事、民事責任を問うのが民主主義社会です。
実際に警職法や破防、凶器準備集合罪など制定時に人権侵害の危険を野党・人権団体が毎度主張してきましたが、何十年もの経験で実際に過剰運用行為で問題がおきたと聞いたことはありません(司法の場で是正されるので過剰運用ができない仕組みです)。
実務運用を政府や警察、自衛隊その他に委ねない・・やる前から危険がある=違憲だというのでは、すべての法律制度が成り立ちません。
上記の通り破防法等は制定時に不当弾圧に政治利用されるとの批判が有りましたが、実際の運用でそういう問題が起きていないし自衛隊を持てば侵略国家になると大騒ぎでしたがそんな事になっていません。
近代の最初・人権擁護意識高揚期には、裁判でも恣意的事実認定を恐れて証拠法定主義が流行りましたが、一定証拠さえあれば有罪、その証拠がなければ無罪という固定主義は実態に合わないので、すぐに廃止されて現在では自由心証主義になっていることを以前紹介しました。
企業トップであれ政府であれ、結局その任に当たる人をある程度信用するしかない・事後の国会承認等外部チェックを厳しくしていくという常識に落ち着いているのです。
そして今では8割の国民が自衛隊の存在を支持し信用している(と言うことは自衛隊や警察は武力を持っていても違法なことをしないと信用)し、自衛隊違憲・・存在を認めない→信用しないと言う政党は共産党だけになっています。
自衛権行使が現状合憲と思っている大方の国民にとって、その先「どこまで」権限を広げるのが許容範囲かこそが議論のテーマですし世論調査すべき対象です。
集団自衛権という意味不明の概念で違憲かどうかを聞くのではなく、具体的条文を紹介してこの書き方で自国防衛の範囲を超えているかどうかの調査をすべきです。
ある法文言ではABCDの解釈が可能とした場合に、ABCは合憲の範囲内でDの解釈をすれば違憲とした場合、その法律が違憲になるのでしょうか?
もしも本当にD行為が違憲であるならば、その法律の解釈としてはABCの解釈しか許されない・D行為はその法による行為とは言えない・・違法の評価を受けることなるので違憲の法律になる余地がありません。
法そのものが違憲になるのは、その法によって違憲の行為しかできないとき・・ABCDどのような解釈をしても違憲行為しかないときだけですから、ABCならば良いが乱用してDをされるおそれがあるという主張自体がおかしな主張と思われます。
だからこそ戦後次々と「軍靴の音が聞こえてくる」と騒いでいたこと全てが杞憂に終わったのです。
警官に拳銃を持たせると適法使用もあるが個人怨恨で違法使用されたら困るというのと同じで、公務員が違法行為をすることまで心配していたら全ての法律が成り立ちません。
違憲論を合理的に言うならば、この法律があると権限乱用してこういう違憲行為が「できる」という主張でなく、違憲行為「しかできない」とまで言う必要があります。

2項対立7と集団自衛権2

経済協定も同じでスワップもFTAもどこと結ぶと総合的に有利かが判断基準であって自分の負担が増えるのはイヤ・保証しませんとか、相手に「輸入関税を下げろ」と言い、自分は「一切下げません」と言う一方的な契約は成り立ちません。
モノを買えば代金を払うように、人間関係では必ず対価があります。
単独業界の損得だけならば単細胞でも分り易いですが、輸入枠を広げる業界は損をする・輸出の増える業界がトクをする・民族の発展のために将来どの業界を伸ばして行く方が良いかを含めて総合判断になると分り難いのですが、この複雑な総合判断コソが国益を図るために重要です。
ですから部分を取り出して単純な絶叫的議論を仕掛けるのは無理がある・単純化スローガン反応するのは民族の将来を誤ります。
トランプ氏のスローガンである高関税や移民禁止した場合・・雇用を取り戻そうと言いますが、ことは単純ではありません・・服作用を幅広く見ないと大変なことになると言われている所以です。
生命体の維持発展には、日々新陳代謝が必須です。
企業で言えば不得意分野を縮小または切り離して得意分野に特化する選択と集中・リストラクチャリングが必須ですし、個人も不得意分野にこだわらず運動神経のある人はスポーツに特化し、美術才能のある人はその方向へ・・その分英語数学の勉強を減らしてもいいのです・・国家社会も原理が同じです。
生命体はいつも何かを棄てて何か良いもの取り込んで行く・・取り込むべき必要な知識分野・友人知人も入れ変わって行くし、その結果幼児期少年期青年期と変わって行くように、社会や企業・組織体も永続性を図るにはいつも微妙な入れ替えやトキには大きな痛みを伴うドラスチックな入れ変えが必須です。
特に貿易の原理は、お互いに得意なモノを売って不得意な分野を輸入する相互交換関係ですから、個人が得意分野への特化するのと原理は同じですが、輸入拡大で潤う業界と輸入拡大で損をする業界の関係者が違う・・この点が切り離される事業分野・・痛みを伴う企業リストラと原理が似ています。
リストラの場合、社内配置転換(・・いきなり未経験の分野に移れば未熟ですから出世競争から外れてしまうなど縮小方向になった分野担当者には厳しい局面ですが、)で何とか処遇して社内融和を図っています。
同じように縮小して行く業界に働いている人を輸出で拡大する業界にうまく転進させて行くには、どのような政策が良いかこそが政治のテーマであるべきです。
集団自衛権論に戻りますと、議論すべきテーマは相互同盟を結ぶ必要があるかどうかであって、アメリカの戦争に巻き込まれると言う議論は論点がズレています。
自分だけ都合よく守ってもらえないのは当たり前ですから同盟する以上はその対価として、盟主の催す戦争に参加して犬馬の労をとるのは昔から同じです。
それを含めて同盟するかどうかだけであり、同盟国の戦争に巻き込まれるかどうかを議論するのは間違いです。
アメリカのような超大国の場合「孤立してどこからも応援がなくとも良い」と言う唯我独尊が成り立ちますが、軍備の貧弱なクニでは、その分に反比例して、いつでも応援を頼めるようにしておく必要があるのは世界常識ですし個人でも同じです。
個人や企業で言えばいつでも原材料や部品その他の仕入れ可能であれば在庫が減らせるし、これが難しいときには多くの在庫・食糧の備蓄が必要になります。
企業は銀行融資枠が大きければ現金保有残高を減らして有効利用出来るし、国家間ではスワップ協定で相互保証枠が大きければ、自前で外貨準備を蓄積する必要性が減ります。
世界一の純債権国日本にとって外貨のスワップがあってもなくとも大したことがないが、経済基礎の脆弱な国にとっては相保障があるかないかは死活的重要性があるのと同様の関係です。
このように軍備であれ、経済であれ弱小国ほど相互保証の利益が大きいのが原則です。
アメリカの戦争に巻き込まれると言う議論は、アメリカが敗退するような危険な戦争に付き合って日本が滅びるようなリスクがあるかないかの議論では意味があります。
弱小国が強国に攻められていて応援を元米良た場合日本が応援すると強国に一緒に滅ぼされ停止まうような場合にはどうするかの議論が重要です。
今のところ、アメリカの陣営参加しても圧倒的戦力のあるアメリカ軍に対する付き合い程度のリスクしかありません。
まして周辺事態に限定すれば、アメリカと互角に戦える国は中ロしかないのですから、想定されるリスクは対中ロ戦だけです。
この内今のロシアの国力からしていろいろな場面でアメリカと対立をしていてもアメリカと正面からコトを構える自体は想定し難い・・挑戦意欲を示しているのは中国だけです。
しかし、米中が貿易面で利害があっても直接軍事対決発火の可能性は本来ありません。
軍事力行使・火を吹くとしたら、尖閣諸島・南シナ海に絡むことくらいですが、これはアメリカにとってすぐに軍事力行使を必要としない間接的利害でしかないのに対して、日本には直接的死活的利害があって、しかも公船と言う元軍艦を改造した艦船が毎日のように押し寄せている状況で、いつ正式な軍艦が来るかもしれない緊迫状況・・今にも中国による軍事力行使リスクが迫っています。
日中1対1よりはアメリカを巻き込んだ方が有利だから、日本がアメリカにも利害あるとして逆に巻き込もうとしている関係であり、じょうきのとおり、日本が日本近海でアメリカ独自の利害による戦争に巻き込まれるリスクは殆どないでしょう。
唯一のリスクは朝鮮有事の場合ですが、これは元々日米安保がある限り避けられないし元々の朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも日本から米軍が出撃していたものですから、集団自衛権とは関係がないでしょう。
アメリカ有事の際に日本その他弱小国の応援を得ても、早期情報を得るあるいは兵站などの後方支援などで役に立つ程度で本格的主力軍の衝突場面ではアメリカ軍本体の能力次第になります。
これに対してアメリカの5分の一の軍事力の国でも、日本侵攻を始めると日本にとっては死活問題ですから、アメリカの応援があるのとないのとでは桁違いのメリットがあります。
逆に日本有事の際にアメリカの応援がないと亡国の危険があります。
実際にトランプ氏による100%「日米一体」の表現があれば、中国やロシアが日本侵略を計画したり強迫することすら出来ない状態になっています。
日本はアメリカによる日本防衛表明の御陰で数十万規模の人命が損なわれずに済んでいる・・この見返りにどの程度まで犬馬の労をとるべきかも決まって来る関係です。
(折角朴政権が反日を改めたと思っていたら、次の大統領候補者はそろって朴政権以上に反日を煽動するようになっているなど・・今や中韓の強迫は急を告げています)
自国が危険に曝されている程度に応じて、相手国への協力による危険の引き受けの必要性・程度が決まる関係です。
尖閣諸島に連日押し寄せる中国の多数船舶の意気込みを見れば、一旦軍事侵攻が始まり戦端が開かれれば、とても一人や二人の被害程度で追い払えるとは思えません・・。
もしも日本だけでは直ぐに追い払えずに、数千人規模の被害が出て、しかも国土の一部が蹂躙される事態・半年ほどの戦争の結果仮に追い払っても大変な被害です。
やはりアメリカに付き合っておいて・・仮に付き合いの結果数人規模の被害が出てもアメリカの睨みだけで中国やロシアを追い払ってくれている今の方が安上がり・・被害絶対数が少なくて済む気がします。

2項対立6と 集団自衛権

ばい菌の浸透に戻ります。
先進国では(政治資金規正法があるように)何事も不明朗資金利用が許されませんが、実際政治・・マスコミで言えば、情報をとるには領収書の出ない手土産や工作資金その他が必要ですが、そうなるとヤミ資金利用出来る中韓工作員の独壇場・・簡単にマスコミを牛耳り政治を動かせるようになっているようです。
ダーテイ資金をいくらでも出せる国が、国際政治を裏で操れる変な結果・社会になっています。
このトガメが出て来たのがオリンピック委員会などのスポーツ組織・・国連の各委員会ではないでしょうか?
国内では真偽不明ですが、パチンコ業界が巨額のアングラマネー供給源になっていて、出所不明資金の必要な?政界に影響力を行使しているとも噂されています。
現在の世界的話題では、トランプ氏がプーチンに秘密を握られていると言う噂と選挙結果を左右するべく様々な情報操作がロシア政府によって行なわれたとも言われています。
現在進行中のフランス大統領選でも同じことが危惧されています。
2月24日午前のmsnニュースからです。
毎日新聞14時間前
【パリ賀有勇】4~5月のフランス大統領選(2回投票制)を巡り、超党派の市民運動を率いて出馬するマクロン前経済相の陣営が、ロシアからサイバー攻撃を受けたと非難するなど、米大統領選で介入が指摘されたロシアに対する懸念が強まっている。」
従来から政敵を追い落とすために怪文書情報流布が行なわれていましたが、今度は根拠なきネット情報の拡散ですから道具立てが現在的になっただけで手法としては同じです。
ただ怪文書は紙媒体でしかもマスメデイアが相手にしないチラシ配布の手作業でしたから配布先数も限られていましたが、ネット拡散では、元々政治無関心層も簡単に目にし、刺激を受ける・・広がりが半端ではないので、これが煽動に乗り易い大衆を巻き込む大きなネルギーになると◯◯旋風の言動力になります。
極右と言われるルペンだったかもう1つの極右団体だったかはっきり覚えていませんが、公式にロシア系の資金団体が名を連ねているともいつかの日経新聞記事で読んだ記憶です。
ソモソモ何を持って極右と言うのか全く不明・・マスコミの一方的色づけ・レッテル貼り報道自体が偏っていることを書いたことがあります。
民族主義者を極右と言うのかも知れませんが、英語で「◯◯ファースト」と言うようになって分りよくなって来ましたが、小池知事の政治姿勢に関して数日前に書きましたが、外国や他所の自治体のために働く政治家はいないので、全て◯◯ファーストに決まっています・・。
都政も国政も◯◯ファーストに決まっていますし、誰もが平和を守りたいのは変わりませんが、軍備不要論だけが平和主義のようなマスコミの刷り込みは間違い・・誤導というべきで、慰安婦騒動も朝日新聞の意図的?誤導に始まりました・・平和論では平和を如何にして確保するかの方法論コソが重要ですし、民族主義・・国益を露骨に要求すると単細胞には分りよいですが、多様な利害を含めた複雑交渉能力こそが、真の国益擁護の決め手になるとトランプ政治に関して連載して来ました。
方法論なしの結果だけの単純主張勢力・・複雑な利害調整し如何にして国益や自治体利益を実現するかの複雑経路の戦略がなくて、平和を守れとか・◯◯ファーストと言う結果だけ強調すれば平和主義者や愛国者・民族主義者と言う仕分けをしているようにみえます。
単純主張に同調しないと、軍国主義者や売国奴になってしまう変な切り分けです。
この傾向は何でも「人権を守れ」と言って反対すれば、正義の味方になるような風潮の醸成も同じです。
低レベル国民に訴求するのに便利だからか、マスコミ報道の仕方はレッテル貼り・・2択的分類・単純化し過ぎる傾向があります。
この単純化の方向を見ると中韓系利益擁護には有利に、反中韓系に不利に単純化する傾向が見えます。
最近、欧米の◯◯ファーストを持ち上げるようになったのは、ロシアにとっては◯◯ファースト政党を支持すれば、ロシア制裁に消極化すると言う読みなのでしょうか?
多角的協定や連帯は、自国に一定の不利なことでも引き受けることを前提にしていますが、(例えば軍事同盟すれば、自国が攻撃されていないのに応援に行き、犠牲を払うのがその典型です)◯◯ファースト主義とは付き合いで目先の割を食わない方が良いと言う主張ですから、トランプ流の1対1の目に見える損得だけが基準になります。
欧州諸国でも◯◯ファースト主義政権にドンドン変わって行けば、独仏にとっては欧州の辺境のウクライナ・リトアニアやポーランドはどうなってもいい・・アメリカンファーストではアジアでは金を出さない限り日本の面倒を見てられないと言う方向になりますから、ロシアや中国が◯◯ファースト主義のトランプを応援していた理由です。
これを引き戻したのが安倍総理のトランプ氏との2月11日ころの会談でした。
要は多角的利害の損得まで頭の回らないレベル・・低レベル大衆に訴える社会のことです。
日本でも日米安保・集団自衛権反対論者は、アメリカの戦争に巻き込まれると言い、一人でも負傷者が出たらどうするのだと言います。
ソマリア、スーダン(日米安保によるのではなく国連軍派遣ですが・・)その他に付き合いで1〜2個中隊レベルの派遣して仮に数人以上の犠牲が出たとしても、日本有事の死活的状況で放っておけば何万と言う犠牲の出る可能性が起きてもどこも応援してくれないのと、日頃の付き合いの御陰でイザとなれば、その何百倍もの応援してくれるのとどちらがトクかの判断がつかないレベルです。
この種の議論は一人でも怪我しないかとかその危険がないかがテーマはなく、自国が危険に瀕したときに応援してくれる国かどうか・その国と同盟していてイザと言うときに応援してもらったら、仮想敵が退散するほど強いクニかどうかのチェックでしょう。
中世のいわゆる「頼うだる人」と決めたら・その人(主人)に忠義を尽くす・・「危険なら行きません」と言うならば、自分が危険なときに助けてくれとは言えません・・。
元々武士団・・系列化の進行は、自衛武士団だけでは荘園を守り切れないときに近隣から応援を頼む相互関係から始まったと思われます。
城は、一定時間で応援が来る前提の時間稼ぎの備えであって、応援の予定がない篭城は意味がない・・いつかは食糧切れなどで負けてしまいます。
日米戦の敗因は、どこかで「水入にしてくれる」仲裁役を用意出来なかったことにあります。
ソ連を当てにしていて土壇場で裏切られた・・本当は信用していなかったでしょうが利用出来る国はソ連しかなかった・・準備不足だったことは周知のとおりです。
相互応援関係→自分が襲われていなくとも応援に駆けつけて戦闘参加するのは当然・・「怪我のリスクがあるからイヤだ」などと言っていては、相互防衛関係は成り立ちません。
集団自衛権の可否の議論で必要なテーマは「Aと結ぶとどう言うマイナスがあって、どう言うプラスがあるか」が、判断基準であって、何事も自分は「 舌を出すのもイヤ」と言うのでは契約・・友人関係でも成り立ちません。

憲法改正・変遷3(自衛権肯定・砂川事件判決2)

憲法解釈は制定した占領軍の意向によるのではなく、「日本国民のための憲法である以上は国民意思によるべし」とした場合、違憲状態か否かの憲法解釈は、国民意識がどこにあるか・・意識変化の認定が必要ですので夫婦同姓制度が違憲か、非嫡出子の差別が許されるかの判断には昨日大法廷決定文を紹介したように、判定には数十年の経過を見る必要があります。
12月18日に紹介したチャタレー事件で言えば、その当時ではその程度の表現(伊藤整氏の翻訳文表現)でも「猥褻」と言う社会意識があったとしても、今では猥褻とは言わない程度の表現だと言う常識になっています。
憲法9条の解釈変更の必要性も、国民のための憲法・・日本国の安全保障の必要性を認定する以上は、じっくりと国際情勢の変遷と近い将来の環境条件を見極める必要があることは論を俟ちません。
敗戦直後の国際情勢・・アメリカの庇護の元にあれば、国際信義を信頼する非武装平和論も一定の合理性がありました。
朝鮮戦争直後にはアメリカによる庇護が必要となったのと日本の自衛権を認める必要があって自主防衛権と安保条約が(統治行為論によって)砂川事件判決で事実上合憲となりました。
野党や左翼系学者は憲法の文言通り理解して自衛権すらない・・非武装平和しかない・・戦争が起きれば非武装中立しかない・・武装したり、特定国と組すれば戦争に巻き込まれると言う意見に固執していた・・現在の集団自衛権反対論も同工異曲・・駆けつけ警護すればよその国同士の紛争に巻き込まれると言う意見ですが、日本に中国やソ連が攻めて来た場合、あるいは韓国による竹島占領の場合、日本は当事者であって、「中立」と言う概念自体成り立ちません。
彼らの論理によれば領土占領されたらそのまま認めるしかない・・竹島占領に連動して、これを無視して近づいた日本漁民が拿捕・殺されても?国民の生命・安全を守る必要がないと言う結果になります。
野党的理解によればこのような非道な憲法を無効と解釈をするしかなくなるのですが、これにも反対し、いわゆる護憲運動の主体になりながら、同時に自主軍備反対論を展開していたことになります。
強制されたか否かを声高に議論する・・空中論争にこだわっているとモノゴトが解決しないのが普通ですから、国民主権・・国民のための憲法に適合させるために、(制定した占領軍の意向を解釈基準にせずに)現在日本の社会実態・社会の意識に合うように静かに変容しながら合憲解釈して行くのが、合理的であり成熟した大人の智恵と言うべきでしょう。
自衛権すら認めないような憲法文言規定通りの解釈では実際無理があるので、これを異民族の強制によることを理由に無効とせずに、自主防衛は出来ると解釈変更して来た(解釈合憲)のが、最高裁砂川事件判決でした。
12月15日には引用が長くなり過ぎるので統治行為論しか紹介していませんでしたが、統治行為論の直前段落に「平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」ことがはっきりと認定されていますので、この部分を引用しておきます。
昭和34年(あ)七710号
同12月16日大法廷判決
理由
1.先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。・・・9条1項においては・・・戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
・・・すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。・・・・・
2.次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
3・・(15日引用したとおり統治行為論の展開です・・稲垣)

以上のように国際情勢に応じて立法府の裁量により相互防衛条約も許されることはこの大法廷判決で確定していることになります。
中国の台頭によるサラなる国際情勢変化に応じて、国際情勢の把握・・どの程度の軍備あるいはどこと相互防衛条約を結ぶか・・集団自衛権が必要かは正に司法権が認定する能力を超えています。
国際情勢は時々刻々に変わる性質のものですが(2015年11月24日トルコ軍機のロシア軍機撃墜事件などは直前まで誰も想定していなかったでしょう・・)司法権は、冒頭に書いたように大事件では、10年ほど掛けて過去の事実調査・認定して結論を出す仕組みですから、近い将来の可能性を判断するようになっていません。
損害賠償、契約金請求、刑事事件、その他全ての訴訟事件は過去の出来事の認定によっています。
原発訴訟等各種行政行為が裁判対象になっていてマスコミが如何にもこれらが日本国に必要かが裁判対象になっているかのように報道しますが、立地等に関する過去の許認可手続に裁量権の逸脱があるかの手続内容を争うのが普通で、将来の必要性決定は民意を受けた政治家固有の直観的判断分野であって、司法権は分りません。
この意味でも将来の国家の安全をどうすべきかと言う・・防衛条約の最終決定権限を司法が持つことを期待すること自体、無理があります。
※12月25日日経朝刊には高浜原発差し止め訴訟判決が出ましたので、追記になります。
手続に瑕疵があるかだけの判断に対して、原告団は裁判所の意見がでていないと落胆?していますが、学会総意で決めた政府基準そのものの批判を期待するのは間違いです・・ソモソモ裁判は手続瑕疵の有無を判断するだけあって、地震想定基準がどこにあるべきかなど科学者でさえいろんな意見があって言い切れないことに、素人の裁判所が超越的判断するようなことは越権であってありえないことです。
その意味で、先行した仮処分判断自体がおかしかった・・裁判の常道を踏み外していた・・今回の判断が妥当と言う意見を書いている学者意見も併記されています。
マスコミもマトモになって来たようです。
以上が平和条約の有効性など高度な政治判断の必要な行為に対する司法の謙抑・・統治行為論を正当化する原理です。
なお、これから始まる普天間基地の移設工事に対する沖縄県知事による法廷闘争も、基地が必要か、どこにあるべきかの政治議論ではなく、手続瑕疵を巡る・・揚げ足取り目的の争いになりますから、政治家の本分である政策論争を放棄したことになる・・政策論争に負けた方が法廷闘争に持ち込むのは、社会党以来使い古された時間稼ぎの手法ですから、一種のリング外・場外乱闘行為であって、政治家の職務法規と見られてしまうでしょう。
民主主義国家においては少しでも良い結果が得られるように、政治家や学者など幅広い健全な言論空間・・訴訟でも充分な反論権の保障が必要ですが、選挙制度が完備していて、・・・ボトムアップ社会の日本では選挙制度施行以前からテーマごとに根回しが行なわれていて民意の充分な把握が行なわれています・・言論戦を尽くした以上は、その結果に従い反対論者も速やかな政策発動に協力すべきです。

非武装平和論5と集団自衛権反対論3

日本が中韓に支配される場合の状況は米軍に支配されたときとは比較にならないほどの屈辱・隷属状態が待っていることは明らかです。
今のところ、中国国内の支配民族である漢民族自体が独裁政権下で言論の自由もない大変な生活ですし、支配民族自体が過酷な状況におかれている場合、隷属民族は更に悲惨な状況になるのは目に見えています。
モンゴルやチベット・ウイグル族(表に出ませんが旧満州族は異民族であることすら表明出来ない程悲惨らしいです)の抑圧されている状況を見ると、日本が周辺に友好国を作って同盟を組んでイザと言うときに応援してくれる状況を作る必要があることは明らかです。
非武装平和論者の意見によれば、→戦わずして中韓に隷属する・・中韓の支配下に入ることを目指しているのか、全く理解出来ません。
非武装平和論=敵が攻めて来たときには必ずしも戦わずして中韓の支配下に入ることを予定しないと言う反論があるでしょうが、仮にソモソモ中韓を敵にしないように外交努力すれば良いというのでは答えになっていません。
もしも平和交渉を尽くしても戦わざるを得なくなったときに、どうするかが武装OR非武装論の違いだからです。
サイバーテロ事件が起きると、日本のマスコミによる嬉々とした報道ぶりを見ると、中国とタッグを組んで、「日本社会で不安を煽る目的・・データ利用社会化の進展を妨害したい・・アワよく行けば政権批判が高まって安倍政権退陣に多い込めれば儲けもの・・意図がありあり」と言う・・邪推意見が信憑性を持ってきます。
韓国の朴政権はもはや既に中国の支配下に入ったつもりで、その御先棒をかつぐ意思を明らかにしています。
言わば元寇・・蒙古来襲時の先陣・主力を務めた高麗軍の役割を想定しているのでしょう。
ですから、今回の集団自衛権に関連する安保法制の国会決議に対して、韓国議会は直ちに反対決議をしているとどこかで読んだ記憶があるのですが、今になると記事が見当たりません・・いずれにせよ公式に反対・・内政干渉している国は中韓と北朝鮮だけだそうですが・・。
日本がアメリカと相互に助け合うのが何故中韓がいやなのか・・マルで意味不明です。
いやがっている国々が、真の侵略目的関係国を表しています。
侵略する気がなければ日本が自国防衛強化するのを嫌がる理由がないからです。
2014/11/26「政治と受益者2」その他で書いたように政治行動と言うのはどこかの利害代表であることは間違いがないのですが、集団自衛権反対勢力は国内の?どこの利害を代表しているのでしょうか?
本気で非武装のママであるいは自衛軍があっても及ばないときに友好国に助けてもらわないで、敵が攻めて来たら相手の言いなりになる方が良いと言う意見は国内では皆無のような気がしますが・・。
憲法違反と言われると、難しいことは分らないと言う人が増えているだけではないでしょうか?
何回も書くように新しい制度設計に関しては、政治選択としては、国益上必要かどうか先ず判断して、必要があっても憲法や法律に抵触するならば、現行法で若干の不都合があるが、まだ改正しなくても良い場合もありますから、憲法や法律の改正をするほどの必要性があるかの議論となり、改正してでも現行法を変える必要があるとなれば、次にその賛否を問う順序が合理的です。
必要性の有無の議論よりも、先に憲法に反するかどうかの議論をして、(強行採決=立憲主義反のキャンペイン同様に議論もそれほどしないで、頭から「憲法違反を許さない」と言う大合唱です)一方的に議論封じをするのは邪道・・民主的言論封殺行為です。
法改正論や新立法案は、現行法ではどうにもならない・・限界があって、対応しようとすれば、法律違反になるから改正したり新立法を作ろうとするものです。
ですから新規立法は現行法に違反しているかと言うテーマで議論すれば、現行法では間に合わないから改正したり新立法が必要と言う以上は、普通は現行法に違反しているに決まっています。
現行法で間に合う・・適法ならば、新規立法や改正して列挙事項を増やしたりする必要がないのですから、入り口で法律違反だから改正や新法案を認めない主張は論理矛盾です。
立法政策に対して、内容実質の議論を拒否して憲法や法律違反を許さないと言う意見を先にするのでは、ソモソモ社会の変化に対応した各種法律改正論議自体が成り立ちません。
こう言う主張を平然とする政党は、国会で法律制定や憲法改正の是非を議論する代議士としての資格がないのではないでしょうか?
こう言う目的で・・社会変化に対応すべきどんな法律案にも反対することを目的に国会議員になっていること自体が、憲法が予定している・・立法府・国会の存在意義を踏みにじるもので憲法違反の存在です。
現行(憲法)法に反する法案には議論さえしないと言う立場は、社会変化対応に全て反対すると言う基本精神を示していることになります。
(旧社会党は何でも反対の社会党と言われていました)
言わば変化に合わせて次々と法制定をする・・社会的不適合があれば憲法改正をも提案するべき国会の存在意義を否定する・・彼らこそ反憲法論者です。
これまで公害。防犯カメラコンピューター化その他で繰り返して書いてきましたが、戦後一貫して左翼系文化人は、日本社会変化対応に何であれ反対して来た点を今回の安保法制反対運動の仕方にも見ることが出来ます。

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