婚姻費用分担と財産分与 1

11月26日に書いたように何十世代にもわたって同一地域内・・隣接集落を巻き込んだ一定規模の範囲で婚姻を繰り返していれば、遠くをさかのぼれば近隣の人はみんな親族ですから、近隣=先祖をさかのぼれは親族ですから、満蒙開拓団であれ北海道の屯田兵であれ,郷里を同じくし,あるいはもとの家臣団で団を編成して向かえば助け合いに便利だったのです。
都市への移動が盛んになり近隣住民相互扶助や親族共同体崩壊に比例して、核家族構成員だけでは賄いきれない出産や冠婚葬祭・病人の看護に関しては家庭(主として女性の助け合い)に委ねられなくなったので、産院・病院の施設充実(完全看護化)が早くから進み、ついで託児所や保育所が充実し、最近では精神面の援助をする子育て支援センター等も充実して来ました。
子育て支援の経済的側面に限っては、社会化が容易に進まない(国にそこまでの経済力がなかった)ことから、婚姻中の経済的負担を夫に対して法的に強制することにしたのが、婚姻費用分担制度であり離婚後もその延長で責任を求めるのが養育料支払義務制度であると私は理解しています。
養育料となれば赤ちゃんの生活費だけ払えば良いかと誤解する人がいるでしょうが,赤ちゃんを育てるために掛かりっきりになっている母親が働けないので,その生活費も面倒を見ることになるのは当然です。
企業が解雇後の失業者の生活費について一定期間責任を持つために雇用期間中から失業保険料の負担をしているのも同じ精神構造でしょう。
このコラムでは養育料支払の関心から議論が入ってきたので、書く順序が逆になっていますが、貨幣経済化の進展によって婚姻費用分担・・要は家族構成員の生活費を誰が責任を持って見るべきかの問題意識が生じて来て、その思考の延長として離婚後も養育料を負担すべきだとなって来たものです。
離婚後の配偶者に対する生活保障は離婚した当事者には本来関係がない筈ですが、元々社会保障不足分を補うために婚姻費用分担義務を創設したとすれば、その延長で離婚後の後始末として母子の生活費を別れた夫にも分担させるようになったのは勢いの赴くところと言うものでしょう。
離婚時の財産分与の内容は、今でこそ夫婦形成財産の分割・清算と理解されていますが,当時は慰藉料や離婚後の母子の生活保障万般を含んだものであると言うのが、司法試験を勉強した頃の学説判例でした。
事務所に行けば勿論本がありますが、面倒(何回も書きますがこれは正式論文ではなく思いつきを自宅でヒマな時に書いているコラム)なので,ネットで調べてみたところ、以下の住所の「法律用語の豆知識」では以下の通り解説されていましたので、今(この検索した11月30日時点)でも公式にはこのように言われているのでしょう。
(次回に書くように私の実務経験では大分前から経済実態が変わってしまい、・・我々実務運用でも意味が変わっていると思っていたのでこのような解説がネット上で現存しているのには驚きました)

http://www.kkin-en.net/houritu/x84-5.html
財産分与請求権

「離婚した一方の者は、相手方に財産分与を請求できます。財産分与請求権の性質としては、夫婦共同生活中の共有財産の清算が中心的で、離婚後の扶養の要素も含まれていると解されています」

婚姻率低下3

   

何ごとでも頂点は下り坂の始まりですが、現在の女性の地位が頂点かどうか分りませんが、男性の方から見れば妻による家庭サービスが低下して行き、逆に自分が家に帰ってからサービスを受けるよりはサービスする方に回るしかなくなってくると、古代以来連綿と家庭サービスを期待して来た結婚のメリットが大幅に減少して来ました 。
女性の社会進出によって、男性の収入が一家を養えないほど減少して来たとは言っても、今でも自分一人だけ食うには十分ですから、結婚しないで一人で好きなように使った方が気楽で良い・・あるいは子供を産まない結婚生活が良いと言う楽な方に流れる傾向が出てくるのは必然です 。
しかも妻からの要求によっては簡単に離婚が認められる・・離婚率が高まっている現在、そもそも何のために結婚するのかの疑問が生じて来て、初めっから結婚しない選択肢が増えて来ます 。
現在の男女関係では友人関係に毛の生えた程度の浅い・緩やかな関係が好まれるようになったのは、こうした下敷きがあるからです 。
あるいは結婚しても友人関係の域を出ない・・飽くまで子供を産まないカップルも増えて来ています 。
身近な若手弁護士の世界で見ると夫婦ともにそれぞれの事務所で夜の10時11時ころまで働くのが普通で、それぞれの事務所の仲間と夕食をとり、(夫婦で食べるのはすぐ近くのビルの事務所勤務の場合でも時間調整があるので不便です・・それで週1〜2くらいがやっとになるのでしょう)お互いに好きな時間に家に帰るような印象(正確には観察していませんので)になっています 。
30年ほど前に世間を騒がした千葉大女医殺人事件のときに報道された彼らの行動形態も似たようなもので、夜中に奥さんが千葉大の研究室に向かって出て行く生活実態があってその前後の殺人事件でした 。
このように双方専門家の場合、夜昼なく働くので、夫婦と言っても何のための夫婦生活か不明・・・婚姻制度を子を産むための装置とすれば・・小中学生のトイレ友達のような程度・・あるいは異性間のルームシェアーの域を出ない関係に陥っていることが多いのです 。
最近相談に来ている事例はいずれも、子供が生まれたり妊娠した後に夫が妻をアパートに残して実家に帰ってしまった等で生活が出来なくなって妻の方も実家に帰った事例です 。
子が生まれて窮屈な生活になるくらいなら失業した方がマシだと言うのでしょうか、現在相談中の2例とも夫はさっさと勤務先を退職してしまい無職だから、何も払うものはないと言う開き直りです 。
現在の若者では、男の方では、子供生むのは予定外と言うかダブルインカムの気楽な関係が崩壊して自分の収入を妻にとられてしまうのが叶わない、それに加えて今まで夜中に帰っても良かったのに今後は家庭サービスまで要求されるようになるのはたまらないと言う現金な結論から出ている感じです 。

婚姻率低下2

今のところ夫が家庭内で気持ちよくして行くためには、子どもを可愛がって女性に尽くすしかないのですが、それ自体女性のご機嫌取りに過ぎず、如何に子供を可愛がってもそれは母親に叶うものではないし家庭内ではどうあがいても意味のない競争ですから、言うならば力学的には全面降伏状態です 。
全面降伏の証しとして相手(女性)の大事なもの(子供)を大切にしているようなものですから、全面降伏に納得出来ない男は単純に逃げ出す・・離婚しかないのですが、その場合でも養育料請求権がついて回ります 。
現在の風潮下では母子に対する公的支援制度が完備して行く一方で、他方では一般的には夫の家庭サービスは良くなって行く一方である上に、他方で姑との同居もなくなって更には介護も自分でしなくていいことから、現在の結婚・家族制度は女性・子供にとって歴史上最も居心地の良いものになっていることになります 。
他方で、3食昼寝付きと揶揄されたこともあって、女性が外に働きに出ることになったことから、夜帰ってからも女性には家事・育児労働が待っているので、女性の忙しさは半端なものではありません 。
しかも子育てについて親族や近隣の応援が得られないことから、その分だけ負担が重くなっています 。
このために従来に増して、夫への家事・育児労働への参加が求められるようになって来たのは、自然の勢い・・仕方のないことです 。
女性の地位向上=貨幣獲得能力を得るために外に働きに出ることが奨励されて来たのですが、これはせっかく女性が築き上げて来たジェンダーの否定に繋がることは明らかです 。
女性は古代から時間をかけて子を産む性として特化・・専念するために、オスを定着させて、生活費を稼ぎ貢がせる仕組みを作り上げて来たのですが、このジェンダーの否定は結果的にオスに対する家庭維持費の負担を削減・否定することに繋がらざるを得ません 。
女性の社会進出と言ってもまだ道半ばで、母一人で子供を育てるほど稼げる人は一握りに過ぎません 。
多くは、高給取りと言ってもようやく一人生きて行くのに恥をかかない程度がやっとで、家族全部を養う・・夫を家事専業にするには足りないでしょう 。
こういう状態で、外で働くようになった女性が従来通り育児全部を担っていると身体が持たないので、夫にも家事育児の分担を押し付けるあるいは家事育児等の協力を求めるのが普通になって来ます 。
夫の方も自分一人の収入では家族を養えなくなっているので仕方がないとも言えますが、こうした動きには元々家庭維持の必要性に関する誤解があります 。
オスにとっては古代以降メスに飼い馴らされて家庭の居心地が良いから家庭に定着しているだけであって、基本性質は放浪ですから自分の収入が少なかろうと家で自分がサービスをする方に回ると違和感が出て来ます 。

婚姻制度の崩壊

しかし、放浪を本来とするオスの行動として見直せば、手厚いサービスを受けられるので、嬉しくなって家に帰って来ていたのであって、自分がサービスをするためにオスが家に帰るのではありません。
長い時代を経てオスにとってこのサービスを受けるのが必須のように刷り込まれて来たので、多くの男性だけでなくその裏返しで女性もなお、「ひとりで食べるのはわびしい」とか言って、結婚願望は簡単にはなくならないでしょう。
一人では寂しいとしても、それの解消策としては結婚にこだわる理由がありませんから、これに代わる人間関係が発達してくる筈です。
適齢期男性にとっては、両親が健在で面倒見てくれているので家庭サービスに不自由がありませんし、その他多様な交際の仕方が広がって来ますから、今のところ、重たい結婚関係に入るのをためらってデート相手くらいで済ましたい人が増えて来て、それ以上に進みたくない男性が多くなって来ているようです。
これからは、男女ともに異性とつきあう・・デートする必要性すら感じない人が増えて来ているような感触です。
女性は性関係に進む・・子供を産み育てるためにこそ、デート時期から男性に対して下手に出てニッコリ微笑むメリットがあるのですが、どうせ性関係に進んでも相手が子を産みたくないとするならば、そこまでサービスする必要性がありません。
デートしていても、腰が引けた関係になりがちです。
それでも、今のところ女性が下手に出る習慣が残っているので、子を産む方向へ進む訳でもないのにデートするには気を使うしかないのですが、そんなことならば女性同士で遊んでいる方が自分だけ一方的なサービスしなくて良い対等な関係で済みます。
今では御馳走してしてくれなくとも自前の収入もあるし・・・気楽で良いと言う人が多くなるでしょう。
現に中高年では、独身既婚者を問わず女性同士のグループでの旅行・食事会・観劇その他が盛んですが、もはや異性と食事等をして気を使っても、もう一度子育てのチャンスもないから無駄なことだと割り切っているからではないでしょうか?
夫以外の異性との交際をしなくとも夫婦で楽しめば良いのですが、子育て期間中に嫌っと言うほどサービスをしているのでこれ以上のサービスは御免ですと言う人(熟年離婚予備軍)の集まりでもあるかも知れません。
若い女性も外食費や旅費の負担は自分で出来る経済力を持っている時代ですし、しかも結婚を前提にしないとなれば同性以上に気を使わねばならない男性と一緒に行動したくなくなるでしょう。
とは言うものの私にはよくわからないのですが、別に結婚予定がなくとも・・生殖能力が衰えても異性と一緒にいるだけで楽しい人が多いと思いますが、それは優しくサービスを受けるメリットのある男だけのことでしょうか?
別にサービス受ける予定のない行くずりの女性・・同じ電車に乗り合わせた時にどこの誰か分らないし、今後二度と合うことがないと思えても美人・チャーミングな人がいると、ついそちらに目が向くものですが・・これは何によるのでしょう?
将来どんなチャンスがあるかもしれないので、万一の可能性に掛けて念のために目に入れておこうとするオスの本能が残っているだけでしょうか?
女性の気持ちはよく分りませんが、男性同様に結婚していても異性(特にイケメン)がいれば気になるのは同じではないでしょうか?
女性だって、もしもの場合があり得るのは同じですので、結婚していてもあるいは子育てが終わっていてもいつも淑やかそうにして注目を集めておく必要を感じているのでしょう。
女性にとっては、異性を大事にするのは何万年もの時間をかけて種の継続のために植え付けられた習慣にすぎないのであって、種の継続・結婚と関係がなくなれば、男性にサービスする習慣・・控えめで優しい物腰態度はメッキのはげるように雲散霧消して行くものかもしれません。

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