巨額交付金と事前準備3

放射能漏れ事故が起きれば、それによる損害賠償は東電が発生源として全部負担すべきは当然としても、これまで書いて来た原発立地に対する巨額補償金支払根拠は、何らかの被害があり得ることを前提とした迷惑料がその本質ですから、実質的には損害賠償金の事前支払(の内金か全額前払いかは別として)と解釈することも可能です。
迷惑料として貰った市町村では、迷惑料を要求して来た以上は、ある程度の危機管理を準備するための費用に支出したり、放射能汚染によってどのような被害が出るか予め研究したり出荷停止や風評被害や避難費用等(その間の収入減も含めて)に充てるために予めプールしておくべき性質の資金です。
比喩的に言えば危険施設だからと言って地主が高額の地代・権利金を貰って特定施設に貸していたところ、爆発などで隣接する地主の家だけではなく近隣住民の家が壊れ、有害ガスの拡散等で避難等の被害が起きれば、地主が近隣の人々に謝って歩くだけではなく、(高額地代を貰っていたうちの何割かを道義的には還元)するのが常識です。
地主の家が壊れたからと言って泣き言を言われても白けてしまい、誰も同情する気にならないでしょう。
迷惑料を貰った代わりに毎日イヤなにおいを嗅がされて来たり、空気の汚れあるいは騒音に悩まされていたと言うならば、日々発生している継続的被害に対してその迷惑料を逐次充当し,避難費用までは用意しなくともいいでしょう。
原発立地の場合には、日々具体的な被害がなく、(むしろ雇用創出・道路港湾整備など日常生活で言えば有益な面が多いでしょう)将来大事故があったら大損害になるかも知れない・・心配に対する迷惑料・前払い費用に過ぎません。
そうとすれば、巨額資金をもらっていた自治体では貰った迷惑料全部とは言わないまでもその一部でも使ってイザと言うときの避難先の検討・準備や避難候補地の土地取得や施設整備・相手方・・近隣市町村や県との協定整備や関連業界等への補助金などに当てて、イザとなったときに住民が混乱しないように予め避難先やその手順を周知したり、万全の準備をすることによって住民の不安を薄める努力をすべきだったことになります。
避難先もバカの一つ覚えのように体育館の床にゴロ寝ではなく、もっと長期避難に備えて避難施設を工夫することだってある筈です。
今の避難先としての体育館は集中豪雨などの一過性の避難・・一夜明ければ家に帰れる事態を前提としているのですが、放射能漏れの場合には年単位になる事態は容易に想定されるのに体育館に行かせる今の行政は、事前検討をまるでしていなかったことを証明しています。
啓蒙活動があれば、住民自身が事前に心の準備ができますので、公的避難先に(工夫があったとしても公的なものは概ね味気ないものです・・)頼らなくとも、もうちょっと潤いのあるプラスアルファの避難先を個人的に用意しておく心構えの出来る人も増えていたでしょう。
公的老人ホームが発達するともっとランク上の有料老人ホームが出来るのと同じです。
きめ細かい準備や指導・啓蒙活動があれば、最愛のペットと生き別れになるような悲惨な事態は防げたことになります。
ペット同伴可の避難先を準備・・予約しておくとか、仮に預けるにしても公的機関では檻の中ですが、(自分が何ケ月も檻に入れられた場合を想定すれば分りますが、)自分で事前にペット仲間に頼んでおけば行く先で(少しのお礼で小さ檻などに入れられず)預け先の子(犬)と同じように大事にして貰えます。
(保健所などに頼ると公的費用がかさむのですが、この無駄な出費を防げます)
ところが、貰っていた交付金の殆どを(原発関連の被害対策や準備費用に使わずに)無駄(文化ホールなど)に使ってしまい、事故のあるたびに政府に災害補償金を求めたり借金の棒引きなどを求めるのは、迷惑料の二重取りの疑いがあります。
迷惑料とは被害が具体体に生じない前段階の解決金であって、具体的な被害が出れば話は別だと言うのが正しい法律論かも知れませんが・・・。
一基当たり着工後20年間だけで約900億円弱の迷惑料ですから今回の福島第一原発は1号機から6号機まであるので、立地周辺自治体には、電源3法による補助金だけで5400億円前後(年平均270億円)も出ている計算です。
(ただし出力135万キロワットを基準とする計算式・・福島は初期なので出力がもっと低い点は考慮する必要がありますが、標準的交付基準しか今のところ私には分りませんので、標準形で交付された場合として6月9日以来書いていますので、正確ではないことに注意して下さい)
40年間以上貰い続けていれば・・・もっと多いのですが20年分しか交付金の例が出ていないので、運転開始後10経過後にどの程度の額が出ているのか分りません・・加えて電源三法による交付金の外に6月9に紹介したように特別措置法による数字の見え難い追加補助が2003年以降始まっています。
原発に金がかかるのを隠すためにここ20年以上前から分り難くくしているのかも知れません。

巨額交付金と事前準備2

ペットの受け入れ先を用意していない緊急避難命令のためにペットや牛・家畜と生き別れになった悲しい風景を多く報道されていますが、これなどは事前準備・・想定があればある程度解決出来た筈です
この種の事前準備や計画立案と住民への周知には、何千億と言う巨額資金は要りません。
前回紹介したように巨額資金を受け取っている以上は、イザとなった時に一定期間避難をしてお世話になる近隣市町村・・あるいは近隣の県に対して、それなりのお礼をするために一定の資金を予備費としてとっておくくらいの準備をしておくべきだったのではないでしょうか?
あるいは一定距離にあるところの病院や体育館建設費や老人ホーム建設費の何割かを負担しておいて、イザとなれば、一定期間無償で避難先・臨時役場などとしてとして使えるような協定をしておくのも一方法です。
何しろ放射能飛散事故の場合は、一過性の集中豪雨と違って避難期間が長期化し、町村住民全員一斉避難が予想されるのですから、この受け入れ先くらいはいくつか候補地を決めておいて、それなりの投資をしておくべきです。
各個々人・・個人的には自分が病気入院したら娘夫婦にペットの世話を頼むなどの心づもりはあったでしょうが、今回のように半径20〜30km一律避難となれば、近くに住む身内に頼んだのでは間に合いません。
10キロ圏内避難のときは何km先の(牛や豚鶏その他種類ごとの)同業者と提携しておく、20k圏のときはどこそこ、30キロ圏の時にはどこと順次行政主導で予約しておけば良いことです。
見知らぬ遠隔地との組み合わせに対して個人的に決めて行くのは困難であるとすれば県市町村がその枠組み造りに協力するなど長い時間を掛けて準備・協力して行くべきです。
家畜に限らず、病院や老人ホーム・介護施設その他いろんな設備・業界・業種・業界団体ごとに、何十km先の受け入れ先など決めておけば今回のような混乱は起きなかった筈です。
引受先に対する受け入れ費用については業界ごとに一頭当たり、一日いくらと決めておいて、そのための資金は業界ごとにプールして行く・・保険制度も発達するなど事前にやる気があればいくらでもすることがあった筈です。
この避難受け入れに対する費用は今の世論を前提にすれば、被害発生源である東電が負担することになりますが、「あってはならない」ことでも予測して準備しておく必要があるとすれば、東電も予め受け入れ先との具体的価格交渉をしておけるので、費用予測が簡単となります。
保険制度が発達すれば、事故車の修理前に保険屋の査定が介在するように、避難先の設備や費用も保険会社が介在して合理的に決めて行く時代が来ていたかも知れません。
これを損害予定準備金として計上し、保険を利用すれば、大方の被害弁償に間に合うので、株価大暴落も避けられます。
(この準備金の積み立ては決算上は毎年計上することになりますが、事故は何十年に一回しか起きないので、前年度分をそのまま繰り越して行けるので、一度だけ計上すればその後の資金は不要になります。
(あるいは予想外の大事故によって準備金で不足する場合に備えて毎年1割ずつ積み増して行くのも一方法ですが・・・いずれにせよ予測可能性の範囲内・・・少しくらいずれても株価大暴落を防げるでしょう)
現在では「あってはならないこと」だからと言って、一銭の準備金さえ用意していないので東電に払わせる訳に行かないので、税負担や電力料金値上げで決着する方向性です。
無理にも東電に払わせようとすると倒産・・社員全員にこれまでの怠慢の責任をとってもらうことになりますが、これ以上電力事情を逼迫させることも出来ません。
そこで東電社長が如何に役立たずか保安院の役人の態度や総理等責任者の非難に明け暮れて、そのクビを取るくらいで溜飲を下げようとするのが、マスコミ主導の国民世論と言うところです。
(これが管政権に対する不信任決議案の事前準備・・国民心理誘導の底流にあるでしょう)
その場限りの溜飲を下げることに感情論にエネルギーを使うよりは、被害発生に備えて賠償準備金の積み立てを法的に強制すれば、その前提としての避難方法その他の事前検討を進めておく方にエネルギーを注いで行くことになるでしょう。
感情的なクビ取りに熱を上げるよりはこうしたことに議論を進める方が建設的ですし、イザとなっても混乱せずに済むのでコストパフォーマンスも良い筈です。

事前準備と危機管理能力

原発事故も同じで、予想がつかないような事故は当然あり得る・・人智の及ぶことの方が少ないのが普通ですから、予想外のこともあると言う謙虚な気持ちでこれに対する予めの備えが必要だったと言うのが私の後講釈です。
交通事故や火災はない方が良いのですが、ともかく火事や交通事故があった場合に備えて消防車や救急車・救急患者受け入れ病院があるように、「あってはならない」かどうかではなく、実際にあったらどうするのかの準備が求められる筈です。
この備えをおろそかにして国民を危機に陥れて・・事故が起きてから、政府トップや東電社長に現場指導力を期待しても意味がありません。
長かった自民党政権時代を通じて予めの構想力・備えのなかったことが今回の震災被害(原発事故)を大きくしてしまったのですから、就任して1年前後の総理一人あるいは民主党だけの問題ではなく、原子力発電を主要な発電主体にすると決めた頃・・約4〜50年前から現在に至る関連政治家や原発関連事業者や学者総体の能力不足による積み上げ不足・責任です。
東電社長が、海外展開のためのスペシャリストとして外部から招聘されたのなら別ですが、もしも内部生え抜きであるとしたら、当然長年にわたる危機管理の準備不足は彼が内部昇格して行く過程で関わって来た・・東電の秘密体質・危機管理に関する意識の低さに関わって来た一員としての責任があります。
どんな立派な機械でも思いがけない・・想定外の故障があり得るのですが、義経と梶原との逆櫓論争でも知られているように、想定外の故障・事故があったときの備えに対する議論を封殺する国民性に原因があるのでしょう。
原発に限らず企業の巨大システムに故障があったときにどうするかの手順が多くの企業で決まっていないことが多いようです。
「失敗・・そんなことを想定すること自体が許されない・・あってはならないことだ」と言う議論が幅を利かしてしまい、そうした想定の議論を許さない社会です。
「あってはならない」かどうかは別として、「結果として起きたらそのカバーをどうするか」と言う研究や議論をしては何故いけないか疑問です。
安全神話・・人智を越える災害はいつかは起きるものですから、絶対安全などあるべくもないのですが、そのための備えを研究したり議論すると「そんな危険なものは要らない」となるのが怖いので根拠もなく「絶対安全です」となって、その先の被害想定研究が進まないのです。
大きな故障が起きるといつも泥縄式で現場が徹夜で頑張っている風景が報道されますが、(例えばみずほ銀行のシステム障害・・これも事前にこういう障害が起きたらどうするの手順がまるでなく泥縄式です)原発のような被害の拡大が巨大な場合、「あってはならないことだ」と言うことで思考停止してしまっているのでは困ります。
もしも被害が起きたらどの範囲の人たちにどう言う手順でどうするかの段階を踏んだ被害想定をある程度しておかないと、何十万人単位の国民が避難するのかしないのかの何の準備もないのでは、泥縄式で大混乱に陥るのは当然です。
仮定の話ですが、国際的に見て仮に日本平均の故障・事故率が1%で、外国平均が2%・・日本製品品質の信頼性が2倍としても、外国の場合、故障は多いもののそのカバー体制が充実していて事故発生後10分で故障を直せる、あるいは代替設備の準備があるので比較的短時間で回復出来るのに対して、日本の場合滅多に故障はないが故障や事故があった場合、これに対する備えがなくオロオロするばかりで代替設備をゼロから製造するので、生産回復に一ヶ月〜6ヶ月かかるとした場合、信頼性としてどちらが高いかの問題です。

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