巨額交付金と事前準備2

ペットの受け入れ先を用意していない緊急避難命令のためにペットや牛・家畜と生き別れになった悲しい風景を多く報道されていますが、これなどは事前準備・・想定があればある程度解決出来た筈です
この種の事前準備や計画立案と住民への周知には、何千億と言う巨額資金は要りません。
前回紹介したように巨額資金を受け取っている以上は、イザとなった時に一定期間避難をしてお世話になる近隣市町村・・あるいは近隣の県に対して、それなりのお礼をするために一定の資金を予備費としてとっておくくらいの準備をしておくべきだったのではないでしょうか?
あるいは一定距離にあるところの病院や体育館建設費や老人ホーム建設費の何割かを負担しておいて、イザとなれば、一定期間無償で避難先・臨時役場などとしてとして使えるような協定をしておくのも一方法です。
何しろ放射能飛散事故の場合は、一過性の集中豪雨と違って避難期間が長期化し、町村住民全員一斉避難が予想されるのですから、この受け入れ先くらいはいくつか候補地を決めておいて、それなりの投資をしておくべきです。
各個々人・・個人的には自分が病気入院したら娘夫婦にペットの世話を頼むなどの心づもりはあったでしょうが、今回のように半径20〜30km一律避難となれば、近くに住む身内に頼んだのでは間に合いません。
10キロ圏内避難のときは何km先の(牛や豚鶏その他種類ごとの)同業者と提携しておく、20k圏のときはどこそこ、30キロ圏の時にはどこと順次行政主導で予約しておけば良いことです。
見知らぬ遠隔地との組み合わせに対して個人的に決めて行くのは困難であるとすれば県市町村がその枠組み造りに協力するなど長い時間を掛けて準備・協力して行くべきです。
家畜に限らず、病院や老人ホーム・介護施設その他いろんな設備・業界・業種・業界団体ごとに、何十km先の受け入れ先など決めておけば今回のような混乱は起きなかった筈です。
引受先に対する受け入れ費用については業界ごとに一頭当たり、一日いくらと決めておいて、そのための資金は業界ごとにプールして行く・・保険制度も発達するなど事前にやる気があればいくらでもすることがあった筈です。
この避難受け入れに対する費用は今の世論を前提にすれば、被害発生源である東電が負担することになりますが、「あってはならない」ことでも予測して準備しておく必要があるとすれば、東電も予め受け入れ先との具体的価格交渉をしておけるので、費用予測が簡単となります。
保険制度が発達すれば、事故車の修理前に保険屋の査定が介在するように、避難先の設備や費用も保険会社が介在して合理的に決めて行く時代が来ていたかも知れません。
これを損害予定準備金として計上し、保険を利用すれば、大方の被害弁償に間に合うので、株価大暴落も避けられます。
(この準備金の積み立ては決算上は毎年計上することになりますが、事故は何十年に一回しか起きないので、前年度分をそのまま繰り越して行けるので、一度だけ計上すればその後の資金は不要になります。
(あるいは予想外の大事故によって準備金で不足する場合に備えて毎年1割ずつ積み増して行くのも一方法ですが・・・いずれにせよ予測可能性の範囲内・・・少しくらいずれても株価大暴落を防げるでしょう)
現在では「あってはならないこと」だからと言って、一銭の準備金さえ用意していないので東電に払わせる訳に行かないので、税負担や電力料金値上げで決着する方向性です。
無理にも東電に払わせようとすると倒産・・社員全員にこれまでの怠慢の責任をとってもらうことになりますが、これ以上電力事情を逼迫させることも出来ません。
そこで東電社長が如何に役立たずか保安院の役人の態度や総理等責任者の非難に明け暮れて、そのクビを取るくらいで溜飲を下げようとするのが、マスコミ主導の国民世論と言うところです。
(これが管政権に対する不信任決議案の事前準備・・国民心理誘導の底流にあるでしょう)
その場限りの溜飲を下げることに感情論にエネルギーを使うよりは、被害発生に備えて賠償準備金の積み立てを法的に強制すれば、その前提としての避難方法その他の事前検討を進めておく方にエネルギーを注いで行くことになるでしょう。
感情的なクビ取りに熱を上げるよりはこうしたことに議論を進める方が建設的ですし、イザとなっても混乱せずに済むのでコストパフォーマンスも良い筈です。

指導力と事前準備

今回の大震災事故に関して、総理や政府の指導力不足を議論する人がいますが、我が国は古来から、合議のまとめ役・世話役がオサの仕事ですから、これに軍隊の指揮者のような指揮力を求めるのは無い物ねだりです。
ただし前回書いたように、政権が安泰な時には事実上の指導力があり、閣僚も従いますが、指導力の実態は、その下の実務官僚が動くか否か、動く気になっても事前の準備があるか否かにかかっています。
むしろ我が国では上からの号令ではなく、司ツカサに任せればその司ツカサで最大限の臨機応変の工夫・能力を発揮する社会ですから、(工場の生産性も研究者・研究所長が決めるよりは現場の工夫によるところが大きいのが我が国の特徴です)この伝統の上に(大統領制ではなく)内閣制度があるのですから、合議のチェアーマンの役割に慣れていない・・あるいはそのような資質の菅総理がいろいろと口出しして却って現場が混乱した結果が出ているのは、我が国歴史経緯に照らして当然です。
原発の海水注入中止問題も管総理があまり細かく口出しするので、東電としては総理の指示あるまでうっかり何も出来ないと感じた・・不快感を持ったことが騒動の原因です。
むしろ避難行動その他を見ていると事前指示・計画に頼らず、現場の判断で予定避難地より遠くへ避難させて多くの児童が助かったりしていますし、避難所でも現場での自然発生的助け合い役割分担が出来ているようです。
また2011、5、27日午後10時前の北海道占冠村でのトンネル内でのJR特急火災事故でも、車掌の指示は「電車から勝手に出ないで下さい・そのまま待機していて下さい」と言うものでしたが、もしもそのまま指示に従っていたら全員蒸し焼きになるところでしたが乗客の機転で全員が車内に逃げ出して、トンネル内を走って逃げたので奇跡的に全員無事に逃げられたことが報道されています。
被災地付近の病院の例でも、余震がある都度役割分担を決めなくともある人は直ぐにエレベーターに走って閉じ込められた人がいないかの確認に行くなど、それぞれがいつの間にか自分で走って行って自分なりの役割を果たすようになっているようです。
現場任せ体質社会ではその場限りの応急措置には間に合いますので、イザと言う時には現場の実情が分らない中央からの指令が必要がない・・あると逆に混乱する感じです。
幕末に来日した欧米人の誰かが書いた文書では、日本人は使いにくいが任せると頼んだ以上のことをしてくれるすごく良い関係になると言うくだりがありました。
その代わり現場力頼みでは、大きな構想力・・未曾有の大事故に対する予めの備えにはなりませんから、我が国で政府に求められているのは、大きな構想を立てることと現場が臨機応変に動き易いような資材その他の設備の備えをすることでしょう。
事前の避難地域の指定・・これが頭に入っているとこの予備知識の上に更に遠くへ逃げるべきかどうかの次の判断に繋がりますが、何の想定もなしにいきなり現場の判断となると現場に事前情報がない中で判断するのですから、混乱してしまいます。
今回の津波被害では、殆どの学校では全員無事に逃げているのに対して、石巻市の大川小学校では事前に避難場所すら決めていなかったために当日混乱してしまい、津波の来るまでの50分間のうち避難場所決定まで40分もかかってしまい、避難途中で津波に巻き込まれて児童の7割も死亡した大惨事になってしまったことに対する学校による報告集会が開かれたことが、6月5日の日経朝刊に掲載されています。
予想外であろうとなかろうと普段からの準備があればその先の対応を現場で応用出来るのですが、想定訓練・予備知識がないと現場付近の地図やその他の情報が頭にしみ込んでいないので、イザとなったらどこに行くにはどう言う道筋が良いかも分らず現場力も発揮出来なかったのです。
例えば避難先に関して言えば、事前計画があれば、避難先の選定に際してどこが良いかの複数以上の候補地があって、そこまで逃げなくても大丈夫かどうかの議論の過程で、一定の場所が決まるいきさつがあるので、(危険・安全な順の①・②・③の候補地から中をとって②に決まったような場合)会議に参加したり関心のある人は、そのときの咄嗟の感覚で今回はこの辺で様子を見て・・とある程度の見当がつきます。
危険感の強そうな時にはもっと安全な候補地③まで逃げようかと、現場対応が即決し易くなります。

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