朝鮮民族の意識改革(宇垣総督の功績1)

昨日引用の続きです。
「当時の朝鮮農家の最大の問題は労働時間の少ないことであった。田の除草、施肥、更に堆肥作り等に、内地の農民並に働くことを求めたのである。更に冬作として麦、レンゲ草、菜の花等を奨励し、畜産、民芸品製作を奨励した。この方針の民間への徹底を図るため、青年団、婦人会を積極的に組織化したのである。ここで注目すべき事は、これらの団体は反日運動の温床になるとして、それまでは極めて抑制的な対応をしていたものを、積極的に活用を図ろうとしたことである。これらの会合は正規の会議も重要であるが、会議の前後に交わされるインフォーマルな会話、交際が極めて重要であり、反日運動に対する自信がなければ実施できない政策である。」
・・・・この宇垣時代に始まった農業の生産性の向上、工業の急激な発展は、第3表に示すような急激な社会変革を起こしたのである。強盗件数の減少、就学率の向上は生活レベルの向上を窺わせ、、電力消費量の急激な上昇は、今日の韓国発展の原動力と言えよう。」
「この農村振興運動が始まる数年前から自力更正が叫ばれ、京畿道を中心に普通学校(小学校)の卒業者に対し課外指導が行われていた。親から田の一部を借りさせ、先生と共に耕作法の研究が行われていたのである。彼らの熱心な農業への取り組みは周辺農家の2倍以上の収量を得たのである。最初馬鹿にしていた親もその成果に次第に脱帽し、彼らは若き農村指導者に育ちつつあったのである。この卒業生指導は1927年京畿道に始まり、1935年には普通学校の6割で13千人の卒業生を対象として、一人3年から5年間に亘り実施されていた。
 この卒業生指導をより組織的に実施するため、1933年京畿道に農事訓練所を設置したのを皮切りに、1935年以降全道に農村青年訓練所・女子訓練所が設置された。この運用は各道に任せられたため、名称・実施要項等、多少道により異なる。多くは1ヶ月の短期コースと1年間の長期コースに分かれ、長期コースでは寄宿舎に入れ、合宿訓練した。
道によっては卒業生指導を受けた者を入所資格としている所もあり、これにより卒業生指導が止められたわけではない。ここで重視されたのは農業実習と共に精神指導であった。この精神指導について日本への隷属意識を植え付けるものであったと非難されている。しかし私はここで植え付けられた「為せば成る」「協同の精神」と言ったものがセマウル運動の成功に繋がったのではなかろうかと考えている。日本の戦後成長もこの精神なしには考えられない。
 1938年になると内地との交流が始まった。岩手県の青年道場に50人派遣したのを皮切りに、1944年6月までに女子約3百人を含む約3千人が、約1ヶ月内地の訓練所や農家に派遣され、内地の農業技術を実習した。この中には内地の人手不足をカバーする目的のものもあったが、農具の違い等を身を以て体験した事は、速効性はなかったとしても、必ず得るものがあったと確信する。」
第3表 朝鮮産業革命の成果

昭和2年 昭和7年 昭和12年 昭和17年
農業生産高 千万円 86 86 122  
工業生産高 千万円 31 35 87
1人当り国民所得 89.9 78.1 110.7
発電量 百万KWH 2,698 (4,860)
就学率  %  17.4 18.2 30.7 49.6
強盗件数 1771 1261 727 394

農業・工業生産高:1934-1936年平均価格表示
1人当たり国内支出 単位 円 以上溝口他『旧植民地経済統計』
発電量:昭和17年記載数値は昭和16年分  朝鮮総督府殖産局『電気事業要覧』
就学率:正規学校就学率  古川宣子論文より作成
強盗件数: 朝鮮総督府『統計年報』
以上は本体のホームページが無くなっていて、トップに行けないので誰の論文かわかりませんが、きちんとした引用論文の明示もあって確かな数字に基づくようです。
欧米の植民地支配を受けた多くの民族は、朝鮮人に限らず現状を受け入れるだけで古代から生きてきた大まかな傾向があります。
しかも植民地支配に都合がいいので欧米による劣等民族意識の刷り込みによって、さらに前向きの気力を喪失させられていたように見えますが、李氏朝鮮では、同一民族でありながら、ヤンパン支配貫徹のためにヤンパン以外は「人」扱いされない状態で約600年も支配して来たので心底劣等意識に追い込まれ・・やる気を無くしてきたように見えます。
シンガポールのリークアンユー氏が日経の「私の履歴書」に書いていましたが、「自分たち現地人は欧米人にはとても叶わない別のもの」・・犬が人間を見るような見方?・・であったが、日本軍の来てあっという間に英軍を蹴散らしたのを見て受けた衝撃が書かれています。
その意識変革を図り成功体験を持たせ、これがようやく身についてきた結果めざましく農村の収穫が上がり、工業生産にも適応できるような人材が育ち始めた時に敗戦になったことがわかります。
このように、日本統治によって初めて庶民が前向き・・集団で考える経験を与えられた・・李氏朝鮮も欧米植民地支配政策では反抗のタネになるとして厳しく規制していたのですが、日本はこの習慣の大事さを積極的に教えたのです・・。
日本では昔から、小集落ごとの「寄り合い」で何ごとも決めていくのが普通ですから・・歴史以来朝鮮人が初めてこれらの経験をしたので、韓国独立後自立に向けた国づくりにこの経験が大きな効果をもたらしたようです。 
父親のパク大統領は戦前の日本のやり方が良かったことを知っていたので、日韓交渉がなると、農村近代化のためのセマウール運動を展開するに際して宇垣総督の片腕として実務をしていた人を韓国に招いて指導してもらっているようです。
こうした自信を持たせる・・努力すればなんとかなるという教育経験のない点が、アメリカ支配下にあったフィリッピンとの違いのようです。
文字教育に戻しますと、日本統治期間が短かったのでこのような影響を受けた人材の層が少なかったことと、特に文字その他の文化を身につけたとしても多くの庶民にとってはまだメッキ程度だったので漢字教育廃止がきまると、多くがハゲ落ちてしまった印象です。
日本でも・・明治3〜40年代生まれでは、尋常高等小学校卒程度が普通でしたが、それでも日常生活でいろんな漢字が出回っている結果、自然にいろんな漢字を理解して朝日や日経等の日々の新聞を読み、帳簿をつけて社長や課長その他の法律用語・日本で明治以降に作った漢字も理解し、英語もある程度カタカナ表記である限りラジオやテレビが何であるかを理解して生きてきました。
この辺は私の親世代ですので伯父など身辺で実例を見て育ちました。
我々も社会に出てから見聞きして習得したものが圧倒的多数ですから、社会生活上受ける影響力の大きさが分かります。
7月29日経朝刊の文化欄「傍にいた人」の連載シリーズには、小説家の大正生まれの叔父が学校に行けなかったが自学自習で資本論まで読破していた話が出てきます。
日本では学校で教えるか外国の強制があるかどうかではなく、・・宇垣総督が教え込んだ自発的動機がどこまで韓国に根付いているかです。
学校で教えなくとも目の前で漢字が氾濫しているかどうかは重要です。

自民族言語表現・文化の重要性4(近現代用語を日本に頼る中韓1)

ソ連では政府自身が何千万と餓死させながら穀物輸出して共産主義政権が大成功していると虚偽発表していましたし、中国も戦後「大躍進」と称して、実際には数千万〜5000万人の餓死者を出していたことが今になると常識になっています。
個人でも共通ですが、不都合・遅れている状況を隠すときに政府による虚偽発表→鉄のカーテンが起きる現象です。
上の道義が低いと下々もこれに倣います。
日本は古代から外来技術が入ってくるとマルゴト導入ではなく日本の在来概念を組み合わせて、それに適した言語を創設してきました。
蒸気船〜蒸気機関車、自動車、自転車、飛行機や航空母艦などがその1例です。
機械類に限らず新しい考え方・思想的熟語・社会の仕組みに関する用語、法律用語も同じです。
清朝の方が日本より数十年早く西欧に接していたのに、西洋の文物技術(新概念)をまともな漢字熟語に翻訳できていなかった事実から見ると、中国では・・漢字発祥の民族とは言え、多分先進社会用語を自民族で翻訳用語を創作する能力が、日本より低かったのでしょう。
文化格差が有り過ぎる場合、自民族用語に翻訳したくとも自国に高度な対応語がないので無理があります。
この点、日本では江戸時代から堂島には米相場があったし、手形取引も発達していたなどのほか藩札があるので紙幣の流通→両替(大阪は銀で江戸は金兌換ですから必然的に為替取引が発展しますし、遠隔地決済のために為替手形もできていました)もあるなどいろんな社会組織や制度が発達していた・学問的にもエレキテルの研究や数学や蘭学を通じて医学も発達していたなど有利な点があったでしょう。
文化格差があると自国言語に対応言語がない翻訳しきれない結果英外来語をマルごと導入しかなくなる・・西洋諸国でラテン語が約千年間も公用語であり続けた原因がここに有ります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置けたのは、変換能力が高かった他にほぼ同水準の概念が国内にあったことにもよります。
他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がない中国や韓国は日本の変換しておいた漢字熟語をそのままの流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので効率が良かったし、英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては戦後すぐに7月20日に紹介したように、日本語のヒラカナに相当するハングル一本化してしまって、漢字教育廃止しているので、漢字をそのまま使えない不都合があると言われています。
専門家だけ漢字を使えば良いというのでは、それ以外の民度はどうなる?という疑問です。
公教育をやめても自発的に学ぶ意欲のある社会であれば別ですが、そうでないとその後漢字文化はジリ貧になって行きます。
7月20日に紹介したように、教育をやめてから一定期間経過すると漢字需要がなくなった結果・・新聞等のメデイアも漢字表記をやめてしまったと言うのですから驚きです。
漢字を読めない層が増えて商売ならない時代がすぐにくるのですから、?せっかく日本が統治期間に民度引き上げのために学校制度を普及させて教育して来のですが、朝鮮人の多くには、荷が勝ち過ぎていたのでしょう。
もちろん前大統領の父親のパク大統領のように、日本の教育制度に乗っかって(日本の士官学校出で日本陸軍での将校でした)頭角を現した人も一定率いますので、何回も書いているようにこのコラムではいつも比率の大きさを書いている・例外がないという意見ではありません。
韓国では漢字を日本文化と誤解して?日本敗戦後の優先課題としてすぐに漢字の公教育を廃止したのですが、その結果、すぐに漢字を読む層が商売にならないほど?消えてしまい、漢字を利用した新聞が成り立たなくなってしまった・・多くの国民が漢字教育に関心を持たなかった事実が重要です。
李氏朝の国家樹立後明や清の冊封体制下にあったとはいえ、独立性が高まった結果すぐに先祖帰りして行った流れが起きていたことと、日本敗戦後日本と交流を断固拒否していた間に7月28〜29日に紹介したように産業部門がどんどん落ち込んで行ったことを合わせて見ると外界からの半強制的学問や技術導入の流れがなくなるとすぐに元々の「地・民度」に戻っていく様子がわかります。
長いヤンパン支配下で、ヤンパンはエリート層として文字教育を受けていたでしょうが、それ以外の庶民が自発的に文字を習い考える気風が育たなかった土壌を見る思いです。
中国律令的価値観では、日本の武士ですら平安時代に描くところの裸足で歩き回る地下(じげ)人であって、このために江戸時代の朝鮮通信使は貴族層ではない武士を相手にするしかないと言って、(実態より形式重視)嫌がっていました。
以上は・・出典を記憶していませんが、小説か随筆か何かで読んだ記憶です。
日本の武士は鎌倉以来支配層として成長し、漢詩文の素養を積んでいましたし(太田道灌が恥ずかしく感じた故事)、江戸時代になると庶民まで子供を寺子屋に通わせたり芸事を習うなど自発的な文化吸収欲求の高い・・最下層で農作業現場系に関与する実務社会でも絶えざる自発的改良工夫の進む社会でした。
他方、朝鮮では、庶民には自発的な文字その他の文化を学びたい欲求が起きなかったのでしょうか?
庶民は文字による文化などを知りたいとは思わないし、社会生活上必要な工夫もしないで古代意識のまま生きて来たから民間から文化や技術が発達しなかったのでしょう。
日本統治になってからの朝鮮では、日本政府が庶民にまで学校に強制的に通わせたり、世界恐慌時に宇垣総督着任後には農村の窮乏を防ぐために学校にいけない子供には教育課程を緩くして学校に時間が空いて放課後に学校にくれば教える仕組みを作り出し農村教育では、「なせばなる」と言う徳目教育で農村で皆が集まって色んな農村の課題をみんなで考えさせたりした結果、とてもできそうもないように見えることでも、みんなで色々工夫して努力していると何とかなることが多い経験を積ませていた結果、徐々に自信を持ち成果を出すようになっていたと言われます。
せっかく身に付き始めた気風が簡単に先祖帰りてしまったのでしょうか?
大恐慌爺以降の記述は以下のとおりです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kankoku-hatten.html
「日本でも東北の農村では、農家のみならず、役場の職員、教員の給料が払えず、遅配、欠配が続いた。農家では自分の作った米を食べず、市場に出すため、ますます米の価格が低下し、売るものがなくなり、娘の身売りが続出した。この年9月に満州事変が勃発した。この原因の一つは、この農村の疲弊対策として、農民の移民先を求めたことである。
朝鮮の農民も自分で作った米は食べることができず、粟か稗しか食べられなかった。日本の農林省は「米の価格低下は、朝鮮米の無制限な移出が原因」と非難し、出荷の自粛を求めた。しかし他に有用な作物がない朝鮮では、農民の生活を維持するためには、高価な米を内地へ移出するしか方法がなかった。陸軍の応援で辛うじて米を自由に日本へ移出する事が認められたのである。
尚、この時期アメリカではフィリピンからの砂糖、椰子油の無制限な輸入に、アメリカ本土の砂糖や食料油の製造者が反発した。更にフィリピン労働者のアメリカ進出に危機感を抱く労働組合が同調し、フィリピンの十年後の独立が決定した。フィリピンの切り捨てである。日本とどちらが民衆の事を考えた施策だったであろうか。
「宇垣総督は着任後直ちに農村を視察し、農村振興運動をスタートさせた。日本における農村自立更正運動より僅かながら先行している。この運動で宇垣が最も主張したのは「心田開発」即ち心の持ち方であった。又宇垣に呼ばれ指導に当たった山崎延吉の指導理念は「奉公の精神、協同の精神、自助の精神」であった。セマウル運動との違いは奉公が勤勉に代わっただけである。」
「この文盲対策として1934年簡易学校の制度を発足させている。学校へ行けなかった青年に読み書き・算盤を教えるものである。生徒は農業の暇なときだけ来て、勉強するというやり方で、普通学校に併設し、普通学校の先生が兼務で教えたのである。」
以下明日に続きます。

親中韓派の功績2

中国も習近平政権成立直後では尖閣諸島の軍事占領が日程に上っていたようです。
国内的には対日戦争開始直前・・本気で実力行使する直前まで進んでいた状況については以下のとおりの記事があります。

以下は「余命3年」の2014年8月22日の記事からの引用です。

「.資料⑥
 中国人民解放軍を指揮する総参謀部が全軍に対し、2013年の任務について「戦争の準備をせよ」との指示を出していたことが明らかになった。14日付の軍機関紙、解放軍報などが伝えた。また、国営中央テレビ(CCTV)など官製メディアは最近、連日のように日本との戦争を想定した特集番組を放送し、軍事的緊張感をあおっている。
 沖縄県・尖閣諸島周辺での自衛隊との軍事衝突を意識して、習近平新指導部がその準備と雰囲気作りに着手し始めた可能性がある。
 解放軍報によれば、総参謀部が全軍に向けて出した2013年の「軍事訓練に関する指示」の中で、「戦争準備をしっかりと行い、実戦に対応できるよう部隊の訓練の困難度を高め、厳しく行うこと」と記されている。総参謀部は昨年も訓練指示を出していたが、「軍の情報化や部隊間の横の連携の重要性」などを強調する内容が中心で、今年のような戦争を直接連想させる表現はなかった。
 中国指導部が戦争準備に向けて大きく一歩踏み込んだことがうかがえる。
 同紙は今年の訓練目標について、昨年11月に就任した習近平・中央軍事委員会主席の重要指示に基づいて作成したと解説している。
 また、中国の主要メディアは今年に入って、「尖閣戦争」を想定した番組を連日のように放送している。中国軍事科学学会の副秘書長、羅援少将や、元海軍戦略研究所長の尹卓少将ら多くの軍関係者が出演し、主戦論を繰り広げている。そのほとんどは習総書記と同じく太子党のメンバーで、習総書記の意向が反映している可能性が高い。
 共産党筋によれば、習近平総書記は昨年11月の党大会で、軍人事の主導権を胡錦濤国家主席が率いる派閥に奪われた。習氏は現在、軍内の保守派と連携して、日本との軍事的緊張を高めることで、自身の求心力を高め、主導権を取り返そうとしているとみられる。
     2013.1.14 19:03  産経新聞」

中国軍の現実出動・・日中開戦をかろうじて阻止出来たのは、民主党政権時代に日本軍の機密情報が中韓にだだ漏れになった結果、海空軍では数では中国の方が多くても実際には日本軍の方が圧倒的に強そうと言う情報が行き渡ったからであると言われています。
スパイ・・情報漏れと言うのは、意外に役に立つものです。
山岡荘八の家康だったか誰の家康伝だったか忘れましたが、家康の股肱之臣であった石川丈山の豊臣家への逐電によって、徳川家の軍事機密が最大漏らさず豊臣方に入手されてしまったことが、豊臣徳川の決戦回避→徳川の豊臣への臣従決定に大きな効果があったと書いてあったのを想起します。
この情報漏れの結果、中国では開戦すればすぐにも大負けしそうと言う情報が広がって、日本と直ぐにも対決しそうな部署である海軍への志願者が激減してしまいました。
今年に入ってから、徴兵欠格事由から精神障害者を外したことが大々的に報道されています。
「精神障害者でも兵に徴用しないと軍が成り立たないような軍で大丈夫?」と言うのが中国軍に対する国際信用です。
冷戦時代に中国が米軍に対して「張り子の虎に過ぎない」としきりにバカにしていたことを思い出しますが、中国軍こそが世界中で「張り子のトラ」と陰で笑われている状態が目に見えるようです。
中韓の日本批判を見ていると中韓が歴史上やって来た残酷なことを日本もやっただろうと思われるでっち上げ主張が多いことに驚く人が多いと思いますが、張り子の虎論はまさに自分のことを言っていたことになります。
何でも日本が悪い式のアメリカが宣伝する戦後秩序は、まさにアメリカのやって来た蛮行の数々を日本がやったとすり替えているのと同じです。
(アメリカ軍はフィリッピンで戦後行なった大量虐殺を日本軍がやったとすり替えようとして、フィリッピンの反発で立ち消えになったことがありますが、慰安婦問題も今になると朝鮮戦争でアメリカ軍がやって来たことを日本のやったことにすり替えたものですが、これを承知で韓国が日本批判して来たことが今になって分ってきました。・・こう言う狡いことに応じるのはアジア諸国では中韓国と中国だけです)
日本では緊急事態に呼応して海上保安庁に志願者がドンドン集まっているの対して、精神障害者まで徴兵しないと軍を維持出来ない中国の状態が、今年に入って習近平政権の対日強硬姿勢が腰砕けになって来た原因です。

親中韓派の功績1

一説(私見)によれば朝日が中韓に取り返しのつかない恥をかかせるために、遠大な計画で虚偽報道して来た「国士」であると考えられます。
中韓の方が世界で孤立化しているのにあたかも日本がアジアで孤立するかのように日本マスコミが大々的に報道し続けていたので、マスコミや文化人グループは「中韓のために発言しているのか?」と逆に国民が疑念を持つようになってきました。
マスコミのスタンスに疑念を抱く人が増えて来て、マスコミの言うアジア諸国とは何十カ国もあるアジアの中の中韓両国に限定した特定アジア=略称「特ア」であると言う定義がネット上では普通になってきました。
「特ア」の期待する動向を世界の動向のように報道するマスコミは中韓の回し者か?と言う疑念の広がりの結果、今回の朝日新聞による慰安婦問題キョギ報道の発覚に連なったことになります。
「特ア」は「特ア」で、「特定」親中韓派の偏ったガセネタ情報を日本人の大方の意見であると間違って受け取っていたように思われます。
どんなに日本をセンカクで脅しても、あるいは竹島上陸のようにバカにしても、日本国内の親中韓派の勢力が自衛力強化に反対してくれるし、防衛するかどうかの議論すら出来ないようにグジャグジャにしてくれる・その間に既成事実を作ってしまえる・・最後は日本が引き下がってしまうだろうと思っていたフシがあります。
韓国の李前大統領は上記のように公言していたことが、ネット報道されているようです。
(日本を占領したときには・・と言う括弧書きで「天皇を後ろ手に縛りあげて土下座謝罪を要求する」「日本は大震災で国力衰退している・・」(自衛隊や米軍等の関心人が東北に集中している隙に)等々断片的に伝わる発言は・・日本占領支配間近の自信誇示の一環として出て来たとすれば、あまりにも唐突な発言一部の公開の意味が分かります。)
不法占拠をしても・・不法上陸で逮捕すら出来ないだろうと言うのが、当時中韓の共通的普通の意見になっていて実際に民主党政権は体当たりして来た中国船長の現行犯でさえ中国の反発が強いと直ぐに釈放してしまいました。
暴力行為現行犯でさえ逮捕すら出来ないのでは、不法上陸し放題と言うシグナルとなりますから、中国はまさに上陸占領実行寸前となっていたことになります。
検挙すら出来ないで上陸させるままと言うのでは、海上保安庁巡視船の現地出張が不要だと言う意見が強まり、事実上中国の支配下に取り込んで行き今の竹島のようになってしまうと言う読みで始めてしまったようです。
日本国民が長年「特ア」の動向をアジア全体の意見であるかのようにマスコミに騙されていたように、中韓両国も朝日新聞等の「特定」親中韓派言論人の意見を日本国民大方の意見だと騙されていたことになります。
最後の最後で日本人の愛国心が発露して、中国人の横暴を隠蔽して釈放する民主党政権に我慢出来なくなった愛国者による映像の世界公開に繋がり、世界世論の形勢が逆転しました。
親中韓派で占められているマスコミの活躍の御陰で、中韓両国が日本占領は簡単と過信してしまい、中韓両国は日本侵攻に必要な充分な蓄積・準備をしないうちに、対日侵略の野望を早目に表に出してしまったのが大失敗と言うべきでしょう。
御陰で日本は早めに警戒心を持てるようになって、親中韓派の反対で時間のかかる集団自衛権の下準備や西南海域の防衛力強化・準備して行く時間的余裕を獲得しました。
親中韓マスコミや文化人の存在は、中韓の野望を早めにあぶり出したのですから、日本救国の国士だと言う見方が出来ます。
もし民主党政権が成立していなかったら、中国や韓国がこんなに早く韜晦(猫かぶり)政策をかなぐり捨てて日本侵略の野望を剥き出しにして表面化しなかった筈です。
民主党は早めに敵をおびき出し、危険な本音を露見させる重要な役割を果たした救国の政党となります。
連係プレーとしてみれば彼らは立派な愛国マスコミ・政党というべきであって、右翼が非難するのは間違いです。
一種の二重スパイみたいな損な役割ですが、こう言う役割を果たすグループもいないと複雑な国際社会を日本は安全にわたって行けません。
中韓両国では、親中韓派文化人の「イザとなれば訳の分らない議論を吹っかけて日本をグジャグジャに出来る」(ガセネタ)情報を信じて、まさに軍が出動する直前まで進んでいたらしいのです。
韓国軍の対馬方面の電撃占領作戦が準備され、軍がこの方面に集結中のところ、この隙を突いた北朝鮮の延坪島砲撃事件が起きて米軍も集結したことから、世界の注目海域となってしまったので、隠密裏の日本海への軍の集結・・奇襲攻撃が出来なくなって失敗したとネット報道されていますが、この点は50〜100年しないと事実はでて来ないでしょうから今のところ真偽不明です。

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