ウクライナ政変6と経済停滞1

アメリカが警察官役を下りると言えば、直ちにこの機会とばかりに相手が無防備ならばこのスキに・・・とばかりにイキナリ攻めて来る傾向のある周辺国が多いときには、このリスクに備えるべきでしょう。
再軍備派の主張では、無防備平和主義という理想論では実際にはどうにもならないという主張が中心でしたが、保革共に理想論という概念自体が間違っています。
周辺に腕力で不当な意見を強制したいとか泥棒や強盗をしたい・・日本国民を連行して奴隷にしたいと公言して国民教育している国がひしめいているときに、無防備平和論は理想ではありません。
日本国民が丸腰で国内で生活できているのは治安が良いからであって、しょっ中追いはぎや喧嘩が絶えない社会であれば、自衛のために集団で歩いたり武器を持って歩いたり自宅に厳重に鍵をかけるようになるのが理想です。
理想とは実態に適合した合理的な意見を言うべきであって、実態を無視した意見は非合理論であって理想論ではありません。
世に言う理想論は各種の与件が100%そろえばこれが良いという架空の議論であって、現実政治に関する議論は現実に存在する条件あるいは実現可能な条件を前提にすべきです。
ある日突然外国軍が押し寄せて再びシベリアに連行されるのでは叶いませんから、突然の侵攻を防ぐにはイザというときに備えて一定の軍事力保有が必要です。
今回のウクライナ・クリミア紛争によって、各種経済制裁・・先行き成長低下を恐れた金融資本家によるロシアから資金引き揚げが加速し始め、今年のロシア経済は大きな打撃を受けそうです。
3月30日ころの日経新聞ではロシアでは昨年から景気下降(資源輸出の停滞化)や新興国からの資金逃避傾向(アメリカによる金融緩和縮小予想)による資金流出が続いていたのですが、今年に入って3月までの流出資金量が昨年1年間の合計を越える6〜700億ドル(正確な数字を忘れました)の資金流出があったと書かれていました。
紛争が長引けば、ロシア経済が資金流出のダメージを受けて大変になるだけではなく、ロシアに巨額投資・進出している西欧企業も当然儲け損なう外に(あわてて引き上げれば・・叩き売りすれば当然株価や債券等は大幅に相場が下がりますので)評価損を受けます。
西欧はロシアに対するエネルギー依存だけではなく、資本・企業進出等経済的に大きく深く関与しているので、ロシアとの対立激化は双方にとって大きな痛手になります。
ロシアは西欧も損をするので厳しい経済性差が出来ないだろうと多寡をくくっている面もあって却って戦火が拡大する危険をはらんでいます。
最貧国と言うか破綻国家に近いウクライナに対してEU(準)加盟条件として、EUはこれまで厳しく緊縮を求めていたものの、ロシアとの綱引きの行きがかり上うるさい条件を引っ込めて(緩めて)巨額援助をするしかなくなったので、なお経済負担が大変になります。
以上を見ると第一次〜第二次世界大戦で相互に傷を負い西欧全体が地盤沈下したのに続き、今回の紛争が激化・長期化すれば、直接戦火を交えずとも西欧とロシアは更に大きな経済的困難・・地盤沈下に陥るように見えます。
プーチン氏自身の自己保身効果で見れば、経済不振による支持率低下で早晩失脚するよりは、民族意識を高揚させて一時的でも支持率を上げる方が先決と読んで、長期的効果による国民の損失まで考えていられないという計算だったでしょう。
ケネデイの始めたベトナム戦争もブッシュの始めたイラク戦争もその都度支持率は上昇しましたが、その後アメリカの国力低下の原因になっています。
結局彼らはいずれも自己保身のために国民全体の利益を犠牲にした政治家と言えます。
独裁国家では失脚後生命の危険があるので、国民の利益を犠牲にしてでも民族意識を高める方向・・対外軍事力行使へ動き易い・・こうした傾向が強く出るので、自宅近くに暴力団事務所があるようなもので近隣国にとっては、危険な国です。
もめ事を起こさないように近所の人がよけて歩くので、暴力団員が偉くなったような錯覚を起こしているのが中国指導部と言えましょう。
韓国は中国のように軍事力で日本を威迫できないので、虎の威を借る狐のたとえどおりに日本の誹謗を繰り返して国民の鬱憤ばらしに精出して支持率低下を食い止める基本方針で戦後60年以上もやってきました。

規制と停滞2(伝統の保存)

我が国では茶道や華道・能狂言・お寺の行事等全ての分野で、一旦様式化されると500年でも千年でもこれを守って行くのが尊いという意識が濃厚です。
憲法であれ民法であれ、一旦出来ると不磨の大典という扱いになります。
我が国では、小さな集落の祭りその他伝統行事は自分の代で絶やすことは出来ないという意識が強く、これがために全国あちこちでいろんな物や行事が残っていて、それ自体は良いことです。
時々思い出すための行事として先祖の営みを残すことと、日々の生活ルールあるいは新たな技術変化に応じてその運用・・規制を変えないでそのまま残していくのが良いかは別問題です。
洗濯機その他の家電製品1つとっても分りますが、新しい家電製品を買えばこれに応じて洗濯機や掃除機・テレビ等の使い方が変って行くのが当然で、古い機械の使い方(ルール・マニュアル・操作方法)と違うからと言って、新機械導入をやめるのって滑稽ではないでしょうか。
新しい家電製品を買えば、古い機械の使い方にこだわらず新しい機械の使い方に慣れれば良いことです。
二階以上に上がるには階段で上がることは当然でしたが、これがエレベーターやエスカレーターが出来ても階段にこだわる人はこだわればいいことですが、親の教えと違うと言ってエレベータに乗らないで30〜40階まで歩くべきだと言えば笑い者です。
障子がガラス戸になり、薪を燃やしていた風呂等の火力がガスになるなど全ての分野でいろんな操作手順が変わっても誰も怪しみません。
親の教えた仕事の手順が口頭で教えられていたのが、今では法律や法に基づく規則や基準になったために変更が難しくなりました。
生活のしきたりに代えて文書化されている上に、親の教えという個人的なものから集団意思・ルールになっているので、個人が勝手に簡単に変えられなくなったのが厄介です。
親の教えを変えるかどうかは個人が決断するだけですが、社会の意思になると個人の思いつきで変更出来ないのですから、ルール変更のルールを作る必要が出て来ました。
ただ、畳・障子文化が失われるのは悲しいと思う人がいても日常生活の便利さには代えられないので、古い生活様式・用具はなくなって行くばかりですが、懐旧の情に浸りたい人が増えれば・・これに比例して古風な旅館等が商売になるので、この種の和風高級旅館が繁盛するのでそんなに心配が要りません。
商売にならない分野に関しては・・各地の民族博物館等に残して行くしかないでしょう。
先日佐倉の歴博に行ってみたら、デパートごとで売っていた正月のおせち料理の変遷が展示されていましたが、ホンの数十年前のことでも目の前から消えて行った物が多いのに驚かされます。
お祭りは伝統行事保存の最たる物ですが、元々始まった当時は伝統保存のために始まったのではなく、その当時最先端のイベント・・庶民を楽しませるために始めたものでしょう。
現在のサッカーや野球大会あるいはソーラン大会みたいなものだった筈です。
数百年後にはソフトボールやテニスや野球・ボクシング等や、「◯◯をお願いします」と候補者の名前を連呼して走り回る選挙活動なども懐かしい古典行事として残って行くのかと思うとおかしな気がします。
ネット選挙になれば、今までの選挙カー+ウグイス嬢による選挙活動が意味がなくなって行くでしょうが、どうしても残したければ新しいことに反対しないで、伝統行事保存活動に精出せば良いように思います。
薬局の対面販売問題も同じで、過去の良き伝統として博物館に残すのに協力しても良いと言えば、反対論が下火になネット販売解禁になり易いように思います。
今後新基準規制変更新基準を導入したい勢力は、いろんな旧基準を伝統技術として保存することに協力しますとバーター取引を申し出れば、守旧派も軟化して新基準採用が進み易いのではないでしょうか?
郵政民営化したい勢力は、公営当時の郵便局専門の博物館を作って公務員的対応技術を伝統技術として残してやると言えばどうでしょうか?
国鉄民営化のときも博物館化して昔の横柄な国鉄マンの応接技術を残しておけば、面白かったように思えます。
そうすれば、JRに移籍出来なかった昔気質の(横柄な)国鉄マンでも、一定数の雇用が確保出来て解雇無効裁判が起きなかったかも知れません。
日本古代では大和朝廷が出来るときに八百万(やおよろず)の地方神を、必ず祭ることにして平和裏に大同団結・国ゆずりが成立)出来ました。
単に弱い者・・時代遅れな物を打ち壊すのではなく、大切に祭る・・この精神でやれば良いのです。
社会発展に必要なことは、緩和だけではなく新時代に適合した新たな(もっと複雑な)規制に変更することですが、これを何故か「緩和」と言うから誤解が生じます。
(ネット選挙を解禁すればその面では緩和ですが、解禁以前よりもっと複雑な規制が必要になるでしょうし、ラジオ→テレビ→ビデオ→パソコン・・何ごとでも新技術の方が多機能な分、操作手順が複雑化する傾向があります。)

規制と停滞1

規制・基準を設けるとこの規制に努力して適応した企業にとっては既得権益となるので、参入規制の緩和や技術革新の進行による新たな基準への変更に対しては抵抗勢力になります。
国際競争に負けると心配するグループによる規制緩和大合唱の根拠がここにあります。
(新技術革新について行き、新しいことに挑戦するのは最初の内はいつも少数派ですから、ついて行けない多数企業・関係者は時期尚早と主張するのが普通です・・遅れる人はいつも多数ですから多数意見に従うと社会が停滞します。)
各種ネット申し込みやネット販売、ネット選挙あるいは診療報酬請求の電算化に対して、パソコンを使えない人が可哀想などの擁護論が幅を利かしていて、電算化が大幅に遅れているのはこの範疇です。
およそ「可哀想だ」という論法ほど、非生産的議論がありません。
我が国の場合、規制がブレーキになっているというよりは、ネット社会について行けない弱者が可哀想・・弱者切り捨て論が・その先の言論を封殺してしまっていて、進歩を阻害している傾向が強いように思います。
これから進んで行く方向へ誘導するために早めに軌道修正するか、99%の人が対応してから規則を変えるかの意識の問題です。
我が国では後者の主張が強過ぎて新時代に対応するルール作りが遅くなり過ぎています。
これでは、一旦出来た規制は全ての分野で社会発展のブレーキ役になってしまいかねず・・世界競争から脱落してしまう危機感が募って来ます。
進歩のために規制を大胆に撤廃すると言う極端な主張を採用して、訴訟社会にするか否かの二者択一的議論・・小泉元総理の得意なワンフレーズ型政治になりかねません。
必要なことは極端なブレよりは、これから進むべき方向の議論をしてその方向が決まったら、規制・基準を2〜3通り用意して古い基準でやりたい人はそのままやってもいいが社会の目指す方向の新基準を取り入れた業者には、何らかの優遇措置を設けるなど順次誘導して行く姿勢が必要です。
上記のように守旧的反対論を抑えるには、旧基準と新基準併存方式が有効です。
市の指定管理者選定会委員をやっていますが、ネット申し込みの是非を問うアンケーとに「ネット弱者がどうの」という回答が多いのですが、身体で行って申し込みたい人は今まで通り申し込めばいいのであって(申し込み順ではなく一定期間経過後の抽選です)併存方式ですから、何ら問題がありません。
世の中の複雑化に併せてマニュアルや規制が精密化して行く必要があるとしても、精密化に比例してちょっとした機能変化や技術革新に迅速・柔軟対応出来ないとかえって進歩阻害要因になってしまいます。
民法のように骨子しか書いていなくて細かい運用は判例や学説で補っている場合、社会の変化に百年単位で対応出来ます。
民法は以下のとおり、すでに100年以上たっています。
  民法(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)
  民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
  此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
  明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ 日ヨリ廃止ス

ルールがあまり細かすぎるとしょっ中規則・ガイドラインの変更が必要で、変更修正能力がない(反対論に気兼ねばかりしている)と日々刻々に変わって行く社会変化に対応出来ず、進歩に対するブレーキ役になってしまいます。
規制があると社会が停滞するのではなく、柔軟適応力が低いことに問題があるだけです。
規制が始めっからなければ変更しなくとも良いと言えて簡単ですが、これまで書いているように社会が複雑化して来ると常識任せではどうにもならないので、原子力発電に限らずいろんな分野で規制をより精密化して行くしかないでしょう。
規制が悪いのではなく、規制を柔軟に修正して行けるような「変更ルール」の研究こそが要請されているのです。

新興国の将来5(成長の鈍化〜停滞へ)

中国政府は高度成長に伴う諸矛盾の激化に苦しみ国内格差是正・・不満の押さえ込みにここ数年必死でした。
12年3月3日に発表された今年度の成長目標を8%という従来から見ればかなりの低率に抑えるしかなくなったのは、インフレによる生活苦を無視出来なくなっていること、実際には欧州経済危機によって輸出先がなくなって経済が急減速している実態を隠せなくなったことにもよります。
公式統計ではインフレ率は低いですが、現場では豚肉などの生活必需品が20%前後ずつ上がっている現場からの報道・・政府発表とは違い日本人や外国人が多く住んでいますので、口コミ情報まで遮断出来ません。
同じように今でも経済成長が8%前後と発表されていますが、実際には電力消費何%減(生産増の統計と電力消費が合わないとの数年前に海外の批判にあってから、電力消費量の発表をしなくなりましたが)マンション価格が数十%下がっていたり、車の販売現場では前年比何%減、などの現場の広告・取引相場までは報道規制できません。
また日本から多くの部品を輸入していることから、取引先の売上減がモロに関連業者間では伝わってきます。
現在の人民元の相場は、切り上げ阻止どころか暴落の危険があるのが実情で、香港では香港ドルと人民元の両建てで取引している現場が多いのですが、最近では元の下落を恐れて人民元紙幣の受取を選択する人が殆どいなくなっているらしいです。
新興国ではわが国のように自前での産業の順次発展がなかったので、裾野が育っておらず今でも我が国からの高度部品輸入に頼っているのですが、この段階で次の新興国からの追撃を受けるようになったので輸出産業にとっては大変な事態が始まっています。
中国はまだ巨額貿易黒字を発表していますが、世界全体を見渡すと貿易赤字総額が激減(リーマンショック以降アメリカの赤字が激減したので・・)しているので、辻褄が合っていない様子です。
(世界の赤字総額と中国の貿易黒字発表が合わないということです)
まだまだ離陸し切れていない現段階・・すなわち国内は貧しいので国内購買力期待ではなく、輸出産業を誘致して経済離陸が始まったに過ぎませんから、この段階で貿易黒字が激減〜赤字になったら国内消費向けの生産が少ないので大部分の工場では生産縮小しかありません・・
これでは、万人単位の暴動が頻発しているのも宜なるかな・・公式発表すれば共産党独裁が崩壊しかねない・・内乱になりかねないからでしょうが、実態は大変な様子です。
(このため今年度予算では国防費その他治安関係経費が急膨張しました)
昨日夕方の報道ではリーマンショック以来になる0、25%金利引き下げが発表されてましたが、インフレ心配などと言ってられないほど景気が冷え込んで来たからでしょう。
しかし中国の場合、輸出依存度が極めて高いので、輸出先がなくなった場合、金利だけ下げても輸出を前提にした生産業界はどうにもなりません・・せいぜい利払い負担を軽減するくらいの効果しかないでしょう。
国内生産工場の稼働率を上げるには、リーマンショック時のように巨大な内需拡大政策しかないのですが、前回のときに資金を使い果たしているので今回は財政出動がままならないので、仕方なしに金利下げで誤摩化すしかないのでしょうが、何回も書いているように現在社会では金利上下による経済効果が知れています。
(紙幣大量発行とインフレ等のテーマで、今では中央銀行の独立の存在意義がなくなっていることを何回も書いてきました)
そのうえ、金利を下げると海外からの投資が減ってしまい、外貨準備が急減してしまう・・人民元の下落リスクが起きてきます。
(中国の外貨準備高は貿易黒字によるだけではなく、日本など海外からの絶えざる投資による所が大きいのです)
中国の金利下げは、好感度指数というよりは、ここまで実態が悪化しているのかという受け止め方・・先行き不安指数の発表と見るべきでしょう。
ベトナムなど次の新興国の追撃が始まっているだけではなく、肝腎の輸出先のアメリカが貿易赤字を大幅に減らすようになり、次の輸出先としていた欧州が危機に陥ってまともな輸出先がなくなりつつあるこのときに、次世代からの追撃・・少子高齢化も目の前です。
ところが、中国等新興国では社会インフラ・・社会保障制度も緒についたばかりです。

成長・停滞と出産2

平成バブル崩壊後では、江戸時代同様に経済停滞局面に入ったので、生き物の智恵として国民は自発的に少子化に転じているのですが、世代サイクルの変動に比べて経済情勢の変化の方が早いので、人口減が追いつかず若者の就職難・・非正規雇用問題になっているのです。
労働力の供給過剰は、高齢者がいつまでも隠退しなくなったので少子化にもかかわらず実質的労働人口が増え続けているのと、海外進出→国内生産縮小による需要減の両端から攻められていることによることを、これまで繰り返し書いて来ました。
我々弁護士増員問題も、従来の500人合格から750〜1000〜1500〜2000〜3000人合格にするとその差だけ増えて行くようなシュミレーションが多いのですが、従来60〜65才で多くが隠退していたのに対して、75才前後まで普通に働いている時代になるとその増加分を計算に入れないと間違います。
しかも高齢者が比較的有利な仕事を獲得して、若手は仕事がなくてサラ金や生活保護受給支援、少年事件等収入になりにくい事件ばかりやっているのが現状です。
これが合格者増に対する反乱が起きている・・平成22年春の日弁連会長選挙で増員反対派が当選した大きな原因です。
低成長社会になると原則として一家が分裂する必要・余裕がなくなったことと、次世代の多くが非正規職につくようになって自活し難くなって来たので、親が生きているうちから親の資産価値が増し(親の資金援助や同居して生活費を浮かせるなど)、さらには遺産承継価値増大となって親子関係維持の価値が増しつつあります。
成長の止まった社会・・静止社会と成長著しい動的社会とでは遺産価値が違うことをSeptember 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書きましたが、今回は国民全般の遺産価値感の変化ではなく、大都市とそれ以外の地域出身者との格差出現について書いて行きます。
農業社会では拡散して居住する形態ですので、遺産価値に地方と都会との格差はあまりありませんでしたが、商業社会化が進むと都市国家・都市集住形態が必然的帰結で散らばって住むメリットがありません。
(グローバリゼーションとは、言い換えれば世界中が商業社会化・・商品交換経済に巻き込まれるしかないことを意味します)
そこで商業社会化に比例して人口の都市集中が進むのは必然ですから、開国した明治以降ずっとその傾向で来たのですが、昭和末頃までは地方でも一定の都市機能のある場所はそれほど衰退していませんでした。
ですから、同じ県内に過疎地と都市部が混在している縣が殆どでした。

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