出産育児の社会化(男の役割1)

 
離婚率の上昇が続くとオスの方で結婚するリスクが高まることから、結婚率が下がる傾向になって高齢結婚になって行くテーマで2010-9-21「新たなカップル」2010-10-13「破綻主義と婚姻率」2010-10-20「中高年の結婚」等を書きましたが、今回はその続きになります。
江戸時代の男は家督を継げる男以外・・江戸に流れてくる男は結婚出来ないので性産業が盛んになったのですが、これからはその逆で結婚をしたくない男が増えて(にも拘らず性欲の減退しないオスも残るので・・・)性産業が隆盛になるかも知れません。
性産業は女性の尊厳を踏みにじるから良くないとして、これを禁圧しているとその代わり無償なら良い・・・フリーセックスが普及する事になるので結果的に何となく女性が損をしたような結果になりますが・・・。
フリーセックスに参加出来ない見た目の悪い女性・・あるいは持てない男は共にどうなるのでしょうか?
やっぱりどこかで引き合わせてくれる仕組みが必要になるでしょうか。
出産する必要性が乏しくなって来る社会では、神の摂理で自然に男女共に一定率で性欲が退化して来て一定割合で異性を必要としない男女が増えて来るのでしょう。
ミツバチが女王蜂とそれ以外になっているように、性行為に特化した両性と限りなく中性化したグループに分かれて行くのかもしれません。
08/08/10「婚姻制度と売春業の両立2」では、かっちりした婚姻制度が空気抜きとしての売春業を必須の制度となって行ったと書いて来ましたが、今回は逆に婚姻制度が崩壊してくると性欲を満たすためのフリーセックスに対応出来ない弱者(性欲はあるが持てない男)のために必要な制度となる可能性があります。
これを禁圧しすぎると、まだ草食系に変化しきれず性欲があるのに持てない男はやむにやまれず性犯罪に走る確率が高まります。
農耕社会から都市社会・・勤労社会に変質し、地域を単位とする集落共同体が崩壊し始める核家族化・都市生活の進展に伴い父親が離婚の有無にかかわらず養育に参加するべきとする思想が発展したと今年の7月9日以来書いて来ました。
しかし、法的構成と動物的意識の変化は別ですので、この社会的要請に基づく理論構成に(誰も表面上反対しませんが)母親が寄りかかって安心しているのは危険です。
妻(女性)は子育てに目一杯なのでその間夫を放っていても、最近のスローガンを信じて育児に大変だからむしろ協力をして貰えるのが当然と思っていますが、夫の方は理屈では「あなたの子だから」といわれても,身体(無意識界)の方ではまだピンときていないので、無意識下では待遇が悪くなった印象の方が強くなります。
妊娠・出産前後の浮気が多いのは、これを実証しています。
まして、養って貰う子供の方では、離婚後の父親に対して何の感謝もしないのが普通とすれば、養育の義務だけ強調して法で離婚後の父親に対して強制するのでは無理が出ます。
この強制が行き過ぎると、将来のリスク回避意識が働いて婚姻率が低下して行く可能性が高くなります。

成長・停滞と出産2

平成バブル崩壊後では、江戸時代同様に経済停滞局面に入ったので、生き物の智恵として国民は自発的に少子化に転じているのですが、世代サイクルの変動に比べて経済情勢の変化の方が早いので、人口減が追いつかず若者の就職難・・非正規雇用問題になっているのです。
労働力の供給過剰は、高齢者がいつまでも隠退しなくなったので少子化にもかかわらず実質的労働人口が増え続けているのと、海外進出→国内生産縮小による需要減の両端から攻められていることによることを、これまで繰り返し書いて来ました。
我々弁護士増員問題も、従来の500人合格から750〜1000〜1500〜2000〜3000人合格にするとその差だけ増えて行くようなシュミレーションが多いのですが、従来60〜65才で多くが隠退していたのに対して、75才前後まで普通に働いている時代になるとその増加分を計算に入れないと間違います。
しかも高齢者が比較的有利な仕事を獲得して、若手は仕事がなくてサラ金や生活保護受給支援、少年事件等収入になりにくい事件ばかりやっているのが現状です。
これが合格者増に対する反乱が起きている・・平成22年春の日弁連会長選挙で増員反対派が当選した大きな原因です。
低成長社会になると原則として一家が分裂する必要・余裕がなくなったことと、次世代の多くが非正規職につくようになって自活し難くなって来たので、親が生きているうちから親の資産価値が増し(親の資金援助や同居して生活費を浮かせるなど)、さらには遺産承継価値増大となって親子関係維持の価値が増しつつあります。
成長の止まった社会・・静止社会と成長著しい動的社会とでは遺産価値が違うことをSeptember 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書きましたが、今回は国民全般の遺産価値感の変化ではなく、大都市とそれ以外の地域出身者との格差出現について書いて行きます。
農業社会では拡散して居住する形態ですので、遺産価値に地方と都会との格差はあまりありませんでしたが、商業社会化が進むと都市国家・都市集住形態が必然的帰結で散らばって住むメリットがありません。
(グローバリゼーションとは、言い換えれば世界中が商業社会化・・商品交換経済に巻き込まれるしかないことを意味します)
そこで商業社会化に比例して人口の都市集中が進むのは必然ですから、開国した明治以降ずっとその傾向で来たのですが、昭和末頃までは地方でも一定の都市機能のある場所はそれほど衰退していませんでした。
ですから、同じ県内に過疎地と都市部が混在している縣が殆どでした。

成長・停滞と出産1

維新以降は、江戸時代と違い都市労働者としての働き口が出来たので、成人すれば病人等以外は外に出てしまう・・明治に入って30年も経過する頃には大家族化どころか逆に都会定着によって郷里との縁が遠くなる核家族化が進展し始めて・・親族共同体意識の崩壊が進み始めていたことになります。
しかも、出先で知り合った人との結婚が進むと、地域に根ざした親族血縁意識も崩壊し始めます。
親族・地域共同体意識崩壊が始まってから実態に反した制度が出来たとすれば、民法典論争(「民法出(いで)て忠孝滅ぶ」のスローガンでした)で紹介したように共同体崩壊・・意識の変化を食い止めようとする勢力による反撃の成果であったと言えるでしょう。
民法典論争については、06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1)」以下で紹介しました。
明治維新以降平成バブル期までは、(親の長寿化にあわせて長男夫婦までが新居を構える)核家族化が一直線に進行して行った過程であったとも言えるし、見方によれば子沢山時代だったので一家が分裂して行くしかなかった時代であったと言えます。
逆から言えばいくらでも分裂して行ける環境があったので多くの家庭で子沢山になった(政府による誘導だけではなく自発的だった)とも言えます。
何回も書きますが、二条城の黒書院のような大規模な家は生活の場としては存在せず、屋敷地としては広くとも庄屋クラスでも一つの住居用建物としては、数十坪あれば良い方の狭い生活でしたから、(一般農民の家は10坪前後のワンルームが普通でした)一つ屋根の下で生活出来る人数は限られます。
いつの時代にも一つ釜の飯を食い、生計を一にするのは親子直系だけで構成するのが原則で、新田開発や領土拡張その他景気が良ければ分家(家の制度で言う分家ではなくここでは、独立家庭を作る・枝分かれと言う意味です)して行けるし、社会が静止・停滞してしまうと分家・独立出来ないので子供は2人以内・・現状維持しかないのですが、誤って多く生まれたり嫁や婿に行き損ねると居候や厄介として傍系がぶら下がる例外的状態になると言えます。
江戸時代中期以降は経済成長が止まってしまったので、家族が分裂・独立出来なくなってしまいましたから、直系だけで次代に繋いで行く社会・・すなわち2人以上子を生み育てるのはリスクのある時代でした。
人口調節に失敗した例外的ぶら下がりが起きると庶民では都会へ放逐して無宿者にしていたのですが、明治以降は働き口が多く出来たので再び2人以上生み育てるのが普通になり、しかもぶら下がりが影を潜めた結果、核家族化が進んだに過ぎません。
ただ、都会への放出による核家族化は次男以下の別居になっただけでしたが、高度成長期以降は農林漁業がた産業に比べて収入が伸びなかったことから、地方では過疎化が進み長男も都会に出てしまう傾向が始まり、老人が取り残されるようになりました。
他方で、前回書いたように長寿化の進展が都会地でも長男夫婦と両親との別居をもたらし、核家族化の完成になったと言えます。
同一生活圏にありながら長男夫婦の別居が始まったのは、長寿化が大きな要因ですが、それだけではなく経済の成長があったればこそです。
非正規雇用が増えて来た昨今では、再び3世代同居が増えつつありますから成長社会では次世代が家を飛び出しやすく、停滞社会では家を出にくくなるので、成長・停滞は核家族化と出産数にとって重要な基準と言えるでしょう。

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