中間層の重要性4(テロ・暴動の基盤1)

資源収入に頼る国・・産油国では分配対象(一定金額の収入・生産に要する必要人員)が少なくて済む(労働分配率が殆どない)ので、貧富格差が飛躍的に拡大します。
これが資源輸出に頼る国・アラブや北アフリカ諸国では政治不満が起き易くテロ組織が勢いを増す構造です。
ちなみにテロ組織の隆盛・事件頻発は、アラブとかイスラム教に特有の関係ではなく、国家経済が資源収入に頼る割合が高い→利権種入を得る王族や支配者の外におこぼれに預かる関連従事者が少なく分配対象者が少ない→貧富格差の拡大進行によるものです。
アラブ諸国の中で、エジプトのみが(今回の騒乱まで)長年安定していたのは、資源輸出に頼る割合が殆どない(不労所得としては、スエズ運河収入くらいですが特権階層がいないこと)、もともと農業国で主として国民の労働に頼っていた・・所得分配が広く薄く出来ていたことによるでしょう。
また湾岸首長諸国やサウジ王国が安定を保っていられるのは、産油収入が多い割に人口が少ないので、王族だけが裕福ではなく一般国民にまで気前よくバラマキを出来るからです。
アメリカのシェールガスやオイルが出回ってアラブ・北アフリカ産油国の売上が減少して国民への分配が減ってしまうと、昨年のチュニジュア〜リビヤやエジプト、今回のマリ共和国内戦〜アルジェリア等と同様の騒乱が始まるリスクが高まります。
中国等近代工業化に離陸したアジア新興国では、産油国の王族同様に経営者や共産党幹部等、利権収入を得る特権階層がいる点は同じですが、工業化による場合は非正規雇用中心であっても多くのヒトを使うので産油国よりも多くの人に薄く広く所得分配出来ることが重要です。
一般人に殆ど仕事のない産油国・・砂漠の民等と違って、給与が安くても、身分が不安定でも日々の収入さえ継続していれば政権に対する不満がその分緩和され・・命がけで暴動する人が出ません。
昔から農民が如何に貧しくても、食えている限り農民が暴動を起こしませんし、流民化しません。
リビヤのカダフィ大佐の私兵同様に、中国の場合も共産党の私兵である人民解放軍や公安警察による強権による締め付けによって政権維持しているのですが、これは締め付けがうまく行っているからではなく、多くの工場労働者の存在・・一応分配出来ていたことによります。
ただ、これが大量に失業するようになると、リビヤ等と同じ問題・・軍や公安の力だけでは抑え切れなくなるでしょう。
従来中国沿海部と内陸の格差がマスコミで報道されていましたが、地域差ならば(目の前の人が皆同じく貧しいのですから)それほどの不満が起きません。
対策も単純で財政出動さえすれば(日本でも地方過疎地への公共工事で誤摩化してきました)何とかなりますが、都市に入り組んだ非正規雇用者の失業増大・生活困窮となると一筋縄では行きません。
日本でも地域差の問題ではなくなって来た結果、地方政府や企業補助等の間接的財政出動ではなく、個々人への直接バラマキが必要になった背景事情として「都市住民内格差1と選挙制度」January 21, 2011のコラムその他であちこちで書きました。
1月19日の日経新聞朝刊では蘭州市で、山を崩して巨大ニュータウンを作る工事写真が出ていました。
汎用品生産工場中心で離陸発展した中国では、人件費高騰のあおりで反日暴動以前から外資に逃げられつつあったのですが、住む人もいない新市街・鬼城(ゴーストタウン)を作る工事によって、当面の失業対策・GDPアップ効果になっているという記事です。
こんな無駄な工事(鉄道工事や幽霊マンションの大量建設もその例です)を繰り返して苦境に陥っている経済実態を糊塗しているのが現在の中国経済ですが、こんなバカなことがいつまでも続く訳がありません。
中国賛美記事の多い日経新聞では珍しい現象です・・・こんなことはずっと前から分っているのに国民を騙すために報道していなかっただけ(だからこそイザとなれば1日で現地写真を出せたのでしょう)ですが、これはこの後で書くように中国政府発表に驚いてマスコミも慌てて追随しているのでしょう。

最先端社会に生きる7(中間層の重要性2)

日本より後発の韓国では日本とは違い中間層の形成期間が短くこれと言った蓄積を出来ないうちにアジア通貨危機に見舞われてしまい、中間層がナケナシの貯蓄を失い、その後国民の多くが非正規雇用の時代に突入しています。
漢江の奇跡と言われる高成長は、日韓条約による巨額円借款によるものがスタート台ですが、スタートから数えてもアジア危機までは僅か30年しかありません。
まして円借款と同時に経済成長したのではなく、この借款でインフラ整備してこれがそろってから日本企業の進出があって成長軌道に乗ったのですから、年収1万ドルになった時期から見ればホンの僅かです。
なにしろ、1人前の収入になったと認められてOECDE加盟(96年)の翌年には、アジア危機に見舞われてIMF管理に入っています。
僅か1年たらずのアジア危機で再び1万ドル割れして最近漸く2万ドル前後・・日本の約半分になっているところです。
以下のグラフで見ればアジア危機後1万ドルになったのはおよそ2000年過ぎのことですから、現在時点で漸く約10年経過したところに過ぎず、蓄積の薄さが分ります。
一人当たりの名目GDP(USドル)の推移(1980~2012年) - 世界経済のネタ帳
出典元URL
http://ecodb.net/exec/trans_weo.php?type=WEO&d=NGDPDPC&c1=KR&c2=JP

アジア危機以降上記のとおり、GDPこそ上昇していますが、アジア危機によって殆どの企業が欧米資本に買収されてしまった結果、利益・金融収益の殆どを海外に吸い上げられていることから、韓国では、GDPを一人頭で割っても実際の生活水準を計れません。
韓国や中国の貿易依存率が無茶に高いのは、国内消費水準が低い・・国民の購買力の低さ・・GDP上昇の恩恵が正当に国民に還元されていないで海外流出していることに原因があります。
(中国の場合、外資による収益の海外流出のみならず裸官・ラカンと言って政府高官・富裕層が保身のために海外へ不正蓄財資金流出させていることにより加速されています)
これが現在韓国で大財閥のみ栄えて、国民が悲惨な状態にある原因です。
日本の場合、企業の海外生産比率が上昇する一方です・・ここ10年以上貿易収支の黒字よりも海外収益の還流の方が大きかった原因です。
日本のような高齢化社会では労働収入よりも金融資産(年金を含めて)家賃等の収入の方が多くなっていますから、労働収入比で貧困率を計っても意味がありません。
この逆張りで中国や韓国では逆に外資に持って行かれるばかりですから、GDP・企業利益を基準にしても国民の福利状態・豊かさの指標にはなりません。
国際化時代には、GDPは1つの指標にしか過ぎなくなっています。
例えば中国の生産の半分〜3分の1を日本企業が担っているとすれば、その収益が日本に持って行かれるし、しかも日本企業が他所の国に立地変更すれば中国は困ってしまうので、GDPと国力との関連性は薄まっています・・時代遅れの指標です。
中国は反日暴動で底力を見せ付けたつもりですが、中国国内の売上が半分以下に減ったトヨタが皮肉にも昨年世界一の販売量を奪還して好調に沸いています。
日本は中国の成長が頭打ちならば好調な東南アジアや、北アメリカにシフトすれば済みます。

最先端社会に生きる6(中間層の重要性1)

日本のあるべき政策目標は今まで先進国の一員としてうまい汁を吸って来たことに対する世界的逆流効果(デフレ圧力・所得の世界平準化運動)を緩和して軟着陸して行く方策を探るのが合理的行為であって、高原状態にある日本がもう一度高度成長を期待するのは論理的に無理があります。
高原状態の収入や社会では現状維持出来る程度の技術革新で良いのであって、画期的飛躍まで求める必要はありませんし、これが出来ないからと言って関係者を非難するようなものではありません。
更なる進歩・・世界最先端の画期的技術革新や画期的商法を期待したい・・「夢よもう一度・・」の気持ちは分りますが、これを政治家に期待するのは無い物ねだりです。
無い物ねだりのマスコミ報道→国民願望醸成が続けば、国民の願望が満たされる訳がないので政治家に対するフラストレーションが溜まりますし、ひいては政治不信を助長させて国政混乱を増幅させて来たのがココ20年来のマスコミです。
マスコミは政治家に出来ないことを要求しているのは、いつも日本が政情不安定状態にあることを期待しているどこかの外国の意を受けているかのようにすら見えます。
仮に画期的技術革新があっても、今では数年もすれば中国やサムスンなどに直ぐに真似されてしまう時代ですから、先端研究・先行者利益はせいぜい1〜2年・長くて5年程度しかありません。
このいたちごっこをしているうちに先行者利益期間が短縮されて行く一方になって行くのを防ぎようがない現実を認めるしかないでしょう。
社会構造を一変するような新機軸の開発・発見は、政治家が笛さえ吹けば直ぐ効果が出るものではなく、民間の長期間の実務・工夫力から生み出して行くしかありません。
発明発見には規制緩和や教育のあり方等その他政治の関与による部分も(ないことはないと言える程度)ありますが、その効果が出るのは数十年先ですから結局は民間の自発的工夫力です。
産業革命もアップルのジョブズ氏の出現も、数年単位で政権交代する特定政治家・政府の教育が良かったとか、ある数年間の産業政策が良かったから出現したと言えるものではありません。
一国の産業政策の効果が出るには、うまく行っても数十年かかるのですから、数年ごとに政治家の勤務評定をする選挙制度は制度疲労を起こしていることになります。
現在アメリカ復活の原動力と期待されているシェ−ルガス革命は、「いつのどの政権の功績によるとは言えない」と言えば分りよいでしょうか?
ところで、現在日本は、世界最上の生活・道徳水準にあるとしても、内容を個別に見れば若者が苦しくなっているのが問題です。
中高年は既得権益(新興国の低賃金攻勢があっても給与削減されません)で守られますが、若者は新卒就職段階で新興国の低賃金の挑戦をまともに受けているから苦しいのです。
ところで、社会の持続可能性についてみると、同じく高齢化が始まっても日本は中国や韓国に比べて、親世代の蓄積の大きいことが対応能力上有利です。
日本では個人金融資産が1500兆円もあると言われますが、韓国ではむしろマイナス気味のようですし、(負債超過)中国では高度成長したと言っても低賃金労働者がそれまでの最貧国的レベルから見ればマシになった(・・解放前にはちょっと凶作になると数千万人単位で餓死するような社会でした)と言うだけで、何らの蓄積も出来ていません。
京都旅行に関連して本社部門の重要さを年末ころに書きましたが、中国の工場が勢いが良いと言っても、今や日本同様に低賃金・派遣や期間工中心・・月収2〜3万円ですから、日本基準で言えばまだ食うや食わずです。
日本の場合、先行者利益の恩恵を受けて戦後から最近まで何十年も多くのホワイトカラー層を輩出し、工場労働者は終身雇用・・社会保険その他充実した待遇を受けて来たので、今の中高年齢層の殆どはそれぞれある程度の自宅を保有し、退職金や年金をもらい安定した境遇にあります。
中高年齢層の個人金融資産の大きさだけがマスコミで報じられていますが、金融資産の外に自宅等の固定資産も多く蓄積されています。
話の裏側ですが、裕福層の逆張りで、サラ金事件でも弁護士を悩ませるのは、金融負債の解決だけではなく、その他負債予備軍的資源の使い尽くしの問題です。
サラ金等の生活苦の人は、家具・衣類の買い替えその他全ての分野で少しでも支出・支払を先送りして来ているので、いざ分割払いが始まると先送りが限界になった家財道具の買い替えや修理、付き合い上の未払い(これらは債務として計上していません)その他が始まり、予想外にその他支出が増えてきます。
この逆に資産家の場合、資産の3分法と一般に言われますが、富裕層はイザとなれば金融資産以外に換金出来る不動産、絵画、貴金属、別荘、投資用マンション等の有形無形の資産を多く持っていますから、金融資産はその一部でしかありません。
財政赤字問題に関しても、国や市町村等の取得した資産を計上しない議論は幼稚過ぎると言う批判意見を書いてきました。
例えばある年度に公共用地を数億円で取得すれば金融資産はその分減りますが、その代わり同額の資産が増えていますし、逆に数億円の公共用地を売却すれば、その分金融資産が増えて財政赤字が減りますが他方で数億年の資産が減っています。
もしかして評価10億円の資産を数億円で叩き売りしていても、金融収支だけで評価すると数億円の赤字を減らした有能な政治家ということになるのでは国民が困ります。
今朝の日経朝刊に老後資金について書いた紙面がありましたが、そこでは老後に約1億円いるので1億円に不足する人は今から不動産を処分して備えるのが良いようなバカな?アドバイスが出ていました。
(自宅があれば家賃が要らないので必要資金が減るのですが、売ってしまったら余計多く資金が必要になってしまうでしょう)
不動産を売って1億円の現金を貯えるかどうかは必要なときに考えれば良いことであるのに、何が何でも金融資産の額だけで健全性の指標にを考えるマスコミの変な価値観が現れています。
話を戻しますと、一般的に言ってまとまった金融資産を持っている高齢者は数倍のその他資産を持っているのが、普通と考えていいでしょう。
この辺は、若者の非正規雇用化社会での都市住民2世3世と1世(地方から都会に出て来たばかりの若者)の格差(親の家に同居出来るだけでも大きな便益)としてOctober 6, 2012「最低賃金制度と社会保障2」その他で解決すべき今後の重要な格差問題として書いてきました。

相続制度改正3(遺留分廃止)

家督相続人・法定相続人である限り廃除されなければ相続出来る・・戦後民法改正(現行法)では、従来の家の制度がなくなったとはいえ、身分・血縁関係で相続分が自動的に決まる点は同じで家督相続から均分相続に変った(廃除制度も旧規定と全く同じ)ことくらいです。
戦後家の制度が廃止されたと大きく宣伝されているものの、実際には先祖伝来の家産・・戸主ないし現在の所有者は半永久的な時間が経過・通過して行く一時点での預かり主に過ぎず、次世代に引き継いで行くべき・・管理者的意識を前提にしたものでした。
自然保護・環境問題には、子々孫々にまで受け継いで行く意識は重要ですが、ここでは相続・戸籍制度維持の必要性の観点から書いています。
現在でも生活に困っていない限り、相続して自分で耕さない遠い故郷の農地でも、あるいは無人になってしまった親の住んでいた家でも無駄だから直ぐに売ってしまおうとしない・・抵抗があるのは、先祖から受け継ぎ子孫に繋いで行く意識があるからです。
戦後民法でも遺言(特段の意思表示)がない限り法定相続どおりになってしまうことと、本来遺言で自由に処分出来るべきところ、家の制度・・先祖伝来の世襲財産価値を重く見る立場から、遺留分制度を設けることによって結果的に遺言の自由は原則として半分しかないことは戦前の民法と全く同じ規定です。
ただし、原則と例外の関係に関する規定の仕方から、先ずは遺言があればその通りに100%効力が生じるようにして、一定期間内に遺留分権利者が遺留分権を行使しない限り、遺言で決めた効力のままになってしまうとする規定の仕方によって遺言の効力が守られやすくなっていますので少し(結果は半分になるのですが)自由処分権に比重が置かれていたことになります。
この規定の仕方は、戦前の民法でも同じでした。
(原文の写真については法令全書で見られますので気になる方はご自分でご覧下さい)
いろんな制度があっても積極的に動いた人だけが実現出来るとすると実際に動く人は少ない・・裁判までしようとするとかなりのエネルギーが必要なことから、その権利・受益実現は限定されます。
次男らは全部遺言で貰った兄弟相手に裁判までしにくいので、遺言がそのまま100%効力を維持出来ることが多くなっていました。
争いが起きるのは、主に腹違いの兄弟がいる場合でした。
このように一定の権利が認められても、その実効性は法の規定の仕方によるところが大きいのです。
April 8, 2011「失踪宣告4」までのコラムで失踪宣告の申し立てまでする人は少ないと書いたのと同じことで、何を有効性の原則にするかで法の実際的効果はまるで違ってきます。
この後に書いて行く遺言の有効性に関しても、現行法のように原則的に全部有効としておくのか、一定の場合・・一定年齢以降や施設入居後は一律に無効としておくのかによって、実際上の効果がまるで違ってきます。
ですから、親族相続に関する戦後の大改正と言っても、観念だけで元々何の効果も持っていなかった家の制度をなくしたくらいで、経済的社会的変化を反映させると言う視点での変化は微温的だったことになります。
敗戦当時はまだ個人の能力次第の社会に殆ど変化してなくて、静的な世襲財産の価値・比重が大きい社会であったからでしょうか。
あるいはアメリカの外圧による仕方なしの改革であって、(何とか旧習を温存しようとする勢力の方が強く)明治維新のときのようにこれからの日本社会を積極的に合理化・変えて行こうとする意気込みが全くなかったからかもしれません。
この点では明治31年の民法は当時の社会実態よりはかなり進んでいたことが分ります。
民法典論争時の誰かの意見を読んだ記憶では、「今は進んでいるように見えても今後10年もすれば時代遅れになるのだから・・」と言う意見を読んだことがあります。
現状よりも大分進んだ法律であった分だけ相続意識の実態(子々孫々に承継して行く中継ぎ意識))に合わなかったので、前向き・自由処分の方法としての利用は少なく、(戦後になってもまだ)逆に戦後は世襲制維持のため・・・均分相続制に対する抵抗として長男に全部相続させる方向へ利用されていた程度だったのです。
意識が遅れていたからと言うよりは、その後の経済発展にも拘らず、なお社会全体に占める世襲財産の価値比重が大きかったことによります。
明治創業の世に知られる一代の成功者(財界に限らず政界でも同様でした)は今同様に能力だけで駆け上がった人が多かったので、直ぐに能力社会になると思っていた人が多かった・・これが明治民法の革新的制度の創設理由であった筈です。
ところが皮肉なもので、明治の大成功者自身が「児孫に美田を残さず」と伝えられる西郷隆盛を例外としてほとんどが成功すると自分の子孫に(財閥を筆頭に大中小の成功者・軍人官僚その他みんな親の築いた地位を残して行く方向へ進みました。
今でもそうですが自分の築いた(大小を問わず)資産や地位を出来るだけ自分の子供に残したい本能があるのは否定出来ないでしょう。
残すほどの資産がない人は、進学競争に明け暮れているのも、その本質は同じです。
明治中期以降社会秩序が固定すると世襲制が却って強化されて行ったので明治末頃から、人材の行き詰まりが出て来て第二次世界大戦へ突入すべく、我が国は窮屈な社会になって行った経過を以前書いたことがあります。
西郷隆盛は、西南の役で途中死亡したから「美田を残さず」の伝説が残っているのですが、彼が最後まで中央でいた場合どうなっていたかは分りません。
明治村にある西郷従道邸を見れば、西郷一族自身世襲の恩恵を受けていたことは明らかです。
明治後期以降は明治初めに創業し大成功した人達が財閥化し、その子孫が世襲の地位財産で良い思いをする時代に入って行ったので、遺言の自由化が進まなかったのは当然です。
米軍の空襲によって壊滅的被害を受けた戦後でも、元々の一文無しが創業出来るものではないので、親世代からの世襲の地位財産(仮に100分のⅠに減っていても資本と言えるもの)を利用して飛躍した人が多かったのです。
戦前の財閥企業がそのまま今でも大きな存在であることを見れば分りますが、財閥に限らず大中小の資本を持っていた人が戦後元の事業を再興拡大して行った点は同じです。
ただ、戦後は明治維新当時同様に旧秩序が解体されたので自由競争がし易くなり業者間の競争淘汰が進んだ点が明治末〜昭和前期までとは違って自由闊達な感じになりました。
更に戦後の大きな変革は、ホワイトカラー層の拡大充実があって、中間層の大量出現を見たことです。
中間層とは、能力だけが自分の主たる主たる資産で(だから進学熱が上がるのですが、これも形を変えた世襲化の思想です)世襲出来るほどの資産や地位を持たないけれどもある程度遺産があると言う意味ですから、これらの階層の相続が始まった昭和末頃からは世襲財産から解放されて個人財産化して来たのです。
ここにおいて初めて、遺言制度の改正が必要な時期になった・・制限的制度から積極的に利用し易い制度への変化が求められているようになったと私は考えています。
遺留分に関しては、07/18/03「遺留分13(民法75)(減殺請求権1)」前後のコラムで紹介していますが、もう一度条文だけ紹介しておきましょう。

第八章 遺留分
(遺留分の帰属及びその割合)
第千二十八条  兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。
一  直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
二  前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一
(遺留分の算定)
第千二十九条  遺留分は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。
第千四十二条  減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。
相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

上記の通り明治以降現行法まで法定相続を原則にしていて遺言があった時だけ法定相続を修正出来る仕組みですが、世襲制に親和性の高い農業や家業の比重が下がってきた昭和の終わり頃から中間層の相続が始まると相続した人も気楽に遺産を売却して換金化したいと思う人が増えますし、被相続人も自分で稼いで貯めたお金だから、好きな人にやりたいと思う人が増えてきます。
今では数百年前から受け継いで来た資産に頼って生活している人の比重が激減しています。
今の都会人の9割以上の人にとっては、自分の稼いだ分が自己の資産・あるいは自分の築いた能力が生活手段のほとんどを占めている筈です。
こういう時代になれば、自分で築いた地位や資産はその人が自由に処分するのを原則にする・・先祖から引き継いだ資産ではないので、子孫に残して行く義務もない・・遺言で決めて行くのを原則にし、(勿論子供に残したければ遺言で書けば良いのです)遺留分など認めず遺言しない人は遺産の受け手を決める権利を放棄した・・棄権したものとして国庫帰属にして行く方が合理的です。
遺言ですべて決めて行き法定相続人を認めない時代が来れば、血縁関係調査のための記録整備・戸籍簿は不要となります。
その代わり、遺言に関する規制も従来とは違った規制が必要になりますので、これを次回以降に書いて行きます。

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