不逞鮮人がいたのか?3

GHQは強力な検閲により、記録さえ残さなければ良いと考えたでしょうが、我が国は記録魔の社会のように思われていますが、実は古くから「稗田の阿礼」の故事に知られるように文書がなければ口誦・伝承して行く社会ですから実際にあった歴史を消せません。
村々のお祭りその他文書化し難いいろんな行事がずっと伝承継承されて来たのは、口誦で伝承して行く特質があるからです。
今朝の日経新聞最終面に尾張漫才の伝承に努力している人の記事が出ています。
記録魔というよりは政治・経済事件に限らず災害その他発生した事実を子々孫々の教訓に残して置きたいという民族精神の強い国です。
アメリカや中韓では、歴史は権力者が作るもの・・噓でも権力が一定期間強制すればそれが歴史になると思い込んでいるから、戦争に至る米国に都合の悪い書籍類(名目は反民主主義思想根絶と言うのでしょうが・・)を一斉に廃棄処分を命じたいわゆる現代の「焚書坑儒」を恥ずかしいと言う意識もなく堂々と実施したことが知られています。
歴史は権力の都合で書くものではなく事実を基本として理解するものと考えている日本人としては、米中韓が勝手に作り上げた歴史教育を前提にして韓国が「歴史を重視せよ」と言い張っているのを聞くと「冗談言うなよ!」と滑稽に感じるのはこの違いがあるからです。
わが国では大戦乱があっても古文書等を避難させて後世に残す努力をするのでいろんな古文書美術品等が残っているのに対して、中国では王朝崩壊の都度前時代全面否定が原則であるために前王朝の文物がほとんど廃棄されて残っていない原因です。
日本マスコミ・文化人の主張はいつも日本政府の戦略性が弱いと言う批判・・中国の政治は戦略に裏付けられていて素晴らしいと賞讃して来た原因は、日本のマスコミ文化人がアメリカや中国流の目先主張・・見え透いた戦略が正しいと思い込んでいるからです。
長いスパーンで考えるわが国では目先の見え透いた「戦略的主張」など恥ずかしくて出来ません・・実際見え透いたことをすれば数十年後には取り返しのつかない損害として戻って来ます。
中韓や米国の考えでは、権力者が捏造すればそれが正しい歴史だと言う思想の延長でアメリカの大スキな「歴史修正主義者」と言うレッテル張りが生まれて来ます。
「歴史は史実ではなく権力者が都合よく作る宣伝である」前提であれば、これが史実と違っていないか?と疑問を呈すること自体が、権力に刃向かうものとして許されないとコトですから、歴史修正主義者のレッテル貼り=反権力者のレッテル貼り・・言論弾圧の役割を果たすようになっています。
言わば権力のよって立つ正統性批判を許さない仕組みです。
表現の自由を標榜しながら裏では自国に不利な言論を検閲し、・・日本独立後検閲が出来なくなってもアメリカのでっち上げた歴史批判を試みると歴史修正主義者として・・タブー視して批判表現自体を許さない仕組み・・西欧ではナチス再評価する意見自体が刑事罰の対象になっていると言われています・・これが欧米の言う自由な言論の正体です。
「平和憲法を守れ」「軍国主義復活・・戦争法案反対」「近代法の精神に反する」などのレッテル張りで全て議論や思考停止させる運動が大好きなグループは、アメリカ支配にどっぷり使っているコトを示しています。
事実を重視する伝統的価値観が乏しく・強い立場になれば、あるいは強いものに迎合して事実を曲げることに違和感の少ない人や、共同体利益・大義よりも個人・小義優先傾向の強かった人が、戦後アメリカによる個人の我欲・小義主張の奨励に水を得た魚のようにいわゆる文化人として幅を利かして来たように見えます。
利己主義で廻りの迷惑を考えない人・・アウトローにとって安定した社会・時期には活躍の場があまりなかったのですが、このような0、0何%に属する人が、大災害時に元気になって略奪に走るのに似ています。
声を上げられなかった大義重視型・伝統的価値観が戦後70年も経て復活し、その反撃が始まると自己中心型、小義重視型文化人?が表舞台から漸く淘汰され始めたように見えます。
不逞鮮人がいたのかどうかに戻りますと、占領軍による厳しい検閲の結果「不逞鮮人」の違法行為記録を残せませんでしたので、本当にあったのかなかったのかも記録上は藪の中ですが、その代わり日本では言い伝えが強力な発信源として伝承されて行きます。
以下伝承によりますが、占領直後は、朝鮮人から、警察官が袋だたきに遭う事件が頻発していたと言われますが、大量発生するには朝鮮人優遇の思惑が伝わったことの外に警察力を無力化して朝鮮人の跳梁跋扈を意図的あるいは結果的に煽った?ことが影響したように見えます。
検閲は、禁止だけではなく一定方向への誘導作用があることを昨日書きましたが、検挙禁止・警察力弱体化は暴発の誘導効果があります。
市町村単位の警察にすると・・隣の町に警察署があって一応の連携協力があるとしても法的関係がないままです。
こんな小さな単位で予算化して警察を組織していると、ムラや町に一人の巡査がいれば良い方・・強盗強姦をする朝鮮人を検挙すると徒党を組んで押し掛けては巡査を袋だたきにする事例が頻発・・誘発するようになります。
警察力が弱くともニッポン民族は滅多に犯罪を犯しませんが、大災害発生時にアメリカなどで略奪が起きるのと同じ原理が共同体意識の弱いグル−プに働きます。
これを可能にしたのは、占領軍による暗黙の後押しと警察組織破壊によって暴れ放題出来るようにした制度的保障・・後押しによる面が大きいでしょう。
警察から拳銃等を取り上げて武器の所持を禁じたことも含めて占領軍は占領政策円滑化の目的で?警察組織的弱体化を計ったのです。
10月10日に紹介したように首相官邸でさえ、占領軍の応援がないとデモ隊から守れないほどの警察力の弱体化が図られていました。
個別違法行為についてはネット上で元山口組長の自伝か回想録か?で彼の武勇伝として?朝鮮人の無法行為の数々が語られていますが真偽が分りません。
描写が生々し過ぎるので引用を控えますが、今のように日韓関係が険悪化していない時期・・(日韓条約・1965年直後の頃で日本から巨額援助金が支払われ、円満な時期でした)の文書ですし、田岡氏自身戦後の混乱が収まった後には在日を積極的に配下に組み入れ・融和に転じていたことが知られている・・その結果今は幹部の殆どが在日になっていますから,この自伝を書いた頃はむしろ組員の多くを占めるようになっていた在日に対する気配りもあったでしょうから、逆に抑制的に書いたと見るのが妥当です。
まだ戦後の記憶が生々しいときのもの・・現実に被害を受けた同時代人が多く生きているときですから、最低この程度は書かないと収まらなかった可能性があります。
田岡一雄に関するウイキペデイアによります。
「戦後の混乱で警察力が弱体化し治安の悪い神戸の町と闇市を三国人から守るために自警団を組み頭角を現し、登の死後長らく空位であった三代目組長へ推す声が高まった[注釈 3]。
1946年(昭和21年)10月、組の長老たちの推薦により、山口組三代目組長を襲名した。
自伝(昭和49年発行の初版)によると、神戸水上署の一日署長をした経験を持つ[注釈
自伝を発行した昭和49年と言えば、戦後まだ24年しか経過していない・・敗戦直後青壮年期(2〜30歳代)の人が殆ど健在の時代ですから、同時代人が一杯いるときに全くなかった事件をでっち上げて書いたとは思えません。

米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2

ニッポンを植民地化する目標ではなく、「民主化するための占領だ」と言うアメリカの公式立場としては検閲や報道規制は矛盾行為ですから、秘密裏に行なわれていてニッポン側に検閲されたこと自体報道し・記録し漏らしてはならないと言う厳命(占領軍ですから日本法の適用を受けない・・無視すると発刊禁止・殺人など何でも出来ました)でしたから、墨ぬり出版さえ許されないのですから、戦時中の報道規制よりさらに徹底していました。
占領軍による検閲の実態は以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「民間検閲支隊又は民間検閲局もしくは民間検閲部隊は日本の被占領期に検閲を実行した機関で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)配下の参謀第二部(G-2)所管下の機関。英略称はCCD(Civil Censorship Detachment)。」
「実行には民間検閲支隊があたり、検閲は隠蔽された。戦時特別統制下では法律により検閲が定められていて、それは国民一般に広く知れ渡っていた。しかし、GHQが行った検閲は、そのことに言及したり、また、伏字で埋めたり塗り潰すなどの痕跡を残してはならず、秘匿を徹底させられたため、言論統制された情報であることを国民は認識できなかった。検閲は峻厳を極めた。違反したと判断された場合、発行停止の処分や回収裁断などがなされた。さらにGHQは、マスメディアひいては日本の言論を完全なる掌握下に置くために指令を発し、政府による検閲を停止させ(SCAPIN-66)、通信社を解体に追い込んだ(SCAPIN-51)。」
米兵の暴行事件 米兵の私行に関して面白くない印象を与える記事 進駐軍将校に対して日本人が怨恨、不満を起こす恐れのある記事 食糧事情の窮迫を誇大に表現した記事 連合軍の政策を非難する記事 国内における各種の動きにマッカーサー司令部が介在しているように印象づける記事―などであった。」
これが民主化(情報公開・表現の自由を中核と)する目的を名分にした占領政治の実態でした。
検閲と言うと近異・否定だけのようですが、検閲の強烈さに比例した一定方向への利益誘導があったと見るべきが普通です。
この利益誘導(賄賂をもらうだけではなく、迎合すれば記事が書けるし出世もする・・学者の論文が採用されるなど)にマトモニひっかかったのが共同体意識の元々弱い傾向の人達と言うべきでしょうか?
占領軍は日本の法適用を受けない治外法権を利用して殺人、強姦略奪等やり放題と言う法原理でしたからその代わり報道検閲が必要になっていたのです。(この名残を利用して今でも沖縄では米兵が交通事故を起こしただけでも大騒ぎしますが、・・今は日米地位協定で日本が逮捕も出来る外マスコミ報道が自由ですから、占領中の記憶で今も騒ぐのは実態にあっていません。)
占領軍の検閲は、強盗でいえば足がつかないように被害者を皆殺しをするような徹底ぶりでしたから、取材をさせないか、取材したが報道出来なかった場合などの記録が押収されたニッポン側に残っていないのは当然です。
米軍が徹底した・・検閲していた以上は、後世ある事実の有無が問題になったときに一定の状況証拠があれば、真偽不明の責任を検閲者が負うことになるのを覚悟していたと言うしかありません。
古代から我が国では公的組織では原則として記録しており(時々木簡が出て古代の事実が明るみに出る・・数週間前にペルシャ人を表す木簡が出た・・古代からペルシャ人が来ていたと言う意見がありましたが・・と言うニュースがあったばかりです)、今の企業でも全て記録して行くのはその後の検証資料を残すためのものですし、故意に記録を残さないか破棄している場合破棄者が違法責任を自白していたものと見なすべきです。
現在大問題になっている築地市場から豊洲への移転問題でも、盛り土から空間へ変更の記録が見当たらない・・意図的記録廃棄が疑われるのと同じです。
結局記録が廃棄または残されていない以上はどうにもならないので、当然歴代関与者の政治責任がテーマになって来ます。
占領軍や朝鮮人の蛮行に関する客観証拠が出て来ないから、事件がなかったことにはならない・・10日に紹介したように非常事態宣言まで行くほどの事件が頻発していた状態を見れば、それ以前の細かな違法行為がその何十倍〜何百倍もあったと推定される・・政治的評価があるべきしょう。
記録保管者・占領軍が記録を出さない関係は、近年の慰安婦騒動・・南京虐殺宣伝でも同じコトが言えます。
アメリカが占領時にニッポン軍の戦犯を裁く目的で軍資料を網羅的に持ち去っていて慰安婦の強制徴用に関する軍関与がない資料を独占保有しているのに、これを明らかにせずにアメリカが沈黙したままだったのが、ソモソモ不公正・・アメリカが背後で唆しているのだろうと疑われてしまう結果になっています。
国際情勢の変化で日本敵視政策が無理になって来ると、昨年だったか?アメリカの調査団?が漸く軍関与の資料がなかったと明らかにして勝負がつきました。
(南京大虐殺事件ももしも本当にあったならば、戦犯裁判の有力根拠・・必須資料ですから、その資料は裁判で公開されている筈・・勿論米国が持っている筈・・しかも中国に遠慮しているのか?未だに沈黙のママです)
小義に走る民族性に戻しますと、敗戦直後朝鮮人が何故イキナリ違法行為に走ったのか、その自信の背後で誰が唆していたのか、違法行為を検挙出来なくしていたのかを疑う声の合理性基準・・摘発や証拠収集をさせなかった米軍が唆していたことを疑うことなる点は同じです。
戦後の大きな流れを見ると、占領政策の基本である共同体意識破壊工作に真っ先に便乗したのが朝鮮人であり、遅れて検閲→一定方向への誘導に自己を合わせて行った日本人マスコミや学者教育界関係者が反応して行ったと言う流れでしょうか?
米軍意図の詮索は別として、警察力が緩むとすぐに反応する朝鮮人の行動様式は、朝鮮人特有のことではなく今でもアメリカその他日本以外の国では大災害が起きて警察力が麻痺すると直ぐに略奪に走るのが普通です。
東北大震災では世界で日本人だけが黙って救援を待ち、救援物資の奪い合いをせずにじっと並んでいる姿を見て世界中が驚いたのです。
こう言う世界の現実見るときに・・敗戦によって警察力が機能しなくなったと思われたときに、米軍後ろ盾を期待して(日本人から見れば警察は象徴的なものでしかなく、実動部隊が少なくてもルールを守る点は同じですが)朝鮮人から見れば「今こそ暴れるとき」と思えたとしても不思議ではありません。
敗戦時に置ける朝鮮人の動きを見ると関東関東大震災下「不逞鮮人」の略奪が本当にあったのではないか?と信じる人の方が多いのではないでしょうか?
左翼系は関東大震災時の新聞記事や検挙記録はぬれぎぬ・・でっち上げと言う主張(文化人は都合の悪い記録は「でっち上げ」と主張する傾向があります)が多いですが、敗戦時の騒動に関しては米軍の出動記録がある以上、日本政府のでっち上げとは言えないでしょう。
これだけの騒動を起こすにはその前に相当の破壊行動があったと見るべきです。
元々共同体意識の強い日本人とは異なり、ただ権力者が怖いので従って来ただけの歴史しかない朝鮮族が、日本統治下で(迎合的に?)進んで皇軍兵士になっていても日本敗戦となるとすぐさま手のひら返しの行動に出る習性「地」がすぐに出るのでしょう。
ただし、いつも書くことですが、違法行動をしたのはもしかしたら数%以下かも知れませんし、日本人にも一定率の不心得者がいることは確か・・ゼロではないから犯罪があるのですが要は比率が重要です。
良い人も一杯いると言う議論は問題のすり替えでしかない・・テロを実行する人が訪日旅行団の中に数%でもいたら大変です。
良い面で言えば、ノーベル賞受賞者が日本人の1%にも満たなくとも重要なのと同じです。
東北大震災でも困難に見舞われた地域に踏みとどまって助け合うよりは、すぐに逃げ出すような人では・・「やっぱりよそ者」だったと再認識されて地元に融和するのが難しくなります。
留学生で帰らなかった人の意識調査した結果がネットに出ていますが「日本の復興に協力したい」と言う声ばかり・・留学生を持ち上げる目的でしょうが、重要なのは直後に何%が国に帰ってしまったかですが、その調査結果を(あえて?)出していません。
マスコミが意図的に調査しないで、(協力したいという意見記録だけが残る仕組みです)不都合な記録を残さないようにする運用が戦後今でも続いています・・在日犯罪の場合本名を出さないあるいは「男」としか表記しないなどもその一環です)が、アチコチの行きつけの店で留学生らしいアルバイトがイキナリ蜘蛛の子を散らすように?いなくなってしまった現実を目撃している人が一杯いるでしょう・・これらは記憶遺産として残って行くのです。
大災害等の非常事態は100年に1回しかないとしても、困難なときに裏切られた記憶は長く残るものです。
共同体利益を言うと時代遅れとバカにされ、自己中心・・無責任主義の流布・・「悪しき」個人主義思想の浸透・・全体がどうなっても良い・・自己中心の要求を堂々と主張するのが「正しいかのような風潮」を助長して行くのが、占領政策の第一目標であったと見れば、戦後のいろんな動きの符節が合います。
共同体意識破壊目的の個別占領政策はいろいろあると思いますが、ここでは朝鮮人の違法集団化・・暴徒の跳梁との関連で警察組織弱体化を見ておきましょう。
戦後米軍は警察の民主化とどう言う関係があるか分りませんが、小さな市町村単位に組織を解体してしまったことを大分前に紹介しました・・。
今では町村合併が進んで自治体がかなり大きくなっていますが、戦後直後頃東京から疎開して私の住んでいたムラで言えば人口5000人前後でした。
子供の頃のうろ覚えですので今は町村合併でなくなっている村の名前でネット検索してみたところ「6,974人(国勢調査、1955年)と出ました・・便利な世の中です!
この程度の単位で隣接町村と連携しても警察を独立して維持するとなると・・違法集団に対抗出来ません。
もうちょっと大きな組織にしないと犯罪検挙組織としては、どうにもならないことから弱小自治体の警察権返上行動が続き講和条約発効(1951)・・独立後それほどの期間を置かず市町村単位から、県単位に改正されたのが現行警察法です。
ウイキペデイアでは、財政負担を理由にしたことしか書いていませんが、財政負担=村で一人の警察官を雇うのがやっと・・警察力弱小化と同義→自前の警察権返上=力のある周辺自治体への集約運動ですから、自治体が維持出来ないで困っていた・・占領政策による治安悪化にどれだけ苦しめられていたか(GHQの検閲により、米軍や朝鮮人関係の犯罪は報道も検挙すら出来なかったのでデータが残っていません)が分るでしょう。

米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)1

米軍は欧米の植民地支配のやり方を踏襲して在日朝鮮人を利用しようとして彼らを持ち上げようとしたようですが、(この種のことは公式記録に残らないので推測にかかることです・そのつもりでお読み下さい)イン僑や華僑とは違いニッポンでは、彼らの社会的地位が最下層にあること・・能力的にも多くはこれに比例していますからそのままでは無理があります。
そこでかれらを優越的地位に引き上げるには・・朝鮮人には何をされても仕方がないと言う意識の浸透作戦・・支配層に引き上げる思想訓練のためには、彼らが秩序を破壊しても違法にならない超法規的存在に意図的にしたか黙認したかのいずれかでしょう。
駅前などの公共空間占拠黙認などもその一環です。
意図的と言うより日本支配の代理人として役立てようとする占領軍の思惑を知って舞い上がってしまった朝鮮人が調子に乗り、米軍も朝鮮人の違法行為の摘発をためらった・黙認が違法行為を誘発したのでしょう。
朝鮮人を利用しようとしていた米軍は、すぐに「これは使い物にならない」と方針を変えたと思われますが、(現在の慰安婦騒動も、朝鮮人利用の失敗です)一旦は朝鮮人を利用しようとしたことが間違いの元になり、これが今の嫌韓感情の基礎につながっています。
このために占領初期に朝鮮人が勝手に「朝鮮進駐軍」などと名乗り、事実上公認の違法集団として暴れまくったように言われています。
(本当にそのように名乗ったのか?(進駐軍でもないのに)まるで「進駐軍気取りだ」と言う日本人の感想が残っているだけかも知れませんが、法を無視した違法行為がはびこっていたからコソ、法の適用を受けない進駐軍のようだとか戦勝国民ではないのに・・という意味の「第三国人」と言う呼称が一般化していた事実・・・これは戦後生きて来た殆どの人が知っている呼称が重要です)
「朝鮮進駐軍」のキーワードによる2016年10月10日現在のウイキペデイアによると朝鮮進駐軍の存在と暴虐行為を主張するものとこれを否定する論者の双方があって真偽不明の印象で書かれています。
「安田らによると・・・朝鮮進駐軍が起こした凶悪事件として例に挙げられているものには、1946年の首相官邸デモ事件と1948年の阪神教育事件のような確認できるものもあるが、どちらも在日朝鮮人を中心とする大規模なデモ行進における騒擾事件である」
上記安田氏は、在特会の主張を概ね否定している言論人ですが、彼の主張によっても、名目がデモであろうと米軍の出動が必要になるほど増長驕慢になっていた事実が重要です。
首相官邸デモに関するウイキペデイアの記事です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「1946年(昭和21年)12月20日の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。
午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。
午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。
この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた。」

以下は阪神教育事件に関するウイキペデイアの記事ですhttps://ja.wikipedia.org/wiki
「阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)[1][2][3]は、1948年(昭和23年)4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件で、日本国憲法下で唯一の非常事態宣言が布告された。朝鮮人学校事件[4]、大阪での事件は大阪朝鮮人騒擾事件[5]、また神戸での騒乱事件は神戸朝鮮人学校事件[6]とも呼ばれる(その他の呼称については本項で記す)。」
日本の平穏な秩序を騒乱のウズに巻き込み非常事態宣言まで至った事件が実際に起きていたことが分ります。
日常的に報道管制・・米軍の検閲で表に出ない事件が頻発していてこそ、次第に大きく育って白昼公然と政府機関・・それも首相官邸まで乱入するなどの事態にまで発展するのですから、日頃からかなり酷い状態であったことが推測されます。
否定論者・上記吉田氏らはは単なる陳情行為に過ぎないと言うらしいですが、名目が何であれ、占領軍に出動要請する事態になる・・占領軍も見て見ぬ振りを出来ない事態と言うことは、半端な状態ではありません・・。
上記は事件が大き過ぎて軍の出動があったので公式記録として残っているようです。
後記のとおり米軍の検閲の結果、日常的犯罪行為は客観資料が残されていない結果、今になると、記憶に頼るしかないので、肯定否定論が入り乱れるようになった大きな原因です。
民事訴訟では一定の要件がありますが、重要資料を保有していながら提出しない方は相手の主張を認めたものとする原理があります。
その精神には、保有すべきものが、合理的理由なく保有していないと主張して証拠を出さない場合も含むでしょう。
米軍が検閲して報道させないだけではなく、資料を押収した場合、弁明すべき資料を収集しながら・隠匿または廃棄している場合、占領時代の米軍人自体の犯罪や調子に乗った朝鮮人の略奪強姦等の犯罪については、被害者周辺の記憶に頼るしかない・・立証不能の不利益は米軍が負うべきでしょう。
民事訴訟法
(文書提出義務)
第二百二十条  次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
一  当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
二  挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
三  文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
四  前三号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
  以下省略
(当事者が文書提出命令に従わない場合等の効果)
第二百二十四条  当事者が文書提出命令に従わないときは、裁判所は、当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができる。
2  当事者が相手方の使用を妨げる目的で提出の義務がある文書を滅失させ、その他これを使用することができないようにしたときも、前項と同様とする。
3  前二項に規定する場合において、相手方が、当該文書の記載に関して具体的な主張をすること及び当該文書により証明すべき事実を他の証拠により証明することが著しく困難であるときは、裁判所は、その事実に関する相手方の主張を真実と認めることができる。」

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