各種反対運動と説明責任

「近代法の法理違反や、平和憲法違反とか、軍靴の音が聞こえる」などの主張は言いっ放しで主張には具体性がないとこのコラムでは批判してきましたが、今回も「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」というお題目を唱えるだけで、どの行為が裁判官の独立にかかる問題なのかの主張すらありません。
ただし支援弁護士は具体的に書いているのに、昨日引用した発信者が勝手に省略したのかもしれませんが・・・。
「裁判官の独立や三権分立にかかる問題」との主張ですが、国会の調査は岡口裁判官の担当事件に対する調査ではないし、特定思想そのものへの批判でもない・具体的表現行為が現職裁判官の表現行為として許容範囲かどうかの調査のよう(上記ネット記事しか知らないので断定不能)ですから、個別裁判への圧力や干渉という問題から遠い印象です。
具体的事実関係とどういう関係があるのか、司法権への「憲法で許容されない政治圧力」というには積極的な説明がないと論理に飛躍があると思う人が多数ではないでしょうか?
上記ネット記事の限りでは、特定訴訟や具体的思想に圧力をかける目的でないように見えますが、これを前提にした場合、こういう主張グループは、「裁判官に対するいかなる批判も許されない」「それが憲法解釈として正しい」という主張を前提にしているような印象を与えます。
それでは憲法でなぜ弾劾制度が設置されているかの説明がつきません。
憲法の想定している弾劾制度の乱用というには、どの点が乱用かの主張説明しないでいきなり「政治圧力」という広い概念を持ち出して、裁判官の独立に関連づけて、国会の訴追委員会への呼び出し行為の内容の何が不当かの議論抜きに「呼び出し」だけを批判する支援集団呼びかけを発表している・・昨日引用記事を見る限り、「もしかして憲法上弾劾制度があるのを知らない集団がこんなにいるのかな?」と疑う人がいてもおかしくありません。
一般人でもその立場によって、意見発表すれば、刑事民事等の違法行為にならないネット炎上程度でも、内容の広がりによってはテレビ番組などから降板させられたりしています。
企業で言えば、社長発言は言うに及ばず、幹部どころか営業マンでさえも企業を背負って働いている以上は、顧客や世間に向かって所属企業に関する発言がどこまで許容される範囲かの試練にいつも晒されています。
休暇中であろうと勤務時間中であろうと所属組織に関連する発言か否かによって、発言の重みが違います。
この数日酔っ払った厚労省現職課長が韓国空港であばれた上で「韓国大嫌い」という趣旨の発言をしたことが、ネットニュースに出ています。
休暇中の個人旅行であったかどうか不明ですが、休暇旅行であろうと日本国の現職官僚発言としてニュースになるし社会への影響の大きさも違ってくる・・影響の大きさに比例して責任も大きくなるべきでしょう。
現職高裁判事という要職にあるものが、個別事件へのコメントを発表すればその影響力が一般人のTwitter発信(トランプ氏のツイッターでも知られる通り)とは桁違いに大きいのは当然です。
裁判官や官僚にも自己実現権があるという一般論で解決すべき問題でなく、同僚や友人間の個人的会話が録音されたものか?意図的な対外発表か等の具体的事実次第での責任を論じるべきは明らかです。
そもそも憲法で設けられた弾劾制度で弾劾事由の要件(特定違法行為限定など制限列挙)を厳しく定めていない意味からすれば、刑事犯罪や不法行為確定のような機械的事例しか対応できない制度設計とは到底思えません。
裁判官の言動がどの程度まで許容されるべきかの幅を決めるには、「国民の代表たる国会で良識に従って決めるべき」というのが憲法の精神でしょう。

憲法
第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
○2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。
昭和二十二年法律第百三十七号
裁判官弾劾法
第二条(弾劾による罷免の事由) 弾劾により裁判官を罷免するのは、左の場合とする。
一 職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠つたとき。
二 その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があつたとき。

岡口判事支援弁護士らの主張は、表現の自由絶対論(刑事その他法令違反を除いた)・・・「何を言おうと憲法上の権利だ」から「自己実現を否定すべきでない」と言う意見を下敷きにしているかどうか不明ですが、表現の自由=自己実現論が現在の憲法学の通説であるとすれば、これを十分知っているはずの通説を正面から主張できないのは、国民の支持を得られない変な通説?であることを知っているからでしょうか。
何かあるとすぐに憲法違反に結びつけて主張する人たちや、憲法学者は、国民意識から遊離しいると言われる所以です。
遊離すればするほど象牙の塔?素人にはわからないという問答無用式の憲法学界が支配していくようになり、うっかり集団自衛権合憲を主張すると学界で孤立し、まともな発表の場を与えられないし、活動がしにくくなる・昔有名になった「白い巨塔」同様に・全国に張りぐらされた大学教授の推薦ステムの網から外される仕組みになっている印象です。
自己実現論紹介のために判例時報増刊号を紹介中ですが、その冒頭の論文を書いた毛利透氏のウイキペディアでみると以下の通りです。

東京大学では樋口陽一の指導を受ける。筑波大学時代には、ドイツのフランクフルト大学に留学し、インゲボルク・マウス教授に師事。
京都大学の佐藤幸治教授の定年退官に伴い、佐藤の強い推薦で京都大学に移った。

https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/050500004/

2016年5月17日
昨年、安保法案に多くの憲法学者が「違憲」の声を上げた。だが極めて少数だが、「合憲」と発言した者もいる。そのあと彼の身に何が起きたか。その主張についてじっくり聞いて見た。憲法学者の姿、2回目は九州の新進気鋭の学者を紹介する。

大学に「あんな奴を雇っていていいのか」と電話も掛かってきた。事務局は無視してくれた。
同業者にフェイスブックで「化け物」と書かれ、テレビ番組で「ネッシーを信じている人」と揶揄された。
「ふだん少数者の人権を守れって言っている人が、矛盾していないんですかねえ」と、九州大学法学部准教授の井上武史は苦笑する。

 

製造業の強靭性(レアアース禁輸対応力1)

この辺を読み違えたのが中国で、10年に反日暴動を煽るのと同時に日本企業の高度製品が中国のレアアースに90%以上も頼っていることに目をつけて事実上の禁輸しましたが、日本はその間備蓄在庫(内々中国リスクに備えて潤沢な在庫備蓄していた備えもあって)でしのぎながら、レアアース使用率大幅引き下げ技術開発に成功したので、レアアースは暴落して中国を苦しめる結果で終わったことは、耳目に新しいところです。
中国人は、日本人は環境変化対応能力が高いことを知らなかった・・中国では輸入技術で生産してきただけ?で自前で技術開発して経験がなくそういう方向に日本が努力し克服することが予想できなかったからでしょうか?
それと戦前と違い今の日本は世界中に友人を持っている点が大きな違いです。
欧米相手の満州事変以降の日本は孤立していたので、技術革新も孤立したまま(打開のための宿敵?ドイツとの和解・日独防共協定をするしかなくなったことを書いたことがあります。
ただし、中国で反日運動を仕掛て日本を世界孤立に導いていたのはドイツが主勢力でした・現在慰安婦騒動を仕掛けている黒幕は中国系人脈であり、中国マネーと言われているのと似ていました。
日本は反日勢力の中心であるドイツと手を組み、ドイツ蠢動を抑制して貰うしかないほど追い詰められていたし、ドイツとしてはアメリカの背後を脅かし欧州戦線への関与を当面薄める時間稼ぎだけの利害ですから、ビッグ技術で広告効果の大きい潜水艦Uボートの日本への回航作戦が知られている程度で、本気の地道な技術協力はなかったでしょう。
戦前は国際孤立・ABCD包囲ラインによって資源獲得で困ってしまい、(石油一滴血の一滴」という標語が生まれるほど石油を求めて東南アジアに進出・血路を開くしかなくなっていました。
これに対して今の日本は世界中に友人がいる時代です。
技術開発だけでは短期間に数%利用を減らすのさえ大変で、すぐに90%近い削減できないので、並行して世界中でレアアース開発が始まり、世界中が協力してくれたことが大きな成果でした。
最後には、中国の対日禁輸はWTO違反というお墨付きまでもらって完勝でした。
やはり正義(国際協調の必要性)は強いと実感した日本人が多かったのではないでしょうか?
https://www.sankei.com/premium/news/150515/prm1505150002-n1.html
2015.5.15 06:00

中国ついに“白旗” VS日欧米「レアアース兵糧戦」で自ら首を絞めた

2010年9月に尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖で起きた中国漁船衝突事件とその後の日中摩擦を受け、中国が制裁措置として事実上の対日輸出規制を行ったレアアース(希土類)。ハイブリッド車(HV)のモーターなどハイテク製品に欠かせない素材だが、日本は欧米とも共同歩調を取って追い込んだ結果、不当な措置をとり続けた中国は5月1日に最終的に白旗を掲げた。
世界の需要の90%以上を出荷していた中国は、制裁措置に音を上げた日本の経済界が政界に圧力をかけることをもくろんでいた。
同時に欧米市場向けも“売り惜しみ”で輸出を滞らせて値をつり上げるなど、姑息(こそく)ともいえる戦術に出た。
漁船衝突事件をきっかけに対中依存度を引き下げようと日本企業は、レアアースを使わない製品やレアアースのリサイクル技術を続々と開発した
。この結果、中国の対日レアアース輸出量は11年に前年比34%減となり、その後も大幅減少が続いている。
日本企業は「やればできる」ことを証明。オーストラリアなどからのレアアース供給も本格化し、中国産の需要は減っている。
疲弊する中国レアアース業界
こうした中で中国産レアアースの価格が数十%も下落した。
国内の過剰生産と過剰在庫がダブル、トリプルパンチとなって中国のレアアース業界は疲弊。中国紙、21世紀経済報道によると、輸出減少や価格下落などを背景に、中国のレアアースは14年、業界全体として初めて赤字に転落した。
18社の利益合計は11年以降、年ごとに減少。13年の合計利益はそれでも31億元(約605億円)だったが、14年は赤字転落したという。赤字幅は明らかにしていないが、14年の売上高合計は前年比21%減の260億元に止まった。

http://biz.searchina.net/id/1529816?page=1

レアアースの輸出停止で、最も損をしたのはわが国だ=中国 2014-04-15 06:57
レアアースは「産業のビタミン」とも呼ばれ、ハイブリッド車のエンジンや省エネ家電、スマートフォンなどには欠かせない材料だ。中国メディアの中研網は9日、「レアアースの輸出停止によってもっとも損をしたのは中国だと考えられている」と論じた。
「わが国はレアアースを軍事、外交の駆け引きに利用していたことは周知の事実だ」とし、2010年にレアアースの対日輸出を突然停止したことが、日本では代表的な「中国リスク」と認識されるようになったと論じた。

 2010年9月、東シナ海で発生した海上保安庁の巡視船と中国漁船との衝突事故をきっかけに、レアアースを外交の切り札にした中国は、日本への輸出を停止した。当時、レアアースの輸入の約9割を中国に依存していた日本の産業界は混乱に陥り、11年夏ごろまでレアアース不足は続き、価格は約20倍にまで跳ね上がった。
「わが国はレアアースを軍事、外交の駆け引きに利用していたことは周知の事実だ」とし、2010年にレアアースの対日輸出を突然停止したことが、日本では代表的な「中国リスク」と認識されるようになったと論じた。
しかし、レアアース価格の高騰によって、米国やカナダ、オーストラリアなどではレアアース鉱山の開発を促進し、日本では中国以外のレアアース調達先を開拓する動きが活発化した。さらにレアアースの使用量を削減する技術の開発や、都市でごみとして大量に廃棄される家電製品など、いわゆる「都市鉱山」から回収したレアアースの再利用も進んだことで、2012年には日本のレアアース輸入量は前年比でほぼ半減した。
「わが国が突然、レアアースの輸出を停止したことで国際社会の信用を失い、さらに輸出量が減少したことで中国国内のレアアース関連企業は大幅な減産や生産停止に追い込まれた」と論じ、業界内ではレアアース輸出停止によってもっとも損をした国は中国だと考えられていると報じた。(編集担当:村山健二)

アメリカの自治体7

日本のような自然発生的集落しか知らない立ち位置からではイメージしにくいですが、エベレスト等に登頂すると「エベレスト制服」と発表し、先住民を駆逐して?広大な無人の?原野に行った先で旗(行ったしるしの石碑)を立てて帰ってくるとそこまで先に支配がおよんだことにする西欧や中国的領土主張のあり方を前提に一応イメージしてみると以下のように想像できます。
広大な北アメリカの原野の隅から隅まで地図上の分割を済ませて各州の領域が決まったが、そのほとんどが誰も住んでいないし人跡未踏の空白地域で始まっている・・そこに人が住むようになって一定の集合体ができた場合、州(ステート・国家です)の作った一定の基準を満たせば町や村等のコミュニティーと認めようという制度設計のイメージです。
日本で言えば、民法の公益財団設立認可・・あるいは、今はやりの法人でいえば、NPO法人や社会福祉法人設立認可のように一定基準を満たせば地方公共団体が設立されていくのと似ています。
大和朝廷の始まりがはっきりしないのと同様に、日本の集落は自然発生的・・古代からあっていつでき上がったかも不明なほど古い集落が基本(古くは平家の落人部落伝説や新田開発や、明治維新時に北海道開拓に移住したりした場合など例外的場合しか知られていません)ですから、明治維新後幕藩体制を解体して中央集権化に適した郡県制に組織替えするに際しても、古代から存続している集落には手をつけずに、いくつかの集落を併合する形でその上に近代的市町村制を乗せたに過ぎません。
ですから、市町村合併で明治以降の市町村名が消えてもその下の集落名・・大字小字の仕組みになっています。
この辺は大宝律令制による班田収授法でも古代からの集落を無視できなかったので、結果的に古代的私有(集落有)制度に戻っていく・・中央任命の国司の権限が形骸していき、古代から地域に根を持つ地方有力者・郡司の実権を奪い切れず、地元勢力・逆に武士の台頭→幕府成立→戦国時代を経て古代集落の合議で地元のことは地元で決める法制度になった徳川時代にようやく落ち着いたのと似ています。
明治以降(大化の改新同様に)西洋法に倣って形式的地方自治体の権限を法で強制し(その逆張りとして古代から続く集落にに法人格を認めませんでしたが、中央政府が無理矢理強制した郡県制・市町村線引きは無理があり、次元の違う集落共同体の抵抗が、我々法律家の世界では有名な「入会権」の抵抗です。
最近顕著になってきた各地に根付く集落ごとの「お祭り」の復活が、押し込められていた地方精神面での反抗復活というべきでしょうか?
話題がそれましたが、ここでのテーマはアメリカの自治体権限と明治維新以降我が国が西洋法の移植で始めた自治権限とは歴史本質が違うということです。
アメリカの場合、一足飛びの社会ですので、日本や西欧諸国のような歴史経験・・原始的集団形成過程を追体験して行くしかないので、草の根民主主義から始まるのは当然です。
わが国で言えば、原始時代に遡るしかないほどアメリカの遅れた状態を単純に賛美している報告がわが国で普通に行われているのはおかしなものです。
原始時代からいつ始まったか不明なほど古くからの集合体があったのではなく、外部侵入・占領に始まる社会の作り方です。
まず州ができてそのあとであまり広域すぎるので、泥縄式にまず郡を作ってその領域内でミニサークルが出来上がっていくのを待つようなイメージです。
日常的に必須のサービスについて自分たちでプラス負担しても良いから・・ということでより良いサービスを求めて自治体結成するのですから、でき上がった自治体の役割・権限もその程度になるのが自然でしょう。
学校や道路などその部分だけ自分たちでプラス負担しても良いという程度の動機ですから自治を求めるのものその範囲のことです。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

「アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
「自治体結成について最も障害となるのが財政、税金の問題である。郡から大枠の行政サービスを受けるだけよりは地元で自治体をつくり身近な行政サービスを受けた方が好ましい。しかし、自治体をつくると税金負担が大きくなるマイナスがある。東パロアルトのような貧しい地域では域内ビジネスがあまりないので税収があまり期待できない、という問題もある。「独立」するよりは郡の庇護下に居たほうがいいという判断も出てくる(周辺の裕福な地域の税収で行政サービスを受けるということでもある)。それで東パロアルトの自治体設立にも根強い反対があり、1930年代以来、何度も自治体結成の話が出てはその度消えていった。」
「さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。カリフォルニア州の場合は州法で5万人以下の市なら月給400ドル以下、3万5000人以下なら月給300ドルなどの報酬額が定められている。このような名目賃金では生活できないから、市長や市議は通常、他の仕事をもっている。市議会や市行務の仕事は夜行なわれる。
市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している」

この論文ではこのコラムで関心のある自治体権限の範囲について書いていませんが、(私は法律家なので法的権限に関心が行きますが、社会学者の場合?関心の一部でしかないでしょう)自治体結成の動機エネルギーから見ても、結成動機に権限が関係しますし、また「市」と言っても市議会議員の給与や定数まで州法で決めているくらいですから・・自主的にできることは、州政府の提供するサービス・・最低保障に自分たちで集めた税で上乗せサービス給付する程度しか想定できません。
このような観点から見れば、領域支配を前提とする日本人の自治体イメージから見れば、不思議に見える領域支配と関係ない特別区という自治体がいっぱいあることも「異」とするには足りません。
(昨日紹介した警察だけ自分たちで運営する自治体など)

アメリカの自治体6

アメリカの自治体の実態そのものを調査研究した人の意見が以下に出ています。
以下引用するhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlに詳しく出ていますが、アメリカではたった3人から10数人クラスの自治体があるし、有料の橋だけ管理する自治体や警察署だけ設置する自治体もあるなど機能的にもいろいろらしいです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)7
「憲法には地方自治の規定はまったくない。したがって地方自治法はすべて州法。自治体を設立するのも州の権限だ。したがって自治体制度は州によってまったく異なり、本稿で詳述するような複雑さを呈する。「アメリカの自治体は・・・」と一括りにはできない。別の例をあげれば教育である。日本の教育基本法や学校教育法にあたるのはアメリカでは各州の州法である。したがって州により小学校が4年だったり5年だったり6年だったり、小学校に幼稚園が付いていたりいなかったり、高校が3年だったり4年だったり6年だったり、とばらばらである。
「郡
アメリカの地方自治制度は、概略的に言えば、まず州全土が数十の郡(County)に分割され、その中に自治体が形成される形だ。無自治体地域には郡が公共サービスを提供する。自治体がない地域はあるが、郡はあらゆる地を被っている。」
上記によると州政府は州をいくつかの郡に地域割りして出張所みたいに郡庁を設置していて、そこから自治体の設置されていない地域への警察や道路水道学校等のサービスをする仕組みのようです。
もうちょっと学校をよくしたいとか道路をよくしたいと思えば、地域の住民多数で自治体を結成すれば自分たちで警察を持てば(3〜40分離れた郡庁所在地から駆けつけるのではなく、地元警察署が欲しいという理由で自治体を作ると)治安が良くなるとか道路を綺麗にできるなどメリットがありますが、その代わりそれまで州政府・郡庁がやってくれていた分が地元負担になります。
地元負担が増えることの兼ね合いで自治体結成したりしなかったりになるようです。
貧しい地域は平均的サービスを州政府の負担で受けた方がトクでないかという発想で、貧しい地域ほどいつまでも自治体のない地域が残る仕組みのようです。
以下引用の通りアメリカの面積では大半、人口比では38%では自治体のない地域に住んでいるという実態を抑える必要があるでしょう。
「(序)市民が設立する自治体
アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。」
警察保護区を設置した自治体の様子は上記引用記事によれば以下の通りです。
「ブロードムア警察保護区(BPPD、Broadmoor Police Protection District)委員会のピエール・パレンガットが語る[10]。サンフランシスコ市の南辺、面積1.4平方キロほどのブロードムア地区(人口5000人)は通常自治体のない非法人化地域だが、警察だけは必要だということから、自治警察だけの特別区自治体BPPDを設置している。1948年に郡議会に嘆願し、州法に定められた警察保護区の規定にのっとりを設置した。「自治体がない地域は通常、郡が行政サービスを提供する。ここでも最初は、郡警察(シェリフ)の管轄下にあった。」とパレンガットが説明する。「しかし、郡警察本部は、車で約3-40分かかるレッドウッド市(郡庁所在地)。事件があっても警察官が遠くから駆けつけることになる。地域で警察保護区をつくればサービスも迅速になるし、心配や問題があった時いつでも来れて、署長や警察官と話ができる。」
「このBPPDについて詳しくは別稿に譲るが[11]、彼らは、「迷いネコの捜索や病気の住民の様子を見に行ったり、高齢者のために郵便を出したり」もして、コミュニティー・ポリーシング(地域に根ざした警察)を実践している。住民から選挙で選ばれた3人にからなるコミッション(委員会。パレンガット氏が委員長)が運営に責任をもち、その下に11人の警察官が雇われている。戦国時代、住民が侍をやとって村を守る話(黒沢明監督『七人の侍』)という話があるが、警察保護区はまさにその現代版だ。警察署は民間住宅を改造した建物。そこに11人の侍だけでなく、延べ10人以上のボランティア市民が詰め月600時間以上の労力を提供する。」
ブロードムアの警察保護区はいわゆる特別区(Special District)のひとつだ。アメリカの自治体には日本のいわゆる市町村型の総合型自治体ばかりでなく、こうした専門サービス型の自治体がある。代表的なのは学校区(教育委員会に相当)だが、後述するように水道区、大気汚染監視区、交通区、蚊駆除区、その他多様な分野の特別区自治体がある。
道路などよくしたいと自治体を結成した地域もあります。」

アメリカには自治体のない地域が面積の過半を占め、人口比で38%が自治体のない地域に住んでいる事実をまず知るべきです。
アメリカは自治の本場というイメージがありますが、そもそもその前提にある基礎集落社会・自治の主体に関する大きな誤解があることが分かります。
もともと日本のように自然発生的に集落があって、何千年の経過でそれが育って〇〇郷や・〇〇の庄〜ムラ社会〜明治以降のムラ〜町〜市〜大都会になってきた社会とは成り立ちが違っています。江戸時代・・特に房総地域では旗本領が入り組んでいて一つの部落野中が何人もの旗本の領地に分けている(ひどい例では、一人の農地の内この農地は誰それ領地と複数領主に分かれていることもあったようです)状態であったことが、千葉県では知られていますが、こういう土着社会に領主がいてもまるで相手にされない・ムラの寄り合いで「こういう決まりになりました」と領主に届ける仕組でしかありませんでした。
領主といっても、結果報告を承認するしかない・事実上領民の決めたことを強制される社会でした。

 

近代立憲主義7と政治活動

政治運動論と学問のすり替えについては、以下の通りです。
https://ameblo.jp/fall1970/entry-12277529472.html
2017-05-24 21:14:37

首相改憲発言は「憲法を軽んじる言辞」 学者らが批判
5月3日の安倍首相の憲法改正に関するメッセージをめぐり、法学等の専門家らから成る「立憲デモクラシーの会」が記者会見を開き、安倍発言を批判する見解を発表したそうである。
会見の場で青井未帆氏が「自衛隊を憲法に書き込むと、武力行使の限界がなくなり、9条2項が無効化する」と指摘し、石川健治氏が「(憲法に自衛隊が書かれていないことで)軍隊を持てるのかということが常に問われ続け、予算などの面でブレーキになってきた。その機能が一気に消えてしまう」と述べたとのことである。
これらは「九条歯止論」といわれるものであるが、昨年2月9日の記事で述べたようにそもそも法律論の体をなしておらず(青井氏も石川氏も憲法学者)、会見に同席した長谷部恭男氏でさえ「[法の]解釈論」とは「峻別」されるべき「運動論」(長谷部「表立っていえない憲法解釈論」『法学教室』301号所収)と切って捨てているシロモノなのである
・・「立憲デモクラシーの会」の見解なるものを見ると、まず、「自衛隊はすでに国民に広く受け入れられた存在で、それを憲法に明記すること自体に意味はない。不必要な改正である」とのことであるが、・・・安倍首相を難詰していて、安倍首相の主導による「改憲」を何としても阻止したいようであるが、そのためには自衛隊違憲論の旗をも下ろすというのであれば、ご都合主義との謗りを免れないであろう。
前記見解は「自衛隊[が]すでに国民に広く受け入れられた」という事実の規範力を承認して憲法変遷を肯定するものとしか考えられないが、「安倍改憲」を阻止するためにはもはや手段を択ばないということか。この点、長谷部氏は「主権者たる国民の行動をあらかじめ拘束することに憲法9条の存在意義がある以上、国民の意思を根拠として同条の意味の『変遷』を語る議論も背理だということになる」(長谷部『憲法の理性』東京大学出版会)と述べているのだが。
・・「立憲デモクラシーの会」の見解に戻ると、「安倍首相は北朝鮮情勢の『緊迫』を奇貨として9条の『改正』を提案したのであろうが」との前提のもとに、「たとえ日本が9条を廃止して平和主義をかなぐり捨てようとも、体制の維持そのものを目的とする北朝鮮が核兵器やミサイルの開発を放棄することは期待できない」と主張しているが、安倍首相はビデオメッセージにおいて北朝鮮情勢には一切言及していない(そもそもそんなことは百も承知であろう)。
この主張はその前提が臆断にすぎない以上、コメントする価値もないが、北朝鮮が核兵器とミサイルの開発を止めないばかりか、中国が軍拡路線をひた走っている現在、日本を取り巻く安全保障の環境は厳しさを増すばかりであるから、政治家としてはこれに対する備えを講ずべきことは当然で、そのためには憲法9条の改正が必要であればそれを国民に訴えることはむしろ義務ですらあるというべきであろう。
それを「奇禍」などと見当違いの議論を持ち出して矮小化するのはいかがなものか。
さらに、「憲法による拘束を緩めれば、軍拡競争を推し進め、情勢をさらに悪化させるおそれさえある」とのことであるが、わが国が憲法9条によって自らの手足を縛っているにもかかわらず、中国も北朝鮮もそんなことにはお構いなしに着々と軍備を増強していることをどのようにお考えなのであろうか(そんなことには関心がなく、とにかく9条によって自衛隊を抑え込むことができればそれでよいのであろう)。いかにも責任のない立場からのお気楽な発言としか評しようがない。
憲法学者はなぜこれほどまでに9条「護持」に固執するのか理解に苦しむところであるが、この点について、井上氏は、「要するに、立憲主義と平和主義が予定調和の関係にあって、それを守るのがおれたちの使命だ、みたいな。べつに学問としての憲法学とは関係ない、ある種のカルト的な使命感をもっちゃったんでしょうね、日本の憲法学は。[改行削除]自分たちは九条を守ることで日本の平和に貢献してきた、という自己欺瞞。いや、今はもう、はっきり言って自分たちでもそれが嘘だ、日本の平和は九条違反の自衛隊と安保のおかげだと気づいていると思うから、ただの欺瞞だな。ただ、立場上、旗を下ろせない、というね」と診断しておられる(井上前掲書)
・・・・愚かな国民が道を踏み外すことのないように自分たちが教導しなければならないという度し難い思い上がりが根本にあることを指摘しておく。

私の従来書いてきた(共産主義者による「国民を指導するべき前衛→エリート意識」論の思い上がりその他)意見を簡潔に書いているので大方を引用させていただきました。
公明党は今秋の総選挙での公約(だったかその頃に)で(この原稿は昨年総選挙前後に書いていたものです)
「自衛隊はすでに多くの国民から憲法違反の存在でないとの信認を得ているので、憲法に明記する必要がない」
という意見を発表して自衛隊明記反対の立場を明白にしていたような報道を見た記憶です。

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