南原繁氏の超国家・普遍思想6

ニクソンショック〜1985年のプラザ合意に至る過程で欧米による対日経済圧力・・攻勢が強まり窮地に陥っていた日本の大蔵省が、経済面での国の顔である紙幣の顔として米国で人気のある新渡戸稲造を急遽登用した理由でもあったのでしょうか。
敗戦時に米国受けの良い南原氏厚遇で占領軍政を上手くこなした経験を活かすべく、あんちょこに紙幣の表紙を変えたのではないかとのうがった見方も可能です。
紙幣表紙は日本の(恭順の)気持ちを表すだけでしかなく、今後真摯に貿易黒字削減〜内需拡大に取り組む意思表示としての意味があってもいきなり国全体の構造改革は無理ですから、欧米が求めていた「結果」を出せない以上、自主的改革が無理ならば外圧による強制ショック療法・為替自由化=経済力に応じた為替相場→円高しかないとなり、結果的にプラザ合意を阻止できませんでした。
メデイアはしきりに失われた20年と言いますが、この結果日本国民は貧弱な生活のもとで金儲けばかりに精出さずに生活水準を高める方向に方向転換できたので良き時代であったという基本主張を繰り返し書いてきました。
中国が、対中経済制裁を免れるためにアメリカで好感度の高い人物を仮に外相や駐米大使に起用しても、鉄鋼等のダンピング輸出やサイバー攻撃をやめない限り報復を止められないのと同じです。
国内構造改革・輸出より内需拡大・豊かな生活が必要とわかっていても、国民にその準備ががないので当初5〜6年間は手近な不動産バブル・・ブランド品や高額な絵画などに狂奔するしかなかった点は、今の中国と同じです。
2000年代初頭から5000円札表紙が樋口一葉に変わり、数年前から十和田市で新渡戸稲造記念館の存廃問題が起きてきたのは、小手先の目くらましには意味がないことに気がついた・・特需の恩恵が静かになくなってきた時代の流れでしょうか?
南原氏とは何者か?どう言う基本思想の人物かの関心で、西田氏の意見を2月19日頃から23日頃まで断続的引用してきましたが、哲学用語で難解でしたが、南原氏の宗教面の研究があって、これと合わせて読むとが少し理解しやすい印象ですので、関心のある方のために以下引用先と目次と結びのみ紹介しておきます。
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/74750/1/08Kato.pdf
Kyoto University
南原繁の宗教論 : 国家論の枠組みの中で
加藤,喜之
キリスト教思想と国家・政治論 (2009), 2008: 27-42
キリスト教思想と国家・政治論 近代/ポスト近代とキリスト教研究会
2009年3月27~42頁
南原繁の宗教論 1
―国家論の枠組みの中で―
加藤喜之(yoshiyuki.kato@ptsem.edu)

本論
一.価値並行論と宗教
二.民族論と宗教
三.日本的キリスト教
結び
南原宗教論の現代的意義

概観して来たように、南原の宗教論は、西南学派の価値哲学とフィヒテの民族論の哲学的枠組みが、無教会的福音主義信仰と交差しあうことによって成り立っている。
その根底に流れる価値と歴史、理想と実在といった問題は、哲学史において未だ解決されていない重要問題であるゆえ、この結びで取り扱うことは出来ない。
つまり、現代の主たるアカデミアで取り扱われることは少ないにしろ、新カント学派の超越論的論考がはたして、哲学的に超克された問題なのかは、未だ結論が出ていない。
ただ、ポスト・ハイデガー的現代思想の枠組みの中で、価値や理想論の復興はあくまでも、間主観的に執り行われるゆえ、短絡的に、南原の思索の根底にある価値並行論を、現代に適応することは出来ない。
しかし、今日においても、間主観的に取り扱われる様々な道徳の問題の彼岸に、
「赦し」と「絶対者」の問題が現れてくることも理解されなくてはならない。
このような枠組みの中での南原の宗教論には、現代思想が再読しなければならないものが残されているかもしれない。キリスト教思想と国家・政治論40なるのであった。
日本文化の中に生きつつ、その精神文化によって道徳的価値や「絶対者」・「聖なるもの」の可能性を見いだしながらも、結局は得ることの出来なかった根源悪からの救済を、十字架のイエスの上に見いだすことが出来る。
この非合理的な十字架は、罪の赦しとしての新しいいのちを与え、そして、そのいのちによって、日本精神を刷新することが出来、それゆえに日本的キリスト教を構築していくことが出来るものであった。
    かとう・よしゆき (プリンストン神学大学博士課程)
上記筆者は神学者のようですから、政治哲学側面よりは神学・哲学的研究が中心ですが、これを読むと西田氏の(批判的)研究に出てくる哲学的言及に対する側面理解に有益です。
上記論文中の価値並行論を読むと哲学用語が満載ですが、高齢者特有の(難しい論証を省いて「要するに・・」と言う読み方をすれば、)南原氏が現実政治での解決・・国家を超越した神の「赦し」を基礎におく以上、19日頃に引用した西田氏が批判するようにそこから先に理論進化がなかったとしても(浅学菲才の私がいうのはおこがましいですが)当然の結果だったような気がします。
ただし、この後に書くように南原氏は、民族精神・共同体について日本に当てはめて象徴天皇制を基軸とする独自意見を展開していてその通りの戦後ニッポンを形作って行った実績がありますがプロから見れば哲学的深化がなかったということでしょうか?
神の領域と現実政治・国家の分離を主張する価値並行論は、神道の影響を排撃したい占領軍政治方針とも合致していて、好都合だったでしょう。

憲法と国家6(南原繁氏の超国家・普遍思想3)

教育勅語廃止に関する昨日紹介した記事によれば、南原繁氏の言う世界市民への参加資格・普遍的価値→「古今東西に通用するもの」「日本国憲法の人類普遍の原理に則り・」と言うことで、すべて普遍原理=国家や民族を超越した上位の価値観を基本とする前提です。
民族や地域ごとの価値観・意識をローカルなものとして否定し、上位のグローバル価値観(南原氏にとってはプロテスタント的価値観)を子供の頃から脳に植え付けていく戦略がそのまま出ています。
ドイツ宗教戦争のコラムで紹介しましたが、西洋では戦争に勝って地域領主さえカトリックに変えれば、その地域住民はカトリックになったり、新教になったりする仕組みです。
このやり方でアメリカの支配地たとえばフィリッピンではキリスト教徒になっていますし、本来儒教国家の韓国でも戦後キリスト教徒が急激に増えた原因です。
このやり方でアメリカの支配地たとえばフィリッピンではキリスト教徒になっていますし、本来儒教国家(私の個人的印象です)の韓国でもキリスト教徒が急激に増えた原因です。
以下は、「韓国のキリスト教徒」で見た本日現在のウイキペデイアの記事からです。

韓国統計庁が2005年発表したところによると韓国の宗教人口は総人口の53.1%を占め、非宗教人口は46.9%である。すなわち総人口のうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%、儒教0.2%となっている。プロテスタントとカトリックを合わせたキリスト教全体では29.2%となっていて仏教より信者の数が多い。キリスト教信者数は約1376万人となり、韓国は東アジアおよび東南アジアでの信者絶対数では中華人民共和国、フィリピン、インド、インドネシアに次ぎ5位である。国民全体に占めるキリスト教信者の割合ではフィリピンと東ティモールに次ぐ東アジアおよび東南アジア第3のキリスト教国である・・・
海外に対する宣教活動が活発なことも韓国キリスト教の特徴で、2000年にはプロテスタントだけでも10,646人の宣教師が156カ国で活動していた
福音派は極めて積極的な布教活動をする為、近年では世界各地(特にイスラム教諸国)においてトラブルに巻込まれている。アフガニスタンにおける布教活動ではモスクの前でキリスト教の賛美歌を歌うなど、過激な布教活動が見られたと報道されている。2007年ターリバーン韓国人拉致事件のような事件が発生した背景には、こういった刺激的かつ攻撃的な布教活動があったのではないかとの指摘もある。
韓国国内では1970年代から80年代の民主化運動の原動力となる一方、同じ時期には仏教寺院や仏像に対する破壊活動を行う牧師や信徒が出るなど、他宗教への攻撃も積極的に行った。

福音協会といえば南原氏の無教会的福音主義に似た名称ですが・・米軍政の韓国キリスト教に対する影響についてのウイキペデイアの記述は以下の通りです。

司令官のダグラス・マッカーサーは太平洋米国陸軍最高司令部布告第1号で「占領目的が日本の降伏文書の条項の移行と朝鮮人の人権及び宗教上の権利を保証する事にある」と布告し、韓国人に対して信教の自由を認めた。また、連合軍法令第11号により「神社法」を廃止して皇民化政策の残滓となる神道を排斥し、また、朝鮮伝統の巫俗信仰等の宗教に対しても規制政策を行った。これに対して、キリスト教は、ソウル放送で福音放送を流すことや刑務所に牧師を置くことが認められるなど優遇された。この厚遇について、柳東植は「キリスト教は仏教と違って日本帝国主義の強圧の対象であり、それゆえ日本帝国主義からの解放はすなわちキリスト教の解放と同じように感じていた。そして、解放を招いたのは西欧勢力であり、彼らの背後にはキリスト教が控えていた。さらに、指導層が直接キリスト教を庇護していた」と説明している

日本は文字通り民草の力が強いので戦国大名が何宗であろうと庶民に関係のない社会構造ですので、アメリカはキリスト教の浸透作戦に慎重でさしあたり「信教の自由」を謳って確固たる日本古来から信仰心の解体から入っていった・目立たないように日本人シンパを利用したということでしょう。
教育勅語排除に関するhttp://kivitasu.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-60de.html引用の続きです。

社会学者の清水幾太郎は、「戦後の教育について」と題した論文の中で、勅語は二つの部分からなっている。
一つが最初と最後で修飾的・形式的な部分で、もう一つが道徳的行為規則のシステムを記述した中間の部分である。
「額縁」と「絵」の関係で、「両親に対する孝行、兄弟姉妹の愛、夫婦の調和、忠実な友情、節約、博愛、学問や技術のための努力、知的練磨、道徳的完成、公益や産業のための献身、憲法及び法律の遵守、勇敢。これらの徳目は、『之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス』とあります通り、すべての時代のすべての社会に通用する一般的なルールなのです。私たちがどんな徳目を挙げても、恐らく、それは既に教育勅語に含まれているでしょう」
(1974)と述べ、戦後日本は額縁といっしょに絵そのものまで全面否定したのだから、いかなる道徳も成り立ちようがないとあきれている。
たしかに、人格の完成を教育の目的に掲げながらその道筋を示さず、一方教育勅語に示していた徳目を捨てたのだから、教育が崩壊していくのは当然であった。

上記最後の数行は南原氏が肝腎の価値そのものを西洋価値観(プロテスタント)に丸投げしていたのではないかという18日から紹介している西田氏の以下の批判に通じます。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf

研究ノート〉立命館大学人文科学研究所紀要(97号)

宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
一体化の代償
南原は、国民共同体にかえて内部としての象徴天皇制を民族共同体としての日本の本質とみなすことで、外部としての西洋世界と世界観を統一することができるようになった。
・・・・・日本の普遍史への参与が説かれる当時物議を醸した両面講和論を説いたのも、 「国際連合の本来の理想にかなったもの」という、 西洋の普遍的価値への参与という前提が存在したからである。
南原にとって国家の問題は「本来のヨーロッパ精神から離反の方向を指し示して」いたナチスドイツが崩壊したことや日本の超国家主義論が失敗したことを受けて、 「わが国にはルネッサンスと同時に宗教改革が必至である」と単にヨーロッパ文化に追いつくことだけが目的とされ理想として西洋が説かれ、日本はただ改変される主体となるばかりであった5。
南原が東大総長として活躍した戦後の議論からは、現実問題と対峙することによって戦前期には維持していた緊張感が失われてしまったのである。
戦後の南原の政治哲学の問題点とは、国民共同体を維持するために、理想として目指されるべき秩序のあり方が、常に国民共同体や民族共同体の「外部」から移入されなければならないにも拘らず、共同体の「外部」=絶対的理想の性質が問われることなく、つねに共同体の秩序の枠組みの維持と、共同体の理想実現に向けた永続的運動のみが目的とされたことに問題があると言えるのではないだろうか。

南原氏の論文紹介は、民族と国民共同体に関する南原氏の変遷批判など哲学用語が多く素人には分かりにくいですが、教育勅語排除に関する清水幾太郎氏の上記意見をここに当てはめると何となく明らかになります。
「曲学阿世の徒」の名指し非難を受けたことで有名なサンフランシスコ講和条約・・全面講和か片面講和の論争では、南原氏が全面講和論をとった経緯も出ていますが、戦後現実国家と理想社会の峻別をしなくなったという上記研究の一断面かもしれません。

フェイクニュース6(拡散の原動力4)

日本のネット記事も、真面目に読めば根拠薄弱であることが分かるような「おもしろ」「誇大表示」記事らしいものが溢れていますが、政治記事では、面白いギャグだと笑ってばかりいられないとんでもない結果も引き起こします。
中にはクリントン批判のフェイクニュースに反応して店舗襲撃事件まで現実に起きたのが恐ろしいところです。
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20170901/biz/00m/010

偽ニュースが起こした米国「ピザゲート事件」の“狂気”
2017年9月2日 清水憲司 / 毎日新聞北米総局特派員(ワシントン)
「私たちには自分を守れない人々を守る責務がある。いつの日か理解してほしい」。娘2人に宛てたビデオメッセージを撮影した後、男はワシントン市内のピザ店「コメット・ピンポン」に押し入り、ライフル銃を発砲した。
・・・幸いけが人はなかったが、フェイクニュースの拡散を象徴する「ピザゲート事件」として全米を驚かせた。
男は「ヒラリー・クリントン陣営が児童の人身売買に関わっている」というフェイクニュースを信じ込み、子供たちを助けるつもりだった。
・・・ピザゲート事件の発端は、暴露サイト「ウィキリークス」が流出させたクリントン陣営幹部のメールにあった「ピザ」の言葉だった。米メディアの分析によると、ネット掲示板では「チーズ・ピザ」が児童ポルノの隠語として使われており、匿名投稿者たちの妄想をかき立てた。オバマ前大統領の支持者が経営するピザ店「コメット・ピンポン」が次第にクローズアップされた。
無責任な連想ゲームは、繰り返されるうちに「ニュース」としてネット空間に拡散し、エドガー被告が聞いていたラジオ番組でも取り上げられた。3日間悩んだ末に、エドガー被告は自ら事実を突き止めようとピザ店に向かった。

伝言ゲームで知られるように、多くの人を介すれば内容が大幅に変わって行くことが多いのですが、この種冗談や過激な表現はこれに「尾ひれ」をつけた拡散流布自体でこれを見る人は「フェイクかな?」と思いながらも信じないまでも相応のマイナスイメージ刷り込みが出来上がることが多いのです。
デマでもそれを大手メデイアが大規模な話題にすること自体で洗脳効果があります。
トランプ氏は話題性のおかげでの選挙費用が少なく済んだと豪語していることとも符合しています。
https://wired.jp/2017/06/22/journalism-post-truth-era/

TEXT BY JASON TANZ
TRANSLATION BY TOMOAKI KANNO
WIRED(US)
この数年の間にソーシャルメディア、特にFacebookが主要なニュースソースとして出現したことで急加速した。
プロのメディアが世論を方向付ける力は衰え続け、いまではほとんど失われている。ソーシャルメディア以前は、新聞の編集者が、どのネタを発表するか、それをどこに載せるかの最終決定権をもっていた。
今日、その役割を手にしているのは読者である。編集者は記事を発表できるが、それが誰にもシェアされなければ、書かれなかったも同然となる。
読者が新たなパブリッシャーだとしたら、彼らにニュースをシェアさせる最善の方法は感情に訴えることだ。主によくない感情に。
『Human Communication Research』誌に最近掲載された論文によれば、Facebookで情報をシェアするかを決める「重要な媒介メカニズム」は怒りだという。特定の主義に偏り、強い怒りを感じている人ほど、政治のニュースをネット上でシェアする傾向にある。そして、そうやってシェアされる記事は、それを読む人にさらなる怒りを抱かせることになる。「マーケットシェアを獲得するにはラディカルになる必要がある」と、フェイスブックの元プロダクトマネジメント部長サム・レッシンは言う。「穏当では何も得られない」

政治でのフェイクが騒がれていますが、発信者がもともと特定思想に凝り固まっていない純粋儲け主義・遊び感覚でやっていることが、却って拡散効果を発揮しているように見えます。
多くの読者を呼び込めば 多くのスポンサーがついて儲けられるのが基本ですから、彼らは内容の善悪など気にしない・絵空事でも、やらせ、奇抜・過激であればある程効果がある・・何でも良いのが基本です。
フェイクのレッテルを貼られるリスクを恐れない・・単に金儲けになるかどうか・・如何にして注目を惹きつけるかだけに特化する人には伝播性の競争では叶いません。
https://mainichi.jp/articles/20171114/k00/00m/040/021000c

フェイクニュース
作られ方 ブログ管理人が内幕語る
神奈川県座間市で9人の遺体が見つかった事件で、話題性の高い情報を載せているトレンドブログに「父親も共犯?」など事実無根の見出しや投稿を載せた管理人が、匿名を条件に毎日新聞の取材に応じた。
動機を「収益目的と世間のニュースやその裏を追いたい気持ち」と説明。ブログは個人で運営し、収入は多い月で10万円台後半になるという。
閲覧増やすため見出し過激に
トレンドブログは、事件や芸能人のスキャンダルなど注目の話題を取り上げ、クリック数などに応じて報酬が支払われるネット広告(アフィリエイト広告)を収益源とすることが多い。個人運営だけでなく記者を集めて組織的に運営するものもある。

いわゆる大災害時などに起き易い流言蜚語は出所不明の庶民の憶測発信が元ですが、今は日常的なネット発信が容易になった上に金儲けの手段になったこともあって、伝播力が半端でなくなったので量から質に変わったとみるべきべきか?の問題です。
許可制にしてルール整備するようにしているビットコインや民泊同様にして行く必要があるかの問題です。
フェイクの直接取り締まりは、事実認定の難しさの他に憲法の表現の自由の保護があって難しいですが、思いつき的でちょっと乱暴な意見ですが、(その道の専門家による緻密な論議が必要ですが)業法化してしまえれば、違反行為に対する何段階かの行政処分があって最終的には許可取り消し→無許可営業の場合は業法違反による刑事処罰法制化が可能になるので、大規模なフェイク発信だけでも防げるでしょう。
許可業種になり且つ全国展開的大手になると一定期間の(刑事処分まで行かなくくとも)業務停止処分だけでも業績に大規模な影響が出るので、内部チェック規制が厳しくなりフェイクの暴走を防げます。
例えば個人が空き家を利用している民泊の場合、なんらかの違反をしていて1〜2周間業務停止しても大した影響がありませんが、全国展開している仲介サイトが業務停止処分を受けるとその間従業員等の固定コスト負担があり、且つ信用毀損による大規模ダメージを受けます。
農産物の産地偽装や無農薬表示違反があった場合、その農家だけの問題ではなく、これを取り扱っている大手スーパーの方が、その何千倍もの損害を受けます。
農産物の産地偽装や無農薬表示違反があった場合、その農家だけの問題ではなく、これを取り扱っている大手スーパーの方が、その何千倍?もの損害を受けます。
この場合、大手スーパーが「当社は騙された被害者です」と言い張って済ませられないので必死になって再発防止に務めるが普通です。

自衛力6(応援団2)

ここで18年1月28日このコラムに記載したフランス海軍が南シナ海での航行の自由作戦を実施するという日経新聞報道の続き・・集団自衛権の外周である(共闘してくれないまでも外野の)応援団を増やす問題に戻ります。
以下は、その当時に引用した外務省の対仏関係の広報です。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_005531.html

1 1月26日から29日まで,ジャン=イヴ・ル・ドリアン・フランス共和国欧州・外務大臣(H.E. Mr. Jean-Yves Le Drian, Minister for Europe and Foreign Affairs of the French Republic)が,外務省賓客として訪日します。
2 ル・ドリアン大臣は,滞在中,フロランス・パルリ・フランス共和国軍事大臣(H.E. Ms. Florence Parly, Minister for the Armed Forces of the French Republic)と共に,河野太郎外務大臣及び小野寺五典防衛大臣との間で第4回日仏外務・防衛閣僚会合(「2+2」)を行い,日仏安全保障・防衛協力,地域情勢等について協議を行う予定です。
3 また,滞在中,河野大臣と第7回外相戦略対話を実施するとともに,河野大臣夫妻主催昼食会が催される予定です。
4 日仏友好160年を迎える本年,ル・ドリアン大臣の訪日を皮切りに,両国の「特別なパートナーシップ」を越えて,日仏関係が更に深化されることが期待されます。
[参考]
(1)会談歴:2017年9月,国連総会に際してニューヨークで初めての会談を実施。
(2)訪日歴:第2回日仏「2+2」等の機会に訪日歴多数。
(3)日仏「2+2」: 第1回は2014年1月(於:パリ),第2回は2015年3月(於:東京),第3回は2017年1月(於:パリ)で開催。ル・ドリアン大臣は,第1回から第3回までの会合に国防大臣として出席。欧州・外務大臣としての出席は今回が初めて。
(4)「特別なパートナーシップ」:2013年6月,オランド前大統領の国賓訪日の際に行われた首脳会談や共同声明(PDF)等によって,日仏両国は,共通の価値・利益に基づく「特別なパートナーシップ」の関係にあることが確認された。

上記による1月26日に行なわれた日仏会談結果のNHKニュースを以下に紹介しますが、フリゲート艦の共同演習まで決めても対中国に対する直接的意思表示になる「自由航行作戦実行」までは明言していませんし、27日の日経朝刊2pの報道でも同様です。
政治家というものは方向性をにじませるのがやっとで、軽率に明言するものではない・・あたり前のことでしょう。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180127/k10011304621000.html?utm_int=detail_contents_news-related_003

日仏閣僚会合 北朝鮮の制裁逃れ阻止で連携確認
1月27日 5時23分
日本とフランスの外務・防衛の閣僚会合、いわゆる2+2には日本から河野外務大臣と小野寺防衛大臣、フランスからルドリアン外相とパルリ国防相が出席しました。
両国の閣僚は、日本と、太平洋にも領土を持つフランスはともに「太平洋国家」であり、法に基づく自由で開かれた海洋秩序が重要だとして、インド太平洋地域での協力を具体化していくことで一致し、海洋進出を進める中国を念頭に、東シナ海や南シナ海で緊張を高めるいかなる一方的な行動にも強く反対することを確認しました。
さらに自衛隊とフランス軍が、災害救援活動などで水や燃料、弾薬などを互いに供給し合うためのACSA=「物品役務相互提供協定」を締結することで大枠合意したほか、来月、フランス海軍のフリゲート艦と海上自衛隊の艦艇による共同訓練を行うことや、機雷を探知する技術の共同研究を早期に始めることで一致しました。

上記記事のフリゲート艦が日本からの帰りに中国が実力行使中の南シナ海での埋立地周辺を領海と認めずに公海としての自由航行をするかどうかは、その時までの政治情勢次第ということでしょう。
政治家の微妙な言い回しをフランスでインタビュウした日経新聞が自社流に解釈して帰路に自由航行作戦を実施すると言う趣旨の自社解釈を事実出るかのように報道をしたことになります。
この記事は1月28日のコラムで紹介しました。
本来報道機関としてはインタビューのやりとりをそのまま記載してそれに対する解釈は解釈として別に書くべきでしょう。
日本のこうした努力は、国際司法裁判所判決など歯牙にも掛けないという中国の明言に対するアンチ中国勢力網の構築です。
安倍総理は航行の自由確保→国際協力を得るために必死に努力し、インド〜オーストラリアを巻き込込んだ防衛網作りに一応成功しつつありますが、これがいつまで続くか保障の限りではありません。
中国は戦国末期の合従連衡の経験によれば、小国連合を一つずつ潰していけば良いので最後は中国が勝つと信じているようですが、中期的には中国の経済力がどこまで伸びるか・・実際には破綻先送りの限界がいつ来るかにかかっているでしょう。
ただし、中国の破綻先送り限界が早く来ると傷が浅くなる分、早く身軽になって再建できて早く合理化される結果、短期間で強敵として再浮上するリスクがあります。
(いくら合理化しても民度レベルの限界がありますので、トータル中国人の民度レベルによりますが・・)
破綻が早く来るのを期待する意見が見られますが、破綻先送りが長ければ長いほど傷が大きく深くなり、そこまで行って破綻するとその分再建が長引く・・非合理社会が続くので、その方が日本にとって有利ですから破綻が遅いほうがいいでしょう。
短期的には英国が、EU離脱による孤立化回避のためもあってか?日英同盟復活方向に動いているのは利点ですが・・政治は複雑な要素でう動くので経済面では英国の中国再接近も大きく報道さています・・。
当面西欧諸国も中国(巨大市場に参入したいので)になびく傾向が顕著ですから、そのうち中国に遠慮して10の批判できた国が8〜6〜3〜1と低下していき最後は何も言えなくなる可能性が高まるのを覚悟しておく必要があるでしょう。
いじめっ子が出ると標的にされた子が孤立する・・周りは関わりたくない心理になる一般的仕組みを想定しておく必要があります。
これを表明したのが、(自分を守るのに精一杯の)「小国はよそのことに関わらない」と言うシンガポール外交官の1月28日に紹介した意見です。
こうなってくると米国も従来型の及び腰ではアジア諸国の信頼をつなぎとめられないので遅ればせながら1月21日に思い切って中国が主張する「領土」から12海里以内への「接近」航行行動に出たのでしょう。
この報道があるまでメデイアの米軍の「自由航行作戦」実施という報道によって、米国が「中国の主張する違法な領海内」の航行をしている・「勝手な領海宣言を認めない」作戦実行していると私が誤解していたことが分かりました。
中国主張の領海の外側を航行する程度しかしなかったのならば、周辺諸外国が「米国恃むに足らず」と思ったのは仕方がないでしょう。
ヤクザに居座られて警察を呼んだのに警察がヤクザに遠慮して近くをパトロールするだけで家に入ってきてくれなかったようなものです。
いつものマスコミ批判ですが、仔細に読めば「航行の自由作戦」というだけで「中国主張の領海内航行をいう」という定義を書いていないのでしょうが、前後の脈絡・「中国の自国領土主張を否定するために航行をする」という文脈で見出しだけ読めば、「中国主張の領海内を堂々と航行する」のかな?誤解していた人が多いのではないでしょうか?

皇室典範は憲法か?2(天皇観の根本変化の有無6)

46年2月13日以降の動きは以下引用紹介の通り、最後はGHQ案で押し切られる展開です。
ポツダム宣言受諾交渉で国体護持を条件に引き延ばしていた結果、原爆投下によって最後に無条件降伏になったのとおなじ・無駄な抵抗のパターンですが、GHQがこのままだと「天皇の身体の保障ができない」と先に教えてくれたので原爆投下やソ連参戦のような悲惨な結果にならずにすみました。
結果がわかっていても国内政治力学上、(国益よりも自己保身が先に立つ?・・ポツダム宣言受諾引き伸ばしの結果、ソ連参戦と原爆の惨禍に遇いました)このようなパフオーマンス・手順が必要だったのでしょうか?
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html国会図書館資料引用の続きです。

3-15 GHQ草案 1946年2月13日
民政局内で書き上げられた憲法草案は、2月10日夜、マッカーサーのもとに提出された。マッカーサーは、局内で対立のあった、基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を禁止する規定の削除を指示した上で、この草案を基本的に了承した。
その後、最終的な調整作業を経て、GHQ草案は12日に完成し、マッカーサーの承認を経て、翌13日、日本政府に提示されることになった。日本政府は、22日の閣議においてGHQ草案の事実上の受け入れを決定し、26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することを決定した。なお、GHQ草案全文の仮訳が閣僚に配布されたのは、25日の臨時閣議の席であった。
3-17 「ジープ・ウェイ・レター」往復書簡
1946(昭和21)年2月15日、白洲次郎終戦連絡事務局参与は、松本烝治国務大臣の意を受けて、ホイットニー民政局長に宛て、GHQ草案が、松本等に大きな衝撃を与えたことを伝え、遠まわしに、「松本案」の再考を希望する旨の書簡を送った。白洲は、「松本案」とGHQ草案は、目的を同じくし、ただ、その目的に到達する道すじを異にするだけだとして、「松本案」は、日本の国状に即した道すじ(ジープ・ウェイ)であるのに対して、GHQ草案は、一挙にその目的を達しようとするものだとした。
この書簡に対して、ホイットニー局長から、翌16日、返書が寄せられ、同局長は、日本側が、白洲の書簡によってGHQの意向を打診し、「松本案」を固守しようとする態度に出ているとして厳しく反論し、国際世論の動向からも、GHQ草案を採ることの必要性を力説している。
3-18 松本国務相「憲法改正案説明補充」 1946年2月18日
1946(昭和21)年2月13日、外務大臣官邸においてGHQ草案を手交された後、松本烝治国務大臣は、ただちに幣原喜重郎首相に報告・協議を行った結果、再説明書を提出して、GHQの再考を促すこととなった。
再説明書は、「憲法改正案説明補充」という表題を付し、英訳され、2月18日、白洲次郎終戦連絡事務局参与によりGHQに送達された。
しかし、ホイットニー民政局長は、「松本案」については考慮の余地はなく、GHQ草案を受け入れ、その原則を盛り込んだ改正案を作成するかどうかを20日中に回答せよと述べた。
1946(昭和21)年2月19日の閣議で、初めてGHQとの交渉の経緯とGHQ草案の内容説明が行われた結果、21日、幣原喜重郎首相がマッカーサーを訪問し、GHQ側の最終的な意思確認を行うこととなった。
翌22日午前の閣議で、首相から会見内容が報告され、協議の結果、GHQ草案を基本に、可能な限り日本側の意向を取り込んだものを起案することで一致し、同日午後に、松本烝治国務大臣が吉田茂外務大臣及び白洲次郎終戦連絡事務局参与とともにGHQに行き、GHQ草案のうち、GHQが日本側に対し変更してはならないとする部分の範囲について問いただすこととなった。
「会見記」は、22日午後の会見内容について松本自身が作成したメモである。また、ハッシー文書中の資料は、この会見についてのGHQ側の記録である。
松本等は、GHQ草案は一体をなすものであり、字句の変更等は可能だが、その基本原則についての変更を認めないとのGHQの返事を得た。
松本は、首相官邸に戻り、首相に報告するとともに、GHQ草案に従って日本案の作成に着手した。
3-20 日本国憲法「3月2日案」の起草と提出
1946(昭和21)年2月26日の閣議で、GHQ草案に基づいて日本政府側の案を起草し、3月11日を期限としてGHQに提出することが決定された。松本烝治国務大臣は、佐藤達夫法制局第一部長を助手に指名し、入江俊郎法制局次長にも参画を求めるとともに、自ら第1章(天皇)、第2章(戦争ノ廃止)、第4章(国会)、第5章(内閣)の「モデル案」を執筆した。
以下略
3-21 GHQとの交渉と「3月5日案」の作成
1946(昭和21)年3月4日午前10時、松本烝治国務大臣は、ホイットニーに対し、日本案(3月2日案)を提出した。GHQは、日本側の係官と手分けして、直ちに、日本案及び説明書の英訳を開始した。英訳が進むにつれて、GHQ側は、GHQ草案と日本案の相違点に気づき、松本とケーディスとの間で激しい口論となった。
松本は、午後になって、経済閣僚懇談会への出席を理由に、GHQを退出した。
日本案の英訳作業が一段落した夕刻、GHQは、引き続いて、確定案を作成する方針を示し、午後8時半頃から、佐藤達夫法制局第一部長ら日本側と、徹夜の逐条審議が開始された。審議済みの案文は、次々に総理官邸に届けられ、5日の閣議に付議された。同日午後4時頃、司令部での作業はすべて終了し、3月5日案が確定した。
閣議は、この案に従うことに決し、午後5時頃、幣原首相と松本国務大臣が参内して奏上した。
「3月4・5両日司令部ニ於ケル顛末」は、4日から5日にかけてのGHQにおける協議の顛末を佐藤が克明に記録したものである。上から二番目の資料は、総理官邸に逐次届けられた審議済みの案文を取りまとめたもので、閣議で配布された資料の原稿となったものである。

上記についてはそれぞれ当時の担当者のメモその他の資料原文が出ていますので関心のある方は資料を直接お読みください。
上記の通り、日本政府は白州次郎を立てて抵抗を試みたが一蹴されてGHQ案通りに日本語の法律用語に書き換えて完成したのが現憲法です。
現憲法と、2月13日のGHQ草案を読み比べれば、9条関係で芦田修正などが入りますが天皇関連骨子はほぼ同旨であることがわかります。

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