経済危機目前→反日行動(できるか?)3

国民のための政治は、利害対立が必ずあって誰がやっても難しいのですが、外敵を作り出せばそこに注目が集まって懸案があること自体を隠してしまえて、誰も反対しない簡単な方法です。
その間利害調整の難しい国内政治決定を先送り・・その間麻酔を効かせた状態に出来るので、中国にとっては地域大国のメンツを潰された心情に訴えることで大同団結・・結果的に現政権に一致協力となって非常に便利な政策選択になっています。
ただし利害対立や紛争自体がなくならないのですから、この解決を先送りすれば余計紛争が複雑化し解決困難になるのが普通です。
赤ちゃんが空腹で泣く場合、お尻がカブれて痛くて泣く場合、時間を稼いでも悪くなる一方です。
病気の場合でも先送りの弊害は同じです。
ロシアで言えばウクライナ侵攻し、クリミヤ併合によって国内経済が良くなることはありませんので、一時的目くらましでしかなかったようです。
経済の深刻さが増していく一方(さしあたり年金支給原資が底をつきそうで国民不満をどうして良いか分からない状態にプーチンが追い込まれているようですが、わたしが直接知る方法がない・・メデイアによるイメージによるので本当のところはわかりません。
金融政策決定その他今の時代、外敵があろうがなかろうが、皆日々放置できない政策課題を抱えている点も同じです。
これらを放置しておけないので今ではメデイアの「 注目を逸らす」程度の意味しかないのかも知れません。
政権追及でメデイアが騒ぐのを逸らすための話題づくりのために対外紛争や戦争するしかないという変な時代になっているのかも知れません。
中国の小型版である韓国や北朝鮮も同じで外敵対外紛争がありさえすれば、どんなに酷い内政をやっていても政権が安泰と言う図式ですから、北朝鮮は困難になればなるほど挑発行為をエスカレートします。
だからもっと北朝鮮に対して経済制裁を強化すれば収まるという政策決定は逆効果です。
外敵に仮に勝ってもその時になると、それまで放置停滞していた内政の諸問題が一斉に吹き出して矛盾が表面化してくるので(戦勝後のチャーチルの失脚が有名です)次から次へと切れ目なしに外敵が必要になります。
これが地域大国が一旦周辺弱小国攻撃を始めるとつぐにjyく小国攻撃に移るしかなくやめられなくなる図式です。
そもそも政治家とは、こんがらがった利害を調整をするのが本来(権力欲を満たすのが目的の人が多い点がややこしくしています)の仕事ですから、それが嫌ならば、政治家にならなければいいのです。
対外紛争を起こしておいて負ければ大変です。
パク大統領が任期途中で大した理由もなく単なる国民感情の高まりだけで、弾劾訴追→失職逮捕拘留されてしまったのは、日本に対して攻撃していたはずの慰安婦攻撃に失敗し、慰安婦合意の妥協せざるを得なくなったことに対する国民不満にあります。
いわば国内政治の行き詰まりの誤魔化しのために(その間に内政・・主として経済困難・造船開運不況の象徴である漢進海運の破綻など行き詰まりが余計ひどくなってしまったのに)目くらましのために対外攻勢に出たところこれが失敗して返り討ちにあったような状態です。
韓国民の感情過多の民度レベルに対する批判は7月26日「外来文化と自力発展能力4(民度)」に少し書きましたが、この結果を招来した点は政治家として見れば、自ら始めた邪道政治の結果ですから自業自得とも言えます。
従来の経験では、中国はいま経済破綻が目前に迫っていることが分っているのですが、どうして良いか分らずに右往左往している状況が目に見えるように伝わって来ます。
これが新たなやり方とも言えますので、この立場によれば中国政府が成功しているということになるのでしょうがどちらがが正しいのか、結果が出るまで分かりません。
この辺は日本の異次元緩和と同じで、過去のセオリーと違うことを理由に批判しても始まらないことをJuly 1, 2017,「異次元緩和の先例・・金兌換の停止→紙幣の変化」あたりまで連載しました。
孫文や蒋介石は日本で革命運動の応援を得ながら政権維持のために日本敵視政策に変わって行ったのは、1980年前の改革開放政策転換時に、日本の資本や技術導入に必要な期間だけ(鄧小平の言として有名な韜光養晦)日本を大事にしていたのと一見似た状態です。
ただ、蒋介石のときは最後まで日本が孤立し尽くしたので日本が敗退しましたが、今回は戦前の苦い経験を生かして安倍政権がうまく立ち回ったので、逆に中国の方が孤立して来ました。
日本は戦前に「蒋介石相手にせず」と宣言して日米戦争に引きずり込まれた経験を踏まえて日本国民は簡単に逆ギレせずにしたたかにやって来ました。
韓国の無理難題にもじっと堪えて来たのが国際信用になり、つい日韓合意・・紛争の張本人アメリカが日本の後押しをせざるを得ない状態に持ち込みました。
(日韓断交を唱える勢力はこの合意を怒っていますが・・歴史を学ぶ必要があります)
日露戦争に辛うじて勝てたのに、事情を知らない国民が怒って日比谷焼打事件を起こしたのと同じです。
現在の国際情勢構築は安倍総理一人の功績ではなく、右翼から非難されている河野談話その他の弱腰批判も、いま考えればここまで我慢に我慢を重ねて来た結果が、安倍外交成功の布石にもなっています。
これまで書いて来たように江沢民当時日本は世界で孤立状態・・世界中で日本叩き包囲網造りが進んでいましたので、マトモニ戦っていれば戦前同様に世界から袋だたきにあっていたでしょう。
そう言う点では河野談話もギリギリ国益を守った・・徳俵の線で踏みとどまる表現で良くやったと思います。
安倍政権はちょうどいい時期に戦いを始めたので、安倍総理の国際的活躍もあって、中韓対日本の国際関係は逆転状態に持ち込んでいて、戦前・蒋介石当時と大きく違う点が日本にとってラッキーです。
蒋介石と日本の関係と異なり、今の中国外交は国際孤立状態ですから国際応援を受けられる関係ではありません・アメリカが日米安保条約によって、直截軍事介入してくれるかどうかは別として、逆に日本応援団の方が多い関係になってきました。

経済危機目前→反日行動(できるか?)3

中国や北朝鮮では現在でも一旦政権を握ると何でも出来る社会であることは、政権獲得後無茶苦茶過ぎる毛沢東の大躍進政策・・農民を何千万と餓死させる無茶な強制が出来るし、更にもっと酷い文化大革命の騒動を引き起こしても政権が何ともない・・羞じるところがない所にも表れています。
国民のための政治は、利害対立が必ずあって誰がやっても難しいのですが、外敵を作り出せばそこに注目が集まって懸案があること自体を隠してしまえて、誰も反対しない簡単な方法です。
その間利害調整の難しい国内政治決定を先送り・・その間麻酔を効かせた状態に出来るので、中国にとっては地域大国のメンツを潰された心情に訴えることで大同団結・・結果的に現政権に一致協力となって非常に便利な政策選択になっています。
ただし利害対立や紛争自体がなくならないのですから、この解決を先送りすれば余計紛争が複雑化し解決困難になるのが普通です。
赤ちゃんが空腹で泣く場合、お尻がカブれて痛くて泣く場合、時間を稼いでも悪くなる一方です。
病気の場合に限らず先送りの弊害は同じです。
ロシアで言えばウクライナ侵攻し、クリミヤ併合によって国内経済が良くなることはありませんので、一時的目くらましでしかなかったようです。
経済の深刻さが増していく一方(さしあたり年金支給原資が底をつきそうで国民不満をどうして良いか分からない状態にプーチンが追い込まれているようですが、わたしが直接知る方法がない・・メデイアイメージによるので本当のところはわかりません。
金融政策決定その他今の時代、外敵があろうがなかろうが、日々放置できない政策課題を抱えている点も同じです。
これらを放置しておけないので今ではメデイアの「 注目を逸らす」程度の意味しかないのかも知れません。
政権追及でメデイアが騒ぐのを逸らすための話題づくりのために対外紛争や戦争するしかないという変な時代になっているのかも知れません。
中国の小型版である韓国や北朝鮮も同じで外敵対外紛争がありさえすれば、どんなに酷い内政をやっていても政権が安泰と言う図式ですから、北朝鮮は困難になればなるほど挑発行為をエスカレートします。
だからもっと北朝鮮に対して経済制裁を強化すれば収まるという政策決定は逆効果です。
ロシアに対する北方領土外交がうまくいくかのテーマの続きでSeptember 19, 2016,「フラストレーション度2と中華の栄光復活1」フラストレーションに対する政権の耐性度を書いてきたのですが、これが中断していますが、先進国と違い貧しすぎたり極度の恐怖政治下では経済低迷やちょっとした不自由程度は政治的不満→政権不安定に関係しません。
外敵に仮に勝ってもその時になると、それまで放置停滞していた内政の諸問題が一斉に吹き出して矛盾が表面化してくるので(戦勝後のチャーチルの失脚が有名です)次から次へと切れ目なしに外敵が必要になります。
これが地域大国が一旦周辺弱小国攻撃を始めると次々と小国攻撃に移るしかなくやめられなくなる図式です。
そもそも政治家とは、こんがらがった利害を調整をするのが本来(権力欲を満たすのが目的の人が多い点がややこしくしています)の仕事ですから、それが嫌ならば、政治家にならなければいいのです。
対外紛争を起こしておいて負ければ大変です。
パク大統領が任期途中で大した理由もなく単なる国民感情の高まりだけで、弾劾訴追→失職逮捕拘留されてしまったのは、日本に対して攻撃していたはずの慰安婦攻撃に失敗し、慰安婦合意の妥協せざるを得なくなったことに対する国民不満にあります。
いわば国内政治の行き詰まりの誤魔化しのために(その間に内政・・主として経済困難・造船開運不況の象徴である漢進海運の破綻など行き詰まりが余計ひどくなってしまったのに)目くらましのために対外攻勢に出たところこれが失敗して返り討ちにあったような状態です。
韓国民の感情過多の民度レベルに対する批判は7月26日「外来文化と自力発展能力4(民度)」に少し書きましたが、この結果を招来した点は政治家として見れば、自ら始めた邪道政治の結果ですから自業自得とも言えます。
従来の経験では、中国はいま経済破綻が目前に迫っていることが分っているのですが、どうして良いか分らずに右往左往している状況が目に見えるように伝わって来ます。
これが新たなやり方とも言えますので、この立場によれば中国政府が成功しているということになるのでしょうがどちらがが正しいのか、結果が出るまで分かりません。
この辺は日本の異次元緩和と同じで、過去のセオリーと違うことを理由に批判しても始まらないことをJuly 1, 2017,「異次元緩和の先例・・金兌換の停止→紙幣の変化」あたりまで連載しました。 
孫文や蒋介石は日本で革命運動の応援を得ながら政権維持のために日本敵視政策に変わって行ったのは、1980年前の改革開放政策転換時に、日本の資本や技術導入に必要な期間だけ(鄧小平の言として有名な韜光養晦)日本を大事にしていたのと一見似た状態です。
ただ、蒋介石のときは最後まで日本が孤立し尽くしたので日本が敗退しましたが、今回は戦前の苦い経験を生かして安倍政権がうまく立ち回ったので、逆に中国の方が孤立して来ました。
日本は戦前に「蒋介石相手にせず」と宣言して日米戦争に引きずり込まれた経験を踏まえて日本国民は簡単に逆ギレせずにしたたかにやって来ました。
韓国の無理難題にもじっと堪えて来たのが国際信用になり、つい日韓合意・・紛争の張本人アメリカが日本の後押しをせざるを得ない状態に持ち込みました。
(日韓断交を唱える勢力はこの合意を怒っていますが・・歴史を学ぶ必要があります)
日露戦争に辛うじて勝てたのに、事情を知らない国民が怒って日比谷焼打事件を起こしたのと同じです。
現在の国際情勢構築は安倍総理一人の功績ではなく、右翼から非難されている河野談話その他の弱腰批判も、いま考えればここまで我慢に我慢を重ねて来た結果が、安倍外交成功の布石にもなっています。
これまで書いて来たように江沢民当時日本は世界で孤立状態・・世界中で日本叩き包囲網造りが進んでいましたので、マトモニ戦っていれば戦前同様に世界から袋だたきにあっていたでしょう。
そう言う点では河野談話もギリギリ国益を守った・・徳俵の線で踏みとどまる表現で良くやったと思います。

地方自治と国家利益(民族一体性)3

昨日紹介した16年の記事を見ると、地元住民と関係のない活動家が入り込んでいること・地元住民と関係のない全学連が住み着いていた成田空港反対運動が再来したような印象です。
マスコミ・文化人は何かと言うと自己意見の正統性を立証するためにか?「諸外国では・・」と言う紹介が普通です。
ロシアやアメリカで軍事基地の設置やオスプレイなど兵器の配備に付いて、地元の町や市の同意を要する仕組みになっているでしょうか?
新兵器開発の都度地元自治体の同意がないと新規配備ができないのでは、軍の機能が維持できません。
韓国新大統領就任後文在寅大統領は公約である?サード配備を遅らせるために環境影響評価をするという決定をしたことに関して、元々軍事施設の場合には、例外規定になっているという記事が出ていました。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12282160970.htmlによれば以下の通りです。
「(3)「つい先日まで国防部は、『環境影響評価は必要ない』との立場を明確にしていた。環境影響評価法には、『軍事上の高度な機密保護が必要であるか、あるいは軍事作戦を緊急に遂行すべき時と国防部長官が認め、環境部長官と協議した事項』については『環境影響評価を実施しないことも認める』と定めてある。要するに、最終的には政府と大統領が決められることになっているのだ。」
私には外国の条文自体に当たる能力がありませんが、常識的に見てこういう条文があるのが普通でしょう。
こうした世界標準・・実情を丁寧に紹介してこそ、国民間でマトモな議論になるのですからこれこそがメデイアの職責であり、合理的議論と言えるでしょう。
秘密保護法や共謀罪法案でも集団自衛権でも単に憲法違反とか言う憲法学者や日弁連の反対声明ばかり紹介するのではなく、法案の必要性の有無と国際社会実態や世界の法制を比較紹介して一般国民の議論を深める努力をしてこそ、メデイアです。
朝鮮情勢緊迫後の文大統領が配備決定したと思うとあっというまに配備完了している様子が9月7〜8日頃の日経新聞で報道されています。
以下MSNの毎日新聞ニュースからです。

【ソウル大貫智子】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は8日、米軍の最新鋭迎撃システム「終末高高度防衛(THAAD)ミサイル」の配備について国民向けメッセージを発表。北朝鮮の相次ぐ核・ミサイル発射実験により「かつてない厳しい状況の中で、朝鮮半島での戦争を防ぎ、国民の生命と安全を守るためだ」と説明し、「現状で最善の措置」と理解を求めた。
文氏は5月の大統領選で配備に慎重姿勢を示していたため、支持層から「公約違反」との批判が高まっており、早期の対応が必要と判断したとみられる。
一方、7日に発射台4基を韓国南部・星州(ソンジュ)に追加搬入した際、反発する一部住民と警官がもみあいとなったことについては「大変残念」と遺憾の意を表明した。
韓国ギャラップ社の8日発表の世論調査によると、文氏の支持率は前週比4ポイント減の72%。不支持の理由は、THAAD問題を含む安全保障問題への対応を挙げた人が多かった。」

結果的に軍事施設については特例があったからできたのでしょう。
パク大統領追及時には関連手続きをしなかったのは違法ではなく、政治決断の問題だという公平な報道が出ないのが不思議です。
上記は韓国政治ですが、国内でもこのように客観事実を伏せたまま一方的報道をしょっちゅうしていることが多いのが問題です。
メデイアは周辺必要情報開示を故意に怠って自社思想に都合の良い方へ情報操作しているように思われます。
地方自治といっては、際限のない地域エゴの積み重ねを許してきたのが戦後政治でした。
占領軍にとって最大関心事は日本人の一体感破壊でしたので、精神の岩盤である神社信仰破壊が第一で、政治制度としては自治や地域エゴの奨励が必須だったのでしょう。
アメリカの占領施策の方向が変わって日本の協力が必要になるとアメリカの育てた不合理な自治制度がアメリカにとって邪魔になり中ソにとっては、これをけしかけるのが有効な妨害手段になりました。
占領支配下で左翼思想優遇の結果勢力を持ってしまった左翼系メデイアや文化人が、日本侵略を目指すソ連や中共政権の意を受けて米軍基地妨害目的でより一層自治の要求が強く出してくるようになりました。
昨年10月10日公示予定の総選挙でも、左翼系政党及び希望の党は地方自治権拡大の憲法改正を公約しています。
一方で希望の党は当初「外国人参政権を付与しない」という方針を表明していましたが、第一次公認発表で民進党系公認が6割も占めるようになるとその意見を無視できなくなった結果?外国人・要は在日がそのターゲットですが・参政権付与に前向きに転じたと言われています。
外国人の参政権を付与し、しかも自治体の権限を拡大して行くと外国に関連する政策・主として防衛関連政策は自治体の同意がないと何も出来なくなって行きます。
そもそも自治とは何のためにあるのでしょうか?
身の回りのことについては、地元で決めて行く方が合理的なことは誰でもわかります。
権力者もいちいち口出しするのは時間の無駄ですから、末端組織に任せるのはどこでも同じです。
権利には義務を伴うと言いますが、自治権にも国家一体感の枠を超えない節度が必要です。
弁護士等の憲法遵守義務と時代に合わない憲法改正をした方がいいかを論じることとは別次元ですが、不思議なことに弁護士会での護憲論者は改正反対を理由に憲法擁護義務を掲げて弁護士である限り護憲運動するのは当然であると主張するのが普通です。
左翼文化人が金科玉条のように重視する憲法においても、・・個々人の人権は全体利益の範囲内でしか認められないのが原理原則です。
以下に紹介するとおり、人権も「公共の福祉に反しない限り」認められているに過ぎません。

憲法
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」

慰安婦像訴訟(スラップ訴訟と法原理3)

カリフォルニア州といえば、グレンデール市の慰安婦像設置→日系人の起こした訴訟がスラップ訴訟として排斥されたことが知られていますが、公園への設置許可と報道されていますから、文字通り市の権限・・「所有者としての機能」・私有財産管理権限行使という位置付けでしょうか?
この機会にグレンデール市の慰安婦像設置可否の議論を見直してみると、本日現在のウイキペデイアの記事によると人口は約20万人弱ですから、日本的レベルの自治権があるとすれば夕方ちょっと集まって議論するボランテイアで行える政治規模を超えています。
ウイキペデイアによれば以下の通りです。

政治
グレンデールの市議会は5名の議員からなり、5名全員が得票数順に選出される。議員の任期は4年である。市長は5名の議員が持ち回りで務める[4]。なお、グレンデールはシティー・マネージャー制を採っているため、市の行政を執行し、責任を負うのは市議会から選出されたシティー・マネージャーであり、市長は市議員としての通常の業務のほかには、市議会の議長や各種の儀礼的な職務を遂行するにとどまる。

上記シティマネージャー制については、17年10月13日に紹介した、「弱市長制」のことのように見えます。
慰安婦像設置の決定をした同市の市議会・市民集会がどのように運営されたか、どういう経緯で決まったか私には明らかではありませんが、「所有者としての機能」程度の権限・・「公園敷地利用許可」・・のテーマがあった場合、私の自宅付近にある町内会管理の小公園にブランコを設置するかどうかの議論みたいなものでしょうから、町内会の会議にいちいち近所の人は集まりません。
サイレントマジョリティー・多くの市民にとって、慰安婦像設置の可否かどうかすら気がつかないし、あまり関心のない人は公園内に銅像を一つ置くかどうかについて設置反対論を言うために出かけないことが想像できます・・。
日本の場合、自分が出かけて行って口角泡を飛ばして自己主張しなくとも、任せた役員が無茶なことをするわけがないという信頼があるので行かないのですが、アメリカの場合は違うでしょうが・・。
慰安婦像設置許可取り消し?訴訟では、市議会議論の実際・けんけんがくがくの議論をしたか、しないかの証拠調べに踏み込んだ判決かどうかしりませんが、結果が早すぎたのでそのような実態審理にまで入らなかった印象です。
そもそも司法権は、議会審議経過に立ち入らないのが我が国でも原則です。
法律の勉強で習った事例をウィキペデアで調べてみると以下のとおりです。

苫米地事件(とまべちじけん)とは、衆議院の解散により衆議院議員の職を失った原告・苫米地義三(とまべちぎぞう)が、任期満了までの職の確認と歳費の支給を訴えて争った事件[最高裁判所昭和35年6月8日大法廷判決は、衆議院解散に高度の政治性を認め、違法の審査は裁判所の権限の外にあるとする「統治行為論」(多数意見はこの用語を用いていない)を採用して違法性の判断を回避、上告を棄却した。」

町内会の議題でも、自宅付近のポストやバス停の移動は気になりますが、出来上がっている公園敷地内にどのような銅像が立つかについてあまり関心がないのが普通でしょう。
近くの公園に銅像を立てる予定について、賛否を聞きたいというテーマで開催通知が回ってくれば、多くの人はいくら金がかるのかの関心があっても、(建造費を含めて寄付となれば)どういう種類の銅像を建てるかについてまでの関心はないように思われます・・やりかけの仕事・職場を早引きしてまで急いで帰って参加しかないでしょう。
仮に慰安婦像設置の可否と書いてあっても、ほとんどの市民は関心がないので党派的設置運動をしてきたループの動員力次第になります。
日系人がボヤーっとしていて一旦決まってから、驚いて反対運動しても後の祭りです。
それが市長の裁量で行ったのであれば行政訴訟の対象として実態審理に入れたのでしょうが、議会の論争へて(実際に反対論があったかまで知りませんが、とも角民主的決議があって決着がついたということで)設置を決めたということであれば、訴訟になじまない・スラップ訴訟認定という不名誉な形で入り口で負けてしまったようです。
グレンデール市の裁判結果を聞くと日本人としては残念ですが、敗因を読むとムベなるかなという気がしない訳ではありません。
https://synodos.jp/international/13150によると以下のようです。

「カリフォルニア州の反SLAPP法が適用されるには、二つの段階がある。まず第一に、SLAPP認定を求める被告の側が、「公の問題について政治参加や言論の自由を行使した結果」訴えられたのだ、と証明する必要がある。」
実際の裁判において、「この問題について政治参加や言論の自由を行使した結果」訴えられたと証明するには、訴えの対象となった行為――この場合はグレンデール市による「慰安婦」像の設置――が次の四つの要素の最低一つに当てはまることを示す必要がある。
1)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく公式な会合における、口頭もしくは文書による意見表明。
2)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく公式な会合で議論されている件についての、口頭もしくは文書による意見表明。
3)公共の問題について、公共の空間で行われた、口頭もしくは文書による意見表明。
4)その他、公共
被告グレンデール市は、像の設置は議会の内外で議論され、市議会という公式な立法の場で議決されたことであるから1から3の要件を満たし、また、像の設置そのものは口頭や文書ではないものの市による言論の自由に基づく行為であるから4の要件にも該当する、と主張した。
裁判では、これが採用されたということです。」

アメリカで訴訟するには、当然アメリカの判例動向や法令を知っている弁護士に頼んだはずですが、実質審理にさえ入れないで完敗したのは、アメリカの裁判に対する不信感ではなく「訴訟提起する方の訴訟準備が拙劣すぎないか?」という意味で不思議です。
苫米地事件の判例を上記紹介した通り、若干の違いがあっても日本でも基本的には同様で、議会決議内容を司法は憲法違反以外にチェックできないので、訴訟テーマは議決無効と認定されるほどの手続き違背があったかどうか「だけ」ですから・・。
日本では革新系によって、政治で負けたことの蒸し返しのための訴訟提起の頻発・・司法が政治に介入しすぎないかの不満・イメージが増幅されてきました。
しかし、厳密に言えば、国会や市議会等で政治で決めたことの蒸し返しではなく、議会等で決めたルール違反を指摘する・司法はその有無を認定しているに過ぎないのであって左翼系に対する批判が当たりません。
(ネット等では司法・法律家の左傾化などを煽っていますが、非合理な感情的批判をあおっているにすぎないように見えます。)
例えば、原発の運転再開訴訟その他では多くが政治決定に不満な勢力中心に粗探し的に訴訟提起する印象ですので、結果からみると政治決定に司法が介入しているような印象ですが、訴訟テーマは政治で決めた運転基準に違反していないかのチェック訴訟です。
イラク派兵問題では国会で決まったことの蒸し返しではなく、特措法の適用範囲であったかどうか・・戦闘地域であったかどうか・現地実態はどうであったかの審議のための日誌の開示を国会で問題にしていたにすぎません。
沖縄基地の政府と県との訴訟は、埋め立て許可基準に合致しているかどうかの争いです。

アメリカの自治体10(草の根民主主義の妥当領域3)

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col517.htmlによれば、サンフランシスコ市議は十一人しかいないようです。
町内会のように防犯灯をどこにつける廃止するか、ゴミ回収場所の新設程度のテーマの場合、ボランテイアなので、「今日は仕事が遅くなっていけないのでよろしく」程度の挨拶ですむのでしょう。
「市民の代表として市議同士が議論をして市民が傍聴するだけの日本と違い、この方式だと市議同士の議論というより市議と住民との対話集会のようで、住民意見開陳が終わると開陳されたその場の意見を参考に即座に出席市議が評決するので市議同士の密室の議論もないと解説されています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlの続きですが、

「多様な役職者が選挙で選ばれる一方、市議の数自体は少なくなる。アメリカの市議会は通常5、6人、大都市でも10人前後である(表3参照)日本の市議会が「議員が話し合う」機関なのに対してアメリカの市議会が「市民の話を聞く場」であることと関係している。参加市民とのやりとりを通じて物事を決めていくのであれば、市議はある意味で裁判官のような役割を果たし、何十人もの議員は必要でなくなる。」

いわば、体操やフィギアスケートなどの採点者のような雰囲気ですから、市議が5〜10人もいれば十分・・何十人もいらないという原理らしいです。
日本の公聴会は型式的進行ですが、アメリカの住民自治というのはこうした直接的な意見表明で行われている・・まさに草の根の対話で物ごとが進んで行くらしいのには驚きます。
裁判でも有名な陪審制度の基礎がここにあります。
政治であれ裁判であれ、「内心の意向を汲み取るのではなく、はっきり言ってくれたらそれを参考に結論を出す」と言う単純な社会構造です。
上記論文を読んでいると我が国の町内会運営よりも直接的なイメージです。
私のいる自治会の場合、ゴミステーションをどこにするかとか防犯灯設置または廃止についての議論でさえ利害関係者一人も出てきません・・。
出て来ないで「悪いようにはしないだろうと言う」お任せ方式で不利だったら後で不満を言う方法です。
ですから、町内会役員や市議は後で不満が起きないように意見を聞いて歩くサービスが要請されていてこれをしないで独断でやってしまうとあとで恨まれます。
二者択一の選択しかない場合、一方当事者の意に反した結果になるのは当然ですがその時には、意に沿うように努力したが他の役員や市議におし切られたとかの言い訳が必要ですから(これを繰り返すと今後投票しないと言われます)その前提として自分の意見を聞きにも来なかったと言うのは最悪になります。
日本では会議に出てこない人や発言しないひとの意見を重視する社会ですから、市議・県議に限らず上に立つ人はすべからず御用聞きみたいになるゆえんです。
これが日本のボトムアップ・忖度政治の原型ですし、市議等が市民の意向を聞いて歩くために忙しく動く必要のある原因です。
例によってアメリカはこうだ・・・「夕方から議会を開け、議員定数を減らせ、議員はボランテイアにしろ」という乱暴な意見がトキおりメデイアを賑わせますが、日本では自治レベルが高く議会で論じるべき自治権の範囲が違うし、これに比例して議論レベルがアメリカとは違う・自治体といっても数十人規模の自治体数十万人規模の自治体と一緒にする無理な意見です。
このあとで紹介しますが、アメリカでは数十人規模の自治体などがかなり多くを占めていますし、単純目的だけ(自前の警察がほしいとか「蚊の駆除」や学校をつくるなど)の自治体もいっぱいあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlによれば以下の通りです。

「日本には人口1000人を割る自治体はほとんどないが、アメリカの自治体の半数は1000人以下である[12]。人口数十人、数人というところもまれではなく、1997年の調査では、全米19,373の市(Municipal Government)のうち905、の町(Township)のうちが人口99人以下である[13]。そうした小自治体を紹介した貴重な資料にデニス・キッチン『我らの最も小さい町々』[14]がある。自治体研究の必読書とも言える同書からそうしたマイクロ自治体の事例をいくつか紹介してみよう。」
*ノース・カロライナ州のデルビューは人口16人の町。1925年に設立されて以来「3家族以上の家があったことがなく、これからもないだろう」と言うのはバン・デリンジャー町長だ。彼の祖父とその2人の弟がここで養鶏場を経営していたが、野犬がニワトリを食べてしまうという問題があった。州法は野犬を撃つことを禁じていた。そこで彼らは独自自治体を結成し、野犬刈りができるようにした。「野犬を撃つ権利だけを規定した憲章をもつ自治体を結成した」ということだ[15]。
*ネブラスカ州モノウィは人口8人の村。だが、1990年の国勢調査の結果が6人と出た。各戸に調査表も回り、国勢調査局からの電話確認も入った。なのに結果は人口6人。政府調査の信頼性なさの好例とされ、全国に流布された[17]。
*ユタ州オーファーは1906年設立の町。かつて銀鉱山の町としてさかえたが、廃坑後衰え、現在人口22人となった。「この町には常に(馬車型の)消防車はあったが、それを置いておく消防署の建物がなかったので、車がすぐ老朽化してしまっていた」と言うのは現町長のウォールト・シューバート。「それで最新の消防車を買った時、今度こそはと消防署兼市役所の建物をたてた。町の商店、団体、住民が寄付をしてくれた」。何かNPOの運営を語るかのような口調である[20]。
*小さい町では町長がボランティアですべてをこなす。人口30人のニューメキシコ州グレンヴィルで町長をつとめるミグニョン・サエドリスが言う。「男たちが日中仕事に出ている間、(女の)ルースと私があとを引き受ける。消防車を運転し、ブルドーザーを動かし、救急隊を組織する。サラリーはなく、すべてボランティアだ。時々、夫の郵便配達の代わりもする。200キロを車で走り35の家に止まり全行程5時間かかる。」[21]
*テキサス州マスタングは、現在人口27人の町。ダンスクラブ経営者のマック・アルヘニーの主導で1969年につくられた町だ。ハイウェイ沿いのこ地域は、野生の馬が生息する草原地帯だった。アルヘニーはここに450シートのカントリーウェスタン・ダンスクラブをつくる計画をたてた。州の土地規制を回避するにはそこを自治体化する必要があったという。しかし、テキサス州政府は200人以上の住民がいなければ自治体結成の要件は満たさないと言ってきた。そこでアルヘニーは急きょトレーラーハウス場をつくり、臨時住人を集めた。見事200人以上の住民が確保し、自治体を結成。クラブもオープンすることができた[22]。

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