世代対立を煽る愚3

マスコミ推奨の「次世代が損をしている論」の誤りは誰でも知っているから「黙って笑っていれば良い」というのが我が国の大人の智恵でしょう。
まじめに反論を書くのは子供っぽいかも知れませんが・・・その点私はまだまだ精神が若い?・・以下書き足して行きます。
我々世代は戦争で丸焼けで何も残っていない・・親の遺産としては、受け継ぐべきものが殆どないところから、ここまで各自の個人自宅だけではなく、世界に冠たる公共資産・港湾その他のインフラを築き上げて来ました。
我々学生時代には舗装道路が殆どなくてどろんこ道を歩いていたので、雨が降れば長靴をはくのが普通でした(ハネが上がるのがいつも困ったことでしたが、今では「ハネが上がる」などという言葉は死語になっているでしょう)が、今では舗装道路どころか石張りの綺麗な道路があちこちにあります。
身近なところでは各地でバラック同様であった国鉄(現JR)、私鉄の駅舎や地方自治体の建物や校舎が立派になったのを見ても分ります・・・空襲で焼失して応急的に復元していた東京駅でさえ、今年漸く復元出来る運びになっています・・戦後こうしたことに営々とお金をつぎ込んで来ました。
(地方ではお城の天守閣の復元が象徴的です)
各地美術館、博物館やその所蔵品の充実を上げても良いでしょうし、これに比例して鑑賞者も増えています。
一般家庭でも室内に観葉植物を配置したり、美術品を飾るなどレベルアップしています。
その分、金融資産が減るのは当然です。
(いつまでもお金・貯蓄ばかりにこだわって花も何も飾らない・・美術・音楽鑑賞もしない方がおかしいでしょう)
昭和40年代ころに数千万円のお金が貯まっているのにケチに徹して飢え死にした人が何件か報道されたことがありましたが、金融資産が一定以上になれば自宅改装や文化に投資するなど貯蓄一辺倒から変化して行くのが賢い生き方です。
マスコミ報道は国の全体資産がどうなっているかの視点がなく、金融資産=現金持ち高の収支だけに注目して財政赤字が巨額だとして騒いでいるのですから、守銭奴的価値観・・先ずは現金を稼ぐのに必死だった昭和40年ころまでの価値観を引きずっていることになります。
我々世代がゼロから始めてこれだけの投資(自宅を立派にして公共資産も充実させて)をして来てもなお、個人金融資産が1500兆円を残しているのは大したもの・・バランスの取れた資産の使い方です。
何故「次世代が損だ」とバカみたいに(次世代・教育学者まで)不満を言うのかということですが、マスコミが誤った方向で煽動しているからに過ぎません。
(1500兆円の個人金融資産を2倍の3000兆円にしてその代わり、個人の家はバラックのまま、どろんこ道を歩いている社会では仕方がないでしょう。)
個人資産を比喩的に言えば、バラックの家を相続して本建築の(今では100年住宅とも言われる耐久性です)家を次世代に相続させるようになった人が今の高齢者の普通の姿です。
都営・県営・市営住宅など公営住宅あるいは公立高校の校舎なども、昭和30年代の木造の貧弱なものに比べれば、(私の出た都立高校は当時木造2階建てで廊下教室などの床にはコールタールを撒いていたものでした)4〜50年代にみんな鉄筋コンクリート造りになり、最近ではなお綺麗に建て替えが進んでいるなど)格段に良くなっています。
橋梁も今では巨大で立派なものが普通ですが、私の子供の頃には、田舎では大川にまだ木造の橋が架かっていた時代で、台風が来て洪水になると橋の一部が流されて残骸が残っているのを見て育ちました。(そんな時代でした)

国際収支3(原発停止)

所得再分配資金についても同じで、政府がどの水準まで国民に生活保障すれば国際収支が均衡し、それ以上ならどれだけの赤字になると言う試算表が公表されるべきです。
学者も政府のお先棒ばかり担いでいないで、こうした国民が本当に知りたがっている研究発表を自発的にするくらいでないと存在価値がありません。
仮に生活水準が現状で国際収支トントン、今の1割アップで2割の赤字ならば、これ以上社会保障水準を引き上げないことが肝要であって、水準を1割引き上げてその資金源として国債を減らして増税しても収入以上の生活をしていれば、対外的な赤字は減りません。
日本経済にとって重要なのは生活水準をどの辺に置くかの議論であるべきであって、国債によるか税収によるかは全く関係がないことを、April 6, 2012「財政収支と国際収支1〜2」で国債が悪で税が善とする意見が誤りであることを連載しました。
現在での具体的な例で言えば、原発停止による燃料費の支出増でイキナリ貿易赤字体質に転落していますが、これに比例して電力消費減・節約が叫ばれているのは上記理論の無意識な応用です。
もしも現状の生活水準を維持したままで従来通り電力を使えば、貿易赤字が恒常的になるとすれば(その他輸出が以前よりも増えなければ)、第1の原因である電力消費を先ず減らすこと・・それでも足りなければ第2にその他の支出も減ら(結局は生活水準低下)して行かないと巨額貿易赤字が定着してしまいます。
これまでの生活水準は原発依存で成り立っていたのですから、これをやめる以上は、コストアップした分・・高価な電力利用・家計負担増加・・ひいては値段に応じた消費削減を求めるのは仕方のないことです。
(原発の方が火力・水力よりも総体的にコストが安いと主張しているのではありません。
原発の方が事故があったときの損害倍賠償や廃炉コストなど加えればトータルでは高いかも知れませんが、これまでこうしたコストを織り込まないでやっていたので外見上安く見えていたに過ぎませんが、外見上の安さに比べて高くなるということになるでしょうか?)
もしもこのままの電力利用の場合、対外収支としてはやって行けなくなる(巨額赤字が継続する)とすれば、家計負担を嫌がって国家で(補助金・・原資は国債もあれば税もありますが)負担しても、国際収支赤字そのものが減る訳ではありません。
以上の次第で、我が国の国債が資金ショートするとしたら稼ぎ以上の生活をすること・国際収支の赤字継続→外貨準備・対外純債権の枯渇が前提であって、国債発行残高の増減には全く関係がありません。
原油や天然ガス輸入拡大によるここ1年間の貿易巨額赤字が恒常化するか否か私には不明ですが、もしも恒常化するとすすれば赤字がなくなる程度まで生活水準を落とさない限り、日本は将来的にギリシャ危機のようなことになります。
具体期には、原発をやめることによってその比率・・仮に原発依存度30%だったとすれば国民が30%電力消費を削減出来れば、原発をやめることによる原油等原燃料の輸入拡大は起きません。
しかし、一律に30%削減すれば、生産活動も同率30%縮小する(画期的な省エネ技術の開発がない限り国内総生産は電力消費量にほぼ比例するのが現状です)ので国内総生産が30%縮小・・従来の輸出用生産が大幅減になりますので、結果的に従来通りの国際収支にはなりません。
と言うことは家庭消費用の電力を8〜90%削減して、生産用電力削減を10〜20%減(国内総生産も1〜2割減)程度にしなければ、経済が成り立たなくなる理屈です。
家庭用とは言え、8〜9割も削減したのでは文明生活とは言えませんので、結局その他の支出(果物その他嗜好品の輸入を抑えてでも原油等の輸入を増やすしかない)電気の方は最大でも従来の10〜15割減くらいにしたいものです。
(これでもかなりの不自由・生活レベルが落ちますよ!)
原発全面停止による原油等の輸入拡大分が仮に昨年1年間6兆円であったとした場合、それを元に戻せない・・仮に最大節約(風力・太陽熱等代替電力の開発・省エネその他で)努力しても半分(3兆円)しか減らせないとすれば、残り3兆円分の赤字を原油以外のどの部分の輸入をどの程度減らして収支を事故前の国際収支に戻すべきかを(いろんな)パターンに分けて(原発依存度をイキナリゼロにするのではなく徐々に軽減するパターンも含めて)研究しておく必要があります。
(原発事故前よりも車や精密工業品などの輸出を増やして原燃料の輸入増の穴埋め出来れば言うことがないですが、海外展開や韓国等の追い上げを受けて国内生産が縮小して行く速度を緩めるのがやっとで・・輸出増をこれ以上期待するのは無理でしょう)
赤字国債を税に切り替えても国債収支の改善には何の解決にもならない・役人の自由度をどれだけ増やすかの議論が政治の主要テーマになっていますが、今はそんなことよりは、原発をやめる・あるいは徐々に縮小して行くとしたら、どの程度まで生活水準低下を国民が受入れられるか、輸出増努力と生活水準低下で穴埋めし切れないで残る貿易赤字をどうするかの研究・・活発な議論が必要とされているのではないでしょうか?

公約違反(無視)政党の存在意義3

今のところ代議制民主主義制度を上回る良い制度が発明されていない・・代議制民主制度でやって行くしかないとすれば、これを虚仮にするような人やグループを国民の代表に選ぶのは背理です。
こうした禁じ手を仕掛けた自民党・公明党もその道義的責任の一端を負うべきです。
自民党に関しては郵政民営化があれほど圧倒的多数で支持されたのに、これを推進した小泉氏が任期満了(国民による民営化支持を失っての退陣でもないのに)で退陣した後で民意を問い直すことなくなし崩し的にこれを後退させている前科があります。
我々弁護士でも相手の弁護士が依頼者の信頼を裏切るような行為をしようとしているのに気がつけば、それがこちらに仮に有利であるとしても、「先生それは危険じゃないですか?」と注意を促すのが弁護士の倫理です。
当該事件ではこちらに有利と思っても相手の弁護士の背進行為を野放しにすると弁護士全体の信用に関わるからです。
自民党や公明党は積極的に同業者を倫理違反・・民主制度の根幹を揺るがす背信行為に誘導し嵌め込んで行ったのですから、倫理上は同罪以上かも知れません。
谷垣氏は弁護士出身ですから、こんなことくらいは分りそうなものですが、早いうちから政治家になっていたので弁護士業務のイロハも知らないのかも知れません。
同じことは民主党の中核にいる多くの弁護士出身者にも言えます。
弁護士資格を兼有している以上は、彼らに弁護士倫理の教育を実施する必要があるのではないでしょうか?
既成政党はみんなそろって根源的な政治倫理違反で信頼出来ないとなれば、じゃあどこに・・?となりますが、実務政党は自民党以外に育っていないのが難点です。
自民党の実務能力に疑問符がついてやっと政権交代したらこの始末ですから、原発事故に対するお粗末な対策しかして来なかった東電には腹が立つが、日々の生活に電気が必要なので潰す訳に行かない・・寡占の東京電力みたいな状況です。
その上既成政党がみんなで談合して公約無視の増税路線に突っ走るようでは、政党政治自体を否定するしかありません。
原因は違うものの、政党に対する不信感が広がった閉塞状態から戦前は軍部に権力が移行して行ったのですが、今回はどうなるのでしょうか?
今後新規に結成する政党も含めて今後政治家は目的さえ正しければ(何が正しいのか誰が決めるのでしょう?・・マスコミは自分達が決めるというのでしょうか?)公約は守らなくても良いんだという社会の合意・・風潮が定着することを前提にすれば、どう言う基準で政党を選んで良いのか国民は困ってしまいます。
確かな野党と言われる共産党や社民党にしか、安心して投票出来ない時代が来るのでしょうか?
それでは国民にとって選択肢が狭過ぎます。
そのうえ、かれらも少数党であるから無責任に言いたいことを言い張っているのであって、政権を取れるようになると(権力を使い慣れていないので、民主党同様にブレーキの効かし方が分らないところがあります)どんな乱暴なことをやり出すか分りません。
社会党は政権党になったときに野党時代に反対していた長良川河口堰工事を実施したことでも味噌を付けてます。
世の中に利害が完全に一致する別組織など滅多にある訳がないのですが、公約を「一応」信じて何とかなっていたのです。
これを正面から堂々と政府・与党が破ってマスコミがこれを賞賛し、公約を守るべきだという勢力・・彼らこそ国士です・・に対しては、個利個略だ政局意識しかないと批判しています。
マスコミによる国民教育?を放置していると、国民が選挙に行かなくなってしまい、民主主義が危殆に瀕してしまいます。

政治生命をかけるとは?3(禊)

今回の消費税問題以前から、今度選挙すれば民主党政権運営のお粗末さから、民主党が大敗するだろうと言うのがもっぱらの下馬評でしたが、消費税増税が成功したらそれを国民が評価して逆に大勝するという見通しなのでしょうか?
(マスコミによる野田内閣の勇断・・決められる政治と言う応援を計算に入れているのでしょう)
そうなれば公約違反の政治上の罪は選挙でみそぎが済んだ・・許されたことになると言う計算かも知れません。
いわゆる事後承認ですが、緊急事態に関しては国会の事後承認という制度がありますが、増税の場合選挙する暇がないことはあり得ないのに、(元々国王の求める増税の可否を議論することが議会の基本的機能でした)増税の可否までも事後承認で済ますのでは、選挙で信を問うことは何もなくなってしまいます。
ヤンバダムの例でも分るように一旦始めてしまうと元々はやるべきでなかった工事だったとしても、今更やめるともっと損害が大きくなってしまうのであれほど反対していた民主党でさえ中止し切れないことからも分るように、(原発だって作ってしまいこれに依存する体制を作ってしまっているのでイキナリ全廃出来ないのですが・・)既成事実を作った方が勝ちみたいな所があるのが政治です。
ですから、何もかも既成事実を後から判定する方式は民主政治向きではありません。
結果責任を負うだけであれば、(遠征の失敗などでその後王朝が倒れるのは)専制君主でも独裁政権でも古代からどんな政体でも皆同じで、民主主義制度とは無縁です。
他律的な疫病等のばい菌の穢れを払う禊の効用と意図的な公約違反の関係については後に書いて行きたいと思います。
消費税増税実行はマスコミの応援を受けられるので選挙で大量得票に繋がるという思惑からか、民主党執行部は離党者に対する意趣返しのつもりか、離党者の選挙区に対立候補を立てる方針とも言われています。
自民・公明との談合で消費税増税を実現するのですから、本来の対立政党である自民公明両党から公約違反の道義責任を厳しく追及される心配がありません。
民主政治の息の根を止めた戦時中の大政翼賛会選挙同様で「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということでしょう。
談合3政党の共通の敵は、公約違反を追及する離党者グループですから、この共通の敵に向かってこれまた談合・共闘態勢が先ず構築される(マスコミは当然その応援をします)ことになるのでしょう。
離党者からは公約違反の追及が厳しいことが予想され、野田総理とその1党にとってはそれが怖いからその批判(歴史に残る批判です)さえ封じることが出来れば、仮に党が消滅しても良いくらいの判断なのでしょうか。
刺客と言えば郵政選挙の例が想起されますが、郵政選挙場合、テーマもはっきりしていたし、小泉政権の圧勝が予想されていたので、落下傘候補であるいわゆる刺客候補も一定の勝算があってのことでした。
(実際に落下傘候補もかなり当選して、保守系乱立による共倒れは殆どありませんでした)
今回は元々民主党が一丸になって戦っても大敗すると言われている状態でしたが、消費税増税が民主党にとって、公約違反問題もあり、どのような審判が下されるか分らないイチかバチかの大勝負です。
消費税増税がプラスに作用して圧倒的強い立場になれば良いですが、そうではない限り他人の選挙区に何の地盤もない新人が執行部の意を受けて立候補をしても当選出来る確率は殆どありませんから、圧勝の見込みもないのに送り込めば共倒れを前提にした作戦・・泥試合の開始となります。
立候補は本来当選を目的にあるものですが、相手を落とすことだけを目的に立候補するのはこれまた民主主義制度の本義に反しています。
当選目的ではない共倒れ目的での立候補者(刺客)を仕向けて来るならば、小沢派の方も(軍資金次第ですが・・)対抗上執行部寄りの当落線上の選挙区へ刺客を送り込む泥仕合となって、双方大敗を喫することになるでしょう。
自民・公明その他の政党が漁父の利を占めることになりますが、野田総理が政治生命をかけると言っていた意味が、自分を含めて民主党をそっくり滅ぼしてしまう・自壊させるつもりでやるとすれば潔い決断です。
信頼で成り立っている民主主義制度を根本から覆す大罪を犯した責任は、党首だけではなく党自体にあるので党自体が消滅するのは良いことです。
ちなみに「政治生命をかける」と言う従来の語義は、信念に基づき不利益を顧みずに自分より大きな権力・マスコミを敵に回す主張を敢然とするときにこそ、「正義のために頑張るぞ!」と使うものであって、「これから泥棒に入るぞ」とか、悪いことだけども断れないので「大きなものに巻かれるぞ!」「信念に反してマスコミ受けするように主張を変えるぞ!」と正義・信念に反する決意表明に使うべき言葉ではありません。
野田総理が「政治生命をかける」目標は、株屋で言えば、顧客からの特定銘柄買い付けの指示に反して、証券マンが別の銘柄の方が良いと思って勝手に別の銘柄の買いを入れてしまうなど悪事を働くときの決断に使っている感じです。
あるいはファンドの組み入れ比率を株屋が無断で変更するための決断みたいなものかな?
証券マンが顧客に説明しないで勝手に売買する以上は「地位・クビを掛ける」ことになるでしょうが、この場合結果的に儲けられさえすれば客は文句を言いません。
しかし政治の場合、結果が良いかどうか直ぐには誰も分かりません。
例えば石油ショックやプラザ合意による円高傾向が日本にとって国難だったのか、却って省エネ技術が発達したり生活ベル引き揚げの発火点になったのか、低金利が良かったのか悪かったのか増税せずに国債で賄って来たのが良かったのか悪かったのか(私に言わせれば国内から資金調達している限り金持ちからの所得再分配機能を果たしているという意見です)、一定の公共工事をするのと別のことに投資したのとどちらが良かったかが、20年経っても漸く分るかどうかと言う状態です。
外国の例でも・・アスワンハイダムは、今になるとナイルの肥沃な流域を駄目にしてしまったマイナス・失敗ではないかと言われているのを想起しても良いでしょうし、中国の山峡ダムも同じような運命のようです。
政治の世界では「結果さえ良ければ良いし、悪ければ責任を取る」と言っても事後判定は意味をなさないので、結果の如何(目的が善意であるか否か)に拘らず国民の信託に背くこと自体が絶対的に許されないのが、民主政治の原理であるべきでしょう。

マニフェスト(選挙公約)の重み3

代議制民主主義・間接民主制は、専制君主制や絶対君主制とは違い国民は代議士に白紙委任しているのではありません。
間接民主制下の我が国で「代議士は国民の信託に反して何をしても良い」とする無茶な主張・行動がどこから出て来る論理か疑問です。
・・民主主義を絶賛していて民主化のためなら多少どころか国を傾けかねない大混乱でも賞賛しているマスコミが、どのような根拠で明白なマニフェスト違反を賞賛しているのか理解不能というべきではないでしょうか。
仮に結果さえ良ければ公約違反しても良いという議論・・そう言う方向へ誘導しようとしているように見えますが・・があるとしたら、誰が結果の善悪を決めるというのでしょうか?
(結果さえ良ければ民意に反してもいいと言うなら、専制君主でも北朝鮮のような軍事政権でも何でもいいという議論になり民主制を否定することになりますが、以下は、この点を措いてもと言う議論です)
国民の声を無視してマスコミが勝手に決めたら、それが「善だ」という主張になるのでしょうか?
民主主義社会では民意で決めたことを実行するのが「善」・正義であって、マスコミや官僚が勝手に決めたことを政治家が行うことを善とする仕組みではありません。
増税が必要なことは決まり切っているというのでしょうが、決まり切ってるかどうかを誰が決めるかとなれば選挙民でしかありません。
ちなみに我が国の財政赤字と言っても・・国債の95%(最近少し減っていますが・・)は国内保有ですから、国際収支赤字になるかどうかこそは重要ですが、国際収支黒字の範囲内で国内分配上その一部団体である政府に赤字があってもその対極に黒字の債権者・団体が国内にいるので、対外的には何の問題も起きないことを繰り返し書いてきました。
次世代に債務を残すのかという議論もインチキ(同額の債権者も9割以上が国民ですから同額の債権を次世代が相続をするから差引5%の債務でしかありませんし、それ以上に国民金融資産があればプラス超過の相続)であることを書いてきました。
このように財政赤字対策としての必要性でさえ意見が分かれるうえに、赤字対策としての増税を認める立場でも円高下での景気対策として、今増税するのは景気対策の点でもマイナスになるという意見も多く賛否の議論が分かれています。
財政赤字=増税の必要性論で仮に半々に分かれて、景気対策上時期が悪いという点で半々に分かれるとしたら、最後までの賛成は2分の1の2分の1で結局国民の4分の1しかいないことになります。
だから野田政権は民意が怖くて選挙で信を問えないのでしょう。
野田政権は民意に反していることを知っていて、悪意で国民に対する反逆行為をしていることになります。
増税期待のマスコミ界では、(小沢批判の根拠がはっきりしないのですが、ともかく小沢批判で凝り固まっています)どうせ民主党がマニフェストで実現出来たことは高校授業料無償化くらいだから、「何を今更マニフェスト違反だと騒ぐのか」という論調が目立ちます。
増税の必要性に比べれば、マニフェスト違反くらいは大した問題ではないという意識を国民に植え付けるのに躍起の模様ですが、増税の必要性があるかどうかこそ民意・・選挙で決めるべき最重要事項であって、マスコミや官僚が勝手に決めるべきものではありません。
議会制民主主義が国王による増税に対する反発・・抑制の必要性から始まっている歴史・・アメリカ独立革命もボストン茶条例と言う税に対する不満から始まったことを想起しても良いでしょう。
議会制民主主義の中でもっとも重要な決定事項が税のあり方であることは、歴史上明らかです。
この最も核心的テーマである増税の可否について公約・マニフェストでは4年間は増税しませんと明言して政権を獲得した政党が、政権獲得後真逆のことをしつつあるのですが、国民に対する反逆者グループがマスコミで賞賛されている日本の状況は、民主主義の価値観を西洋と共有する先進国の状況とは到底思えません。
政治生命をかけて戦っても力(実務能力)不足で実現出来なかったのと、公約に真っ向から違反した政策実現に執念を燃やすのとでは代議制民主制度に対する意味がまるで違います。
代議士個々人の約束の場合、個人的に約束していても(地元誘致案件など)党内勢力の兼ね合いで実現出来ないことは多くありますが、政党全体の公約となれば、党員一丸となってそれの実現に注力することを有権者に約束したものです。
党外との勢力関係で実現出来なくとも仕方がないですが、党自体が公約とは真逆の方針に転換するには改めて選挙で信を問うしかないことは民主制度・・国民の信頼・付託でなり立っている以上は当然の原理です。

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