金融政策の限界2

金融・資本支配が重要になって来ると回収の他に金融・資本政策をどうするかが、世界経済の基本的枠組みとなります。
野放図に与信が膨らむとサブプライムローン〜リーマンショックみたいな事件が起きて世界の実体経済に大影響を及ぼすので、その歯止めをどうするかの議論がリーマンショック後の金融規制強化論でしょう。
一方でリーマンショック以降需要蒸発に対応するためにアメリカ発信で異次元の金融緩和・・・金利低下+紙幣大量発行競争?が盛んになっている・・これは結果的に信用供与拡大競争をしていることになります。
信用拡大の後押しをして応援する代わりに、金融関係者の暴走を防ぐために規制強化しようと言うことで金融資本に対する批判が高まっている世論と折り合いを付けるつもりでしょう。
この辺は急速に高まって来たタックスヘイブン批判も(ガス抜きを図っている印象がある点では)根っこは同じです。紙幣大量発行・・マイナス金利まで進んで来るとパラドックス的ですが、逆に金融業者・・金融政策の機能低下が進みます。
どこかで書いたことがありますが、紙幣が足りないから金利を払ってでも借りるのであって膨大な貨幣発行し、必要以上に紙幣が供給されればその他商品同様にダブつけばリース料が下がるのは当然です。
紙幣も商品である以上・・供給過剰になれば、金利・リース料が下がり最後は金利を払ってまで借りる必要がなくなる・・日銀が決めなくとも実勢相場が下がる(日銀は現状追認機能に下がる)のは、当然の原理です。
アシカのショーでも京都大学の類人猿の研究でも餌(果物)を与えながら知能の動きを探り、訓練していますが餌をふんだんにおいて置けば餌で釣るテストや訓練は不可能になります。
借りたい人が少ないから2%から1%に下げても借り手が少ないので、更にゼロ→マイナスに下げても量的緩和しても理屈は同じです。
いろんな商売を見ていると分りますが、(技術・品質・提案力の進歩が止まって)価格(値下げ)競争に入るとその業界は終わりです。
資金余裕のある企業は、・・供給不足している国相手ならば投資出来るが、供給過剰の国内で設備増強することはありません。
まして金利が安いくらいで何故国内投資するの?と海外投資に資金が逃げて行くばかりです。
デイズニーランドの例で言えば、いくらお金があっても勝ち目もないのに競合するレジャーランドを直ぐ隣接地に作る人・企業はいないでしょう。
採算取れるからこそ、事業を買収したりするものであって、企業内にいくら蓄積があっても儲けられそうもない企業の株を買わないのと同じです。
腹一杯になった人に食事を勧めても半値でも要らない→9割引きでも要らない→更に満腹になるとこれ以上はお金をもらっても要らないと言います。
もっと要求すると棄て賃(マイナス金利)をもらわないと受け取れないと言うでしょう。
ゲップ状態(有り余っている)だからこそ、マイナス金利になっているのですから金利をいくら下げても「需要がなければ需要は増えません」
金利が需要を作るのではなく、需要があって供給が足りないときに金利が安ければ借りてでも設備投資するのですが、需要がない・・供給過剰で設備廃棄しなければならないときに、金を持っていても国内投資する企業はありません。
経済専門家は、過去の供給不足・資金不足時に有効だった政策を今でも有効であると誤解しているのです。
この辺は紙幣大量発行とインフレ可能性のテーマで、モノ不足のときに紙幣を2倍発行すれば、物価も2倍になりますが、モノが余っているときに紙幣が2倍供給されても2倍の量を買わない・・紙幣(預貯金)が滞留するだけであると書いたことがあります。
何千万の月収のある人あるいは億単位の預金のある人が、あるトキ月収が10万円増えたからと行ってその分そっくりどころかその何%も消費を増やすことはありません。
豊かな社会に於いては金利の上下や紙幣発行量の重要性はとっくに終わっているのに、未だに国を挙げて金利の上下や量的緩和のレベルを議論していること自体が滑稽なことです。

金融支配→法の支配の重要性2

明治維新当時の治外法権制度は西欧が自分のルールを押し通すための条約であり、その延長で砲艦外交が花開いたのですが、(アヘン戦争もイギリスの論理で言えば商品を(欽差大臣林則徐が)勝手に没収・廃棄するのは、違法と言う論理・・アヘンを売る事自体が許されないと言う大きな倫理違反があるので今ではイギリスの方が悪いとなっています・・これは戦後ナセル中佐によるスエズ運河接収・国有化に対して(有名なレセップスが民間資金で投資で作ったものですから、正当な保障を求めて)英仏が軍を動かしたのと論理が同じです)歴史的に貸金や投資中心になると武力ではうまく行きません。
このように強制力に頼るのは弱いので、内心道徳律の育成・・如何にルールを守る持ちにさせるかが関心の中心になります。
商取引の場合は継続性が基本ですので、一度でもルール違反すると次の商売(仕入れ先が限定されている上に支払停止すると同業組合一斉に納品拒否する仕組み・・これの一般化が手形不渡り→各種取引停止制度)が出来ない・・自分自身が業界から抹殺されてしまうリスク(自分のみならず従業員全が路頭に迷う)があるので余程のことがないとルール違反で来ない仕組みが出来上がっています・・法の世界では商慣習が重視されている所以です。
権力による強制=法がなくとも商人は商道徳・(慣習法・・デファクトスタンダード)ルールを必死に守りますので強制的「法」の必要性が乏しかったのです。
戦後相次いだ独立国による国有化宣言は、民間商取引と違ってすぐに国単位での取引停止にはなりませんが、投資危険国として警戒されるので長期的にはその国の経済活動が停滞して行きます。
アフリカのやソ連の長期停滞の原因は、独立や革命と同時に旧政権時の債務支払拒否や旧宗主国出身技術者の追放あるいは重要施設接収のトガメであると言われています。
ソ連解体後ロシアがソ連成立時に支払拒否していた旧帝政ロシアの債務支払を始めたのは、こうした長期的マイナス(取引すると危ないと言う評判)除去にあります。
消費者がお金を借りたり買ったりする当事者に浮上すると同じ人から1買い切りの取引が多いのでもう一度借りなくとも踏み倒していることを知らない別の人から借りることが可能です。
1万円札は誰から借りても同じ・・この辺が個性のある商品仕入れとの違いですが、(コンピューター化の進展で個人も信用情報が整備されましたがそれまでは)貸す側にとって借りに来た人がどこかで借金を踏み倒しているかの情報がありませんから借りる方や分割払い約束する人の内心のモラルだけが頼りなってきます。
江戸時代に三井高利が始めた「現金掛け値なし」の商法は、ムラ社会で知り合いばかりの時代から大都会化して来て(匿名の)消費者の信用情報がない時代に消費者層を広げる近代的方法でした。
現代では遠隔地の取引や現金を持たない階層・・最貧国まで対象にする時代ですから、現金取引に限定すると顧客が限定されてしまうので、再び信用重視になってきます。
こうなって来ると相手の資産状況不明ですから、相手のルールを守る気持ち・・法教育・・約束・ルールを守る可シと言う強制力の整備や道徳教育やその精神の浸透が重要になってきます。
道徳教育だけでは限界があるので、これを意図的に破る悪質な場合には刑事処罰する必要性も出て来ます。
他所で借りていて既に返せなくなっていて、返したり払う当てもないのにこれを隠して借りたり商品を買ったり契約して財産上の利益を得た場合(以下に紹介する刑法の2項サギの)場合、詐欺罪で処罰する法律が整備されてきましたし、守らせるための民事法や民事執行法も年々着実に整備が進んでいます。
武力・腕力支配がいけないとなれば、民意に裏打ちされた「法による支配]」強制しかないのは当然です。
古代からの10戒では財産犯に関して盗みを禁じるだけですが、近代法では詐欺(これも人を騙すだけでは罪にならず財物騙取・財産上の損害を与えた場合だけ)罪が重視されるようになった所以です。
刑法
(詐欺)
第二百四十六条  人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
2  前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。
国際関係も世界支配の源泉が武力から金融力に変わって来ると武力による強迫から道徳・・法を守る意識の植え付けが必須になります。
欧米が何かと言えば、(自分たちの作った)法の支配を強調するようになった所以です。
韓国の場合まだ近代法意識が根付かない・・待ってるだけでは貸金を返してくれないので過酷な取り立てが横行する社会になっているのか?・・借金地獄解消のために時々借金棒引き令を出したり、若い女性が海外売春に出掛けているのが知られています。
中国ではまだ政府自体が公式に法の支配を行なっていない・法的手続外で共産党批判者を拘束したり、政府発表自体虚偽に満ちている社会ですから、国民に法を守れと言うのは背理です・・国民意識がその程度ですから対外的に窃盗団や知財剽窃やサイバーテロやり放題ですし、その意識のママ海外旅行に行くとマナーの悪さ(結局はルール違反・分らない)が評判になります。
政府は私兵(人民軍は国軍ではなく共産党の私兵です)を擁している強みで、国内ルールに従わず違法なことをしているだけではなくこの延長で海外でも臆面もなく行なっているのが、領海侵犯(小笠原でのサンゴ乱獲など)などですが、これは自発的なルール遵守意識が育っていないことの現れです。
国際司法裁判所の判決が出てもそんなのは関係がないと臆面もなく言い切るのは、中国政府自身が国内同様に・・国際社会でもルールを守らないと言う宣言です。
国際ルールを守らない民族と取引するとカネや商品を受け取るまで安心できません。
資本自由化に応じないという意味は、中国国内に投資しても回収金を簡単に日本への送金をさせないことがあるという意味です。
中国では法の支配がないとすれば、リスクに応じた投資抑制しかありません。
先進国内では、過酷な取り立てが出来ないし武力で取り立てるのでは採算が合わないので、借りたものは返す・・法を守れと言う法教育が必須です。
対日戦争の結果植民地を失って結果的に旧植民地人を武力・警察力で支配出来なくなった欧米は、法を守れと言いだしたのですが、そうなると人種によって法適用が違うと矛盾しますので、植民地支配に対する反抗者を監獄島などに幽閉していたのをすっかり忘れたフリをして?方向転換して西欧諸国がイキナリ法の下の平等..人道主義を言い出したのです。
自分がクジラを好きなだけ捕っておいて、不都合になるとイキナリ捕鯨反対に切り替えるのと同じです。

金融支配→法の支配の重要性1

消費力→金融支配に戻ります。
今や国際発言力の基準になっている消費力・購買力についてみて行きますと、財の購入者が借金によるか自己資金によるかに関係なく商人は目先消費してくれる人・お客が大切です。
借金を払えなくなるかどうかは金融業者がリスクを負えば良い・・移民でも何でも客が増えれば良い・・その先の治安や教育コスト、生活保護負担は政府が考えることと言うのが,マンション業者・自動車会社やレストランであり遊園地でしょう。
(弁護士になったばかりのころには、販売会社直接の月賦販売方式でその回収の仕事をやりましたが、昭和50年代末頃から◯◯ファインンスなどのファイナンスの全額一括払い形式に変わりました。
この結果営業マンは、データ入力してブラックでさえなければいいので、顧客の支払能力を全く気にしなくてもよくなりました。
現在のカード決裁システムではそうなっています。
この5〜10年では、アパート賃貸業でさえ保証会社と提携している場合顧客の信用・・人相や職業など知る必要がなくなっているばかりか、管理会社に一任しておけば一定の家賃収入を保証してくれるシステムまであります。
この原理では貧困国・貧困層相手でも、お金さえ貸す・あるいは出す仕組みがあれば、商人はいくらでも売れます。
結果的に貧困層も一定の消費生活が出来る点では金融制度の発達は画期的制度ですが、将来の収入を当て込んで先に消費する点では、例えば2〜5年の分割払いの場合、その期間支払額に人生が縛られることになります。
いわゆる可処分所得の考え方ですが、任意に決めたこととは言え借金の支払いに追われる金額まで可処分所得に加えてもその人の自由度が測れません。
猫も杓子もカード利用社会・・債務支払のために行動が制約される社会の仕組みを作り上げて来たのが戦後社会構造です。
「債務負担とは時間を買うこと」だと習ってきましたが正にそのとおりで、将来の収入を当て込んで今消費する結果、将来の時間が縛られます。
お金の支払額が生活活動の大方に比例すると考えると、仮に月収の6割が分割払いに費やされる場合人生活動の6割が予め自分で決めたこととは言え、予め拘束されてしまうことになります。
もしも月収の9割9分が、先月までの買い物などの分割払いに当てられるとした場合、来月〜1年間、その人の生活は予め殆ど決められたことしか出来なくなります。
来月〜1年先までの分割払いで新たに自由に何かの契約出来ますが、もしも何かでつまづいたらたちまち支払い不能になる不安に苛まれている上に、将来にわたって現金で買う選択肢がなくなっています。
いろいろ言えばキリがないですが、債務にしばられる関係・・国際関係も武力一辺倒から、金融・資本支配力が武力に変わる支配の道具に変わってきました。
個人の場合、借金していると借りている(投資を受けていると引き上げられると大変ですから)方はアタマが上がらないのが普通ですが、国と国の関係で同じです。
借金漬けにして先進国が製品を売り込んでおいて金融支配する・・これが戦前の植民地支配に代わる戦後欧米による旧植民地に対する支配方式でしたが、行き過ぎると最貧国では払えなくなるのでデフォルト・・最貧国に対する債務免除問題として時々吹き出していました。
中世の終わり頃には、スペイン王室がイタリア商人に操られて戦争ばかりしていて何回も破産したのと同じです。
これを先進国が自国民に対してもやるようになっていた結果、先進国内で多発していたのが消費者破産であり、爆発的発生(一種の債務バブル崩壊)したのがサブプライムローン問題でした。
韓国では国内で財閥とその従業員に対その他大勢・一般国民に対する一種の植民地支配(両班支配の復活もどき)が行なわれていると言われていますが、その代わりに借金棒引き政治が時々実施されて来たと言われています。
共和党候補者選びでのトランプ氏の場合、全て自己資金だ・・どこからも資金が出ていないから支配されないと言うのがカレの売り文句でした。
今では、貸し付けが主力ではなく、投資による支配方式になっていますが、金融資本による支配である点は同じです。
中国はまだ「借りたら返す」と言う近代のルールを守れる社会段階に到達していないので、格好つけるために先進国による資本支配をふせぐために資本の完全自由化に踏み切れていないと言っています。
どちらが本当の原因か不明ですが結果的に資本自由化出来ない社会状態にある点は同じです。
元々商業発展と(取引)ルール強化には一体性があると言う意見を絶対王政のコラム・あるいはイスラム布教の広がりと関連して03/26/06「商人と規制の親和性8(戒律・・・宗教の成立)」前後に書いたことがありますが、商取引には取引ルール・共通化がないとうまく行きません。
(現在進行中のTPPも高度な知財その他の取引に関しても共通裁判ルールで最終的に決めようとする点にあります)
重商主義時代にはルールを守ってくれる背景として国内的には絶対王政が発達し,対外的には(行く先々で自分のルールを守らせるための)海軍力がその背景でした。
海賊から商船隊を守るためと習いますが,行く先の地域ごと異なる商品交換のやり方・・西欧のルールに合わないもの10把一絡げに「海賊」と言っていたキライがあります。

金融政策の限界1

商品価値として少量でも良い物・上品さ・アート性のあるものが優位性を持つ時代・・を支えるのは→武力に変わる道義・センスであり商品流通を支えるのは武力よりは動脈となる金融秩序です。
モノが行き渡って来ると2倍の生産をしても飲み切れない牛乳をこれ以上いらない・少量でももっとおいしい牛乳が良いとなります。
少量でも良いものが欲しい時代になって来ると量で勝負する旧価値観で生きて来た人にとっては困ってしまいます・・この反動が現下の反ウオール街運動・・マサに価値観の大転換に対する反作用と言うべきでしょう。
金融や芸術・知財では多くの人を養えないのは当然ですが、それは人口減で対応すべきことであって移民による人口増で対応する政策に矛盾があるから社会問題になって来たのです。
先進国が苦しくなって来たのは現地生産の進行→先進国が世界の工場ではなくなった結果、自国内需要を越える工場・生産力が不要になったことによります。
需要不足=供給過剰状態打開のためにEUと言う障壁を作り日本からの輸入攻勢をふせぎ、コスト競争のため+自国民の賃金低下圧力緩和のために?安い賃金は移民に任せる解決を求めて来ました。
この辺は「介護従事者が足りないから移民を入れろ」と言うのと同じで理屈のすり替えですから解決になる筈がありません。
介護者が足りないのは介護関連賃金が保険制度のために低く抑えられているからであって、これを市場に委ねて高額賃金を支払う・・有料老人ホームであれば人手不足は起こりません。
即ち介護士不足は人件費が他産業に比較して低く抑えられている結果・・市場原理に反している結果・・賃金が不当に低く抑えられている結果でしかないことをJuly 11, 2016に書きましたが、先進国の移民導入論も論理のすり替えである点は同じです。
自国民の賃金が高過ぎることを頰っ被りして国際相場(自国民より安い賃金)で働く移民を一部入れると、結果的に自国民の職場を奪って行くことになりジリジリと賃金相場が下落して行きますのでこれを待っているのでしょうが、どうせ結果が同じならば自国民だけの方が国民が幸せです。
移民が入った分労働力過剰になっている・・西欧では10%台の失業率が普通になっています・・移民を差し引けばどうだったかが明らかです。
国際競争力維持で言えば、移民を入れてもどうなるものでもない(工員の1割を中国人にしても全体の賃金は1割しか下がらない・・100%中国人の中国の工場に勝てません・この辺の理を2週間ほど前の移民シリーズに書きました)・・却って国内失業が増えて行きます。
輸出用の生産要員が不要になった・・先進国が世界の工場として人口を増やして来たトガメが出てきた以上は、世界の工場になる前の人口に減らして行くしかありません。
各民族は自給自足に適した人口を維持すべきであって、タマタマある映画の舞台になったことによるブームによって、観光客が押し寄せて来たとしてそれに頼って店舗増築や従業員などを増やす・・他市町から住民移動があるとブームが終わるとたちまち人口過剰・失業・倒産の危機に瀕します。
数年前からの円安に多くの企業が増産投資しなかったのは、一時のブームに合わせて増産投資すると円安が終わったときに参ってしまうことを企業が知っているからです。
実際に一時的な中国観光客の「爆買いに遅れじ」とばかりに設備投資したデパート等が、この4月からの爆買い急減によって売上減に見舞われ、設備投資が重荷になり始めています。
国内投資が殆ど増えないことをマスコミが焦って企業の内部留保が悪いと言うキャンペインを(左翼文化人も内部留保を還元しろと)張っていましたが、増産投資するとその後で困るのが目に見えていますし、利益要因の基礎が海外資産の評価アップによる・・国内需要が増えた訳ではない以上無責任なマスコミ主張に乗る訳がありません。
他方で日銀もマスコミ的発想を受けて金融政策・・ゼロ金利・・異次元の金融緩和が始まっています。
ゼロ金利にして金融機関に滞留している資金が国債購入よりは投融資に向かうしかないようにすると言う戦略でしたが、国債や日銀預かり金利をゼロ金利にしても銀行としては需要がない(企業自体が内部留保一杯で借りる必要がないでしょう)から金融機関の投資が細っていたのですから、(ゼロでも借りたくない企業は借りない)新規投資すべき相手がありません。
逆に庶民の投融資の入り口であるMMF口座がゼロ金利の影響で逆に続々と閉鎖の憂き目にあっています。
先進国は産業革命の先行でタマタマ2世紀にわたる長い優位期間があったので、世界の工場としての地位が永久に続くかの錯覚があったでしょうが、長期的に見れば一過性のブームと本質が変わりませんが、永久に続くと思って誤って人口を増やして来たに過ぎません。
移民政策は、映画の舞台になったことによって田舎の街に押し寄せた観光ブームが終わったときに、飲食店等の客を増やすために地元商店街の従業員をもっと雇う運動をするのに似ています。
・・彼らも客になるので少しは市内の消費を維持出来るでしょう・・移民によって人口を増やせば飲食店やコンビニの客が増えるしクルマなどの需要もふえるでしょうが、その客になる人の収入をどうするかの意見がありません。
デパートで働く人・納入業者等がその街のにぎわいに貢献しているので、デパートが撤退するとその人たちの消費も減る関係をみると、デパートや商店街の売上を増やすために従業員を増やせと言う主張に似ています。
先進国においては世界の工場としての役割は終わりをツゲつつある・・NHK朝ドラの舞台化による田舎町に観光客が押し寄せるブームが終わりを告げつつあるのと似た結果が始まっていることは厳然たる事実ですから、これに目を背けてもどうなるものでもありません。
人口減少を憂うる多くの学者の意見よりも庶民の意見・・折角自民族が知恵を絞って少子化で人口減を図る・・減ったパイを少人数で分け合う智恵+みかんの摘果と同じで少子化すれば一人当たりレベルが上がる・・が生物界の基本原理です・・生物の本能に従って庶民が来たるべき新時代への適応力向上を目指して少子化に励んでいるのは「正しい選択だ」とここ10年来このコラムで書いてきました。
少子高齢化に励んでいる人は、一方で当然に移民反対です。
折角自分自身が質素倹約・少子化に努力しているときに、よそ者が来て爆食(移民がドンドン子供を産んで有限な資源を食い荒ら)されたのでは叶わないからです。
マスコミは庶民の本能を無視して移民導入を煽っていますが、人口増になるのは困ると言う(世界中の)庶民の意見の方が正しいと言うのが私の持論です。

占領統治の難しさ(日本奴隷化作戦の変更)

何回も書いているように欧米は、日本を叩き潰した後には単純被植民地、被奴隷国の限度で生存させる・・一切の工業生産を許さない方針でした。
アメリカ政府のインデイアンに対する協定破り・相手が武装解除・降伏すれば、降伏時に約束した協定など全く守らない前提の国です。
降伏したインデアンに対する非人道的政策は良く知られていますが一例を挙げれば以下のとおりです。
どこの誰か?根拠があって書いているか知りませんが,私が何かで読んだ記憶に大方あっているので一応引用しておきます。
http://goodorbadamerica.blogspot.jp/2013/01/blog-post_17.html

「徹底した同化政策を進めるために、赤ちゃんは、強制的に白人家庭に養子に出されたり、5歳以上の子供たちは、全員親から引き離されて、寄宿学校に入れられちゃいます。
学校と言っても、牢獄に近かったらしいですよ。
無理やり、部族や親と隔離して、キリスト教に改宗させられて、英語を習わされて、白人の下働きをする、「良いインディアン」作りをするための学校だったんですね。
まさに、インディアンの文化そのものを根絶やしにするための同化政策ですね~。
たしか、インディアンの寄宿学校が廃止されたのは、1965年あたりだったはず。
と、いうことは、今でも、だいたい50才以上の人たちは、ほとんど、入れられた経験があることでしょうね。」

赤ちゃんのときからオヤから引き離し、インデアンが如何に劣った民族かの言う教育を徹底していたのですから、ジェノサイドの極致ではないでしょうか?
英語しか知らない状態で育ち、寄宿舎を追い出されるとその後インデアン部落に戻っても言葉も通じないし生活習慣もまるで違う・・生きて行けません。
白人社会に入っても何も出来ず、保護に頼って無為に過ごすしかない・・人間が腐って行くだけの生活が待っている・・民族消滅するように仕向けられたのが今のインデアンです。
何回かポツダム宣言を紹介していますが、もう一度紹介しますが、「奴隷化・・するものではない」と言う表現は、正にその予定にあったモノの日本が容易に降伏しないので仕方なしに表向きの方針を変えたに過ぎないことを言外に表明しています。
武器を取り上げて占領してしまえば、約束など守って守らなくとも勝者の勝手・・自由自在と言う思惑があったでしょう。
我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

実際に占領後の実際を見ると、日本民主化の名分と占領後の日本の工業生産禁止はどう言う関係があるのか、米軍による軍政、検閲は?民主主義化の建前と全て矛盾です。
アメリは占領さえすればこっちのモノ・・後はインデアンに対するのと同じでやりたい放題・・元々ポツダム宣言を守る気持ちが始めっからなかったのです。
ソ連が満州侵入後日本軍をシベリアに連行し文字どおり奴隷支配したのは、アメリカから事前に聞いていたとおりに実行した(アメリカが腰砕けになっただけ)と言う立場だからでしょう。
アメリカはソ連と対立関係にあったのにソ連の蛮行に対して何の非難もしていませんし、だんまりのままだったのは、「自由に連行して奴隷化しても良い」と言う密約があったことが推測されす。
日本人奴隷化の基本方針からすれば、占領後天皇制廃止・・天皇の縛り首実行が既定路線だったでしょうが、これらを実行出来なかったのは、そこまでやると日本人の怒りが半端でなくなると言う教育?が功を奏したからです。
この進言をマッカーサーが聞くしかなかったのは、硫黄島や沖縄での日本軍の最後の踏ん張り・・これ以上追いつめたら何をされるか分らないと言う恐怖心が占領軍を自制させ、日本人を奴隷化する戦略を変更するしかなかった・・モノを言ったからです。
子供の頃に竹槍訓練や玉砕戦法をバカな戦いだったと、アメリカに都合の良い教育を受けて育ちましたが、今になって考えるとニッポン民族が奴隷化されないで済んだ結果にはすごく有効な捨て石・・戦略だったことが分ります。
関ヶ原で西軍の負けが決まった後に最後の突進で戦場を突き抜けた島津軍団の精強ぶりが、戦後処理で島津家が寸土も失わなかった結果になったのと対比出来るでしょう。
負けは負けでも、負け方が重要なことが分ります。
我々弁護士業務でも同じで、勝つ事件は誰がやってもそれほど大きな差がありません。
負けている事件・・有罪事件あるいは債務があることは間違いがない・・債務整理でも離婚でも(浮気したことは間違いがないなど)負ける方ではそのやり方で大きな差が出ます。
軍事でも戦闘に勝った後の追撃よりは負けて撤退する方こそが難しいのです。
越前の朝倉攻め中の信長が浅井の離反により、北陸路からの撤退に際して秀吉がしんがりを務めて成功したのと、本能寺の変での中国路からの撤退作戦・・これらを見事にやってのけたことが天下人になれた大きな要素です。

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