国債残高の危機水準3(個人金融資産1)

  Mar 28, 2012以降国債増発から日銀引き受け・インフレ問題にずれてしまいましたので国債増発の限界問題に戻ります。
国債発行残高が年間GDPの何倍になったら危険であるとか、個人金融資産の範囲内なら大丈夫・・ひいては個人金融資産を越えたら危険という論法が近年盛んです。
本当にそうでしょうか?
たとえば、中国が外貨準備の分散のために日本の国債を50兆円買うとした場合、日本もアメリカ国債ばかり集中しないでおつきあいで中国国債を同じ額だけ買った場合を考えて見ましょう。
日本国債の保有者が仮に80%〜100%外国人投資家であったとしても、日本も同額以上の海外国債を持っていれば、安全性としては同じことになります。
日本の経済危機時には円相場が下落するので、仮に1割下がればそれまで5分5分で相互保有していたのが、為替相場の下落の結果、日本の外貨保有価値が6割に上がって相手国の日本国債保有価値が4割に下がるメリットがあります。
このときに外貨準備として保有している外国国債を売って日本国債を買い戻せば2割残って黒字になります。
相互持ち合いメリットについては、09/08/08「国債引き受け先の分散3」前後のコラムで書いたことがあります。
すなわち国債発行残高がどれだけあるかの議論よりは、日本の対外債権がどれだけあるかの関連で考える必要があることが分ります。
発行残高が仮に6000兆円になっても8000兆円になっても、外国の国債を7000〜9000兆円分持っていれば、何の問題もないことになるのですから、対外債権と切り離して独立に考えるのは意味がありません。
個人金融資産の範囲内ならば安全であることは間違いがいないのですが、これを越えたら危険とは言えません。
親子の貸し借りの例をこれまで書いていますが、親が子供から借りている限り夜逃げする心配はないのですが、他人から借りたら直ぐ行き詰まるとは限りません。
個人金融資産額を基準に考える最近の風潮は、個人で言えば年収の何倍の借金があるかよりは、持っている対内金融資産・・息子から借りている限り安全とする論理です。
年収が1000万円しかなくとも10億円の対外(個人で言えば銀行預金など家族以外という意味です)金融資産を持っていれば、数億円を他人から借金しても心配ありません。
そこで個人金融資産とは国内資産だけを意味するのか、対外資産も含めて意味するのかが重要となります。
世上言われている個人金融資産が国内だけでなく、対外債権を含むのか、あるいは海外に保有している分を計上していないのかの問題です。
日銀の個人金融資産のデータ(内訳)を見ると国内金融機関だけのようです(国内金融機関の海外出張所分を含むかどうかをどこかに書いてあったように記憶しています・・記憶によって書いていますので間違いもあるつもりでお読みください )ので、私の素人判断では国内金融機関等から集めた限度でのデータによっているものと思われます。
国内機関は日銀からデータ提出を命じれば応じるでしょうが、海外機関にはそのような義務があり得ません。
まして無限とも言える膨大な世界中の金融機関からデータを求めるなど不可能でしょう。
ですから、国内法の及ぶ国内機関からの報告だけで作っているとすれば、個人金融資産と言っても国民の保有している資産の一部でしかないことになります。

ドイツ国債の売れ残り2(金融資産劣化)

南欧諸国に貸し込んでいたドイツ・フランス等の金融資産が劣化し、ひいてはドイツ・フランス国債が大幅下落になれば、独仏の国債や独仏の金融機関債・株式を安定した金融資産として買っていた日本その他世界中の金融機関・機関投資家の財務内容が痛み、スパイラル状に世界中の金融資本がダメージを受ける展開になりかねません。
それはそれで良いかも?あるいは仕方のない現象だと思う人もいる筈ですが、そう言う意見はマスコミには出ません。
いつかはこうした事態が来ることが分っているにしても、経済の大混乱が起きることを先送りしたいからです。
世界中の金融資産が痛めば、世界中の経済が変調を来すのは当然ですが、それは借金清けで消費を謳歌していればいつかは破綻が避けられないのと同様に、世界全体の経済も紙幣の際限ない発行で水増ししていればいつかは破綻して仕切り直しが必要になるのは同じ・・浪費経済がいつかは破綻するのと裏腹の関係です。
世界経済が大変なことになると先送りばかりしていても、イザとなれば先送りした分だけ混乱が大きくなるばかりですから、早めに調整しておく方が混乱が少なくて済むのではないでしょうか?
経済力=支払能力以上に名目上ふくれあがった金融資産は超過分だけ実質的に劣化しているのに表面化を先送りしているだけであることを以前書きましたが、ここで再論します。
世界の総生産はそんなに増えていないのに、アメリカがドルと金交換停止以来アメリカ政府に限らず輸出競争に負けたり不況の度に財政出動の必要性という錦の御旗によって、どこの国でも紙幣をじゃぶじゃぶと発行して来たので、国内実物資産の増加以上に流通している紙幣→預金等の金融資産が無茶に増えていることが第一の原因です。
2011-11-25「投資用資金と消費資金」でも少し書きましたが、成熟社会では、歩道をより綺麗な石張りにする・図書館を斬新なデザインで建て替えるなどの公共工事が中心になって来て、この支出によって生産効率が上がる訳ではなく、むしろこれらの維持管理費が上昇することによって次世代を高コスト社会にして行く弊害の方が大きくなり間。す。
この辺は2011-11-25「投資用資金と消費資金」で書いたばかりです。
私は経済学の素人に過ぎず、おこがましいのですが、財政出動による解決を促すケインズ理論は成熟社会に合わないことを「国際競争力低下と内需拡大5」等で書いてきました。
ただし、ケインズは彼が戦時中から、戦後のポンド危機解消策・・IMF体制の前駆的議論において「為替は金とのリンクに関係なく、国際収支にリンクさせるべき=今の為替自由化を説いていたことは正しいなど、経済界の巨人ですし、私はすべて間違いと言っているのではありません。
・・あたかもニュートンの万有引力論は全面的に間違いではないが、妥当領域が限定される・・相対性理論の範囲で違っているのと同じです。
最近のニュートリノだったかの実験では、光を追い越して来る現象すら次々と報告されています。
理論は原則として正しいとしても学問の進歩によって、部分的に変わって行くのは当然です。
ケインズの投資理論については、まだ学者の批判論文を読んでいない、素人の思いつきでしかありませんが、成熟国では当てはまらなくなっているのは確かでしょう。

金融資産と資産表2

富士山やギリシャ神殿のような極端な話ではなくとも、普通の都市内にある官舎用地その他国有地の評価さえありません。
ニッポン列島全体評価がいくらになるのか誰も分ってません。
道路が未舗装だった明治の頃に比べて、殆ど舗装されていて、しかもあちこちに山をくりぬいてトンネルが出来て便利になっている今の道路の価値はいくらになるのかの評価基準も何もありません。
明治の港湾設備に比べてみれば明らかですが、今の港湾設備がいくらの評価になるのか誰も知りません。
千葉市のような新興地で言えば、人口急増に備えて学校用地や公園用地なども次々と手に入れて開発してきましたが、これが仮に公債で手当てしていると借金だけが増えて、対応する資産の増加は目に見えない関係です。
個人や企業・法人の場合は、お金が出て行く代わりに固定資産が増加して行く関係が明瞭ですが、公共団体にはこのような関係・経理処理がないので、逆に赤字傾向になったときにも公有地等の資産の切り売りをしたりやるべき補修工事を怠って支出を抑えていれば黒字になるなど全く不明・・不明瞭会計の温床にもなっています。
このように見て行くと、同じ額の金融資産しかない国同士でも、過去30〜40年間(公共資産は50年前後の耐用年数のあるものが多いので)にどれだけの固定資産投資をしているかを比較しないと本当の豊かさは分りません。
中国が単年度で日本のGDPを抜いたと言っても、インフラの蓄積がまるで違うことは誰の目にも明らかです。
富士山のように元々あるものは別としても、投資部分だけでも企業会計同様のバランスシート形式(減価償却計算も入れて)をとれば、現状よりは実態を反映し易くなります。
道路が穴ぼこになっていても橋が落ちそうになっていてもその補修支出を2年ほど先送りしておけば、今の会計方式では選挙向けに市長が昨年と今年は黒字に転換させたと実績をアッピール出来ます。
実際には、2年間も全く補修しない訳には行きませんので、年間補修費50億円計上するべきところを今年は30億円しか計上しないで、補修頻度を減少させて行くことになるのでしょう。
(5年に一回のところを6年に一回にするなどの先送りです・・一般の家庭で言えば、家のペンキ送りを1年伸ばしに先送りしているようなものです))
減価償却方式ですと、現職市長が補修をしないで放置していても一定の減価が発生していくので、誤摩化せません。
仮に50年消却の固定資産が50個あれば、毎年一個新設するのと同じ額だけマイナス評価になって行く計算ですから、毎年一個ずつ新規入れ替えして行くに足りる予算を組まねば、資産勘定がマイナスになって行きます。
前記の補修先送りの例同様に、校舎の建て替えなどを先送りしても、同じだけの評価が減る関係ですから先送りで誤摩化せなくなります。

金融資産と資産表1

個人で言えば、売却可能な不動産が1億円の価値があって、その他に金融資産が5000万円の場合、借入金が6000万円を超えてもまだトータル資産価値が黒字ですが、現預金勘定が手元で赤字だと心細くなる心理状況を無視出来ませんし、土地の場合、1000万円だけ不足すると言ってもその分だけうまく切り売り出来るものでは有りません。
個人金融資産のプラスマイナスで一般に論じているのは、一応の基準になっていることになります。
とは言え、金融資産・・手元流動性が手厚い方がイザというときに(緊急事態には)心強いというだけであって、時間をかけた国力や企業価値としては、トータル資産で見るべきです。
預貯金1億円あっても不動産等その他換金可能資産ゼロの人と、預貯金5000万円しかなくとも評価2億の換金可能な不動産・・たとえば時価4000万円の投資用マンション5室を持っている人とでは、どちらが豊かであるかは明らかですから、個人金融資産残高や対外純債権国か否かばかりを基準に金科玉条のように議論するのは本質を見誤ります。
対外純債権国とか債務国と言っても、10兆円の純債権国で対外鉱物権益など一切ない国と純債権額は5000億円しかないが、対外鉱物権益に20兆円以上保有している国とでは、どちらが実質的に豊かであるかの基準が逆転してきます。
対外純債務額が10兆円あっても、評価50兆円の対外権益を保有している国では実質黒字国と言うべきです。
(単純化すれば10兆円の借金をして購入した海外権益が大化けして50兆円に値上がりしている場合)
現預金や金融資産は直ぐに換金出来るので、機動力が有るのに対して権益その他の資産は直ぐに換金出来ないので、目先の取り付け騒ぎには間に合わないことから、手元流動性の多寡を議論するのも一理有るというだけで、長期的国力には直接関係がありません。
ただ、各国の保有権益のバランスシート作成が進んでいないので、統計の分り易い金融資産・企業で言えば手元流動性だけの統計で議論しているのが現状で、これは実際の経済実力は同じでは有りません。
国別の資産表作成の必要性については、08/19/08「中国・韓国株のトレンド2」以下で連載しました。
ただし、個人と組織の違いを言えば、鉱物権益や不動産そのものを個人保有することは今では滅多になく、これを株式会社で保有しているのが現実ですから、その保有資産は株式という個人の金融資産残高に還元されて来て表現出来ていることになります。
もしもそうとすれば、結局個人資産の大方は金融資産であるから、個人金融資産のプラスマイナス・・額の大きさを国力の評価基準にしても、それほどの間違いではないことになってきます。
以上の考えは法人と個人の合計を見るには適していますが、国の場合は国富を株式化していませんので、金融資産に還元されていないのでその価値・実態がまるで分っていません。
ギリシャ危機とは言うもののイザとなれば古代ギリシャの神殿(半径1kmメーターの土地を含めて)を売ればいくらになるのか、日本の富士山をいくらで売れるかの評価をした数字が有りません。

増税と国有資産売却

特別な支出の必要に迫られての増税だけならば、増税した分を100%使い切るので前回書いたように景気刺激策になるのですが、「身を削る努力をしたのか」という決まり文句を主張する人が多いためにややこしい結果になります。
国民の嫌がらせの結果、増税に追い込まれるほど苦しくなるまで増税出来ないので、歴史的にはいつも増税と歳出削減が一緒になるから増税するとその翌年以降不景気になる歴史法則が成立しているに過ぎません。
増税による不景気・・景気下降を防ぐには、誤った歴史経験を改めれば良いのであって、誤った経験を所与のものとして、増税=景気低下論・反対論が幅を利かすのですが、分析すれば実は「身を削ってからにしろ」という変な世論が不景気を招いているに過ぎません。
今回のように復旧のために使う場合には、増税による増収分をそっくり使うのが明らかですから、いわゆる復興需要によって景気刺激策になるのは明らかです。
仮に1兆円増税して1兆円全額を政府が復旧資金に使ったときに、国民の個人消費はその5%=500億円しか減らなければ、9500億円の国内消費が増える勘定です。
消費縮小分が5%でも10%でも20%で同じで、いずれにせよ増税分100%縮小することはあり得ない(・家賃・学費・ローン等固定支出が大きいので、増税分そっくりの消費減はありえないことと、そんな大幅増税は政治的に成り立ちません)ことが明らかですし、仮に100%縮小することがあっても徴収した税を100%使えば国内消費はトントンであって経済が縮小することはあり得ません。
以上によれば、景気にマイナス作用があるから増税による復興資金をまなうのに反対という説は誤りです。
ところで、支出に対する監視機能という観点で増税・赤字国債発行・国有資産売却の3通りの資金獲得方法を比べてみれば増税は最も賢明な方法です。
支出増には増税で賄うという原則にすれば、国民の支出に対する監視が厳しくなりますので、これが最も健全な方法でしょう。
復旧資金に2兆円までしか国民が増税に応じないとすれば、国民の意思が(可哀想だといくらきれいごとを言っても)そこまでだということです。
これが赤字国債発行によると国民の意思を離れて政治家が密室で良いように決めて行くことになりますし、国有資産売却も同じです。
次は借金に頼る方法ですが、これは国民に直接負担をかけない・お金の余っている人が金儲けのために国債を買うだけですから・・増税よりは抵抗がありません。
安易なので、ついこれに政府は頼るのですが、その内日本のようにモンスター化・ガン細胞化して行きます。
それでも一定規模を越えてガン細胞化して来ると赤字累積が目に見えるので、ギリシャのように市場の逆襲を受けるし、国民もさすがに不安になり支出に厳しくなり、この時点での歯止めが働くようになります。(トキ既に遅しかな?)
国有財産を売って間に合わせる方法(地下資源採掘も同じです)の場合、国民に全く痛みが伴わないので、支出に対する国民の監視機能・・節度が失われ、子孫に残すべき国有財産・地下資源が減少する一方になり最悪のパターンです。
赤字国債の累積に比べて、徐々に売り食いして行くと資産の減少累積額が見え難いので歯止めがありません。
赤字国債の増発に対する批判を避けるために増税すると言っていたのが、増税を嫌がる国民を納得させるためにいつの間にか国有財産売却でその一部を間に合わせる話になって来ると却って赤字国債増発よりもさらに節度のない、意味のない結果になります。

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