在日中国人の自由度2

もしかして、中国スパイ網が張りめぐらされているので、少しも批判的意見を言えない、在日中国人はビクビクの状態で本国政府の意向のまま行動をするしかないのかもしれませんが、1荒っぽい段階のようです。
長野5輪の時にチベット騒動時でしたので、チベット弾圧反対のデモに対して中国政府肝いりの団体が観光?バス何台も連ねて大量に乗りつけて、チベット弾圧抗議デモを取り囲み、多人数で圧倒する画像が目を引きました。
本国指令があると断れないで?さっと大量動員できるのを、(中国としては動員力を誇示したのでしょうが)不気味に感じた人が多かったのではないでしょうか?
今回の香港騒動でも、神社に奉納した香港頑張れという絵馬に対してこの絵馬を取り外したりあるいは絵馬そのものを否定するバツ印の書き込み・・いわゆる損傷行為などが目立つようになったと報道されています。
日本に来ていても本国政府意向そのまま露骨に行動する中国人を世界中が不気味に思うようになっている・米国で中国系学生排除の動きになっているマイナス効果に気づかないレベルです。
これが世界中で中国人留学生の知財剽窃のリスクを感じるようになって忌避されるようになってきた原因です。
昨日紹介したオーストラリアでの総選挙立候補予定者に対する中国情報機関の接触→変死事件の被害者は新聞記事によると中国系男性であるとも書いています。
中国系二世であってもこういう狭間に巻き込まれ変死する・脅迫される恐ろしさです。
中国系の多くは(まして短期就労や留学等できているものは、パスポート取り消されればおしまいですから)本国指令と言われれば、よほど度胸が座っていない限り協力するしかないのが普通でしょう。
例えば日中緊張時に与那国島で自衛隊受け入れ可否の住民投票が行われましたが、外国人が住民投票できるとなれば中国は、長野五輪でバス何台も仕立てたのと同様に住民投票運動を始める前から計画的に与那国島へ自国民定着を推進するのではないかの恐怖が日本人にはあります。
村落にどうやって移住させるかですが、このあとで対馬に向かった韓国観光客の例を紹介しますが、少し赤字が出る程度のホテルなど進出して計画的に中国人観光客を大量に向かわせて中国人を雇用して赤字補填だけすれば良いので、今の公船大量出動コストより安いかも?対馬の例で言えば、地元住民人口3万に対して韓国人観光客30万以上と言うのですから、外国人の投票権を認めると元々の過疎地居住民を数で圧倒した上で、日本と韓国や、中国どちらの帰属が良いかを住民投票で決めようという運動が起きた場合、あっという間に平和的占領可能です。
自治体限定で選挙権を認めるとしても住民定義は当初厳しく始めるでしょうが、「納税しているかどうかで差別するのはおかしい」とか日本人なら数ヶ月〜半年居住で投票権があるのに外国人だけ〇〇年以上を要求するのは不合理な差別だなど、各種制限がなし崩し運動が起きるのは目に見えています。
壱岐・対馬に対する占領意欲を隠さない韓国が、この4〜5年観光ブームを作り出して?異常な勢いで対馬に大量進出して事実上対馬を占領しているかのような勢いでしたが、(自衛隊基地隣接地買収もしているようです)こういう状況で有事になれば、瞬時に対馬占領完結でしょう。
中国は与那国島等人口の少ないところから狙えばいいと思っているでしょう。
対馬の現状は以下の通りです。
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25351_2.html

2018.11.01
ジャーナリズム ジャーナリズム 文=島野美穂/清談社

この10年でコリアンタウンに変貌した対馬
「10年前に訪れた際には、『韓国人お断り』という貼り紙をした飲食店が数多くありました。当時、すでに年間10万人くらいの韓国人観光客が来ていたのですが、マナーの悪さが目立ち、島民にはあまり歓迎されていませんでした。盗難防止のために、ホテルの冷蔵庫やテレビは鎖につながれていることもあったくらいです」(宮本氏)
10年たった今、そうした貼り紙はほとんどない。それどころか、比田勝のフェリーターミナルを降りると、韓国人観光客専用のツアーバスが何十台も列をなし、観光客を待ち構えている。免税店には韓国人が殺到し、まるでコリアンタウンの様相を呈しているという。Tシャツに短パンという、近所にふらっと遊びに来たかのような出で立ちの観光客も少なくない。
もはや、韓国人にとって対馬は“気軽に立ち寄れる場所”なのだ。事実、フェリーに乗って免税店で買い物をし、日帰りで戻っていく人も多いという。
「昨年は37万人の韓国人が対馬を訪れました。対して、日本人の島民は3万人。住民票を置いたまま本土に働きに出ている人もいるので、実際に住んでいる人の数はもっと少ないかもしれません。かつてあったような韓国人観光客への抵抗感は、すっかり消え去りました」(同)
対馬、島全体を韓国人が買い占め始めている…日本人の島民を雇う韓国人経営の店も
韓国人観光客が増えると同時に、島の土地や民宿、民家などが次々に買収されるようになった。
その結果、韓国人なしには島の経済が成り立たなくなってしまったのだ。
「かつて日本一人口密度が高いといわれた川端通りの飲食店街は、今や韓国人御用達の店だらけです。店舗を買収した韓国人が経営者となって、島民を従業員として雇っているケースも少なくありません。民宿や釣り宿なども買収されました。
したがって、大勢の観光客が来たところで、彼らがお金を落とすのは韓国資本が関係するホテルや飲食店、免税店。島自体にはそれほどお金は落ちないといいます。つまり、対馬は単なる場所貸しになってしまっているようです」(同)

在日中国人の自由度1

外資に依存する政治家は、中国の思想教育通りの発言をするとバレるし政策論争するには、中国の押し付けてくる思想は日本社会の実態に合わないので、政策論争に適さない結果、仕方なしに粗探しに走っているように見えます。
粗探しばかりでは、国民から見ると何ための国会議員か?という支持率低下の悪循環になるのでスパイ網は結果的に機能しにくい社会です。
フジテレビ問題以降のフジテレビの方向是正や、慰安婦騒動で味噌をつけた毎日・朝日新聞系も市場原理にさらされているので唯我独尊の報道は続きません。
中国思想かぶれのベテランにとっては居心地の悪い環境に変わったので、日本は思想表現の自由度が低いという日本批判の国際運動展開エネルギーになっているほど、組織としての軌道修正が徐々に進んでいる気配ですが、支持率や市場原理の働かない分野・・学者やNHKでは露骨な中韓ひいき報道が続いています。
NHKラジオ深夜便を聞いていると(一定思想で洗脳された古株担当という面もあるでしょうが)前後脈絡なく韓国ベタほめの発言が挿入される頻度が高い印象ですが、国営放送の場合市場原理が働かない上に国家の統制もできない・・一旦特定思想系列が内部支配するとその牙城となってしまい、いわゆる偏向を是正できない点が問題です。
NHK報道が偏っていると政治家が批判すると早速政治による報道介入だと野党が批判する・それをメデイアが大々的報道する連携プレーが行われます。
(特定野党との連携は問題にしないようです)
情報発信は、多様な分野で民間企業が育っているので、(最後進国でもあるまいし、)中国のように国営にこだわる必要がない・明治以降官営製鉄の民営化に始まり、戦後は国鉄や電電公社等のいわゆる三公社五現業の民営化等々いろんな分野で民営化してきたように放送も国営をやめて民営化すべきでしょう。
中曽根内閣での民営化以降、横柄な国鉄が顧客目線に変身したように民営化に直接関係ない裁判所でさえ民間並みの親切な対応に変わりました。
この点でNHkなんとか党の最近の参院選挙当選は、それだけNHKの姿勢に国民不満が高いことを証明した画期的な結果というべきでしょう。
企業の場合独りよがりで社内や下請け関連企業の不満を押さえつけても、企業業績が下がればおしまいですが、憲法学会等は学問の自由を標榜して顧客不要・市場原理が働かない点でおかしな社会になっています。
思想の自由市場論と言いながら、自分たちでは市場原理が最も効きにくい独占集団を構成しているように見えます。
弁護士会も言論の自由にうるさい集団ですが、強制加入団体による独占性と、自治に甘えて?選挙等の洗礼を受けないので、組織を牛耳った1方の意見ばかり表面化しているようなイメージが強くなっています。
この場合、会員個々人はもともと自由思想にこだわる特異傾向の強い人の集合体であることから、執行部の独走?に対する不満が無視できないエネルギーになっていきます。
千葉県弁護士会では正確な標語を忘れましたが、「集団自衛権反対」「共謀罪法反対」の趣旨の垂れ幕が長年会館ビル正面に掲示されていましたが、現執行部の意見で最近撤去になりました。
代わりに今年秋に千葉県弁護士会で発足したばかりの仲裁システムの垂れ幕になりました。
10月9日の台風被害に関する仲裁申し込みが行われ、早速県民のお役に立てるようになっています。
代わりに今年秋に千葉県弁護士会で発足したばかりのADR仲裁システムの垂れ幕になりました。
10月9日の台風被害に関する仲裁申し込みが行われ、早速県民のお役に立てるようになっています。
台風被害では個人的に相談がありましたが、ワイヤーで固定していたのがちぎれ飛んできて駐車中の車2台に当ったという被害で、被害者の話ではかなりに被害負担をしてれたようでしたがその程度のものかの相談でした。
法的責任を厳しく言うと相手は一銭も負担しなくても良いような案件ですが、そこは隣近所の関係ですので相応のできる限度の負担をすると言う日本民族の得意とする融通むげな価値観が現れていて感心したものです。
当然形式法的には、そこまでして漏れないが、近隣の交際としては立派かいつ法だと思う意見を述べて相談者も納得して帰りました。
ADR以前から刑事事件の示談交渉などは、弁護士の経験いよる直感による「法の実現」として妥当な相場観での解決金提示でまとめるのは原則です。
勉強和えkで合格して弁護士になって気がついたのですが、高名な学者の本には、加害者(故意過失))に損害賠償責任があるというだけで、どういう被害に対していくら払うという具体論が一切ないことです。
世の中の人も被害者は弁償してもらえるのを知っているし、加害者もべんしょすべきを知っているがいくら持って行って良いか不明で双方ともに弁護士を必要としていることが実務について初めて知りました。
弁護士になったばかりの頃に欧米系法適用は常識に合わないことが多く、実務では別の基準が必要と知ったので「理屈(西洋法)通り行かないんだ」という意見を加害者等に常々説明してきました。
このように日々個別交渉をしている弁護士が、グループとして仲裁組織を設けるのは世の中のためになることです。
こう言う常識に従った解決は、西洋継受の明文法の価値観によるのではなく、日本民族古来から伝わる価値観・「法」の独壇場です。
昔は村の有力者や政治家がやってきたのでしょうが、今は一定の基本法理を抑えた上での常識的解決に長けた弁護士の業務となり、次第に民間運営の仲裁機関が発達し必要とされてきたのです。
県民が求めているのは政治意見の表明よりは、こういう地道な法サービスではないでしょうか?
ところで11月22日に書いた・在日が日本で嫌われるためにバカな運動をするわけがないという私の意見は(今は在日3世の時代で日本的価値観共有し成熟している)日韓関係に妥当しますが、在日中国人にはほぼ妥当していません。
中国系の場合、来日して日が浅いのでまだ世界常識の理解や日本民族の気風(法意識)がわかっていません。

融通むげ(道)1

最高裁決定・もっと前のチャタレー事件判決を見ると、原理論的理解とは程遠い現実的な思考方式が示されています。
こういう理解の基礎になる日本人の思考の原型を語っている穂積重遠氏の思考の源流を訪ねておきましょう。
穂積という氏は古代から出ている由緒正しい?氏の記憶ですがどうでしょうか?
穂積氏に関するウイキペデイアの記事です。

穂積氏(ほづみうじ/ほつみうじ)は、「穂積」を氏(ウジ)の名とする氏族。姓(かばね)は始め穂積臣、後に穂積朝臣。
大和国山辺郡穂積邑および十市郡保津邑を本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒ)が祖先と伝わる神別氏族。物部氏族の正統とされ[1]、熊野国造家や末羅国造家とは同祖とされる。子孫の一部は「鈴木」を称し、藤白鈴木氏として続いた

神別(しんべつ)とは、古代日本の氏族の分類の1つ。
平安時代初期に書かれた『新撰姓氏録』には、皇別・諸蕃と並んで、天津神・国津神の子孫を「神別」として記している(「天神地祇之冑、謂之神別」)。さらに神別は「天孫」・「天神」・「地祇」に分類され、天孫109・天神265・地祇30を数える。なお、こうした区分は古くからあったらしく、これは律令制以前の姓のうち、「臣」が皇別氏族に、「連」が神別氏族に集中していることから推測されている。
穂積陳重氏の系譜関係をウイキペデイアで見ると以下の通りです。
穂積 陳重(ほづみ のぶしげ、入江陳重、いりえ のぶしげ、1855年8月23日(安政2年7月11日) – 1926年(大正15年)4月7日)は、明治から大正期の日本の法学者。日本初の法学博士の一人[1]。東京帝国大学法学部長[2]。英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人。貴族院議員(勅選)。男爵。枢密院議長。勲一等旭日桐花大綬章。現在の愛媛県宇和島市出身。
穂積家は宇和島藩伊達家が仙台より分家する以前からの、伊達家譜代の家臣である。饒速日命を祖に持つと言われる。祖父重麿は宇和島藩に思想としての国学を導入した人物であった。父重樹は長子として父の学問を継ぎ、明治維新後藩校に国学の教科が設けられるとその教授となり、また国学の私塾も営んだ[3]。兄の重頴は第一国立銀行頭取。憲法学者穂積八束は弟。長男の穂積重遠は「日本家族法の父」といわれ、東大教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任。妻歌子(または宇多)は、渋沢栄一の長女。孫の穂積重行は大東文化大学学長(専攻は近代イギリス史)。
穂積は、イギリス留学時代に法理学及びイギリス法を研究するかたわら、法学の枠を超え、当時イギリスで激しい議論の的になっていたチャールズ・ダーウィンの進化論、ハーバート・スペンサーの社会進化論などについて、幅広い研究をした。
進化論的立場から、天賦人権論を厳しく批判するとともに、日本古来の習俗も研究し、法律もまた生物や社会と同様に進化するものと考え、後掲『法律進化論』を完成させ出版することを企図していたが、未完のままに終わっている[6]
死後、出身地の宇和島市で銅像の建立の話が持ち上がったが、「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」との生前の穂積の言葉から遺族はそれを固く辞退した。それでは改築中の本開橋を「穂積橋」と命名することにしてはという市の申し入れに対して遺族も了承し、現在も宇和島市内の辰野川にかかる橋の名前としてその名が残っている。

顕彰碑を建てたいという地元の申し入れに対して、踏みつけられる橋として顕彰されるのを希望するなんて立派な人(遺族)ですね!
遺族といってものちに紹介するように長男穂積重遠氏は最高裁判事等を歴任した人物です。
このように見ていくと、日本人の心は中国の儒教や仏教徒とも違うのではないか?
歌道、茶道、華道、武士道、芸の道その他各分野で日本で基本的価値を表す「道」を求めるのは個別の条文をこねくりまわす法匪(中国古典の白馬非馬論で知られる詭弁家やキリスト教関連で言われるパリサイ人とも通じる?)とは違います。
道とは何でしょうか?
剣道や相撲道と言うときの「道」とは、単なる技術・テクニックでは足りないことは確かでしょう。
嘉納治五郎は従来からの柔「術」を柔「道」と改称して現在の柔道という用語を一般化しました。
子供の頃に柔術と柔道の対決・・姿三四郎の映画が流行っていて似たような映画を繰り返し見たのですが、映画では大きなお寺の建物のような道場でしたが、たまたま道場を鉄筋ビルで新設する工事中の姿を見たことがあります。
あれが映画でよくみる講道館か!という記憶が残っています。
講道館の歴史を見ると「1958昭和33年3月25日講道館、春日町(現在地)に移転。落成式挙行」とありますからこの工事中の状況を見たのでしょう。
医術と医道の違いも同じです。
多くの人が「術」を超えた道=精神性を求めてきたのです。
千葉県弁護士会会則の冒頭に「弁護士道・・・」という単語が入っていた記憶ですが、ネットで見ようとすると公開されていないようです。
道とは何か?ですが哲学から入らず一般的な利用例で考えると、歌舞伎などで重視されている「道行き」の重要性でしょうか?
神社仏閣に詣でても長い参道をたどって行く道中がありがたい・・到達した神社建物の壮麗・豪華さなど気にしない人が多いのではないでしょうか?
この点明治なってできた橿原神宮や平安神宮は欧米の影響が強すぎたのか、壮麗すぎてしっくりしないものです。
簡素な伊勢神宮や明治神宮のあり方を見れば、日本人の心が分かるでしょう。
イギリスでダイアナ妃の結婚式場になったセントポール寺院で写真を取ろうとしても、狭い歩道にギリギリに建物が立っていて反対側道路に渡らないと建物の壁の一部くらいしかカメラに収まらないのは驚いたものです。
最近大火災のあったノートルダム寺院には、横の方に少し芝生の空き地があった記憶ですが、ほぼむき出し・立派な建物の威容・威風堂々を誇るのが目的のような印象です。
日本列島は細かい山々・すなわち山と山の間には曲がりくねった水流があり寸断されている日本列島では、「道行き」といっても多種多様で「郷に入りては鄕に従え」というように、一山越えれば方言も習慣も違うのが普通でした。
大陸の単調な道路とは違い、日本の道路は曲がりくねり高低差がある・個性があるのが原則です。

融通むげとご都合的原理主義1

我が国・・・中絶で言えば水子供養するなど、個人のこころの領域で処理することであり、これをしないことを理由に公的不利益どころか、宗教的社会的不利益も受けません。
あちこちのお地蔵さんを大事にするかどうかもそれぞれの気持ち次第です。
これを画一的国家強制が好きな民族の場合、胎児はすでに生命体である→殺人の一種という論理構成して犯罪という方向性に持っていく流儀です。
クジラは魚類ではない→捕獲を許さないという変な論理になると欧米の考え方のご都合主義がわかると思いますが、妊娠等は神の領域であるのにこれを人為的に変更するのは許さないというのは時代遅れなので(異宗教に強制できないので)生命侵害という法論理化に成功している例です。
日本の場合、子供は「天からの授かりもの」大事にすべきという感謝の念があり、古代から子供や小さな生き物すべてをとても大事にする社会でしたが、一方で動物を食用にすることを許さないという価値観がありません。
仏教導入で不殺生の戒律が入っても、鳥類や魚類は除外でしたし、イノシシを山クジラと称して肉を食わせる店があったり、般若湯と称して僧侶が飲酒したり、自由奔放というかルールに対して柔軟でした。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9316に広重の有名な名所江戸百景 びくにはし雪中(せっちゅう)」絵の説明が出ています。

この絵でまず目に飛び込んでくるのは、左に掲げられた「山くじら」(②)の大きな看板です。山くじらは、猪(いのしし)の肉、別の名は牡丹(ぼたん)肉。この店は牡丹鍋で人気の「尾張屋」さんといわれています。当時、表向きは食べられていなかった獣肉ですが、実は「薬喰(くすりぐ)い」と称し、滋養をつけるという名目で肉を食べる人々もいました。他に鹿肉(紅葉肉)、馬肉(桜肉)も食べられていたとか。

草花も生き物ですし、毎日庭で生き物として手入れすると草花もこちらの気持ちに応じて生き生きとするものですが、季節がくればまとめて引き抜いて、次の季節の草花に植え替えるのを厭いません。
生命があるからと日々大事にしている気持ちと引き抜く気持ちが矛盾しない(とはいえ、一日延ばししたい、心情に苦しみますが・・)のが不思議です。(私だけかな?)
日々の食卓を賑わすものは肉類に限らず全て元は生命体です。
このように、一定の矛盾を融通無碍(生命尊重は例外を許さない絶対論理ではない)に受け入れていくのが日本人の特殊性と言うべきではなく、全ての摂理ではないのでしょうか?
キリスト教の神学(ドグマ・原理主義)→その流れをくむ西洋流の法論理は硬直的すぎて生き物のあるべき原理としてどこか無理があるよう思われます。
韓国では徴用工や慰安婦問題を人権侵害だから消滅時効がないといい、個人の人権侵害被害を国家間で決めるの許されないという論理を進歩系?日本学者もメデイアも全く批判しません。
しかし強制労働や慰安婦強制は重大な人権侵害であるから時効がないという論理は、もっと重大な生命侵害・殺人罪強姦罪等に時効を認める韓国を含めた世界中の法体系と矛盾しています。
要するにご都合主義的人権屋の原理主義です。
国家間約束は国家が守るべきであり、韓国裁判所も韓国国家機関の一部である以上国家間約束を守る義務があるはずです。
国家内でお互いに独立性を尊重するのは国家内部の権力分配の論理であって国外に対して国家権力として不統一権力行使をする論理ではありません。
条約精神に抵触する国内法令があれば、それを改正する義務があります。
憲法に違反するかどうかは国内統治の原理であり、これに違反すれば、国内法だけで処理できる場合は純粋な違憲無効かどうかの判断で良いでしょうが、対外効果の生じる条約の場合、関係者の政治責任の問題であって国際協定の有効性を国内最高規範である憲法違反かどうかで論じることは許されません。
対等な主権国家間の協定・条約の解釈は、国際司法裁判所その他中立国の仲裁等によるべきでしょう。
比喩的な例をあげれば、外国人に危害を食えないようにするという条約を結んでおきながら、「外国人を殺せ」という国内法を温存したままにしておいて、この法律があるので外国人殺害犯を処罰できないというのでは条約違反です。
慰安婦合意をしながら、公共空間に慰安婦像設置を許可するのは矛盾ですから、自治体の勝手ではなく自治体が条約を守るように公園等の利用関連法令改正(自治体は法令の範囲での自治があるにすぎません)するのは国家義務です。
日本自治体の権限は以下の通りです。

憲法
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

個人で言えば契約しておきながら「家内が承知しないので」と契約履行しないことが許されるか!といえば分かり良いでしょうか。
家庭内で奥さんの発言権が強い・・女性尊重で立派かどうかの問題ではなく(軍部がいうことを聞かないとか、野党が承知しないとか)発言力が強いならその承諾を得てから契約署名すべきことであって、署名した後に契約不履行の口実に使うのはルール違反です。
TPPで言えば農民等貿易協定によって不利益を受ける分野との地道な対話の上で対外交渉すべきで条約を締結してから「国内で納得を得られないから条約を守らない」というのではまともな交渉相手・一人前とみなされなくなるというべきでしょう。
政権が変われば前政権の約束不履行が許されるかの問題では、ロシア革命後新政府ソ連がこの口実を使ったままほっかむりをしてきましたが、ソ連崩壊後、後継の現ロシア共和国が旧ソ連時代の債務履行をしない限り国際社会復帰できないことから、ついにその約束を履行しました。
このように政権が革命的に変わろうと国際社会の信用を重視する限り、過去の国家間約束を守るべきが国際法理です。
https://www.afpbb.com/articles/-/3122795

ロシア、旧ソ連時代の対外債務を完済へ
2017年3月26日 18:03 発信地:モスクワ/ロシア [ ロシア・CIS ロシア ]
1991年のソ連崩壊後、ロシアは対外債務700億ドル(約7兆8000億円)の履行責任を負ってきた。債務の大半は「ペレストロイカ(改革)」で民主化が推進された85~91年に生じ、その履行は90年代に財政の圧迫要因となった。ロシアは壊滅的な経済問題に直面し、98年にはデフォルト(債務不履行)に陥った。ただ、2000年代初めから石油収入が安定したおかげで、06年にはパリクラブ(Paris Club、主要債権国会議)の主要17か国への債務を返済した。

身分2・婚姻離婚の自由1

明治憲法では婚姻は習俗に委ねる趣旨で何も触れていませんでしたが、現憲法では婚姻は両性の合意のみによって成立すると明記して、国家意思や神の意志を問題にしないことと・契約法の原理が色濃く入っています。
憲法

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本人からみれば結婚する当人たちの意思によるのは当たり前すぎて意味不明ですが、GHQの起草(特に人権部分の原案はユダヤ人女性が中心的に練り上げた記憶です)にかかる憲法ですから、国家や神・宗教の関与を明確に否定しておきたかったのではないでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/

ベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon, 1923年10月25日 – 2012年12月30日)は、アメリカ合衆国の舞台芸術監督、フェミニスト。ウィーン生まれでユダヤ系ウクライナ人(ロシア統治時代)の父母を持ち、少女時代に日本で育った。1946年の日本国憲法制定に関わった人物として知られており、このうち2012年まで存命した唯一の人物であった。
22歳で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)民政局に所属し、GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の人権条項作成に関与した。
日本では日本国憲法第24条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)草案を執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった。

ちなみに戦後改正される前の親族相続編旧規定(明治民法)でも男30歳、女25歳までは原則父母の同意が必要でしたが、30歳未満でも同意があれ婚姻(近親婚、重婚など婚姻禁止要件に当たらない限り)届けるだけ=許可制ではない・・婚姻の効力がありました。
いわゆる自由婚姻制度でした。(旧772条)
(ネットに旧規定が出ていないので引用できないのが、残念ですが自宅にある戦前の六法全書を見て書いています)
ですから、禁止要件(例えば親子や兄弟間婚姻届)に当たれば、今でも受け付けられませんので、新憲法の規定によって何も変わっていないのです。
いかに日本の法習慣に対する無教養な人が憲法草案に関与していたかが分かる一端です。
憲法に合わせて変更した戦後の婚姻法関係は親の同意を得る年齢が下がった程度です。
現行民法
第七百三十一条 男は、十八歳に、女は、十六歳にならなければ、婚姻をすることができない。
(未成年者の婚姻についての父母の同意)
第七百三十七条 未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。

成年=20歳ですから、戦前に比べて10年早く親の同意がいらなくなったことになりますが、この変化は新憲法の精神によるというよりは、核家族化〜郷里の中高校卒業後就職列車に乗って都会に出る時代・・いつまでも親元にいる時代ではなくなった変化を反映したものでしょう。
憲法は骨格を決めるだけでこれを具体的に決めるのは法レベルですが、・・結婚、離婚等は合意を基本とするものの、婚姻や離婚養子縁組等を含む親子親族関係を決める基礎法である民法では、財産法一般の法原理である行為能力による制限・親の法定代理権などのいろんな原理が及ばない点などで別の法体系になっています。
そもそも代理権制度自体考えられない分野です。
日本では仲人が立って事実上結納の儀式日その他交渉ごとを進めますが、それは首脳会談前の官僚による事前すり合わせ同様の準備行為でしかなく、最後の決断は古来からずっと当事者が最終決断してきたものです。
ただし西洋ではオペラの知識ですので真偽不明ですが、領主に初夜権があったようで日本とは大分違う印象です。
また財産法では、合意を守らない相手に対する強制執行=国家権力行使による権利実現が用意されていますが、婚姻に関しては約束違反があっても損害賠償請求できても、婚姻関係を直接強制することはできません。
婚姻年齢は行為能力を基準とする成年年齢と関係なく、しかも男女別になっています。
離婚は、契約法の原理で言えば契約の解除に当たりますが、親族法では協議離婚を認めるものの合意できない時には一般の契約のように一方からの解除の意思表示によって解除の効力が生じません。
財産法関係では解約事由があれば一方的解除の場合相手が納得していないのですから、解除による効果・・アパートの引き渡し等の原状回復を求めるには、結局裁判するしかない点は似ていますが、財産法関係では、裁判所は過去の解除の意思表示が有効かどうかを判定するだけであって、裁判所が契約解除を命じる仕組みではありません。
離婚の場合は、一方の出した離婚宣言が有効かどうかを判定する裁判ではなく、一方からの訴えによって裁判所が離婚すべきかどうかを決める仕組みです。
結婚、離婚子供の出産等々の生命誕生に関する分野は元は神(日本では神々)の領域であり、人間が勝手に変更できない・カトリックでは離婚も中絶も認めないと日本に伝わっているのはこのせいです。
西欧の近代化とは、神が決めていた仕組みを裁判所が決めるように切り替えることであり、他方オカルト国家傾向の強いアメリカなどで、今でも中絶・同性愛反対などの運動が根強いのは、このせいです。
今日のネットニュースでもアメリカでLGBTの決起集会みたいなものがあったと出ていますが、日本でそう言う運動が少ないのは、遅れているからでなく元々差別したい人がいない・好きにしたら・・と言う社会だからでしょう。
msn ニュース
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2019/07/01 18:03
NYで15万人パレード=原点の暴動から50年-LGBT運動

日本人の気持ちでは同性愛でも中絶でも離婚でもそんなに抵抗感がないのは、(自分はそんな気がないけども)それぞれの考え・・神の領域のような気がするが、いろんな神様がいるのでそれぞれの神の意見でいいのでないかという価値観が基本にあるからです。

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