米国の高家賃3(継続しない社会)

社会のあらゆる分野で更新(継続)原則社会にするか自動終了社会にするかは、社会の在り方の根本を規定するものですからこのような基本法が成立するかどうか自体が、庶民を大事にする社会か否かのバロメーターです。
日本では地代や家賃を地主や大家の都合で簡単にあげられない制度・・昨日紹介したように更新原則制度(終身雇用の定着もこの原理によります)が大正時代から始まって定着していますが、住宅価格が上がれば家賃もあがる→ストレートにホームレスが増える結果から見ると米国には(個別対応法があるとしても、それでは政策が後手に回ります)こうした基本的制度がないのでしょうか?
ネット企業ではアマゾンなどネット企業の横暴さについて、ある日いきなり出店条件改定を突きつけられたという悪評が目立ってきました。
日本のゾゾタウンの場合、アパレル等大手が多いので逆に出店中止の動きが出ている例が報じられていますが、報道に出ない中小の出店者は契約解消するといきなり販路を失うので一方的改定通告の言いなりのようです。
契約自由に対する「規制さえなければ何をしても良い」という「悪しき自由主義」・・「法家の思想・法万能主義」は性悪説に始まっていることを15日に書きましたが、この基本思想が米国社会を蝕んでいるのでしょうか?
(一般に「せいぜん、せいあく説」と習いますが、日本語で表現すれば「しょうよし」と「しょうわる」ですからピンとくるでしょう)
欧米で発達した近代立憲主義政体・3権分立制度は権力はいつも悪いことをするという性悪説的思想を骨格とした猜疑心を前提にしています。
今では三権の抑制均衡にとどまらず、公正取引委員会その他第三者的機関がどんどん増えているし、企業も監査役の充実にとどまらず外部委員や社外取締役制度の拡大(ゴーン氏の事件でより一層勢いを得ています)・近年流行のオンブズマン制度などはこれを権力同士の抑制均衡に任せずに多角的監視の必要性を拡大する動きと言えます。
西欧近代社会では人間は基本的に性悪(しょうわる)の人が多いから「しょうわる説」で国家や組織運営するし国民も皆納得しているのでしょう。
現在野党はこの動きを手放しで「良し」とする気風に便乗して古代法家の思想の純粋適用的国会活動をしているように見えます。
統計「不正」主張問題では(その後何が出るか不明ですが)今まで出ている情報では「やっていることが善意で結果が良くても職分を超えて仕事をすれば処罰すべき」との考えでルールに反してさえすれば、批判することを職業にしているのが現在野党のように見えます。
社会に警察や監察部門が必要なようにこういう部門に目を光らせる政治家も一定数必要ですが、これが政治全部の役割と思って国会議事がそれ中心にするのは社会のあり方として不健全です。
企業の総会で言えば経営計画の審議そっちのけで、経営陣に不正がないか・・しかも不正の有無ではなく「疑いの有無」ばかりに終始していて肝心の経営計画の議論をさせないような運営ではないでしょうか?
政治家の仕事が不正の「疑い」主張ばかりで良いと考えている人は、そこ(不正)に関心があるのではなく社会の少数者になっている僻みがあって、歪んだ視点ばかり増幅させる・・「自己内部に性悪(しょうわる)な部分を多く見たい心理の反映」ような印象を受ける人が多いでしょう。
事件処理で、「このことからなぜそういう主張に導けるの?」と驚くほど、相手の行動を捻じ曲げて解釈して憤っている人の感知能力の高さにど驚くことがありますが、「自分の場合こういうことをするのはこういう悪意を前提にしている」という自信があって主張しているとすれば「主張者の心の闇がすけて見える」ことになります。
日本では「法」があろうがなかろうが「やって良いことと悪いこと」の区別は庶民末端までみな知っていますが、上記のように「心の奥に性悪(しょうわる)気質が渦巻いている例外的な人も一定数います。
財布を落とした場合の届け出率は根拠不明ですが以下のように出ています。
xconsulting.jp/gyanburu/son/saifu.html

・・おそらく多くの方が財布が戻ってきたと答えるでしょう。なぜなら、日本において財布が戻ってくる確率と言うのは、私たちが想像している以上に高いのです。その確率は63%になり、世界的に見てもかなり高い確率なのです

高いといっても63%ですが・・。
ただし、落とした財布が100%落とし主の想定した時間場所で拾われるとは、限らないので37%の人が懐に入れているとは限りません。
(いつどこで無くしたかをはっきり知っている人はそんなにいません・・自宅内で探し物が思いがけない場所から出てくることが多い・・生活道路を歩いていると手袋の半分とかマフラーなど不思議なものが落ちていますが、落とした人はコートを着た時にマフラーを忘れたか、コートと一緒に手持ち移動のビル内で落としたか・/手袋の場合切符を買うときに落としたか?などとと思うのでしょうが、実は思いがけないところに落ちているのです・・電車移動の場合10分違えば乗った駅前広場と降りた駅前では全く別の場所で落としたことになり違った警察に行きます・・・財布の中に身分特定事項があれば検索可能でしょうが、特定事項が少ないとちょっと場所が違うだけで遠く離れた別の警察署に行くことになりそうです)
全国で落とし主の表れない数字を引き算しないと届けても戻らなかった人の数字だけでは正確な比率が出ません。
道徳律レベルにもどりますと「個々人の良心」に頼る率が比較的低いのでこと細かに契約で縛り法規制に頼るしかないのが米国社会なのでしょうか?
日本だって大正時代に借地法が出来、昭和で借家法が全国施行になったのは「えげつない商法」が少しでも出てくると放置できなくなったことによります。
日本の場合明治民法(現行法)で契約自由の原則その他西洋法制度を取り入れましたが、少しでも法制度悪用の動き・・日本的価値観で見ると「心得違いの動きがホンの少しでも出てくると大騒ぎになり、放置できなくなったことによります。
こういう場合にもイラン等の過激な主張・・欧米式近代法制度自体を根本から否定するのではなく、国民共同の価値観が欧米的法形式・流儀を利用して確認される点が、日本とイラン等と違いますし、膨大なホームレスが生まれてもさしたる国内議論にならず放置されているように見える米国との違いです。
香港、シンガポールなどIMF式自由を謳歌している地域(資産家移住奨励)で家賃急騰が目立つのは、・高額家賃を払える人がいる限りいくら上がっても良い・(払えない底辺労働者はマレーシアに出ていき、そこから通えばいい?)外部からの移住者が多く共同体意識が元々ないのが原因かも知れません。
ホームレス対策は、共同体意識によらない皮相的人権擁護論では、発生原因を見ない傾向・・(貧困者向け公営住宅が足りないのは結果でしょう)対症療法にとどまり限界があるように見えます。

更新・継続原則社会1(日本)

普通の労働者がホームレスになるようないびつな社会になりつつある原因を法制度の違いで見ておきます。
例えば契約更新を原則としない社会では、2〜3年契約の場合、2〜3年ごとに契約が自動終了しますので、大家にとっては次にもう一度貸すかどうかは大家の気持ち次第・・一方的関係になります。
前の契約が月額5万円であったか10万であったかに関係なく、契約終了後の新規募集価格を「月額13万」とすれば、元借家人かどうかに関係なくそれに申し込まない限り借りられません→契約期間終了すれば契約がない以上(ラーメンを食べ終われば店を出るように)家を出て行くしかありません。
法形式上は新規契約なのでどういう新規提案しようと「契約自由の原則」という論理構造のようですが、この辺は毎回行く店を変えても良いパン屋やラーメン屋が商品値上げ自由なのと本質が違っています。
パン屋やラーメン屋が1ヶ月後200円値上げすると書いてあれば、次から別の店に行くか?など顧客の自由選択ですが、住居や商店の場合「そんなに上がるなら契約したくない」という選択はよほどのことがないと(例えば1000円上がるのが嫌で引越しできるか?)できませんので、大家のいいなりになる傾向が強まります。
この違いに着目して日本では、大正時代から労働契約や賃貸借等の継続性を前提とする分野(講学上「継続的契約関係」と言います)では契約期間が終了しても(正当事由は滅多に認められない・労働分野では解雇権乱用の法理が確立しているので)原則として更新しなければならない制度設計になっていることを13日に紹介しました。
(元請け下請け関係は一見毎回個別の契約のようでありながら継続取引を前提としている関係でよほどのことがないと発注を打ち切れない商道徳関係に縛られます)
契約期間の定めがあっても更新(従前の契約条件がそのまま継承される)することが原則ですから、契約期間終了日が来ても自動的に契約が終了しません。
借家人が同意しなければ、更新しない理由として正当事由があるかどうかを裁判して争う必要があります。
正当事由とは何かですが、その例示として法律に「自己使用の必要性等の外・・」ですから、商業的借家や借地にこういう必要性などあり得ないので訴訟する人が皆無に近くなっています。

借地借家法(平成三年法律第九十号)
(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第二十八条 建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
以前紹介しましたが平成の新法では自己使用等の他に「財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、」決められるようになった分流動化に資するようになっています。
「財産上の給付」申し出とは平たく言えば立退料の提案次第ということです。
参考までに大正10年からの借地法記載の正当事由の記載を紹介しておきます。
第4条
借地権消滅ノ場合ニ於テ借地権者カ契約ノ更新ヲ請求シタルトキハ建物アル場合ニ限リ前契約ト同一ノ条件ヲ以テ更ニ借地権ヲ設定シタルモノト看做ス 但シ土地所有者カ自ラ土地ヲ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合ニ於テ遅滞ナク異議ヲ述ヘタルトキハ此ノ限ニ在ラス
平成の大改革といってもこの程度の微温的改正でしたが大騒ぎになったものです。

この旧借地法や借家法は平成新法制定前の契約は旧法適用ですので、私も昨年から旧法適用事件で訴訟中です。
ただし判例理論が今の平成の法律とほぼ同じでしたので・いろんな法改正は判例実務の後追いが原則です・・不都合はありません。
14日に法家の思想紹介で書きましたが、日本はいつも法令改正前に実務が先行していく社会です。
社会の変化に法令が合わなくなる・・不都合が発見され、それを判例で修正していく流れで、その判例が世間の支持をうけて定着して行くとそれを新法令に変えていくという流れです。
象牙の塔にこもる研究者が社会の流れを先験的に見通して10年先の社会を前提にした法律案を提案するなど不可能なことですから、法はいつも実務変化の後追い作業になるのは当然です。
また現実に変化の芽も出ていないうちから10年先を見通した法案を提案しても国会での議決は不可能でしょう。
「今起きている変化の芽からこれが大きな潮流になりそうだからこの方向の規制をしたり緩める」というのを否定するのではなく、この変化が先に起きるのは実務界であり既存法令で不都合があるときに法規制の範囲をめぐる係争が増えてくるので半例が先行指標になるという意味です。
借地借家で言えば、時代の変化に合わせることも社会的にある程度(自己使用目的でなくとも都心のビル街で古い瓦屋屋根の家を温存しているのは社会的マイナスです)必要なので立退料支払いでの法の穴を埋めてきた実務慣行(知恵)があったのを法で明記し認証したことなります。
元に戻りますと、日本では期間満了=新契約ではなく・・「前契約ト同一ノ条件ヲ以テ更ニ借地権ヲ設定シタルモノト看做ス」・・ 契約が同一内容のまま継続ですから、家賃を高くするには家賃や地代賃上げ・契約変更の場面になることが重要です。
「契約は守られるべし」というのがローマ法以来の原理ですから、相手が応じない限り裁判所の変更可否の判断手続きが必須です。
(労働法では賃上げ〜賃下げ交渉)
13日に借地借家法で書いたように意見が合わないと契約関係を維持したままの法的争いに移行します。
訴訟手続き等で鑑定等を経て結果的に大家の値上げ要求が正しかったとしても負けた方は差額に利息をつけて払えば良いだけですから、それほどのリスクはありません。
大家の方は、鑑定費用や弁護士費用等を負担するので、日本の場合1〜2万円程度の値上げ目的では裁判で勝っても費用倒れです。
しかも裁判所はいくら土地が急激(個別取引事例ではなく統計的に)年間1割といえばかなりのインフレですが)に上がっていてもそのままの引き上げを認めない運用が定着しているので、この種の争いをする大家や地主がいない・・何十年も同じ家賃のままというのが普通になります。
イギリスのエンクロージャムーブメントで小作人がいとも簡単に追い出されてしまうのを奇異に思うのが日本人です。

米国の高家賃(収益還元法に頼る危険)2

日本は武士の台頭以来約1000年の間、観念論でなく実務に裏打ちされた合理的精神を大事する習慣を身につけてきました。
それだけに現場重視・実務に裏打ちされた意見以外には重きをおきません。
朝鮮半島では欧米の言う通りに実社会無視で法制度をどんどん近代化しても、いわゆる「恨の文化」・ねっとりした人間関係はそのままです。
あらゆる場面の意識実態が古代意識のまま日本支配が始まるまで温存されたままでした。
明治維新当時の朝鮮族が中国〜中国が日清践祚で負けると今度はロシアになびき、戦後は米国そして次の大国になりそうな中国に露骨になびく状態を事大主義と批判するのが普通です。
それは古代意識では強いものの専制支配に従うのが処世術として最善であった経験意識を現在にそのまま引きずっているからです。
古代意識をそのまま引きずっている朝鮮族・・・北朝鮮の専制支配体制の方が貧しく、自由がなくとも国民能力相応で国民に不満が少ない・・ストレスが少ないように見えます。
同じ朝鮮族の歴史を持つ韓国では、戦後米軍占領による上からのいきなりの民主化で戸惑っているうちに、日本の賠償に代わる巨額援助で高度成長に入り、その歪みが癒えないうち通貨危機に見舞われました。
IMF支配を象徴とする文化改造の直接支配をうけて民情無視の刑事手続や民事その他で欧米価値基準による乱暴な大改正がドシドシ行われ(戸籍制度も廃止になりました)て来たので、事大主義的価値観によれば、・・・2月8日に書きましたが、日本を法制度で追い越した自信に繋がっているようです。
韓国が制度だけ空回り状に近代化しても、古くから連綿とつながる意識は簡単に変えられない・・民情無視政治乱発プラス超格差社会のストレスが溜まりに溜まっているのは、このような背景によります。
今また、政策誘導により、2019-2-11「超格差社会・韓国4(住宅建設と個人債務膨張1)」で引用した通り(赤ちゃんまで含めて5000万余しかいない人口のうち1900万人以上が債務者と言うのですから)庶民がほぼ全員返し切れないほどの債務を抱える事態になっています。
不動産価格がいくら高騰していても家賃と価格が整合していれば良いかの議論の妥当性・・アメリカの事例に戻ります。
以下で紹介する米国の高額家賃化→ホームレス増加の事例は、IMFの実家ともいうべき米国でIMF的観念論・皮相な理論さえ整合していれば良い?という経済論が幅を利かしすぎた結果、「罠にはまったのではないか?」という視点で紹介していきます。
仮に価格決定の仕組みが経済理論的に整合していても生活費の大半が家賃やローンに消えていく社会・普通の労働者の給与で払いきれない・・一般人の多くが路上生活しかできない社会であれば、それは不健全で持続性(その理論はどこか間違っています)がないでしょう。
韓国のように子供の予備校等への出費に追われて生活が疲弊し、老後生活費がなくなり、老人自殺が増えたり予備校資金を借りた借金返済のために売春婦が増える社会もどこか間違っています。
韓国民が、教育費にかけるお金が諸外国よりも大きいとしてもそれが文化レベルをあらわしているとは思えません。
中韓では大学進学率が異常に高いことも知られていますが、それだけの受け皿のある産業構造ならば意味がありますが、産業構造無視で見栄のためにで増やしても就職先がないので中国では大量の蟻族を生み、韓国では反日運動しながら日本に来て就職運動し売春婦をするしかない状況に陥っているのです。
物事は一定のバランスを前提にしていて、「こういうものにこれだけお金をかけられるのだから、その他生活水準も推して知るべし」という基準でなりたっています。
お米その他の抜き取り検査は、一部の品質が全体を表すことが多い前提ですし各種テストも、このレベルのことを知っているならば他のことも同レベルで理解しているという推定でなりたっています。
(昨日書いた統計・サンプル調査もその原理の応用です
試験問題が漏れたりヤマ勘がタマタマ当たった場合には、この前提が崩れます。
教育費だけあるいは家賃だけ突出して高いのは、出題問題だけ特化した勉強をしているようなもので、社会全体の経済力や文化レベルを表していません。
韓国自殺率に関する本日現在のウイキペデイアです。

2010年のWHO統計では、人口10万人あたりの自殺者数で世界1位となった[4]。韓国の死因に占める自殺は過去10年間で倍増している[5]。韓国の場合、高齢者に自殺が偏っており、60歳以上の自殺率は、2009年は10万人あたり68.25人、2010年は69.27人と極めて高く、その背景には高齢者の生活不安が解消されていないことにあると考えられている[6]。

高齢者の生活苦は年金制度が充実していない前提だけでなく、壮年期に子供の世に教育費にお金がかかりすぎる点にあると言われています。
住宅費の高騰に戻ります。
5〜6年前に香港勤務の知人が会社借り上げマンション(日本の普通のマンション)家賃が50万円だったのが、いきなり100万円に上がったので会社負担とは言え狭いところに引っ越したと聞いたことがあります。
米国などではワンルームで月30万前後、ちょっとした所帯持ち用だと4〜50万円という噂をよく聞きます。
大都会では、普通の労働者は家賃を払ったらそのあとは食うや食わず・・ホームレスに転落する直前・スレスレ生活にはまっている人が増えている大変な生活が始まっているらしいですが・・。
日本で普通の人が路上生活しなければならない社会になるようなことを放置できるでしょうか?
こんなに高い家賃が米国、香港、シンガポール等では普通にあって、経済論理的に可能なのでしょうか?
以下紹介するカラクリ?によれば、収益還元法を逆手にとって、家賃をあげれば住宅価格を上げられるという逆張り仕組みらしいのです。
住宅価格が上がればその価格に還元利回りをかけると自動的に家賃をあげられる仕組みカラクリ循環的に利用しているように見えます。
強者による一方的値上げが抑止されている・正常家賃相場の国であってこそ、賃料を基準に不動産価格の高騰への抑止力を前提にして正常価格とバブルの違いを判断できるのですが、強者の論理で「一方的値上げ通告→嫌なら出て行け」という契約自由の原則を悪用できる社会では、賃料相場は日本人の考える社会的正義にかなった相場形成力を失っているのではないでしょうか?

統計「不正?』騒ぎと性悪説の法家思想1

従業員500人以上の大企業調査手法の変更は今の内閣が始めたのではなく、04年から東京都調査分からはじまりその後大阪などに広がっているというのですから、現場工夫で合理化していった・・規則あるいは法改正かの必要性に気付かなかった可能性さえあります。
(私が知らないだけか不明ですが)全数調査や訪問方法などの末端ルールが法の定めになっているとは想定しにくいのですが、政令か省令か、あるいは細則?要綱?ガイドラインなのか主務官庁である総務省の通達に反していたのかさえメデイアははっきりさせていませんでしたが、2月14日日経新聞朝刊5p焦点②には、調査方法変更には総務省の承認を求める義務違反でないかの書き方が出てきました。
以下素人意見ですが、元々統計や世論調査はサンプル調査が原則と思われますが、全数調査ルールがいつ決まった手法かの報道がないのですが、例えば地方県で五百人以上の企業が2〜3社しかない場合に1社だけのサンプルで2〜3社平均を出すのでは統計的意味がないので全数調査にした意図がわかります。
例えば銀行とスターバックスの2社の場合、銀行員給与を調べて、スターバックス店員給与を同率で推計計算するのは無理があるでしょう。
ちなみに現時点の500人以上企業数の県別統計をネット検索するとデータが古いですが、以下の統計が出てきます。
http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/kihon/kihon_eikyou/pdf/02_2_chosakai_todoufuken.pdf

図表13都道府県別従業者規模別企業数図表
(備考)総務省・経済産業省「平成24年経済センサス-活動調査(企業等に関する集計産業横断的集計)」より作成。

表が大きいので引用を省略しますが、東京神奈川大阪愛知福岡等を除くと千葉でも10社しかなく青森は1社しかなくその他は概ね2〜3社しかありません。
ところが経済成長によって世界企業(東京等の大都市集中)が数え切れないほどになっている現在全数調査は物理的に無理になってきたし、対象先が千社以上もあれば業種ごと(同業種の賃金傾向はほぼ横並びです)のサンプルを作れるので偏る不都合はありません。
報道によれば東京都だけで現在約1500企業もあるというのですから、全数や全戸戸別訪問(大手の場合訪問してお願いして(お茶を飲んで)帰るだけでその場で聞き取れる(一定期間経過後もらいに行くのかな?)ものではないし、本社担当者と面談しても、何(雰囲気?)が分かるか不明でその割に手間がかかり過ぎて非効率なのは誰の目にも明らかです。
ここで言いたいのは政争の是非ではなく、昔から日本社会は理念で一刀両断でビシッと末端まで貫徹していく怖い社会はなく、現場の必要に応じて緩やかななし崩し修正していく社会であったということです。
革新系の主張は秦始皇帝に始まる専制支配体制強化に役立った法家の主張のように理論だけで貫徹・解決しようとする傾向があり、(有名学者の動員大好きです)理論どおりでないのはどこかに邪(ヨコシマ)な癒着?「不正」があるはずというスタンスによる政権追求パターンですが、不正を前提にした観念的主張が日本の社会実態にあっていないので国民支持が広がらないのです。
メデイアは頻りに「統計不正は国家根幹の政策を誤らせるから大罪だ」という大上段議論を展開していますが、東京、大阪等のコスト削減策が統計を歪めたのか?の実態議論があまり見えません。
出回っている議論を見た印象では、サンプル調査した以上実数ではないから・・例えば3分の1しか調査しないならば、実数値に直すには3倍する必要があるのにそれを怠っていたから、(大手企業の賃金が高いのに「その人数がすくなく出ていた)平均賃金が実際より下がっていたので統計数値を歪めたということらしいですが、それは東京都が3割のサンプル調査に切り替えるのと同時にその計算方法をセットでしなかったミス(法理論ではミスも違法の一部ですが「不正」とは言いません。
あたかも政治が絡んだ不正であるかのような内閣追及騒ぎですが、どこの政府でも賃金が下がっていると発表したくないのが普通ですから、敢えて時の政権が賃金統計を低く出す奸計をめぐらしたと思う人は皆無に近いのではないでしょうか?
先秦時代の法家の思想・・元々性善説に対する性悪説から始まっているのが法家思想ですから(日本は財布を拾ったらほぼ90%以上の人が届ける性善説の社会とすれば、届けない10%の人ももちろんいます。
懐に入れてしまう少数派の人にとっては「庶民が自由な判断でやって正しいことなどあるはずがない」・「決裁なしにやること自体が不正」という思い込みがあるのは仕方がないのでしょうか?
高学歴の研究者意見に従うべきで現場工夫を敵視する傾向が見えます。
野党や文化人やマスメデイアは「良いことをしても役割外のことをすれば処罰する法家的思想」・・形式論・・その根底に性悪説に基礎を置いている印象です。
彼らは権力批判道具として民主主義や自由を主張しますが、内面では他人の自由を認める懐の深さがない人の集まりではないでしょうか。
中ソ等の専制的独裁制を尊崇する所以です。
米国の場合民主主義というものの、文化の底が浅いというか、エリートや強力なリーダー重視社会で基本的に庶民の知恵を尊重する歴史がありません。
権力構造は国民間の猜疑心・「性悪説」を前提にしていますし、国民も規制に違反さえしなければどんなに家賃を引きげようと金融でいくら儲けようと勝手」(暴利は許されない意識もない)という論理で突き進むようです。
この結果一握りが巨額収入を得て多くの人が路頭に迷おうとそんなことは法に触れない限り気にしない社会になっているようです。
アメリカは民主主義国家を標榜していますが、「人民による人民のための・・・」というリンカーン演説は政治的レトリックに過ぎないとみるべきでしょう。
その結果、ノーベル経済学賞をもらった?金融理論そのまま、シリコンバレー等で高額所得者が高額で住居を購入するとその取引事例を基礎にした高額値上げが従来の居住者に通告され、払いきれない古くからの居住者が路上生活者に転落していく流れが起きているように見えます。
日本のように「そうは言ってもね・・」という修正要素(日本の各種改正が遅々として進まない・民族社会に応じた進歩にはこれが一番必要)が働かない社会です。
私が常々批判している「秀才が国を滅ぼす論」の一場面です。

米国の高家賃(収益還元法に頼る危険)1

住宅価格が家賃収益還元の範囲内なら安泰か(理論整合性だけで良いか?)というとそうではないでしょう。
私は日本のバブルの頃から、こんなに上がれば家賃やローンを払えなくなる・支払い能力を超えているからそのうち収まるはずだという信念があり、(その頃バブルという流行語が出回る前で知りませんでしたが)ローンや家賃支払い能力が不動産価格の限界値という考え方で生きてきました。
住宅価格急低下を防ぐために・・例えば金利を5%から2、5%に下げると2000万円しかローンを組めない人が4000万円まで借りても月額支払額が同じになるという面を利用した住宅価格維持政策です。
厳密には元金返済分増額になりますが、バブル崩壊後返済開始後5年間は利息のみ支払い可のローンが一般化していた記憶です。
固定資産評価では基本的スタンスは収益還元を基本に取引価格等を副次的に見るべきという個人的意見です。
この観点から言えば、バブル的取引事例による固定資産評価をするのは高過ぎないか?という基本的スタンスでしたが、もちろん実務はいろんな価値観や過去の経緯等総合的落ち着き等の総合ですので、結果的にいろんな要素の複合結果・・不動産鑑定理論に収束して行く運用になっています・・・ご安心ください。
日本では借地借家契約は契約期間満了しても原則更新して続いていく仕組み(正当自由がないと解約申し入れが無効)ですから、アメリカのように数年置きの契約期限がきたら「契約終了しました。住み続けたいならば5万円アップの新契約しなさい・応じないなら新契約に応じないなら出て行け」という追い出し策が不可能です。
日本では契約中の地代家賃値上げは一方的に出来ない・・・借家人等が応じなければ追い出せるのではなく、(借家人は自分が正しいと思う金額を供託すれば家賃を払ったことにしてくれるので未払いになりません)訴訟手続きが必要なので多くの場合家主の方が諦めます。

借地借家法
(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第二十八条 建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
(借賃増減請求権)
第三十二条 建物の借賃が、土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減により、土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる。
2 建物の借賃の増額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、増額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の建物の借賃を支払うことをもって足りる。ただし、その裁判が確定した場合において、既に支払った額に不足があるときは、その不足額に年一割の割合による支払期後の利息を付してこれを支払わなければならない。

この手続きでは経済理論通りではなく過去の経緯や居住者の収入状況等を重視して土地価格が仮に2倍になっていても金利保証論だけで家賃や地代を2倍にするのではなくほんの微々たる値上げしか認めないのが原則的運用です。
こうした運用から一旦貸すと長期に渡って賃料が事実上固定される社会が出来上がっています。
地代家賃値上げに関する運用同様に、固定資産税の課税では激変緩和措置といって、評価が仮に2倍になってもすぐに税額も2倍にならない制度が用意されています。
雇用も事実上終身制になっている(よほどのことがないと解雇を認めない判例定着)のもこの一環です。
このように、日本社会は持続性を基本として運営されている・・その時々の経済成長などの勢いで全てやってしまわない・・支配者(権力)意見・理論や思想どおりに直ぐに決めつけていかない・・改革には時間のかかる社会ですが、その分手堅いしゴリ押しのない「納得」を前提として動く社会でやってきました。
社会制度を見ても律令制は日本社会に合わないと思っても直ぐに廃止するのではなく時間をかけて徐々になし崩しにして行ったし、武士の時代が来たからと言ってイキナリ貴族の荘園を取り上げるのではなく、なし崩し的に荘園管理に武士が浸透して行っただけで制度大変革をしてきませんでした。
神仏習合その他こういうやり方は、国内矛盾を温存する融通むげな社会です。
後白河院のよって立つ経済基盤であった八条院領が鎌倉時代が終わった建武の新政を始めた後醍醐天皇の経済基盤になっていたことを、皇室経費問題テーマで1月下旬頃紹介したばかりです。
日本人は懐が深いというか?幕府と朝廷の二重権力並存など矛盾関係でそのままやって行ける社会です。
この矛盾を主張したのが「隅々まで皇帝の威令を貫徹しないと気が済まない」・・専制支配を勉強した水戸学であり、明治維新の王政復古の号令であり廃仏毀釈でしょう。
そもそも専制支配は秦の始皇帝の始めたものですが、そのよって立つ支配原理は法家の思想でした。
法家の思想はいわゆる性悪説にたつ荀子等の思想を純化して行って、韓非子によって完成され秦の専制国家体制の支配理念を作ったものでした。
皇帝がうたた寝したので侍っていたものが、布団(漢文では御衣(おんぞ)と書いていますが・・私の日本語翻訳です)をかけたところ「役割外のことをした」という形式論で処罰されたという故事で有名です。
今の議論はこれに似ていないかの疑問です。
現在毎月勤労統計が(平均賃金データ)「不正問題」と銘打って政争テーマになっていますが、これは形式「論理を一貫しないと許せない」という偏狭な議論が基礎にあるように思われます。
報道によれば昔は五百人以上の大企業の全数調査が決まっていたのに、東京都は04年以来サンプル調査しかしていなかったという「不正」追求です。
「全数調査を続けるべきだったどうか」の本質的議論が全くなく、必要な変更手続きをしていなかったという「不正」追求です。
野党・メデイアと組んだ「不正」追求論は、法改正か規則改正で変更すべきだったという教条論のようですが、こういう形式論で国民の多く(庶民は知恵があるのです)が国会審議を止めて現在の内閣の政治責任を追求するべきと思っているかの疑問があります。

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