民意に基づく政治11(未熟社会とテロ4)

もしかすると中国では、「義」という概念の重みが、春秋戦国終了以来徐々に低下して長い間に消滅してしまったようにも見えます。
少なくとも今の中国人の行動を見ていると守銭奴という表現がピッタリ・・お金になるかならないかだけが価値基準の民族になっていますが、これはイキナリ出来上がるものではありません。
後漢のころから「義」などと青臭いことを言っていても意味がない社会になってしまい、次第に現世利益重視・守銭奴化して行ったのではないでしょうか?
日本では時代の進展にあわせて武士道のように命がけで守るべき道義が確立されて行きましたが他所の国では逆に道義が退廃化する一方のようです。
ある建築会社から事務所宛に毎月送って下さる情報誌が12月3日に届いたのですが、そこには日本の教育勅語が掲載されていました。
その現代語訳と言うか口語翻訳が素晴らしかったので、事務所内で話題になりました。
教育勅語については09/28/03「明治維新と学制改革(教育勅語)6」前後で連載しましたが、その中に現在人の価値ある行動が一人その人の価値を高めるのみならず先祖の名誉に関わるというくだりがあります。
もう一度紹介しておきましょう。

教育ニ關スル勅語(明治二十三年十月三十日)
朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

善良の行為をしていればその行為をしている人だけではなく、その先祖まで偉かったと思われるようになると言うのが以下の1文です。

「獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾(なんじ)祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン」

現在人を見て、古代中国人の行動基準が守銭奴でしかない・・「義」のために動く人などいたの?と言う評価が広まっていますが、現在中国人を見て祖先の人品骨柄が推定されるのは仕方がないことでしょう。
チベット族も中共政府にどんなに抑圧されても焼身自殺したり抗議するだけで「義」に感じて抑圧者の暗殺や敵対民族への集団テロには走りません。
集団テロはロシアやアラブ・アフリカ諸国特有の現象なのでしょうか?
朝鮮族の場合、短絡的直情的ではありますが、これも暗殺に走るような傾向はこれまであまりありません。
「あまり・・」という意味は、ミンピ暗殺事件や安重根による伊藤博文に対する暗殺行為が有名だからです。
現大統領朴槿恵(クネ)は、安重根の顕彰碑を自国どころか外国である中国国内にまで建ててくれと首脳会談で迫ったということですから、現在の(暗殺をテロと言う)欧米式基準ではテロ支援国家性を世界に公言したことになります。
反日無罪・・、欧米の言うテロでも何をしても良いという一線を越えた政府トップの政策が公言されて、欧米の言うテロ賞讃政策が中韓で激しくなると、必ずこれが国内価値観に影響して来ます。

民意に基づく政治10(テロと暗殺3)

暗殺批判の前に・・言論ではどうにもならない・・暗殺・命がけの抗議で反発するしかないように仕向けている、マスコミや強い立場の横暴が酷すぎないかの視点こそが必要です。
赤穂浪士の討ち入り・・今で言うテロ行為が義士・義挙として当時から支持されているのは,幕府裁定の不条理に対する不満・言論で解決出来ない・・命をかけて抗議した行為に対する支持があるからです。
今のところアラブ系しか命をかけた暗殺行為をしていませんが、日本にとってはアメリカが背後で中韓をけしかけている虚偽宣伝に腹を立てている人が一杯いるでしょうが、このように世界中でアメリカの横暴・マスコミ支配に我慢しかねている人が一杯いる原因を直視すべきです。
「赤ちゃんが泣くにはそれなりの理由がある」と書いたことがあります。
ところで、強者による不当な抑圧に対する抗議態様としての暗殺ならば義挙でありこれに対する報復はありません。
赤穂浪士は処罰されるし、刺客はその場で殺されますから報復の応酬がありません。
権力に対する抗議行動としての暗殺と違い、国内の対立勢力に対する勢力減殺を狙う暗殺行為を一旦始めると際限ない報復の繰り返しになって行く可能性が高いので、民族?(地域住民)の一体感がズタズタにされてしまう最悪の民意の表現形態となります。
イラクやアフガンでの自爆テロ・報復合戦は権力に対する抗議ではなく、競合相手(イスラム教内のスンニ派対シーア派など)を標的にしているので収拾がつかない感じになっています。
アラブ諸国でもエジプトの場合は基本が農業社会ですから、7月3日に起きた軍主導の反革命的行為に対しても、ムスリム同胞団幹部の動きは一応抑制が利いています。
しかし基本が農業社会というだけであって遊牧民的色彩の人も多いので、デモを繰り返しているうちに、いつ暴力→暗殺行為に走るようになるか予断を許しません。
実際に暴力から暗殺に走りたい人が10万人に一人しかいなくとも、爆破物等が発達していることから、その一人が数十人を爆破等で殺傷するとその被害に対する報復感情が高まり、それまで我慢していたテロ予備軍が動き出します。
報復攻撃は被害に対する倍旧の加害を目的にする傾向があるので,スパイラル的過剰報復の繰り返しになりがちで、あっという間に増幅して行く傾向があります。
集団間の暴力・テロ行為が一旦始まるとエスカレートする危険があるので、政府や軍は滅多に強権発動・・発砲しないのですが、中国の場合は政府発表だけでも年間何十万件と言う集団暴動があって、その都度強権弾圧が行なわれているのですが、テロに発展しません。
中国地域で興亡した歴代王朝の末期では、いつも農民の流民化→集団化→暴徒となって最後はあちこちに発生した農民・暴徒軍の連合体・有力集団が王朝を倒してその後は有力集団同士の抗争の結果新王朝を樹立することの繰り返しでした。
中国の歴史では、個人的報復意識が希薄と言うか政治政策不満があっても、暗殺やテロには走りません。
最近中国の三中全会直前に天安門広場に突入した自爆車はテロではなく、武装警察に非合法に家族を殺された家族の抗議だったと言われていますし、その直後に起きたウイグル族による地方共産党本部前の爆破事件も内部権力闘争一環として行なわれたと言われています。
直ぐに政府は、国連でテロ集団として指定されている組織のテロだと言って世界的に認知されてるテロ集団による許されない行動だと宣伝してことを納めようとしています。
石場自民幹事長発言同様に強い方が都合の悪いことを何でもテロだと言えば、これで終わりに出来る時代です.
真の問題点は武装警察の暴走を中央政府が最早制御出来なくなっている点と権力抗争が内部で激しくっていることをを世界に知られたくないことにあるようです。
中国の地では、漢の時代以降、義挙としての刺客・暗殺はしない代わりに、一定間隔でいつも流民化→暴動に発展するので、それで不満のガス抜きになって間に合って来たのでしょうか?

民意に基づく政治9(テロ3)

アラブの已むにやまれぬ抵抗をロシアのおぞましいテロとダブらせてマイナスイメージで欧米マスコミが宣伝しているのは、アメリカが旧日本軍のありもしない非人道行為をでっち上げたものの、それがバレそうになって来たので、韓国を使って売春婦を「従軍慰安婦」と宣伝させ、中国を唆して南京虐殺をでっち上げさせているのと同じやり方です。
欧米の支配するマスコミの宣伝戦に、アラブも日本も負けているのです。
アラブ社会では米英支配に対して小規模な武力抵抗をしているだけであって、ロシアのような大規模なテロ・・民族殲滅戦のようなことをしたことはありません。
極東軍事裁判ではでっち上げ犯罪でも日本は負けたばかりで何も争えませんでしたが、現在の韓国中国の虚偽宣伝には、いくら何でもアメリカが表面から日本の反論を妨害出来ません。
日本政府は今でもアメリカの顔色を見ながらでしか反論出来ませんが、在野には今やネットという武器があってアメリカ政府も表向き言論の自由を標榜しているので、これを中国のように正面から抑えることが出来ません。
アラブ世界ではアルジャズィージャと言う独自のテレビ放送手段を獲得しました。
政府やマスコミに対するアメリカによる強制が利かないネットを通じて、これらの事実争い・・論争が始まってみるとかえってアメリカ軍の性犯罪の巨大さ、アメリカ軍の行なった大虐殺等々が次第に公然と語られるようになり、データもドンドン出て来るようになりました。
私だって焼夷弾攻撃の残虐性を語る資格があります。
その他病院船や民間船と分っていて撃沈したりして、原爆被害を除いても民間人を何十万と虐殺しておきながら、数人殺したかどうかさえ分らない日本の将軍を犯罪者として処刑したのは、それ自体根拠のない殺人・犯罪行為だったことがその内世界で明らかになるでしょう。
アメリカは1980年代ころから日本の躍進を恐れていたので、中韓両国に対して日本批判をドンドンしてくれと自分でけしかけてこれが始まったものですが、あまりにも日本批判を続けるとその裏の効果としてアメリカやソ連・・ひいては白人種のあまりにも酷い事実が続々と明るみに出て来るので、今になると中国、韓国の日本批判の暴走が重荷になって来ました。
アラブの暗殺・義挙をテロと悪宣伝していると、その内にテロとは何かの論争を通じてソ連(西洋・白人による)の上記旧悪・・他民族に対する強制移住命令や虐殺が次第に明らかになって行くのではないでしょうか?
ソ連のやった行為は、ナチス以上で桁違いの規模・残虐性です。
テロ批判や慰安婦批判が嵩じて行けば、事実を明らかにしようじゃないかとする反作用が大きくなるのは必至です。
これまで欧米はマスコミを牛耳っていたので宣伝したい放題をしてきましたが、知的レベルの高い日本相手では時間の経過で逆襲されるようになります。
今後は、捕虜虐待・・ソ連似よる関東軍乗れシベリヤ連行・強制労働は国際条約違反ですが、何十万という日本人をソ連は強制連行していることやアメリカ軍の残虐性・・これをホッカムりして、日本をさばく連合国の犯罪性はいよいよ明らかになって行くでしょう。
凄惨な大量虐殺行為を行なっていたソ連の行為を全く表に出さない・・西洋の植民地国がアジアで行なっていた現地人虐殺事件を日本軍がやったと宣伝しているなど、宣伝さえすればどんな歴史も書き換えられるような世界情勢が続きました。

昔は刺客になる動機は、自己を認めてくれた主君の恨みを晴らしたり、家族や愛人の恨みを晴らす程度だったのが、アラブでは宗教上の正義と言うバックボーンを得て個人的恨みから民族的反抗・欧米の世界戦略に関する反感に基づく暗殺活動になって来たと言えます。

暗殺も民意の一表現形態ですが、これを暴力で解決する方式と見れば、幼児や不良が表現能力の不足を補うために実力行使しているようで、対等者間でこれを行使するのはレベルの低い話ですからやめましょうと言うのは正しいお説教です。
しかし、力関係に圧倒的な差があって強い方が不正義・人道に反する行為をして羞じない国である場合、これに刃向かうのは人道回復行為そのものです。

取締役の役割5(民意に基づく政治9)

1982年の三越事件のように社長が権限濫用して目に余る場合には、次の総会まで待てないのでこれをクーデター式に解任したということならば、それ自体を誰も驚きません。
(三越事件の場合は解任手続きに社会が驚いたのではなく、老舗三越の信用破壊になる大スキャンダル・・社長愛人が数万円で仕入れたイカサマ品を、三越のブランド力で数百万円だったか?で売っていたという不当商法が暴露されたのですから、その点で世間が驚きましたが・・・三越の信用が地に墜ちました)
当時我が家にもデパートの外商がしょっ中来ていて高価品の売り込みを受けている時代でしたから、身近な事件でした。
思えば温泉の水増し事件や数年前の高級料亭船場吉兆に始まり・・最近のホテルやデパートでの食材偽装事件の走りだったかも知れません。
昔から主君があまり駄目な場合、有力家臣が談合して主君を押し込めて別の主筋を擁立して君主になってもらうことは普通に行なわれていました。
(戦国時代では、武田信玄が父親を家臣と共同して駿河の今川家に追放したのは有名ですし、安定期にはいった江戸時代でもかなり行なわれていました)
会社法(会社法成立前の商法も原理は同じでした)の解任権の規定は、これに言わば法的根拠を与えたと見るべきだです。
今回は「殿の乱心」ではなく基本方針に関する意見相違でしかないのに、イキナリ解任までしてしまったので、(実質的ルール違反として)社会に与えた衝撃が大きかったと思われます。
話を浪花節的意見から戻しますと,川崎重工業の解任事件を見ると、取締役会議は議論尽くすことが法律上要請されていたのに、まだ議論の場になっていなかった・・成長していなかったまま現在に至っていた・・欧米流合議体にはなっていなかったと見るべきです。
そして社長解任に賛成した取締役が会議を法律どおりに議論の場にするために反対論を戦わせて否決したのならば正当性がありますが、その場合否決すれば足りるので、解任動議を出す必要がありません・・。
むしろ建設的議論が全く出来ないし、することが出来ない雰囲気・・だから解任というクー・デターしか出来ないところに、日本的な要素を見ることが出来ます。
ただし、解任事件直後に同社の株式相場が上がったので、株主利益を守るための行動だったと言う言い訳にはなるでしょうが・・・。
株価上昇により実質的株主総会の選任権への背信という批判も起きませんでした。
この辺で、取締役会の機能のテーマから、2013/07/19「民意に基づく政治7(リーダーと世話役の違い3)」民主主義の実現能力に戻って行きます。
我が国のように昔から草の根から吸い上げて行く民意に基づく政治をしたことのない社会・国が、「民主主義は良いぞ!」と言う宣伝に乗せられて独裁者を倒しても、倒した方(烏合の衆)に政治経験がない場合、結局は混沌するばかりになります。
我が国のように話し合いで決めてきた長い経験がないので、自由を手に入れてもどう活かして良いか分らず,多数派はごり押ししか出来ないし、少数派は結果的に不満が鬱積して直情的行動のスパイラル的増幅→テロ(後記のとおりこれは「テロ」ではなく暗殺と言うべきだと言う意見を書きますが、今のところマスコミ宣伝のとおり表現しています)の応酬になって社会が疲弊して行くリスクが高まります。
フランスが民主主義政体を知ってから、約1世紀半の混乱を経てド・ゴールの登場で第5共和制(大革命以来5回目の政体ということです)となって以来、漸く安定するようになれたのは、この間にジャコバンの恐怖政治とテロがあったのですが、ナポレオンによる軍政の確立・・その後は街頭行動による帝政打倒など陽性に発展したので際限のない国内テロあるいは暗殺の応酬までに発展しなかった面が大きいように思われます。
フランス統治下でもアルジェリアに関しては、まさにテロと弾圧の応酬でしたから、結局フランスは文字どおり収拾がつかなくなって(カフカ・・不条理の世界)これを切り離さざるを得なくなりました。
アラブ諸国やアフガンでは、テロ(正確には暗殺)に走る気質があって、これが際限のない憎悪を生み出してしまい、半永久的対立・・分裂の繰り返しになる可能性を孕んでいます。
一見テロリズム・暗殺がイスラム教徒の本質のように誤解され勝ちですが、イスラム教とテロとは本質的関連はないでしょう。
遊牧民族では、危機管理能力に優れた指導者一人の能力に大きく依存していることから、敵対している相手の指導者さえ狙撃・刀槍の時代には刺客が暗殺さえすれば、相手の集団戦力が激減し、四散してしまうことから、暗殺・刺客が有効な戦闘手段になっていた歴史があります。
古代から農業社会で来たエジプトでは、暗殺は主流的政治手段ではありません。

 民意に基づく政治8(讒言社会1)

強権政治に親しんでいる中国では、仮定の話ですが、民族の半分ほどを丸ごと虐殺してその残りに対して民族丸ごとの集団移転を命じても、その部族は反抗する方法すらないのでどのような非人道的政策遂行でも可能です。
この後に国家的テロとの関連で書いて行きますが、ポルポト派による大虐殺、文化大革命その他非人道的政策が何ら大規模な抵抗もなくそのまま実行出来たのは、こうした政治力学によります。
習近平政権にとっては、暴動や人民の反抗が少ない方が良いに決まっていますが、それは政権維持にとって大したことではなく、政権内部の長老等との権力争いの方が心配になっている・・優先課題です。
安倍総理が自民党総裁からおろされると総理ではなくなるので、党内基盤を固めてこそ野党と渡り合えるし政策実現出来るのですから、日本でも政権内部の権力争いが優先課題であることは同じです。
日本の場合、古代から有力豪族の連合体であり現在も各地末端支持者の支持によって議員なっている政権内政治家が存在している関係が続いています。
日本の場合政権内抗争と言っても豪族自身が古代から庶民の支持基盤を反映していたし、今でも内閣構成員のほぼ全部が各地の支持基盤に頼っている政治家ですから、如何にトップの総理から指示されても支持母体の利害に反したことには、容易に賛同出来ません。
総理の指導力を法的に如何に高めようとも、内閣構成員・政治家がそれぞれの支持基盤から選出されている本質的側面を無視出来ません。
(大統領制とはそこが本質的に違うのです)
専制制の国や社会での政権内抗争は、末端国民の意見・利害によるのではなく、自己利害・・利権の損得を基準にしているに過ぎません。
この場合、正義の基準よりは情実や讒言が効果を発揮します。
ココから中国歴代王朝で盛んであった讒言社会が生まれたのです。
政権内抗争中心社会では、讒言ほど有効な武器はありませんので、中国歴代王朝では讒言による政敵失脚を狙う行動原理が最有効なものとして定着して行ったのです。
勿論李氏朝鮮でも同じです。
中国の薄煕来事件にまつわる政変やこれに関するネット意見など見ると、我々は何千年の政争をくぐり抜けて来た歴史経験があると自慢しているのを見かけることがありますが、この手の陰湿な政争には習熟しているという意味です。
韓国の世界に向けたプロパガンダの激しさも、権力者への讒言スタイルの現在型と見れば良いでしょう。
最高権力者がアメリカ世論〜議会であるとすれば、これにすり寄るためには色仕掛け、マネー仕掛け何でもする・・正義を度外視した抗争が得意です。
民意による政治に戻りますと、専制制の政権では、彼ら政権内権力者は国民の支持で存在しているのではなく、党内序列等(専制君主制のときは高位高官者)で発言力が決まって来るので、国民の意思をソンタクする必要も能力もありません。
大統領制の韓国では一見民主化されているようですが、以前から書いているように国民が支配者の選任権を獲得したことと、終身制を任期で区切っただけで(不都合があっても途中解任権がありませんので一旦就任すると大幅な権限があります)その間は白紙委任で政権内は官僚だけであることから、選挙の洗礼を受けた議員の意志をそのまま受入れる必要のない体制です。
大統領制でも議会による抑制があるとしても、新たなことをするには法=議会対策が必要ですが、そうでなければ議会の意向を気にする必要がありません。(抑制出来るだけです)
大統領制は一定の抑制が出来るとしても白紙委任を原則としていて、民主化したと言っても、選ぶ権利があることと任期制程度の意味に過ぎないことを、2013/07/16「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」のコラムまで連載しました。

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