非武装平和論8と民族自決5

非武装論者=護憲論者が、後生大事にしている憲法は日本人の先祖がよく考えて作ったものでははなく、アメリカが占領政策の延長として強制したものです。
日本侵略希望を事実上表明しているのは、中韓両国ですが、非武装論は戦わずして(これが平和論の中核です)侵略して来る勢力・・中韓の支配に入った方が、民族が独立しているよりも国民は幸せと主張していることになるのでしょうか?
武装と同盟必要論は、異民族支配に入った場合の悲惨さを心配して民族の代表選手・・戦士が少し血を流してでも、背後の民族・家族の安全平和を守ろうとする考えです。
一定の防衛力を維持して戦うこの意気込みがあってこそ主権・民族自決を守ろうとしているのですが、これは国際的に普通に認められた心情です。
世界中で民族の独立など無駄なことだ・・戦うくらいならば異民族に支配された方が幸福と言う意見は聞いたことがありません。
そこそこの軍備を備えて、侵略を阻止する努力とこれをしない結果の違い・・どちらが本当に民族として幸せになれるかこそを、基礎から議論しておく必要があります。
どうやって平和を守るかの論争自体は空論であってあまり意味がありません。
戦わずして相手の支配下に入れば戦争を防げ・平和?を守れることは確かですが、戦ってでも民族独立を守り抜くのとどちらが日本民族にとって良いかの議論が先決的重要です。
平和を守るために中韓の主張する歴史観をそのまま受入れて、戦わずして中韓の支配下に入ったら戦争は起きないでしょうが、その結果どうなるでしょうか?
「お前らの先祖はこんな悪いことをした」と毎日でっち上げた事実?を強要されて認めさせられて、懺悔・謝罪するしかない生活が待っているのでしょうか?
仕方なしに認めるとそれを理由に更に酷い目に遭う・・地獄のような日々が待っている・・。
毎日責められて謝罪させられ続ける・・。
「お前らの先祖はこんな悪いことしたのだから、謝罪が足りない・・一日に何回か鞭で打たれても仕方が無い・・この程度のイジメや拷問を受けるのは当然」
だとする状態が、日常化することを想像するとぞっとしませんか?
普通、こう言う生活になること期待している人はいない筈ですから、こう言う結果を熱望している勢力とは、本当の日本人か?と誤解?したくなる人が増えるのが普通ではないでしょうか?
最近ヘイトスピーチ批判が起きていますが、根底に本当の日本人が日本の軍国主義化を心配しているのか、疑問に思う人が増えたからではないでしょうか?
マスコミや文化人は何かあると直ぐに「世界ではこうなっている・国連ではこうだ」と錦の御旗のように主張するのに、非武装が良いかどうか、特定秘密保護法や集団自衛権の議論になると「憲法に書いてある」「知る権利が侵される」」と言う一点張りで、特定秘密保護法は外国ではどうなっているのか、世界の中で軍備のない国があるのか、軍事同盟すれば軍国主義国家になると言う世界常識があるのかなどのテーマになると、外国でどうなっていると言う意見が全くなくなります。
「国民の理解を得られない」と勝手にマスコミが世論がこうだと決めてしまい、世論誘導をする傾向があります。
何が正しいか・何が日本民族にとって好ましいかの議論からそっくり逃げています。
政治運動である以上は憲法論ではなく、その意見を貫徹するとどの意見が日本民族・国家に好ましい結果をもたらすかの基準で議論すべきです。
以上書いて来たのは、私の個人意見・感想であって家の周りを泥棒が窺っていても、戸締まりしないで寝ていれば良いと言う人もいるかも知れません。
戸締まり不要論を実行してどうなることを期待しているのかを堂々
明白に主張して欲しいのです。
具体的結果になると、中韓との膨大複雑な貿易や政治文化的関係解決の思惑もあり、国際関係への波及効果等々があるので、どの程度まで対決すべきかについても複雑な利害考量の必要性があって、・・まさにその道の専門家である政治家の出番です。
国際関係は戸締まり論だけで決めて良い訳ではありませんから、警察関係やSECOM等の人だけが発言力がある訳でもありません。

 非武装平和論3

周辺状況にお構いなしに非武装が理想とする勢力とアメリカの横暴を巧みに利用してこの間にしこしこと国力増進に励もうとしていた勢力・安保条約受入論による非武装あるいは軽武装論も結果は同じでした。
同じ非武装・軽武装論者でも本来の目的が違っていた(同床異夢)ことが、外部情勢変化ではっきりして来たようです。
政治と言うのは、いつもいろんな目的の勢力が当面目指していることが一致している限度で徒党を組み、ある時期が来たらその先の目的が違うことで分裂や新規グループ結束が生まれるものです。
現在は、周辺の脅威が現実化して来たのにアメリカが充分に守ってくれそうもない・・アメリカは、「日本がある程度自力で撃退しない限りアメリカは背後で応援出来ない・・日本もアメリカ軍にある程度協力しないとアメリカだけが一方的に守ってやれない」と言う姿勢を明らかにしています。
それでも、なお非武装論にこだわる人・グループは、私のようにイザとなれば警官が来てくれるから、非武装で良いと言う意見ではなく・・元々日本の安全を守る必要がないと言う立場・アメリカ軍が役に立とうと立つまいが関係のない非武装論だったようにみえませんか?
この立場では、主権国家に必須の自衛権を認めない・・非武装=占領政治・主権喪失を肯定しながら、反米行動・安保反対をしていた意味・・日本が非武装のままでアメリカ軍がいなくなるのを理想にしていたことになって、一貫します。
今なお非武装論を主張する人は・・「憲法9条を守る会」の主張を見ても、どうやって日本を周辺国の脅威から守るのかについての意見表明が一切ありません。
(私が知らないだけかも知れませんが?)
要点としては、憲法に書いてある・・憲法違反と言う主張しか伝わって来ず、非武装維持がどうして侵略阻止・平和に繋がるかの論理を聞いたことがありません。
弁護士など法律家の集団が「9条の会」と言うものを結成していて集会参加等の案内が頻りに来ますが、これまで憲法9条を守ればどうやって侵略を阻止出来るかの意見が全く見えません。
世界に誇るべき平和憲法だと言って、ノーベル賞受賞運動をしているようですが、アメリカの傘の下でぬくぬくとやって来られたに過ぎない点を理解したくないようです。
国民が知りたいのは条文の解釈ではなく、どうやって民族の尊厳を守るかです。
その議論の結果、現在の条文では国民を守れないならば、その改変問題が生じるのであって、(条文の字句をどう変えるとどう言う効果があるかは専門家の出番ですが・・)憲法論以前に国の姿をどうするべきかの議論が先にあるべきです。
従って、どう対応すべきかに関しては、弁護士だからとか、憲法学者だからと言って、一般国民より優越している訳では有りません。
どうすべきかの価値判断は、世論が決めるべきことです。
弁護士や法律家の・・「憲法違反の行動をやめろ」と言う集団行動や各種宣言・護憲活動は、憲法違反だからとの理由で健全な議論を抑圧する・自由な言論活動阻止運動と考えられます。
無防備平和論は、ユダヤの好きな民族国家自体の否定論者・戦前のコミンテルンの同調者に繋がるように思えます。
中国が欲しいと言えば、好きなだけ領土をあげれば良い・・攻めて来れば守る必要はないという意見は、日本と中韓の関係をどうすべきだと言う意見になるのでしょうか?
もしかして、・・日本をチベット族やウイグルのように中国の支配下に置いて弾圧されるままにおくべきだと言う意見とすれば、中韓にだけ国家の存在を認めて日本民族だけが主権放棄すべきだと言うことになり兼ねません。
ユダヤ系やコミンテルンの理想とする「国家などなくすべき」と言う意見とは違い、日本侵略の意図を明らかにしている隣国が存在する状態での非武装論は、何故か中韓の軍事強化は歓迎するかのような意見ですから、日本の民族国家だけ消滅すれば良いと言う一方的な矛盾した意見にはならないでしょうか?
元々コミンテルンの主張は、ソ連による世界支配を目指すために各国内に思想浸透を目指す・内部同調者を増やすものであって、戦争の原因になる国家をなくして平和な世界にしようとする思想ではありませんでした。

非武装平和論2

憲法がアメリカ占領支配継続の道具となっている実質を見ないで、解釈改憲・事実上の改憲を違法と言い張って、憲法改正がない限り何があっても非武装論に従っているとどうなるでしょうか?
この意見は、憲法に書いている・・非武装がよいと言うだけで、自衛の戦力保持も違反・集団自衛協定も否定し、友好国の援助を受けられないようにする・・有効な対策を提示しないままです。
非武装論プラス集団自衛権憲法違反論者は、どうやって日本の安全を守るのかの対案もなく「憲法違反だ」と反対しているだけですから、結果的に中国の侵略を容認し、「侵略があれば傍観していれば良い」「逃げ回れば良いのだ」言う結果を導きます。
最終的にはチベット族やウイグル族のように中国支配下に入っても良いのかと言う意見に繋がって行きます。
・・この論理はちょっと飛躍がありますが、非武装論者が反対するばかりで何の対案も示さないことから、飛躍した論理を生む下地になっています・・。
非武装でも外国の応援を頼めば良いと言う非武装論もあり得ます。
個々人で言えば各人が自宅で銃を持ったり自分で武道を習わなくとも、警察が来てくれるからいいというのと同じです。
ただし、警察に頼る場合、同じ民族が警察官を構成しているのが普通で、(白人警官に黒人が不満を持つ原因です)警察官になれるのは植民地支配・宗主国の民族構成限定と言うのでは実質的隷属化が強まります。
日本の場合アメリカ軍が守ってくれると言う触れ込みで占領を継続して来たのですから、警官だけ植民地本国からの派遣によるのと同じ・・結果的に異民族支配の間接統治と同じでした。
この結果アメリカ軍が駐留継続している限り、独立したとは言っても名ばかりで、日本はその後ずっと事実上アメリカ支配下にある・・独立国と言いながら、自前で民間航空機1つ作れなかった→その結果技術者が新幹線技術に移転したことが良く知られています・・のが現状です。
アメリカの日本隷属化目的の非武装論に敢えて反対せずに便乗すれば、当面軍事支出が少なくて戦争で疲弊した日本復興にメリットがあるとして・・力がつくまで雌伏してアメリカの不当な支配を受け入れるのも1つの見識です。
占領されている日本が正面からアメリカに異を唱えてゲリラ戦に持ち込むと民族が疲弊してしまい、却っていつまでも経済的に自立出来ないマイナスがあるので、したたかに逆利用して来た智恵でした。
アメリカは日本支配のために非武装を強制したものの、これを利用して日本が経済大国化して来たので、これでは損するばかりなので自衛に必要な(アメリカに刃向かえない)限度で、日本独自に兵力を持ってくれ・兵器を買ってくれと言い出したことで、日本再軍備が始まり徐々に拡大して来ました。
アメリカは再軍備を正面から認めると本当の独立国になってしまうので、その都度揉めるようなブレーキを残すために憲法違反のママなし崩しに認める方式・・解釈改憲や事実上の再軍備でやって来たことを昨日まで書きました。
その内イラク戦争では、金だけ出して・・血を流さない日本への不満が公然と出て来て・・その挙げ句20年経過で今回の集団自衛権論争になって浮上して来たと思います。
アメリカの要求に乗っているのは、力をつけるまで民族を守るための智恵として意味がありましたが、アメリカが日本を守り切れなくなったと言うならば、チャンスですからその穴埋めに自主軍備を持つことは良いことです。
立場が違えば、いろんな考え方があると思いますが、私は上記のようにアメリカが完全に守ってくれるならばアメリカの意に反してまで軍備強化する必要がない・・ほどほどの非武装論は良いことと考えてきました。
アメリカが警察官役を出来なくなって来れば、アメリカが反対しない限度で自衛するしかない・・更に増強出来るチャンスを利用すべきです。
従来アメリカに責任を取ってもらう方が良いと言う結果・・軽武装で良いと言う点では、革新系意見(支配者がアメリカでも中国でも良くてどこかへの隷属状態の恒久化を求めているのかな?)と同様でしたが、私の場合徐々に力をつけて独立したいのが本音ですから、周囲の状態が変わればこれをチャンスに意見を変えること自体に何の迷いもありません。
「平和憲法と国の安全1」Published June 4, 2014で、夏から冬に気候が変わり、木枯らしが吹けば、重衣装に着替える必要があると言う比喩で書いたことがあります。
節操が変わらないのは立派なようでいて、実は冬になっても夏物を着ている・・馬鹿の一つ覚えと紙一重です。
非武装論者でも、先ずは経済自立・・独立するための力を充実させるためにアメリカの非武装要求を利用して経済復興を優先していた勢力と、飽くまで日本を隷属下におく目的で永久的な非武装を求めていた勢力の二種類あったことが、今回の尖閣諸島問題で明らかになりました。
日本民族の独立否定・・永久的隷属化目的勢力にとっては、周辺の脅威が増したときこそ、非武装を徹底して侵略軍を導入したいことになるのですから、ここで自衛力強化したのでは、何のためにこれまで非武装を要求していたか分らないことになるのでしょう。
私のような意見は、日本民族隷属化目的の非武装論者にとっては、裏切り者・節操のない人間の範疇に入ります。

平和論と憲法1

中韓の歴史認識を擁護する論者の多くが、護憲勢力・非武装平和論者とダブっていますので、アメリカ占領下で作られた異民族支配体制の恒久化・・日本独立を認めたくない勢力ではないでしょうか?
被占領下で異民族に隷属していた日本民族の姿が一番良かったと言う立場・・アメリカが出て行ってしまったならば、今度は中国または韓国どこでも良いが、どこかの被占領下・被支配下にあるのが望ましいとする勢力でしょうか。
アメリカが占領の置き土産にした歴史認識・・他国の言うとおり、歴史を教えろと言う立場・・自国民族を貶めて異民族に隷属する方が正しいと考える言論人やマスコミを置き土産に養成して行ったので、その遺産・アメリカの露骨な外圧のみならず内圧にも日本民族は苦しむしかありません。
日本が少しでも中韓独自の歴史認識に反論しようとすると、中韓両政府の「戦後体制に対する挑戦だ」と言う主張は、まさに左翼・文化人・マスコミの主張と同根ですし、そう主張すればアメリカが背後で後押ししてくれると言う期待があるからでしょう。
自国の独立・主権を否定し、アメリカの支配力が衰えればその代わりに中韓の主張に唯々諾々と従うべきだ・・そうしないと世界で孤立すると脅すのが、マスコミや文化人です。
中東で言えば英仏の勢力が衰退すれば、この機会に独立するよりは、今度はアメリカに従うべきと主張をしているような勢力です。
日本主権否定論が外国勢力だけではなく、同一民族内で強固な勢力を築いているのが日本の不幸ですし、世界各地での欧米の植民地支配の遺産が、旧植民地諸国だけはなく日本でも根強く根を張っていることが分ります。
中東でのテロ組織「イスラム国」による国境線変更の動きに対して、これを作った欧米が残虐なテロ組織だと非難するのは分りますが、民族宗派を分断し内部対立するように仕組んだ現在の国境線に苦しんでいる筈のアラブ諸国政府自体が、こぞってイスラム国に猛反発しているのは、我が国左翼文化人が護憲勢力・アメリカの作った戦後秩序維持派になっているのと根っこは同じです。
アメリカとしては、自分の強制した憲法が日本民族の利益にあわない(アメリカは日本の利益にならないように憲法を作ったのですからそう言う意見になるのは至極当然の成り行きです)と言う理由で改正されるのを、一日でも先に伸ばした方が良いので、護憲派がアメリカを後ろ盾にしている面では(日本が自衛力を持たない方が有利な)中韓の主張と同様です。
日本民族にとって何をすることが必要かを虚心に議論し、その上で、もしも現行憲法条文が時代に合わず国民にとって不都合と分れば、憲法を改廃出来ること自体が憲法に明記されていることを9月15日に紹介しました。
9月18日「非武装平和論とその帰結2」以来横にそれていましたが、平和論に戻ります。
憲法違反かどうかではなく、現実にどうしたら良いかの議論こそが先決的に重要ですから憲法に書いてあると言って、どうすべきかの議論自体を封殺するのは邪道です。
我々は学校で現実に存在しない教科書問題を解いているのではなく、現実に起きている社会現象をどうすれば良いかの議論が必要です。
尖閣諸島侵略の危機に直面している今の日本にとって大切なことは、先ずはどうしたら日本民族の尊厳・領土主権を維持出来るかが重要であって、その議論の結果なすべきことが決まった場合、その対策をとるのが現行憲法上許されないならば、憲法を変えるかどうかの議論が必要です。
議論の前に「祖国防衛は憲法上許されないから議論の必要がない」と言う意見は学校教材的な空理空論と言うべきです。
教養人と言うのは学校秀才が多いと以前から書いてきましたが、非武装論や集団自衛権アレルギー論はその実例と言えるかも知れません。
ちなみに、もしも憲法が実態にあっていないとなったときには、解釈改憲によって対応をするのは狡いと言う主張があります。
集団自衛権に関する政府見解・閣議決定の変更に対する反対論もこの一種です。

弁護士会の政治活動1

我々弁護士は、依頼者の正当な利益実現のために頑張っているだけで、この限度でこそ、制度運営や改正に関して意見を言うことが出来る・・存在意義があると思います。
(ユダヤ系のように?)これを利用・便乗して自己の主義主張を実現したいと言う人は稀でした。
弁護士業務が特定分野に専門化して行くと、その分野の法律改正やガイドライン等の制定や改廃を求めるために、次第に政治運動に関与して行きます。
この種の専門家が育って行くのは、消費者関連分野では、消費者側に立つ企業や団体がない以上は、真に豊かな社会=安心して消費できる社会ですから、高度社会のインフラとして重要な分野であり、これを作って行くためにこれにコミットしている弁護士グループが関与して行くのは有用な組織化・専門化と言えます。
専門分化による関連政治活動で味を占めたのか、ここ数年日常業務と離れた抽象的な政治的意見表明や運動が多くなって、幅を利かすようになって来たのが不思議です。
これをやっているとユダヤ系が出しゃばり過ぎて世間の鼻つまみにあっているのと、同じ効果が弁護士会に及ぶのではないかと心配しています。
ユダヤ系が歴史上金融に詳しいように、弁護士は具体的事件処理を通じて他の業種の人よりその分野で少し詳しいし、その分野の関係者は弱者が多いので代弁して消費者保護法の制定運動などの必要があります。
具体的事件処理に関係しない抽象的政治論では弁護士だからと言って一般世間より詳しいことはありませんし、もっと離れた政治思想に関してはそれぞれの支持者は(右も左も)社会的強者弱者混在していて常に弱者とは限らないので職務上代弁する必要もありません。
例えば死刑廃止すべきか否かは、犯罪と刑のあり方・被害を受けた人と加害者双方の人命の重み等の総合考量によるものですから、刑事手続きに通暁しているか否かとは殆ど関係がありません。
私が死刑の存続をどうすべきかと考えるときに、刑事事件を担当した経験から考えるよりは、一個の人間としてどうすべきかと言う思考方式になりますが、普通の弁護士はどうでしょうか?
えん罪があり得ると言うことは、弁護士だけが知っているのではなく、大々的に報道されるので、(私も報道でしか、自分の関係しない再審無罪事件を知りませんので)一般人と同じ率でしか知りません。
自分の担当した被告人が無罪と信じて一緒に戦った結果、有罪になってしまった特別な関係を持った弁護士であれば、普通の人よりも死刑廃止に熱心になっても良いでしょう。
そう言う事件に関係したこともない一般の弁護士が、弁護士である以上はみんな死刑廃止主義者であるべきだと言うことになれば、言論の自由を主張するべき団体が会員に思考停止を求めているようで不思議です。
(私が死刑廃止論に反対と言う意味ではありません・・職業と関係なく個人として考えるべきことであって、組織として運動することに疑問を呈しているだけです)
上記のように個人的経験等から、個人的に死刑廃止論を言うのは勝手ですし、弁護士でありながら、詩を書いたり登山したりししていて職務外のことに詳しい人もいますし、その人にとっては弁護士も詩を書いた方が良いと考えるのは勝手ですが、それは個人の問題であって、弁護士集団としての発言をする必要はありません。
死刑制度のように弁護士の専売特許のように見える分野でさえ、実質は上記のとおりですから、一般政治テーマになるとなおさらです。
生活を豊かにし、人権を守るためには戦乱に巻き込まれるとその正反対の結果になるのは誰の目にも明らかです・・多分反対論はないでしょう。
そこで、平和維持が重要ですが、どのようにして平和を維持するかとなれば軍備がある方が良いのか、ない方が良いのかについて教職員や文化人や弁護士が世間一般より高度な学識経験を有している訳ではありません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC