メデイアと学者の煽り3(日露戦争2)

ここで講和条約交渉で過大な要求を煽り、日比谷焼き討ち事件の大元になった帝大7博士は元々早期日露開戦を求める過激意見書を発表していました(東京朝日新聞に全文掲載されたのでまとまって残っているようですので、これを見ておきましょう。
講和条約反対論は時局演説や新聞での片言隻句の引用程度でしょうから、まとまった引用文献が見当たりませんが、街頭演説となればその過激発言ぶりはこの意見書から推して知るべきです。
意見書とはいうものの学者の論文とはとても言えない・・長いですが、そのレベルが分かる程度に一部引用して紹介しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8

七博士意見書(しちはくしいけんしょ)とは、日露戦争開戦直前の1903年(明治36年)6月10日付で当時の内閣総理大臣桂太郎・外務大臣小村壽太郎らに提出された意見書。

およそ天下のこと、一成一敗間髪を入れずよく機に乗ずれば、禍【わざわい】を転じて福となし、機を逸すれば幸い転じて禍となす。
外交のこととくに然りとなす。しかるに顧みて七八年来、極東における事実を察すれば往々にしてこの機を逸せるものあり。
遼東還付のさい、その不割譲の条件を留保せざりし?は、これ実に最必要の機を逸せるものにして、今日の満州問題を惹起する原因といわざるべからず。
のちドイツが膠州湾を租借するや、薄弱なる海軍力?をもって長日月を費やし、もって我が極東に臨む彼の艦隊や顧みて後継の軍力ありしにあらず。進んで依拠すべき地盤ありしにあらず。
渺々として万里に懸軍するの有様なりしをもってこの機に乗じ、掲ぐるに正義をもってし、臨むに実力をもってせば、たとえ彼裕大な欲望を有するも、何をもってかこの正義とこの強力に抵抗することを得んや。
当時もしドイツをして膠州湾に手を下すあたわずんば、露国もまた容易に旅順大連の租借を要求することあたわざりしや明らかなり。
然るに我邦逡巡なす所なく、遂に彼らをしてその欲望を逞しうするを得せしめたるは、実に浩嘆の至りにたえず。
機を逸するの結果また大ならずや。
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このときに当り空しく歳月を経過して、条約の不履行を不問にふし、若しくは姑息の政策により一時を彌縫せんとするがごとき終わらば、実に千載の機会を逸し、国家の生存を危うくするものとなすべからず。
噫、我邦既に一度遼東の還付に好機を逸し、再びこれを北清事件に逸す。
豈にさらにこの覆轍を踏んで失策を重ぬべけんや。既往は追うべからず。ただこれを東隅に失うも、これを桑楡に収むるの策を講ぜざるべからず。
特に注意を要すべきは、極東の形勢漸く危急迫り、既往の如く幾回も機会を逸するの余裕を存せず。
今日の機会を失えば、遂に日清韓をして再び頭を上ぐるの機なからしむるに至るべきこと是なり。
今日は実に是千載一遇の好機にして、しかも最後の好機たるを自覚せざるべからず。
この機を失いもって万世の患を遺すことあらば、現時の国民は何をもってかその祖宗に答え、また何をもってか後世子孫に対することを得ん。
今や露国は次第にその勢力を満州に扶植し、鉄道の貫通と城壁砲台の建設等により、漸くその基礎を堅くし、殊に海上においては盛んに艦隊の勢力を集注し、海に陸に強勢を陪蕩しもって我邦を威圧せんとすること最近の報告の証明するところなり。
ゆえに一日を遷延すれば、一日の危急を加う。
しかれども独り喜ぶ、刻下我が軍力は彼と比較してなお些少の勝算?あることを。
しかれども、この好望を継続し得べきは僅々一歳内外を出ざるべし(もしそれその軍機の詳細は多年の研究の結果これを熟知するも事機密に属するをもってここにこれを略す)。
この時に当りて等閑機を失わば、実にこれ千秋の患を遺すものと問わざるべからず。
今や露国は実に我と拮抗し得べき成算あるに非ず。
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彼れ地歩を満州に占むれば、次に朝鮮に臨むこと火をみるが如く朝鮮すでにその勢力に服すれば、次に臨まんとする所問わずして明らかなり。
ゆえに曰く。今日満州問題を解決せざれば朝鮮空しかるべく、朝鮮空しければ日本の防禦は得て望むべからず。我邦上下人士が今日において自らその地位を自覚し、姑息の策を捨てて根底的に満州問題を解決せざるべからざる所以まさにここに存す。
今や我邦なお成算あり。これ実に天の時を得たるものなり。しこうして、彼れなおいまだ確固たる根拠を極東に完成せず。
地の利全く我にあり。しこうして、四千有余万の同胞は皆密に露国の行為を憎む。これ豈人の和を得たるものに非ずや。
しかるに、この際決する所なくんば、これ天の時を失い地の利を棄て人の和に背くものにして、地下祖宗の遺稟を危うくし、万世子孫の幸福を喪うものといわざるを得ず。
あるいは曰く。外交の事は慎重を要す。英米の態度これを研究せざるべからず。独仏の意向これを探知せざるべからずと。
まことにその如し。しかれども諸国の態度は大体においてすでに明らかなり。独仏の我に左袒せざるは明亮にして、また露国のためにその戦列に加わわざるもまた瞭然たり。
なんとなれば日英同盟の結果として、露国とともに日本を敵とすることは同時に英国を敵とする決心を要するものにして、彼らは満州のためにこの決心をなさざるべければなり。
米国の如きはその目的満州の開放にあり。満州にして開放せらるればその地主権者の清国たると露国たるとを問わず単に通商上の利益を失わざるをもって足れりとす。ゆえに極東の安全清国の保全を目的とせる外交においてこの国を最後の侶伴となさんと欲するは自らの行動の自由を束縛するものに外ならず。ゆえに米国の決心を待ちて強硬の態度をとらんと欲するは適切の手段に非ず。
これを要するに、吾人はゆえなくして漫りに開戦を主張するものには非ず。また吾人の言議の的中して後世より預言者たるの名誉を得るはかえって国家のために嘆ずべしとするものなり。
噫、我邦人は千載の好機の失うべからざることを注意せざるべからず。
姑息の策に甘んじて曠日彌久するの弊は結局自屈の運命をまつものに外ならず。ゆえに曰く。今日の時機において最後の決心をもってこの大問題を解決せよと。

長すぎるので途中割愛しましたが、(関心のある方は冒頭の引用先に入って全文お読みください)これが学者の論文と言えるものでしょうか?
単なる政治アジテート・檄文にすぎません。
南原繁氏の論文・ナチスや日本の全体主義批判を内務省がチェックしたものの純粋な論文であって、政治アジテート性がないので発禁処分等の問題にしなかったことを紹介したことがありますが、その時も書きましたがひどく難解な論文です。
この部分をもう一度引用しておきましょう。
https://kotobank.jp/word/国家と宗教-65224

「国家と宗教」南原繁著。 1942年刊。「ヨーロッパ精神史の研究」という副題がついているとおり,ギリシア思想から始って危機神学にいたるまでのヨーロッパの思想や理念を論じたものであって,きわめて高い学問的価値をもつものとされている。だが本書の意義はいま一つ別のところにある。これは実は国家神道を背景とした当時の祭政一致思想や超国家主義に対して抗議し,対決しようとしたものである。これが発売禁止とならなかったのは,アカデミックな著作であったためといわれている。

戦前どころか戦時中にナチスや日本の全体主義批判を公にしても、純粋な学問の自由は十分尊重されていたことがわかります。

メデイアと学者の煽り2(日露戦争1)

3月27日まで見てきたように、日本で史上言論弾圧事件と言われている大部分(ほぼ100%)は少なくとも野党やメデイアの集中砲火で政権が辞職に追い込まれ、その結果天皇機関説を教えること自体が犯罪になってしまい、その後は野党が処罰しろと騒がなくとも治安当局が検挙するようになっていたのですから、それを政府による「弾圧」というのは自己矛盾的主張ではないでしょうか?
戦前は軍部・右翼が怖くてメデイアは迎合するしかなかったという言い訳もありそうですが、日露講和条約反対の日比谷焼打事件の例を書きましたが、軍部が怖くて迎合するしかなかったというのは言い訳に過ぎません。
むしろ軍部内の跳ねっ返り・ 「勇ましいことを言えば格好いい」という程度の浅薄な軍部内少数意見をメデイや野党が引き受けてあたかも正しいかのように世論を煽っては軍部内の慎重穏健派を蹴落としていく役割を果たしてきた・存在を示してきたと見るべきでしょう。
メデイア界の主張を通すための箔づけに最近では国連調査官報告や憲法学者連盟声明を利用しているように、当時は「帝大学者意見書」を発表しては、世論誘導に励んでいた点では今のやり方の先駆けパターンです。
以下日露戦争前後における「エセ学問見解」?やメデイアの動きと客観事実を紹介しますが、無責任報道が昔から「学問の自由」「報道の自由」を錦の御旗にしていかに蔓延っていたかが分かります。
24日「政党の終焉」で見たように軍部よりも政友会総裁の方が軍部を煽る過激主張していました。
日本国内報道過熱が先行して中韓の反日運動が過熱したのと同じ構図で、外野の軍部を利用しすぎたのです。
日露戦争開戦と講和時におけるメデイアによる跳ね返り学者利用による民衆に対する煽りの激しさは、以下に紹介する通り半端ではありません。
日露開戦の是非や講和の損得などの機微について前提事実を詳しく知らない庶民や右翼が、焼き討ちするまで盛りあがるには、盛り上がるにたる一方的な(国民を煽る)情報を流布して反政府運動を盛り上げるメデイアやエセ学問的意見や政治家の後押しがあったからです。
日露講和条約の理解には客観情勢の理解が必須ですし、この読者にとっては多くの方がある程度知っていると思いますが、キッチりした時系列を確認しながらお読みいただく方が良いので煩雑で長くなりますが、何回かに分けて引用して行きます。
今日から先ず客観的時系列解説記事を紹介し、それを前提として当時学者の言う「学問の自由」とは何であったか・学問研究と関係のない政治意見・アジテートを「学問の自由」と主張したことで、かえって学問の重要性を貶める効果を果たしていったのではないかの視点で7博士の意見とその評価を紹介します。
ポーツマス条約に関するウイキペデイアによれば、日露戦争と日露講和条約の概要(長くなるので一部引用)は以下の通りです。

1905年3月、日本軍はロシア軍を破って奉天(現在の瀋陽)を占領したものの、継戦能力はすでに限界を超え、特に長期間の専門的教育を必要とする上に、常に部隊の先頭に欠かせない尉官クラスの士官の損害が甚大で払底しつつある他、武器・弾薬の調達の目途も立たなくなっていた。一方のロシアでは同年1月の血の日曜日事件などにみられる国内情勢の混乱とロシア第一革命の広がり、さらにロシア軍の相次ぐ敗北とそれに伴う弱体化、日本の強大化に対する列強の怖れなどもあって、日露講和を求める国際世論が強まっていた[1]。
1905年5月27日から28日にかけての日本海海戦での完全勝利は、日本にとって講和への絶好の機会となった。
5月31日、小村寿太郎外務大臣は、高平小五郎駐米公使[注釈 1]にあてて訓電を発し、中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に「直接かつ全然一己の発意により」日露両国間の講和を斡旋するよう求め、命を受けた高平は翌日「中立の友誼的斡旋」を大統領に申し入れた[2]。
ルーズベルト大統領は日露開戦の当初から、アメリカは日本を支持するとロシアに警告し、「日本はアメリカのために戦っている」と公言しており、また全米ユダヤ人協会会長で銀行家のヤコブ・シフと鉄道王のエドワード・ハリマンが先頭に立って日本の国債を買い支えるなど、アメリカは満洲、蒙古、シベリア、沿海州、朝鮮への権益介入のために日本を支援していた[3]。
中国の門戸開放を願うアメリカとしては、日本とロシアのいずれかが圧倒的な勝利を収めて満州を独占することは避けなければならなかったのであり、このアメリカの立場と、国内の革命運動抑圧のため戦争終結を望むロシア、戦力の限界点を超えて勝利を確実にしたい日本のそれぞれの希望が一致したのである
・・1905年6月9日、日露両国に対し、講和交渉の開催を正式に提案した。この提案を受諾したのは、日本が提案のあった翌日の6月10日、ロシアが6月12日であった[2]。なお、ルーズベルトは交渉を有利に進めるために日本は樺太(サハリン)に軍を派遣して同地を占領すべきだと意見を示唆している[2][注釈 3]。
・・・・ウィッテは、ポーツマス到着以来まるで戦勝国の代表のように振る舞い、ロシアは必ずしも講和を欲しておらず、いつでも戦争をつづける準備があるという姿勢をくずさなかった
すべての戦力においてロシアより劣勢であった日本は、開戦当初より、戦争の期間を約1年に想定し、先制攻撃をおこなって戦況が優勢なうちに講和に持ち込もうとしていた[12]。開戦後、日本軍が連戦連勝をつづけてきたのはむしろ奇跡的ともいえたが、3月の奉天会戦の勝利以後は武器・弾薬の補給も途絶えた。
そのため、日本軍は決してロシア軍に対し決戦を挑むことなく、ひたすら講和の機会をうかがった[注釈 5]。5月末の日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃滅したことは、その絶好の機会だったのである[12]。
すでに日本はこの戦争に約180万の将兵を動員し、死傷者は約20万人、戦費は約20億円に達していた。満州軍総参謀長の児玉源太郎は、1年間の戦争継続を想定した場合、さらに25万人の兵と15億円の戦費を要するとして、続行は不可能と結論づけていた[12]。とくに専門的教育に年月を要する下級将校クラスが勇敢に前線を率いて戦死した結果、既にその補充は容易でなくなっていた[11]。一方、ロシアは、海軍は失ったもののシベリア鉄道を利用して陸軍を増強することが可能であり、新たに増援部隊が加わって、日本軍を圧倒する兵力を集めつつあった
首席特命全権大使に選ばれた小村は、こうした複雑な事情をすべて知悉したうえで会議に臨んだ。
児玉源太郎は、日本が講和条件として掲げた対露要求12条のなかに賠償金の一条があることを知り、「桂の馬鹿が償金をとる気になっている」と語ったという[16]。日露開戦前に小村外相に「七博士意見書」を提出した七博士の代表格として知られる戸水寛人は、講和の最低条件として「償金30億円、樺太・カムチャッカ半島・沿海州全部の割譲」を主張し、新聞もまた戸水博士の主張を挙げるなどして国民の期待感を煽り、国民もまた戦勝気分に浮かれていた。

上記のとおり講和条約反対の日比谷焼き討ち事件はメデイアの期待に応える無知(実態無視)な学者のアジテート・扇動によって始まったものです。

戦争と国力疲弊5(倭冦1)

4月4日に書いていた英仏7年戦争の話題に戻ります。
フランスはインドや北米の植民地を失った外にオーストリアへの援軍等で財政疲弊したので、フランス革命に繋がって行きます。
ドイツ30年戦争から始まってドイツ地域を舞台にした戦争の繰り返しで最も疲弊したことになる筈のプロシャやオーストリアが破綻しないで、遠くから応援していただけのイギリス(アメリカ独立革命)やフランスで大革命が起きたのは皮肉です。
古来からの経験から言えることは、遠征は割に合わないということでしょう。
秀吉の朝鮮征伐で戦場になった李氏朝鮮が倒れないで遠くから出張して来た明朝や豊臣政権が倒れたのは偶然ではありません。
アメリカのベトナム戦争など出張(遠征)した方が戦場になった国よりは(ベトナムは倒れませんでした)国力疲弊する率が高いことが分ります。
蒙古襲来時の鎌倉北条政権も内実は九州までの出張戦争だったから倒れたのであって、戦場になって大損害を受けた筈の対馬や九州地元諸豪族はいよいよ盛んになり、南北朝時代や応仁の乱を経て戦国大名に成長して行きます。
蒙古襲来に対する高麗や旧南宋地域への報復攻撃を計画した北条政権がこれを実行出来ずに中止してしまったことで、報復感情の収まらない九州地域の体力の余っている荒くれによるゲリラ的感情から始まった?倭冦とその末裔が蒙古軍の主力であった朝鮮半島と大陸(旧南宋)沿岸を荒し回ることになりました。
時の経過で報復感情とは関係がなくなってもこの繰り返しで手に入れた航海術を活かして山田長政のような元気印の日本人が東南アジアに雄飛して行く基礎となっていきます。
ちょうど西洋の大航海時代が日本でも偶然同時時期に始まっていたことになります。
数百年に及ぶ倭冦の航海と交戦経験が、明治以降短期間に海運業の発達や世界に冠たる海軍国に発展する基礎になって行きます。
日本自衛隊が現在でも中国に比べて海軍力では比較にならないほどの実力を有していると言われるのは、この歴史によります。
蒙古襲来時に元と高麗の連合軍が山が丸裸になるほどの努力で作った軍船が2回も壊滅的打撃を受けるなどのトラウマから、朝鮮半島及び中国大陸では歴代王朝が新造船意欲海軍力による領域拡張意欲をなくします。
以後自分で八幡船を追いかける能力がなく、神出鬼没的に突然襲撃して来る倭冦の劫略に打つ手がなくなり、上陸侵略されるとその都度追い払う程度しか出来ませんでした。
元の次の明朝も日本に善処を求める「お願い」程度しか出来なくなり・・結果的に明朝自体が倒れてしまいました。
蒙古襲来以来、大陸と朝鮮では大敗のトラウマから日本との海戦を避けるようになったことから、(鄭和の大船団はアラブ人によるものと言われています)操船経験が乏しいまま現在に至っています。
清朝末期には「定遠」など世界最新鋭の軍艦を購入して日本を威嚇していましたが、イザ黄海(威海衛)で戦端を開くと日本の精緻な操船技術の前になす術もなく圧倒的な軍艦を用していた北洋艦隊は壊滅的被害を受けてしまいました。
日清戦争は(清朝の方が最新鋭軍艦を擁していたのですから、)海軍操船技術差によって勝敗が決まったのです。
日露戦争での日本海海戦で東郷元帥がバルチック艦隊を壊滅的大敗に追い込んだのも、艦船装備力の差によるのではなく・(装備では日本海軍が対抗できる状態ではありませんでした)急激な戦闘態勢の命令に一糸乱れずに対応できる磨き抜かれた操船技術によるところだったことは誰も疑わないでしょう。
東郷元帥の果断な決断だけが賞讃されますが、これを実践できる操船技術や大砲等の射撃術等の優れた技術の裏付けがあってのことでした。
今も中国は装備だけ見れば航空母艦まがいを漸く持てるようになって喜んでいますが、多数船舶の連携でなりたっている現在の精密な操船技術力が未熟なままですから、とても日本と互角に戦えないと言われているのはこうした歴史によります。
戦場になった地域よりは遠征した方に負担が大きいというテーマに戻ります。
ロシアによるクリミア編入でも、現地クリミア住民には大したコスト負担がなく、クリミアを手に入れたロシアの方が、巨大な軍事力移動その他の事務負担や援助で莫大な財政負担が生じています。
ウクライナ本体を西側に引き寄せた筈の西欧も、その分巨額財政支援の必要性に追い込まれています。
中国がイキナリ海洋大国になると宣言しても、それだけでは歴史がないので簡単には行きません。

経済植民地化1

韓国企業と言っても内実は大株主である欧米の一部(言わば属国化)みたいなことになっているので、日韓の争いには欧米は韓国企業の肩を持ってくれるので有利になっています。
古くは平将門の乱に始まり、源平の昔から中央の権門に属している方が地元の小競り合いに有利です。
欧米にとって韓国は植民地になっている地域みたいなものですから、欧米の縄張り内に入った韓国に対する欧米の味方が増えるメリットがあります。
韓国内企業の多くが外資中心になると、欧米との交流には有利になる(これが貿易黒字が急激に増えたり、サッカー大会で日本開催に決まって韓国がねじ込むと何故か共催になったりする理由)でしょうが、国民の立場から見れば逆です。
植民地支配の道案内になって支配国に取り入った地元豪族だけが羽振りが良くなって、その他多くの侵略に抵抗した豪族が滅ぼされ、没落します。
取り入って生き残った豪族が宗主国に人脈を持っていることや、宗主国の素晴らしさを自慢して吹聴しているようなものです。
植民地の傀儡政権同様に外資支配の韓国企業では、国民のための企業活動よりは外資の気に入るようにすることが優先順位になります。
国民の立場から見れば、折角雇用が増えても非正規雇用その他不安定雇用を中心にしていて搾取されっぱなしで、悲惨この上ない状態になりつつあります。
国民を大事にする国では雇用が増えるのは国民にとってメリットですから、雇用のが増えるのは目出たいことだと日本人みんなが考えています。
異民族支配・・搾取を前提とする国では、老若男女・病人かを問わずに一人でも多く労働に駆り出して搾取対象が増えることが支配者にとってメリットになり、対する国民は如何に奴隷労働から逃れるか(・・昔中国等では人頭税を免れるために苦労した歴史再現です)こそがメリットです。
欧米も含めて多くの国では出来れば早く隠退したい人が多いのに対して、日本では働ける間はいくつになっても働きたいという国民が多いのはこの違いです。
国民の生活を守るための雇用創出が目的の我が国とは違い、韓国では一人でも多くの人に働かせて企業が利益を獲得する目的にありますから、雇用が増える意味が奴隷労働に駆り出す対象を増やすことにあると言えます。
欧米資本への利益還流を重視する韓国企業と政府は国民を如何に安く使うかに関心があるので、何の保障もない非正規雇用中心・・働けなくなった老人は食って行けずに自殺する社会になっています。
韓国国民の債務比率がもの凄く高いことが困窮度の象徴ですが、国民の多くが(76%)国外脱出を望んでいる現状、世界中で韓国人売春婦がはびこって世界中の迷惑になっている状態ほど、国民の悲惨さを物語っていることはありません。
韓国や中国で貿易黒字が大きいのは、利益を国民に還元しないから黒字になるし、(GDPに対する消費の占める比率が中国等でもの凄く低い・・国民還元率が低いからその分黒字になっている)・・貿易赤字国は言わば国民還元率の大きい国と言えます。
例えば円安でも定価据え置きの場合、利益率が上がるが数量増加しない・・貿易黒字は増えない・赤字はへらないと3月25日ころに書きました。
日本は円安によって数量拡大・・薄利多売→国民に低賃金で多く働かせるよりは、円安分の利益を得て国内にこれを還流する方が国民は豊かな生活出来ます。
豊かな生活→輸入が増えて貿易赤字化が進みます。
韓国や中国では国民に利益を還元しないので黒字が溜まるのですが、国民の多くが苦し紛れに売春に出掛けたり世界中に泥棒に出掛けたりして恥を世界中に曝しています。
欧米の方へ姿勢が向いている韓国政府や企業を国民が信じていないことが、逆に慰安婦問題等をでっち上げて国民の不満をそらすために大騒ぎせざるを得なくしていると思われます。

戦争と国力疲弊4(ギャング同士の戦い)

近代の戦争は民族意識を基底にした市場争奪戦争である以上は、新たに獲得すべき手つかずの地域・市場がなくなれば、大国同士(ギャング同士)の覇権争い(相手の縄張り侵蝕戦争)になり、侵蝕を防ぐための市場ブロック化(ヤクザで言えば縄張りが重要)競争になって行ったのは必然でした。
近代産業未発達国を攻撃する戦争はライオンが馬(ギャングが無防備な市民)を襲うようなもので、リスクの少ない・コストのかからない戦争でした。
列強(ヤクザ)同士の戦争になると比喩的に言えばライオンやギャング同士の戦いですから、国力・装備が均衡していることから(民族の総力を挙げて)お互い死力を尽くした戦争・・相互の受ける被害が尋常ではなくなります。
第一次、第二次世界大戦はこのパターンで、先進国(収奪国)双方に大被害をもたらし結果的に植民地からの収奪に頼る西欧列強が収益源を失い並のプレーヤーに転落してしまいました。
ナポレオン以前の西洋での王様同士の戦争も戦力的には似たもの同士の戦争でしたが、民族戦争=総力戦ではなく国王が勝手にやっている戦争だったので、国民全体が受ける被害は軽微でした。
民族国家になってからの強国同士の戦いでは背後の国民を痛めつけることが重要目的になりますから、双方に壊滅的被害が生じます。
この最たる結果が原爆投下です。
原爆は戦闘員だけではなく一般人大量殺戮を目的とした兵器ですから、アメリカは当時の締結していた非戦闘員を殺戮してはならないと言う戦時国際条約に明白に違反した行為をしたことは疑いようもありません。
アメリカはこれが怖くて、ありもしない南京虐殺や戦犯をでっち上げて日本を道義批判するしかないし、これをやめられないのです。
一般民衆目的の大量殺戮の応酬・・悲惨な結果を見て、これをやめようとするのが国連の安保常任理事国の拒否権ですし、これを実際に支えているのは核保有による相互殲滅リスク装置です。
核保有・有効な反撃力の保持こそが相手の武力行使を物理的に抑止する装置ですから、本当に世界平和・・武力行使をしない社会にするつもりならば、世界中(一定の管理の基で)どんな小国でも核保有させることであり、経済力のない国にはこれを配給してやることだという意見をこのコラムでは繰り返し書いてきました。
戦争の原因は原則として経済利害対立によるものであって、アメリカが対日戦争目的のデマを都合良く宣伝し刷り込んでいるような民主主義国対軍事国家との理念対決などでは戦争は起こりません。
アメリカと軍事独裁国家の間では、仲違いしたときに言いがかり的にイラク攻撃しただけで、それ以外には アメリカは戦後も韓国や東南アジアや中南米の多くの軍事政権を支持支援して来たことを、これまで何回も書いています。
日本とアメリカの戦いはヨーロッパ戦線での英独仏のギャング同士の戦いとは違い、植民地支配と人種差別反対の日本を人種差別国・ギャングの盟主アメリカがギャングの論理に逆らう日本を叩き潰すために嵌め込み引きずりこんだ戦争です。
アメリカの対日戦争プログラムは、日本人の正義感に従って人種差別をやめようと日本が国連で主張したことが、米英の逆鱗に触れて対日戦争プログラムが始まっていることを「価値観外交に頼る危険性7(人種差別撤廃案1)」January 30, 2014以下で紹介しました。
米英の怒りに基づいて日本を戦争に仕向ける罠が、いわゆるABCD包囲網・・市場ブロック化でした。
今のイラン禁輸網と同じです。
これが表面的な第二次世界大戦の元凶であったことが歴史上明らかでしたから、二度とこう言う大規模な戦争にならないように、戦後は市場開放を進めることが国際原理・共通認識になっています。
戦後始まったガットやその発展形態であるWTO、ウルグアイラウンド以降の行き詰まり打開のために個別国同士の関税協定として発達したFTA、そしてこれを集団化した今のTPP交渉等は全て世界大戦の原因になったブロック化阻止の流れにあったことを忘れてはなりません。
ただしアメリカは日本に対して行なったABC包囲ラインの現在版として北朝鮮やイランに対する禁輸等経済制裁を行なっていますし、今回のクリミア編入に対する対ロシア経済制裁発動も同工異曲です。

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