憲法違反の疑いと国会の権能2

集団自衛権可能になった場合、応援部隊の貢献に対する相手の感謝によって日本有事の際の応援が期待されるのですから、応援に行った以上は命がけでガンバるしかないし、それが自衛の一貫であることは間違いがないでしょう。
相互支援関係とはそう言うものです。
自衛官が生命の危険が増すから、集団自衛権はいやだと言う議論をしているとしたら噴飯ものです。
内容の議論に関しても、(国際孤立を目的とする勢力は別として孤立を防ぐためには、)国際社会でマトモな付き合いをするためには、国際常識によって、どこまで協力するかを決めて行く(・・国内の独りよがりの議論で終わらない)ことが重要であることが分ります。
その具体化は相互防衛条約の機密に属することであって、18日に書いたようにどう言う場合どこまでやるかを国会で予め決める国は皆無ではないでしょうか?
生命の危険が高まると言う主張に合わせて「戦争する国にする」のかと言う主張もされていますが、集団自衛権の枠組みが出来たら何故戦争する国になるのかの説明がありません。
集団自衛権が必要と言う勢力は、孤立していると攻撃されるリスクが高まるから、集団で守りあいましょう・味方を増やしましょうと言うのですから、味方が増えると何故戦争する国になるのか、・・・例えば、暗闇を一人で歩かずにグループで歩くと巻き込まれるから一人の方が良いと言う意見みたいですが、この点で前提が違っています。
結局は日米安保を廃棄して孤立した非武装平和論が現実的か否かの基礎的論争に収斂されて行きます。
尖閣諸島や小笠原海域に不法漁船が押し寄せて来るのは、日本政府に責任があるからだと言うのが彼らの主張になるのでしょう。
この辺の意見相違はいくら議論しても平行線ですから、選挙で決着を着けるしかありません。
本来の意見相違を正面に出して国民の審判を仰ぐのが正当名方法ですが、これを隠して憲法論を言い立てて審議に応じなかったり、その外には自衛官の危険が高まると言う意見・・集団自衛制度が必要かどうかの議論からズレています。
国民・・私も含めて論点が具体的によく分らないのです、(18日に書いたように元々法案段階で具体的応用パターンまで分らなくていいことが原則であると書いたとおりですが、それをおいてもと、言うことです)が、野党が具体論になると論戦に負けるので?憲法違反論にかまけて細かく質疑して明らかにして行くべき責務を放棄しているからではないでしょうか?
政治家は法案自体の問題点と集団自衛権を認めて行くと国益上どうなるのかを冷静に分析して、そのメリット、デメリットを選挙民に具体的に説明すべきです。
与野党で集団自衛権そのものの必要性に付いて意見の合致があれば、次に進むべきでしょうが、ここで意見が分かれるならばその点を争点にして国民意見を聞くべきです。
国会討論を聞いていないので、イメージ的にしか理解出来ていませんが、ソモソモ民主党や共産党は合憲か否かにかかわらず集団自衛権制度創設自体に反対・・「戦争出来る国にするな!等の主張から見ると、集団自衛権は必要がないと言うような印象ですが、そうではないのでしょうか?
憲法の枠内ならば賛成・・必要性をも認めるのでしょうか?
ソモソモ中国を対象にした集団自衛権は中国を刺激するので、あるいは中国が反対しているから反対と言うならば、それをはっきりさせないで憲法違反ばかり言うのは論点のすり替えです。
国民が理解し難いのは重要な論点のすり替えがあるからではないでしょうか?
以下は日経電子版の引用です。

安保法案審議116時間、議論深まらず 違憲論争引きずる
2015/7/16 1:22日本経済新聞 電子版
 15日に衆院特別委員会で可決した安全保障関連法案の審議は約116時間に達し、これまでのところ、2005年の郵政民営化関連法に次いで歴代6番目に長い。もっとも、集団的自衛権の行使を認める内容が合憲なのか、違憲なのかをめぐる「入り口論」にかなりの時間を費やした。議論が深まったとはいいきれない。

以上のように憲法違反の入り口論に終始していて、審議時間が少ないと言って強行裁決を批判していますが、上記報道が正しければ審議時間が少ないと言う権利は政府側にあることであって野党が言う権利はありません。
集団自衛権制度創設必要性の有無、必要とした場合でも憲法改正しない範囲を望むか否か、必要性を認めるが憲法改正まで求めないとかいろんなパターンがあるでしょう。
いろんな段階に整理して提示すれば、国民はどの時点まで賛成するかはっきりします。
これをごっちゃにして憲法違反反対・平和を守れと言うスローガンでは訳が分り難いのは当然です。

憲法違反の疑いと国会の権能1

法案に憲法違反の疑いがあれば、その意見を言い、議論するのは良いことですが、違憲か否かを決めるのは国会の権能ではありません。
権限のないことに付いては、懸念を示し意見交換する程度であって、それ以上に深入りしてこれに時間を取って、法案の内容審議に入らないのは国会の権限外の分野に踏み込むものであって、程度が過ぎれば憲法違反行為であるばかりか本来の職責怠慢になります。
ある法案が違憲かどうかは、法律が出来てから司法権が最終的に決めることであって、憲法論の意見が違うからその先の議論に応じないと言うのでは、違憲の主張さえすればどんな法案も永久に議決出来なくなるので、国会議決権や立法権を否定することになります。
違憲論がある限り(・・国会の権能ではないので合憲か否かの決議で区切りを付けて次の議題に入ることが出来ません)法案審議しないと言う主張・行動は、一人でも違憲だと主張している限り永久に審議拒否出来る・・国会の立法機能否定論と同じですから、憲法違反にこだわる方が、憲法違反の主張・行動になります。
憲法違反の疑いと言う空中戦に終始して、法案内容の議論をマトモにしないで採決に応じないのでは、憲法の決めている国会の立法機能・職責を怠る憲法違反の論法です。
実は憲法論ばかりにこだわっているのは、個々の代議士の国民に対する説明義務としても職務違反しています。
国会は憲法違反かどうかを決める権限がない=国会の権限内の行為をする代議士にもこれを議論する職責がないのですから、選挙民に対して憲法違反だと言うことばかり説明・主張していて、自己の本来の職務である法案内容の趣旨説明・・国民生活のどこに関係があるかの説明を怠るのは代議士としての職務怠慢行為です。
弁護士が事件の法的説明を怠り依頼者に対して、裁判官や相手方弁護士のわる口ばかり言っているようなものです。
国会討論を逐一聞いていないので、マスコミ報道のイメージしか分りませんが、野党が国会ではそんなことを言ってないし、していないのかも知れませんが、・・場外であれば何を言ってもやっても良いと言うのではなく、国会議員の職責の範囲内・職責を尽くすように場外運動すべきです。
弁護士が法廷では紳士的にやっているが、場外で法的説明を地道にしないで(あの裁判官は偏っているとか)当事者の感情的行動を煽っているのと似たような関係になります。
成熟した社会の議論としては、先ず集団自衛権が必要な国際状況か否か、相互条約にするとどう言う損得があるかなどの議論が先にあって、次にどう言う内容の集団自衛権制度(・・規定の仕方によって、いろんなバラエティがあり得ます)ならば、どうなるかの具体論でしょう。
集団自衛権に関する国際状況に関しては昨年夏の閣議決定直後に韓国は、韓国の同意がない限り認められないと言う不思議な内政干渉的正式表明していますし、対中国案件ですから、当然中国は反対していますが、その他の利害のあるアジア諸国は歓迎一色です。
集団自衛権必要性に関しては相手のあることであって、国内だけで解決出来る問題ではないので、国際情勢の客観的把握次第であるとすれば、上記のとおり、すで勝負がついています。
中韓のご機嫌を損ねるとアジアで孤立すると言う従来型の左翼・文化人主張を誰も信じなくなっているので今やそんな主張が出来なくなって困っているのではないでしょうか?
そうなると国内的・国民にどう言う影響があるかの点が重要になりますが、この点の質疑・議論がほとんど聞こえてきません。
具体論として聞こえて来るのは、友好国の応援のために武力行使権が認められると、自衛官の生命に危険が高まるとの主張がありますが・・・。
周辺国との緊張が高まれば、生命の危険が高まるのは当たり前・・イザというときのために自衛官がいるのです。
そもそも危険になったからと言って尖閣諸島海域への出動をいやがるような自衛官では意味がありません。
新聞だったか週刊朝日だったかに元自衛官か現職か知りませんが「危険が高まるのはいや」と言う意見らしいものを載せているのを見たような記憶ですが、非常識さに驚く人の方が多いのではないでしょうか?
日本を守るために同盟国へ応援に行く場合も自衛の一環ですから、理屈は同じです。
たとえば、海賊対策等でよその国の船を助けるために発砲出来るようになると海賊も反撃するでしょうから、発砲しないでみているだけの派兵に比べれば危険が増すのを覚悟するしかないでしょう。
警官が自分の命を守るために発砲するのは良いが、市民を守るために発砲するのは危険だからいやと言っているようなもので、こんな意見が国際的に通用する議論でしょうか?

解釈改憲3(憲法秩序の事実上改変)

日本で「解釈改憲」「事実上の改変」がずっと続いて来たのは、長期間憲法改正手続法すら制定出来なかった・・アメリカの圧力で事実上国民主権の行使が制約されている状況下が続いていたことから、生まれた民族の智恵です。
言わば、無理な関税撤廃・不平等条約が要求されると非関税障壁で国内産業保護をして来たのと同じです。
国民主権の実質が宗主国?アメリカの圧力で事実上行使出来ない・・結果的に真の独立が出来ないようにされたままになっている・・これを法令上担保して来たのが国民投票手続法制定反対運動でした。
国民投票法が出来ないままの状況下が65年間も続いた結果、解釈改憲・・あるいは内閣の自主規制の変更で民意を表して行くのが、民族を守るために必須の手段だったのです。
アメリカも再軍備が必要になったときに憲法を丸ごと変えてしまうのを許すと、支配力の歯止めがなくなるので、アメリカにとって必要な限度で事案ごとに事実上の改憲・骨抜きを許して来たのが戦後政治でした。
これを合法化するために砂川事件のときだったか?国家の根幹に関わる高度な統治行為に関しては、最高裁判所が違憲判断出来ない「統治行為理論」と言うものがイキナリ出て来ました。
アメリカで生み出された学説だと言う触れ込み(学生か受験勉強時代の記憶ですのではっきりしません)でしたが、実際にアメリカで統治行為理論によって、違憲判断を回避した事件があったのかどうか私は知りません。
日本の非武装憲法をそっくり改正すると、どこまでニッボンが再軍備するか知れないので、改正まではさせたくないが、実際にはアメリカが認める限度の軍備を持たせたいと言うアメリカの都合に合わせてイキナリ出て来たご都合理論だったのではないでしょうか?
この結果、違憲立法審査権が骨抜きになり、アメリカのお墨付きがある限り、憲法の縛りを潜脱することが制度的に可能になって来ました。
このやり方だと戦後秩序そのものに対する挑戦・・改変運動のときにはアメリカは反対派を応援し、アメリカに必要な変更の場合・・安保条約締結などは変更勢力を応援するなど変幻自在の便利さがあります。
今になって集団自衛の違憲性が問題になっていますが、そもそも安保条約を結ぶことが許容されて来た経緯から見るとおかしなものです。
日本の基地を利用してアメリカ軍は、朝鮮半島の戦線やベトナム等へ出撃していました。
集団自衛権を行使すると、戦争に巻き込まれると言いますが、基地からの出撃を自由にしている方が、敵からの攻撃目標にされても文句言えない関係です。
横田基地などは東京の人口密集地近くですが、ここを攻撃された場合の被害の大きさに関して何の文句も言わなかったのに不思議です。
沖縄に限らず東京の横田基地が攻撃されても、日本はこれを防衛出来なかったのか?と言う疑問が起きてきます。
安保条約で基地提供したときから、基地防衛は相互関係にあったのではないでしょうか?
今になって何故、緊急時に助け合う集団自衛権協定を結ぶのが危険だと良い、違憲だと言うのか不思議です。
国内の米軍基地への攻撃ならば応援しても良いが、海外でも協力するとなると大きな違いがあると一般に思われているようです。
仮に国内米軍基地が攻撃されても応援しくても良い協定になっているとしても、「戦争に巻き込まれる危険」基準ならば、朝鮮戦争で日本本土から米軍が出撃した場合に出撃基地が逆襲される危険の方が大きかったのです。
当時アメリカはダントツに強かったので、日本国内の米軍基地まで空襲をうけることは想定外だったからと言うのでしょうか?
でも、数十年前から、ソ連や中国が、長距離弾道弾を持つようになっているので、アメリカも弾道弾での攻撃を防ぐことは出来なくなっているのですから、世界最強だから基地を貸しても大丈夫とは言えなくなっています。
戦争に巻き込まれる危険リスクから言えば、国内基地が攻撃を受ける場合に基地周辺日本人の受けるリスクの方が、海外艦船防衛に比べて桁違いに大きいことは確かです。
北朝鮮が都内横田基地を狙ってミサイル攻撃した場合、ニッポンが米軍に応援するか否かに関わらず周辺民家が大被害を受けます。
北朝鮮にとっては、命中しないで新宿のあたりに落ちても、それはそれで大きな効果があるでしょう。
政府は政府で、集団自衛権に関して日本近海だけ・・イラク等遠方では行使しないと説明していますが、戦争に巻き込まれる心配から言えば逆でしょう。
はるか遠くのイラクアやアフリカに行った船が巻き込まれるリスクに関しては、ソマリア沖等航行中の船の警備さえすれば何とかなりますが、横田基地をミサイル攻撃される場合を考えると米軍基地防衛を応援しないで、周辺だけ守るのは、不可能です。
追記
※ タマタマ10月9日の朝刊1面には政府が米軍と地域限定しない協力協定を見直すと言う中間報告が出ていました。
私の上記意見によれば、当然のことです。
以上によれば、集団自衛権と言っても国内に準ずる艦船や飛行機その他状況限定ならば、基地共同防衛と大差ないようにも見えます。
もしかしたら50歩100歩の違いで大騒ぎしているように見えますが、専門家から見れば大違いなのでしょうか?
無茶な上司の命令が部下のやる気を殺いでしまい、結果的にうまく行かないように、非民主国家(憲法改正が事実上禁止されている)における無茶な制度設計や命令に対して、解釈改憲は、被支配民族に残された有力な不服従・抵抗手段と言うべきでしょう。
これを違法だと形式論で批判するのは、植民地宗主国・正当性のない支配者の代弁者そのものと言うべきです。

解釈改憲2(憲法秩序の事実上改変)

憲法改正手続法の制定が事実上禁止されている状態の実際的効果については、憲法に選挙権を書いていても選挙法の制定をしない限り、選挙権が絵に描いた餅に過ぎないことを2014/09/13/「国民主権と護憲論の矛盾2」に書きました。
日本は1945年ポツダム宣言受諾に伴う武装解除以降・・武装解除の延長となる「陸海空軍その他の戦力はこれ保持しない」と言う憲法を強制されて、その憲法改正手続法がないまま、平成22(2010)年まで約65年以上もやってきたのです。

憲法

9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この間、改正手続法がない以上は、権利実現の方法がない・・法律上自前の憲法を法的に持つことが出来ない状態におかれて来たことになります。
自前の軍隊の保有も憲法制定権も否定されているのでは、・・法的には植民地にされていたようなものです。
憲法改正手続法が出来ても、なおアメリカの影響力があってイキナリ戦後秩序をそっくりひっくり返すような憲法が改正出来る訳ないので、実質的に自由に改正出来るようになるには、なお30年前後の期間がかかるのでしょう。
この間、自立出来ないように自衛力が弱小のままに抑えられて来た・・事実上アメリカの植民地的支配下におかれていたことから、イザとなれば友好国(宗主国アメリカ)に応援を頼むしかない状態におかれて来ました。
そうとすれば、「イザと言うとき日本も応援します」と言う相互防衛条約を友好国(アメリカ)と事前に締結しておく必要があります。
友人関係も同様で、自分の都合のときだけ付き合ってくれと言って、相手の都合に付き合わないのでは、友人関係が壊れてしまいます。
まして映画を見に行ったり食事のお誘い程度の交際ではなく、軍事協力する方は自国民の生命を危険に曝す以上は、事前に相互関係を築いておくことは必須です。
古来から、独立国家間で相互性のない軍事同盟は皆無と言っても良いほどです。
(日本がアメリカに完全従属・事実上の植民地支配を受けていたこととアメリカ軍が強大であったから、片務契約が例外的に成立していたことを以前から書いてきました)
個人間でも一方的に世話になるばかりでは対等な関係とは言えません。
この後で主権と相互関係のテーマで書いて行きますが、主権を維持する以上は、片務関係ではなく相互関係が原則です。
アメリカの経済・アメリカ軍が弱体化して、他方日本の主権回復が進んで片務契約から、相互条約に変えて行く必要が迫ってからでも、具体化するにはいろんな擦り合わせに時間がかかります。
敵が攻めて来るかもしれないときにこう言う条約を結んで良いかどうかを「憲法改正してから考えます」と言うのでは間に合いません。
解釈改憲ではなく憲法改正が必要と言う勢力が、憲法改正手続法の施行に反対・施行延期を主張していた勢力と一致しているのですから、矛盾した主張と言うべきです。
自国防衛に必要な軍備も半年や1年で準備出来ませんし、(戦闘機等の購入は、スーパーで日用品を買うような訳に行かないので、外国からの購入契約自体にかなりの期間が必要ですし、購入後の訓練期間・人員養成等を考えると間に合いませんから、5〜10年かけて憲法改正してから購入や製造をすれば良いと言うのでは間に合いません。
「非武装の憲法があるから議論自体許さない」・・あるいは「憲法改正してから危機に対応すべきだ」・・その間は思考停止して中韓の動きを傍観しているべきだと言うのでは、本末転倒した議論のような気がします。
議論は議論で予め充分に尽くしておくべきだし、いつ憲法が改正されても迅速対応出来るように予め装備品購入や友好国との共同訓練その他の準備を怠りなくしておくべきです。

平和論と憲法1

中韓の歴史認識を擁護する論者の多くが、護憲勢力・非武装平和論者とダブっていますので、アメリカ占領下で作られた異民族支配体制の恒久化・・日本独立を認めたくない勢力ではないでしょうか?
被占領下で異民族に隷属していた日本民族の姿が一番良かったと言う立場・・アメリカが出て行ってしまったならば、今度は中国または韓国どこでも良いが、どこかの被占領下・被支配下にあるのが望ましいとする勢力でしょうか。
アメリカが占領の置き土産にした歴史認識・・他国の言うとおり、歴史を教えろと言う立場・・自国民族を貶めて異民族に隷属する方が正しいと考える言論人やマスコミを置き土産に養成して行ったので、その遺産・アメリカの露骨な外圧のみならず内圧にも日本民族は苦しむしかありません。
日本が少しでも中韓独自の歴史認識に反論しようとすると、中韓両政府の「戦後体制に対する挑戦だ」と言う主張は、まさに左翼・文化人・マスコミの主張と同根ですし、そう主張すればアメリカが背後で後押ししてくれると言う期待があるからでしょう。
自国の独立・主権を否定し、アメリカの支配力が衰えればその代わりに中韓の主張に唯々諾々と従うべきだ・・そうしないと世界で孤立すると脅すのが、マスコミや文化人です。
中東で言えば英仏の勢力が衰退すれば、この機会に独立するよりは、今度はアメリカに従うべきと主張をしているような勢力です。
日本主権否定論が外国勢力だけではなく、同一民族内で強固な勢力を築いているのが日本の不幸ですし、世界各地での欧米の植民地支配の遺産が、旧植民地諸国だけはなく日本でも根強く根を張っていることが分ります。
中東でのテロ組織「イスラム国」による国境線変更の動きに対して、これを作った欧米が残虐なテロ組織だと非難するのは分りますが、民族宗派を分断し内部対立するように仕組んだ現在の国境線に苦しんでいる筈のアラブ諸国政府自体が、こぞってイスラム国に猛反発しているのは、我が国左翼文化人が護憲勢力・アメリカの作った戦後秩序維持派になっているのと根っこは同じです。
アメリカとしては、自分の強制した憲法が日本民族の利益にあわない(アメリカは日本の利益にならないように憲法を作ったのですからそう言う意見になるのは至極当然の成り行きです)と言う理由で改正されるのを、一日でも先に伸ばした方が良いので、護憲派がアメリカを後ろ盾にしている面では(日本が自衛力を持たない方が有利な)中韓の主張と同様です。
日本民族にとって何をすることが必要かを虚心に議論し、その上で、もしも現行憲法条文が時代に合わず国民にとって不都合と分れば、憲法を改廃出来ること自体が憲法に明記されていることを9月15日に紹介しました。
9月18日「非武装平和論とその帰結2」以来横にそれていましたが、平和論に戻ります。
憲法違反かどうかではなく、現実にどうしたら良いかの議論こそが先決的に重要ですから憲法に書いてあると言って、どうすべきかの議論自体を封殺するのは邪道です。
我々は学校で現実に存在しない教科書問題を解いているのではなく、現実に起きている社会現象をどうすれば良いかの議論が必要です。
尖閣諸島侵略の危機に直面している今の日本にとって大切なことは、先ずはどうしたら日本民族の尊厳・領土主権を維持出来るかが重要であって、その議論の結果なすべきことが決まった場合、その対策をとるのが現行憲法上許されないならば、憲法を変えるかどうかの議論が必要です。
議論の前に「祖国防衛は憲法上許されないから議論の必要がない」と言う意見は学校教材的な空理空論と言うべきです。
教養人と言うのは学校秀才が多いと以前から書いてきましたが、非武装論や集団自衛権アレルギー論はその実例と言えるかも知れません。
ちなみに、もしも憲法が実態にあっていないとなったときには、解釈改憲によって対応をするのは狡いと言う主張があります。
集団自衛権に関する政府見解・閣議決定の変更に対する反対論もこの一種です。

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