フラット化対応4(日本の場合2)

幕末に来た欧米人の報告にもあるように末端庶民まで読み書きが出来、好奇心が高い国民性・・、基礎的能力の高い国であり、しかもみんなの力で研究して仕上げて行く(擦り合わせ)社会であることが今になると有利になっています.
みんながチーム参加する社会にするには、最底辺も一定以上のレベルが必要です。
外国人研究者が日本に来てみると、都心の一流大学の学生も地方の新設大学の学生もそんなに研究能力差がないことに驚いています。
極論すれば、言わば65点と70点の間にコンマ以下での差でひしめいているだけのことではないかと言うレベルであって、2〜30点の仕事しか出来ない人は実は少ないのです。
日本では現場力が高いので、戦後農協の指導でアメリカ方式に規模拡大・粗放農業(個々人の技術劣化推進)を真似しましたが、今では農協など当てにしていない・・個々人の工夫努力でおいしい果物や野菜を作るなどして新しい農業のあり方を提案しています。
学位もない田中氏がノーベル賞受賞したことに世界は驚きましたが、地方大学→地方企業での青色発光ダイオード発明の中村氏もそうですが・・こう言う人材はいくらでも現場・地方にゴロゴロいるのが日本です。
15〜25点の人がゴロゴロいてベルトコンベエア−式工場で漸く1人前に働けるようになったに過ぎない他所の世界とは大分景色が違っています。
ヨドバシカメラやコンビニ等に行けば分りますが、今や日本の末端店員レベルはものすごく高くなっています。
昭和50年前後の光景を思い出すと,電気屋さんはメーカー品を並べておいているだけで、その構造性能など詳しく説明する気持ちや能力が全くない状態でした。
その頃から見ると末端店員の基礎レベル向上は著しいものがあります。
農業もアメリカの真似をして粗放農業・・粗雑化に進んだものは失敗していますが、与えられた環境下でもこつこつとおいしいもの作る努力して来た農家は国民から支持されています。
社会の平均をどこに置くかですが、単純労務ばかりにして平均点15〜20点の人でもできる仕事ばかりにしてしまい、5〜6〜70点の人をそこに縛り付ける社会よりは、社会の基礎レベルを上げて、底辺層でも30点くらいの仕事を出来る社会にすることが第1に必要です。
その上で個々人の努力を尊重する社会・・35点の人が努力して36点の仕事をすれば、少しでも報われる社会にすれば、生き甲斐を感じてみんなが切磋琢磨して行きます。
日本では古代から微妙な差でもあれば、それを認めて報われるようにして来たから最末端・アルバイトのコンビニ店員でさえも商品知識を磨く習慣があってドンドン進化して行くのです。
ガラパゴス化とバカにする意見が幅を利かしますが、これは欧米の画一基準、工夫することを知らない社会をモデルとする軽薄な意見に過ぎません。
日本人は殺傷武器でさえ種子島や日本刀を工芸品に変えてしまうし、庭木を盆栽に仕上げるなど独自の世界を作り上げて行く天才集団です。
日本人の基礎レベルの高さは、縄文の昔から母親による丁寧な哺育教育力によるところが大きいと思われるので、保育所・他人任せで子育てするように誘導するのは、長期的にはニッポン民族の劣化政策にならないかの立場から反対してきました。
国際正義・国際的に同一労働同一賃金が実現した場合・・日本社会の能力平均が、30点台を基礎にしていて他国のレベルが20点平均であれば、汎用品でも日本の製品競争力があり、ひいては日本の労働者者が10ポイントよい生活が出来ることになります。
Eu離脱論以来グローバル化、反グローバル化の論争が起きると思われますが、仮に反グローバル化が優勢になって行くとしても長期的にみれば、同一労働同一賃金化の流れは進む一方であると思われます。
人間の移民の自由と流通の拡大とは必ずしも同じではありません。

フラット化対応3(日本の場合1)

EU離脱論に逸れましたが、所得収支大幅黒字下にある日本のフラット化に戻ります。
世界一潤沢な資金を投じて介護や保育所その他の予算を増やす→市場コストより安く利用出来る人が増える=利用者にとっては10万払うべきところを5〜6万円ですめば4〜5万円余計収入があったのと結果同じです。
日本では、社会保障の充実によって所得修正がおこわなれている外、高額所得率も低い・・ソフトバンク社長と副社長の巨額報酬に驚いた人が多いですが、孫氏自身は在日系と言われていますし・生え抜き日本企業ではトヨタ社長でも社長報酬は大したことがありません。
成功者出現を排除しないどころか期待する格差反対論は、論理の行き着くところ従来からの分配率の修正・・成功者の取り分を減らせ→社会保障強化論の焼き直しだったのでしょうか?
日本ではアメリカの真似をして「格差反対」スロ−ガンでは反応する人が殆どいないので民進党の「保育所落ちた、日本死ね!」の主張に落ち着いたのかも知れません。
日本企業の場合事業成功しても、「国民の皆様の応援の御陰さまで・・」と言う精神・・自分一人の働きではないと言う意識ですから報酬取得も程々にとどめますが、(発光ダイオードの中村氏の訴訟が国民支持を受入れられていない原因・・母校に寄付したりいろいろ修正していますが・・)アメリカでは、国民のための企業ではないので経営者は儲ければ儲けの範囲内でいくら報酬をとろうと儲けた人の勝手と言う意識です。
賃金も国際相場との差額を企業が利益を削ってまで支給する発想・・25日まで書いて来た本来の働き以上に上乗せして(例えば10〜20ポイント上乗せ給与を払う気持ち)がありません。
こう言う社会では移民をドンドン入れて結果的に国内賃金水準低下・・国民総体生活水準低下を図って、企業利益最大を図れば経営者報酬が最大化する仕組みですから、従業員や国民全般の生活水準が下がろうともあまり気になりません・・これに対する不満が昨日まで書いて来たEu離脱論の基礎です。
昨年あたりからアメリカが中国工場と国内工場とでは賃金競争力が変わらないと自慢出来るようになった基礎状況ですが、低賃金を自慢されるようでは国民には溜まりません。
アメリカの場合成功も失敗も自己責任を強調する社会のために、いまだに全国民対象とする日本の国民健康保険制度のようなものを作れない状態・・オバマケアーで揉めていることから分るように基本的に社会保障政策は低調です。
自己責任主義の結果、儲けた方はいくら巨額報酬を得ても良いし企業経営者も国際相場以上の上乗せ賃金支給する動機もない結果、格差拡大が半端でなくなりました。
アップルのように大成功する企業あるいは、金融・資源メジャーで大儲けする企業がなければ、格差も生じない普通の低賃金国・・等しく貧しいのですが、なまじ成功者が出る社会だからこそ格差が気になります。
イギリスの場合世界の資本市場として成功したので却って金融関係者との格差が目について不満が噴き出したと言えます。
※イギリスでも金融取引関係者の多いロンドンでは残留派が多かった所以です。
さすがのアメリカも、格差拡大不満・反ウオール街意識の高まりに危機感を抱いた結果、国際相場に合わせた低賃金化進行による生活水準の急低下を修正するために、フードタンプの配給になっていることになります。
食糧券の配給に深夜12時に並ばせられるのではあまりにも国民が惨めですし、それとなく給与水準を上げて行く日本の優しさに比べて政策的に拙劣です。
ところでフラット化の追求・・従来60の技術者しか出来なかった仕事をロボットの補助等で20点の人でも出来る時代・・結果平等を模索するのは良いことですが、他方で努力する楽しみを持てる社会が必要です。
フラット化・平等化達成に反対するよりは、達成されれば達成された平等化の中で少しでも周囲に差をつける努力や意欲の能力差(制服着用下でもアクセサリーなどちょっとした工夫でオシャレする能力)がその社会での格差反対論の強弱に比例します。
江戸時代に奢侈禁止令が出るとそれで美術・文化が衰退するのではなく、着物の裏地で勝負したり言論の自由がないと落首で挑戦したようにその範囲内での挑戦能力の有無によります。
命じられた以上の仕事をしたら損だと言う意識の民族では、50点の人が25点の努力でできる仕事を与えられると楽出来るのは良いが、収入が減るのが不満でしょうが、日本人の場合、5〜60点の人が25点の仕事を与えられると能力が余るので、余った時間で与えられた仕事の改良などに努力工夫する人が多く出てきます。
身分格差の激しかった古代に於いて、地下人から自己実現努力によって武士団が抜け出て来たし、その内武士自身が信長など見ても分るように高度な文化の担い手になって行く・・・・江戸時代には町人やムラの名主階層まで俳諧等の高度な文化をたしなむ・・江戸時代初期から市民が文化の担い手になっています。
生き方として仕事させられていると考えるか仕事をしたいからしているかの違いですが、捲まず撓まず努力するのがスキでない社会では格差反対論で騒ぐしかないのでしょうが、格差反対論が支持される社会かどうかは、時間が余って工夫する時間が取れて嬉しいと感じる社会か否かの違いです。
日本で欧米の流行を取り入れて「格差反対」と文化人(欧米の真似すれば良いと思っていて日本の実態を知らない人が多いように見えますが・・)が叫んでも同調する人が少ないのはこの違いです。
日本は古代から一握りのエリートの指示に従って盲目的に動く社会ではなく、一人一人の納得で動く社会ボトムアップ社会であることを繰り返し書いてきました。
その前提としてどの分野の人の仕事にも神が宿っている・・便所掃除でも皿洗いでも何でも自分の職分には誇りを持って行なう精神が強固です。
大量生産社会到来後も各分野の仕事をしている人は自分自分の持ち場に愛着を持っていて、流れ作業に身を任せていれば良いと言う怠け者は例外で、同じ流れ作業でもこれを如何に良い物にするかの工夫に精進している人が普通です。
その中から多能工が生まれていて、最近ではその方が効率がいいと言われています。
零細規模の現場系でも20年くらい前ではちょっとした機械(例えば自販機)を数十センチ動かすのに、これは電気工の免許がないと出来ないとか水道の許可業者でないと出来ないとかタイルはタイル工が来ないと出来ないとか、いろんな職人が来て頼んだ方はびっくりする・・巨額請求に対するもめ事がありました。
最近ではこんなことでは客が納得しないので、窓枠のちょっとした交換その他リフォーム工事では、多能工独りで大方こなすのが普通になっているようです。
幕末の外国使節の日記などでも、下働きの女性でも諸外国では一々指示しないと働かないが日本人は指示しないことまで気を利かせてやって来ると驚く記述があります。

フラット化対応1(差額補填1)

元々技術革新の目標は、誰でも労働に参加出来る社会化を目標とするものですから弱者補助道具・・社会のバリアーフリー化拡大→(ジョブズ氏など特別成功するのを否定しないで)結果平等社会化の動きを認めるとした場合、・・格差反対論は大成功者の果実をある程度みんなに分配して20点の仕事している人も60〜80点の仕事をしている人と同じ賃金にせよと言うに等しいことになります。
大成功者の果実収取割合が大き過ぎると言う批判かも知れません。
(例えばジョブズ氏の大成功による莫大な収益を税で強制徴収するかどうかは別としてその成功の果実が対外収益入金によってアメリカに莫大な還流があった場合、税収入として予算化されてから流通しようが、税率が低い結果、大部分が民間に出回った場合、預貯金や株式購入資金あるいはホテル宿泊費・レジャーであれ、国内還流していれば経済の回転資金になる点は同じです。
この考え方を利用して貿易赤字を気にしないで中国や日本の儲けであれ何であれ、アメリカに還流する限り誰の資金でも同じと言うのが、アメリカの貿易赤字のファイナンス思想です。
2016-6-21「過大消費と消費者破綻(資金還流策)」にパナマ文書関連で書きましたが、仮に中国の利にさとい国民の逃避資金として人民元とドルへの両替が増加していてこれに応じるために人民銀行がアメリカに積んだ外貨準備を取り崩していると紹介しましたが、中国政府が公的資金をアメリカから引き上げてもそれと同額の裏金・・裸官等の逃避資金がアメリカに入って来ればアメリカ国内で回転する資金量は同じです。
上記のとおりぼろ儲けの九割を税でとろうが3割しかとらなかろうが、裏金で入って来ようがその国に儲けた金が入ってさえ来れば(ジョブズ氏がタンス預金していない限り国内で回る資金になる点に変わりないので、税率は本当は関係がないことです。
国家として重要なのは国内消費持続能力・・国際収支の内容実質の問題です。
日本の場合税で取れていないので国家財政上は赤字ですが、国家全体では世界ダントツの純債権国である所得収支黒字として巨額資金が入って来ていますので、国内で資金がダブついている結果金利を払ってまで借りる必要がない・・超低金利になっている・・だからこそ「有事の円」になっているのです・・。
支払原資が、税収か国際売却収入によるかは別として払い能力・・日本の支払持続性を世界が認めているので「有事の円買い」になるのです。
国際経済では税収によるかどうかよりは国際収支の中身が重要です。
日本の国際収支を見ると資本収支は海外投資が多くて赤字になっていますが、これが時間経過で海外からの(投資した金の配当が始まり)収益送金原資になるのですから前向きの支出・この赤字は価値のある赤字です。
(中国や新興国の場合日本等からの投資資金の流入超の結果増えた外貨準備が多いことを自慢していると書いてきましたが、これは毎年収益送金しなければならない一種の債務ですし、送金利益が出なくなればいつでも逃げられます・・新興国通貨が有事・・景況感悪化に弱いのはこのせいです)
所得収支は文字どおり現時点での海外での儲けの国内送金の数字ですが、日本の場合これが何十年も大幅黒字が続いています。
この所得収支黒字を使って、国内社会保障やインフラ投資が潤沢に行なえているので実質格差解消になっているのですから税で賄っているか国債で賄っているかは大した違いがありません。
日本では、潤沢な資金を利用して資源収入や知財・金融収入等も税収に反映し、その資金が高度なインフラ新設や維持資金になって殆ど税金を払わない階層もその利用を出来て恩恵を受けていますが、(これも消費面でのフラット化の1面です)格差是正論はそれに留まらない・直接底辺層に対する現金給付を増やせと言う要求になります。
国費補助によって無償あるいは市場価格以下で施設などを利用出来るだけでは落ち着かないから直截現金給付・・市場価格よりも賃金を上げろと言う意見は妥当でしょうか?
同一労働同一賃金・・同じ仕事をしていても日本人であると言う理由だけで20ポイントの仕事で60〜80ポイント貰う権利があると言うのは背理ですし、働き以上の賃金では国際競争から脱落し結果的に日本経済が破綻してしまいます。
世界的賃金水準平準化・同一労働同一賃金の原理に近づくのは人類平等の精神から見て正しいことですし、日本人だけ高給化を要求することに正義はありません。
市場原理に反した高賃金を強制すれば企業は海外に逃げてしまいます。
正義の形あるいは国際競争の観点から言えば、「20の仕事には20の賃金しか払えないが、資本収入(海外からの送金)があるからこの資金で別途国民に40〜60ポイント配給(一種の生活保護)せよ」と言うことになるのでしょうか?
これは賃金ではなく社会保障の分野ですから、現在既に結果的に似た状況・・社会保障費が国家予算の半分近くになっている現実がこれを表しています。
イギリスは戦後【揺り籠から墓場まで」と言われる高福祉政策をとりましたが、これは新興のアメリカに負けて行く産業界・・労働者の賃金低下に対する穴埋め政策であったと理解出来ます。
この穴埋め資金に苦しみいわゆる「イギリス病」に悩まされていましたが、北海油田収入によって息を吹き返したものの油田が枯渇して来て又苦しくなったことを大分前に書きました。
中国の開放政策以来、先進国はおしなべて新興国の生産活動参入によりどこも賃金下落に悩まされその補填に苦しんでいますが、補填するべき企業利益を上げるのに成功している国(多分日本だけでしょう・・アメリカはいわゆる資金環流策によってファイナンスして来ただけと言うのが私の意見です)では・・海外からの収益送金やアップルやユニクロや孫正義などの巨額収入者が生じるので格差問題となり、格差補填出来ない国→海外展開事業成功の少ない国→もしかして海外送金の方が多い国)では、補填もしてくれないので自暴自棄的いらつきの対象に弱い移民反対論・・スケープゴート探しが盛り上がる状況になっています。
アメリカは基軸通貨国の地位を利用して資金環流でファイナンスし、イギリスは金融市場・シテイの場所貸しで何とか凌ぐ構図でしたが、場所貸しでは大した資金が入りません。
ホテルやレストラン林立する街よりは、高級ホテル・レストラン利用者の住む街の方が一人当たり税収が多く入ります。
いつも書いていますが観光で成り立っている街はホテルなどの経営者以外ベッドメイキングや掃除など(スターバックスが大繁盛していても従業員の大多数は最低生活者になるでしょう)の末端底辺労働者の街になってしまいます。
いわゆるウインブルドン現象の本質です。
アップルの成功と言っても99%?は中国の工場や日本台湾などの部品業者が潤っているのであってアメリカの恩恵は株式配当益でしかない点が、国内部品産業等で健闘している日本との大きな違いです。
米英共に結果的に金融資本的利益に頼る点は同じですから、反ウオール街騒動やとランプ現象・・EU離脱論の昂揚になったようです。

原発被害基準5(操業停止が許される場合)

建築基準・・クルマや食品基準等の過大規制があっても、(作れない訳ではないが、コストアップで国際競争に不利な基準)その業界が技術的適応可能な範囲の厳しい基準ですが、努力次第で何とかなります。
チャーチルかイーデン回想録かはっきりしませんが、英米がどんなに理不尽な要求を突きつけて日本人に意地悪しても、日本が反抗せずに努力して最後にはクリアーして来る不思議な国民性だと書いているそうですし、最近ではイタリア料理に修行に行った日本職人が散々にやがらせされても日本人が頑張り抜いたので、結局日本人がいないとイタリア料理が成り立たないとさえ言われるようになっているようです。
日本国内にも先議産業復興を妨害するのが目的かのような意地悪なマスコミが勢力を張っているのですが、(アメリカによる平和憲法強制・・武装解除を利用して日本は軍事費負担を免れて来たし、飛行機製造禁止されると新幹線を作るように)正面から反抗せずに黙って努力する国民ですから、結果的に世界一の低燃費・無公害システムが出来上がってしまいました。
(アメリカで日本車が席巻中なのは、日本車閉め出し目的で規制を厳しくした結果日本車だけがクリア−してしまったことによります)
産業発展の芽が出るたびに危険だと大騒ぎしては一々イチャモンつけて来たグループの功績と言えば言えますが、彼らはただ戦後日本の復興妨害・遅らせるために?アメリカが占領政策継続のために残しておいた反日運動を継承して来たのが思わぬ結果になったようです。
イジメッ子・嫌がらせをしていた結果苛められる方がグレないでまじめに対応して来たから、却って良い方へ(飛行機製造禁止が新幹線技術になったようにあらゆる分野で)日本人の智恵で変身してきました。
安全基準を厳しくする場合、企業に努力するチャンスを与えることにもなるので社会発展の原動力となることもありますが、特定業界に対して業務停止までを命じるようになると,適応努力を許さない・・その産業の存続を許さない国家意思になりますから、違反の連続性や国民一般に対する巨大な権利侵害の緊迫性が要請される・予兆の反復性などの要件が必須です。
原発は何回も安全基準に違反していてこれまで注意や勧告を受けたりしていたのでしょうか?
過去の基準で事故が起きたとしても今回は新たな基準が策定されたばかりでまだ違反していないでしょう。
何の違反もなくとも(世論のムード?を民意に敏感な?裁判所が嗅ぎ取って)今後違反しそうだと言うだけで、違反もないのに予め停止を命じることが許されるのでしょうか?
それとも過去の基準で事故が起きたから、今回の基準そのものが信用出来ないと言う連続性を言うのでしょうか?
これらの批判に耐えられるように、もしも事故が発生したら被害が大き過ぎるから1回も違反がなくとも(何となく怖いと言うムードだけで)停止を命じられると言う世論造り・・伏線が用意されていたように見えます。
違反ががなくとも危険だから許さないとなれば、「日本中の原発を許さない」と同義になってしまい、司法権の行使ではなく政治運動そのものであって、裁判官が司法の名をかりて政治運動をやっていると言う批判になりますがので、そんな乱暴な決定理由にはなっていないと思いますが、「新規制基準自体に対する国民不安を代弁したものだ」と言わんばかりのマスコミ応援もありますので、一応「回復不能な被害」とは何か」・もしかしたらマスコミが国民不安を煽るためにでっち上げたのではないかの関心でこの4〜5日書いています。
マスコミの袋だたきにあって何も言えない単一業界の泣き寝入りで成り立っていた過大規制の習慣が,原発事故を過大に言い立てる応援団となり、今回の仮処分命令正当化の伏線として、「ひとたび事故が起きると大変なことになる」と言う科学根拠のない大合唱の下地になっていた印象です。
具体論に入って行きますと、放射能もれ・汚染・被曝に対する被害想定基準は、大事故発生によって被告席に立ってしまい「そんな過大な基準はおかしい・・」と言う反論さえ許されない状態をマスコミアが作ってしまいました。
何も言えない電力業界の弱みに付け込んで、元々原発反対勢力であった民主党政権が原発産業の息の根を止めるため過大な放射能被害想定基準作成ではなかったかの疑問があります。
民主党政権の設定基準の合理性について・・基準設定が科学的合理性を越えて過大過ぎたのではないか・・と言う視点で、原発事故直後に広島等の原爆被害者に関する戦後70年近くも長年月掛けたデータ等を検討しながら、放射能被害って本当はどうなのか?の疑問で「放射能の危険性2(管理区域)March 28, 2011前後のシリーズで書きました。
当時も今も原発の安全性自体には私も疑問を抱いていて、そのような批判・疑問を繰り返し書いていましたが、それと東電が弱った弱みに付け込んで過大な被害や危険性を強調するのが正しいかは別問題です。
マスコミや人権派は如何にも被害者に寄り添い、手厚い救済を主張するようでいて、活躍の場を作るために?被害の定義拡大が必要・・(マッチポンプ?)→風評被害拡大で実質被害拡大に励んでいる感じです。
私は元々党派性が弱いので,客観的に正しいことを知りたいだけです。
その立場で原発事故当時に広島原爆被害が本当はどういうものだったのかが気になって、約70年に及ぶ追跡調査結果を紹介したのですが、要は被害感情を感情的に強調するばかりで客観的資料からは大した被害が出ていないと言うか、客観的被害資料が一切ないことが分りました。
「放射能、放射能と騒ぐけど大したことないじゃないか」と言うと非国民扱いされてマスコミに干されてしまうので、マスコミに出たい人は反論出来ない状態が続いている印象(私の偏った誤解かも知れませんが・・。)を受けてしまいました。

個人責任と組織の関係3(仮処分制度の領域1)

弁護士の場合間違ったことや変なことを主張しても、周辺・相手に対する説得力がなくて相手にされない・・相談者もおかしいと思えば別の弁護士に行くことが出来るし、強制力がありませんので、実害はそれ程ありません。
裁判官や検察官等権力=強制力を持っている場合、余程権力行使に対する自制心がないと、自己抑制しない人がその任につくと国民(しかも多くの人)が直接の被害を受けます。
変な人が権力を個人で行使出来る地位につくと、(昨日から書いているように決定内容・理由付けを知らないので高浜原発仮処分裁判官のことではなく一般論です)その人個人の問題と言うよりは、仮に千人に独りしか独断的自己抑制の利かない裁判官がいないとしても,これが独りでも出て来ると国家的に大変なことになります。
司法権は、行政庁のようにピラミッド型に多数の上司が関与して決裁して行くシステムではありません。
特定裁判官の決定が上司同僚間の意見交換で決めて行く仕組みではない(ヒラが書簡問題が大騒ぎになったこと想起して下さい)ことから、特定裁判官の考えによる政府や議会意思を覆す決定がそのまま即時に国家意思として効力を持ってしまいます。
長期間掛けた多数の利害調整を経て決まった政府決定や議会意思あるいは下位の審議会・規制委員会等の決定が、短期間でしかも国民意思吸収訓練を受けていない少数の裁判官が、結論を出すと政府や議会の意思に優越するシステムは問題が大きすぎないかの疑問です。
合議で決定したとしても地裁合議体の場合,比喩的に言えば本気でやっているのは裁判長一人で、右陪席は一人前の裁判官(と言っても経験5〜20年前後)ですが、その代わり目の回るような大量の事件を単独で抱えているので、社外取締役のような役目でじっくり記録を読む暇がありません・・。
左陪席は自分で事件を抱えていないので合議体事件記録調査の主任ですが、まだ一人前の裁判官になっていない新人・見習い扱いで裁判長の価値判断に反論出来るような立場ではなく、判決の書き方やその他の指導を受けているイメージですから、裁判長に指示された方向に沿って如何にそつなく証拠を拾い出し文書構成するかの能力が問われています。
各種委員会や審議会の経験ある方は分ると思いますが、いろんな利害代表で構成されている公的委員会でも委員長の議事運営の影響が大きいもので、まして3人の合議体と言っても(法的に裁判官は対等ですが上記のとおり年功順に構成されているので実質)対等者間ではありません。
政治決定のための会議のように3者の背後に別々の利害を代表している訳ではない・・裁判長の示した方針の影響力が大きいのが実態です。
政治家のように民意吸収能力が訓練されていない少数司法官のしかもじっくり審理しない「仮りの」判断で衆知を集めた政治判断が覆され、一旦効力が出るとそれを是正するのに数年以上はかかってしまう制度は問題がないでしょうか?
まして大津地裁の場合には、異議を出しても同じ裁判長・・本案訴訟も同じ裁判長と言うのでは司法の構成・・第三者の意見を求めて是正する制度が空洞化している問題があります。
報道ではこの裁判所では、本案訴訟も同じ裁判官なので2〜3年本裁判をしても多分結論は変わらない・(訴訟進行は裁判長次第ですし・・やっと判決が出ても)更に数年後の高裁判決の結論待ちになるだろうと書いていたようです(記憶違いか?)ので、もしかして合議体が1つしかない小さな裁判所でしょうか?
グーグルで見ると以下のとおりです。
以下によると合議体は2部ありますが、どちらの合議体で扱っても同じ裁判長ですから結論が変わる訳がないと言う意味で(上記のとおり裁判長の指導力が大きい前提)これを報道しているのでしょう。

大津地方裁判所 担当裁判官一覧

(平成28年1月28日現在)

大津地方裁判所民事部

合議A係 山本善彦,小川紀代子,秋元美衣瑠      毎週火曜,随時の金曜 1
合議B係 山本善彦,溝口理佳,山口雅裕,岡田総司    毎週木曜 1
1係 山本善彦 第2,4金曜 1
2係 溝口理佳 毎週火・金曜 2
3係 山口雅裕 毎週水・金曜 3
3S係 佐藤克則 随時の火・金曜日 3,4
4係 小川紀代子 毎週木曜 3

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