個人責任と組織の関係2(高浜原発仮処分1)

そもそも科学者総動員しても正確な地震発生の予知不可能なことが知られているこの時代に、衆知を集めて議論した結果で決まった基準そのものを、司法権がその優劣を裁く権能があるのでしょうか。
ちなみに予知不能を前提とする議論で衆知を結集する以上は、一定の結論が出るまでには反対論その他多様な意見が内部にあったことは当然で、これがあったことは危険性の証拠にはなりません・・逆に健全な議論があった証拠です。
今回の仮処分は基準そのものではなく、基準該当可否の判断に関する科学者の意見を信用出来ないとしたのかも知れません。
医療で言えば、診断ミスを裁判で判定するのと同様でしょうか?
医療事件は実際に治療が効果が出ずに死亡したり手術の効果が出ない場合が一般的で後からの判断ですから、手術前のデータと比較しての判定は可能です。
(「後講釈は誰でも出来る」と一般に言われている分野です)
事前差し止め・停止命令は実害の出る前の判定である特殊性があります。
科学的にまだ何がどうなると言う結論も決まっていない段階で、どの科学者の意見の方が正しいと裁判所が判定してよいのかと言う疑問が世間にあるでしょう。
科学そのものでは決め切れないことが知られている分野ですから、結局は科学的意見を前提に政治責任で決めるしかない分野です。
科学ではなく最終的には政治的に決めるしかない事柄について司法権がどう言う根拠で優越的判断を出来るのでしょうか?
政治で決めるべき分野について一裁判官が危険と断定するのは裁判所の介入限度を超えている・裁判権濫用の疑念があるという立場から言えば、今回の高浜原発停止決定もその一種でしょうか?
(ただし、決定の正確な内容はまだ分っていません)
裁判権がチェック出来るのは、政治が決めた基準・最上位には憲法や法がありその下位の政省令や規則・ガイドラインどおりに設備が設計されているか、作られているか、運用されているかなどのチェック権しかないように思えます。
決めた基準とおりにやっているかどうかの当てはめも科学者の知見によるしかないのですが、科学的に一致した見解のない分野だとどうすべきかです。
例えば活断層か否かの認定基準に関する一致した見解があって、この見解によれば活断層と認定すべきなのに、敢えて稼働をするために不合理に否定した場合が考えられます。
ニュースの断片だけで分りませんが、科学的に未確定分野について・・はプロである以上は批判に耐えられるような表現工夫している筈ですから、「未確定だから危険だ」と言う乱暴な判断はしていないとは思いますが、ニュースの書き方ではそのように受け取っているようです。
個別の文字を読むのではなく、全体の文脈を読んでいるでしょうか?
地震可能性には正解がない(・・仮に活断層があるとしても毎年地震が来る訳ではない・・1000年に一回と言う正解があっても、その一回がいつ来るかは分らない)のですから、中東等への工場進出等の決断同様で全てのリスクを予知するのは不可能です。
予知出来ないことを理由にどこの国へも進出しないままでは世界企業はジリ貧です・・経営者が責任を持って毎日決断して行くのが実務です・・。
その決断に対して、その国のカントリーリスクゼロの証明を求めるのでは、どんな新規挑戦も出来ません。
国の将来投資も同様で、直感力・現場力にたけた人材・・民主的に信任を受けた政治家が法の基準を決めることですから、既定の正解を探して来る秀才の能力とは方向性が違っています。
仮に100%安全と言えない場合には実行をやめるべきで仮に事故に遭うと実行を指示したものに責任があると言い出したら、会社近くの銀行への預金に行くことだって命じられません。
わずか100メートルの距離であっても、100%安全を誰が証明出来るかということです。
ましてや新興国やアメリカへの出張命令を出してその出張中に銃撃事件に巻き込まれると、企業の無謀な命令だったと言うことで非難されるようだと、マトモな仕事を命じられません。
今回の決定が、政治→法で大枠の基準を決めて順次おろして行き・規制委が決めた基準に合致していないと言う手続違背を理由にするならば合理的ですが、政治で決めるべき基準そのものを否定する判断の場合、裁判権濫用の疑いが生じます。
政治も最上位政治や中下位の政治があり、我々地方の審議会などは下位の政治です。
上記のとおり最上位段階が決めた基準該当性の有無も誰でも分るものではないので、その段階の科学者等の関与で決まるのが普通です。
過去の事件ならば医療ミスのように医療の一般的順序に従ったかの判定が容易ですが、事前に決めるとなると本来専門家の判断に任せるしかない分野です。
この自己抑制機能を判示したのが砂川事件最高裁判決・高度な政治問題については司法権は予め判断しないと言う判決です。
最高裁判決は、裁判官には自己抑制しない人はいないと言う信用で成り立っているのですが、ここで問題にしているのは、自己抑制しない裁判官が出たらどうするかのセーフテイ機能の必要性です。
ただし,以上は一般論であって、上記のとおり決定内容をまだ知りませんので、今回の高浜の原発停止処分を命じた裁判官が自己抑制を欠いていると、ここで書いているのではありません。

高齢化と社会保険の赤字7(透析の場合2)

昔でも貴族など生活水準の高い人は高齢者が多かったことを昨日書きましたが、平均寿命の上昇には生活水準向上が大きな役割を果たしています。
70〜80〜90歳まで生きる人が徐々に増えるようになったのは、言わば庶民生活の底上げが進んだことによります。
私の母の事例をJanuary 21, 2016「高齢化と社会保険の赤字1」で書きましたが、母が、90〜95〜100歳と齢を重ねたもののその間、これと言った病気をしていない・・高齢化してから特別な医療を受けたことがないので、庶民が100歳まで生きられたのは、社会全体の生活水準が上がったことによります。
私の母にガンが見つかったとき(100歳のお祝いの翌年)兄から連絡があってお見舞いに行ったときにも、母が退屈しのぎに籠を編んだりしていて,当然のことながら自分で歩いてトイレなど済ましていました。
何十年もの間、徐々に年をとっていることを知っていましたが、母の病気を聞いたのはこのときが初めてで,始めて病院へお見舞い行ったのです。
ガン騒ぎの前に時々訪問したときの話では、趣味の編み物材料などを高齢者向けの手押しクルマを押して買い物したりしているとのことでした。
高齢化(平均寿命アップ)とは、乳幼児や若年死亡率低下効果による効果が大きいとすれば、高齢化による医療費大幅上昇の意味には、子供や若年者に対する医療費増加が大きな比率を占めている可能性があります。
4〜50歳で心臓疾患・糖尿病等で死亡していた多くの人や、救急救命処置の進歩がこれを助けていることも平均寿命アップに寄与し,且つ透析等を考えても分るように医療費アップに大きな影響を与えています。
透析医療のデータを1月31日紹介した関連で透析利用者の1年生存率、5年生存率等の変化を見て行きます。
以下はhttp://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2014/p029.pdfからの引用です。

上記によると1983年からデータ化されているのでこれを一部抽出をしますと、以下のとおりです。

       1年生存率   5年生存率   10年生存率   20年生存率
1983年  0、818   0,585   0,419    0,222
1993年  0,832   0、540   0、342    0,161 
2000年  0,855   0,588   0,367    データなし
2002年  0、857   0、589   0、360
2012   0,866   0、598   データなし   
2012   0,876   データなし

文書説明によると、12年の1年生存率が87、6%と書いていますので、この単位であることが分ります。
生存率は、過去における導入者の追跡調査で出したのではなく、現在生存者・透析利用者が過去何年前から導入しているかのデータにしたように読めます。
(5年以上の生存率がでていないので・・)
2013年に調査して生存者=通院者にいつから始めているかを聞いて、あるいはカルテで判断して、1年前からだと12年の導入者の生存率が87、6%となり5年前からと答える人の数を2008年の導入者の5年生存率が何人・%と書いているように読めます。
これによると2013年に10年生存率を見るには10年前の、2002年に始めた人の数字がこれにあたることになります。
このようにしてみると、2013年調査時点で20年も続けている人が約21%もいるし、10年前からの人も36%,5年前からの人は59%など累積して行きますので、年々透析患者が増えることになります。
(生存率が上がれば上がる程現役の患者が増えますし、高齢化して行きます。)
但し、20年生存率が21%あることが分っていますが、30年生存率は統計がなくて不明としても高齢化による他病併発がありますので、25年程度で累積して行く限界が来る可能性があります。
上記データは、各年に始めた人の何%ですから、各年度合計は当然100%になりません。
(1年、5年、10年、20年の4年分合計であれば、合計400%が分母になります)
透析利用者の平均年齢は、1月31日紹介したとおり平均年齢が、67、5歳となっていますが,上記のとおり10年前から始めた人が36%も生き残っているのですから、生存率が高くなったこと=高齢化による医療費の増加と言えば言えますが、元々65〜70前後で始めた人が20年も生きているとは思えないので、中高年者の始めた医療だったことが分ります。
高齢化社会になったことで近年7〜80歳になってから透析が必要な人の参入が始まったようで利用者平均年齢が上がっていますが、その代わり平均生存率が下がる方向になって来たようです。
100歳前後の人でもガンの手術をするようになって、これを平均生存率に加えるとすれば、急激に平均生存率が下がるのと同じで、まさか80台になって透析を始めても基礎体力がないので、何年も生きられないでしょう。
高齢者透析を始めると、「始めて10〜20日であえなく最後」と言う人が結構出て来るかも知れません・・今後はコンピューター時代に合わせてもっと詳しく「何歳で始めた人の生存率」と言う統計にしないと意味がなくなって来るでしょう。

高齢化と社会保険の赤字5(透析の場合1)

話を1月24日まで書いて来た保険財政に戻しますと、保険医療費の増加・赤字化は高齢化だけが原因ではなく、医療サービスが充実したことが結果的に利用者急増・・医療の充実→長寿化を招いたのであり目出たいことです。
人命尊重で金に糸目を付けなかったことが国民の生命を救い寿命を延ばしたのであってそのために医療費が膨らんだのは当然です。
最近では、ちょっとした腰の痛みでも、(もしかして脊椎狭窄症かな?)と昔なかったMRIやCTスキャンなどを気楽に使うようになっています。
念のために検査をしておくことが1000人に1件の確率でも重大な原因を検出出来るメリットがありますが、そうした検査数の増加に比例して医療費が上がっている面を否定出来ないでしょう。
要は千人〜万人に一人の助かる人を救うためと医学データ蓄積のためには、残りの万人に無駄な高額医療機器利用を進めた方が良いかの政策判断です。
「国民の命を守るために金に糸目を付けない」と決めるのも、政府・国民・・一家で言えば家族価値観・・1つの立派な態度です。
金に糸目を付けずに医療費を使うと決めた以上は、相応の自己資金投入→その他出費抑制・・保険や社会保障の場合、掛け金増額か税金投入しありません。
障害で生まれた子が昔10日くらいの寿命だったのが数年さらには10年に伸び、あるいは、4〜5年しか生きられなかった難病者が15〜20歳まで生きていて医療や各種療養施設利用期間が長引くとこの期間延長に比例して莫大な医療費や社会保障費がかかります。
社会保険・保証費の増加要因には、生まれつきの障害児や若いときの糖尿病や心臓発作その他昔はすぐに死亡していた多くの病気でも助かるようになって、その後定期的に何回も医療機関を利用するなど(透析患者の場合が典型です)あるいは延命装置が発達して最後の医療を受ける期間が長くなったとか、あるいは高額医療が増えているなどのいろんな要因が考えられますので、これらを分類して国民に示すべきでしょう。
例えば従来4〜5歳での死亡だったのが高度医療の発達で20歳まで生き延びるようになり、5〜60台から10年前後透析を続けていると医療費が巨額であるばかりか、社会全体の平均高齢化アップになりますが、この種医療費は高齢者が使っている結果ではないのですから、高齢化による医療費増・・「老人が一杯医療費を使って赤字になっている」かのようなイメージ宣伝とズレていませんか?と言う問題提起です。
1例として透析患者のコストを紹介しておきます。
以下はhttp://www.zjk.or.jp/kidney-disease/expense/dialysis/からの引用です。
「透析治療にかかる費用
透析を受けた場合の費用負担
1ヶ月の透析治療の医療費は、患者一人につき外来血液透析では約40万円、腹膜透析(CAPD)では30~50万円程度が必要といわれています。このように透析治療の医療費は高額ですが、患者の経済的な負担が軽減されるように医療費の公的助成制度が確立しています。透析患者は、必要な手続きをすることで次のような制度を利用することができます。
医療保険の長期高額疾病(特定疾病)
高額療養費の特例として(一般の高額療養費とは異なる)により保険給付され、透析治療の自己負担は1か月1万円が上限となります。
(一定以上の所得のある人は2万円が上限になります。外来・入院・薬局等、それぞれでの負担となります。また、入院時の食事代は自己負担です。)
透析患者さんの平均年齢は、前年67.2歳から0.3歳上昇し67.5歳、導入患者さんは前年とほぼかわらず、69歳でした。
以下はhttp://www.qlife.jp/square/healthcare/story50267.htmlからのいんようです。
日本透析医学会発表 日本の透析患者数は約320,000人(速報値)[ヘルスケアニュース] 2015/07/10[金]

以上による透析患者は、年間500万円前後の医療費を使っていても自己負担は12万から24万に押さえられている状態です。
32万×500万=1兆6000億の巨額負担です。
いろんな高額医療費に対して、患者が1万か2万しか、負担しないと決めた場合、その分を、保険掛け金を引き上げないと赤字になるのは当然であって、高齢化が原因ではありません。
透析の一例を挙げましたが、高額医療は透析に限らず各種難病等でゴマンとあるので、難病等の多くは患者負担が低額に抑えられている以上は、保険掛金を上げないで、ドンドン難病認定→負担低減化して行けば、保険財政が赤字になるのは当然であって、これを高齢化原因と誤摩化しているのではないかと言う疑問を書いています。

共謀罪法成立した場合の実効性1

共謀罪が出来ても、実際に事件化出来る・・共謀段階で客観証拠のそろう事件は、共謀罪対象事件のうちホンの1%あるかないか程度かも知れません。
極端な話、共謀段階で100%検挙出来れば、世の中に共犯の凶悪犯罪が皆無になります。
殺人予備罪は昔からありますが、これが機能していれば・・世の中には突発的殺人以外には殺人事件が起きない仕組みです。(目出たいことです)
突発事件・・何回か担当した事件では、アパート騒音等で口論して頭に来て自室に引き返して出刃包丁を持ち出した上で、取って返して刺し殺すと言うような事件が何回かありました。
この場合出刃包丁を持って飛び出した時点で予備罪(まだ殺人行為の実行の着手はありません)でしょうが、そこに警官がいないので、結果的に殺人現場・・階上の相手のヘアに来てしまうのが普通で、予備罪で検挙と言うのは無理があります。
実はこの段階では傷害の故意か殺人の故意か分らないので、傷害罪には予備罪がないので、検挙出来ません。
せいぜい銃刀法違反で検挙出来るだけですが、刑事が居あわせていない限り、間に合うことは論理的にあり得ないので、殺人行為の実行まで行ってしまいます。
予備罪検挙の実績がほとんどないことから見ても、この規定があっても人権侵害になる心配がなかった・・この法律制定当時そう言う反対運動がなかったので制定されているのでしょうが・・・むやみにえん罪・逮捕されていないことを示しています。
予備罪は、タマタマ予備段階で発覚して検挙が間に合った場合だけ役立つ規定ですから、99%以上がそのまま殺人実行されてから犯人検挙されていると思われます。

刑法(明治四十年四月二十四日法律第四十五号)

(殺人)
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第二百条  削除
(予備)
第二百一条  第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の懲役に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

共謀罪も殺人予備罪同様に、普通には検挙が困難です。
数ヶ月も前から、計画を練り上げて行くような事件で計画が漏れた場合でも、その後の証拠収集がうまく行くかの問題があって、証拠確保出来ても関係会議を経て上司の決済や逮捕状請求その他の時間経過があって、実行予定者の居場所に関する逐一情報収集の成否や実行前に検挙までこぎ着けるまでには多くのハードルがあります。
まして少数の友人同士で(その内強盗や誘拐するニュアンスで)「ちょっと手伝って欲しいことがあるので、日時が決まったら連絡するので来てくれ」と言うような曖昧な約束の場合、共謀としての定義に当てはまらないと思われます。
(多くの事件では何をすると聞かされていなかったが、何かヤバいことをするくらいには理解して行って見ると、車で着いてこいと言うのでついて行ったと言う言い訳が殆どです)
その程度の情報段階では、捜査機関に正確な情報が入ることは滅多にあり得ません。
ましてこのような曖昧な約束後その日の夜何時に集まるような場合、今夜◯◯の家に集まる約束があるけど・・と言う程度の情報があっても、とても検挙は間に合いません。
(プロ同士の覚せい剤取引などの場合、組織犯罪なので、時間をかけて養成した内部通報者がいてリアルタイムの情報によって取引現場に刑事が踏み込むこともありますが・・一般犯罪周辺不良グループではそこまで行きません。)
このように共謀罪の検挙はうまく行っても(上記覚せい剤取引の例でも計画段階での検挙は殆どの場合、無理があります)組織犯罪やテロ組織向けであってちょっとした不良グループ程度では、前もってむやみに逮捕される心配があるとは、普通には考えられません。
多くはこの程度・・数時間前に決まる程度の時間間隔でしょうから、共謀罪が出来ても大型のテロ計画や襲撃計画以外には事前検挙は殆ど無理・・あり得ないと考えていいのではないしょうか?

留学目的2(日本の場合)

鑑真和上が日本へ布教のために難破リスクにめげずに遂に日本に渡った不屈の精神が有名ですが、その前提として彼が命がけで日本へ渡航しようとする決意をさせるに足る日本人がいたことを忘れてはなりません。
招請の任に当たったのは栄叡と普照と言う人物ですが、彼らを主人公とした物語(多分存在しないでしょう)を知らないので具体的メージが沸きませんが、彼らの不撓不屈の精神・・鑑真和上を説得して日本へ行く決意させるに足る傑物・魅力のある人物であったことが推定されます。
彼らは自己利益実現のために難破による命がけリスクを冒しながら渡航したのではなく、優れた人材を祖国に招請して祖国?のレベルを引き上げたいという一心で海外渡航して人生の大半を費やしたのです。
(当時今で言うところの民族国家意識はなかったでしょうし、祖国という概念もなかったでしょうが、このコラムで何回も書いていますが、白村江の敗戦後日本だけが、西欧に約1500年も先駆けて民族的意識が誕生していた結果でしょう。
世界中で万里の波涛をわたり、愛郷心に基づいて留学して先進知識を自国に持ち帰ろうと努力した民族は世界中殆どいなかった筈です。
(危険性に関しては、空海の渡航時でいえば、4隻の内2隻が難破しています(・・空海・最澄の乗った船が難破して死亡していれば真言宗の成立も天台宗もなかった可能性があります・・遣唐使船の難破率=死亡率がとても高かったことが知られています)
ただし、玄奘三蔵法師の天竺への留学が知られていますが、国家派遣ではありません。
こう言う制度(国をあげて派遣する制度)を創設すること自体、派遣者への信頼・・得た知識を持ち帰らず海外で安逸に暮らすなどの事態を全く想定しない信頼関係が確立していたことが窺えます。
このように書いていると、数年前だったかノーベル賞受賞者の一人がアメリカ在住・アメリカ国籍者と聞いてがっかりした人が多いのはこうした古代からの長い歴史・・暗黙の了解に反するからです。
この歴史・信頼感が現在の企業派遣留学制度にも繋がっているのでしょう。
もっと遡ればこの信頼がなければ、企業が莫大な費用を掛けて人材育成する制度自体も成り立ちません。
このように考えると、親が子供ためにお金を出して私費留学させるやり方・・語学留学や海外での就職や活動を有利にするための留学は、長い日本の歴史から見ると亜流・イレギュラーであったことが分ります。
アメリカなどでは資格制度が発達し、資格は個人が大学や専門学校等に行って取得するものですから、親の財力次第で次世代の生活水準が決まって行きます。
自己責任と言えば聞こえが良いですが、集団への帰属意識の薄さであり、弱い者はどこまでも弱くなる(・次の世代も・・)社会です。
公的援助制度は革命や反乱を起こすか、民主国家では野党が要求してやっと成立する国で、日本のように組織内で解決して行く仕組みになっていません。
日本の場合、素質がありそうであれば就職してから素質にあわせて教育してくれるので、アメリカほど地位の世襲性がありません。
空海の話題が出たついでに彼を例にすれば、最澄は当初からエリートとして遣唐使に入っていましたが、空海はその直前は何の身分もないいわゆる私度僧でしたが急遽抜擢されたものです。
資格制度と言えば聞こえが良いですが、企業に入る前に既に一定の仕事ができるようになった人材だけ雇用する制度ですから、自己投資できる階層が有利な世代繰り返しになります。
資格制度が発達した社会では、労働者も資格で動けばどこへ行っても仕事ができるので、転職に抵抗がありません。
日本では企業が資格を取らせてくれるので、資格を取ったからと言って恩に感じて転職しませんが、世界中と?真逆であるのは、相互信頼・・一体感社会の日本と信頼関係のない社会との違いです。
労働組合制度もアメリカでは企業別組合ではなく業種(資格)別組合が原則であり、ひいては人材の流動性が高いのは、こうした歴史意識・経験の違いです。

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