地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)

昨日与那国島の例を紹介しました。
自治制の弊害を最大限悪用しているように見えますが、この悪用のために今でもいわゆるプロ市民(もしかして日本人だけではないのか?)が沖縄に住民票を移して基地反対運動に励んでいると言われています。
憲法の勉強をしていると地方自治の重要性の記述が多いのですが、どの論文にも民主制の基礎と言うばかりで何故重要かの具体的説明がありません。
日本が将来国力回復しても一枚岩で行動出来ないための妨害装置としての遺産・・アメリカの重要な置き土産だから非武装主義同様に論理的議論を許さない・・宗教のようにあがめるしかないと言うことでしょうか?
全国に波及する基準は全国統一の方が良い・自治体ごとに自主性がある・・基準が違う必要がないばかりか自治体ごとに基準が違うのでは有害です。
TPPの基本は加盟国では1つのルールにしましょうと言う精神の国際版です。
全国統一基準必要な分野で地方自主性があると却って混乱します。
電化製品やクルマの部品が地方ごとに違う基準では、全国的サプライチェーンでの製造が出来ません。
客観的な物品規格統一だけではなく、人間交流や物流の発展によって、国内では価値観均一化も進んでいます。
私の高校時代には、あちこち一人で旅行すると地域ごとに違う家の形や風景の違いを見るのが楽しみでしたが、今ではどこへ行っても似たような家の建て方ばかり・着ているものも職業生活も食べ物(千葉で九州の野菜など普通に食べているように)まで皆同じです。
ホテルも全国似たようななサービスがあり事前予測可能・もしもホテルごとに歯ブラシやタオル持参などの必要性が違うと準備するのに困ります。
こう言う時代になると自治体行政は身近な(全国共通基準が望ましいが経済力に応じた)サービスをやれば良いのであって,国家戦略的分野について特定地域だけが特別な権利を持つ理由がありません。
ヤマ1つ越えると何もかも言葉まで違う・・いろんな生活習慣の違う時代に出来上がった自治体ごとの基準の違い・・・「これを尊重しましょう」と言う価値観を今でも強調するのは何百年も使っていない死法をイキナリ持ち出して処罰するようなものです。
アメリカは今、沖縄基地反対運動に困っていますが、元はと言えば将来日本が国力回復したときに統一国家としての行動が出来ないように、妨害するために無茶な自治制度を作っておいたことが自分に跳ね返ってきたのです。
中国の反米・反基地闘争に利用されて基地利用に困っているのは、アメリカが遺産として残した平和憲法に縛られて日本に軍事協力させる足かせになっているのと同じ構図です。
大きな河川や海岸は本来国家管理が原則ですが、埋め立て等の現状変更には、地元漁民等の利害があるので、これに精通している自治体の許認可にかからしめている程度のことであって、(道路交通法規は全戸国一律ですが、追い越し禁止や徐行区域などの設定はカーブその他の状況を良く知っている地方に任せた方が良いと言うだけのことです)その決定基準自体が国家基準と違って良いと言うものではありません。
現憲法家では、何かちょっとした国家的政策を実現しようとするとほぼ100%地元同意が必要ですが、こんな無茶な制度を持っている「統一国家」があるでしょうか?
自国が侵略されて国民が虐殺されても抵抗する権利・・自営する権利もない憲法って、国民主権原理からして無効じゃないかと書いてきましたが、現行の地方自治制度・・地方の同意がないと国家が出来ないシステム自体が、国家権力そのものの否定・・日本を1つの統一体として認めない意味での国家権力の否定です。
昨日与那国島の住民同意の例や裁判例を紹介しましたが、国境に所在する軍事基地が戦闘の危険が迫ると撤去を求められる・・存在してはいけないかのような裁判所の判断が普通に出て来るのをみれば、国家のあり方に対する思考までも狂ってしまっているとしか良いようがありません。
統一体・・クルマで言えば、バンパーがあって本体の安全性を高めますが、ぶつかる危険を引き受けるばかりでは不公平だ、そんな部品をなくせと言うのは矛盾です。
国境地域だけが防衛負担するのはイヤだとい出して、国境から100kmまで守備隊下げておくと、その防御地点が最初の被攻撃地点になるのでその周辺が不満を言い、200k地点に下げると今度は200k地点が最初に攻撃されるのは不公平と言い出します。
これを繰り返して行くと最後は首都で最初に引き受けろとなりますが、そうなると首都住民外の国民を見捨てるしかなくなります。
辺境の地が国家全体のために防衛を引き受ける義務がないと言えるのだったら、国家防衛は成り立ちません。
アメリカが占領支配下の日本民族に対して自前の軍隊保持を禁じただけではなく、国家意思よりも地方の意思・・決定が結果的に優先するシステムを憲法に組み込んだのはは、仮に将来再軍備したとしても国家防衛のための基地を政府が思うように作れないシステムを残して行ったことが分ります。
国土内に国家意思の貫徹出来ない場所を憲法で設置した結果、日本列島を都道府県数だけの小国に分解することを米軍が強制したことになります。
まして我が国は異民族が連合して作った国家ではありません。
連邦性国家でも(ロシアやアメリカで)国家防衛のための軍事基地の設置に地元市町村の同意が要るとは考えられません。
護憲論者は現実無視・空理空論の集まりと言われるのは、独立国家としてありえない制度を議論抜きにして憲法を守れと後生大事にするところにあります。
国家意思が貫徹出来ない制度は統一国家として自己矛盾ですから、戦後日本は法的には分裂状態に置かれて来たことになります。
自治体の無茶な主張を引き出そうとする勢力は、この法的分裂状態を強化し保持しようとする勢力です。
法制度論は別としても、上記のとおり地域独自性がなくなって行く一方なのにこれを強調するのは無理がある実態を無視出来ないからか、翁長知事はこの無理(全国利害のテーマを地元の同意にかからしめる主張)を通すために「沖縄の人は日本の先住民族?少数民族なのに民族自決権が侵害されている」と言う趣旨の翁長知事の国連やアメリカでの演説になって来るのでしょう。
日本全体の支持を受けるための政治活動をするのが本来国内政治家の仕事ですが、海外発信に努力するのは、いわゆる文化人同様に国内支持の足りない分を国連などの介入・・例の国連報告書や対日勧告を取り付けるための行動でしょうか?
翁長氏が国連で演説してもアメリカ軍基地妨害目的が見え見えですので慰安婦問題のようにアメリカが応援する筈がないですから、翁長知事としては、中国の支持だけでもうけた方が良いと言う立場に切り替えたのでしょうか?
日本から沖縄切り離しを狙っている・・と言うよりは尖閣を譲らないと沖縄まで狙うぞ!と言う脅しでしょう・・・中国のあと押しを期待しているのでしょうか?
中国としては、着々と布石を打っているつもりでしょうが、逆効果のように思えます。

独裁国家の硬直性と民主国家の柔軟性(オリンピック主会場)1

中国では政府は結果的にどんなに無駄なものであっても計画どおりに出来たことが赫赫たる成果になるし、(修正は社会状況の変化にあわせることであって社会のために良いことですが何故か?)計画の修正に「追い込まれる」と関係者の責任問題になるので、権力崩壊にならない限り修正で来ません。
市場経済・・民主国家の我が国で言えば、オリンピックメイン会場予定の国立競技場の計画が高額過ぎるとして、突如仕切り直しになったのですが、計画の杜撰さもさることながら、計画が悪いとなればすぐに修正するしかないところが民主制の良さです。
その内デザインなど盗用疑惑まで出て来て、公開するといろんな問題が出て来易くて良いことです。
民主制の実質は、市場経済の進展度によってはかるべきだと言う意見を、2015/08/26「中韓政府・組織は誰のため?3」以下で書いてきました。
市場経済=財務諸表その他の透明性ですから、以下民主制と情報公開の重要性に即して書いて行きます。
国立競技場工事費高騰問題は、専門家内では「仕方がないな・・」の繰り返しで、ドンドン膨張して行った(関係者はこう言う変化には、反対し難いものです)のでしょうが、ジョジョに膨らんで行って結果的に巨額になり過ぎていないかの別の視点が必要です。
こう言うチェックは当初から関係していた専門家が発言し難い分野ですから、利害のない国民の目に触れると結果があまりに非常識なことが分って撤回に追い込まれたものです。
予算案化したときに始めて国会に出されて国民が知る仕組みでは、以下に書くように間に合わないので事前情報開示が重要なことが分ります。
審査委員長の安藤氏の発言・・自分はデザインを選んだのであってコストは自分の審査範囲ではないと言う趣旨の発言に驚きました。
専門が違うから当たり前と言えばたり前かも知れませんが、モノゴトは先ずコストがあってその予算内でデザインや大きさ・内部施設の品質レベルを決めて行くものではないでしょうか?
予算を示されてその範囲内の優秀デザイン・コンセプトであるべきであって、予算超過のコンセプトはその1点だけで(審査に掛ける前に)失格させるべきは全ての常識です。
モノゴトをやるには、予算が先ず最初に枠として決まるのが原則的ルールです。
組織になると分り難いことでしょうが、個人で言えば、マンションを買うのに4000万前後の希望を示されているのに仲介業者が1〜2億円の立派なマンションを紹介してこれが素晴らしいと紹介すれば、バカかと思われます・・客が怒るでしょう。
業者から見ても、戸建て新築希望があってもどの程度の予算かを先ず聞いてその範囲で出来る、設計やコンセプトを決めて提案して行くのが普通です。
(贅沢すればいくらでも・・黄金の茶室とまで行かなくとも、高い材料を使い良いものが出来ますが・・)
デザイン大会のような架空のアイデア審査ではなく、具体的工事を予定している場合、価格無視の設計などあるべき筈がありません。
美術館に限らず本社ビル建設その他デザインが斬新で気に入っているが、コストが高くなり過ぎるので、諦めてワンランク下の設計にすると言うことはいくらもあることです。
日本の新幹線工事や原子力発電等の受注競争で負けることが多いのは技術力が劣るからではなく、良いものだが工費が高過ぎることによって負けることが多いのと同じでコスト観念が低すぎないかの問題です。
審査委員会が決めたデザインどおりの設計施工したらいくらになるか誰も分らないで決めてしまうなんて事は、具体的工事を予定するデザイン審査としては、無責任過ぎて許されません。
デザインさえ気に入れば、1000億の予定が、2000億〜3000億になろうと幾らでも提案に合わせて「予算を組みます」と言う決め方では、無責任過ぎます。
ましてオリンッピックは、個人事業ではなく、公費を使う事業ですから、なおさらです。

主権国家と相互主義1

コミンテルンはソ連以外の国家をなくす方向へ思想浸透して行く戦略でしたが、中韓の主張・・日本への思想浸透戦略は、世界中で日本だけ民族国家・・民族自決権を持たせないようにしようとするように見えます。
主権国家に必須の自衛力を日本に持たせないアメリカの占領政策・・独立後の憲法でも戦力保持を否定した意図は、言わば、日本の永久的属国化を目指したものと言うべきでした。
日本の主権を守りたい勢力が、アメリカ軍に出て行って欲しいと言う場合には、その分日本独自で自分の国を守りたい前提があります。
異民族占領軍がいなくなれば喜び、その穴埋めに自前の防衛力強化に励むのが普通です。
アメリカがいなくなった後・・あるいは米軍縮小後も、飽くまで日本の再軍備による補充に反対し、非武装状態の永遠化を求めるのでは、国を守れません。
無防備では国を守れないのは国際常識ですから、用心棒を追い出しておいて自衛しないほいが良いと言うのでは、不用心きわまりないことです。
近くに日本侵略を公言している中韓両国が控えていてしかも、竹島や尖閣諸島では実力行使をしている状態でこう言う意見を言うのでは、アメリカに対する反基地闘争をしながら非武装論を唱える勢力は、アメリカでない「別の占領軍・支配者が入って来れば良い」と言う立場ではないかと疑うのが普通でしょう。
アメリカ占領軍政下で日本の非武装化を歓迎する勢力は一見、アメリカが日本に押し付けた戦後秩序・・半永久的属国化政策の肯定者に見えますが、反米基地闘争をした点でアメリカの占領には反対していたことになり、他方で基地や軍事力を如何に縮小しても非武装のママで良いと主張する点では、日本がアメリカ以外の国に隷属するのを期待して来たことになります。
憲法護憲論者=非武装論者は、日本各地で米軍基地反対運動をして来た点で如何にも民族独立を願っているかのように外見を装いながら、その実、アメリカのでっち上げ戦後秩序・歴史観を中韓とともに支持していることなど総合すると、日本民族の自主独立回復のための運動ではなかったことになります。
非武装・護憲論者は日本の自主独立を目指していたのではなく、占領軍・支配者の交代を目指していたに過ぎないと見るべきでしょう。
最近では、ソ連崩壊でソ連による丸ごと日本占領が期待薄になった以降、日本列島各地の反基地闘争は陰をひそめていましたが、中国が最近沖縄領有化に野心を示し始めたことに呼応して、沖縄に絞った反基地闘争・・アメリカ軍追い出しに余念がありません。
同時に日本が沖縄戦で如何に酷いことをして来たかの宣伝に精出して、沖縄県民に対して本土人とは人種が違うことを強調したりして中国編入への下工作を始めています。
話題がそれましたが、軍備充実よりは友好関係が重要と言いますが、防衛に関しては相互関係が重要です。
軍縮交渉も相互縮小が原則です。
隣国が継続的に軍備急拡大しているばかりか、現実に日本領海に実力進出し始めています。
最近では尖閣諸島の方では中国公船の動きは少し大人しくなりましたが、その代わり不法侵入の中国漁船がこれまでの2、4倍も連日押し掛けて来ている・・軍が出ると国際的刺激が大き過ぎるので民間を装った波状攻撃に切り替えて事実上中国の自由な漁場とする既成事実化を目指し始めたことが昨日・10月10日の日経新聞朝刊2pに大きく出ています。
これと平行して・・沖縄での情報戦・・沖縄の独立運動を頻りに画策し始めたようです。
沖縄本島に近い久米島近くで日本の警告を無視して資源調査を開始したと言う報道もありました。
緊迫した状態が拡大し続けているときに日本だけが軍備縮小して行くべきだ・・領海警備費用を縮小して行くべきどころか非武装・・戸締まり不要と言うのでは、日本民族のための意見か、中韓(外患誘致)のための意見か疑いたくなるのが普通ではないでしょうか?

非武装平和論とその帰結1

仮にアメリカが非武装にした方が戦争を防げると考えて日本の非武装化を強制したならば、アメリカ自身が軍備放棄して範を示せば良いことです。
誠意を示せばソ連が攻めて来ないと言う意見が正しいならば、冷戦当時に逸早くアメリカが武装放棄していれば良かったことになりますし、ソ連崩壊後も今なお何故大量の兵器保有しているかかが疑問となります。
アメリカの平和論は、核兵器保有・・報復能力による相互抑止論であることは明らかですから、この論理の行き着くところ、北朝鮮やインドやイランの核武装を否定する事は出来ませんし、日本だけが非武装で平和を守れると言うならば論理矛盾となります。
世界世論は非武装化が平和を守る方法ではなく、むしろ簡単に侵略されない程度の武力保持こそが、戦争抑止力となって安全を守れると言う意見が支配的です。
アメリカの9・11以降のテロ組織に対する断固たる報復論も、報復的武力行使の威嚇こそが平和を維持出来ると言う意思表示そのものです。
世界世論もオバマの柔弱な態度が中ロの軍事力行使を誘発し、テロの続発を招いていると言う意見が多くその批判に耐え切れずに今回のイスラム国空爆決定に踏み切ったことになります。
以上は単なる意見に留まらず、紛争相手国を抱えながら非武装を実行している現実の国が日本以外には一国もないのが現実・・争いのない厳然たる事実です。
非武装平和論を実行している国は世界のどこにあるでしょうか?
フィリッピン等海上警備が手薄だった国で紛争が現実化すると、巡視艇などの充実強化に進むのが普通であって、危険になって来たから、非武装化しようと言う国は世界中どこにもありません。
世界中どこにも非武装化を実行している国がないのにこれが正しいと言うのは無理があるでしょう。
科学実験ならば、多数の意見と違っても自分独自の意見で実験するのは勝手ですが、平和論は敵のある前提で論じてるのですから、独りよがりで実験していると滅ぼされてしまいます。
化学実験とは違い現実政治論である以上は現実に世界のどこが実際にやっているかこそが重要です。
非武装論者は「日本は戦後70年も平和を謳歌して来たじゃないか」と言うかも知れません。
しかし、これはアメリカの強大な軍事力の庇護があってこそ成り立っていたものであって、アメリカによる防衛なしで完全非武装化で成立していたものではありません。
実際にアメリカさえ黙認すれば、韓国による李承晩ラインの設定=日本漁民の大量拿捕や竹島占領が実際に起きていたのにこれを阻止出来なかったし、未だに平和解決出来ていません。
日本の平和維持はアメリカの出方次第であったことが上記のとおり明らかですし、今国防強化の是非が焦眉の急になって来たのは、中韓による日本侵略意図が明白になって、アメリカ軍の弱体化〜核の傘による平和維持効果が疑われるようになって来たことによるのですから、過去70年間平和を維持出来て来たことを延長した議論は意味がありません。
1週間続いていた晴天が終わり、曇り始めてぽつぽつと雨が降り始めたのに、「今までいい天気だったから、傘を持って出掛けなくて良い」と言うような意見になります。
ここで非武装平和論の予定する結果に戻ります。
いつも書きますが、政治的発言や運動は実現すべき現世利益と深く結びついていることが明らかです。
非武装論の招来する現実的結果は何でしょうか?
戸締まり不要論・・中韓が無法な侵略を始めても抵抗してはいけないことの結果はどうなるでしょうか?
諸国民の公正と信義を信頼して・・と憲法前文には書いていますが、どこに信頼出来る公正な国があるのでしょうか?
慰安婦問題や南京虐殺などありもしないことと分っていても、言えば得だとなれば噓八百をドンドン国費をかけて世界中で宣伝して来る国だらけです。
こう言う噓八百を宣伝する国々が、日本が本当に無施錠・・戸締まりしないで放置していれば泥棒に来ない国でしょうか?

国家経験と行動パターン1

ルールや運用が統一化されたり今後統一化が期待されているのは何万という分野の中の基礎になる僅かな分野あるいは国際基準にし易い知財等だけです。
その他は国ごとの細かい前提条件が違うので・・例えば食品や保健衛生の許可基準や耐震基準を見ても国や地域によって独自性を認めるしかないのが現実です。
例えば、もしも日本以外の国の非衛生な水質基準・生活水準を前提に国際統一食品ルールになっていれば、日本の刺身等の生食文化は危険なものとして早くから禁止されてしまって、今では存在できなかったでしょう。
捕鯨禁止・クジラ食問題も同様の問題を抱えています。
イスラムの豚食禁止は、当時の衛生水準を基準にしたものと言われています。
中国料理では豚を食べますが、その代わり何でも油で炒めるようになっているのも当時・当地の衛生基準によるものです。
我が国は生水をそのまま飲める世界でも稀な国ですが、この清潔な水があってこそ水で洗っただけでナマ魚をそのまま食べる文化が育ったのです。
海の近くならば、新鮮な魚はどこの国でもありますが、水が汚いと日本みたいに生では食べられません。
話がそれましたが、ウクライナ問題に戻ります。
近年の世界政治を見ると、軍事攻撃は一時的な短期間の損特には結びつきますが、数年以上の単位で見れば、経済効果がどうなるかの見極めの方が国家や社会にとって重要です。
個人で言えば怒りに任せて大声で怒鳴れば、相手をその場で瞬間的に威圧できるでしょうが、その代わりその相手との円満交際が今後難しくなります。
個人ではその効果を知っているので、幼児以外には対人関係で怒鳴ったりするのはヤクザまがいの人しかいません・・却ってトータルで損することを知っているからです。
韓国や中国・ロシアが未だにドタキャンや恫喝外交や虚偽宣伝に徹している・あるいは相手が弱ったらその隙につけ込むようなやり方は、国家としての歴史が浅過ぎて大人の智恵がまだ身に付いていないことによります。
人の陰口を言っていると長期的に信用を失うという大人の智恵がまだ身につかないのです。
個人としての経験年数はホモサピエンスとして元は同じですから、世界中どこでもそうは変わらない筈ですが、団体行動になると団体としての経験知が必要になります。
この辺の違い・・人間と組織の歴史経験・国家の歴史とそれを構成する人間の歴史は違うという意味で「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)」February18, 2013以下で連載したことがあります。
上記連載で書きましたが、韓国は戦後成立ですし、中華人民共和国成立は1949年ころ、ロシアはまだ20年前後で、仮にソ連時代をプラスしてもまだ100年に足りません。
アメリカは約250年経過していますので、新興国の中では老舗ですからある程度大人に近いと言えますが、短く見ても壬申の乱以降連綿として継続している日本から見れば何となく子供っぽい行動が多いのは、国家としての歴史経験の違いです。
オバマ大統領の行動パターンがゲンキンで分り易いと評判ですが、まさにこれを象徴しています。
その例はこれまでいくらもあるでしょうが、最近では4月23〜25の日本訪問が決まってからも、それまでにTPP交渉が進んでないときには晩餐会に遅れて来る予定になっているなどと、嘘か本当か分りませんが分り易い行動パターンがいろいろ揶揄されながら語られる状態です。
中国や韓国も何かあると不快感を示すために?日本訪問や日本高官との会談をドタキャンします。
今回中国が海軍観艦式に日本だけ招待状を送らないという荒技を披露しましたが、アメリカにボイコットされて格好が着かなくなって遂に中止を決めたと昨日のニュースで流れてました。
予測不可能な行動をするのも信用をなくしますが、あまりにもゲンキンで分り易いのは安っぽく見えます。
どんな人間も動物も相応の目的を持って行動するものですが、行動から目的が見え透いているのが物笑いの種になっています。

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