平和国家と強兵2

日中の対立激化によって、日本ではこれに対峙する海上保安庁の応募者が増えているのに対して、中国の場合、逆に危険な職務だということで尖閣諸島領海侵入を繰り返している海事艦要員の確保に困っていると報道されています。
このように考えると家族もいない独り者・・ならず者が強いのではなく、守るべき・帰るべき家族のいる兵士の方が最後は強いことが分ります。
ならず者が強く見えるのは行動原則・・道義による縛りがないから、相手が法を守っていて大人しいのにつけ込んで何をするか(どんな無法なことをするか)知れないので怖いだけです。
「気違いに刃物」と言いますが、相手が法を守らないし、刃物を振り回すか否かのルールが見えないから怖いだけであって、気違い(覚せい剤で狂っている人)や無法者を兵士にしたら強い訳ではありません。
檻から逃げたライオンやトラが恐いのは・・トラが市街地の道路を歩いて来ることを予想してないときに出くわせば・・いつ牙を剥くか知れないから怖いのであって、こちらも武装して本気で戦えば人間の方が強いに決まっています。
法に守られているので違法なことはされないとみんな安心して暮らしてきました。
日本では徳川幕府以来約500年間も法に守られているので、滅多なことでは違法なことはされないとみんな安心して暮らしてきました。
日本国内では各人が銃で武装し自衛する必要のない安心社会が続いていたのですが、明治開国以来弱肉強食の国際世界に放り出された日本が国内安全を維持するために外壁の強化・・国防に励んだのは当然の帰結です。
津波が来れば、その後防潮堤の強化や避難準備に励むのが普通です。
敗戦後アメリカがこの外壁部分の秩序維持を約束してくれたので、国防の必要性が低下し国内秩序維持だけで良かったのですが、今やアメリカの約束が頼りにならなくなりました。
これに比例して近隣の国が国際法無視でドンドン実力行使して来る気配を示している・・・奥山に逼塞していたオオカミが市街地に出没してきそうな雰囲気になって来ました。
オオカミが奥山を出て来たり、トラが檻を破っていつ市街地を闊歩するか知れない状態になれば、こちらもいつオオカミが人家周辺に出没しても、トラが檻を出て来ても良いように武装準備するしかないでしょう。
イキナリトラやオオカミが市街地に来れば、無防備な民衆は逃げ惑うしかありません。
革新政党の中には無防備でもイザとなれば逃げれば良いと主張する意見もありますが、防衛準備さえしておけば人間の方がオオカミやトラより強いのは確かです。
同胞のために行動する意識のない民族社会では、ちょっと都合が悪くなればゴーストタウンにしてその町やムラを棄てて行く社会です。
アメリカが豊かで住み易そうだからとアメリカに移住した人々は、都合が悪くなれば直ぐにもゴーストタウンにして逃げて行くし、アメリカ全体が落ち目になればアメリカの国自体を棄てて外国へ行くのにためらいの低い人々で成り立っています。
中国では少しでも資金が溜まれば海外国籍取得に精出している人が多いのをヒラリークリントンが批判していましたが、実はアメリカは今豊かなだけでイザ貧しくなればそうなる点は中韓と同根です。
利益誘導的国民で構成されているアメリカ兵は、今までのような圧倒的兵力差がなくなり、同等あるいは僅差の兵力になれば,中国同様に脆弱さが露呈するでしょう。
アメリカの志願兵制度はやる気充分なので国防力強化になると宣伝されていますが、実際には黒人など貧困層が志願して一定期間従軍すると学費免除期待等の利益誘導で応募しているのが一般的(兵士の黒人比率が高いのは社会階層を反映しています)と言われています。
軍役は一種の貧困層対策に使われているのが現状です。
米軍兵士の多くは金のために志願しているに過ぎないのですから、命がけの戦闘行為になると弱点を曝すでしょうし、国民の成り立ちを考えれば戦争に限らず、国際交渉の粘り腰の強弱にもかかわって来る筈です。
アメリカは、圧倒的国力差のある状態下の交渉では、問答無用式の主導権を握れましたが、今後相対的大国に過ぎなくなって行くとタフな交渉には不向きな感じ・・オバマの外交に現れ始めています。

平和国家と強兵1

アメリカの金融緩和が終わりに近づくという予測だけで、新興国から資金流出が始まって大変なことになりかけていますが、国際経済が変調になると逆に日本円が買われて円高になるのがこの数十年の図式です。
日本はいつのまにか、世界最強通貨になっていることが分ります。
海外資本流入が細っても金に困らない国ですから、流入が細った方が円安になって(・・少なくともその分円高にならず)国際競争上有利になることが明らかです。
日本は市場規模が巨大であるから、どこの企業でも日本への進出・成功は夢ですが、海外から投資の魅力がないのは購買力がないからではなく、・国内勢が強過ぎて直ぐ撃退されてしまうからです。
スーパーであれ家電であれ車であれ、製鉄であれ鉄道事業であれ、世界最強の日本の本拠地に攻め込んでもうまく行かないから進出しないのです。
対外競争力がある企業の本拠地に攻め込んで競争することの出来る企業が、限定されるのは当然です。
阪急の本拠地に乗り込んだ伊勢丹三越が早々に敗退したのがその好例です。
製鉄や車その他産業の誘致に必死になっている国は、自国産業がないかマトモに育っていないからです。
中国へ世界中の企業が進出競争しているのは、中国が優れているからではなく、劣っていること・・そこには強い競争相手がいないから魅力があることを表しています。
海外投資の多い国は、地場企業が弱いので進出し易いからに過ぎません。
日本をそんな情けない国にしたいと思う人は誰もいないでしょう。
外資の支配する国になれば、どうなるでしょうか?
韓国企業や外資導入した日産の例を見れば明らかです。
民族資本の場合には、企業が赤字気味になっても安易に人件費の安いところに移転しないで(一部づつ進出して行くとしても国内工場を守りながらにする)国内で最後の最後まで頑張ろうとする多くの企業努力を見れば、3月26日に書いた硫黄島で最後まで戦い抜いた姿勢に共通しています。
海外でも日本流にこだわって国際競争に負けてしまうのでは日本民族が困りますから、異民族との生き方の違いを違いと弁えて、(和魂洋才で)国際競争に伍して行くしかありません。
一人勝ちの輸出が出来ない以上は需要地である海外現地に進出しないとやって行けないので、海外進出するしかありません。
進出先では、和魂を基礎にして現地ごとに若干のアレンジをして国際展開して行くのが必要な智恵ですが、国内事業まで利潤優先の海外流価値観に変える必要がありません。
飽くまで同胞のための企業・・存続が目的ですが、儲けないとつぶれますので、競争に負けないように儲けられる体質にする必要がありますが、儲けることのみを目的とする金融資本家とは目的が違います。
日本社会古来からのやり方・・「内平らかに外なる」方式・・外に対する場合と内・・同胞間とでは理念を違えてで行くべきです。
とは言え、日本企業や軍は進出先でも同じ考えしか出来ないので、戦前も進出先では先ず学校を作り現地人に文字の教育から始めていました。
今の企業も海外・異民族相手だからと言ってえげつなく儲けることばかりに精出すという方法ではなく、行った先の民族のためになることを親身になって考え実行している企業や職人が殆どです。
アメリカの金融緩和が終わりに近づくという予測だけで、新興国から資金流出が始まって大変なことになりかけていますが、国際経済が変調になると逆に日本円が買われて円高になるのがこの数十年の図式です。
日本はいつのまにか、世界最強通貨になっていることが分ります。
海外資本流入が細っても金に困らない国ですから、流入が細った方が円安になって(・・少なくともその分円高にならず)国際競争上有利になることが明らかです。
日本は市場規模が巨大であるから、どこの企業でも日本への進出・成功は夢ですが、海外から投資の魅力がないのは購買力がないからではなく、・国内勢が強過ぎて直ぐ撃退されてしまうからです。
スーパーであれ家電であれ車であれ、製鉄であれ鉄道事業であれ、世界最強の日本の本拠地に攻め込んでもうまく行かないから進出しないのです。
対外競争力がある企業の本拠地に攻め込んで競争することの出来る企業が、限定されるのは当然です。
阪急の本拠地に乗り込んだ伊勢丹三越が早々に敗退したのがその好例です。
製鉄や車その他産業の誘致に必死になっている国は、自国産業がないかマトモに育っていないからです。
中国へ世界中の企業が進出競争しているのは、中国が優れているからではなく、劣っていること・・そこには強い競争相手がいないから魅力があることを表しています。
海外投資の多い国は、地場企業が弱いので進出し易いからに過ぎません。
日本をそんな情けない国にしたいと思う人は誰もいないでしょう。
外資の支配する国になれば、どうなるでしょうか?
韓国企業や外資導入した日産の例を見れば明らかです。
民族資本の場合には、企業が赤字気味になっても安易に人件費の安いところに移転しないで(一部づつ進出して行くとしても国内工場を守りながらにする)国内で最後の最後まで頑張ろうとする多くの企業努力を見れば、3月26日に書いた硫黄島で最後まで戦い抜いた姿勢に共通しています。
海外でも日本流にこだわって国際競争に負けてしまうのでは日本民族が困りますから、異民族との生き方の違いを違いと弁えて、(和魂洋才で)国際競争に伍して行くしかありません。
一人勝ちの輸出が出来ない以上は需要地である海外現地に進出しないとやって行けないので、海外進出するしかありません。
進出先では、和魂を基礎にして現地ごとに若干のアレンジをして国際展開して行くのが必要な智恵ですが、国内事業まで利潤優先の海外流価値観に変える必要がありません。
飽くまで同胞のための企業・・存続が目的ですが、儲けないとつぶれますので、競争に負けないように儲けられる体質にする必要がありますが、儲けることのみを目的とする金融資本家とは目的が違います。
日本社会古来からのやり方・・「内平らかに外なる」方式・・外に対する場合と内・・同胞間とでは理念を違えてで行くべきです。
とは言え、日本企業や軍は進出先でも同じ考えしか出来ないので、戦前も進出先では先ず学校を作り現地人に文字の教育から始めていました。
今の企業も海外・異民族相手だからと言ってえげつなく儲けることばかりに精出すという方法ではなく、行った先の民族のためになることを親身になって考え実行している企業や職人が殆どです。
これが日本人が諸外国で信用を得ている源泉です。
日常行動の基準が、金儲けが究極の目的ではなく組織存続目的がその目的である場合、私利私欲のための意識が少ないので、イザとなれば身を棄てても組織を守る気概に連なります。
アメリカの金融緩和が終わりに近づくという予測だけで、新興国から資金流出が始まって大変なことになりかけていますが、国際経済が変調になると逆に日本円が買われて円高になるのがこの数十年の図式です。
日本はいつのまにか、世界最強通貨になっていることが分ります。
海外資本流入が細っても金に困らない国ですから、流入が細った方が円安になって(・・少なくともその分円高にならず)国際競争上有利になることが明らかです。
日本は市場規模が巨大であるから、どこの企業でも日本への進出・成功は夢ですが、海外から投資の魅力がないのは購買力がないからではなく、・国内勢が強過ぎて直ぐ撃退されてしまうからです。
スーパーであれ家電であれ車であれ、製鉄であれ鉄道事業であれ、世界最強の日本の本拠地に攻め込んでもうまく行かないから進出しないのです。
対外競争力がある企業の本拠地に攻め込んで競争することの出来る企業が、限定されるのは当然です。
阪急の本拠地に乗り込んだ伊勢丹三越が早々に敗退したのがその好例です。
製鉄や車その他産業の誘致に必死になっている国は、自国産業がないかマトモに育っていないからです。
中国へ世界中の企業が進出競争しているのは、中国が優れているからではなく、劣っていること・・そこには強い競争相手がいないから魅力があることを表しています。
海外投資の多い国は、地場企業が弱いので進出し易いからに過ぎません。
日本をそんな情けない国にしたいと思う人は誰もいないでしょう。
外資の支配する国になれば、どうなるでしょうか?
韓国企業や外資導入した日産の例を見れば明らかです。
民族資本の場合には、企業が赤字気味になっても安易に人件費の安いところに移転しないで(一部づつ進出して行くとしても国内工場を守りながらにする)国内で最後の最後まで頑張ろうとする多くの企業努力を見れば、3月26日に書いた硫黄島で最後まで戦い抜いた姿勢に共通しています。
海外でも日本流にこだわって国際競争に負けてしまうのでは日本民族が困りますから、異民族との生き方の違いを違いと弁えて、(和魂洋才で)国際競争に伍して行くしかありません。
一人勝ちの輸出が出来ない以上は需要地である海外現地に進出しないとやって行けないので、海外進出するしかありません。
進出先では、和魂を基礎にして現地ごとに若干のアレンジをして国際展開して行くのが必要な智恵ですが、国内事業まで利潤優先の海外流価値観に変える必要がありません。
飽くまで同胞のための企業・・存続が目的ですが、儲けないとつぶれますので、競争に負けないように儲けられる体質にする必要がありますが、儲けることのみを目的とする金融資本家とは目的が違います。
日本社会古来からのやり方・・「内平らかに外なる」方式・・外に対する場合と内・・同胞間とでは理念を違えてで行くべきです。
とは言え、日本企業や軍は進出先でも同じ考えしか出来ないので、戦前も進出先では先ず学校を作り現地人に文字の教育から始めていました。
今の企業も海外・異民族相手だからと言ってえげつなく儲けることばかりに精出すという方法ではなく、行った先の民族のためになることを親身になって考え実行している企業や職人が殆どです。
中韓による日本に対する誹謗にもかかわらず、日本の信用が揺るがないのはこのような日本人の行動によります。
日常行動の基準が、金儲けを究極の目的とするのではなく組織存続目的がその目的である場合、私利私欲のための意識が少ないので、イザとなれば身を棄てても組織を守る気概に連なります。
中国軍が弱いと定評があるのは同胞意識・自分の命を棄てても守るべきものを背後に持っていないからです。
命の危険が迫ればさっさと逃げた方がトクと言うゲンキンな処世術によります。

多民族国家と相対的価値観の必然性2

異民族を追い出すと漢民族は反動としてそれまでの支配言語だったモンゴル語や満州語を(報復的意味で)禁止・弾圧するので、事実上漢字一本になってしまいます。
異民族が異民族としてそのまま存在することを許さなかったと言うか、専制支配に合致した硬直的価値観社会でやって来ました。
異民族支配の政権が転覆し漢民族政権回復すると、旧支配民族であった異民族の本来の領域を含めて全て漢民族支配に変わります。
(元が滅びると自動的にモンゴル地域が明の領域になり、清が滅びると女真族の故地が中華民国の領域になります)
その都度,労せずして異民族の本拠地を取り込めるのでその都度支配地域が広がって来たことも、権力行使に抑制が利かない原因かも知れません。
元や清が滅びて漢民族支配になると漢字を使用しないと生きて行けないので、その都度いつの間にか漢字文化圏に組み込まれる仕組みでした。
中国は共産政権樹立後異民族地域を直接支配下に置きましたが、名目上自治区をいくつか作りましたが,元々資源獲得目的で直接支配をするようになっているのですから、自治区と言っても言語支配を受けると文化的直接支配拡大そのものとなります。
異民族支配の批判を避けるために名ばかりに自治区にしても、結局は漢字を押し付ける極端な中央支配・・植民地支配が強化される一方です。
資源など中央が好きなように管理・収奪し,核兵器実験場・ロケット発射実験等に利用していますが、資源採掘現場とその下流域では従来の生態系が破壊されるのが普通ですから、時間の経過で漢民族による支配が定着するどころか、地元山岳民族等は不満を高める一方になります。
チベットやウイグルのような強烈な反抗まではないものの、モンゴル族や満州族に対する過酷支配も時々漏れ伝わります・・彼らはウイグル→イスラム,チベット→インドとその背後のイギリスなど世界的バックがないので、世界的に知られていない分だけ政府も遠慮呵責のない鎮圧をしますので実態はもっと悲惨かも知れません。
アメリカに戻りますと、国家規模で地図を見れば地域や気候に変化があるだけで、国民の日常生活空間としてみれば100km四方程度移動しても、単調な景色が続くばかりで、一山越えれば言葉が違うし、一方は晴れでも・・片方は雪が積もっているような変化のある日本とは違います。
アメリカの場合、地図上の観念でいろいろな地域が一緒になった・・連邦を組んだと言うだけであって、数百km移動しても同じ景色が続く社会であって、個々人の生活空間としては単調な社会であって、日本のように日常的に気候風土の違いを目にして生活している訳ではありません。
いろんな人がいるものだと言う違いを認める必要性は、人種の違いを除けば日本人に比べて観念的な次元にとどまります。
移民出身国が多様であることと建国当初から広大な領域で始まった結果、建国当初からお互いの違いを認めあうしかない・・人種構成・気候的にも相対的価値観が成立するしかなかった上に、自分たちの独立自体がイギリスの支配に対する反抗であったことから、団結の旗印としても民主主義理念を掲げるのが合目的なキャッチフレーズになったと思われます。
アメリカの場合、自由民主主義の理念は団結の旗印として掲げるのが一番の目的でしたから(アラブその他の騒乱で政府を倒す場合みんな民主主義の理念を旗印に掲げます)上記のとおり(観念だけで)本当に身に付いているかは別物ですが、建前はそう言う国になりました。
建国の理念・統一原理がこれですから,これを否定すると国が成り立たない(アイデンテイの崩壊)ので、建前上これにこだわっている(だけ)とも言えるでしょう。
この辺が多民族支配国家になっているのに、民主理念で結束して政権樹立をした経験がないのが、専制性からの脱却が難しい中国やロシアのとの違いです。

多民族国家と相対的価値観の必然性1

古代には交通機関が発達していなかったので、アメリカ大陸ほどの広さがあると別世界でそれぞれが生きていたものでした。
(一時的にモンゴルやアレクサンダー大王のように広域征服しても子供らに別の王国として分割統治させます・・日本のように小さな地域ごとに山で隔離されているところでは小さな領国に分化します。)
アメリカは建国後ころには鉄道が発達し、(続いてモータリゼーション→航空機発達があって急速に空間距離が縮まりました)1つの世界としての国家が成立・支配持続出来たことにより連邦制とは言え,一体化した国家になれたのです。
産業革命以前には、巨大山間地や砂漠地帯などの僻地は、生活習慣=民族性が違うし遠隔地支配コストがかかり過ぎるので、安全保障上背後を襲われない程度の従属・友好関係の確認程度が普通でした。
産業革命以降、資源価値が高まり、資源採掘用に直接支配の必要性が高くなって来ると、朝貢や従属関係程度では自由な採掘(収奪)が出来ない・・直接支配・管理が必要となったことから、アメリカ建国当初から広域空間で1つの国になる経済的必要性が自覚されていたことによります。
中国でも、今になればウイグル自治区等の砂漠地帯やチベットの高原地帯・あるいは沿海部と内陸・海洋性民族から農耕民族や内モンゴルや満州地方の遊牧系民族〜雲南等の山岳民族まで包含している外,イスラムから佛教その他多種多様な宗教も存在します。
中華人民共和国は20世紀半ばになってからの国家樹立なので,アメリカ以上に交通手段が発達していること(兵器の近代化)による広域支配手段を確保したことと、資源直接収奪の必要性があって、古代からの朝貢・友好関係だけでは済まなくなったことによります。
共産中国になって初めて僻地の資源を利用するために直接異民族支配を始めたのですが、多民族直接支配をするようになった以上は、軍事力が強大化して外部勢力の応援がないと民衆の蜂起が難しくなった(ことを何回も書いてきました)とは言え、意見の違いを認める相対的価値観に転換しないとうまく行きません。
しかし、中国の場合,建国こそアメリカよりも日が浅いものの,漢民族としての長い歴史経験では(異民族に支配されたことはあるものの)支配者として多様な民族を直接包含・・支配して来た経験がありません。
せいぜい朝貢関係にあっただけで・・漢民族は、気候風土の違う民族を違いを認めた上で異民族として直接支配した経験がないことが、アメリカが建国と同時に広域支配に応じた相対的価値観を樹立出来たのに対して、中国の場合には,世界中から批判されても未だに専制・権力支配しか出来ない違いです。
ことの本質は西欧が始めて知った民主主義・人権思想が正しいか否かではなく、そんな思想以前に古くからどこでも元(モンゴル)もみんな広域・異民族支配をする以上は政治の智恵で域内の多元的価値観(いろんな宗教の併存を含めて)を許容してきたものです。
広域・・気候風土の違う地域の民族を直接支配するには、交通機関の発達だけではなく違った価値観・・生き方を許容する専制支配体制から相対的価値観に社会のあり方も変えて行く必要があります。
漢民族・・あるいはこの地域の民衆も為政者も専制支配の歴史しか知らないので,過去の成功体験が邪魔していて相対価値観の転換に移行出来ないのが現在中国の問題点です。
漢民族は専制君主制しか政治形態を知らないのは、逆から見れば長年周辺民族を支配下におくと異民族としての存在を許さない社会・・みんな漢民族としての生き方しか許さない社会でやってきたことになります。
この結果、漢民族の概念自体特定種族というよりは、この地域にいる民族という程度の意味でしかなくなっています・・。
この地域を元や清など異民族が支配したときには、少数派であるために自分たちの言葉の外に漢民族の漢字の平行使用を認めて来たので、異民族支配のときの方が、相対的価値観の許される社会でした。

国家と国民4(民族意識1)

民族国家意識が世界で持てはやされるようになったのは、ナポレオン戦争時に戦争遂行便宜のために生まれたに過ぎません。
韓国や中国で国外脱出熱が高いのは意識が先に進んでいるのではなく、1周回遅れでまだ民族意識が定着すらしていない結果です。
元々漢民族と周辺諸民族の混交が古代から絶え間なく問題なく進んだのは、民族意識という強固なものが古代から存在しなかったことによります。
バルカン諸国等で民族雑居が進んでいるのも同じで、元々民族単位で争う習慣がないから長い年月の間に混交が進んだのです。
バルカン諸国が今世界中の火種になっているのは、元々民族対抗意識が希薄であったからこそ雑居が進んでいた地域だったのです。
ドイツでユダヤ人がナチス迫害を受けたのは、ドイツが西欧諸国内で一番ユダヤ人迫害の少ない地域・・住み易いからこそ多くのユダヤ人がいたことがマイナス効果を及ぼしたのと同じで、何が幸になるか不幸になるかは前もって分りません。
争うべき利害対立もないのに(同じ地域に混在している限り資源の奪い合いその他地域対立の合理的争点はあり得ません)西欧の民族感情を煽る意識が伝染して意識だけ先行して、民族自決の流行に遅れまいとして喧嘩するための喧嘩をしているような感じです。
民族意識は上記のとおりナポレオンがフランス革命後に介入して来た周辺諸候をはねのけるために徴兵の便宜のために言い出したに過ぎない・・元々排外的意識効果を生み出す元祖みたいなものです。
民族意識が高揚すると周辺国からの侵略を防ぐには効果の高い思想ですが、元々仲良く混在していてその地域の利害を共有している民族同士が内部でいがみ合うために、これを使うのは本末転倒と言うか誤用です。
千年単位で仲良くして来た民族同士が、外敵撃退のためではなく、内紛のために西洋の思想にかぶれて(格好いいと思うのか?)喧嘩する必要がないのです。
多分西欧列強が植民地支配するのに現地の民族対立を煽る方が統治し易い(繰り返し書いて来た離間の策です)ので、世界中に民族意識や宗教意識を植え付けて教育して行ったものと思われます。
ナポレオンの言い出した民族意識にまだ染まっていなかった清朝支配下や李氏朝鮮では、身近に起きたアヘン戦争の結果に対して、政権維持に関する(権威喪失による)危機意識しかなくて、民族としての危機意識が殆どありませんでした。
これに対して、前回書いたように日本では古代から列島防衛のための民族意識が強固に育まれてきましたので、アヘン戦争のあった場所からとおく離れた日本では政権維持よりは民族の危機到来にどう対処するか・・北辺の国土防衛などに対する関心が国民の支配的意識であったこととの大きな違いでした。
民族存亡の危機に対応するために必要となれば政権交代・・維新が起きたし、目的が民族の独立維持でしたから、列強の介入を招く大規模内戦をやりませんでした。
応援を求められると期待していたフランス軍の応援を幕府及び旧幕府軍(彰義隊や榎本武揚あるいは奥羽列藩同盟軍)が頼まなかったのは当然です。
これに対して今の北朝鮮も同じですが、民族の生活水準アップよりは現政権維持が出来るかどうかこそが最大・主要関心事です。
現体制維持のために国民がどんなに苦しもうと関係ないのが北朝鮮政体です。
朝鮮戦争では南北共に外国軍に応援してもらって、双方の外国から来た大軍に自民族を蹂躙させていたのですから、日本では想像もできないバカな話です。
清朝末期では西洋列強に対峙するために必要とした、いわゆる変法自疆運動も清朝支配維持にマイナスとなれば弾圧されてしまいました。
元々異民族支配の長かった中国地域では、他民族の支配下にはいること・・そのときそのときにより強い勢力が支配する・・イギリス支配でも結果は同じですから、それ自体大した問題にはならなかったのは当然です。
香港などはイギリス支配だからと言って住民が逃げ出すのではなく、逆にドンドン人が集まって人口が増える一方だったことを、08/30/05「都市の成り立ち9(異民族支配)」で書いたことがあります。
清朝自体が満州族によるその他民族を支配するものでしたから、西欧列強進出・領土割譲に対して我が国のように民族存亡の危機感などが生じる余地がなかったのです。