名誉毀損訴訟と政治効果5(司法の信頼3)

当時のことは忘れてしまったので私のNovember 3, 2015のコラムで引用した池田氏の記事の再引用です。(見直してみました)

池田信夫 @ikedanob 2015-10-30 16:34:22
国連に「性奴隷」を売り込んだ弁護士が、今度は「日本の女子学生の30%が援助交際」などのネタを売り込んでいる。 twitter.com/KazukoIto_Law/
「(匿名化しました)同弁護士のツイッター・・ 10月23日からの引用です)明日、来日中の国連の児童ポルノ・児童買春に関する特別報告者とおあいする予定。この秋葉原の街は未だに、児童ポルノと児童買春にあふれています。警察はなぜあからさまな児童ポルノを野放しにしているのか疑問。国連から厳しい報告書を出してもらうよう、明日はしっかりプレゼンするつもりです♪」
10月24日「さまざまなご意見いただきました国連児童ポルノ等特別報告者とのMTGはぶじに終了。特別報告者は明日には都内で会見する予定とか。「本の現状に相当ショックを受けていた模様。年内または年明けに日本に対する報告書を公表する予定とのことです。注目していきます。」

上記のように自分の功績が如何に大きいかアッピールしていたはずなのに、誰がこんな無茶を吹き込んだのかの議論が起きると、いきなりブログ等の過去の関連発信をほぼ消してしまい、(相手がNGO代表者の過去発言を立証できないように?)問答無用的に訴えた印象でした。
November 4, 2015,にその頃の動きを紹介していますので、関心のある方は再読してください。
自己コラムですが、一部引用しておきます。

「特別調査官の来日に合わせてプレゼンしに行っている以上・・多忙な相手が会うチャンスを与えること自体が、この道で相応の実績があることが国際的に知られている前提です。
また、援助交際を世界的に問題にしていた・・その道の実績のある論客でなければ、(例えば私のような素人が会いたいと言っても会ってくれないでしょう・・)多忙な特別調査官の面会・調査対象にはなれないでしょう。
仮に招致したのは別組織であってもそれなりの連絡が取れていた・・連携作業ではないかと私のような門外漢は想像してしまいます。
想像だけで、池田氏のように断定的に書いて良いかは別問題ですが、情報源が秘匿になる結果訴訟上証明出来ない・・訴訟技術の穴を利用しているかのように、単に否定して「告訴します」と言うのでは、相手が証拠さえ出せなければ何をしても良いと言う傲慢な印象を受けるだけで国民の理解を得られないのではないでしょうか?」

と当時書いておいた通りの(素朴な?)疑問です。
私は名誉毀損事件でどちらの味方になりたい訳ではないので、その時にはNGOがおこなったという国連での意見発表の原文をコピーして置かず引用しなかったのですが、15年11月中旬頃から別のテーマ・国内政治で解決すべき問題を国内で議論しないで何故国連で訴えるのかのテーマで利用しようとして見直したらツイッター等(秋葉原の同事務所付近は児童売買春が「溢れている」という趣旨の記事が全て消されていました。
以下紹介するのは、政治意見を国内で言わずに国外運動必要性のテーマの関心で書き始めていたのですが、コラムに載せる前にいろんなテーマが挟まって先送りになっていた当時の原稿であり、それに必要な限度でコピーしておいた同NGOのホームページだったかの掲載記事です。
名誉毀損で訴える方が正しい主張なら過去の発信を残しておいて「このどこが悪いの?」と堂々と議論すべきだったのではないでしょうか。
15年11月4日に引用した日本語版では「慰安婦問題」としていながらも、その頃コピーしておいたPDF英文を見直してみると、「性奴隷」となっているなど「性奴隷・強制性」を強調して日本への特別報告者派遣を「強力に」求めたり、教科書検定について(慰安婦問題が教科書に載せられない言論の自由侵害を強調か?はっきりしませんが、・・)訪日調査を求めたりしているように読めます。
英語力が低いので読み違いがあるかもしれず、自信を持って紹介できませんので、当時のコピーに基づき英文自体を引用紹介しておきます。
これによれば「池田氏が弁護士が性奴隷や児童売買春も吹聴している」というようなことが、実際に行われていたと思うのは、訴訟的厳密さを基準にせず一般人を基準にすれば、「性奴隷」拡散については「信ずるにつき相当の根拠があった」ように私には見えます。
以下引用文には「年」を書いていませんが、全て15年の略です→15年中の11月初旬連載の続きに書いた時の下書きです。

「11月4日紹介したように、9月9日に慰安婦問題を国連で取り上げて、続いて19日・第30回でも慰安婦問題を主張しています。
この2回の英語原文を紹介しようと思って、クリックすると9月9日分は何故か削除されていて同NGOの活動歴に出て来なくなりました。
・・タマタマ、第30回提言の英文を10月末日ころに一部コピーしていたのが、まだ私のところにはありますのでこの限度で紹介しておきます。

 10月末ころに9月9日分の英文をざっと見たときの記憶では「日本軍性奴隷」の題名で、内容的には、賠償問題の英単語が目についたのですが、どう言う文章だったか正確には覚えていないので、文脈等正確を期すためにもう一度見て引用しようとしたら、削除されていることが分りました。
活動歴の項目から9月9日分がそっくりなくなっているのですが、名誉毀損で訴えると宣言してから削除しているには何かやましいことが書いてあったのでしょうか?
内容は賠償だったように記憶しているのですが・・・。
同弁護士やNGOが援助交際や性奴隷関連記事の全面削除行為に走っているように見えますが(一旦読んで記憶しているツイッターの記事をコピーしていないので、「何を消したというのか立証せよ」と言われると立証不可能です・・その意味では「あやふやな記憶」というしかありません)、自己のこれまでの「表現がヤバイ!」「国民非難を受ける」と思っていることの証左かも知れません。
正しい主張ならば、何故消してしまったのか?国民の公平な審判を仰ぐ気持ちがあるならば、「国連で発言した内容は以下の通りです」と過去公開記事そのまま引用主張すれば良いことです。
(今回・・15年10月末)の援助交際騒動で池田氏の批判発信に触発されて、初めてNGOヒューマンライツナウと言う組織が、国連で「援助交際に関して国際活動しているようだ」と知り、どういう組織で、どういうことをしているか知るために、NGOヒューマンライツナウの国連活動記録に入っていき援助交際の国外発言記録に絞って見た結果、15年11月4日のコラムには、「援助交際テーマの発言記録がない」という意味で活動記録の目次のみコピー引用して置いたものですが、そこでは「慰安婦」〇〇とだけ書いていたので内容にまで入って読みませんでした。
その後池田氏の主張は援助交際だけでなく、国外での性奴隷宣伝についても批判していることに気がついて、慰安婦関連発言の内容を見てみようとして、その直後に再度NGOの過去活動歴に入ったら上記の通り削除されていたのです。
消し忘れかミスか知りませんが、上記のとおり9月19日分PDFが残っていたので、コピーしておいたのが幸い残っています。

本日(1918年8月15日)現在、念のためヒューマンライツナウの15年9月、10月での国連活動履歴を開くと以下の2件しか記事しか出てません。
http://hrn.or.jp/activity/area/cat32/page/10/

国連での活動
【声明・発言】ヒューマンライツ・ナウが第30会期国連人権理事会にて口頭声明を発表
2015/10/20
第30会期国連人権理事会にて、ヒューマンライツ・ナウでは以下の項目について口頭発言を行いました。 発言の様子はUN WebTVのアーカイブ映像でご覧にいただけます。 また書面によるステートメント全文はこちらからご覧いただ …
声明
ビジネスと人権
人権活動家・民主化活動
女性に対する暴力、女性の権利
子ども・少女の権利
武力紛争と人権・重大な人権侵害
経済的・社会的権利
イラク
カンボジア
シリア
パレスチナ
マレーシア
国連での活動
日本
【声明】第30会期 人権理事会へ書面によるステートメントを提出しました。
2015/09/01
【声明】第30会期 人権理事会へ書面によるステートメントを提出しました。 9月14日から始まる第30会期の人権理事会に向けて、ヒューマンライツ・ナウは書面によるステートメントを提出いたしました。 今回は以下の4つの項目に …
声明
人権活動家・民主化活動
女性に対する暴力、女性の権利
子ども・少女の権利
武力紛争と人権・重大な人権侵害
イラク
カンボジア
シリア
パレスチナ
国連での活動

上記それぞれのアンダーライン部分に入っても慰安婦・性奴隷についての意見を掲載していません。
私が15年11月4日に引用した活動歴の記載との違いの大きさに驚きます。

名誉毀損訴訟と政治効果4(司法の信頼2)

「表現の自由市場で負けた方が、訴訟すれば勝つ」という一般的運用が定着している社会とは、なんでしょうか?
正義が訴訟によって回復されるということなのか、訴訟判断が社会の価値観と遊離している・・狂っているというかの評価です。
実際の訴訟経過を知りませんので断定的に言えませんが、ここでは事実認定のルールが偏っていないかの視点で書いています。
「あいつはバカだとか犯罪者」などと根拠なく連呼するような場合には、合理的討論に馴染みませんからこの種の場合には「社会的評価が下がるわけではないが感情的に許せない」・・別の基準・侮辱罪との出番です。
論理の正しさを競うばあいでも、自由市場が成立するのは双方互角の発信力のある場合のことであって、メデイアと一般人やフリーの評論家の場合の論争の場合には、メデイアに名誉毀損された方は反論情報発信能力にハンデイがあって、対等に戦えませんので、対等な土俵が用意される訴訟に頼るのは合理的です。
児童売買春事件の伊藤弁護士の場合、国連委員会でも発言し国内的バックの巨大な著名活動家でむしろ発信力では優勢なように見えるのに、言論の自由市場で一切の反論をしないで?いきなり訴訟に持ち込んだとすれば、裁判所の立証責任論を利用(悪用?)したような印象を受けます。
(ただし、訴訟展開の詳細を知りませんのでこの辺は憶測です・伊藤弁護士弁護士からこういう証拠を積極的に出してで勝ったというならばすぐに訂正します))
原発訴訟では、情報格差を前提に事実上電力会社や国側に安全性の主張立証責任を負わせていますが、国際活動している発信に対する批判論が、事実無根かどうかについては、国際活動家の方に対し過去に行った国連活動記録の提出命令を出すなどの公平な審理が必要です。
国連公式発言や国連の動き、調査官コンタクトとの詳細記録を訴訟では出せても「自由市場では出せない」という秘密性があるのでしょうか?
対等発信力のある場合には、国民大関心事であればあるほど、多くの国民が判定に参加するので自由市場規模が大きくなり、その判定には安定感があります・・事実上密室化されている?訴訟での決着の必要がないはずです。
自由市場では公開できない資料を当事者間で開示しても、意見対立が終わらないので訴訟に踏み切るのは合理的でしょうが、これを一切しないで、いきなり密室の訴訟に持ち込むのはスラップ訴訟にならないかの疑問です。
一般論としては訴訟で決着する必要があるのは、週刊誌等で一方的に名誉毀損行為をかき立てられた場合、対等に反論する場がないので訴訟で救済するのに適していますが、もともと自分がネットやメデイア等で発信した以上は、それを利用して反論すればいいのにこれをしないで、名誉毀損訴訟するのは、アメリカでは(条件次第で)スラップ訴訟の法理になりそうな印象です。
憲法擁護・表現の自由擁護を金科玉条にしているはずの左翼系論者が、ネット発信によって批判を受けると「訴訟提起したので一切の質問に応じられません」あるいは、ヘイト規制要求に持ち込み論争に応じない傾向があるのは不思議な現象です。
国民の主張立証責任の分配意識(・・一般に説明責任と言われます)と裁判所の基準に真反対の関係があるから国民常識では負けそうになっている方が裁判所を駆け込み寺のように逆提訴する「逃げ場」を作っているのではないでしょうか?
主張立証責任論は、訴訟法の専門用語ではありますが、その分配基準は国民常識が基本になっているはずです。
「分配基準が国民常識と違って良い・司法に任せろ」というようでは、司法の傲慢でしょう。
司法は選挙によらないとはいえ、国民の信頼があってこそ維持されるのです。
国民常識と司法の判断基準が違っている場合には、訴訟で勝っても政治で負ける現象が起きると思われます。
結果から言えることは、政治論争については政治の場(表現の自由市場・・この公平性担保は必須ですが・・)で決めるべきであって、司法に最終決定権・管轄がないとすべきでしょう。
朝日新聞の慰安婦問題検証委員会設置の必要性・最近では日大アメフト部、あるいはボクシング連盟の不祥事もありますが、なんでも「訴訟で勝敗を決める」というだけで、何ら説明「責任を果たさずに)しないで「訴訟で決める」と批判をシャットアウトしていれば済むでしょうか?
そういう開き直りが続けば、その業界や組織の信頼を失うから自発的説明責任を果たす努力をし、訴訟で負けなくとも引責辞任・退任する人が多いのです。
しかも、国連で関係者にどのような根回しをしていたか、来日国連調査者とのミーテイング・報告の場でNGO代表者がどのような状況説明をしたかなどの具体的証拠・面談記録や録音等があることが推定されるものの、ネットでの批判者の開示請求に対して特別報告者は情報源秘匿特権を理由に開示しないでしょうから、その入手はネット発信者には事実上不可能です。
これに対して同弁護士が職務で面談している以上は、一般的に面談記録を残すのが普通ですし、自己記録では客観性・信用性が低いとすれば、面談時に提出した(このあとで同弁護士がネットに上げていた英文を紹介するように国連でスピーチする場合でも事前用意の原稿によっていることがわかります・・日本の会議で同じですが、口頭だけのスピーチでは理解を得にくい(まして英語発言の場合出身国によって発声法も違い聞き取りにくい)ので事前ペーパー配布してスピーチするものでしょう)発言要旨の開示請求すれば、情報提供者本人の開示請求なので秘匿理由がないので出してくれるので入手は簡単です。
こういう場合(証拠が初めっからないなら別ですが、)訴えた方が簡単に入手し出せるのに「自分に立証責任がないから」と出さないことにより被告側を事実上の証明不能な状態において)批判者が虚偽事実を前提に批判したこと→違法行為とされるのでは、国民平均的見方によれば、公正な裁判方法と思うでしょうか?
事案によっては証拠の偏在があり、柔軟対応しないと公正なルールになりません。
原告の伊藤弁護士が、国連報告者に説明に出かけた事実が疎明されれば、裁判所が公平な論争を保障するために原告に対してどういうプレん全テーションをしたかの説明と証拠提出を求めて事実上の立証責任の転換を図るべきでしょう。
その結果出た記録でも、同弁護士が慎重な言い回し終始していて、「誇張表現していなかった」という訴訟結果だったかも知れません。
(判決書をみないと事実は不明です)
ただ、本来の問題は国民や特別報告者・・国民の受け取り方ですから、学問的には真実「性」の評価ですが・・如何に慎重な言い回しに終始していたとしても、説明を聞いた国連特別報告者がニュアンスとして、30%または13%と理解した結果を重視すべきではないでしょうか?
部外者・情報の受け手には、言葉の端々まで訴訟になるまで事前に分からない以上、法的に「真実」が必要とされず真実「性」さえあれば良いという通説判例の趣旨からしても、真実「性」・・・「らしさ」があったかどうかの判断においては、聞き手・・・国民の受け取り方に委ねるべき・・どこまで司法が判定するのが司法の役割か?という政治と司法の限界です。
訴訟までするには相応の準備してからすべきでしょうが、メデイアなどの組織背景のない個人(フリーの評論家はメデイアのような組織を持っていません)がネットで話題になっているホットなニュースに対して意見発信する程度のことで、そこまで「調査してからでないと何も言えない」(ましてニュースソースに容易にアクセスできない現実からして)とするのは表現の自由尊重の意味からして公平・合理的でしょうか?
これではメデイア発信批判が怖くてできない・メデイアやメデイアの寵児だけの表現の自由論になりかねません。
名誉毀損で訴えた弁護士が事前に国連での活躍や国連調査官とのミーテイング・報告に行くことをホームページ等で誇らしく書いていたとすれば、同弁護士の方で文字どおり、表現の自由市場論で堂々と「事実がこうです」記録を開示して反論(説明責任)すれば良いことであって、それに対して「聞く耳を持たない」という感情論で応酬してきたときに、初めて訴訟に持ち込むのがルールではないでしょうか?

名誉毀損訴訟と政治効果3(司法の信頼1)

児童売買春国連特別報告者事件は、品質表示の虚偽表示同様で、実態に合わない報告になったとすれば、商品品質の虚偽表示問題の悪評価版です。
大問題になってすぐに調査者側で13と30通訳ミスであったと訂正した記憶ですが、この種の発表はペーパーを配布して行うのが普通です(例外もあります)から、質疑応答等の即時通訳の場合と違い、文字を書き間違うわけがないので不可思議な訂正でした。
統計処理に馴染みにくい・統計基礎数字も一切ない状態の訪日調査ですから、大づかみの印象数字しかないはず(何もないからこそ、日本政府の抗議に対して13%の数字も引っ込めた)なのに、13%などの細かな数値をどうやって算出たのかの疑問もありますから、もともと30%だったのでしょうが、反響の大きさに驚いてこのような言い訳を急いでしたように私は憶測しています。
当時のネット記事が出ましたので、正確を期すために引用しておきます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_002635.html

平成27年11月11日
1 11月9日,外務省は,10月下旬に訪日したマオド・ド・ブーア・ブキッキオ児童売買,児童買春及び児童ポルノ国連特別報告者(Ms. Maud de Boer-Buquicchio, Special Rapporteur on the sale of children, child prostitution and child pornography)が,10月26日の記者会見で,「女子学生の13%が援助交際を経験している」と発言したことについて,同報告者側(国連人権高等弁務官事務所(OHCHR))に,発言の撤回を強く求めるとともに,特別報告者が2016年3月に国連人権理事会に提出する予定の報告書は客観的データに基づくものとするよう申し入れました。
これに対し,OHCHRは,日本側の申し入れを特別報告者本人に伝え,対応するよう要請する旨述べていたところです。
2 その後,本11日(現地時間10日),特別報告者本人から,OHCHRを通じて在ジュネーブ国際機関日本政府代表部宛に書簡が接到し,その中で,援助交際やJKビジネス等の現象の評価を日本政府に呼びかけつつも,13%の数値については,更なる検討の結果,13%という十分に立証されていない数値を裏付ける公的かつ最近のデータはなく,記者会見における13%という概算への言及は誤解を招くものであったとの結論に至った,このため今後この数値を使用するつもりはなく,国連人権理事会に提出する報告書でも言及しないとの説明がありました。
3 13%という数値に関する今回の説明は,事実上,発言を撤回したものと受けとめていますが,外務省としては,先方に対し,引き続き,客観的データに基づく報告書の作成を強く求めていきます。
(参考)
1〜2省略
3  記者会見における援助交際関連の発言部分<日本語訳>
「・・・例えば例としては援助交際があります。これは女子学生の3割は現在「援交」をやっているというふうにも言われているわけで・・・」(※後に,通訳の誤訳として,「3割」は「13%」に訂正を発表。)

上記経過を見ると、国連特別報告者は客観事実調査しないで聞き取りだけで国連報告・・国連の公式記録にしてしまう予定であったような印象・日本で記者会見がなければ招請運動家以外にはほとんど誰も知らないまま進んでいた・・「国連って怖いところ」という印象付けた事件でした。
援助交際している少女が13%であっても、日本人感覚からすれば異常な高率ですからどういう調査をしたのかが大問題になり、その原因は調査者の誤解によったのか、調査者が誤解するような虚偽または過大報告が行われたのか、誰が報告に関わったのかの疑問に膨らんで行ったものです。
特別報告者派遣が根拠なく決まるわけではない・・特別調査の必要性を訴えるために国連委員会や関連運動家の間での事前根回しや委員会での資料提出や意見表明があって決まることでしょうから、こうした運動にきなり委員会決議が出るわけがないし、そのためには日本で児童売買春の横行がどんなにひどいかの現状説明があった筈・・どの程度表現していたかも重要事実になるでしょうが、名誉毀損で訴えられた人はそういう(証拠保全の)準備なしに印象だけでNGOの伊藤弁護士を名指し批判してしまったのでしょうか。
ホットな事件が起きてからそういう調査するのは時間的に無理があるし、ニューヨークへ出かけて過去の議事録等の事実調査してからでないと批判できないというのでは、即座の批判禁止と同じ効果があります。
裁判所の勝敗基準は学問論争の場合(小保方氏論文批判は、追実験して判明したものです))に妥当するでしょうが、日々の世論を誘導して行くメデイアの寵児による意見に対する批判をするのに、アメリカまで出張して議事録等を調査してからでないと批判できないのでは、その間に日々話題が変わってしまうので事実上即時反論禁止する基準になりそうです。
息の長い調査をするに適したテーマでも、出張経費等巨額資金がいるのでフリーの批評家が、自己資金でそういう調査をするのは普通は無理ですから、事前調査しないと意見を言えないとすれば、メデイアの応援を受けている方は言いたい放題で誰の批判も受けない仕組みになります。
裁判で「社会評価を下げる発言である」と認定されると次は「批判発信者の方が根拠事実の証明責任がある」のでネット等で批判していた方が防戦に回る・攻守逆転です。
しかし批判意見は対象意見の評価を下げるためにあるのですから、「社会的評価の低下」=表現の自由市場で勝った場合に原則として名誉毀損訴訟で負ける制度設計では表現の自由市場論はまやかしではないでしょうか?
社会・自由市場で負けている方こそ、立証責任を転換して主張(説明)立証責任があるという運用にすべきではないでしょうか?
自由市場の評価より、裁判の評価の方が何故優先するのか不明です。
今日の関心は、このあとでちょこっと書くように、どの程度の事情で立証できていると見るべきかの裁判所の基準が、国民意識と乖離していないかの疑問が生じます。
児童売買春が日本で広がっているとしてこれを人権問題として国際活動してきたことを日頃からネット発信し、秋葉原では児童売買春が「氾濫」しているとまで発信していた弁護士が、上記「特別調査者とのミーテイングに行ってくる」という意味のことを誇らしげに発信していて、この後の記者会見が楽しみとして、言わば調査官来日の立役者ぶっていた(ただし、この点はうろ覚えです)以上は、「自分は30%または13%の誤解を招くような発言・報告をしていない」との説明責任があるように思うのが普通(市場評価)ではないでしょうか?
上記一般人の価値判断に立脚してネット批判者が、伊藤弁護士に説明責任を求めていたというべきでしょう。
これに対して伊藤弁護士は説明責任を果たしたが、納得していただけなかったので訴訟になったのか・まるで説明しないで問答無用式に訴訟提起したかが重要でしょう。
憲法学者の言う「言論の自由市場論」を日頃からメデイアを通した発信力を持つ弁護士こそが、実践すべきだったように見えます。
憲法学者は、メデイアが一方的発信力を持つ(事実上メデイア主張に反論する場がない)前提でなんでも市場に委ねるべきという論を展開してきたことをくり返し書いてきましたが、メデイアの発言を批判するネット社会が発展してくると、自由市場論・自己の発信したネット空間で反論せずにいきなり訴訟に持ち込む傾向が出てきたのは皮肉な現象です。
そもそも、伊藤弁護士が「国民の大方が納得する程度まで説明をしたのに相手が不合理な批判だけ続ける場合には、自由市場のレフリーである国民が審判を下す(多くの国民が納得する説明をしたかどうか)・即ち国民がその批判を不合理として支持しなければ、その批判による社会的地位の低下が起きません。
社会評価の低下が起きるのは、自由市場で負けたばあいのことです。
社会的地位の低下が起きるのは批判意見の方が説得力がある・・批判された方が反論すべきなのにできないという国民審判の結果を表しているのでしょう。
批判に根拠がないと思われれば、逆に不当な批判をした方が評論家としての信用がなくなります。
表現の自由市場論とは、どちらが説明責任を果たしているかの審判を国民がするという意味ではなかったでしょうか?
批判されて社会的地位が低下した(自由市場の論争に負けた)方が、一切の反論をせずにいきなり訴訟提起するのは文字通り問答無用・・相手には証拠収集能力がないことを見越した革新系思想家の金科玉条である「自由市場論」に反した行動のように見えます。

司法権の限界18(異議手続改正の必要性2)

対審的手続を経て決定が出ている場合、充分に審理をし尽くしているので異議審に移ってもこの間に新たに地震発生や科学的知見が出ない限り新たに出すべき証拠がない・・い異議や抗告審はほぼ同様の証拠資料を別の目で見直してこそ意味のある制度です。
大津地裁の異議審を構成する裁判官名・構成員は公開されている大津地裁の裁判官氏名をNovember 8, 2016のコラムで紹介したことがありますが、これによるとほぼ同じ裁判官3名が異議審を担当する仕組みです。
そうすると結論が変わる筈もないのに異議審を強制されているために無駄な時間を取られることになります。
大手電力会社が大阪高裁や名古屋高裁に出掛ける電車賃が大変と言うこともありません。
申請側も全国展開の弁護団ですから、むしろ東京や名古屋の方が便利でしょう。
大規模事件では異議審は言わば時間の無駄・・仮処分の効果を長引かせるだけの制度ですから、これを悪用して特定思想裁判官のいる地方支部に提訴され、そこでひとたび停止の仮処分が出ると相当期間日本経済が機能麻痺します。
行政不服審査法の改正同様に異議をなくすか、合議体の仮処分事件では直ちに高裁に抗告出来るようにするか、不服申立人の選択制に改正すべきです。
もしも、国家的事業を狙って上級審では自分の決定が維持されないことを想定して是正作用を一定期間間行使出来ないように意図的に仮処分が出されるようなことが起きて、しかも,異議審がだらだらと続けられて終わらない限り・・相当期間にわたって国家的重要事項が麻痺してしまいます。
いわゆる爆弾テロやゲリラがあっても、通行麻痺等は数時間程度で回復されますが、原発や基幹産業の操業停止決定の場合、もっと長期でしかも産業構造に与える影響は甚大です。
意図的にやられると「合法テロ」に近い効果があります。
たとえば、海上保安庁の巡視船が尖閣諸島へ出動すると戦争の危険があると言ってどこかの裁判所で出航差し止めが認められた場合、数年間出航出来ないことになるのか・・・。
自衛隊員も緊急事態に際して出動命令が出たときに、憲法違反だと言って主張すれば(自衛隊は憲法違反だと思っている)裁判長によっては、出動命令停止の仮処分が認められるのでしょうか?
自衛隊にも異分子が潜入している可能性が絶無とは言えませんので、独りでもそう言う隊員がいて、仮処分の出そうな裁判長のいる地裁に申し立てが出されるとおかしなことになります。
16年3月21日の日経朝刊によると、昨春の防衛大卒業生の任官辞退率が2割に跳ね上がったと出ています。
景気が良いためかどうか不明らしいですが、いずれにせよ景気(金)次第で国を守る気概が変わるような防衛大生が2割もいる現実があります。
司法権が謙抑性を放棄して個人的政治信条を実現するために政治で決めるべきこと柄に介入する裁判が増えて来ると、個々人の人格・・謙抑性に任せられない・・これを是正するための制度改正が必要になります。
行政官・・個人的に◯◯党を応援している場合に、その党の人が生活保護申請すると優遇し、敵対する党の支持者が申請するとケチを付けるようになると困ります。
行政官、司法官、自衛官それぞれに職務に応じた良心があるべきで個人の主観的意見で権限を行使すると国家社会が成り立ちません。
何百人といる憲法学者や弁護士の内数十人が変わった意見主張をしても実害がありませんが、強大な国家権力を行使出来る小規模地裁部総括クラスが変わった意見を持っていて自制しないでそのまま行動に移した場合、結果が重大過ぎます。
何の違反もしていないのに、その産業にリスクがあると言うだけでたった一件でも業務停止の仮処分が認められると、同一基準で動いている全国の原子力産業・・各種基幹産業の否定・禁止と同じ効果があります。
一般組織では100人に数人変わった意見の人がいても決裁等があるので、組織全体の意見にはなりませんが、裁判官は一人でも国家意思として表明し、国民に強制出来る点が恐怖です。
各地原発所在地は僻地立地・小規模裁判所ばかりですが、そこを狙い撃ちにこのような仮処分申請が次々と起きている現実のリスクは業界にとっては恐怖です。
冗談的に言えば地震被害想定リスクよりは、裁判長次第で仮処分が出されるリスクの方が高い印象です。
原発仮処分以降、同業者がいつ自社も標的にされるかの高度な不安・・リスク管理に動きます。
この気持ちが直ちに表明されたのが、高浜原発操業停止仮処分の翌日に電力株が急落した市場反応でした。
大津地裁の判断・・数年内に高浜原発が福島クラスの地震・津波があって、しかも新基準でもこれに耐えられず福島級の大事故発生があると言う直感を市場が抱いていないことが証明されました。
もしも数年内の大事故を市場関係者が想定しているとすれば・・東電同様の倒産リスク=稼働再開は大リスク・・大損害ですから、再稼働発表で株価が下がり、停止決定を好感して株が上がらなければなりません。
仮処分決定→関電の株式相場急落は市場関係者の多くが数年内に大事故が起きると思っていない・・むしろ裁判所の判断リスクの方が高いと考えている証明です。
(繰り返すように科学的にどちらが絶対的に正しいかを書いているのではなく民意で決めるべきとした場合の多数・民意の反応を書いています)
このようなリスクの高い制度が放置されると安易に停止を命じられた業界・・いろんな業界に広がった場合、製鉄、石油産業であれ、運輸業界であれ、停止を命じられた業界・・次に標的になりそうな業界は、リスク回避のために海外脱出に舵を切るしかないのが明らかです。
言わば、中国の反日暴動以来中国リスクに日本企業が敏感になって東南アジアにシフトした関係の国内版です。
数年後に漸く仮処分が取り消された場合・・国内反日活動が下火になれば、それで間に合うのか?国内産業が逃げてしまい・・福島の過大な強制退去命令の全国版のように産業基盤がなくなってしまったらどうなるのか?
数年後の仮処分が取り消された場合、誰がその責任をとるのか、重要産業が海外に逃げて行ってしまった後に決定が覆った場合、ソモソモ責任を誰が取れるのかと言う疑問があります。
反日勢力にとっては大成功でしかないでしょうが、被害を受けた日本民族にとっては、損しっぱなしでは叶いません。
元々司法権が慎重判断の結果最終的判断(最高裁)を示したときでも、政治決断を司法が裁けるのかの疑問がありますが、仮に末端で間違った判断が出てもそのママ直ちに効力が出てしまい、長期間是正出来ない制度設計は異常です。
末端・小規模裁判所の間違ったゲリラ的効果を狙う業務停止仮処分命令が出てもすぐに上級審で再判断出来る制度保障が必要です。
あまり下の入国金の大統領令が出た後に政府から異議が出されたと報道されていましたが、高裁で審理したようですから日本で言えば異議ではなく抗告が出ていたことになります。
アメリカではすぐに高裁に移行する仕組みになっているのです。
安全社会で来た日本もいよいよ国際テロ組織の対象になる日が近いとすれば、これに対する備えが必要ですし、それだけではなく被害があったときの応急措置・・仮電源のようなバックアップ装置・間違った仮処分を短期間に是正出来る備えが必要です。
・・即時効を認めないか、認めるにしても別の裁判体での再判断を保障する・・例えば別の裁判体での再審理するなど公平性を保障すべきです。
金銭支払以外には断行の仮処分を認めないのも選択肢ですし、現行法同様に全ての分野に裁判官の裁量で断行仮処分を認めるとしても、当初の仮処分の効力停止の再仮処分が認められる可能性があるような制度に改正して各種業界を安心させる緊急の必要性があると思われます。
途中何回も書いていると思いますが、私は原発の安全性については、まるっきり素人でよく分っていませんので、稼働再稼働どちらが良いかも分っていません・・怖いけれども百年先なら今稼働していても良いかなと思うし、数年先に事故があるならやめた方が良い・・とあれこれ思っているだけです。
専門家は現時点の英知結集して最善のシステムや規制基準を作る能力はあっても、いつ大地震が来るかを決める能力はありません・・まして司法官が百人集まっても決められるわけがありません。
このいつ来るか不明のリスクを誰が決めるか・・あるいは分らないならやめるべきかどうか・専門家を含め誰も分らないことこそ、民主主義に馴染む・・多数意見で決めるべきではないか・・司法権の範囲を越えていると言うだけです。
大津地裁の仮処分決定を契機に司法権の限界・・嫌抑性の関心を基礎にMar 11, 2016以来これまで仮処分決定の要件〜被害想定、立証責任、政治と司法の関係について書き、November 12, 2016「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)」まで断続的に書いてきましたが、これでこのシリーズは一旦終わります。

司法権の限界17(異議手続改正の必要性1・行政不服審査法改正)

ところで運転手が急病でイキナリ意識不明になってバスなど暴走すると危険なので自動制御装置の導入が検討されています。
仮処分手続は本格的立証でなく疎明で足りるし、本案手続と違って簡単軽易な手続で決定が出されるのに逆に効力がすぐに出てしまって、多数法律家が見て明白におかしいテロ的乱用の場合でもすぐに効力停止出来ない難点・自動制御装置がない点をどうするかです。
異議申し立ての制度は、仮処分が簡便な手続で効力が出る代わりに重厚な高裁への上訴ではなく、同一組織内で簡便に不服を受け付けて迅速修正出来るようにしたものですが、異議手続があると却って、異議審が終わるまで高裁へ上訴したくても出来ない・・結果的に間違った仮処分がでも長く維持される仕組みになっているのが背理です。
異議審では仮処分の取り消し・・即時効の発効停止を求めることが出来ますが、仮処分決定をした同じ合議体がこの異議を審理する仕組みですので、同じ人間が突然考えが変わって仮処分の効力停止を命じることが滅多にありませんので,この制度はお飾りになっています。
表向き上訴する手間を省かせると言う制度設計ですが、実際には異議手続があるのは安直簡便な決定効果を長びかせるためにあるようなシステムになっています。
「異議」と言う手続は、民事執行手続あるいは各種行政処分に対する不満がある場合行政訴訟をする前に簡易即決するために処分庁の内部手続として法定されています。
政府にすれば「裁判するのは大変だろう」からと言う親心で?、(若い者が間違っている場合に)上司に文句を言うチャンスを先に与えてやると言う仕組みですが、結果的に裁判するチャンスを先延ばしする制度になっています。
大津地裁の仮処分決定で異議審を経過しないと高裁に出せない・・高裁に移行し全く別の観点からの判断を得るまで長期間かかってしまうリスクが浮き彫りにされました。
従来行政不服申し立てでは、特定決定(処分)に関してその所属の上司に異議申し立ててみて再審理の結果、当初処分が正しいとして異議が退けられてから初めて上級庁に審査請求出来る異議前置主義でした。
同じ行政庁に異議を出しても多くが(行政庁では上司の決裁を受けて処分するのが普通ですから上司の知るところとなっても)異議を出しても退けられる運命ですから、無駄な制度だと思っていましたが、こういう苦情が多かったらしく直截(第三者機関に)審査請求出来る制度が16年の4月から施行されました。
「行政不服審査法
(平成二十六年六月十三日法律第六十八号)
 行政不服審査法 (昭和三十七年法律第百六十号)の全部を改正する。
処分についての審査請求)
第二条  行政庁の処分に不服がある者は、第四条及び第五条第二項の定めるところにより、審査請求をすることができる。
千葉県総務部政策法務課政策法務班中庁舎7F
不服申立ての手続を審査請求に一元化
【図2】
現行は上級行政庁がない場合は処分庁に「異議申立て」をするが、「異議申立て」をなくし「審査請求」に一元化。」
上記は千葉県情報からの引用です。
(総務省http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201605/1.htmlには詳細説明がありますが簡潔引用には向かないので、千葉県の解説の引用にしましたので、詳細を知りたい方は上記総務省にはいってください。)
改正法の審査請求の場合には異議と違って第三者委員による審査になる点も公正と言うか当たり前(これまで内部の同じ行政官が審査していた点を改めたのです)の制度設計です。
タマタマ昨年4月から「異議制度」の不都合が改正されたのですが、このコラム原稿を書いた昨年3月時点では、まだ施行されていない事前情報として引用したものです・・今ではネット検索で現行法として出て来る筈です。
行政に限らず司法手続においても異議などの半端な中2階を整理して行くべきです。
ところで一般の個人間の争い・・軽い仮処分仮差し押えの場合には、原則として単独判事(補)の職分です。
しかも、裁判は独立性保障のために、他の裁判官に相談せずに単独で決定するのが原則ですから、軽率な間違いがあり得ると言う前提で、大げさな高裁提訴よりは、同じ裁判所内の熟達したしかも3人による見直しチャンスを与える・・早期是正チャンスを与えると言う制度設計です。
例えば宇都宮地裁の決定に不服な人が、常に東京高裁まで出掛けて行って上訴するのは大変な手間ひまですしコストも大変です。
特に法制度が出来た明治大正時代の交通事情を想定すれば、先ず内部上司で見直しをしてやる・恩恵的制度設計もあながち不当な制度だったとは言えないでしょう。 
宇都宮の事件を例にすると今でも数十万〜百万円程度の個人係争事件では、手間ひまと弁護士費用を掛けて東京高裁に出掛けるのは大変なコストですから債務者保護のために役立っている面もあります。
でも債務者保護のためならば上訴するか、異議を出すかの選択制にすれば良いことです。
単独裁判官が仮処分決定した場合には、異議が出てから単独判事より20年くらい年長者の裁判長を交えた合議体で新たに審理し直すのは意味があります・・これが異議手続の存在意義ですが、原発のように大きな事件では初めから合議体で審理するのが原則です。
一般仮処分は債務者の意見を聞かない一方的資料による決定が原則ですから、債務者の意見や証拠提出される異議審では同じ裁判官でもこんな証拠があるならば・・と決定変更の可能性があります。
ところが、原発決定等断行仮処分では債務者(電力会社)に対して期日呼び出しをして相互審問あるいは口頭弁論を開くのが原則です。
事実上本案訴訟(今は本案訴訟でも複雑な事件では準備手続に入るのが普通)とほぼ(証人調べはないものの)同じ手続が行なわれて「これ以上双方が出す主張や証拠がないですね」となってから決定するのが一般的運用です。

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