基本的人権制約原理7(ヘイトスピーチ規制2)

私は昨日紹介したデータの存在を昨日まで全く知りませんでしたが、(真偽は別として)こういうデータが出回っているのに「在日犯罪率が高いなどの故なき批判」を非難するメデイアのイメージ批判が主流で、メデイアの方で上記データに間違いがあるならばきちんと否定証拠を公開した方が良いでしょう。
メデイアからのデータ開示ないままでは、なぜ在日批判論が根拠ないか不明です。
※ただし、有能な外国人誘致の必要性が今朝の日経新聞にも出ていますが、(底辺労働ばかり入れると将来的に保護受給者や犯罪率の上がるマイナス)このような視点から見ると、有能な人ばかり入れて日本人の多くが底辺層になり有能な外人の稼ぎのおこぼれで日本人の多くが生活保護あるいは犯罪率が高まる社会も考えものです。
この種の意見は01/06/03「外国人労働力の移入3」前後に書きました。
後から入ってくる有能な移民(トランプ氏もドイツからの移民2世か?)に負け続けているアメリカでは、移民の古い順にフードスタンプに頼る比率が上がり、これが怒れる白人層を形成している印象です。
在日の生活保護受給率や犯罪率が高いと言うことは、日本人が在日との生存競争に勝っている証明・・めでたい結果で文句いう事ではありません。
流言蜚語というものは情報不足に起因するものですから、犯人検挙の場合には、日本人同様の実名報道を在日団体自体が許容しメデイアに「遠慮なく実名報道してください」と求めれば解決することですが、事実上の匿名「特権」?保持のまま「在日特権などない」と主張しても説得力がないでしょう。
説得力のない批判では表現の自由市場の競争に勝てない・在日批判論が広がる一方になっている危機感から?人権団体?オハコである「思想の自由市場論」をかなぐり捨てて「在日批判自体をさせない」かのような強権行動に出たのがヘイトスピーチ論の背景でないか?と批判が出てきます。
ちなみに一方の人権を過度に保護するのは他方被害者の人権無視につながることを、6月中旬から月末ころまでの袴田再審高裁決定の話題で書きましたが、
「人権団体とは、被害を受ける弱い立場を無視し、加害者=強者の人権のみを主張する団体」
のことでしょうか?
車にぶつかると歩行者が負けるので道の端をビクビクして歩くしかないので安心して歩けるように交通ルールがあるように、(高槻市の震災事故以来社会問題になっているブロック塀の規制論もブロックの下敷き被害に遭いそうな子供の保護が目的です)消費者保護その他多くのルールは弱者保護が基本です。
このルール(信号)無視で歩行者を跳ね飛ばして捕まった犯人・加害者を何が何でも擁護するのが、人権派の使命のように誤解しているようです。
人権擁護派が、被告人が本当に信号無視したかの事実究明を求めるなら合理的・刑事弁護制度はそのためにあるのですが、信号無視やルール違反の有無にかかわらず「検挙拘束自体を人権侵害」と主張するならば、この世の中にルールなど不要・強いものは何をしてもいいのだ」という無政府主義者の主張と同じです。
宮沢憲法のいう「基本的人権は国家社会成立前からある自然権である」というナイーブな意見に忠実なのかもしれませんが、それでは強いもののやりたい放題で人間社会がなり立ちません。
袴田再審高裁決定批判報道を見ると事実認定の合理性を問題にせずに、決定直後内容吟味もなしに、まず「不当判決」の垂れ幕のイメージ報道の氾濫と高裁決定批判の洪水ですから驚きです。
事実認定の合理性の有無にかからず再審開始決定を認めない高裁決定は「不当」という主張の引用報道の氾濫は、交通事故で言えば、交通ルール違反の有無を問題にせずにまず「無罪・釈放せよ」というような報道姿勢です。
訴訟手続きや法に反しているかの吟味なしに、「不当」と決めつける運動をしているグループ(これをあたかも正義のように洪水的に報道し続ける報道姿勢)・・支持する人権団体の論理によれば訴訟手続きを守っているか否かではなく、結論が納得しなければ「不当」と言うのですから、「自分たちが処刑したい」側に立てば、面倒な訴訟手続き遵守しない・・証拠吟味などしないで、まず「1日も早く処刑しろ」という主張に簡単に転化できる危険な集団イメージです。
社会主義国で普通に行われてきたいわゆる(文化大革命時の紅衛兵による吊るし上げで実例が知られます)「人民裁判」という吊るし上げ処刑を理想化する思考方法を、民主主義社会に移植しようとしているかのように見えませんか?
彼ら革新系というか左翼系運動家は、「刑を減らしなくす方向への運動ならば、訴訟手続き無視でも人権侵害にならない」という片面的価値観であるとすれば、理解可能です。
よく言われるように障害者枠を設定したり一定比率の女性役員を強制する場合の基本原理でしょう。
しかし、弱者救済のためと言っても職務能力がなくとも一定率の雇用を割り当てて強制しも良い職場と一定技能レベルが要求される職務とでは許容分野が違います。
取締役等の場合、能力不足の人が女性枠で1〜2人程度役員になっても、能力がなければ発言力がないので、(大方の議案に黙ってうなづくばかり?)重要意思決定に影響力が及ばず実害が起きません。
医師その他の各種資格等は、患者が医師を選べないし、歩行者が正面から未熟運転でぶつかってくるトラックの運転手を選べないので、危険です。
すぐに暴力行動に出る危険な子供も教育を受ける権利があるとは言っても、一方で被害を受ける子供の存在を無視することは出来ません。
このようにどの場面でどの程度弱者優遇すべきかは、学校で習った「基本的人権尊重・弱者保護」の精神と言うお題目を唱えるだけでは何の基準にもならないので、国民の総意・民意=法で具体的に決めていくべきでしょう。
この結果、訴訟手続きで見れば、訴訟手続き上弱い立場にある被告人にどこまで有利に下駄を履かせるかについては、立証責任で無罪の推定を原則化しているほか、証拠法則も厳格化し、国費による弁護人選任権など訴訟法で細かく決めていることであって、法で決めた以上に有利に運用しろという主張は「法」=民意を無視した意見となります。
日本は法治国家・人民裁判が許される国ではないので、「結論をこうしろ!」という主張ではなく、高裁決定を批判するならばどのような訴訟手続き違反があるかを主張すべきです。
言論の自由市場論の例外として在日批判をどの程度許さないか・・特別保護すべきかのテーマに戻ります。
ヘイトスピーチ論は、少数派/マイノリテイーは反論が自由にできないから「少数派批判は許されない」というのが一般的ですが、自由競争に馴染まない弱者であるから、「下駄を履かせろ」ということでしょうか?
「下駄を履かせろ」と言うのは刑事手続で言えば、無罪推定や証拠法則等の方法論で足りる・将棋で言えば飛車角落ち、囲碁で言えば置碁、ゴルフのハンデイなどその後の戦うルールは同じというのが普通の考えです。
これを超えて「強い選手の出場禁止」、「犯罪を犯しても刑事訴追禁止」あるいは、「日本人に比べて刑罰を半分にしろ」とまで行くと、弱者救済論の目的を逸脱し特権付与論になります。
ヘイト被害者が少数派であって言論発表の場がないならば、公平な言論競争ができるような反論の場を提供するなどの土俵作りをするのは、独禁法による救済同様の弱者保護基準ですが、強者の発言自体を封じるのは、少数派救済にかこつけた反対意見発表を制限するのが目的でないかの疑念が生じます。

基本的人権と制約原理6(ヘイトスピーチ規制1)

いわゆる在日特権論に対して「行政は公平に運用している」「特権などない」というのは、理論的にはその通りでしょうが、在日批判者が言うのは「法的特権」ではなく「事実上の運用上の特別優遇」を言うのですから、噛み合っていません。
「在特会」が知られるようになったきっかけとなった京都の朝鮮人学校の公園占拠問題も、行政が特に許可したわけではないから、法的権利を付与したわけではない・特権付与ではないが、大目に見てきたという「事実上の優遇」が目に余っていた現実が白日の下に曝される効果がありました。
そのやり方が激しすぎたので「違法評価されて」巨額の損害賠償支払いを命じられましたが、国民的注目を浴びた結果、朝鮮人学校による公園の事実上独占使用状態が終わりました。
メデイアは暴言批判一色でしたが、在特会の主張自体広く国民支持を受けたように見えます。
政府批判であれば「日本シネ」のアッピールの場合、表現の品位について批判が一切なく、訴えようとしている保育所不足に焦点を当てて野党の得点にしているのに比べて、在日の日本社会に対する問題では、国民が不満に感じている問題を掘り下げ報道を一切しないのは不自然です。
在日が日本人同等に窓口で保護されていないならば、目に見えない差別解消に努力すべきですが、日本人でもしないような権利以上の行為・・共用物を事実上独占使用するなど目に余る行為を繰り返していることを指摘したならば、表現方法に対する批判に終始しないで、本来の国民不満を掘り下げるべきです。
「弱者に優しく」という基本精神が日本にはあるので、結果的に在日系が弱者として優遇される傾向が生じ、一方ではそれに遠慮しながら感謝するのではなく、既得権益のように日本人を排斥するかのように振舞っていることに対する不満ですから、形式論では解決しません。
公園不正使用にとどまらず、事実上の優遇しすぎがあちこちで目立っていないか?・・鬱積された不満が広がる導火線になったのが在特会の過激行動だったようです。
在日系犯罪の場合でいえば、目立たせないような配慮からか?在日とわからないようにするためにか、実名報道しない慣習になっているのも、結果的に「第4の権力」と称されるメデイア界が事実上優遇をしているように見えます。
弱者優遇精神・・隠蔽保護の結果、在日の犯罪率、生活保護受給率が高いかのようなデマ?が広がるのですが、日本もアメリカがやっているようにいろんな分野の統計でドイツ系フランス系、日系という出身国別の発表をした方が却って透明化し、根拠ない憶測・思い込み批判を防げると思います。
公表されていないと思い込んでいましたが、真偽不明ですが、特別入手情報?として以下の通り公開されています。
http://taiyou.bandoutadanobu.com/?eid=1235636

2017.01.10 Tuesday
外国人犯罪問題に積極的に取り組んでいる自民党衆議院議員の長尾敬先生のご協力で、今回総務省からは世帯数を、厚労省からは生活保護受給世帯数を、最新の平成27年7月段階の数値で国籍別に入手することができました。
この数値は未だメディアには出ていませんので初公開です(^o^)

                      

生活保護は個人個人ではなく各世帯ごとに受給していますので、国際結婚家庭の場合はその世帯主の国籍で分類されています。
何故かまったく非公開の「在日」外国人検挙情況の総検挙件数と総検挙人員数
(同じく平成27年データ、28年公表。ご協力は衆議院議員長尾敬先生)↓

                        

なぜ非公開なのか?については、みなさんから警察庁に直接聞いてみて下さい。
(警察庁意見箱 https://www.npa.go.jp/goiken/)
うち在日人口の7割を占める「特別永住者」は外国人の身分のまま代々世襲でその滞在を認められ、殺人を含めたいかなる犯罪によって検挙されても唯一退去強制処分がない特別なご身分。
強制送還がないので再犯者が濾過されないという在日特権の悪影響が、在日韓国朝鮮民族全体の不名誉につながっています。

基本的人権制約原理6(兵役納税の義務2〜ヘイト規制)

外国国旗損壊罪も外国の気を悪くしないように刑事罰の対象になっていると言う解説を信用するとしても、国民の人権侵害がないのに集団利益を守るための刑罰が許される一例になります。
基本的人権は「人類普遍の原理」と宣言する以上は、世界中に通用する原理でなければならないはずですが、兵役拒否罪は人権と人権の衝突場面でないのに刑罰に処して人を拘束し苦役を強制するのですから、個人人権より優越する法原理を持つ国が多いことを示しています。
憲法学者こぞって?集団自衛権反対にこだわる背景は、戦後の天賦不可譲の基本的人権論の基礎が崩壊する点にあるのかもしれません。
韓国で今年の6月28日に良心的拒否を処罰するのは、憲法違反と言う最高裁判決が出たようです。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-1052

2018年7月3日(火)15時30分
エホバの証人」投獄は違憲と韓国憲法裁判所 良心的兵役拒否は基本的人権の一つ
Jehova’s Witnesses in South Korea Are Imprisoned
韓国の憲法裁判所は6月28日、良心的兵役拒否者を処罰することを定めた兵役法の条項を「違憲」とする判断を下した。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/07/15/0200000000AJP20130715001100882.HTML
2018年 07月 09日(月)
「良心的兵役拒否」による収監の92%が韓国人
2013/07/15 11:29 KST
【ソウル聯合ニュース】全世界で宗教的信念を理由に軍入隊を拒み投獄された人のうち、9割以上が韓国人であることが分かった。
国連人権理事会(UNHRC)が先月3日に発刊した報告書によると、世界各国で宗教・信念などを理由に軍入隊を拒む「良心的兵役拒否者」として刑務所に収監されている人は723人に上った。
国籍別では、韓国が全体の92・5%に当たる669人で大部分を占めた。
次いでアルメニア人が31人、アフリカ・エリトリア人が15人、トルクメニスタン人が8人と続いた。
また報告書は、徴兵制と代替服務制を併用し2011年に徴兵を暫定的に中断したドイツでは、過去50年間に代替服務を通じ271万8360人の若者が約3万7000カ所の社会福祉施設や慈善団体で働き有益な活動をしてきたことを自国の人権委員会が評価したと強調した。
さらに、各国は代替服務機関を軍服務期間の1.5倍を超えないように定めたり、同じくするなど差別を撤廃する動きを見せており、ウクライナとグルジアでは代替服務者にも市民として同等の権利を保障していると紹介した。
上記の通り、徴兵拒否処罰禁止はエホバの証人という宗教信条との相克として諸外国では無罪になっているようです。

日本のようにそのような宗教のない国ではどうなるのでしょうか?
また、無罪運動はセットで服務制度を求めていることから分かるように、前提として国民には国防に参加する義務があることを前提にしています。
人権の衝突もなく、道徳にも反しないのに、なぜ犯罪者扱いされるのか?ということが私の疑問であり「特定宗教信者であれば【良心的拒否者】として例外的に許される」と言う信仰の自由次元の問題ではないはずです。
人権が天賦不可譲・・・憲法以前の普遍的権利だと言うように義務にも組織の一員である限り国防に参加するのも納税義務同様に「天賦不可譲」の義務と言うのでしょうか?
こうなってくると「天賦不可譲(国家社会成立前からある人類普遍の原理)の人権論」は世界で日本だけの特異な学説かもしれません。
昨日紹介した甲斐素直氏の説明で補完説として説明される「パターナリズム」(後見保護的機能?)でもカバーしきれません。
納税義務や国防の義務〜内乱罪や 兵役拒否罪やスパイ罪などは、人権の衝突や道徳律だけでは説明できません。
人権制約原理として、「組織維持に協力する義務」を認めるしかないのではないでしょうか?
ところで人格的利益説〜道徳論によれば、誹謗中傷は不道徳ですから人権の枠外となりますので、許されないとなっていますが、一方で名誉毀損ではなぜか、民事刑事ともに集団に対する誹謗は対象にならないと(我が国独自の学説のようですが、詳細不明です)学説上決まっています。
名誉毀損に関するウイキペデイアの記事からです。

対象の特定可能性
名誉毀損が成立するには特定人に対してなされたものであることを要し、「東京人」や「関西人」のように単に漠然と集団を対象としても名誉毀損は成立しない[32]。これは刑事名誉毀損の場合と同じである。
本人に直接言及しない場合だが名誉毀損が成立する場合がある[33]。

慰安婦騒動や南京虐殺などの主張が事実無根?とした場合でも、日本民族や国に対する名誉毀損にならないという論理がどういう根拠か「常識でしょう」という決めつけで決まっています。
だからやりたい放題言いたい放題(南京虐殺の被害数字がいくらでも膨らんでいくなど)になり、これを事実上支持するかのようなイメージ報道が広がるような印象です。
「じゃ倍返し」だと嫌韓運動が始まるといきなり「ヘイトスピーチを許さない」となるので不思議(ご都合的な印象)に思う人が多いでしょう。
少数者に対する攻撃だから、「反論できないから」可哀想でないか?というようですが、米国では日本人は少数者ですし韓国でも同じです。
韓国や米国で慰安婦像を設置して日本人に対して嫌がらせするのは、表現の自由で問題がないというのですが・・・。
ヘイトを理由に表現を制約する原理(があるとすれば)は新たに生じてきた難しい問題です。
ヘイト禁止の要件は国によって違うとしても、ヘイトというのは他民族に対する憎悪表現が基本ですから、韓国人の慰安婦問題提起は対日憎悪感情でやっているのではないが日本人は「兼韓」というように「憎悪感情でやるから違法なんだ」となるのでしょうか?
それならば日本でも、「憎悪感情をむき出しに」しないで韓国人の悪行を暴くだけならば(それが事実にあっていなくとも?)有る事無い事でっち上げて批判していても、表現の自由で構わないのでしょうか?
靖国神社に対するデモでは、天皇陛下の顔写真を引きのばしたプラカードに竹槍みたいなもの?を突き刺してデモしている様子が出ていましたが、(ちらっと見た記憶ですから正確ではありません・・総理大臣の顔もあったようですが)これが表現の自由で許されて日本人が韓国大統領の顔写真に竹槍を突き刺してデモするのはヘイトになるのか?の疑問です。
多数派/強者は自制すべきと言うことでしょうが、少数派・弱者だからとエスカレート始めると・・消費者は情報弱者→クレーマーのモンスター化同様で、いわゆる弱者ビジネスが許されるか?の疑問が起きてきます。

基本的人権と制約原理5(兵役納税の義務1)

国家転覆目的・内乱罪を頂点にしたスパイ罪〜兵役拒否罪〜租税納付義務違反罪などが世界中にありますが、これが諸外国でなぜ憲法違反でないのか・・人権衝突論や自己実現論/道徳論では蒙昧な私には理解できないからです。
共謀罪法の成立で具体的テロ行為の共謀だけでも共謀罪法で犯罪になりましたが、傷害等各種刑法犯該当のテロ行為ではなく、抽象的な日本の社会不安・相互不信を煽り、中国や韓国の支配下に入るべきという謀議はそれだけでは共謀罪法違反にはならないし、そういう集会に対して施設使用不許可するのは、憲法違反になるような解説です。
(これが問題になったのがクジラ博物館の事件でしょう)
古くは共産党員は自分の勤務先の会社を潰すのが目的だと非難され支持を失っていきましたが、そういう批判は時代遅れの間違った意見だったのでしょうか?
自民党でも自民党をぶっ潰せというスローガンで総理になった人もいますが、本音は自民党再生のための主張であって反自民ではありません。
自己実現論等の解釈によれば、日本を韓国や中国の支配下に置くべきだ・日本は昔中韓で悪いことをしたから今度は中韓の奴隷状態に入るべきと言う主張でも「自己実現」と称して自由にできるのが基本的人権なるようです。
是枝監督の言う「公権力とは距離を保つ」という主張は、反公権力=反政府 =反国益→反国民?のための言論の自由・・(新参の右翼発信者同様にメデイア界の婉曲的表現訓練をうけていないからか?)国益に反することを目的にしている実態をストレートに表現したことになるようです。
私の場合、千葉で生まれ育ったわけではないですが、千葉に住んでいる以上千葉市や千葉県(弁護士である以上弁護士会全般も)が良くなって欲しい気持ちがいっぱいですが、中には自分の住んでいる街や勤務先組織が嫌いな人もいるのでしょう。
普通に考えれば勤務先が嫌いならば転職すればいいような気がしますが、それが簡単にできないのでそこで楽しくやっている人を自分のように、不幸な状態に巻き込みたい捻れた感情が発達するのでしょうか?
住んでいる町や国が嫌いという場合、企業のように嫌な上司や同僚が身近にいる関係がないので(都会の場合近所づきあいがほぼ不要)その社会での主流から外れている疎外感がそうさせるのでしょうか?
他人のものを奪ってはいけないというルール→等価交換ルール=「私有財産権の絶対」思想も古代からありますし、殺人、傷害や弱いものいじめ、ひいては人命尊重も国家成立前からのことと言えますが、古代から所属集団のためには命も捨てる心構えが賞賛され、民族・集団のために命を賭して戦った人を讃える英雄像も古代からあります。
各地を旅行すると献身的に地元発展に尽くした人が、地元の偉人として顕彰されています。
特攻隊の自己犠牲精神をできるだけ矮小化する政策で戦後政治が行われて教育してきましたが、時間が経てばその尊い精神に感じる人が増えるようになるでしょう。
戦後政治=教育は占領軍の影響で、民族や集団のために尽くすのはよくない・「個人利益と対立すれば個人優越」という方向性が過ぎていたように思われます。
「国家・民族ひいては自分の家族を守るためには、自己犠牲を厭わない」というのも古代から尊ばれた古代亜kらの精神です。
生物は自己の生命を全うすることが最大の価値の筈ですが、子グマ連れの母熊が危険を顧みずに攻撃してくる本能を見えば、種の保存のために自己犠牲を厭わない本能があるのです。
人間は集団で力を合わせてこそ他の猛獣に負けずに生き残れたので、目の前の自分の子供だけではなく守るべき対象を集団にまで拡大してきたことになります。
ライオンだって狩をするときは集団戦法ですし、犬・狼・猿だけではなく多くは程度の差こそあれ、集団で生活しています。
このように考えると集団利益無視または卑しむ個人利益優先の思想教育は、集団で生きていく知恵を知らない程度のレベルです。
この辺で真面目に勉強する気になって、基本的人権に関する学説のお浚いを短時間にネット検索できる限度ですが・でしてみました。
以下の説明によると、基本的人権論は、戦前の美濃部説による公共の福祉による外在制約論から戦後の宮沢説・内在制約論〜人格的利益説・・佐藤幸治教授の道徳論〜さらにはパターナリズムによる補完・有用性?までを以下のネット記事では分かりよく説明されています。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/seminar/916restriction_of_Humanrights.htm(甲斐素直氏)
引用省略
ただ、人権の衝突による制約しか人権制約原理がないとすれば、納税の義務→脱税が犯罪になり徴兵制の国では徴兵拒否罪がなぜあるのか不明・・人格的利益説や道徳律と言い換えれば解決するのか私の能力では不明です。
内乱罪やスパイ法違反・・兵役の義務=所属組織を守る義務→違反に対して懲罰として各種の人権侵害行為ができる根拠を道徳律によるというのでは、戦前の美濃部説=外在制約論・公共の福祉論とどう違うのか不明です。
私の学んだ宮沢説は古いかもしれませんが、なんらかの人権制約原理がなければ、人を兵営に拘束し苦役を強制することは基本的人権違反で許されない→拒否しても犯罪にできないはずです。
基本的人権は人類普遍原理とは言うものの、「徴兵制のある先進国では普遍原理が認められていない」と言う説明になるのでしょうか?
それとも国ある限り国を守る義務があり、敵国と通謀し、引入れるのは「道徳に反するに決まっている」と言うのでしょうか?
こうなってくると基本的人権とは別にある道徳が基本的人権制約原理になってくるので、その範囲を誰がどのようにして決めるか?となります。
道徳とはそれぞれの集団・社会維持のための規範でしょうから、基本的人権は社会・国家成立以前からあると言う「自然権論」と対立関係にあるはずです。
内乱罪や兵役拒否罪あるいは租税強制徴収権・脱税罪の合憲性を認めるならば、結果的に戦前の美濃部説・外在的制約論とどう違うかになって来るのではないでしょうか。
素朴な感想では道徳という意味不明原理によるのではなく、国家に限らずどんな組織でもその集団所属者は、その「組織維持に協力する義務がある」(嫌なら会員脱退権・・国籍離脱の自由)という原理を立ててそこから納税(会費負担)義務、国家防衛(兵役)義務を導き出す方がスッキリします。
この点、弁護士会の強制加入主義(離脱の自由がない)は異例ですから、将来的に憲法違反の意見が出てくるでしょう。
相馬馬追いや博多や岸和田その他の夏祭りをユーチューブで見ていると、地域共同体の行事にこぞって参加することことこそが、共同体構成員になっている証のように見えます。
地元の人でこういう無駄な行事をやめようという声を上げられないのは、言論の自由がないからなのか、それとも共同体結束に必要な行事は地域にとって必須だと考える人の方が多いからではないでしょうか?
人権は無制限のものだが、個人人権の相克調整のためにだけ制約されるのではなく、もう一つの原理・・民族集団維持防衛のための義務も所属員にはあるという二本立てではないでしょうか?
この辺の議論は専門家同士で克服済みかもしれませんが、素人に分かり良く説明できない理論って、本当は裸の王様同様に「内部で傷を舐め合っている」だけの論ではないでしょうか?
わかりよい推理・素人の推量ですが、日本では幸い戦力不保持の憲法があるので、徴兵制の議論を避けて誰も問題にしないで今までごまかしてこられたのかもしれません。

基本的人権と制約原理4

池田氏が児童売買春の特別報告に関与した弁護士を批判したければ、イメージ効果を(ずるい!)と批判・・意見表明すべきであって、事実としては、「同弁護士がミーテングに参加したと表明していることから直ちに同弁護士が日本少女13%の報告をしたか否か不明であるが、この情報発信によれば同弁護士がこの報告を支持しているように見えるが、その点はカクカクの理由で問題だ」とか、「同弁護士が国連報告者に対してどのような情報提供したかの開示を求める」という程度から始めるべきだったでしょう。

刑法
(名誉毀損)
第二三〇条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

上記の通り「事実摘示した」場合が名誉毀損罪の要件であり、民法の名誉毀損は事実適示だけが要件ではありませんが、事実適示のない論評が争点になると言論の自由との関係で難しくなります。
裁判所は意見表明については「主張内容がどんなにひどい意見」であろうとも「(自己実現は)憲法上の権利として判断理由にできない」ので、人格攻撃などの品位に関わる評価で勝負するのが多いようの思われます。
児童売買春に感s流名誉毀損訴訟では、事実適示が問題になったかどうか知りませんが、もしかして「13%の報告をしたのが同弁護士」とした点が、名誉毀損であるとした訴訟の場合、「そのような報告事実があるかどうか」の真実性の証明次第になっている点を気に留めないで、池田氏が気楽に決めつけ批判したことがテーマにされていた可能性があります。ていなかったことになります。
「左翼系の意見評論がフリーパスで、右翼系が名誉毀損でしょっちゅう負けるのっておかしい」という批判感情論→裁判所が偏っているかのようなイメージ主張がネットで多く見られますが、要は事実と意見・評論をうまく切り分ける論理能力が右翼系評論では身についていないからのように見えます。
感情論で満足していると発展性がありませんし、行き着くところこの後で書いていくヘイトスピーチの応酬・・嫌韓デモとこれに対抗する「しばき隊」のデモのように、社会分断の危険性につながります。
右翼系も訴訟で負けレバ裁判所を非難するのではなく、その原因分析によって合理的戦術を学ぶ必要があるでしょう。
池田氏に限らず植村記者名誉毀損問題も同じですが、事実適示を含む批判主張をする場合には「真実性」の立証可能かをチェックしてから行わないで無闇に「捏造」したなどと主張した場合に、相手が訴訟してきたら捏造の立証ができるのかを事前にチェックしてか主張すべきですが、そのような事前チェックなしに突撃してしまったところが無防備すぎる印象です。
以前から事務所相談で私の方は「事実を聞きたいのに相談者が意見を言いたがるので困る」事例をしょっちゅうこのコラムで書いていますが、世代交代がない(次世代以降ではレベルが上がっている印象も書いてきました)限り、まともな政治論争は無理かもしれません。
訴訟で繰り返し痛い目にあっても「裁判所が偏っている」という感情論で終わっていると進歩がありませんが、(依頼した弁護士レベルにもよりますが)負けた原因の究明・・弁護士指導で徐々に「事実と意見の違い」が身についていくのを期待したいところです。
池田氏は政治評論家かな?職業として意見発信しているにも関わらず、いかにも伊藤弁護士が特別報告に関与して報告内容に影響を与えたかのようなイメージ発信にまんまと引っかかって「同弁護士がそのような報告をした」かのように受け止めて?(伊藤弁護士支持者がイメージ宣伝通り受け止めるのは勝手ですし、発信者もそれを期待しているのでしょうが・・)それを前提の批判意見を公表したので、事実無根の批判として名誉毀損で訴えられてしまったように見えます。
(判決書自体見ていないので何が訴訟テーマか不明・・推測です)
訴訟では国連報告者が「情報源秘匿権」で誰から聞いたかを開示しないでしょうから、同弁護士が「私が13%の主張をして採用された」とホームページ等で書いていない限り、名誉毀損で訴えられると真実性を立証できる方法がなくあっさりと敗訴になるべき運命です。
反捕鯨運動家は日本国内支持を広げようという意欲がないから、カモフラージュする必要がなく、堂々と反捕鯨運動を名乗って、「主義主張を理由に入館制限するのは憲法違反」でないかと、正面突破を挑んで訴訟したものでしたが、裁判所の方が、逆にそこで勝負せずに数日前に写真撮影したことを理由に次に来た時に入館拒否するのは行き過ぎ等の次元・入館規則のあてハメミスとして違法を認定して肩すかしを食らわせたことになります。
流石に裁判所も「何を言おうとしようと自己実現は個人の勝手だ」と宣言する勇気がないというか、無駄な論争をしないのが裁判所の姿勢であり合理的です。
「〇〇総理や天皇を殺せ」というプラカードを掲げても、殺人行為の具体性がない意見の場合には殺人予備にもあたらない・・犯罪構成要件に当たらない限り今の憲法論によれば、「何を言おうと自由」となるのでしょうが?それを裁判所が「自由」だと認定できるかの疑問です。
日本人(例えば朝日新聞)の場合には、国内支持を完全無視できないから?書いてしまった事実を批判をされたときに、事実無根という入り口で訴訟できず、「どんな意見でも憲法で保障されている」と開き直るしかなくなるので、事実を書かないで巧妙な思わせぶり表現が多くなるのでしょう。
メデイアは、(反日意見を報道するのも憲法上の権利だと開き直らずに)市場評価を気にしてカモフラージュして(国際孤立するとか中国の発展が如何に素晴らしいか、反中国ではバスに乗り遅れて「しまうかのように」)宣伝する・・本音が伝わるように仕向けているのですが、それはイザとなれば、・・下手に感情論で攻撃してくれば名誉毀損で逆襲できるように仕組んで待ち構えているように見えます。
メデイアは何十年もの経験でこの手法に慣れているので、具体的事実を書かないで逃げ道を用意してイメージに訴える方法で発信するのが普通です。
素朴単純な?右翼系がメデイアや左翼系の主張したい本音にまともに反応して実際には表現していない「本音」が表現されているかのように誤解して池田氏のように批判記事を書くと「どこにそんなことを書いているか?」と名誉毀損で訴えられて敗退を繰り返すようになります。
左翼系が何かというと政府施策妨害?のために・・古くは成田空港反対訴訟に始まり、八ッ場ダム、諫早水門訴訟、沖縄基地訴訟、飛行機発着禁止や各種工場操業停止訴訟してきたのを右翼が真似て、この5〜6年前から訴訟戦術を始めたようですが、(それ自体論理的訓練の機会になって良いことですが)NHKの台湾報道事件を始め訴訟戦術としては、経験不足があって仕方ない(繰り返す過程で戦術論も磨かれていくでしょう)としても今のところ稚拙すぎる印象です。
ところで、憲法学者の基本的人権論によれば、仮に反日あるいは親中韓の本音がバレても・・堂々と日本国解体論・・・その先どうなるか→隣国の支配下に入る方が幸せと言うのも自己実現・自由な人権行為となるのでしょうか?
ここから憲法論における常識・「自己実現は、憲法以前の権利」と言う憲法学者間で論争済みの意見に対して私の勉強不足の非常識な?挑戦です。
憲法学者も大勢いるのでいろんな意見があるでしょうが、部外者に聞こえてくる意見では、表現の自由=自己実現論プラス自己統治論によれば、日本社会を不安に陥れたり互いに信頼関係をなくすように運動する(名誉毀損や何らかの法令違反があれば別です)のも基本的権利である以上、他の日本人がこの運動を支持するか否かはとも角、権利行使=違法ではないというようです。
「ようです」という意味は、「本当にそうなのか?」の私流の疑問があるからです。

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