憲法とは?(近代立憲主義の限界2)

慰安婦問題を際限なく仕掛けてくる韓国や北朝鮮のように自分の依って立つ意見が絶対とする態度を見るとこういう思考形式の人とは、まともな議論が成り立たないように見えますが・・。
憲法を左翼的理解・・「権力抑制のために定めた根本ルールのみ」と自分の気に入った方向で定義してその定義に従わない人をバカ扱いする人たちは、どこか北の人たちと似ています。
皇室典範や、17条憲法は権力抑制目的ではないので、実質的意味の憲法にも入らないでしょうが、国家民族のあり方の基本ルールを実質的憲法と見れば、上記も入るでしょう。
ところで権力監視抑制のみを憲法の要件とすれば、左翼的立場では絶大な信奉の対象になっている「憲法の平和主義」論は、憲法に入るのでしょうか?
そもそも、左翼思想と平和主義がどういう関係があるのか理解不能です。
今世界で軍事力を前面に押し出している国々は中国やロシア北朝鮮・皆もともと共産系国家であり、中国の軍事脅威に真正面から晒されている日本で、非武装平和論をいうのが軍事力で迫ってくる国々と親和性のある左翼系文化人ばかりというのが不思議な関係です。
いかにも「中国の軍事圧力に屈服するのが最善」と言わんかのようなスタンスに見えてしまうので、信用性がなくなります。
もともと公害反対は人権救済問題であるのは当然ですが、公害など全く問題にしていなかったソ連や中国の実態を知る立場では、共産党の弁護士がこれを中心になって推進することに違和感を持っていたことを繰り返し書いてきました。
共産党と関係ない人の公害反対や各種の人権運動であれば信用し易かったのですが・・。
そういう視点で見れば、米ソどちらかの核の傘に入って「非武装平和」を唱えるかだけの選択の時代には、米ソどちらをかの庇護の元での非武装または軽武装平和論が合理的な時代でした。
60年の安保反対闘争は、戦争反対闘争ではなく米国の傘に入るのに対する闘争だったのです。
集団自衛権・軍事同盟をするとアメリカの戦争に巻きまれると主張しますが、中ソ陣営ならばば巻き込まれないと言うのでしょうか?
「同盟していざとなって自分を守ってもらう」ためには、「自分も相手が困ったときに助けに行く」というのが同盟の基本です。
「自分が攻められていないときには知らん顔しています」という同盟など成り立つはずがありません。
自衛が必要だが「軍事同盟禁止」が成り立つのは、超超大国だけの論理であって、それ以外の中小国は大国との同盟(相互協力関係)がないと自衛することは不可能です。
超大国といえども孤立していると、2〜3〜4位連合に負けるので、多数派(分断)工作に余念がないのが現実です。
社内や政党内の派閥でも「寄らば大樹の陰」で派閥に属すれば、その分自己の主張が制限される・・ボスの言い分に従うしかないのは仕方のないことです。
中ソどちらに属した方が、「自由度が高いか、待遇が良いか」「将来性があるか」の選択の問題なのに「平和憲法を守れ!というだけでは、現実生活者は「私どもには、難しいことはわかりませんので・・」と相手にしなかったでしょう。
上記の通り、双方の方向性が一致していた時代には非武装平和論も意味が(一定の支持)あったのですが、米国の圧倒的地位が低下して「尖閣諸島が守てくれる」かどうかになってくると、米軍のにらみだけでは解決できない・実戦闘勃発可能性が近づいてくると同盟さえあれば軽武装で十分ではなくなりました。
比喩的にいえば「警察力・巡視艇(スピーカーで退去要請だけで、解決するのか、軍事力・海軍力はいらないのか?」ですが、自力撃退しない限り引き下がらない相手には相応の軍事力が必要です。
軍事同盟とは自力防衛が主体であって「応援部隊は応援(後方支援中心)でしかない(野球の応援団?」ないという軍事同盟のセオリーに戻る・・応援が来るまでの初期自力防衛力の備えが必須になってきます。
戦国時代に国境沿いの小豪族が攻められた時に織田や武田の主力軍勢が来るまで自力で小さな城を守り抜く戦力が必須だったのと同じです。
現在で言えば、尖閣や沖縄が奇襲攻撃で中国に占領された時に、米軍は日本が自力で奪還作戦を行うための後ろ巻をしてくれても、米軍が先頭切って攻め込んでくれるようなことは、はほぼ100%ありえない状態です。
この段階で、「侵略されれば無抵抗で受け入れれば良い」という非武装平和論と、米軍に頼るから軽武装で良いという非武装論とは水と油の関係であったことが分かってきました。
平和論と日米安保条約が矛盾どころか補完すると考える勢力との基本認識の違いが、60年安保騒動になったのです。
その後の政治過程を見れば、アメリカの核の傘を選ぶ国民の方が圧倒的多数であり、中ソの各事件や公害垂れ流し、あるいはスターリン粛清や文化大革命等の悲惨な弾圧実態を賞賛する勢力は国民支持を失っていき、旧社会党が消滅し、後継の社民党支持率が今では0%台になっている現状です。
非武装論支持激減は戦後の熱狂が冷めてきたからではなく、中ソに占領させたい勢力と米国寄りの双方が支持していた平和論だったので、国際環境変化によって、元々の目的相違が明白になったにすぎません。
同じく軍事強国として理不尽に実力行使している中国やロシアの軍事力の圧迫に直面している我が国で、共産系に親和性を持っている勢力が非武装平和論を言っても、国民の多くが信用できない気持ちになるのが仕方がないでしょう。
憲法論に戻りますと、平和を守るためには権力→軍事力抑制が必要といえば、立憲主義的理解でも「憲法の平和主義」が憲法に入るのでしょうか?
共産主義国が軒並み軍事独裁国家になっている上に、「軍事独裁や人権侵害が問題になって米国援助が削減されるとすぐに中露になびく政権が普通ですが、このような国際政治における長年の結果からみると中露は道義無視の山賊、海賊の逃げ場・・巣窟のような立ち位置と認識されていることになりませんか?
これらを理想の国として崇め、中露の軍事支配下に入ることを推進しようとする左翼思想家の不思議さです。
その運動として日本国国内の人権侵害や公害、閣僚の揚げ足取り、原子力被害など批判していますが、彼らが理想化し非武装のママ中露の支配下に一刻も早く入ることを目的にしている中露が行っている少数民族への大弾圧や各種情報統制・巨額割路政治による巨大な格差社会を全く問題にしません。
こういう国の支配下に入れば原発・放射能被害も秘密にしてもいいし、人種差別や弾圧思想改造収容や臓器摘出もやりたい放題にすべきというのでしょうか?
そこまで行くと中露の現実を前提にすると、左翼文化人らの各種主張は日本をよりよくしたいという正義の観念が全く見えない・日本の政治を撹乱して世界の進展について行くのを少しの時間でも妨害する・・周辺諸国よりも遅れた劣等国にすることが目的のように見えますが・・。
左翼的・憲法学会的多数説・・「権力抑制こそが憲法である」という主張のおかしさは、イスラム法を基本とする諸国家に当てはめれば、明瞭になります。
イスラムの諸原理は権力抑止機能以外の生活規範がほとんどでしょうから、これらは実質的意味の憲法ではないという意見・・普通の法律以下の扱いになりますが、イスラム諸国でこのような実態無視の意見が主流でありうるとは到底考えられません。
彼らはイスラムの諸原理に従うことは成文憲法に従う以上に重要なルールと考えているでしょう。
ただし、イスラム原理に反する憲法を作ること自体できないから、日常的に矛盾が起きることはないでしょうが・・・。
日本や西欧の基準でイスラム国で男女平等・金融その他のルールを強制すれ大きな葛藤が生じます。
いわゆるハラル認証も同じですが、イスラム諸国においては、イスラムの諸原理は成文憲法以上の効力があることは確かです。

憲法とは?(近代立憲主義の限界1)

いわゆる「近代立憲主義」を主張する勢力にとっては、皇室典範は(天皇家の「私事」に矮小化して理解するために)実質的意味の憲法に入らないようにしたいかのように見えます。
法理論的には以下のような構成になります。
簡単に言うといわゆる近代立憲主義運動家の論理です。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100503/p1によると以下の通りです。2010-05-03(内容レベルから見て専門家の意見のようです)

憲法の機能をめぐる認識のズレ
左派的な立場から憲法が論じられるのを見聞きすると、「そもそも憲法とは国家権力を縛るためのものにある」といった趣旨にしばしば出くわします。
もう少し学識の豊かな方だと、「公権力に一定の制約を加えることこそが近代的な意味での憲法の本義である」などといった形に、憲法の意味を歴史的に限定した上で話されます。これらはごく自然な理解であり、決して間違っているわけではありません。

上記によれば、皇室典範は権力抑制のための制度ではないので、そもそも憲法に入らないことになります。
これによればいわゆる「浮利を追わず」などのいろんな家訓は対象外でしょうし、イスラム諸国でのイスラム原理の多くも意味のないことになるのでしょう。
しかし、「憲法は権力抑止のためにある・・それ以外は憲法でない」とする解釈も、一つの学説にすぎません。
この種の進んだ?学者(信奉者)の多くが、他の意見を認めない傾向が強いのが難点です。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100503/p1の続きです。

・・そういった立場は、あくまでも特定の意味において「憲法」なる語を解した場合における正統な理解であって、憲法の意味や理解がこの立場に限定されるわけでは、本来ありません。
芦部信喜『憲法』(第4版、高橋和之補訂、岩波書店、2007年)の冒頭では、憲法の意味が大きく2つに分けられています。大略は次の通りです。

(1)形式的意味の憲法…「憲法」という名で呼ばれる成文の法典(憲法典)。「日本国憲法」がこれにあたる。英国のような不文憲法の国には無い。
(2)実質的意味の憲法…成文・不文にかかわらず、ある特定の内容によって国家の基礎を定める法。
(2)の実質的意味の憲法に含まれる法文は、憲法典だけには限られません。例えば皇室典範や国会法、教育基本法などのように、果たしている役割によって「国家の基礎」を規定していると解釈されるものは(2)の意味で「憲法」と見做し得るのです。
(2)実質的意味の憲法
①固有の意味の憲法…時代・地域にかかわりなく普遍的に存在するような、政治権力の組織や行使の仕方を規律することによって、国家の統治の基本を定めた法。――(b)
②近代的意味の憲法…専制的な権力を制限して広く国民の権利を保障しようとする自由主義≒立憲主義の思想に基づき、政治権力の組織化そのものよりも権力の制限と人権の保障を重視する。――(c)
既におわかりでしょうが、先に挙げた立場において語られている「憲法」とは、②の意味を指しています。
この意味の憲法が成立するのは一般的に「マグナ・カルタ」からであるとされており、憲法学が形成されていくのもそれ以降です。
①には例えば、「十七条の憲法」などが含まれます。憲法学の対象が主として②であり、憲法学の議論で「十七条の憲法」が普通扱われないのは、憲法学の成り立ちそのものを支えたのが②の意味の憲法とともに発展してきた自由主義≒立憲主義の考え方だからです。

樋口氏や長谷部氏などがこの分類を知らないわけではありません。
天皇機関説に反対した狂信的グループを紹介しましたが、現在でも何かというと訴訟を起こし、自己の主張が通らないと「不当判決」といい、自己の表現の自由にはうるさい敵対者の批判には訴訟を仕掛ける傾向(具体的内容不明ですのですが、相手が権力や大手ならばいいということで訴訟を連発する傾向がある点は間違いないでしょう)が多いことから見て、「近代立憲主義」論者は偏狭な人の集まりでしょうか。
もともと極右も極左もたまたま時代風潮に合わせて、狂信的になる点で思考回路は同じと一般に言われますが・・・。
以下によると、いろんな意見がありうるという学問の基本・・「この点に思いが至らないようです」と書いていますが、これが問題の本質でしょう。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20100503/p1の続きです。

・・・しかし、彼らの著書を読んでとにかく「憲法=国家権力を制約するもの」と覚えた人の中には、「憲法」という語の多義性を意識しない人も多そうです。
もちろん、日本国憲法のみならず大日本帝国憲法も②に含まれますが、それはこれらの法典が基本的に②としての機能を果たしているからそう解されているだけであって、別に①と解そうとすることが不可能なわけではありません。つまり、今の憲法は社会的な「事実」として②ですが、それを①の方へと変えていくべきだという「主張」そのものは有り得るわけです。
こうした主張をしていると思われる論者は少なくありません。「憲法」なる語をこのような意味で使うとか、こういう理解で使うべき、などと明示的に述べている人はあまりいませんが、例えば近代主義への反発を軸に議論を構成している西部邁氏などは、明らかに「憲法」という語を非近代的な意味で使っていると思います(私は西部氏の良い読者ではありませんが、数年前に大学院の授業で『ナショナリズムの仁・義』(PHP研究所、2000年)を読んだときにこのことを思いました)。
自由主義≒立憲主義的な意味に限定して「憲法」を考えている人々は、なかなかこの点に思いが至らないようです。憲法に「国民の義務」をもっと盛り込もう、などといった動きとの(「論争」ではなく)「すれ違い」は、ここから生じている部分が大きいと思います。
左派的な立場の人々は、「憲法とはそもそも国家を縛るためのものだから」、そういった主張はそもそも憲法とは何かを理解していない、と考えてしまいがちです。
けれども、そこで異なる立場を採る側は憲法の意味を理解していないのではなく、実はそもそも別の意味で「憲法」なる語を使用しているのだとしたらどうでしょう。
そもそも憲法学の対象が(c)であるからといって、一つの法典(a)としての日本国憲法の条文についての論争が(c)の意味の憲法理解に縛られる必然性はありません。
逆に言えば、(c)の意味の「憲法」を問題にしたいのであれば、必ずしも(a)の意味の「憲法」に拘泥する理由は無いわけです。憲法典以外の法規・方針やそれらについての解釈、及びその他の政治慣行を含む全体としての“constitution”を重視すべきではないか、といった議論は杉田敦先生が提示しているところです(『政治への想像力』(岩波書店、2009年)などの他に、長谷部氏との対談『これが憲法だ!』(朝日新書、2006年)も政治学者による憲法への独特なアプローチが刺激的です)。
相手は憲法の意味も理解していないと考えてしまうと、一方が「馬鹿」だから問題外という話になって生産的な議論には発展しようがありません。
それゆえ、憲法についての有意義な論争を望むのであれば、どちらかが「事実」を理解していない「馬鹿」なのではなくて、日本国憲法が果たすべき主たる機能についての異なる「主張」が対立していると考えるべきでしょう。そろそろ、憲法論争が「ネクスト・ステージ」に進むことを期待したいものです。

軍国主義とは7?(検非違使庁・・令外官)

検非違使庁に関する本日現在のウイキペデイアの記述からです。

平安時代の弘仁7年(816年)が初見で、その頃に設置されたと考えられている。当時の朝廷は、桓武天皇による軍団の廃止以来、軍事力を事実上放棄していたが、その結果として、治安が悪化したために、軍事・警察の組織として検非違使を創設することになった。
司法を担当していた刑部省、警察、監察を担当していた弾正台、都に関わる行政、治安、司法を統括していた京職等の他の官庁の職掌を段々と奪うようになり、検非違使は大きな権力を振るうようになった。
官位相当は無い。五位から昇殿が許され殿上人となるため、武士の出世の目安となっていた。
平安時代後期には刑事事件に関する職権行使のために律令とはちがった性質の「庁例」(使庁の流例ともいわれた慣習法)を適用するようになった。
庁例(ちょうれい)とは、平安時代後期に検非違使庁が刑事事件に関する職権行使のために適用した慣習法としての刑事法。「使庁之例」あるいは「使庁之流例」とも称された。
検非違使の活動は原則律令格式に基づくとされていたが、犯罪捜査・犯人逮捕・裁判実施・刑罰執行の迅速化のために検非違使庁の別当が別当宣を出すことで律令法に基づく法的手続を省略することが出来た。検非違使庁別当は参議・中納言級の公卿から天皇が直接任命したために、その別当宣の効力は勅旨に準じ、律令格式を改廃する法的効果があると信じられた。こうした権威を背景にして、検非違使は時には律令格式を無視した手続処理を行うようになり、それを「先例」として事実上の法体系を形成していった。これが庁例である。
庁例に関するウイキペデイアの記事からです

庁例は律令法に比べて簡潔・敏速・実際に優れているが、三審制の原則が無視されて一審によって処断された。
事実上律令制形骸化→日本独自の慣習法が生まれてきた始まりと言えるでしょうか?
源平などの武士が担当していたことから、ドーテルテ大統領になってからのフィリッピンの現場射殺のように現場処分・・相当荒いことをやっていたに見えます。
江戸時代の火付盗賊改方に関するウイキペデイアの記事からです。

明暦の大火以後、放火犯に加えて盗賊が江戸に多く現れたため、幕府はそれら凶悪犯を取り締まる専任の役所を設けることにし、「盗賊改」を1665年(寛文5年)に設置。その後「火付改」を1683年(天和3年)に設けた。一方の治安機関たる町奉行が役方(文官)であるのに対し、火付盗賊改方は番方(武官)である。
この理由として、殊に江戸前期における盗賊が武装盗賊団であることが多く、それらが抵抗を行った場合に非武装の町奉行では手に負えなかった[1]。また捜査撹乱を狙って犯行後に家屋に火を放ち逃走する手口も横行したことから、これらを武力制圧することの出来る、現代でいう警察軍として設置されたものである。

上記のように適正手続の整備された平和な社会に乗じて犯罪が過激化すると、例外的に武装警察組織・現場制圧部門がどこの世界でも必要になることがわかります。
保険制度が完備すると乱診乱療の弊害が起き、生活保護の不正受給が起きるように何事も悪用が起きるものです。
国際社会で言えば、パックスアメリカーナの支配する社会が完備し、武力行使が制限されるようになるとこれをいいことにして(平和な国では取り締まりが甘いし、刑罰が軽くなる一方なので)却って粗暴な武力行使を誘発するようになります。
フィリッピンの現場射殺命令やメキシコ国境の壁建設不法入国者の強制送還等の新たな制度構築の動きは、この反動ともいうべきでしょうか?
何事もその社会状況に応じた制度が必要であって、その社会の実態を無視してある制度が良いと強制する間違っていますし、社会の変化に応じた制度変更を何でも反対するのは間違いです。
断固たる取り締まり実施の問題点は、要は民主主義を守るための規制か私益・独裁政権維持の為の思想統制目的かの違いですが・・。
共謀罪反対論の吹聴する「家族のちょっとした会話が共謀罪の対象になったり、飲み屋での会話が共謀罪の共謀認定されたり、通信傍受されるような運用」はあり得ないと書きましたが、法制度がどういう効果を持つかは、末端の(現行犯逮捕や裁判所の令状発布のなど)運用次第になるように思われます。
世界の制度研究したという学者の講演の批判を18年10月7〜8日に書きましたが、法というものは運用する仕組みの実態とセットで研究発表しないと法制度の意味がわかりません。
フランスでは刑事制度運用に対する信用があるから昨日紹介したような法制度ができたのでしょう。
思想によるレッテル貼りに戻りますと、手続のちょっとした違いだけで「軍国主義国家」かどうかの区別が出来るのでしょうか?
「軍国主義」と言う表現からして手続の違いではなく「主義」・・思想を裁く意味合いが強いとみるのが普通でしょう。
思想を裁き出したらその基準は何もありません・・厳密な議論をする学説でさえ「ある学派に属する」と言うだけではその範囲不明・・学者によっていろいろなハバがあるのが普通です・・まして政治行動を持って、特定の色付けするのは無理です。
投票基準として候補者の思想傾向が何色かどう言う人柄かを個人的に判定して投票するのは正確でなくとも相応の意味がありますが、権力的不利益処分基準・・占領して良いかどうか・・個人で言えば他人の家を占拠し、家人を支配下に置き従わなければ殺していも良いと言う権利の基準に占拠される人の主義主張を持ち出す(居住者が野蛮人・軍国主義者なら何をしても良い)のでは危険過ぎます。
文字どおり専制政治になります。
アメリカは、戦時中には病院船や学童引き揚げ船を撃沈し、一般人の住む市街を集中爆撃し、最後には原爆投下するなどした挙げ句に戦闘終了後には本来終結するとすぐに相互に引き上げルールを守らずに、長期にわたる占領政治をしてきました。
主権尊重・・戦争勝敗に拘らず主権を侵害出来ないなど400年も前から国際的に決まっている戦争のルールに全面的に反してきました。
そこには「勝てば人間を牛馬のように使役しても良いとするアメリカの奴隷使役の経験・思想があり、その思想の適用として日本を永久にアメリカに隷属させてしまう目的だったことが垣間見えます。
タマタマ、ギャング同士の仲間割れ・・朝鮮戦争が起きたので日本が助かっただけの話です。
日本のポツダム宣言受諾直後の占領政治は、・・奴隷国家化・・降伏したインデイアンに対するような処遇を想定していたとしか理解出来ない占領政治のやり方でした。
非人間行為を平然と出来る・・考えるアメリカ人とは何者か?の関心で16年8月25日「キリスト教国の対異教徒意識」以降書いてきました。
西欧では1648年のウエストファアーリア条約以降漸く「喧嘩に勝ってもやっては行けない限界がある」ことを支配層間の協議で「理性的に?」理解したものの、未だに心底納得していない・・本音では、異教徒は動物と同じ扱いで良いとする基礎原理思想「正戦論」の精神にまだ浸っている状態であることが分ります。
そのためには相手に仕返しされる心配がないと分れば、直ぐに理性のタガが外れてしまうレベルと言うべきでしょう。
報復力こそが最大の抑止力・・報復力のないものに対しては、虫けらのごとくどんな非人道的人体実験も可能とする思想を前提にするのが報復力の維持・・相互に核兵器を持つことが戦争抑止力になると言う平和思想論です。
北朝鮮もイランもこの論理で頑張っています。

軍国主義とは6?

2015年の安保法案反対論のチラシには、頻りに「軍靴の音が聞こえて来る」「軍国主義復活」と騒いでこれを有り難がる人が多かった・・我々弁護士にはしょっ中この種のチラシが舞い込んで来ましたが、こう言う人のうちで軍国主義を正確に定義出来る人がどれだけいるでしょうか?
ここからは、September 2, 2016, 「軍国主義破壊5」と文化人の役割1」の続きになります。
ついでに安保法案戦争法案反対運動などでマスコミで流布している「軍国主義」などのキーワードで安保法反対関連の学者声明(ならば何かマトモに書いているかなと期待して)その他をその頃に、試みに検索してみたところ、従来の政府解釈を変更するのは憲法違反だとか言うだけで、何が軍国主義になるのか、戦争法案になるのかの意見を探せませんでした・・多くは「総掛かり運動の成果」とか今後のデモの予定ばかり・・私の検索能力が低いからかも知れませんが・・。
定義出来ない概念で異民族を期間の定めなく支配するポツダム宣言受諾を強迫すること自体がウエストファーリア条約以来人類共通遺産である「相手が同意しても犯してはならない」限界を侵す違法な強要です。
米軍政・・農地解放や財閥解体のコラムで大分前に零細農民や零細企業しか認めない・・工夫発展の芽を摘む工作・・農業国としての存在しか許さない政策の一環として軍国主義とは別の視点で書きましたが、要するに民主化に名を借りた日本の支配層追放・・企業解体による日本の民族支配層の全面追放・・ニッポン民族組織解体を裏の目的にしていたように見えます。
中共政権成立後、満蒙民族対象に徹底的に行われた大規模虐殺・・中共軍指導によるポルポトによる大規模虐殺は、文字を読める人を探し出しては皆殺しにしてしまうやり方は、いずれも知識人を根絶やしにする明白な民族レベル低下戦略の実行でした。
米占領軍も軍国主義思想一掃を名目に、文化人・支配層一掃を狙ったものでした。
日本は階級社会ではない・・法制度がなくとも古代から民意重視・・平等な社会ですので、支配層をまとめて追放してもその後をいくらでも補充する人材がいる点に気が付かなかったのでしょう。
企業や組織で言えば、事業本部長クラス以上を全員追放しても直ぐ下の部課長〜その下のクラスがいつでもその任務を補充出来るのが日本では普通です。
幕末ロシアやアメリカ等へ漂着した一介の漁師が、いざとなれば、日本民族代表のような立派な行動ができた社会です。20年くらい前にハローウインで、盗賊と間違えられて銃殺された服部君の事例で驚いたと思いますが、その親は普通のサラリーマンだったはずですが、その対応は見事でした。
日本人は庶民に到るまでいざとなれば、国益を背負って立つ気概のある民族ですから、「支配層だけ骨抜にすれば良い」と思ったアメリカの思惑に反したことでしょう。
勝った方が強要してはいけないことを決めたルール・・講和条約で負けた方が(銃剣を突きつけられて)承諾すればどんな内容でも良いのであれば戦時条約を予め決める意味がありません。
アメリカは軍国「主義」認定による占領は無理があると分って来たらしく、この4〜50年?頻りに「軍事政権」を批判して経済制裁を科すのが普通ですが、これもおかしな基準です。
緊急時や戦争が始まればどこの国でも緊急事態を掌握出来る軍部が発言権を持つのは当然ですし、アメリカでも大統領が軍のトップであり非常事大権をもっていることは言うまでもありません。
違いは選挙で選ばれたかどうかであって、戦争や非常時には軍の専門家が遂行するのはどこの国でもあるいは、古今を問わず同じです。
一般犯罪であっても「話せば分る」と言って解決出来れば、警察さえいりません。
民主主義国とそれ以外をここ10数年アメリカ・特にトランプ政権が強力に言い始めたのは、この結果によります。
軍事政権か否かは選出方法で見る限り区別は簡単ですが、「軍国主義か」どうかは何を基準にするのか意味不明です。
しかし選出基準によれば、ヒットラーも国会で選任されて全権委任を受けている点では、(憲法の勉強では広範な白紙委任が許されなかったと教えられますが・・)どう違うのかはっきりしなくなります。
戦争中には、アメリカ大統領もどこのトップも非常大権を持ちますし、フランス大統領は15年からの相次ぐテロに対して今・現に・・非常事態宣言を6回も延長し17年11にようやく解除したばかりです。
この適法性を事後の国会でチェックされる抑制手続が法定されている程度の違いです。
http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=79745

フランス、非常事態宣言が終了、新法施行でテロ対策強化
2017年11月1日(水)
フランスで11月1日、2015年11月のパリ同時多発テロ事件以降発出されていた非常事態宣言がようやく終了した。宣言は警備の強化に向けたもので、16年7月のニースでの車両突入テロ事件などを受けて、6回に渡り延長されていた。
なお、同国政府は引き続きテロ対策を強化するため、宣言下で例外的に容認してきた警察などの権限を認める20年末までの新法「治安およびテロ対策強化に関する法律」を施行。外務省も訪仏日本人旅行者には海外安全ホームページで、引き続き注意を怠らないよう呼びかけている。
https://www.bbc.com/japanese/41495068
フランス、厳格な反テロ法案可決 非常事態宣言の解除控え
2017年10月4日
フランスの国民議会(下院)は3日、2年近く続く非常事態宣言の解除を目的とする新たな反テロ法案を可決した。
新たな法律には、非常事態宣言下で許可されていたいくつかの措置が盛り込まれる。裁判所の許可を得ずに、家宅捜索がより容易に行え、個人の移動を居住地域内に制限することができる。
新しい法律の下、個人の移動を在住地域に限定し、一日に一度警察に出頭することを義務付けるのを、判事ではなく政府が判断できるようになる。
当局は鉄道の駅や空港など危険と判断される場所に警戒区域を設定することができ、区域内では人や車両を調べることができる。
モスクなどの礼拝の場所で宗教的指導者が極端なイデオロギーを説いていることが分かれば、当局は閉鎖を命じることが可能になる。
人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」フランス支部のベネディクト・ジャヌロ代表は、フランスで対テロ措置への司法チェックが徐々に「弱め」られており、「非常事態での権限が正常化され、新たな一線を越えた」と語った。

非常事態宣言が漸く解除されたものの、非常事態宣言下同様に警察は裁判所の令状なしに強制捜査や検挙ができる・非常事態宣言なしの恒常的非常事態下の法制度が整備されたことになります。
due process of lawの発達した先進民主社会といえども、社会合意・基本ルールを守らない相手・・「話せばわかる」と言っているウチに瞬時に射殺され、あるいは甚大被害の生じる爆発物を仕掛ける暴徒に対しては、紳士的ルールで対応してはいられない実態に合わせる必要があることを示しています。
長期間死刑のなかった日本でも平安時代末期から世の乱れに応じて死刑(その先行役所として、令外官として著名な検非違使庁が置かれました)が復活し、今のように平和で治安の良かった江戸時代でも鬼平犯科帳で知られるように手続きなしで処理できる火付盗賊改方という例外制度ができたり、統治制度でも危急時には、合議による政治から臨時に大老による独裁的権限行使制度を用意しているものです。

メデイアと学者の煽り8(軍国主義肥大化へ2)

中韓両国の日本批判を見ると両国のレベル・・自国の行動基準を前提にして、「自分のならこういう悪いことする」という自白ではないかと思う人が多いでしょうが、トランプ氏の始めたフェイクニュース批判は自分の選挙戦を自白していると思っている人が多いでしょう。
私がいつも書くように既存メデイアの偏向性(フェイクではなく主張の偏りです)が目に余る不満が先立っていますので、トランプ氏は一応支持・喝采を受けていますが、既存メデイアもたまにヤラセ=フェイクもありますが、総体的に見れば虚偽事実の報道はごく例外であって、国民の多くが不満に思っているのは、実在する例えば100〜200の情報のうちメデイアの気に入った方向の事実のみを拾い出して洪水的に流す偏向報道の問題です。
朝日新聞の慰安婦報道問題も積極的に虚偽報道があったか否かではなくはじめっから「一定の角度」方向にのめり込んでいた点を国民が怒っているのです。
メデイアの偏り是正議論が落ち着いたのちの評価(何十年後?・ネット発達によって情報独占が是正されるようになるでしょう)になれば、虚偽事実に頼る点では、トランプ氏の方がフェイク性が露骨すぎるという落ち着きになるでしょう。
・・・「ベストの日露講和ができたのはアメリカの肩入れのお陰」
3月30日に紹介した通り、(アメリカはロシアがこのまま権益を握っていけばシベリアのような独占支配になってしまうが、日本を応援すれば戦後共同開発に参入のチャンスがあるだろう)という見込みで日本を応援していたのを誰もが知っていたのに、その恩・期待に報いる合理的政治を誰も言い出せなくなっていたことがわかります。
・・「三國干渉」のような露骨な分配要求ではないものの18年3月30日に紹介したアメリカの「門戸開放・均等門戸開放」要求を講和条約後日本は聞く耳を持たなかったのは、一種の背信行為でした。
政治家はみんなこの事情を知っていたのに、・・メデイアの政局への影響力が大きくなり、冷静沈着な国家決定が出来なくなってきたのが、満州への独占的行動開始→国際孤立化の始まりでした。
アメリカのオレンジ計画に関するウイキペデイアの記事からです。

日露戦争が終結すると中国問題が日米間で重要問題化しだし、両国間の緊張が高まりだす。アメリカは日本を仮想敵国とした戦争計画の策定に本腰を入れ始め、一連のカラーコード戦争計画の一つであるオレンジ計画が誕生する。
これら各カラーコード戦争計画は、後のレインボー・プランとは違い基本的に一国対一国の戦争を想定しており、外交関係や集団安全保障に関して考慮されていなかったのだが、オレンジ計画では初期の頃より『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』という日米戦争のシナリオを描いてシミレーションされ、実際の太平洋戦争もこれに近い経緯を辿っていく。日露戦争の最中、第一次世界大戦といった日本と協調関係にあった時期でも、対日本戦争計画、オレンジ計画は研究され続けていた。

日本は自国防衛のための緩衝地帯としての朝鮮半島確保の控えめな希望実現を求める限度では欧米の人道主義・アジアの小国(しかもジャポニズム等で好意的紹介されていた文明のある日本が)がどう猛なロシアに脅迫されているのが可哀想的その他価値観的擁護を受けていました。
この前提として義和団事件で遠隔地の欧米部隊の応援が入るまでの籠城戦での日本兵の強さや規律の高さが賞賛されていましたが、この時とばかりに中国東北・・のちの満州方面から南下進出してきたロシア兵の獰猛野蛮さ・終戦直前に満州へ侵入したソ連兵の野蛮さは周知の通りですが、その40年前にロシア兵が中国東北地方で同じことをしていたのです・・が欧米諸国の顰蹙を買っていた経緯もあります。
顰蹙というよりは、もともと侵略されたときのロシア兵の残虐ぶりが中東欧やトルコを含めて周り中で恐れられていた・この辺は今も同じでしょう。
話題が飛びますが、ココ数年のクリミヤ併合やウクライナ侵攻あるいはシリア介入など見ても、ロシアは今も昔も粗暴・恐怖感によって周辺威圧しかできない本質的弱点を持っています。
ロシアとしては本性をむき出しにした・「能ある鷹が隠していた爪を出した」本当は強いんだぞ!と威張っているつもりでしょうが、それしか自慢するものがない・・弱い国という評価を受けていることがわからないのでしょう。
今でも日中韓はロシアの軍事力が怖いのでロシアを気にしているに過ぎませんし、北欧やバルト三国あるいはトルコを含めて皆同じでしょう。
北朝鮮問題でもロシアが関与する場合があるのは、米国が軍事力行使した場合にロシアがどう反応するかに関心があるだけであって、調整能力に関心がある国はありません。
今話題のシリア政府軍の化学兵器使用に対する米軍の制裁?シリア攻撃実施可否に関しても米英仏が軍事行動すればロシアがどう出るか?というだけに理由で世界の注目を集めているだけのことです。
ロシアが正論を吐きそうだから聴いておくというものではありません。
そもそもロシアが混迷するシリアに派兵を始めた意図自体合理的理解困難ですが、人道など言わないでどしどしテロ組織を制圧していき、強力・辣腕ぶりを発揮したのはわかりますが、ヤクザが乱暴して「どうだ!」「俺は強いぞ!」と自慢しているようなものでしかありません。
正規軍や警察は周辺市民への誤爆が心配とか人道がどうのと言って、躊躇しているときに、(ヤクザが暴れているところへ、もっと強いヤクザ・)ならず者がやってきて人道や逮捕時のルール無視で問答無用で叩きのめすのを見ているようなものです。
経済困窮中のロシアにとってシリアが将来安定したとしても、そこに自国の基地を設けて中東に睨みを利かせることに何の意味があるかの問題ですが、国益よりはプーチン個人の支持率維持(人道論や国益抜きに「いい気持ちにさせてくれるだけの指導者を期待する」国民レベルに帰するでしょうが・・)だけのためでしょう。
戦闘機出撃やミサイル1発で巨額コストです。
アメリカのトマホークは一発約1億円と言われています。
ロシアは15年9月に介入したばかりでしたが、短期間で爆撃機だったか戦闘機だったかを引きあげたと報道されていましたが・・出撃コストに耐えられなくなったイメージを受けましたが・・。
https://news.yahoo.co.jp/byline/koizumiyu/20160330-00056007/

ロシア軍のシリア「撤退」から2週間 依然として強力な兵力残すロシア
3月14日にロシアのプーチン大統領がロシア軍のシリア撤退を発表してから2週間が経過した。翌15日は実際に爆撃機の第一陣がシリアのフメイミム空軍基地を離陸し、その後も攻撃機や武装ヘリコプターなどが次々と同基地を離れていく様子が報じられている

上記記事では実態はそれほど変わっていない・むしろ増強されていると報告されています。
シリア政府の化学兵器使用問題では、プーチン・ロシアは拒否権発動で調査団派遣に関する安保理事会決議否決に持ち込みましたが、ロシア軍が駐留していても攻撃をためらわない米国の勢いに困ってしまい、数日前から内々で「調査に応じるから..」という提案をするなど攻撃中止を求める動きが活発になっていましたが、昨日14日のニュースでは米英仏によるシリア空爆開始のニュースが出ています。
http://jp.wsj.com/articles/SB10376223459405434294104584162673842000750

米英仏、シリアの化学兵器関連施設を空爆
ByNancy A. Youssef and Michael C. Bender
2018 年 4 月 14 日 12:21 JST 更新
トランプ米大統領は13日夜、米国、英国、フランスが共同でシリアの化学兵器関連施設への空爆を実施したと発表した。空爆は、市民ら少なくとも43人が死亡、数百人が負傷した先週の化学兵器使用への対抗措置。

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